第71.5話:あの後(ティナ視点)
オレはティナ。
狼族の亜人だ。
さっきまで腹ペコのあまり思わず“獣化”しちまったけど、志達から食料をもらったおかげで何とか空腹から解放できたぜ。
まあ、正直言うとまだ物足りないんだけどな。
でも本当に助かった。
オレはヨルド公国で、『ファミリア』を裏切る行為をしたために、この湿原に監禁されていた。
簡単に言うと、岩に張り付けられた状態でそのまま放置されていたんだ。
一週間もだぞ!
正直、鬼かと思ったよ。
まあ、でもキル姉やオッサンの言うことももっともだから、仕方ねえことにする。
なに、話が見えねえって!?
わかったよ。
じゃあ、海竜の背中で兄ちゃん達と別れたあとの話をするよ。
………
……
…
「いいね、いいね! もっとかかってこいや!」
『ギシャアアア!』
『グルゥルル!』
鮫やナマコの形をした魔物達が束になって襲い掛かってくる。
正直、単体ならこんな雑魚屁でもねえんだが、数が多すぎて段々手数が間に合わない。
「本当、竜ってのはおかしな化物だな!」
海竜の背や海から、魔物が湧き水のように溢れんばかりに出現してくる。
これが海竜の能力―――【海母の愛】。
これじゃキリがねえと、思っていたら
「ここにいましたのね、ティナ」
「―――ッ! やべぇえ!」
今、一番会いたくない人物の声が上空から聞こえてきた。
同時に、彼女の姿を見て直ちに回避行動をとる。
「【氷雨】」
上空に無数の巨大な氷柱が瞬時に出現した。
氷柱達は重力に引きずり込まれるように落下をはじめ、次々に下にいる魔物達の身体を貫通していく。
オレは魔物を盾にして何とか落ちてくる氷柱を回避する。
「って、ちょっと待って! 下にはオレもいるんだぞ―――ッ!」
「うるさい! お母様の言いつけを守らず勝手に監禁部屋から出たアナタを私が許すとでも思ったのですか!」
「クッ! キル姉のわからずや!」
宙に浮かんだままキル姉は全く攻撃の手を緩めようとしてくれない。
キル姉こと、キルリア―――確か今年で二十歳になる獣人の女性。
メルディウスと同じ身長でモデルのようなスラっとした体格を有し、上は白のノースリーブの服装に対して、下は黒のロングスカートを着用している。
水色の長髪に、黄金色に輝く鋭い瞳をした女性は、オレが所属する組織『ファミリア』のトップ―――長姉だ。
『ファミリア』ってのは、武器商人ビーグルの親衛隊といったらわかりやすいと思う。
元々、ビーグルのオッサンが戦争で孤児となった子供達を拾ってできた孤児院が元になっている。
結成当時、オッサンはあまり乗り気ではなかったみたいだが、キル姉に押し切られ仕方なく認めたと聞いている。
今、『ファミリア』のメンバーはオレを含めて全部で五人いる
オッサンの目に叶い、戦場に出ても問題ないと判断した子供達でなければ入れない仕組みになっているのだ。それ以外の孤児達は大人しく家で待機している。
『ファミリア』内で一番偉く、そして最も強いキル姉が、なぜ魔物達ごとオレを攻撃するのか、心当たりがありすぎて正直怖い。
「アンタ、またお母様に逆らったんでしょう!?」
「別に逆らったってわけじゃねえよ! ただ、ミーアを救出に行くのに反対しやがるから、睡眠毒で眠らせてから樽の中に入れて海に流しただけだ!」
「逆らうどころか、殺そうとしているじゃない!」
キルリアから放つ氷柱の威力がさらに大きくなった。
……あれ、言われてみれば確かにそうかも。でも、これくらいじゃ、あのオッサンが死ぬことは絶対にない。
「そもそも、どうやってこんなところに来たのよ! アンタは空を飛べないでしょう!」
「……フリート兄に乗っけてもらったぞ」
「あんの、妹バカぁあああ!」
フリートは長兄であり、序列で言うなら二番目のお兄ちゃんだ。
『ファミリア』の妹連中にとても甘く、オレの言うことなら何でも聞いてくれる鳥族の獣人だ。
「大体、何でこんなことしたの!?」
「友達がピンチだったから、助けようとしただけだ!」
いい加減攻撃され続けるのも癪なので、落ちる氷柱の一つをキャッチして、逆にキル姉に向けて投げ飛ばす。氷柱は見事キル姉へと衝突した。
しかし。
「何よそれ! 理由になっていないわ!」
全くの無傷でキル姉は話を続ける。
