その『言葉』重大につき
この学園でも、基本的に自由時間はある。
そして、言うまでもなくその自由時間をどう過ごすかで差が出てくる。
もちろん、学校の勉強をしてもいい。それはそれで卒業には必要だし、つまりこの学園を卒業した後も必要な事だからだ。
遊ぶのも自由だ。閉鎖的な空間ではあるが、このご時世ネット上でも色々と遊ぶことはできるし、ネット通販で購入することもできる。
この学校では、授業時間外では強制的に運動を命じることはない。自主的でなければ、身にならないと分かり切っているからだ。
とはいえ、ある意味ではスポーツの強い学校の様な物でもあり、生徒たちの意識も高い。よって走り込みをしている生徒は多い。
そんな彼らに交じって、列道も走っていた。
とはいえ、トラックを猛烈に走るわけではなく、ゆっくりと自分のペースで走る。
その、自分のペースが周囲と比べて遅いことに恥じ入りながら。自分より小さい中等部の女生徒でさえ、あっさりと自分を抜いていく。
誰もが熱心に走る中に交じって列道はトレーニングしているが、当然彼のことなど誰も見ていなかった。
そして、そんな自分より優れている彼らに交じりながら思うのだ。確かに教師の語るように、自分が彼らに追いつきたいと思っても、追いつけるわけではないのだと。
単純な話だった。自分が努力している間、彼らもまた努力している。
いやむしろ、彼らの方が努力している。彼らにとって、努力はもはや日常で、特に苦しいとも面倒だとも思わないことなのだ。
自分が無駄に時間を過ごす間も、彼らは自分を高めている。
もちろん、差が縮まることは有る。基本的に、人間の身体能力の上限は知れている。地道な努力を続けても、飛躍的な向上を続けるということはない。
彼らも別に、長距離走の為に肉体改造をしているというわけでもないし、長距離走に人生を賭しているというわけでもない。ある一定の段階に達すれば限界にぶつかり、そこから先は維持するための努力になるのだろう。
よって、列道に限らずC組の生徒が地味にでも練習していれば、差は埋まっていくのだ。
だが、断じて抜き去るということはない。
あるいは、女生徒なら抜けるかもしれないが、男子生徒は抜けるとは思えない。
その努力に、意味はあるのだろうか。自問自答してしまう。
「くそ……!」
いつだったか、この学校に入学すると決まったとき、ネット上の匿名掲示板に投稿していた事を思い出す。
自分はこれからこの学校に通うのだと、そう自慢した時の事を思い出す。
ネタだとかなんだとか、所詮C組じゃないかと言われたことを思い出す。
マジレスすると、タンクはスキルよりも容量だと言われたことを思い出す。
どんなに特別なスキルがあるとしても、中学生までに運動部などで鍛えていないと活躍することは難しいといわれていたことを思い出す。
それは才能が無い者のやっかみだと思っていた。
だが、違ったのだ。それは事実だったのだ。それを言っている本人が何者でも、その言葉は正しかったのだ。
「くそ、くそ!」
舗装されたトラックを走っていく。物凄く地味な、物凄く気の長い作業の始まりだった。
他の生徒に追いつくための、成果が大して見込めない作業の始まりだった。
ジャージを着て、運動靴を履いて、ひたすら走っていくだけだった。
これに、耐えねばならない。この日々に適応しなければならない。
そんなことを考えながら走っていると、トラックの隅の方であの三人を見つけていた。
「もう上がるのか」
「これから型稽古」
「ええっ?! 型稽古?! それって、あの激紋……」
「それ言うのやめて」
鬼気と植田、そして天見の三人組が話をしていた。
既に大分走っていたのか、汗でまみれていた。
「ま、普通の稽古だ。見て面白いもんじゃないぞ」
「植田君の強さの秘訣が、見ればわかるかも!」
「見ただけで強くなれるなら、訓練の必要ないでしょう?」
偶々偶然、トラックを走っていると彼らの声が聞こえる距離に来ていた。
そして、三人の話が聞きたくてトラックを抜けていた。そんな自分に一切気付かずに、彼らは話をしていた。
「だってさ、凄いじゃん! あの激紋破城拳とか激紋投石掌とか! それに、ガードブーストもないのに、あんなに固いなんて信じられないもん!」
