その『行為』無警戒につき
醜悪なモンスターは、比較的容易に壊せそうな一階建てのファーストフードの店舗にのしかかっていた。
耐震補強などの関係で頑丈に作られてはいるが、それでも店舗である以上ガラスで大きく壁が占められており、その分どうしても内部に被害が及ぶ。
執拗に攻撃を行うモンスターによって、どんどん建物が壊れていく。
「お客様! 裏手の従業員用の出入り口から非難を!」
店長は速やかな判断をしていた。このままこの店にいれば、そのまま餌になりかねない。
このまま座して待てば、そのまま死という結果があるだけなのだろう。
「ふざけるな! 表にはまだモンスターがいるんだぞ!」
「そうよ、出たら誰が守ってくれるのよ!」
咆哮するモンスターによって、この店舗は遠からず倒壊するだろう。そうなれば、一般人は助かるわけもない。
しかし、それでも後数分は持ちこたえられるはずだ。
確かに表へ出て数分か数十秒走れば、もっと頑丈な建物に移動できるかもしれない。
しかし、その数分か数十秒は一切守る物のない、命の保証のない時間だ。
そのリスクがおかせるものが、どれだけいるだろうか。
「せめて、あのモンスターが入ってくるまでは……!」
「きゃあああああああ!」
しかし、この建物はついに打ち壊された。
既に客も従業員も窓側から離れているが、それでももはや店舗は餌箱と化していた。
もはやこの店舗は完全に不安全な場所となっていた。
「押すな! 俺が先だ!」
「助けて、この子だけでも!」
「皆さん、落ち着いて!」
従業員は必死で避難誘導をしようとするが、しかし出口側でも人が立ち止まって出られなくなっている。
「こ、こっちにもいるぞ!」
「こっちを見た!」
最悪なことに、挟み込まれてしまっていた。
二頭のモンスターは既に彼らを明確に狙いを定めて、そのまま一気に踏み込んでくる。
もはや等しく、この店の中にいる者は前にも後ろにも動くことができなくなっていた。
「だぁあああ!」
店舗の裏手に回り込んでいたモンスターに、天見が大剣を構えたまま突撃し、横腹を突き刺してそのまま引き抜いていた。
「あああああ!」
大上段に構えて、そのまま再度振り下ろし、それを何度も繰り返していく。
相手が大きいだけに、天見の連続攻撃をもってしても中々息絶えずに暴れている。
赤い返り血を浴びながら、天見は懸命に止めを刺そうとしている。
その間も、店舗の正面から突入してきたモンスターは店舗内部へ押し込もうとしてくる。
とてもではないが、天見は手が空いてはいそうにない。
「一撃必『潰』、激紋、落鉛脚!」
万事休すか、と調理場にまで逃げ込んでいた者たちの前で、モンスターの背骨へ蹴りが撃ち込まれた。
いいや、それを確かに見ることができた者は一人もいないだろう。
だが、植田の脚は背骨を確かにとらえ、そのまま押しつぶし、自分よりも巨大なモンスターの内容物をぶちまけさせながら絶命させていた。
衛生もへったくれもない惨劇を起こした少年の凶気の笑み。
それは余りにもこの結果とつながっており……内容物の半分を出して潰れている死体の上に君臨する彼はまさに悪魔だった。
「たまらない……」
培った力が、師から得た薫陶が、そのまま力となっている。
努力が報われている。あの日々が虚構ではなかったのだと、証明されている。
「まだだ! まだ殺す!」
血まみれの手足で、狂気の兵士は駆け出していた。
「ああ、もう待ってよ!」
その後を追って、ようやく殺し終えた天見も走り出していた。
そして、前も後ろも血にまみれている店舗の中で、従業員はようやく声を出していた。
「お客様……今すぐ、近くのビルまでご一緒に避難を……」
※
人を殺すぐらいなら、自殺する。そんな高潔な思想もある。
ギリギリまで追い詰められれば、そんな逸った結論を出す者もいるだろう。
「に、逃げないと……」