オレに話しかけながらも攻撃の手を緩めないキル姉。
既にオレの周辺にいた大量の魔物達の数は激減していた。
海竜の増殖能力以上に、キル姉の殲滅速度のほうがどうやら上回っているようだ。
……改めて規格外すぎる。この姉は。
オレは何とかキル姉を説得しようと話を続けた。
「つうかオッサンはなんでこの件を引き受けたんだよ! 明らかに、今回の任務はオッサンの趣向と異なるだろうが!」
武器商人で多くの戦場を渡り歩く傭兵のようなオッサンには、一つの流儀がある。
―――子供を傷つけないことだ。
最近になって、オッサンが主人を一人選んで仕えているのは知っていた。
誰なのかは正直興味が無かったけど、常に戦場を用意してくれる任務が多かったからオレも納得していた。
でも、今回の任務は明らかにオッサンの流儀から外れている。
オレはそのことも含めて納得できなかった。
「ミーアはオレの友達なんだ! だから手を出すんじゃねえ!」
振り落ちる氷柱の隙間を見切り、宙に浮かぶキル姉のもとへとジャンプして殴りつけた。
しかし、ガシッと手を掴まれ阻まれた。
「……なに、友達が出来たら、アンタは私達を裏切るっていうの? 家族を捨てるっていうの!?」
「―――ッ! やばッ!」
キル姉からオレに向かって異常なほどの殺気が向けられた。
慌ててキル姉の手を解いて地面へと降りる。
(まずい!)
自分がキル姉の禁忌の部分―――家族に触れてしまった。
このままじゃ……殺される!
「……そう、やっぱり元の家族が良いんだね……私達は血がつながっていないから、本当の家族じゃないもんね……そうだよね。だからどうでもいいんだ! 私達のことなんて……」
「ち、違うって! オレはキル姉のことも皆のことも―――」
「ウソだぁああ!!」
「―――ッツゥ!!
鼓膜が破れるくらいの大声量がキル姉から発せられた。
頂点に達した怒りでキル姉が元の姿へと戻る。
「ウォオオオーン!」
白く水色に輝く巨大な狼―――氷狼が目の前に出現した。
氷狼の身体から凍り付くような冷気が流れている。
キル姉は獣人の中でも特に希少とされる幻獣種の一つ―――氷狼なのだ。
〝失われた時代“では聖獣とまで崇められていた幻獣種。
長きに渡る人間達の迫害を受け、氷狼はキル姉一人だけになった。
人間達に家族を奪われた上に、奴隷となったキル姉は戦争の兵隊として戦わされていたと聞いている。
そんなキル姉を救ったのがオッサンだった。
「お母様の敵となったのなら、アンタを殺してやるぅうう!!」
「だから、違うってぇええの!」
キル姉の【氷結―――大魔息】がオレへと襲い掛かる。
逃げようとするが、遅かった。
全域にまで降り注ぐブレスにオレだけじゃなく海竜の背中まで凍り付き始めた。
「キ、キル姉……」
「死んで自分がやったことを償いなさい!」
殺気に満ちあふれたキル姉の怒りは全く衰えることなく【大魔息】を放出し続ける。
全身が凍り付き身動き一つ取れなくなったオレはそのまま意識を失った。
………
……
…
「ここは……」
「起きた~」
目が覚めたら、一面緑あふれる場所に来ていた。
見覚えのある景色。
たしか、スリゴ大湿原だったはずだ。
「キルがカンカンに怒って宥めるの大変だったのよ~取りあえず、アンタに罰を与えるって形で納得してもらったんだけど~」
「……助かったよ、その、オッサン」
「あら、意外ねぇ、アンタが素直に謝るなんて」
「……うっせぇえ」
今回の件については、全面的にオレが悪かったと思ってる。
キル姉のトラウマに踏み込んじまったからな。
キル姉は『ファミリア』とオッサンに執着していると言ってもいい。
その執着は、『ファミリア』とオッサンを害する行動をとった者がいた場合、いつも温厚なキル姉が怒り狂うのだ。その怒りは凄まじく、この前も十人がキル姉に殺された。
そして、キル姉の厄介なところが、自分で殺したくせに、「ごめんなさい! 私なんてことを! ごめんなさい!」と、泣きながらお墓の前で謝り、自分がやったことを後悔するのだ。
……正直、このギャップにオレは付いて行くのが精一杯だった。
予想だが、しばらくすればキル姉は泣きながらオレを探しにくるのが手に取るようにわかる。
(どうしよう!? オレ、キル姉が泣く姿なんて見たくねえぞ!)
