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その『獣』最強につき

「いいか、列道。お前は今すぐ病院に行け。学校の先生にも説明しろ、心を冷静に保って、テンションを下げるんだ」

 日が落ちる。

 あたりが完全に闇に閉ざされる。

 それはつまり、寮の門限に触れるという事。

「見ろ、スマホを。俺達の位置はGPSで常に監視されてるんだ……寮にいなければ、罰則を受けるぞ」

「ああ、そうだったな」

「俺もお前も、どっちも罰を受けるんだ……嫌だろう? 少なくとも俺は嫌だ。とにかく寮へ戻ろう」

「正当な理由がなく、寮に戻れない場合は罰則を受ける、だったか?」

「そうだ、どう考えても罰則だ。とにかくダッシュしようぜ、不味すぎる」

 列道にとって植田がどれだけ大きい存在だったとしても、植田にとってはクラスメイトでしかない。

 しかしそれは、クラスメイトが目の前で明らかな自殺行為をしようとしていれば、止めようと思う程度には近い関係だった。

 いいや、はっきり言えば植田は戦闘が好きだし鍛錬も好きだが、落ち着いている時はさほど非常識というわけではない。

 なによりも、自分がうかつな発言をしたせいで、全く関係ない筈の誰かが道を踏み外せば、それは止めるべきだった。

「なあ……お前は俺が怖いのか?」

「ああ、怖い。お前は自分がどんだけ危うい状態なのかわかってない!」

 慌てていた。このままではどうなるのか、植田は師匠から嫌というほど聞かされていたのだ。

 このままでは、戦闘中の植田とは比較にならないほどの暴走が始まる。

「いいか、今のお前は優位獣化兵という! 資質のある人間が、獣の血肉を取り込んで更なる力を得た状態だ! それが何を意味するのか、お前は何もわかってない! いいか、冷静に考えてみろ、仮にそれで簡単に安全に力を得られるなら……」

