SS1-19話:クリスの願い
《回想1》
二歳年上の彼女は私にとって全てと呼べる存在だった。
色んな勝負事をやっても彼女に一回も勝てた試しはなかった。
グランディール王国の中でも高い身分である貴族の私が平民の彼女にだ。
信じられないと同時に悔しかった。
だから、彼女に勝つことを目標に私は努力を続けた。
苦手な魔法の訓練も積極的に参加し、勉強や音楽などの教養もおろそかにせずひたすら自分を磨いた。
結果、政略結婚という形ではあるが、私は次期国王の正妻という立場を射止めることができた。
だが、そこでも私は彼女に負けてしまった。
国王は私ではなく彼女に心を惹かれているのだと分かったからだ。
必死に積み上げてきたものが一瞬に崩れ去った気がした。
だから、私はいつも私の前を歩く彼女を殺すと決めた。
………
……
…
雄二がセリス達の目の前から姿を隠して四日が過ぎた。
突然、いなくなった雄二をセリス達は必死に捜索した。
だが、アルバード伯爵への出兵準備に追われ十分な捜索を行うことができなかった。
大量の雨がグランディール王国城都に降り注ぐ中。
今、セリスは大軍を率いてアルバード伯爵が潜伏する屋敷へと向かっていた。
だが、彼女の頭の中は、雄二のことで一杯だった。
(ユウジ様。どちらへ―――!!)
セリスにとって、雄二は裏表なく自分達を包み込んでくれる拠り所のような存在だった。
彼の傍にいれば、王女という仮面をほんの一時忘れて、セリスという一人の人間へと戻ることができた。
セリス自身、自分が王女であることが嫌というわけではない。
絶対的な権力を駆使して、大好きな国民を守ることができるこの立場は、自分にとって天職だとセリスは思っていた。
だが、同時に自分の判断ミスによって、その国民達の平和を脅かすことにもつながる。
そんなプレッシャーを十歳の女の子に耐えろと要求するのはあまりにも酷な話だろう。
国内では、セリスはあらゆる意味で有名人であった。
未来をも見通すとさえ恐れられている頭の回転の速さ、公明正大に人を評価する懐の広さ、そして何より国民の幸せを誰よりも考えていることが、彼女の言動から具に伝わってくる。
多くの国民達はセリスこそ時期王となってほしいと願っている。
一方で、王として優れた資質を持つセリスに、〝化物“と呼び恐れを抱く者も多くいた。
どちらにしろ、彼らは幼いセリスを子供として扱うことはなかった。
それは血がつながっている実の父親や兄、執事であるトーマスも同様だった。
たった一人を除いては―――
「……ユウジ様……どうかご無事で」
不安な心を抱えたまま、セリスを乗せた馬車は首都の城門を通過していった。
…………
……
…
大軍が城門を通過する様を遠くから見ている人物がいた。
「……セリス……爺さん」
酒井雄二だった。
ひと際豪華な馬車を運転するトーマスと、セリスがその馬車に入っていく姿を目撃した雄二は、ただ遠くからその景色を眺めているだけだった。
(俺は何がしたかったんだろう)
雄二はずっと考えていた。
異世界に来て最初に出会った少女―――グランディール王国王女のセリス。
ふとした縁で、彼女を助けた雄二は、気が付けば護衛騎士という立場でセリスや兄のクリスと一緒にいることが当たり前になっていた。
双子達は異世界人としての雄二の力を利用しようと近づいたわけではなかった。
そんなことは、雄二が二人と会って一緒に行動を共にしてすぐにわかった。
(アイツらはいつも俺のことを優しく気にかけてくれた……俺がどんなアホなことをしても、いつも楽しそうに笑ってくれていた……俺は二人がくれたあの場所がとても気に入っていたんだ……)
だから、何も返すことができない自分が腹立たしいと雄二は憤りを感じていた。
正直、雄二は二人の役に立つ自信はあったのだ。
異世界に来て、雄二の力は大人達の何十倍も強いことが明らかだったからだ。
常人離れした身体能力に睨むことで相手を威圧できる能力。