「逃げるって……どこへ?!」
しかし、極めて理不尽な災害に見舞われれば、そんなことを考えるわけもない。
そもそも、この状況は殺さなければ死ぬ、というものではなく、逃げなければ死ぬというものなのだから。
不幸と言えば確実に不幸だろう。
まさか休日に平和のための署名活動をしていたら、戦争に巻き込まれるとは考えつかないだろう。
女生徒たちは駅ビルから逃げていた。
駅ビルの中に逃げるのではなく、駅ビルという建物から逃げていた。
モンスターから身を守るにあたって堅牢な大型建造物に逃げ込むのは正しいのだが、それはモンスターが入れないていどの天井の高さであれば成立するのだ。
モンスターの巨体が侵入できるほどの空間が存在すれば、そこは通常の建物よりもさらに危険だ。
まして、多くの人がその中にいたのであれば、そこを優先的にモンスターが襲うのは当然だった。
「みんな、落ち着いて、落ち着くのよ!」
鈴屋の母親は、皆と一緒に駅ビルから離れてバスロータリーの中心へ避難していた。
奇しくも人が少ないということもあって、はっきり言えば人が多いところへモンスターが向かっているため、署名を求めていた女子たちは無事だった。
だが、今も大量の殺戮が行われつつある。今まさに、彼女たちが恐れていたことが行われていたのだ。正に、凄惨な戦争そのものである。
「いい、こういう時はパニックになっちゃダメなの!」
正しい言葉だった。正しい判断は生存率を大幅に上げることができる。
そして、少なくとも駅ビルに逃げなかったことで彼女たちは生きながらえていた。
だが、逃げ切ったわけではない。
今狙われれば、肉食獣ほどの速度をもつモンスターを相手に逃げ切ることは不可能である。一切の遮蔽物が無い現状では、身を隠すことはできない。
このまま待つ、というのは致命的だった。狙われる前に、安全圏に避難する必要があった。
「周りを見て……モンスターの体当たりに耐えられそうな建物は無い?」
歯の根が合わない少女たちは、何とか周囲を確認する。
涙でかすむ眼で、何とか逃走先を探す。
しかし、殆どの建物にはモンスターが群がり、破壊を行っているようだった。
少なくとも、もつれる足で逃げ込める場所は見つからなかった。
「急いで……急いで!」
鈴屋の母の脳裏に、絶対によぎってはいけないはずの考えが浮かんでは消えていた。
これが報いなのだしたら、あんまりである。
「シャトルが助けに来てくれるよね?!」
そんな言葉を、女の子の中の一人が叫んでいた。
確かに、この状況を速やかに打開するには、シャトルに賭けるべきなのだろう。
逃げ込んだとしても、モンスターを倒してくれるのはあくまでもシャトルなのだから。
「いいから、それより逃げないと!」
母親が叱咤する。実際の所、救助が来るとしても今すぐではあるまい。
自分の身は自分で守るしかないのだ。この状況で救助に期待しても、それは届かぬ願いである。
「とにかく、このままここにいても! 駄目なのよ!」
彼女の判断は適切だった。
とにかく、逃げなければならない。
この状況で必要なのは現実的な判断であって、理想論や楽観論ではないのだから。
「……あ! あっちの建物の人が手招きしてる!」
それは、郵便局だった。
ビル故に堅牢で、そこまで天井も高くない。
中にいる彼らは、声を張り上げて手招きしている。
それを見て、全員が意を決していた。
とにかく、走らなければならない。
「みんな……いい、振り向かないで走って! いい、とにかくあそこへ駆け込むのよ!」
全員が、手に手を取って走り出していた。
とにかく、逃げなければならない時があるのだ。
既に避難している人たちでぎゅうぎゅうにつまっている郵便局へ、出来るだけ早く逃げ込まねばならない。
「いい、とにかく走るのよ!」
彼女の脳裏に、ある可能性がよぎる。