「うるせえ! 安全なんてくそくらえだ!」

 スマートフォンが鳴動している。

 それはつまり、いよいよもって警告が始まったという事。

 今寮の中にいない生徒には、寮にいない報告の義務が生じ、正当な理由があるとしても報告を怠れば罰則が下るのだ。

「落ち着け、今は無涯先生に報告してだな、そのまま……」

 明らかに、列道の目が血走っている。

 そして、そのまま鳴動している自分のスマートフォンを取り出し、握りつぶしていた。

 身体能力の向上、それ以上に精神が不安定になっている状態。

「……お前」

「植田……お前はずるいよな」

 自分でも、粉々になった最先端電子機器を見て驚いているようだった。

「こんな簡単に強くなったのに、さも努力してましたってツラしてたんだもんな!」

 モンスターの肉を食べる。一日発熱する。

 それだけで、ただそれだけでここまでの力を得ることができる。

 地道に半年、体を鍛え続けるよりも大きな成果が得られる。

「ぶちのめしてやるよ……」

「列道……」

「このインチキ野郎が!」

 反攻学園の制服を着ている列道の体が膨れ上がり始めた。それが何を意味するかなど、植田には当然わかっている。

「……甲殻種か竜鱗種か、それとも有翼種か長毛種か」

 獣の力の暴走が始まっていた。いいや、暴走という表現は正しくない。

 これは優位獣化兵の全力での戦闘時での姿だった。

 劣位獣化兵でしかない植田には不可能な状態だった。

 彼は獲得した機能を最大限に発揮し始めたに過ぎないのだ。

「とにかく……ヤバい!」

 植田は学校と反対方向へ、劣位獣化兵の脚力で走り出した。

 それも、相手の視界から消えないように。

「なに、逃げてんだよぉおおおお!」

 猛烈な勢いで追いかけてくる、狂気の列道。既に靴は脱げており、夜の山道の中でもわかるほどにシルエットが人間離れしてきていた。

「やっぱりな! お前はそういう奴だよな! 自分より弱い奴か、自分が勝てる奴としか戦えないよな!」

 彼の言葉の語気が強まっていく。

 植田の行動が、彼の視点から言ってどんどん自分の正当性を肯定しているからだ。

 リスクを払うことで自分が強くなれるほどに、相手があっさりと逃げ出すほどに、どんどん自分は正しくなり、相手は間違っているということになる。

 彼に感じていた劣等感が解消され、優越感を抱けていく。

「お前は、臆病者で卑怯者だ!」

 彼は自分の事が見えているのだろうか。

 冷静さを明らかに欠いている彼は、自分の異常が夜の闇以上に前を隠していることに気付けない。

 大義を得た彼は、ただ妄信し猛進するのみだった。

『おい、どうなっている』

 植田は後方を時折確認しながら、スマートフォンで無涯と連絡を取っていた。

 というよりも、列道のGPS情報がいきなり無くなったことで、その近くにいた植田がシャトルに匹敵する力で走っていることで、異常を察知したのだろう。

「手短に言います……モンスターの肉を、列道が食いました! 完全に我を見失ってます」

『……なんだと?! そんなことをすれば、どうなるか!』

「……はい、もう暴走して、獣化が始まってます」

『不味いな……くそ、私の失態だ。おそらく土曜の際に、鬼気が切り刻んだ肉片を回収してしまったのだろう』

 無涯の声は明らかに責任を感じ、憔悴していた。

 同時に、この状況での最善を探っているようだった。

『お前は知っているんだな? モンスターの肉を食うということが、どういうことなのか』

「知ってます……」

『なぜ知っているのか、それは聞かん。ですが、分かっているのなら話は早い。まずはそのまま、学園から極力遠ざけろ』

「はい!」

 植田の位置は、今もGPSによって監視されている。

 とにかく、彼に罪を犯させないためにも、人から遠ざける必要があった。

「……俺のせいです」

『何がだ』

「アイツが、ああなったのは俺のせいなんです」

『……詳しくは聴かん。意図的ではないのだろう』

「そうですけど……でも、俺がうかつなことをしなければ」

『戦って止める気か? 分かっているはずだ、列道の能力はセルフガードだぞ?』

「……」

『先日お前達が倒したモザイク種ではなく、選別された成功例、そのさらに上位なのだぞ?!』

「知ってます……」

『まさか、お前……戦って止める気か?!』

「そう言うことです。でも、安心してください。死ぬ気はないです」

『……無茶をするなよ、今編成する。時間切れを狙え、いいな?』

「―――はい」

 植田は反転し、足を止めて、見上げる。そこにはすでに、人間の姿はない。