「……あのさ、二人ともちょっとこっち来てくれないか?」
なにか内密な話でもしようというのだろう。植田は二人の女子を誘って、そのまま人気のないところを探して歩き始めていた。
※
所謂体育館裏、あるいは学校のすぐ外にある木々の生い茂る山の、その通路にある休憩所。そこで演武の様に型稽古を地味に行いながら、植田は休憩している二人に話を始めていた。
「アレはもう、小学生になる前だったな」
高校生と言っても、それなりに濃い人生を歩んでいれば語るべき過去を持つ。
人の手を見れば人生がわかるというが、正にそれだろう。
彼はそれなりに思いつめた表情で、空手の様な型稽古を行いながら、二人に話していた。
「俺はシャトルにあこがれてた。昔の俺は、シャトルが女の子しかなれないなんて知らなかったから、テレビのヒーローにあこがれてる程度だったな」
「あ、それ私も! 私もシャトルになれるって言われて、中等部からだったけど嬉しかったな」
「それは私もね。強くなる実感があったし、初等部の頃から今に至るまでずっと夢中よ」
三人が語るのは、この学校に在籍している生徒たちの、その多くが語る最初の動機だった。
気を許した友人にならたわいもなく語れる、何の変哲もない事だった。
「でもまあ……師匠は俺を見てこういったのさ『お前には才能がねえ』ってな」
大人げないにもほどがあることだった。
中学生や高校生なら言われても仕方がない。
しかし、小学生になる前の子供に言うべきことではなかったのだろう。
だが、その師匠とやらは割とあっさりそんなことを言っていた。
「師匠はそりゃあもう凄い人だったからな。一目見ただけでも、俺に才能がないことを見ぬいたってわけよ」
「才能が無いのに強いの?! 凄い! じゃあ私も強くなれるんだ!」
「そういうことじゃねえよ。俺の場合の才能ってのは、もっと根本的なもんだ」
タンクにとっての才能とは、有用なスキルを持っているという事。それだけである。あとは地道なトレーニングを積み重ね、容量を増やすだけである。
しかし、天見や鬼気の様に、シャトルの場合は戦闘センスという才能が非常に大きい。回復という大当たりの能力がある故に天見には『役割』があるが、無ければどうなっていただろうか。
だが、もっと根本的な問題もある。植田はまさにそれだったのだ。
「まさか、貴方にはタンクの資質が無かったの?」
「そうだ」
「えええ?!」
この学園の生徒は、皆シャトルやタンクの資質を持っている。
いいや、教員でさえどちらかの資質を持っており、その訓練も受けている。
流石に調理師や清掃員などはその限りではないが、この学園の主だったものは皆そうなのだ。
「俺は、その資質が先天的になかった。いわゆる、普通ってやつだ」
「……そんなのおかしいよ! だって、私植田君からエネルギー供給受けてたもん!」
シャトルもタンクも、多かれ少なかれ『エネルギー』をもっている。
これを持っているかいないかだけが一般人と隔てるものであり、その資質が開花する時期は個人によって異なっている。
それを見ただけで判断できる、というのはありえないことであり、それを外付けしたというのはもっとあり得ないことだった。
「まあそりゃそうだ、普通はそう思うだろうな」
そう、普通はそう思うはずだ。
大人が適当なことを言っただけで、実際には資質があり中学生の時期に開花した。それだけなのかもしれない。
だが、それでは彼の戦闘能力が説明できない。
彼は自分の身体能力を、ほぼ完全に使いこなしているのだ。それはつまり、彼の指導者が本物だということだろう。
「シャトルやタンクの資質を後付けできる……それって本当なの?」
「ああ、まあな。少なくとも俺はそうだった。資質が開花したとかじゃなくて、師匠に後付けしてもらったのさ」
型稽古はゆっくりとしたものだった。
一度一度丁寧に、素人でもわかる速度で行われていた。
しっかりと、間違えないように繰り返していく。
「なあ、そもそもなんで反攻計画なんて名前なのか、知ってるか?」
それは、この学園の根幹にかかわることだった。
それを、彼は非常にあっさりとした口調で尋ねていた。