これからのことを考えて、思わず頭を抱えたくなったのだが。
「あれ? 動けねえ!? つうか、なんだ! 岩にくっついてやがる!」
「だから言ったでしょう~罰を与えるって」
オレは、巨大岩を背にした状態で両腕、両足を氷で縛られていた。
「その氷はキルの氷よ……その状態で一週間この場所で過ごしなさい」
「こりゃあ、手厳しいな」
スリゴ大湿原はザナレア大陸北部で最も危険な湿原だ。
野外でこの状態で一週間はなかなか厳しいと思う。
「まあ、しゃねえーか」
なんとかなるだろう、そう思うことにした。
オレがあまりに楽観的に見えたのかオッサンが溜息をつく。
「はあ~ここまでノウキンだと、なんか罰を与えてる気がしないわね……まあ、適当に生き抜きなさい。なんだったら、これを機に『ファミリア』を抜けても大丈夫よ」
「―――ッ! な、なんだよ! オッサン、急に何言ってんだよ!」
「正直、アンタの我儘に振り回されるのも疲れたのよね~海竜の塔のこと覚えているでしょう」
「あ、あれは、あのバカ仮面共がミーアにひどいことをしようとしたから!」
「だから、上手くやんなさいよ……おかげで、アタシが怒られたんだからね」
海竜の塔で、ミーアが竜の巫女へと覚醒が始まったとき、オレはミーアを救い出そうと動こうとした。
だが、白仮面と黒仮面に足止めを受けて動けなかった。
オッサンも、『ミーアちゃんは無事だから安心しなさい』と言われなければ、すぐさまアスカと一緒に戦っていた。
まあ、最も海竜が現れてミーアが向こうに行こうとしたときには、そんなことも忘れてココロ兄ちゃん達と一緒に暴れまくったけど。
そのせいで、オッサンは黒仮面に怒られたようだった。
……本当にすまねえと思ってる。でも、身体が勝手に動いたんだから仕方ねえじゃねえか。
「とにかくこの実験が終わるまでは、ここで大人しくしてること。いいわね!」
「……なあ、ミーアは本当に大丈夫なのか?」
「安心して。カプリコーンもミーアちゃんのことを必要としているから、存外に扱ったりはしないはずよ。それに、もしそうなったら……アタシが彼を殺すわ」
オッサンの瞳が冷たく光り輝いた。
その姿を見て、オレの背筋がゾクッとした。
これは本気だ。
オッサンは、虐げられている子供を見れば何不利構わず助けようとする。
孤児院にいる子供達がそうであるように。
だから、オレは溜まっていた不満を言うことなく、黙ってオッサンの言葉を信じることにした。
「まあ、ほとぼりが終えるまでここでゆっくりしなさいな」
「了解~」
オッサンはオレをこの場に残して、ヨルド公国へと戻って行った。
………
……
…
一週間が過ぎた。
この間、湿原にいた多くの魔物達がこぞって岩に縛り付けられ身動きがとれないオレを襲ってきた。
「【風咆哮】!」
口から風属性の衝撃波を放出し、襲い掛かる魔物達を撃退していた。
魔法が使えないオレは遠距離攻撃という手段が今までなかった。
だから、ココロ兄ちゃんに負けた後、密かに練習していたのだ。
「やべえ、腹減った~」
だが、この技はとてもお腹が減るのだ。
正直、魔物に襲われるより餓死する心配の方が大きかった。
だが、おかしなことに、オレが眠った後、毎日のように何故か食料と水が足元に置かれているのだ。
