その『女』二刀につき
「なあ、見たか? 植田の奴今度は演習場の壁ぶっ壊したんだって!」
「動画見てたけどよ、一撃でぶっ壊してたぜ!」
「すげえじゃん! 俺にも見せてくれよ!」
「ねえねえ、見た?」
「うん、見た。ぶっちゃけドン引き」
「ありえないよね、女の子の顔殴るとか、そういう問題じゃないよね」
当然のように、演習場を壊した件は一年C組全体で共有されていた。
なにせ、彼らが使用した後は予約を入れていた生徒たちも、全員使用禁止となったのである。そもそも施設そのものが使用禁止になったので、注目を集めるのは仕方がないだろう。
男子の反応はもはや問題児に対するそれであり、同時に女子たちからは危険人物扱いされていた。
あながち間違いではないだけに、植田は消沈していた。自覚してはいたが、自分は大分危険人物の様である。
「おいおい、女子のいじめか~~?」
「いじめじゃないわよ! 第一、私達はシャトルで、タンクじゃないのよ?!」
「そうよそうよ、もしかしたら植田君とも戦うかもしれないんだから!」
少なからず、恐怖を抱いても仕方がない。戦闘中の植田は明らかに何かのスイッチが入っており、その雰囲気は明らかにおかしいのだから。
あれと戦いたい、と思うような戦闘狂は一人もいない。少なくとも、このC組には。
男子が能天気なのも、タンクであって前線で戦うというわけではないからだろう。
このクラスの男子は既に、彼を競争相手とは見なしていなかった。
少なくとも実技では、自分達とは比べる方が間違っている存在なのだと、正しく認識していたのだ。
ただ一人、列道を除いては。
※
さて、言うまでもないことだが、シャトルに比べてタンクは極めて普通の人間である。
タンクはシャトルに対してエネルギーの供給を行うことで継戦能力を底上げできるのだが、シャトルはタンクを守らなければならないという枷を背負うことになる。
よって、試合形式でシャトル同士が戦う場合、シャトル同士だけで戦うルールと、タンクを守りながら戦うルールの二つがある。
言うまでもなく後者の方が実戦形式ではあるのだが、タンクが危険にさらされるという問題がある。
実戦を想定するならば、タンクにもある程度の立ち回りを憶えてもらう必要があるが、練習でケガをしてはたまらない。そのケガが後遺症を残すほどならなおのことに。
なので、タンクを安全圏に置くかどうかはともかく、タンクを狙っていいのかいけないのか。その試合形式には明確な法的区分が存在している。
相手タンクを攻撃してもいいという試合をする場合は、複数の回復能力者に加えて指導者のシャトルが複数名同席すること、という厳正な基準が存在し、これを満たさずにシャトルが故意で相手タンクを攻撃した場合、刑事罰が下される。
これを満たさない状況というのは殺人未遂もいい所なので、当然の帰結でしかない。銃を人に向けて撃ってはいけない。ただそれだけの事なのである。
そしてもちろん、それは頻繁に行われるものではない。どれだけ安全対策をしたとしても、不測の事態は発生するのだから。
今日はC組との共同演習ということもあって、タンクの安全は確保された状態での試合となっている。
「では、C組のシャトルは素振り、B組とA組のシャトルは試合を行う。タンクは全力で供給を行うように」
複数の演習場が内部で区分けされている、この学校の中で最大の施設、大演習場。
そこで高等部の一年生たちは合同の訓練を行おうとしていた。
当然、入学したばかりのC組のシャトルたちは全員試合などできるわけもないし、どのクラスに所属していてもタンクはただエネルギーを供給するばかりだった。
「天見と植田は、鬼気と列道を相手に試合をするんだったな」
何分、天見はともかく植田の力はA組でも上位に入るのではないか、とみられている。