訊ねるというか、確認しているようだった。
「モンスターを送り込んできている『奴』がいる、『国』がある、『人』がいるってことだろ? 俺の師匠は、そこから送り込まれて来たスパイって奴らしい」
「「スパイ?!」」
「ああ、向こうのお国の、その精鋭らしい。優秀な奴らが選りすぐりで、こっちの世界の事を調べようとしたんだと」
あっけらかんと話しているが、それでいいのだろうか。
それは下手をすれば、教師どころか警察に突き出さなければならない案件ではないだろうか。
「それで、こっちの世界を調べた結果、こりゃ無理だって諦めて、そのまま向こうを裏切ったらしい」
「それで優秀な人材だって言えるの?」
「優秀だろ? だって、調べ始めてすぐに自分たちのやり方じゃ、この世界の文明には勝てないって判断したんだから」
確かに、負けると分かった国をあっさりと見限って、勝てる国に着くのは優秀と言えるだろう。
それが愛国心も仁義もない判断だという一点を除いて。
「それでまあ、師匠は暇だって理由で俺を鍛えてくれたのさ。俺に教えてくれた体術も、向こうじゃけっこうポピュラーらしい」
「刀を腕で受け止める体術が?!」
「それは自分を強化しているからだけどよ……」
なんだかんだと言って、この世界でのシャトルやタンクの研究は始まったばかりだった。
それよりも先進的な技術が向こうの世界にあるということは……。
「師匠曰く、シャトルやタンクは『裏切り者』がこっちに流した技術らしい。訓練が容易なようにされたもんだって言ってた」
それはつまり、遠からず『向こう』の人間と戦う日が来るということだろう。
「それでまあ……俺は資質が無い奴も戦士にする方法を使ってもらったってわけだ」
なるほど、それなりに納得できる理由だった。
彼の修行は、資質を得ることが前提だったのだから。
「……ねえ、その方法って、本当に誰でも資質を得ることができるの?」
「ああ、まあな。ただ師匠曰く、同じことを既に資質に目覚めている奴がやれば効果も大きいし上手くいく可能性も高いとかなんとか。資質が無い人間は、諦めた方がいいとか言ってたな」
「それでも諦めなかったんだ……」
「我ながらバカみたいな理由だとは思うけどさ、頑張りたかったんだ」
高等部の生徒の中でも、屈指の実力を持つ実力者。その正体が、実の所なんの資質もない男だったとは驚かされる。
大した理由もなく、ただ力にあこがれ続けた、それを叶えた少年なのだ。
「じゃあさ、私がその資質を後付けする方法をすれば、もっと強くなれるってことだよね?!」
「まあな……でもリスクが大きいし、簡単には手に入らない『必要な物』もある……資質があるなら、俺みたいに馬鹿なことをせずに、地道にやるのが一番だよ」
「……やり方教えてくれないの」
「当たり前だ! そもそもこうやって、俺の事情を教えるのだってそれなりに勇気が必要だったんだぞ!」
目の前にいる二人には、教えてもいいだろう。
そんな気がして、何となしに彼は重大な秘密を打ち明けていた。
「どうせなら最後まで教えて欲しいよ……!」
「それじゃあ、どうして私達には教えてくれたのかしら?」
「……そりゃあアレだよ……友達だからかもな」
やや照れながら、植田は答えていた。
「今まで部活とかしなかったし、遊び相手もいなかった。ずっと師匠と修行ばっかりでさ……まあ、色々な、嬉しかったんだよ。なんだかんだ言って」
植田にとって、この学校に入学するというのは努力によって達成される目標であって、祈るような事柄ではなかった。
努力すればチャンスを得られる。その為に毎日必死に過ごしてきた。
「ようやく、こうやって話ができる友達ができた。それがうれしいんだろうな」
「友達か……確かにそういうもんかもね」
「この学校は楽しいよ、今日までの日々が報われるようでさ」
幼少の頃からの努力が報われた。
同じぐらい努力している人たちがいて、仲良くなれて切磋琢磨できている。
それが、たまらなく充実している。
「だから、言っておきたかった。二人には特に」
「そうか……そんなスゴイお師匠様がいれば、私も強くなれたのか……」
「ああ、いや。師匠曰く、戦闘のセンスはあるらしいし……多分天見は戦闘のセンスないし」