しかし、その可能性を加味したとしても逃げなければならなかった。
「行って!」
鈴屋の母に合わせて、全員が走り出していた。
這う這うの体、もつれる足で安全圏を目指す。
そんな中、鈴屋マチはいくつもの可能性が脳裏をよぎっていた。
つまり、先ほどの女性に言われたことを思い出していたのだ。
『実際に侵攻されているのに、その軍勢に対抗する軍備を整えるのが無駄と言ったな。それはつまり、反攻はともかく防衛迎撃さえおろそかにするということだろう?』
平和をうたい、軍事基地の建設に反対した彼女は、残酷すぎる現実を目の当たりにしていた。
もちろん、この近辺に軍事拠点があったとしても、多くの犠牲者が出ただろう。だが、その被害を抑えることはできたはずだ。
にもかかわらず、自分は反対をしていたのだ。何も考えずに、平和を尊ぶ声に賛同して。
この街も、以前に襲われた街も、いずれも軍事拠点など無くとも襲われたというのに。
「はぁっ……はあっ!」
散々反対しておいて、散々怖いと言っておいて、頼るのはシャトルだった。
要するに自分は、他人事だからそれでいいと思っていたのだ。
「はぁっ……はぁっ……」
無神経極まりない事だった。
戦災復興を行っている各都市の人たちも、きっとシャトルの常駐を願っているだろう。
だって、今の自分はこれだけ不安に思っているのだから。
「あ……!」
必然だったのかもしれない。
ただでさえ既に動揺していた彼女が、足がおぼつかずに転倒するのは。
そして、それに対して母親だけが起こそうとして、友人たちは背後を見る余裕もなく駆けていくのは。
「マチ……!」
「お母さん……!」
既に、とっくに、国に届けると約束した署名の紙は放り捨てている。
そしておそらく、既に署名した人たちも死んでいるか、生きていたとしても署名を撤回するだろう。
まさか、自分がこんな目に合うとは思っていなかったのだから。
「ああ……!」
視認したのは、モンスターの姿だった。
こちらへめがけて走ってくる、巨大なモンスターだった。
「危ない!」
そして、自分に向かって郵便局から走ってくる誰かの事なんて、まるで見えなかった訳で。
※
烈道はこの駅に訪れていた。
偶然でもなんでもなく、明確に意図してである。
鬼気が遊びに行くということで、その後を着けたのだ。
そして、その結果目にしては……。
植田と一緒に買い物をして楽しそうにしている女子としての鬼気の顔と、防衛基地反対派に反論している鬼気の顔だった。
『お前達は弱者の代表なのではない、鍛えも学びもせず弱者に甘んじ、開き直っているだけだ! 自分で真剣に考えて自分なりの答えを持たぬ者が、群れて自己を見誤るな! 今こうして私から逃げているお前達こそが、等身大のお前達と知れ! 反論されれば議論を打ち切ろうとし、議論が続いても同じことしか言えず、面倒なことを前にすれば知らぬ存ぜぬで通そうとし、目の前で困っている親しい友人の事さえも見捨て、最後には赤ん坊のように泣く! 怒られるのが『嫌』なら、偉そうな口を利くな、この無礼者が!』
あの言葉は彼にも効いていた。
客観視して、何も見えていなかった自分に気付いたのだ。
今の自分はなんだ。休日を鍛えることに当てるどころかクラスメイトを追いかけることに費やし、一方的に嫉妬していた相手のことを恨みがましく眺めているばかりだった。
偶々偶然資質を得て、偶々偶然ユニークスキルを持ち、幸運にも学年最強のシャトルとパートナーになることができた。
だが、別に自分が学年トップになったわけでもなく、いきなり過去が改変されて素晴らしい人物になったというわけでもない。
単純な長距離走でさえ落ちこぼれと侮っていた天見にも劣る、ろくに運動をしたこともない、今日までの九年間を遊んですごしていた『どこにでもいる普通の男』でしかなかったということだ。
