第8話:土下座
『ガッシャーン!!』
皿が割れた音が大きく店内に響いた。
突き刺さる甲高い音は、厨房で火加減に集中していた僕の耳元まで聞こえた。
気になった僕は慌ててフロアへ向かった。
すると、
「ちょっと、なにしてんのよ、アンタ!」
美優を背中に庇うようにして、飛鳥が二人の男性客に向かって叫んでいた。
美優は、身体を震わせながら「飛鳥さん、ごめんなさい」と小声でつぶやいている。
「おいおい、この店は店員への教育がなってないな! こっちは客だぜ」
大声で威嚇するスキンヘッドの大男。
「ジュン兄貴の言う通りですぜ。俺達は、ただ後ろにいる嬢ちゃんが金勘定を間違えていたから、文句言ってただけですぜ」
大男の隣にいる小柄な男。
片方の眼には眼帯をしており、ニヤニヤした口調で飛鳥達に向かって話す。
「間違っていません! 何度も計算しました」
自分は間違っていないと切実な声で美優が話す。
「ガタガタうるせえ! いいか、お前のミスなんだよ。俺達に迷惑をかけたんだから、しっかり誠意を見せろや、なあ」
「だから、美優に触らないで!」
横柄な態度のジュンは美優に向かって手を伸ばすが、飛鳥が払いのける。
先ほどジュンに腕を掴まれた美優は、そのことを思い出したのか、床に蹲っている。
美優には男性客と絡まないよう配慮はしていたつもりだ。
狭い厨房ではどうしても大将と接触する機会があったため、厨房での仕事は無理だった。
そのため、美優には主に会計を任していた。
実際、この五日間。問題なく美優は業務をこなしていた。
時折、強面の男性と指が触れる場面もいくつかあったが、取り乱すことはなかった。
だから、正直安心していたところがあった。
しかし、今の美優を見て、僕達の考えが甘かったと言わざるを得ない。
(助けに入らないと!)
そう思った僕は、飛鳥と男性達の間に割り込む。
「お客さん、こんな華奢な女の子達に対して、大の大人が恫喝しているなんて、カッコ悪いですよ」
「なんだと!? おい、なんだ小僧、なんか文句でもあるのか!」
「そうだ! 部外者は引っ込んでろ!」
「うおっ!」
しかし、ジュンの太い腕に僕は簡単にどかされてしまった。
「そもそも誠意って、具体的に何をするのよ?」
威圧してくるジュン達に少し恐れながらも、飛鳥は毅然とした態度で尋ねた。
「そうだな」と呟く、ジュンは飛鳥、美優の容姿を上から下まで見た後、下卑た笑みを浮かべる。
「なーに簡単なことだ。迷惑かけたお前らが俺達に一日だけ付き合ってくれればいい。簡単だろう」
「はあー!? ふざけないで!」
「いや……いや!!」
ジュン達の狙いはどうやら美優達だった。
モデルのような美しさを持つ飛鳥と美優も可愛いさという点では十分魅力的な女の子である。恐らく、適当な言いがかりをつけて、美優を店から連れ出そうと考えていたのだろう。その証拠に、
『また、ジュン兄弟がイチャモンつけてやがるぞ』
『あいつら、可愛い女の子を見れば見境がなくなるからな』
『可哀想に、あの子達、とても優しいいい子なのにな』
周囲の客達から同情めいた声が僕達へ向けられる。
(こんなとき、勇也ならどうするだろう)
僕は、頼れる兄貴分の勇也と一緒にコンビニでアルバイトしていたことを思い出す。
…………
……
…
ある日、僕がレジ打ちしているときに、この地域で有名なクレーマーがやって来た。
クレーマーは、「ここで不良品を以前購入した。だから返品する」と言って、謝礼金を要求してきた。
いきなりの状況についていけなかった僕は頭の中が真っ白になった。
だが、そんな僕のことなどお構いなく、クレーマーは一方的に文句を言いつける。
あまつさえ、「土下座しろ」と要求してきたのだ。
何も考えられなくなった僕は、クレーマーの言う通りにしようと考えたとき、
「お客様! 大変申し訳ございませんでした!」
僕の前で、勇也が土下座したのだ。
クレーマーは勇也の土下座を見て、優越感に浸ったのか、高笑いしていた。
さらには、勇也の頭を踏みつけたのだ。
その姿を見た僕は、「やめろ!」と叫ぶが、クレーマーには聞こえない。
何とかクレーマーの足をどかそうと動いたそのとき。