 明らかに二メートルを超えた、圧倒的な巨体。

 既に衣服など破れてちぎれ一糸まとわぬ姿になっているが、地肌など全く露出していない。

 その体は、夜目で分かるほどに装甲に覆われていた。

「甲殻種か……」

 モンスターと違い、二足歩行。

 その上で、明らかに肉体には統一性が見られる。

 これが何を意味するのか、植田はよく知っている。

 優位獣化兵最大の特権である、完全なる獣化だった。

「なあ植田! お前俺の事、馬鹿にしてすらいないだろ!」

 甲羅に覆われた拳が迫る。

 正に鉄拳という他ない、巨大な拳。真上から振り下ろされるその拳を、植田は回避する。

 その着弾と同時に、山道は大きく崩れ大穴が開いていた。

 それこそ、先日の植田の演習場破壊以上の、大きな破壊だった。

「あの時、あの場所に! 俺がいたことを知りもしなかっただろ!」

 今度は巨体ではありえぬほど高く跳躍し、その両足で踏みつける。

 これも、植田は大きく下がって回避していた。

 その一撃で、更に大きな穴が穿たれる。周囲の木々も倒れ、へし折られ、明らかにシャトルを越えていた。

 これが人間の済む場所に行けばどうなるのか、想像したくもない。

「お前だけじゃない、鬼気さんも、天見だって! あの時、俺が居たことに気付きもしなかっただろう!」

 今度はタックルだった。

 強硬そうな体を全部使って、全力でぶつかっていく。

 見た目以上の重さがあるのか、見た目以上の馬力があるのか、その両方か。

 ぶつかる木々を、案山子でも倒すように押しつぶしながら猛然と向かってくる。

 その丸太の様に太くなった腕を振り回し、実物の丸太をへし折っていく。

「俺のことなんてどうでもいいって思ってんだろう!」

 植田は回避していく。周りの木を確認しながら、何とか当たらずに立ち回っている。

 ただ、その顔に一切の歓喜は無い。

 この状況である、師匠を除けば、未だかつてないほどの強敵の筈だった。

 はずなのに、植田はまるで高揚せず、むしろ沈んでさえいた。

「ああもう……!」

「列道……お前」

「どうして当たらないんだよ!」

 端的に言い切れば、植田に闘志は無かった。

 自分のうかつな発言や行動が、彼をここまで追い詰めてしまったのだ。

「列道、お前俺が肉を食うところも見てたんだな?」

「そうだよ! それで、これだけの力が手に入ったんだ!」

「悪い、不用意だった……」

 胸に秘めるべきだったのだ、『資質を得た経緯』など語るべきではなかったのだ。

 それをろくに周囲も確認せずに、実行してこの始末だ。

 心底、彼に対して申し訳なく思っている。

 自分の軽率さが、彼の人生を閉ざしてしまったのだ。

「なんで、当たらないんだよ!」

「そりゃあアレだよ、お前が弱いからだよ」

 息を荒くしている列道が叫ぶ、癇癪を起したように大暴れしたのに、まるで当たっていない。

 周辺の地形は粉々なのに、相変わらず植田は平然としていた。

 自分はこんなに強くなったのに、まるでその成果が発揮できていない。

「俺が、お前を殴ってるのに! なんで避けるんだよ!」

「俺は師匠から戦闘術を叩き込まれてる。きっちり動きを見てから避けてるのが分かるか? お前の攻撃に当たるわけないだろ」

 列道への悲哀はともかく、危機感はまるで感じていなかった。

 この夜の視界で、星明かりを頼りに、いい加減に駄々っ子の様に攻撃してくる相手に、植田はまるで危険を感じなかった。

「お前、ケンカしたことないだろ。大振りばっかりだ」

「ふざ、ふざけるな!」

「空手だかボクシングだかも、したことないんだろう?」

「ああそうだよ、悪いかよ! それが普通ってもんだろうが!」

 授業で柔道を習うこともあった。

 家の近所にボクシングジムだってあった。

 だが、彼は通わなかった。格闘技と呼べるものを習得していなかった。

「精神と肉体は密接につながっている……肉体が傷つけば精神も傷つき、精神が病めば肉体もまた衰える……俺の師匠はよくそう言ってたよ」

「だから何だ! なんで、避けるんだよ! なんで俺に倒されないんだよ!」

「肉体の変質は、精神の変質だ。いくらお前に全く経験が無いからって、そんなガキみたいな殴り方があるか。お前だってわかってるだろ、今のお前は肉体が変質している、それはつまり、精神も高揚して正しい判断や行動ができなくなっているんだ」

「うるせえ!」

「優位獣化兵ならその姿になれるが、基本的にそれは上級者向けの形態だ。その姿になって精神が異常になっても、正しく行動できるほどしっかりとした技術を身につけないと、攻撃なんて当たるもんじゃない」