時間をかけて強くなりたいと思うこともできない、やる前から自分に見切りをつけている男だった。
「くそ……」
今更ながら、鬼気の言っていた足手まといにならない、という言葉が重く感じられる。
要するに彼女は、タンクなど最初から不要だったのだ。性格的に、守る気も一切ないのだ。タンクの事など一切気にせずに、気ままに戦いたいだけなのだ。
だが、流石にタンクを放置して死なれては困るし、それなりに罪悪感も感じるのだろう。だから守る必要のない相手を求めていたのだ。
つまり、彼女の言う足手まといにならない相手とは、放置しても問題のない相手なのだ。
そして、その前提通りに自分を放置しているのだろう。
それが許されるだけのスペックが、彼女にはあるのだ。
加えて、抗議するほどの価値が自分にあるわけでもない。
「鬼気さんは強い……そういう事なんだろうさ」
タンクがいなくても、A組の中でさえ最強のシャトルである。それは列道にとって自慢するべきことだったのかもしれないが、事実は違うのだ。
自分など不要、どうでもいい相手。頼るという発想がまずない。それほど強い相手と、特に何の考えもなしに自分は契約してしまった。
いいや、もっと言えば他の誰と契約しても大して変わらないのだろう。
彼女と契約したことで、自分はさもこの学園のトップに躍り出たと、賞賛され妬まれる立場になったと勘違いをしていたのだ。
「現実なんて、こんなもんかよ……」
列道には才能がある。それは本当だ、そうでなければ反攻学園に入学することもできない。
だが、才能があるのはあの学校では前提条件でしかなく、そこから先は積み重ねた努力がモノを言うのだ。
ある意味当たり前だ、彼が持っているマンガやライトノベルの主人公も、才能が有ろうが資質があろうが、地道な努力はきっちりとしている。
そうじゃない主人公がいたとしても、それはとびぬけた資質を持っていた場合だろう。
そして、列道はそうではなかった。珍しい資質を持ってはいたが、それはとびぬけて強力というわけではない。
人は手を見れば人生がわかるというが、自分の手を見ても何もない。
運動を熱心にやったことが無く、特に特別な趣味も持たず、ゲームをしてマンガを読んでアニメを見ていた。
そんな男が、いきなりスポーツの特待生の群れの中に放り込まれて、それで活躍などできるわけがない。
別に異世界転生して、子供の頃から修行していた、というわけではないのだから。
しょせん、少々オタク趣味のある男子中学生が、そのまま高校生になっただけなのだから。
「ああ、アイツだ……!」
それこそ、それに近いことをしていたのはアイツなのだ。
植田狼。彼こそが、異世界転生の主人公の様な男だったのだ。
優秀な指導者に出会い、その彼の下で修業し、地獄のような鍛錬の果てに、タンクの資質もなかったはずがシャトルを相手に圧倒できるほどの力を得た。
ああ、彼が憎いとも。
彼こそまさに、まるで二度目の人生を謳歌している主人公の様ではないか。
そんな彼を目の当たりにした植田は、はっきり言って憎しみを抱いていたのだ。
「これじゃあとてもやりきれない」
A組が凄いのは当然だ、というのは侮辱かもしれないが、彼らの水準が高いのは当たり前だろう。なにせ、小学生の時からずっと訓練していたのだから。
B組の生徒に劣るのも、まあしょうがない。中学生から始めていたのだ、遅くは無いだろう。
C組の生徒には、まあ連帯感を感じるべきだ。少なくともC組の生徒の中で、自分より成績のいい相手にも特に思うところはない。
だが、彼は駄目だ。ああ駄目だとも。
彼に対しては劣等感を感じるしかない。
彼は資質が無いと分かり切った上で、それでも尚鍛錬していたのだ。そんな彼を前にして、羨み妬む以外の何があるのか。
珍しい才能という取り柄しかない自分が、彼を前にして真っ当でいられるわけがない。
だって、彼を認めるということは……!
