36.店主の過去
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「こんな本屋に、いったい何の御用でしょうか?」
低い物腰でこちらに話しかけてくる店主らしき女性がこちらに質問する。
だが、こちらはそれどころではない。
え、なぜって?
ばっかお前、そりゃこのおねぇちゃん、若干天然も交じってんのか知らないけどこちらを覗き込もうと体を前に倒したせいで、おぱーいの谷間がめっちゃ見えるからに決まってんだろ?
しかも向こうはそれに気付いてなさそうな感じでさ。
いや、眼福眼福。
心のカメラのほうにしっかりと納めさせてもらいましたよ。ええ。ええ。
とりあえず日本語で書かれた書物を探してみるか。
「いえ、気にされなくても大丈夫です。少し本を探しても?」
「ええ、もちろん構いませんとも」
よし。じゃあまずどこを探そうか。
「日本語の本って売ってたりしますか?」
俺としては日本語で通用するか怪しかったんだが、店主らしき女性は驚きに顔を歪めて目を丸くした。
「申し訳ありません。使い魔の方ですか?」
「ええ、まぁそうですけど」
女性はその返事を聞くと、目を伏せて静かに話を始めた。
「実は、私も日本から召喚された使い魔だったんです」
そう言って、手元に置かれたベルを二回鳴らした。
しばらく待つと、カウンターの奥に付けられた引き戸からタキシードのようなかっちりした服の男性が出てきた。
「どうしました、マリー」
その男性は呼びかけながら女性のほうを見る。
しかし、なぜだかその焦点は合っておらず、美しかったであろう青い瞳はくすみ、白と混ざったように濁っていた。
「紹介します。彼はジェイル・アンダーソン、私を召喚した主人です」
「なるほど、私を呼んだのはお客様が。よろしく」
ジェイル、という男性は視線を動かさずにこちらに向かって会釈してくる。
「よろしくお願いします」
もとは本を買う予定だったが、もしかしたらこれは本よりも貴重な情報が得られるかもしれないな。
もし得られそうならここで北の魔女についての情報も集めておきたい。
「この本屋には大した本も売ってはおりませんが、人から人にわたった、個々人の思いが詰まっております。どうか、そういったことを少しでも良いので感じ取っていただければと」
男性がそう言い残し、引き戸の奥へと帰っていく。
本人がいなくなったあたりで、俺は女性にこう質問した。
「あの、お話ししたくなければ答えなくて構わないので、ご主人のことについて少しばかり教えていただけませんか?」
俺の質問に対して、しかしマリーさんは逡巡したように視線を逸らす。
「あの、無理なら無理と言ってもらって――」
「いや、大丈夫です」
俺の言葉に割り込んで、マリーさんは叫ぶ。
「……すいません、突然大きな声を出して。……ジェイルさんは、とても心優しいお方でした」
でした。過去形で始まる話には大体闇が隠れていると経験則からわかる。
「彼は人助けを生きがいにしていて、どんなに悲惨な状況の人間に対しても手を伸ばされていました」
淡々と、ゆっくり語る。
その言い方には何かを押し込めたように感情が込められていなかった。
「そしてその時も、ご主人のいつもの癖で手を伸ばしました。……しかし、それは間違いだった」
マリーさんはそこで一度話を区切って、悔しそうに下唇をかんだ。
「『北の魔女』と呼ばれる人物、彼女こそその人だったんです。助け、そしてお金を稼ぐために近くの草原へ出たところを、彼女が襲ってきたんです。幸い、私とご主人はそれなりに戦闘した経験があったので戦えましたが、しかしそれは防戦一方でとても戦闘と言えるものではありませんでした」
マリーさんの頬に一筋の雫が流れる。
その姿は、過去を本当に公開しているようだった。
「はじめのうちは五分五分でした。しかし、魔力が無くなっていくにつれ私は防御魔法を張れなくなり、ご主人の剣は刃こぼれを起こしていきました。守り切れなかった氷の刃は私の脇腹を裂き、魔法を突き破った火球はご主人を焼きました」
こぼした涙を服の袖で拭ってメガネをかけなおしたマリーさんは、強い意志のこもった視線をこちらに向けた。
「お二人もご主人に違和感は持っていたでしょう。彼はその時に失明し、全身に消えないやけどの跡を負いました。私も、あばらの骨を五本、両手に一本ずつ、左足で一本折れました。それだけの重傷を負っても逃げ帰れたのが奇跡でした。もし北の魔女に会っても、絶対に反抗してはいけません」
そういって口を閉ざし、それ以降は全く喋らなくなってしまったマリーさんに、俺は感謝を告げる。
「……そんな壮絶な人生を……。お話しいただき、ありがとうございます」
「いえ、私が話した方がいいと思ったからです。……あぁ、最後にこれをどうぞ」
そういってデスクの下に潜ってこちらに本を手渡す。
「『物理と魔法の関連性について』……?」
手渡されたのは一冊の日本語の本。
「本当にいただいていいんですか?」
「いえ、売れなさ過ぎて処分しようと思っていた本なんです。私には物理はよくわからないので……」
「……ありがとうございます」
ハードカバーのこの本は、しかしその質量からは予想できない程の存在感を放っていた。
「では、そろそろ僕達は戻ります。長々とありがとうございました」
「いえ、こちらこそこんなおばさんの話に付き合ってくれてありがとうございます。……どうか、お気を付けて」
「はい」
マリーさんに軽く会釈をして埃を舞い上げないように出入り口に向かう。
ドアは相変わらず立て付けが悪い。
しかし、その重い扉を開けることで外に出たと感じることができた。いわゆるリフレッシュという奴だろう。
「さ、ホテルに戻ろうか」
「はい」
あの薄暗い路地裏を歩くことは憂鬱だが、しかし静かだという側面も併せ持っている。
今は静かな路地をケーナちゃんと歩きたい気分だ。
ゆっくりと、しかし自然とケーナちゃんと同じタイミングで片足を出す。
「それで、先ほどの本はいったい何だったんですか?」
「あぁ? あ、それはだな――」
その時俺は、柄にもなくこの心地いい状況が、いつまでも続いてほしいと思った。
◇◆◇
「お二人は帰られましたか?」
今までのやり取りを引き戸の裏で聞いていたジェイルが、引き戸を引いて出てくる。
「ああ。しっかりと『物理と魔法の関連性について』を持ってね」
「しかし、本当にあれを渡してもよかったのですか? あれは主の愛読書だったのでは?」
「しばらく前まではね。しかし、もうあの本の内容も頭に入ったし、必要な奴にやってもいいか、とね。しかし、異界の書物は実に興味深い。言語の解読に三か月かかったにせよ、得られた内容は革新的だった」
それを聞いて、ジェイルが納得する。
「まあ、主がそれでいいというなら私は別に構いませんが……。それにしても、よくあの土壇場で私と主の関係を逆転させようと思いましたね」
「土壇場なわけがあるかい。元から考えていたに決まってるだろ」
「……なるほど。やはり主は頭が切れる。……それで、彼らは?」
「ああ、器の話かい? ……そうだね、少女の方は知らないが、使い魔、あちらは間違いなく器を持っている。十分覇王へと至る素質はあると思うね」
器。
これを持つものがやってくるのをいったいどれほど待ったことか。
ニホンゴを学び、その言語も利用して罠にかかるのを待った。
とうとう器を持つものが私の手に入ろうとしているのだ。
この機を掴まずしていつ器を得るのか。
前回は失敗した。今回こそは信用を得て彼を私の手駒にしなくては。