 普段の戦闘とは違う、冷ややかな態度と言動。

 泰然とした態度に、列道の怒りは尚燃え上がっていた。

 なぜ自分がこんなにも一生懸命頑張っているのに、この男は空かした態度をとっているのか。それが我慢ならない。

「師匠師匠……お前はそればっかだな! そんなに師匠が自慢かよ! 師匠を引き合いに出さないと話ができないのかよ!」

「……ああ、正直尊敬してるし感謝もしてるからな」

「俺だってな……俺だってなあ! そんなすげえ人が師匠にいたら、滅茶苦茶頑張ってたよ!」

 呼吸が荒く、体を重そうにしている。

 獣化兵にはいくつかの種類があり、甲殻型はもっとも頑丈であるとされ、熟練のシャトルでもその装甲は破壊が困難だとされる。

 その分体はもっとも重く、速度も出せず、持久力もさほどない。

 倒すことは難しいが、倒されないことは難しくない相手だった。

 そしてそれを当然、植田は師匠からよく聞かされていた。

「子供の時に! そんなすげえ人に会って! 強くなれるってわかってたら! 滅茶苦茶努力してたよ!」

 泣き叫ぶような、慟哭だった。

 普段なら恥ずかしくて言葉にできないことが、全力で主張できていた。

 そう、自分でも本当は、恥ずかしいと分かっていることでも叫んでしまう。

「ズルいだろ! お前、そんなカッコいいことしてさ!」

 素直な嫉妬、素直な劣等感。

 その言葉を、植田は受け止めていた。

 確かに、その幸運にも感謝しているからだ。

「俺はなあ! 凄いんだぞ! 俺しか持ってない凄い珍しい能力持っててな! それを一年で一番強い人に認めてもらったんだぞ! これでもう俺が勝ち組で、人生バラ色で! みんなから凄いって言ってもらえて、鬼気さんとも遊びに行ったり、恋人になったり、色々あるはずだろ?!」