(キル姉。バレバレだよ)
オレを心配したキル姉が内緒でこっそり食料を運んでいるようだった。
だが、狼の嗅覚を持つにオレは全く通用しなかった。
「ありがとう、キル姉」
尻尾を使って、食料や水を口元へ運び入れる。
やがて。
「おっ、氷が溶けた」
キル姉の魔法が解除され、オレはようやく自由に身体を動かすことができた。
その場で体操をしていると。
「そのー、ティナ? 怪我はない? 大丈夫?」
ずっと見守っていたキル姉が恐る恐るオレの前に現れ、心配そうに声をかけてきた。
「おう! この通り全然大丈夫だ! ありがとな、ご飯持ってきてくれて!」
「―――ッ! な、何のことか、しらないわよ」
「そっか。それでも、キル姉には礼を言っときたかったんだ。ありがとう。で、後心配かけでごめん」
「ティナぁあああ!!」
涙腺が完全崩壊したキル姉がオレに抱き着いてきた。
姉が泣き止むまで、オレはしばしの間抱き枕のようになっていた。
「……グスッ。で、ティナはこれからどうするの? 家に戻る?」
「うーん。そのことなんだけど、オレ暫く旅に出るわ」
「えっ!」
ようやく泣き止んだキル姉だったが、オレが家に帰らないと知り再び涙を浮かべる。
「やっぱり、私がティナにひどいことしたからだよね! 嫌いになったんだよね!」
「ちがう、ちがう、ちがう! そうじゃねえ!」
「ごめんね。私がもっとしっかりティナのことをわかってあげればこんなことには! ごめんね。不出来な姉で」
「だからそうじゃねえって言ってんだろう!」
キル姉のネガティブシンキングが始まってしまった。
これ長いだんよな。
シクシク泣き始めるキル姉に優しく語り掛ける。
「オレ、今まで『ファミリア』で生活していてさ、本当に楽しかったんだ。オッサンはおもしれえし、キル姉やフリート兄はいつもオレ達弟や妹のことを面倒見てくれるし、ガキ達と一緒に生活するのもすげえ楽しかった!」
「じゃあ、いいじゃない! 今すぐ帰っても!」
「ああ。だけど、それだけじゃダメな気がするんだ。何て言ったらいいのかわからないんだけど、オレもそろそろ前に進まなきゃ行けないんだと思う」
元々、『ファミリア』に来た理由は、実の兄であるジュンとノシターを殺すために、オッサンのもとで強くなりたかったからだ。
だけど、『ファミリア』が居心地があまりにも良すぎたために、つい長居して本来の目的を見失っていた。
ココロ兄ちゃんと敗れてからのオレは正直戦う意味が見いだせなくなくなり、ブラブラとしていた。
だから、探しに行こうと思う。
自分がやりたいことを。
「旅をして世界を見てくる! 別に、『ファミリア』を抜けるつもりはないから安心してよ。キル姉」
二カッとキル姉に笑いかけた。
「……グスッ、わ、わかったわ。それが今のティナに必要なことなんだね。さ、寂しくなるけど、必ず戻ってきてね!」
本当は旅になど行ってほしくないと思っているキル姉だが、オレの事を考え見送る決意をしてくれた。この姉は、氷狼という偉い聖獣なのに、いつも家族のことを第一に考える優しい人なのだ。
「ああ、必ず帰るよ」
「約束ね」
こうして、オレは『ファミリア』を離れて、世界を旅することにした。