「ええ、無いわね」
「そ、そんな!」
戦闘のセンス、スペックがある二人に同時に否定されてへこむ天見。
しかし、それはある意味共通認識のようなものだったのだが。
「それにしても、友達ね……ええ、私も嬉しく思っているもの。まさに貴方の様な人を待ってしたしね。それじゃあどうかしら、今度の休日遊びに行くというのは」
そんな提案を、寄りにもよって高等部一年最強のバトルマニアが提案してくるとは、二人には少々意外だった。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。私だって遊びに行くことは有ります。友達がいなかったので、一人で、ですけど」
「そうだったのか……道理でたまにいない日があると思った……」
「休日に遊びに行くのか……でもなあ……」
「別に丸一日遊ぼうというわけじゃないわ。少し息抜きをして、日が高いうちに帰ろうというだけよ」
「そういうことなら、まあ……」
中々積極的に迫ってくる鬼気。
その圧力に対して、非戦闘時の植田が逆らえるわけもなく……。
「それじゃあ、三人で出かけましょう。……両手に花だな、植田狼。男子の本会という奴なのだろう?」
にやり、と笑う鬼気に、彼はなされるがままだった
当然、誰かが潜んでいることなど気付くはずもなかった。
※
休日、街で待ち合わせるということであえて違う時間帯に出た三人。
一番最初に打ち合わせ場所に来たのは、植田だった。
「……他の二人は来てないか」
流石に女子寮から出る二人を偶々見た、ということは一切ない。
その上で、改めて周囲を見る。
そこには、大量の人があふれていた。
なんというか、人生でここまでたくさんの人を見たのは初めてだったのかもしれない。
「すげえ人だな……」
元々田舎の方で暮しており、山で師匠と共に修行をしていた身である。
ちょっとした都会にも出たことが無いので、今の彼は人混みにうんざりしていた。
そんな彼の服装は、Tシャツとジャージである。
正直に言って、余りにも都会に似つかわしくなかった。
しかし、それを補って余りあるのは、彼の肉体だろう。
道行く人は彼の鍛錬された筋肉を見るだけで、張り詰めたTシャツを見るだけで、肉体美こそが最高のファッションなのだと理解していた。
顔こそ若いものの、ほぼ贅肉のない体はまさに戦士のそれ。
古傷が多いこともあって明らかに平和な駅で浮いているが、それでも見苦しくもなんともなかった。
「あら……そんな恰好」
「Tシャツにジャージ……近所のコンビニに行くんじゃないんだから!」
「……え?」
声をかけられて、植田は驚いていた。
目の前にいる二人は、確かに鬼気と天見である。
それは姿を見ればわかるというものだ。だが、明らかに髪型が違う。
二人とも女子としては短かすぎるほどだったのに、明らかに伸びている。
「髪、伸ばしたのか?」
「そんなわけないでしょう、ウィッグよ」
「流石にあんな髪で表に出るのは恥ずかしいからね。オシャレってやつだよ!」
二人とも、シャトルであることを忘れて、完全に女子モードだった。
だからだろうか、どちらも非常に自慢げな顔である。
「ああ、カツラか」
「「ウィッグ」」
納得した植田だったが、その辺りの配慮が明らかに欠けており、二人に物凄く注意されていた。
確かに、カツラと言ったら剥げているようである。心証は余り良いものであるまい。
たとえ同じものであったとしても、だ。
「ああ、うん。ウィッグな! 憶えた!」
「よし、憶えておいてね。テストに出るから!」
「ウソを教えないでね、天見さん。まずは服を買いに行きましょうか。その恰好じゃあちょっと周りの人が怯えるもの」
※
駅ビル内部で店を回り、学生では少々お高いジャケットとダメージジーンズを購入した植田。
国家公務員として給料を受け取っている彼は、それなりに財布が満たされているのである。
「おちつかねえなあ……」
「中々男前になったわよ」
「うんうん、カッコいいよ。筋肉があるしね!」
少々の長袖でもわかるほどの筋肉。それは確かにわかりやすく男を上げていた。
一方で女性陣二人はどちらも筋肉質だが、それ以上に無駄なお肉がほぼない。