というか、単純に演習場の壁を壊すような相手とは試合をしたくないのだろう。B組の生徒は当然のことながら、A組の生徒も過半数が彼との試合を嫌がっていた。
戦いたがっているのは、同じ気質を持つ鬼気ぐらいなものだろう。
「ええ、私からお願いしたんです」
「はい、俺も頑張ります!」
演習場に入る前に、学年主任を前に対峙する四人。
その中でも鬼気のタンクである列道はその顔にやる気がみなぎっていた。
なにせ、今の今まで、彼女のパートナーとして何もできなかったのだから。
「植田、天見さん! 今日は俺達が勝つぞ! ですよね、鬼気さん!」
「どうだろうな……くくく」
とにかく勝ちたい列道は、闘志を燃やしている。勝ち負けうんぬんよりも戦いたくて仕方がない、そんな顔をしている鬼気にやや怖気づくが、その一方で同じクラスの植田を見る。
戦えぬ自分ではあるが、彼よりも自分の方がタンクとして優れているのだと示したい。クラスや学年全体から評価を勝ち取って見せると、覇気を燃やしていた。
つまりは、彼らよりも自分たちの方が優れているのだと、そう証明したかったのだ。
「今日こそ……鬼気さんとちゃんと戦えるんだ! 私、絶対勝つよ」
「なあ天見さん、記憶喪失でも患ってんの? なんでA組相手に戦えると思ってんの?」
正直、植田は相方の正気を疑ってしまう。
B組の平均的な相手に勝てない彼女が、A組のトップに太刀打ちできるわけがない。
この戦いは、ほぼ植田と鬼気の一騎打ちである。
「では、エンゲージを済ませ次第、列道君以外は演習場に入るように」
分厚い透明な保護壁に囲われた演習場。その内部へ三人は入っていく。
それを見送る列道はやや不満だった。入っていく彼らに比べて、自分はただ見守るだけなのだから。
とはいえ、それでも供給を頑張るつもりではあったのだが。
「列道」
「あ、はい。なんすか?」
「気合を入れろ」
目の前の試合を監督する学年主任は、強く睨みながら列道に話しかけた。
口でどういってどうなるものではないが、一応言っておかなければならないことがあるのだ。
「立っていられなくなるぞ」
「えーーーーー……?!」
立っているだけの筈の列道は、一気に体から何かが抜けていく感覚を味わっていた。
足が震えて、汗が止まらない。まるで攻撃を受けているようだった。
「な~~~!」
「これがタンクの役割だ」
別に列道に限った話ではなかった。
A組やB組と契約しているC組の生徒たちは、皆試合が始まると同時に大きく息切れを始めていた。
まるで、走ってもいないのに全力疾走しているようだった。
「こ、こんなに?!」
「ああ、ある意味当然だがな」
初体験故の不慣れということもある。
だが単純に、C組のタンクはその容量が少ないのである。
容量が少ない分、少し吸われただけでも一気に持っていかれる感覚を味わうのだ。
「もうしばらくすれば、戦闘が始まれば一気にエネルギーが消費され内包しているエネルギーが切れる。そうなれば隅で休んでいろ」
C組のシャトルがいきなり他の組とまともに戦えないように、C組のタンクが他の組の様にまともに供給を行えるわけもない。
まして、これが初めてならなおのことだ。
「なら、どうしてアイツは……!」
自分の事を強化しながら、その上でシャトルにもエネルギーを供給している。
それは一人で二人のエネルギーを賄っているということだ。どう考えても足りないはずである。
「理由はいくつかあるな。あの二人は距離が近いだろう、距離が近いならエネルギーのロスは少なく、吸われる分も減る。加えて彼の体力はお前とは比べ物にならない。それに……供給にも慣れというものがある。あの二人は、比較的頻繁にエンゲージしているからな」
「だったら……俺も頻繁に鬼気さんとつながれば……!」
「鬼気はそんなことをせん」
学年主任は、にらみ合う鬼気と植田を見ていた。
表情が、まるで双子の様に似通っている。
戦う前から立つことが精いっぱいの列道とは違い、その表情は歓喜に満ちていた。