 理想と現実のギャップ。それを受け入れかねて、彼は叫ぶ。

 こんなはずじゃなかったのに、もっと自分は凄い筈なのに、なんで実際にはそうではないのか。

 世界は自分の意のままに動くべきだったのではないのか。

「なんで、お前がいるんだよ! なんで、お前が皆から凄いって言われるんだよ! どうして俺はそうじゃなくて、普通のC組扱いなんだよ!」

 おかしい、理不尽だ、こんなの間違ってる。

「なんで俺が命をかけたって、まともに人助けもできないのに! お前はゲラゲラ笑いながら蹂躙できるんだよ!」

「……」

「なんで俺は今から頑張らないといけないんだ?!」

 自分への不満だった。今までの自分の否定だった。

 こんな人生が間違っていると、大きな声で叫んでいた。

「今から頑張ったって、お前にも! A組にも、B組にだって! 今更勝てるわけないじゃないか!」

 後悔の様で後悔ではない、ひたすら不満をまき散らしているだけだった。


「一番になれないなら、努力する意味が無いだろうが!」


「それは違う、絶対に違う」


 かちり、と植田は体の中で噛み合うものを感じていた。

 ああそうだったのか、と納得するほどに、状況は簡単だった。

「列道、俺はお前の事なんて、全然知らないよ。でもまあ……言いたいことは分かるし気持ちもわかるよ。でも、全然だ。お前さ、今まで普通に生きてたんだろ?」

 本人も、本当は分かっているはずだ。

 自分が言っていることが、どれだけみっともないかなんて。

「お前、薄っぺらいよ」

「……薄っぺらい?! それはお前だろうが! お前なんか、師匠に出会わなかったら、この学園に入学することもできなかっただろうが!」

「じゃあお前はこの学校に入学するまで何やってたんだよ」

 彼は普通だ。良くも悪くも、全然普通なのだ。

 つまりは、そんな自尊心を持ち合わせていることの方がおかしいのだ。

「資質が! 資質が目覚めなかったのが悪いんだ! もっと早く資質に目覚めていれば、俺だって!」

「そんな言い訳してる奴が、強くなんてなれるかよ。努力なんて、できるかよ」

 精神の安定を感じる。

 心と体が、整っていくことを感じる。

 高揚はなく、興奮もなく、歓喜もなく、殺意もなく、闘志もない。

 穏やかで揺るがない状態になっていく。

「お前は天見をどう思ってる? アイツは凄いぞ、全員から向いてないって言われてたのに、ずっと努力してたんだ」

「あれは、馬鹿だろうが!」

「確かに馬鹿だ。だって、どう考えたって後方でおとなしくしてるべきだしな」

 呼吸が、脈動が、獣の力が平静になっていく。

「でも、ずっと努力してたんだ。それは凄いと思う」

「だから言ってるだろ! 一番になれないなら、最強になれないなら、他の奴よりすごくなれないなら、努力なんてする意味がない!」

「それはお前が弱いからだ」

 列道も大分呼吸が落ち着いていく。

 声を荒げているが、段々疲れが抜けてきたようだ。

 このままいけば、また暴れ出すだろう。

「一番になれるってどっかの誰かに保証してもらえないと、努力できないなんて言う奴が、努力できるわけないだろう」

 そんな彼に、植田は正論をぶつける。

 混乱している相手、怒っている相手にどれだけ正論をぶつけても、火に油を注ぐだけだというのに。

「お前に、天見を馬鹿にする資格はない。高校生になって資質に目覚めて、それで勘違いしただけの『普通』の奴に、怠けてた奴に、遊びほうけてた奴に、天見を馬鹿にする資格はない」

「な……」

「お前は『普通』だよ。普通の……何も頑張ってない男だ。普通の中の、下の方の奴だ」

「わ……」

「この学園に入学するまで何もしてこなかった奴が、勝手に自分は凄いと思って勘違いして、思ったのと違うって暴れてるだけだろ。今まで何もしてこなかったくせに、勝手に期待していただけのくせに、自分が何もしなくても凄いって賞賛されると思っていただけなのに。なんの努力もしてないやつは、そんな風に怒ることだっておこがましいんだ」

「そんなことは……」

「学園に入学するときに、お前は努力しなかったんだろ。でもな、高等部で過ごすことだって、皆に追いつくために努力することだって、ずっと修行ばっかりで終わりなんてないんだ。勝手にゴールを決めるなよ、お前まだ何もしてないだろうが」


「そんなことは、分かってるよ!」


「だったら、なんでこんなことするんだ」

「お前がムカつくからだよ! お前がうらやましいからだよ! お前みたいになりたいからだよ! お前がいる場所に、俺もいたいからだよ! 俺が居たいんだよ! 代われよ、俺に!」

「呼びだしてボコボコにするのか? それで俺の場所にいられるのか?」

 確かに、彼の期待する居心地の良さが、あの二人の前にはある。

 あの二人と一緒にいると、とても楽しい。

 でもそれはきっと、彼には感じられない物だ。

 お互いに異常であると認識しているから、頑張ってきたと自覚しているから共感できるのだ。

「いられないだろうさ……でも、お前はむかつくんだ! お前をぶっ飛ばしてやる!」

「列道、ごめんな。でも……」

 列道は再起動した。消耗した体力が回復していた。

 そして、その渾身の一撃を振り下ろす。

 今度こそ当てる、今度こそ潰す。今度こそ……殺してやる。

 当たれば確実に死ぬであろう一撃を、彼は全力で振り下ろす。

 それを、植田はやはり回避する。

 その上で、ジャージの上着や、下着を脱いで上半身裸になっていた。


「お前は、俺が倒すよ」


 両手の平を合わせて祈る。

 そして、先ほどまで列道がそうなっていたように、彼もまた肉体が変化していく。

 巨大化することはなく、ただ体の体毛が伸びていく。

 髪も染まり、全身から白い毛が生えて満たされていく。

 それは、正しく哺乳類の体毛の様だった。

「なんだよ、それ……」


「獣神兵、無紋炎獅子。たった今使えるようになった、最強の形態だ」


 夜に明かりを灯すような、僅かに輝く体毛が夜風にそよぐ。

 普段のやかましさなどどこにもないかのように、とても穏やかで、最強だとか

そんな風には見えない。

「……お前への申し訳なさで到達した、静かなる境地だ」

「なんだよそれ……」

「師匠は言っていた。獣の力を血肉に宿すということは、とても危険なことだ。だからこそ、制御できなければ身を滅ぼすと」

「……要するに、リスクが怖いってことだろうが! 俺は違うぞ!」

 リスクを受け入れた、と豪語する列道に対して、冷ややかな目を向ける植田。

 既に結末の決まっている彼に向って、白い獅子は拳を向ける。

「俺が戦う時テンションが上がってただろ? あれはな、まあ少なからず獣の影響があるんだ。今のお前と一緒でな」

「~~!」

「自覚があるようで何よりだ。基本的に、力を高めれば高めるほど、感情もどんどん昂っていく。だが感情を昂らせるということは、肉体の崩壊を意味する。敵と戦わねばならないが、それを楽しんではいけない。それが最強の状態を維持するための境地だ」