「おおおおおおおおおお!」
気づけば走っていた。
郵便局に避難していた、恐怖で避難することしかできなかった列道は、目の前で襲われそうになっている親子へ走っていた。
断じて英雄願望ではない。対抗心としか言う他ない。
確かに今の自分は素人同然で、一切積み重ねた物が無い。
才能しかない、どうしようもない一年C組の生徒だ。
だがこの郵便局に、一般人同様に避難して、それで安堵していた自分が此処で駆けださなければ、いよいよもって、尊厳が保てない。
「あああああああああああ!」
才能しかない、他のタンクと比べても何かができるというわけでもない男。それは今の列道だ。
だが、列道だからこそ、他のタンクにはできないことがある。
彼の固有能力、セルフガード。それはガードブースト同様に、防御壁を構築するスキル。
しかし、それは通常のタンクのそれとは違い、シャトルへ鎧のように纏わせるのではなく、自分の周囲に壁として構築する能力だった。
「がああああああああああ!」
必死でそれを二人の前に形成する。シャトルを介さずとも発揮できる稀な能力は、しかし未だに萌芽したばかり。
全力で受けようとすれば、それは大量のエネルギーを消費する。体力の乏しい彼が、一瞬でも発動させれば、そのまま身動きできなくなるほど疲れ果てるだろう。
そして、目の前の巨大なモンスターを相手に、どうにかできる自信などあるわけがない。
だが、できなければ、いよいよ自分は無価値だった。その空虚さに、彼は耐えられる自信がなかったのだ。
「あーーーーーーーーーーー!」
ごっそりと持っていかれる体力。形成される頼りない壁。
衝突してくるモンスターは、その壁を前足で蹴り飛ばそうとした。
それが、結果的に幸いした。
仮に踏みつぶそうとすれば、上方向にではなく前方向にだけ壁を作った列道はそのまま踏みつぶされていたし、仮に上方向に壁を作ってもそのまま持ちこたえることができず踏みつぶされていただろう。
前からの攻撃に対して、前への防御。その壁はかろうじてモンスターの前足を弾き、そのまま砕けた。
モンスターは歪な四肢が災いし、前方へ倒れながら転倒していった。
人間に例えれば、走っているところで石に躓いたようなもの。
道路で横たわっているが、そのモンスターは平然と起き上がりつつあった。
そして、一度耐えたという事実を無意味にする再度の突進を仕掛けようとして……。
「惜しいな、ああ、惜しい!」
血まみれの死神が、その目前に二刀流の姿で舞い降りた。
全身に一切の傷が無いものの、返り血を浴びすぎた彼女は服も体も、赤くない場所が無かった。当然、二本の剣もである。
「私が殺していいのは、お前が最後だ!」
初陣の昂揚、武の発揮。それによってこの上なく狂気の笑み、歓喜の形相をしている彼女は、しかしそれなりに理性的だった。
「念入りに殺す、徹底して殺す、斬り殺す、斬るために殺す……!」
誰もが、言葉もない。
彼女がシャトルであることは察しがつく。自分たちの敵ではないことも察しが付く。
間違っても、自分達に凶刃が向かうことはない。
だが、想像していたシャトルという職種兵科への漠然としたイメージや、或いは軍人という者に対する嫌悪によって作られた悪意に満ちたイメージよりも尚、彼女の異常さは際立っていた。
「一回でも多く斬る、ああ、みじん切りだ!」
彼女に恐怖していないのは、モンスターただ一頭。
起き上がったモンスターは、彼女を他の標的と同様に認識して、そのまま向かってくる。
その相手に、鬼気は片方の剣を掲げ、大きく一歩踏み込みながら振り下ろす。
彼女の動きを視認できた者はその場には一人もいなかったが、しかし彼女が刀でモンスターの歪な頭部を切断していた、という結果だけは見ることができていた。
おそらくもっとも硬質であろう巨大な頭が、ただ一振りで、素人にもわかるほどの凄惨な結末に至っていたことは驚愕に値する。
だが、彼らの恐怖はそれからだった。
慣性もあって前のめりに倒れそうになるモンスターを、彼女は更に切り刻んでいく。
膝から折れていく足を、膨れ上がっている腹部を、臓器を守っていたはずのあばらを、倒れる間際の一瞬に切り刻んでいく。