その結果、二人も中々の着こなしだった。顔がいいので、体形が整っていると美少女に見えるものである。
「それにしてもな……街に出て、何をすればいいんだ?」
「それはね……何をすればいいんだろう」
二人とも、青春というものを修行に当てていた日々である。
こうして街に繰り出しても、お財布の中が満タンでも、だからと言ってどこにでも遊びに行けるというわけではない。
ばっさり言って、どう遊べばいいのかわからなかったのだ。
「私、服はネットで買うし……」
「俺服は母さんが買ったもんだし……」
「そもそも植田君はもう服買ってるじゃない」
そこは発起人の危機がエスコートするところである。
友人を連れて遊びに行くということで、彼女自身のテンションもやや上がっており、黒く長いウィッグを手で整えながら宣言していた。
「私が二人に息抜きの仕方を教えてあげるわ」
そう言って、二人の前を歩く。
別に夢見ていたわけではないのだが、これはこれで悪くない物である。
三人とも修行の虫、同好の士、同じ穴の狢。そんな気の合う面々と、気を抜きながら街を歩く。
それに新鮮さを感じながら、彼女は駅ビルの出口へ向かっていった。
「署名に、ご協力くださ~~い!」
「一人でも多くの声を届けましょう!」
「皆さんには、真実を知ってもらいたいんです!」
その出口で、署名活動をしている一団を見つけるまでは。
「嫌な連中に出くわすものだ」
露骨に口調を変えて、不快感を示す鬼気。
それこそ、本心から嫌っているようだった。
「どうした?」
「どうしたの? 何アレ」
「シャトル、タンクの派遣に関する反対署名だよ」
現場で働くシャトルたちが判断するところではないのだが、現在日本では各主要都市にシャトルやタンクの常駐する基地の建設が審議されている。
当然、シャトルもタンクも兵士であるため、軍事基地ということになってしまう。
これに反対する声は、決して小さくない。それが反対署名という形で明らかになっているだけだ。
「気にすることはない。私達には無関係なことだ」
「関係ない、なんてことはありません!」
署名用の画板を持っていた少女が、顔を真っ赤にして鬼気に詰め寄っていた。
休日であるのに制服姿の彼女は、おそらく高校生のように見える。
「貴女も日本人でしょう? 選挙権は無いかもしれないですけど、もっと危機感を持ってください!」
とんでもない熱意が伝わってきた。
既に署名をしている人、あるいは彼女達が配っているビラを読んでいる人。
あるいは、署名を求めている女生徒たち。
皆が声を張り上げている少女を見ていた。
「ふむ……危機感か。確かにそれは大事だな。だが、偶には息抜きも必要だ。知っての通り今日は休日で、見ての通り私達は遊びに来ている。それを妨げるということは、それだけの覚悟があるのだろうな?」
「もちろんです!」
なんというか、圧力をかけていく鬼気に対して、画板を持っている少女も退く気は無いようだった。
どうやら、それなりに決意を固めているらしい。
「貴女達はご存じないのです! 今この瞬間も、シャトルとして暴れることができる人が紛れているかもしれないと!」
今まさに、彼女が話しかけている三人は、シャトルかそれに匹敵する力の持ち主なのだが、それは流石に言う必要があるまい。
「それどころか、有事の備えと称して各地に軍事基地を建設し、そこへシャトルを常駐させるという話があるとも!」
「ふむふむ、もちろん知っている」
「それなら、協力してください! 貴女の声は決して小さくありません! みんなで力を変えれば、この国は変えられるはずです!」
民主主義、多数決、国民の声。
なるほど、彼女は立派に行動しているようだった。
駅ビルの中で拍手が起きる。全員ではないが、彼女の熱弁を指示する者も多いようだった。
「防衛費が増大し、多くの福祉が削られています! このままでは、この国は弱者に辛い国になってしまうんですよ!」
「……なるほど、言いたいことは分かった。では私は答えよう」
世論がどうであれ、政治がどうであれ、今の彼女にはどうでもいいことだった。
重要なことは、せっかく遊びに来ているというのに、余計な水を差してきた、目の前の彼女にふさわしい報いを与えるということだ。