 興奮しすぎれば、何をやっても上手くいかない。

 怒りすぎれば、肉体や技術も活かせない。心技体が整ってこそ、培われた力は最大限の効果を発揮する。

「お前と戦わないといけないって思う一方で、お前をぶちのめしたいって全然思わないってことは、今の俺はそういう境地に立てたってことだ」

「パワーアップかよ……ここに来て、まだ強くなるのかよ!」

「既にそれに必要な力は整っていた。あと必要なのは、きっかけだけ。それはお前がくれたもんだ」

 毛並みの中からのぞかせる目で憐れみの視線を向ける植田。

 それはますます怒りの火を燃え上がらせるばかりだった。

「なんだよそれ……おかしいだろ!」

「おかしくない。なにがおかしいんだ」

「だって……だって、俺だって俺が……俺は……お前より強くなりたくて頑張ったのに、熱で滅茶苦茶きつかったのに! それでも、お前はあっさり強くなるのかよ!」

 これだけ辛かったのだから、あんなに苦しかったのだから、きっと自分は誰よりも強い男になっていなければならない。そうでなければ帳尻が合わない。

「……お前が知っている俺はあっさり強くなったのかもしれないが、俺と師匠だけが知っている俺は、そりゃあもう地味に地道に努力して積み重ねてきたんだ」

「だから、俺だって! 師匠が居れば修行したよ!」

「言い訳ばっかだなお前は。いい加減認めろよ、今まで何もしてこなかったのが悪いってな」

 白い獅子は、穏やかに拳を構えた。

 悲哀の表情で、闘争を決意している。

「師匠は言ってたぜ」

「だから、師匠師匠しつこいって言ってるだろ!」

「普通の奴は、絶対に強くなれないってな」

 シャトルはあり得ないほどの力を持つ一方で、やっていることは極めて前時代的である。

 そして、基本的に威力の大きい攻撃という物も、物理法則そのままである。

 つまりは、重く尖ったものが、高速でぶつかる方が強いという理屈。

 だからこそ、シャトルたちは全員突撃をこそまず習う。それが一番、対モンスター戦闘に置いて役立つからであり、何よりも一番習得が容易だからだ。

「こいよ、『普通』」

「あああああああああ!」

 ではなぜ他の立ち回りが二つもあるのか。単純に、一対一の対人戦闘で、突撃などが当たるわけがないからである。

 非常に興奮している、巨大化した列道。

 その彼は、大きく拳を振り回す。当たれば即死は免れない、ヘビー級の一撃。

 しかし、それは当たればの話。予備動作が大きく、そもそも動きが遅く、素人が駄々をこねる様に振り回す拳。

 それを、格闘技を修めた植田が避けられないわけがない。


「一撃必『壊』」


 回避しながら、間合いを取る。

 助走の為の距離を作ると、右足を下げて右拳を脇に構えた。


「無紋」


 後ろに下げた右足で大地を蹴って、そのままの姿勢で左半身を前にしながら踏み込む。

 そして、右足が着地するより先に体をひねって左右の前後を入れ替える。

 