「ココ、もう大丈夫だ。このオバサンはもう終わったから」
勇也が立上り、不敵な笑みを浮かべていた。
「オバ、オバサンって、ちょっといきなり何よ、アンタ」
「黙れ、守銭奴ババア! いや、酒井さんでしたっけ」
「!……なんで、私の名前を!?」
突然、急変した勇也の態度に、クレーマーは焦り出した。
その後、勇也はクレーマーの名前、住所、年齢、職業、交友関係などありとあらゆる情報を話したのだ。
勇也が喋っている情報は正確なのだろう、クレーマーは今日会ったばかりの青年に自分のプライベートな情報を喋られて、顔色が段々と青くなっている。
さらに、「―――と、ババアの情報はこんなところか……さらに、これなんだ?」といって勇也が取り出したのはスマートフォン。
その画面には、クレーマーが僕に土下座を強要し、勇也を踏みつける映像が映っていた。
「これを警察またはネットに公開させるのもいいな、普段は外交官の良き妻を演じているアンタが、実を言うと憂さ晴らしのために、変装して隣町でこんなバカなことをしているってな。ネット住民やマスコミがあっと言う間に飛びつく話題だぞ」
「えっ、えっ」とクレーマーは顔を青白くした様子でうろたえ、次には勇也に突然土下座し公表しないよう泣きながら訴えかけてきた。
「この動画を公表されたくなかったら、二度とこんなバカなことすんな。あと、ココに謝れ」
そうクレーマーに言って、勇也は颯爽とその場を去っていった。
その後、クレーマーは僕に必死に謝ったのち、二度とお店で見かけることはなくなったのだ。
後で勇也に「助けてくれてありがとう」と伝えたさい、「ああいう奴は先に謝っておいて、時間を稼ぎ、その間相手の弱点を探るのが確実なんだよ」と、教えてくれた。
ただし、相手の個人情報をあの短時間でどうやって調べたのかは教えてくれなかったが。
…………
……
…
その一幕を思い出した僕は、
「ちょっと待ってください。お願いします!」
「えっ! 志なにやってんの!」
「志くん!!」
ジュン達に向かって、思いっきり手を上げ、全力で土下座した。
(今は時間を稼ごう。もしかしたら、警察みたいな自治組織が助けにくる可能性もあるはず)
そう思って、土下座をしたのだが、先ほどから飛鳥達の声しか聞こえてこない。
不審に思った僕はチラリを横を見る。
すると、今までざわめいていた人達が僕の土下座姿を見て、ピタリと止まっている。
そして、
「「「フェーデだ!!」」」
突然、大きな声が響いた。
『あの少年、ジュン兄弟に〝フェーデ“を挑んだぞ』
『ああ、しかも手を思いっきり頭上まで上げてから下におろしたんだ。つまり……自分が所有する全てを賭けて、相手と決闘するということだからな』
『逆に望まれた相手も、全てを賭けて決闘に臨まなければならない―まさに、人生の全てを賭けた決闘!』
……ウン、ナンダッテ!?
「てめぇー、本気か!?」
苦々しい様子のジュン。その隣では弟のノシターも慌てふためいている。
周りのざわついた状況に、飛鳥と美優もポカンとしている。
「おい、ココロ。お前、その意味わかってやってんのか!」
今まで厨房から心配した様子で見ていた大将が、僕達に『フェーデ』について教えてくれた。
『フェーデ』
ベルセリウス帝国伝統の決闘方式であり、建国当初から現代にいたるまでその形式は受け継がれている。
帝国内ではフェーデを申し込まれたら、必ず受けなければならない暗黙の不文律がある。
フェーデの申し込みは、簡単で相手に対して地面に頭を付けることである。
しかし、そのとき手の振り上げ方によって決闘に賭ける度合いが異なってくる。
通常のフェーデは、手を少し上げて土下座する。
その場合はお互いが望むモノを賭けてから、決闘が始まる。
だが、今回僕がやった手を大きく振り上げて土下座するやり方は、自分が持つ全てを賭けて臨むということになる。
つまり、
「隷属契約――つまり、奴隷になることを賭けた決闘ってことだ。もし負ければ、お前一生アイツの下で奴隷として働くことになるんだぞ」
「「「ええええーーーー!!!」」」
大将にフェーデの仕組みを教えてもらった僕達は、その内容を聞いて大きく慌てた。