「鬼気は特別なスキルを持たんが、そのステータスは頭抜けている。特にエネルギー容量は一般的なタンク並みだ。いなくても、全く問題ないほどにな」
「そんな……!」
「だからあの子はタンクが不在でも学年トップだったんだ」
演習場の中で、二本の刀を構える鬼気。
彼女は他と比べてやや小さい装甲を身に纏いながら、ゆったりとした緊張感を楽しんでいた。
「二刀流……か! いいなぁ……その細い刀で、俺の身体を斬れるかな?」
「武器も持たずに、この私に届くかな? 存分に試すがいい」
「私もいるからね! 無視しないでね!」
片手で振るうにはやや大きいが、それでもある意味普通の大きさの刀を手に、ひたひたとゆったり鬼気は歩みを進める。高速移動ではなく、まるで剣の達人の様な歩き方に見えた。
それをもって、彼女はじわじわ二人に間合いを詰めていく。
その表情の不気味さもあって、何とも言えない圧力がかかっていた。
「……良し、行くよ!」
「行くな」
この危機感の無さはどうにかならないのか。
剣を振り上げて突撃しそうになる彼女を、植田はつかんで止めていた。
とにかく、今突っ込むのは余りにも無謀だった。
「とりあえず俺に任せてくれ」
「私がシャトルなんですけど!」
「今日が初めてなんだ、譲ってくれよ」
「……わかった。危なくなったら、助けに行くからね」
「ああ、期待してる」
ペースを合わせるように、植田も歩み寄っていく。
焦らすように歩きつつ、互いの間合いを計るように、寿命を削るように近づいていく。
その上で、先に動いたのは鬼気だった。
右の剣を振り上げて、鋭く振り下ろす。細身に見えて、その剣の筋はシャトルの装甲さえも切断する威力があった。
その剣を見ず、彼女だけを見ながら植田は左の『腕』でそれを『受ける』。
人間の腕などたやすく切断できるはずのそれは、まるで鉄塊に切り込んだような硬質な音と共に停止した。
「おお、そうでなくては」
賞賛しつつも、彼女の左の剣が下から振り上げられる。
これも、迷いなく右手で受けていた植田。
足を止めて力と力で拮抗しあう両者は、鏡合わせの様に笑いながら手四つで組み合うように互いを押し切ろうとしていた。
ぽたりぽたりと、植田の手から血の雫が垂れていく。
白い床にゆっくりと溜まっていくそれに、滴る両者の汗が混じっていく。
「はぁ!」
そこからさらに、鬼気の右足が跳ね上がった。植田の顎をめがけて、爪先の装甲が迫る。
それを喰らって植田の顔が天井を仰ぐが、体から力は失われない。それどころか、刀の食い込んでいる自分の両腕を大きく回して、刀越しに彼女の姿勢を崩しながら足払いを放つ。
片足になったなら、その姿勢をひっくり返すことは容易。そう判断して、彼女の軸足を刈り取ろうとしていた。
それをさせまいと、鬼気はその軸足一本で飛び上がりそのまま植田の胸に蹴りこむ。
そのまま刀を植田の腕から抜きながら、後方へ軽やかに着地する。
「いってえ……!」
両腕は血を流し、顎と胸に蹴りこまれた。それでも植田は笑っていた。
「いやあ、よかったよかった。正直不安だったんだぜ? 弱かったらどうしようって」
「こちらもだ、期待外れではなくて感謝している」
ぺろぺろと、両腕を舐めて居る植田に対して、軽く血ぶりをする鬼気。彼女の足元に二つの血の線が走った。
「強くなって強くなって、それで弱い奴を倒して優越感を抱きたいけども、強くなっても強くなっても強い奴と戦って勝ちたいって思っちまうんだよな……!」
「話が合うな。同じ趣味はいないので、退屈していたところだ」
二人とも、人間の基準でも一足一刀の間合いである。シャトルとして戦えば、一瞬で埋まる距離で拳と刀を構える。
「ん?」
「ほう」
「二人とも、私の事無視しないで!」
じわじわと、植田の傷が治り始めていた。
語るまでもなく、天見の治療能力である。