「破城拳」


 三歩で一気に間合いを詰める、足撃の拳。

 やや上向きに放たれたそれは、確実に列道の胸に着弾し、大きく揺らしていた。

 強固な身体を持つ甲殻型の肉体にめり込み、その装甲を大きく破損させていた。

「がぁ?!」

 打撃格闘技の経験がないという事、それは痛みに弱いという事でもある。

 確かに大きく傷を負ったが、その肉体はまだ動ける。

 しかし、怒りに冷や水を受けた彼は、そのまま反撃に転じることができなかった。

「痛いか? 痛いだろ」

「ぐ、よくも……」

「痛くて嫌になる、それが普通だ」

 普通、という言葉に悪意が籠っている。

 いいや、悪意を込めていると受け止めていた。

「うるさいんだよ!」

「交差円環、無紋」

「カッコいいとでも思ってるのか、その台詞!」

 巨体だということは、懐に飛び込まれれば距離をとらねば対応ができないという事。

 少なくとも今の彼に組技を使うノウハウはなく、同様に蹴り技もない。

 後ろに下がりながら、殴ろうとする。

「押し廻り、上顎、牙返し」

 対人戦ではありえないほど、大きい相手。その相手が振りかぶった右拳を、伸びきる前に右手で押し込み、そのまま体をひねりながら回転し、左肘を腹部に当てる。

 先ほどよりも威力が乏しいものの、既に攻撃を受けている列道の腹部への打撃は十分に有効だった。

「ううっ……!」

「……もう止めよう」

 はっきり言えば、殺そうと思えばあと数発殴れば殺せる。

 だが、別に殺人がしたいわけでもない。

 そして、彼がこうなったのはある意味自業自得だとしても、そのきっかけを作ったのは植田の不注意だった。

「列道、お前は気を落ち着けるんだ。諦めて、哀しみに身を委ねろ。激しい怒りが収まれば、元の体に戻れる」

「うるせえ……うるせえよ!」

 全身を甲羅で覆われた巨体が叫ぶ、勝者の慈悲を拒絶する。

 哀れまれている事実が、沈んだ哀しみではなく憎しみのまま維持されている。

「なんで勝てないんだよ! 俺は、俺は!」

「……仕方ないんだ。負ければ、こうなるんだ」

「俺は……俺は!」

「お前は、お前だ。分かってるはずだ、自分の手を見てみれば、鏡を見れば」

 獅子の姿の植田は、膝を曲げたままうめく列道に何の感慨も抱けていなかった。

「腹筋も割れてないし、腕力も大したことないし、脚だって遅いし、体力もない。それがお前だ、いきなり強くなれるわけが無いだろう」

「じゃあ諦めろってか! ずっと、ずっとずっと! お前以下だって認めろってか!」

 目の前にいるのは、余りにも美しい獣だった。

 強者であり、その上で美しい、余りにも完成された獣だった。

 鬣こそないものの、白いライオンがそこにいた。

 その姿に羨望するしかない。

「少なくとも、お前が思ってるようなもんじゃないさ……最強だとか一番なんてもんはな」

「うるせえよ……まだこれからだ!」

 甲殻の体が、光に包まれる。

 それが何を意味するのか、それは彼が自分の能力で自己強化を行ったことを意味している。

「セルフガード……」

「ああそうだ、俺の才能だ……どうだ! お前にはない、俺だけの才能だ! 俺は特別なんだよ! 俺が強いのが正しいんだ! お前みたいな頭のおかしい奴より、俺の方が強くなる権利があるんだよ!」