いいや、はっきり言えば、地面に倒れるまでにどれだけ切り刻めるか、ちょっとした遊び程度の認識で挑戦していた。
「みじん切りとは言ったが……さて、これでは賽の目切りと言ったところか」
大量の肉片が、血潮と共にまき散らされる。
モンスターの内容物が運動エネルギーと共にまき散らされ、周囲に醜怪な臭いをまき散らしていた。
その中で恍惚に震えている彼女を見て、助かったはずの市民は自分がこの後快楽殺人鬼に切り刻まれるのではないかと恐怖していた。
「おお、終わったか? 参ったな……これ以上の被害が出なくてよかったと思うべきなのに、もっと戦いたいって思うのは……俺が守ることを目的としてるんじゃなくて、戦うことが目的だからなんだろうなぁ。嫌になるぜ」
「私も結構頑張ったけど、やっぱり二人とも強いし早いよ!」
その彼女の下に、既に片付けを終えている二人が現れた。
どちらも鬼気ほどではないが、返り血を浴びて凄惨なことになっていた。
彼らがシャトルかそれに類するものであることは確実だが、誰一人として安堵できなかった。
というよりは、ほとんど全員が怯えて目を背けていた。
飛び出していた列道だけは、声を出すこともできずに、ただその三人を眺めていた。
いいや、睨んでいた。たったの二人も助けきれない間に、どれだけの戦果を挙げたのかもわからない三人をにらんでいた。
鬼気はまだいい、彼女はA組なのだからと、自分を納得させることができる。B組の天見にも思うところはある、彼女にさらに劣るということを再認識した。
だが、植田の事を見ていた。おそらく鬼気にも劣らぬ戦果を挙げた彼の事を見ていた。
「とはいえ、ここまでだろう。既にシャトルが向かってくる時間だ。あとの事は本職の方にお任せして、私達はこのまま指示を待つとしよう」
「そうだな、大抵のは倒したし……あとは報告だな」
「多分全部二人が倒したよ、きっと……」
目につくものを片っ端から殺していっただけの二人ではあるが、何分初動が比較的早かったことと、二手に分かれて行動していたこともあってほぼすべてのモンスターを撃破することができていた。
少なくとも、植田の後を追いかけていた天見はそんな印象を受けていた。
とはいえ、この後には学校に報告が待っている。
一々倒したモンスターの数など憶えてはいないが、戦闘方法が全員違うので、スコアは割とあっさりわかるだろう。
「それにしても……鬼気さん、凄いことになってるね……大丈夫?」
「うむ? そちらも中々奮戦したようだな。だが、なんのことはない。強いて言えば、お気に入りのウィッグが汚れたぐらいだろう」
二人の乙女は、改めて私服の惨状を見合う。
別に普段試合できるタイツは、あくまでも「向こう側」への反攻を前提とした素材である。
私服でも問題なく戦えるシャトルではあるのだが、流石に服はその限りではない。
天見は盛大に破れているし、鬼気に至ってはもはや染み抜きどころではない血染め状態だった。
とはいえ、鬼気はほぼケガをしておらず、少々のケガを受けた天見も既に完治しつつあった。
初陣を終えて気が抜けている二人は、凄惨な現場の中でややズレた乙女心の会話をしていた。
「それから、もう私のことは鬼気でかまわん。呼び捨てにするがいい、天見よ」
「……そうだね、私達もう戦友だもんね!」
固く握手をしている、ズレた乙女たち。
その二人を眺める植田もまた気を抜いていた。
「しかし、軍用量産型獣化兵だけとはな……師匠と同じ獣神兵は当然のことながら、劣位獣化兵さえ投入してこないとは……ケチったのか?」
数が多かったことは事実だ。偶々偶然シャトルが居合わせたから、被害を最低限に納めることができていた。放置していればさらに惨劇は広がり、大災害規模の死者が出ていていたはずだ。
だが、相手は植田が師から聞いていた中では最低ランクの兵ばかり。強力な兵士は投入されていなかった。
もしいたとすれば、流石に苦戦は免れなかっただろう。
「これだけ大量に暴れておいて、いざ終われば歯応えが無かったって思うのは……向上心があるってのとは違うんだろうな~~」