「確かにシャトルは危険かもしれない、確かに軍事基地の建設は怖いかもしれない、確かに軍地費の増大は問題かもしれない」
「かもしれない、ではなくそうなのです!」
「だがそれは、必要経費だ。私は当然だと思っているよ」
シャトルの力も、腕力を発揮するつもりもない。
全力で言い負かす、泣くまで言い負かす。圧力をかけながら、鬼気は迫っていく。
「君は自動車に乗るとき、シートベルトを締めるかね?」
「え? 締めますけど……」
「では、なぜシートベルトを締める?」
「それは……法律で決まっているから……」
「では、なぜシートベルトを締めるように法律で決まっている?」
「それは、危ないから……」
「その通りだ。シートベルトは命綱だよ、着用していれば事故時に死亡率を下げることができるからね」
シートベルトが無くても車は走るだろう。シートベルトが降下を発揮するのは人生でも稀で、殆ど不要なのかもしれない。
しかし、起きるときには事故は起きる。そういうものだ。その時に公開しても、大分遅い。
「同じだっていうんですか、シートベルトと軍隊が!」
「どう違う? モンスターは時折襲来するし、その都度大きな被害が出ている。それに対する備えとして各地にシャトルの常駐する基地を設置するのは適切な対応だと思うが」
「近隣の住民の不安はどうなんですか!」
「もちろん理解しているとも。人間は未知のものを恐れるし、軍事拠点は侵攻の対象になりやすいからね。そりゃあ嫌がるだろうさ、それが人間の心理だ」
「だったら、だったら基地の反対に署名するべきです! 自分がされて嫌なことは、押し付けちゃダメなんです!」
「面白いことを言うな」
署名を求めている少女は踏ん張っているが、鬼気の眼力にまるで対抗できていない。
怒っているバトルマニアに、善意の少女が抗えるわけもない。
「君は嫌だと言ったな? 嫌だという理由で、基地に反対していると? 実際に存在し、侵攻を続けているモンスターがいるにもかかわらず、これに対抗する術を各地に置かないことがなんとなく怖いとか、なんとなく嫌だからだとか、そんな理由で反対だと?」
「だ、だって……!」
「愚かだな、君は。嫌だとか怖いだとか、そんな理由で真面目に国家の行く末を考えている人間に反対すると?」
「も、もういいです! 署名はいりません! 貴女は賛成なんでしょう? 後悔しても遅いんですよ!」
「それは筋が通らないな。議論をふっかけてきたのはそちらだろう?」
話を打ち切って逃げようとする彼女を、鬼気は逃がす気が無い。
何故なら、まだ泣いていないから。
「君は私達の貴重な時間を割き、貴重な休日に水を差した。にもかかわらず、君は怖くなったらあっさり逃げ出すのか?」
「う……!」
「公衆の面前で、こうして許可をとって自分たちの意見を伝えようというのだろう? なぜその努力を放棄するのだ?」
「……ぼ、防衛費は無駄だから……その防衛費で他の事が……復興とか……福祉とか……」
「なるほど、復興も福祉も重要だな。君は、そんなことを人命よりも優先するというのか?」
「人命?! そんなことは……!」
「実際に侵攻されているのに、その軍勢に対抗する軍備を整えるのが無駄と言ったな。それはつまり、反攻はともかく防衛迎撃さえおろそかにするということだろう?」
「だ、だって、本当に基地のある街に攻めてくるかなんて、分からないじゃない!」
「はっはっは! 君は火事が起きなかったら消防署も火災報知機も不要だと思うのか? 防火設備は無駄で、消防隊に支払う金銭も無駄金だと?」
おそらく、鬼気以外の誰かが似たようなことをすれば、きっと誰かが助け舟を出していただろう。
いいすぎだよと、もういいだろうと、二人の間に割って入っていただろう。
だが、鬼気が怖すぎて誰も反論できない。
まして、蛇に睨まれたカエルの様に、署名を求めていた少女たち全員が動けない。
「平時ならば議論の余地もあっただろう。だが、我が国は戦争中だ。明らかに人為的に人工的な生物が送り込まれ、我が国土は一方的に侵攻を受けている。戦争反対と叫んだところで、相手はまだ交渉のテーブルにつくどころか顔も見せていない。戦争反対と叫んでも、言葉が通じるかもわからないのだぞ? 相手が顔を出すまで、何人死んでもかまわないというのか? 大した理想だな、見ず知らずの不特定多数の人命よりも重いとは」