 植田は冷静に観察していた。

 シャトルがそうであるように、自分の周りに鎧の様にオーラを帯びている今の列道。

 その姿はまさに堅牢その物。能力を発動させたことで獣としての部位も再生を始めており、胸部の損傷も復元していた。

 つまり、多少の打撃では今の列道に攻撃を届かせることができず、できたとしても倒すことはできないということだ。

「固い体にセルフガードか……」

「ああそうだよ……どうだ、俺の才能は、リスクを恐れなかったことで急激に伸びたんだ!」

「……リスクか」

 白い体毛が逆立ち始め、その毛先に灯っていた明かりが急激に燃え上がり始めていた。

 それはまさに、炎の獅子ともいうべきものだった。

 その威容に、列道は言葉を失う。しかし、負けてなるかと体の守りを固める。

 この姿こそ、この状態こそ、列道の自信の根幹。それを打ち砕かれたなるものかと、腕を交差させて防御の構えをとっていた。

「列道……本当にごめんな」

 哀し気に、申し訳なさそうに、植田の体は尚燃え上がる。

「全部、俺が原因だ……」

 拳を強く握り、腰を落とす。

「この一撃で終わらせるから……病院で、ゆっくりしてくれ」

 天見の回復能力の名称は、ヒーリングエフェクト。

 体内のエネルギーを、癒しの力に変換する能力。

 そして今植田が発揮している力は、アタックブーストの上位互換『ファイアエフェクト』。

 エネルギーを炎に変える力である。

「一撃必『壊』」

 それはまさに、炎の獅子の如く。

「無紋」

 若き戦士は後悔と共に拳を放つ。


「破城拳―――炎毛、箒星」


 大地を焼き焦がしながらの一撃は、流星の様に輝き、全霊で防御していた列道の、その交差させた腕に命中させていた。

 それはガードを打ち抜き、装甲さえも打ち破り、その先にある頭を揺さぶる破壊の拳だった。

「がぁ?!」

「もう完全に諦めろ。流石にそろそろ限界の筈だしな」

 着ていた服を全て焼き焦がしていた植田は、獅子の姿のまま崩れ落ちた列道を見る。

 その顔は、段々と人間に戻っていき、その表情は涙で濡れて鼻血で汚れていた。

「いてええ……くそ、思いっきり殴りやがって……」

「こっちも殺されるところだったんだ、文句を言うな。それに、それどころじゃないと思うぞ」

 段々あらわになる、人間の姿。それは当然、先ほどまでの彼の姿ではなく、病人の様にやせ細った、健康とは程遠い姿だった。

「う、動けえね……」

「これがリスクだ。いくらお前が資質のある優位獣化兵だからって、人間の部分が貧弱すぎれば、そりゃあこうなるさ」

 単純な話である。全く鍛えていない肉体が無理矢理獣の力を発揮すれば、その負担は余りにも大きい。

 その『リスク』を支払った彼の体は、正に重傷でボロボロだった。

「な、なんでこんなことに……」

「お前、一番肝心なことを忘れてるぞ。俺はお前と同じ一年C組だ」

「だ、だからなんだよ……」

「俺が師匠に会ったのは小学校に入ったあたりなんだぞ。資質を得たのは中学の二年ぐらいだ。その間俺が何してたと思う」

「知らねえよ、助けてくれよ……」

「地道な走り込みと、型稽古だ。七年な」

 モンスターの肉を食えば資質を得ることができる。それ自体は本当だ、一切嘘はない。

しかし、それには多くのリスクが付きまとう。列道が暴走し、完全に獣化したのもその一例だ。精神が不安定になりやすく、加えて精神が高揚しすぎると獣に成り果ててしまう。その際、生半な肉体では獣の負荷に耐えきれないのである。

「俺は師匠から『一定以上のテンションにならない』修行も受けてた。資質を生まれ持たなかった俺が、テンションに任せて獣になればお前と違ってそのまま戻れなくなるかもしれないからな」

「俺は、どうなってるんだ?」

「全身の骨や筋肉がぼろぼろ……まあ数年はリハビリだろうな」

 その言葉を聞いて、力なく倒れている列道は悲鳴を上げていた。

 そんな馬鹿な、こんなはずじゃなかったのにと。

「リスクがあるってのは言っただろう」

「おかしいだろ! だって、こんなことになるなんて、思ってなかった!」

「リスクを覚悟して得た力だって言ってただろう」

「違う、こんなはずじゃない!」

 運が良ければ生き残り、失敗すればダメージを受ける。そういう類の物だと思っていた。

 誰に聞いたわけでもないのに、そう思い込んでいた。

「お前が獣になって、暴れた時点でこうなるのは決まってた。例え俺に勝っててもな」

「なんで、なんで言ってくれなかったんだよ……!」

「聞かなかったのはお前だろうが」

 彼は人生で最も輝かしいであろう時間を、大いに失った。

 そして得たものがあるとすれば、興奮することで獣になるという不便な体質でしかない。

「強くなるのに努力が必要で、強さを維持するために努力が必要なのは当たり前だろうが」

「だって、だって……!」

「……諦めろ、こればっかりは回復能力でもどうにかなるもんじゃない」

「嫌だ……嫌だ嫌だ!」

 遠くから、担架を持った教員たちがやってくる。

 崩れた山道を、シャトルとしての力で走ってくる。


「俺の高校生活は、こんなことで終わっちまうのかよ……!」

「これがリスクだ……ああ、本当に悪かったな」

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