人々が恐れている魔物を素手で倒すことができる力。
さらに、この世界は元いた世界に比べて、武力で解決することが当たり前のような世界である。
なおさら、自分の力の万能さに雄二は酔いしれていたのだ。
だが、蓋を開けてみれば、セリス達が密かに計画していた法案を潰し、セリス達を不利な状況に陥れ、さらには敵にセリスが極秘裏に進めていた情報を伝えてしまうという体たらく。
そんな情けない現実を受け入れることができず、雄二はあの場から思わず逃げてしまったのだ。
今もただ遠くで見つめることしかできない自分に、雄二がイラついていたときだった。
「……はあ、はあ。やっと、見つけたぞ……ユウジ」
「―――!!」
雄二の後ろから、懐かしい声がかけられた。
そろりと後ろを見ると、「よっ」と、グランディール王国第一王子クリスが立っていた。
…………
……
…
「久しぶりだな、ここ」
「……」
クリスに連れられて、先日商売をしていた憩いの広場へと足を運んだ。
ニコニコした笑顔で、俺に取り留めのない雑談をいくつも話しかけてくるクリス。
クリスは何も聞かなった。
今まで俺が何をしていたのか。
俺が突然クリス達の前から姿を消したことについてなど。
何も聞かず、ただ楽しそうに俺に話しかけてくる。
こんな冷たい雨の中で。
俺は耐えられなくなり、思わずクリスに尋ねた。
「……なあ、何でなにも聞かない?」
「ユウジが聞いてほしくない顔をしているからな……それに、私は久しぶりにユウジと話ができて楽しいのだ」
二カッと太陽を思わせる明るい笑顔でクリスが答えた。
あまりの無邪気すぎる回答に俺はつい、溜まっていた不満をクリスへとぶつけた。
「ふざけんなぁあ! 俺と話していて楽しいだと! 何もお前らの役に立てないこの俺と―――」
「? どうしたユウジ。急に声を荒げて? なにかおかしなことを言ったか、私は?」
「―――なっ」
俺は声を荒げてクリスを睨みつけているのに、クリスは何も気にした様子がない。
恐らく、俺の『威圧』の能力がかけられ、クリスは身体を動かすこともできないはずなのに。
クリスの表情からは痛がる素振りが全く見えなかった。
(『威圧』が発動していないのか?)
俺が不思議に思っていると、
「……それよりも、ユウジに渡したいものがあったのだ」
クリスは懐から小箱を取り出し、その中身を俺に見せた。
箱の中にはミサンガが置いてあった。
金色の糸と銀色の糸で交互に編みこまれている。
店で出される綺麗な商品とは違って、多少編目が荒いが、ミサンガとしての体を保っている
「これは?」
突然渡されたミサンガを前に俺は困惑する。
「これは、セリスと私からのお礼だよ。あの時、倉庫で助けてくれただろう!?」
「? 倉庫……何のことだ? 俺は、亜人の姉弟を助けただけで―――まさか!?」
「ああ、そうだ。あの時の姉弟は、私とセリスだ。魔法を使って、侵入していたのだ」
クリスの告白を受けて、俺の頭はさらに混乱する。
だが、そんな俺の動揺など気にせず、クリスは話を続ける。
「あれは驚いたぞ……何とかアルバード伯爵の父上暗殺に関する証拠集めと、奴隷に対する仕打ちを記録しようと潜入していたら、突如、ユウジが現れたのだからな」
「……すまなかった。また、お前達の足を引っ張って……」
最悪だ。
クリス達が潜入捜査をやってたなんて。
俺は自分の感情に従い、クリス達の捜査の邪魔をしていたとは。
いよいよ救えない。
「? 何故、謝るのだ。私とセリスはとても嬉しかったんだぞ」
「―――えっ!」
自己嫌悪で頭を下げていた俺だったが、クリスの思わぬ一言に頭を上げる。
「周りの人達は見て見ぬふりをしておるのに、ユウジは私達とも知らず、目の前で苦しんでいる子供、しかも亜人と蔑まされている奴隷を助けに入ったこと―――本当にうれしかった」
「だが……」
「あの場にいたのも、私達の愚痴を聞いて心配になったからだろう―――ありがとう」