流石に一瞬で完治とはいかないが、既に血は止まり始めていた。
「悪いな、サンキュ!」
「感謝するぞ、天見。失血で試合中止となれば興ざめだ」
「そう思うんなら、私にも配慮してよね!」
互いから目を背けることなく、天見に感謝の言葉を伝える。
何分教師は付いているし、死んでほしいとも思っていない。止血ができるならありがたいものだ。
「では……続けるぞ」
「ああ、楽しませてくれよ!」
直後、お互いに鋭く踏み込みあう。
踏み込んだ足が演習場の床を揺らしながら、助走なく互いに打ち込んだ。
その一撃は、終わった瞬間にようやく視認できるものであり、映画のフィルムの間を切り抜いたかのように、一瞬にして双方の体勢が変わっていた。
左から斜めに切り込んでいく鬼気に対して、更に大きく踏み込んだ植田は半身になりながら懐に潜り込みつつ、右ひじを彼女の胸に叩き込んでいた。
「上顎、人突き牙」
「がっ!」
「からの……一撃必『跳』!」
苦し紛れではなく、クリーンヒット。それによって胸を突かれた鬼気は刀を手放さないまでも、完全に死に体だった。
半身の体勢をさらに反転させながら押し込んでくる、左の掌。
植田の本命の一撃を彼女は見えていても対応できなかった。
「激紋、投石掌!」
再び、彼女の胸、喉のすぐ下を狙った一撃。それを受けても彼女はさほどの痛みを感じなかった。
痛みがマヒしていたわけではない。それは彼女が理性的に理解していたことだ。
大した痛みもなく、しかしまるで自分がスリングショットか何かの弾になったが如き錯覚と共に、彼女は大きく吹き飛ばされて透明な壁に背後から激突して肺の中の空気を吐き出していた。
「倒すのでもなく殺すのでもなく、潰すのでもなく壊すのでもない。押し飛ばす打撃、投石掌。相手を突き飛ばして他の敵や壁にぶつける……投げる打撃だ」
「説明をするとは、丁寧だな」
「なに、サービスだよ。こっちは両腕に一回ずつ、更に顎と胸に一発ずつ。計四回も痛い目を見たんだ。それを倍返しどころか半分で済ませたんだ、俺、優しいだろう?」
「その優しさを後悔させたくなってきたぞ……植田狼」
軽く口元を拭う鬼気。彼女もまた剣を改めて構えていた。
「気を抜けば、死ぬ。そんな恍惚はお好みかな? 二刀流の本領をお目にかけよう」
「初体験だ、優しくしてくれ」
始まったのは、チャンバラだった。
互いに飛び出すと、両手と二刀で切り結び始めたのである。
火花が散り、時折体勢を入れ替えながらも、お互いに拳と刀をぶつけ合う。
一方的にダメージを負うのは無手で戦うのはやはり植田なのだが、それもすべて浅手だった。
顔や腕に傷が走るが、どれも切れているのは皮一枚だけ。
このまま切り結び続ければ、確実に植田が敗北する。
そう思いながら見ている天見は、あることに気付いた。
だんだんと、鬼気の顔が苦渋に歪み始め、植田の顔が優越感で狂笑に拍車がかかっていく。
いつ助太刀するか、と剣を構えていただけなのだが、客観視できる彼女はその理由に思い至った。
「鬼気さんが、追い込まれてる?」
まるで踊るように立ち代わり入れ替わりで切り結び、殴りかかる二人。
ダンスを踊るように戦う二人は、いつの間にか中心から隅の方へ進んでいく。
そうして、気づけば角にまで追い込まれていた。
「腹立たしいな、私を襲うつもりか?」
「俺ってやっぱり腐ってるな! 気づかなかったらこのまま角にぶつかった時点で失神させようと思ってたが……!」
細い二本の日本刀。それは当然、天見や土井の武器よりもリーチが短い。そのさらに内側に素手の植田が拳を寸止めして彼女の顔の前に死を突きつけていた。
「こうやって、どんどん追い込まれていくアンタを見て、尚嬉しく思うなんてよ!」
まるで詰将棋、或いはボクシングなどの狭い空間で戦う競技の位置取りだった。
途中から透明な壁の角へ誘導されていることに気付いた鬼気ではあったが、それでも誘導から抜け出せずついには寸止めで決着という屈辱を味わっていた。