「だ、だって……基地ができたら嫌だって……」
「つまり、実際に被害を受ける人々の都合など知ったことではないと! 死人に口なしと! 国が滅ぼうが、街が焼かれようが、助けるのが遅くなって死んだ人たちに向かって、遺族に向かって、同じことが言えるのだな! 近くに基地ができる方が『嫌』だから駄目だと! 金の無駄遣いだと!」
ついに、彼女は心が折れていた。
へたり込み、泣きそうになっている。
いいや、既に大泣きしていた。
「まったく、虫唾が走る! 善意の押し売りほどうっとうしいものはない! どこの大人に吹き込まれたか知らんが、言われたことをそのまま言うだけしか出来ぬのなら、ただ署名を求めて同じ言葉を繰り返せ!」
その惰弱に対して、彼女は更に怒っていた。
この程度の覚悟で、この程度の浅さで、この程度の決意で、さも自分は国家のために戦っていると陶酔し、自分達を呼び止めたことを腹立たしく思っていた。
「自分が言われたことをそのまま相手に伝えれば、感動して賛同するとでも?! 皆が皆お前の様に浅はかな考えで自分の名前を記すとでも思っているのか! 私に名前を書かせたいのならば、最後まで諦めずに私と語り合え! なぜ途中で放棄して、逃げ出そうとした! 私の声が小さくないと言ったな、その小さい声を嫌がって逃げ出すような輩に、届けてもらうほど私は落ちぶれていないぞ!」
署名をしていた人たちが、或いはビラを読んでいた人たちが、ゆっくりと署名を求める女生徒たちから離れていく。
「熱意は実力を得たうえで行動で証明しろ! 声を張り上げることは熱意とは言わん! 言論で私を引き入れようとしたなら、最後まで戦えるようにあらかじめ勉強しておけ! そもそも何故私に難癖をつけた! 私の言葉が癪に障ったからか! その程度の理由で私に舌戦を仕掛けたか! さっきまでの自信は根拠などなかったのか! 積み重ねのない、積み重ねる気のない者が私に挑むな! せめて自分の意思をもって行動しろ!」
言うまでもなく、植田と天見は完全に縮こまっていた。
彼女の迫力が、下手をすれば戦闘中以上だからだ。
「まったく不愉快だ、公衆の面前で主張するのだから最低限の覚悟は持っておけ! 暴力を振るわれたわけでもないのに、自分から議論を持ちかけておきながら泣き崩れるなど言語道断! 反論されて絶句して、みじめに泣くならお前は最初からこんな大それたことをするな! お前は勘違いをしているぞ、お前は小娘だ、お前の親がどうであれ、お前にこんな下らんことを吹き込んだ輩もどうであれ、お前自身は困ったら泣くことしか出来ん小娘だ! おしめが脱げるまで、公衆に立つな!」
そして、今度は署名活動を行っていた他の少女たちにも向ける。
「お前達もだ! 同志ならば反論するべきだし、友人ならばかばうべきだ! それができぬのに、集まって政治活動などするな! ほとぼりが冷めるまで黙っていようなどとは、虫が良すぎるぞ! さっきまで彼女に感銘し拍手していたことを、私は憶えているぞ! どうだ、お前達は反論が無く、彼女を助けようとは思わないのか!」
誰もが身を震わせ、眼を背ける。
泣いている少女に歩み寄ろうともせず、彼女に目を合わせようともしなかった。
「お前達は弱者の代表なのではない、鍛えも学びもせず弱者に甘んじ、開き直っているだけだ! 自分で真剣に考えて自分なりの答えを持たぬ者が、群れて自己を見誤るな! 今こうして私から逃げているお前達こそが、等身大のお前達と知れ! 反論されれば議論を打ち切ろうとし、議論が続いても同じことしか言えず、面倒なことを前にすれば知らぬ存ぜぬで通そうとし、目の前で困っている親しい友人の事さえも見捨て、最後には赤ん坊のように泣く! 怒られるのが『嫌』なら、偉そうな口を利くな、この無礼者が!」
通行人たちを黙らせて、足を止める。
それほどの威厳が、少女の姿をしている彼女から発せられていた。
多くの人が行き交う駅ビルで、無機質な案内の放送だけが響いていた。