彼は兵士としても戦士としてもまだ未熟だった。
未熟だったからこそ、彼は背後からの視点に気付かず不用意なことをしていた。
すなわち、大きめの饅頭ほどの大きさにカットされたモンスターの肉を拾い上げ、何の気なしに口へ運んだのである。
「久しぶりに喰ったけど、相変わらず不味いな……」
ぺろりと自分の手についていた血もなめとる。
その所作を、ただ一人列道だけが見ていた。
※
車内から逃げ遅れ、そのまま踏みつぶされた人がいた。
逃げようとして走っても、逃げ切れずにもろとも潰された家族がいた。
避難したものの、建物の強度が足らず建物ごと潰された市民がいた。
誰もかれもが自分の命を守るのが精いっぱいで、目の前で散っていく命を見ることしかできなかった。
『まずは、今回の事件……いいえ、侵攻によって失われた多くの命に、お悔やみを申し上げます』
『さて、今回の被害が比較的早期に解決したのは、シャトルの生徒が現場に居合わせており、学園側に許可を得たうえで戦闘を行ったことでモンスターを殲滅できたことが大きいとされています』
『いやね、これは駄目ですよ。駄目。だってほら、学生が戦う、これがまず駄目でしょ。本職の軍人でもないんだから』
『学生ってのはね、勉強するのが仕事なの。それがね、如何に反攻学園の生徒とはいえ、戦争するなんて学徒兵じゃないですか。これは駄目でしょう』
『そもそも、シャトルが現場で戦っているところを見てトラウマになった人たちも多いんですよ?!』
『過度に残虐な戦い方をしたっていうじゃないですか!』
『一体反攻学園はどういう考えで生徒を育成しているんですかね!』
『彼女達に戦闘の許可を出したことも含めて、教師の人にはしかるべき処分をするべきです! ええ、これは謝罪ではすみませんよ!』
『なるほど、確かにおっしゃる通りですね……では、今回の被害の責任は?』
『それはもう、国の不備ですよ! 怠慢もいいところです!』
『野党にはぜひ、今回の失態を与党に追求して欲しいところですね!』
『なるほど、ありがとうございました。それでは先ほどからとっていたアンケートを確認してみましょう』
【シャトルの常駐する基地は、必要か?】
【必要だ 90%】【どちらともいえない 5%】【不要だ 5パーセント】
『やはり、国民には不安が広がっており、早期の基地建設が求められているようですね』
『これはいけない、いけませんね! だってね、考えてみてくださいよ! 百体ほどのモンスターがですよ?! たった三人の学生に皆殺しですよ?! それも、本職のシャトルが到着するまでの短い時間に!』
『学生でこれですよ?! もしも本職のシャトルがですね、危険な思想の下に行動したらどうなるか!』
『基地建設に賛成している方は想像してみてください、自分の街にこれだけ危険な兵士が常駐するその意味を!』
『不安でしょう? 怖いでしょう? このままではこの国は、戦時中の軍国主義にもどってしまうのですよ?!』
『視聴者からの、メールが、その、多数届いております』
【シャトルが怖いのは分かるけど、モンスターに殺される方が嫌】
【軍国主義も何も、地球全体で反攻する流れなのに、それに日本だけ逆らうの?】
【っていうか、そもそも今が戦時中だろ? なに平和ボケしてるんだ】
【あの街の近くに実家があります。学生の人が戦ってくれなかったら、実家にも被害が及んでいたかもしれません。彼らが命の危機を冒してまで戦ってくれたから助かった命が沢山あるのに、放置した時の事を考えて発言してください】
【以前別の街で被害を受けて、シャトルの人に助けてもらった男です。シャトルに怖い人がいるかもしれませんが、全員ではありません。助けてくれたシャトルの人は、とてもいい人でした】
【軍国主義も嫌だけど、国民を守る気が無い政府はもっと嫌】
【攻め込まれてるんですけど、無抵抗に殺されろと? じゃあお前がまず殺されてこい】
【モンスターが侵攻してくることを思うと、夜も眠れません。早く私の家の近くに、シャトルの人が常駐できるようにしてほしいです】
『洗脳だ、もしくは偏向ですよ!』