クリスは俺に向けて優しく微笑む。
だが、次の瞬間―――
「―――ガハっ!」
「ク、クリス!!」
突如、クリスが咳き込み地面に倒れた。
俺は倒れたクリスを抱きかかえ、必死にクリスに呼びかける。
クリスは「……大丈夫だ」と苦しそうに笑いかける。
あまりも痛々しくて俺はクリスを見ることができず、ただ目を逸らすだけだった。
恐らく、俺の『威圧』の能力が急に解除された反動だと思う。
そうなると、クリスは俺の『威圧』を受けた状態で、何事もなかったように話をしていたことになる。
大の大人でも苦しむこの力を、こんな小柄な体で必死に何事もないように振る舞っていたクリスの精神力の凄さに、俺は驚嘆した。
「しっかりしろ! クリス」
キョロキョロと周りを見渡すと、雨宿りできそうな建物を発見したので、クリスを抱きかかえ急いでその場所へと移動した。
俺はクリスをそっと床に寝かして、クリスの回復を待つ。
「……私は大丈夫だ、だからそんな泣きそうな顔をするなユウジよ」
「別に泣いてねえよ……」
自分からは顔が見えないが、クリスの言う通り、罪悪感で顔が歪んでいるのだろう。
「……それよりも、これをつけて見せてくれ」
クリスの言われた通り、俺は右腕にクリスから渡されたミサンガを装着する。
「はは、良いじゃないか。似合っているぞ。ユウジよ」
「そ、そうか……ありがとな」
クリスに素直にお礼を言う。
クリスも回復してきたのか、顔色も段々良くなってきていた。
「……なあ、ユウジよ。別に役に立つとか、そんなことどうでも良くないか?」
「なんだよ、急に……」
「私はな。セリスに比べると何もできないから、一部の人からは〝無能王子“とバカにされている」
「―――!!」
クリスの突然の告白に俺は思わず驚いた。
その言葉は、たまに首都で耳にしていた言葉だったからだ。
勿論、そんな言葉をいう奴など無視してやっていたが。
「まあ、実際彼らの言う通りでもあるんだ。私はセリスのように頭が良いわけでもないし、魔法特性もセリスに比べれば低い……セリスと比較すると、自分ができそこないだってことはわかっているのだ」
「違う! お前は無能なんかじゃない」
淡々と話すクリスの言葉を俺は強く否定する。
―――こんなに優しい奴のどこが無能なんだ!
俺は知っている。
夜遅くまで内緒でクリスが勉強していることを。
王国軍の人達と魔法の特訓を密かに行っていることを。
クリスは陰ながら努力を重ねている凄いやつなんだと。
「ありがとう。ユウジ。でな、私は無能王子とバカにされても、セリスの傍だけは決して離れはしない。なぜなら、セリスは私の妹であると同時にかけがえのない家族なのだ……そして、つい最近になって家族の輪が広がった―――それがユウジなんだよ」
「お、俺……」
クリスの家族と言う思いがけない言葉を聞いて、俺は何と答えていいか分からなかった。
「なあ、家族とは役に立たなければいけないのか? 違うだろう。互いを思いやり支え合うとする、それが家族だと私は思う。なら、ユウジは十分私達を思って支えてくれているではないか!?」
「だが、俺はお前達の足を―――」
「それがなんだと言う。足を引っ張れば、家族ではなくなるのか? 役に立たなければ、仲良くしてはいけないのか? そうではないだろう」
倒れているクリスが俺の顔に向けて手を伸ばす。
「私達はお前という人間が好きなのだ……だから、泣くな。いつものように変なところで自信満々で、ぶっきらぼうな態度を取っていて、時折、抜けているところがあって、困っている人がいたら見過ごすことができないお人よし……それが私達の大好きな酒井雄二という男だ」
「―――グッ!」
クリスの手が涙で濡れている俺の顔を優しく拭ってくれる。
「だから、帰ってきてくれ―――私達のところに」
「……ああ」
俺はただ、クリスの言葉に従うことしかできなかった。
気が付けば、雨は上がっていた。