『国家百年の計を考えていただきたい!』
『我が国は平和国家として、長く国際社会に貢献してきました!』
『先人の努力が、全て無に帰してしまうんですよ!』
『そうはおっしゃいますが……そもそも、各地に建設される基地は防衛拠点ですし……現実的に考えて、シャトルの常駐以外に国民を守ることは……』
『シャトルが近くにいても! それでも被害は出るじゃないですか! 無駄なんですよ、無駄!』
『反省が足りません、歴史という物を分かっていない! 防衛基地だからなんですか! そうやってごまかして、それで行き着くところまで行ったのが前の大戦なんですよ!』
『防衛の為だろうがなんだろうが、軍備は軍備じゃないですか!』
『そもそもね、反攻計画がまずおかしいんですよ!』
『我々の次の世代に禍根を残しかねない解決方法では、何の意味もない!』
『いつの時代の話ですか、攻め込まれたから攻め返すなど!』
『このままでは、この国は、この世界は! 戦うことしかできない世界になってしまうんですよ!』
『いいのですか皆さん、まだ生まれていない子孫に、何も変わらない歴史を残して、それで満足ですか!』
【今死ぬよりはマシだろ】
【今死んだら子孫も残せないだろ】
【今生きている私の子は死んでもいいんですか?】
【歴史に学んでないのはお前だろ。負けた国の人間がどうなったのか、お前勉強したことないのか?】
【被災者のこと何も考えてないな、コイツ。被災者は子孫どころじゃなかったんだぞ】
【この男の発言にはまるで責任感が感じられない。自分が基地建設に反対したから、今回これだけの被害者が出たとか考えないのか?】
【私が基地建設に反対したせいで、被害が増大しました、腹を切って詫びます、ぐらい言えよ】
【今回の戦災の遺族です。私の娘は友人と一緒に買い物に出かけ、その先で被害を受けて無残な姿で発見されました。私の娘は恋を知る前に命を落としました。はっきり言って不快です。貴方が死ねばいい、貴方の家族が死ねばいいのに】
鈴屋マチとその母親は、ケガをせずに済んでいた。
何がどうなったのか、二人にはわからない。しかしわかっていることは、沢山ある。
自分達に賛同してくれていたマチの学友達全員が、今後一切署名活動に協力しないと、親から罵倒の言葉込みで拒絶されたこと。
そして、今の世論が完全に自分達の主張と逆だということだ。
「……おかあさん、私達、まちがってたのかな?」
怪我をしていないので当然だが、彼女たちは簡単な消毒を受けた後家に帰されていた。
そして、彼女たちは忘我のままにテレビをつけて、いつものように夕食を食べていた。
単身赴任中の父親は、慌ててこちらへ向かっている最中らしい。
「……まちがってないわ、なにも」
客観的に、或いは巨視的に言えば、世間の風潮こそ真理で絶対的に正しい、という考え方こそ悪い民主主義だった。
以前の大戦で勝ち目のない戦いに突入した結果、痛ましい光景を生んだということも全く間違っていないのだから。
それは、おそらく今【専門家】を叩いている人々にも通じる言葉だ。
だが、今専門家が言っていることは、家族が死のうが自分が死のうが、無防備を貫けということだ。
シャトルの中に危険人物がいる、或いはシャトル全体が危険人物の集団である、と専門家は語る。
それを聞いたうえで、誰もがこう思っている。
少なくとも、鈴屋親子は、こう思っていた。
「―――無事か?!」
大慌てで、単身赴任先から飛んできた父親が、靴も脱がずに自宅へ入っていた。
その顔は、余りにもわかりやすく憔悴していた。
「お父さん」
「あなた」
「ああ……良かった、生きててよかった! お前達が無事で、本当によかった!」
もしかしたら、シャトルの人たちは本当に危険人物の集団なのかもしれない。
もしかしたら、このままでは再び軍国主義に逆戻りしてしまうのかもしれない。
もしかしたら、その先に苛烈な敗戦の日々が待っているのかもしれない。
だとしても、今日死ぬよりは絶対的に良い。
モンスターなんぞに踏みつぶされて死ぬよりは、狂人だったとしてもシャトルに守られた方がまだマシである。