「……私の負けだ。当ててもいいぞ」
「いいやあ……こっちの方が悔しいなら、当てないさ」
審判が告げるまでもなく勝負ありだった。演習場の角に追い込まれた彼女の両肩は、そのまま透明な壁面に追いやられていた。
その一方で、切り刻まれたジャージ姿の植田は、その全身から血を多く流していた。
勝利の笑みを浮かべている一方で、どう見ても敗北している。
「とりあえず治すけど、エネルギーの残量大丈夫?」
「ああ、これぐらいなんてこたないさ」
広く傷を受けた一方で、浅く切られたばかりなので、服以外は概ね問題なさそうだった。
「おお、効く効く~~」
流石は回復能力者、一旦治療に専念すれば相方の傷を治すなど朝飯前だった。ジャージは治っていないが。
既に、学校から支給されたジャージは使い果たしている。速やかに購買で購入する必要があった。
「最後に気絶させてくれれば最高だったが……この屈辱も、次に晴らそうと思えば悔しくはない」
一方で、胸に二度の打撃を受けた鬼気も武装を解いていた。
その上で、とても爽やかに暴れ切った顔で握手を求めている。
「楽しかった、また戦ってくれ」
「ああ、こっちこそ」
「ねえ?! 私は?!」
硬く再戦を約束する二人に、ケガの治療を続けている天見は抗議していた。
だが、もっと抗議したいのは力尽きて息も絶え絶えな、鬼気のタンクであるはずの列道だった。
当然、少々の休憩を挟んだ後に二組は訓練を再開する。
他の対戦相手へと変えて、鬼気も植田もとびぬけた活躍をしていた。
主従の逆転は起きているが、やはり天見の回復能力は徒手空拳で戦う植田にはとても相性が良かった。
とはいえ、巨大なハルバートを振り回すA組のシャトルの一撃を弾くほどに、彼の両腕は異常な硬度を発揮していたのだが。
鬼気の独壇場だった一年生での合同演習。それに植田という対抗馬が出現したことで、これから始まる高等部の三年間が概ね決まっていた。
※
疲れの抜けきらない演習から日を改めて、列道は職員室の担任へ相談に訪れていた。
無涯の席の前に赴いて、どうしても話したいことがあったのだ。
「あの、無涯先生。相談があります」
「なんだ」
「俺、何度か相方の鬼気さんに指導をお願いしたんです。でも、断られちゃいまして……」
「あの子はそういう子だ、諦めろ」
彼女がそういう気質なのは学校内でも有名である。
A組の中でももっとも強い一方で、タンクを一度も持たなかった問題児。
他人との友好というものを一切求めない彼女は、基本的に自主トレに励んでいる。
「お前も割り切って自主トレをするか、彼女のパートナーをやめるか、好きにすればいい」
「俺……やめたくないです」
「そうか。それなら、自主トレに励め」
A組やB組の生徒がC組の生徒にある程度の指導を行う。それはある意味義務だ。
B組も中等部に入学した当時はA組に多少の指導を受けているし、そういうものである。
しかし、指導を放棄するだけのワガママが、あの鬼気百花には許されている。
それは、タンクでありながらシャトルに交じることを許された、植田狼とも同じことである。
あの二人を他と同列に扱うことは、双方にとって良くないことだろう。
「あの、それで……自主トレって何をすればいいんですか?」
「エネルギーを増やすことだな。要するに、走り込みだ」
そう言って、数枚のプリントをまとめた冊子を渡す。
非常に手慣れており、それこそよく聞かれることをまとめているようだった。
「このメニューを読んで、内容を遵守しろ。そうすればお前も容量が増える」
「……どれぐらいかかりますか?」
「半年もすれば徐々に成果が出てくるだろうな」
「半年って……じゃあ俺がA組に追いつけるようになるのは何時頃ですか?」
「お前次第だ。だが、期待はするな。なにせそのメニューは、基本的にはA組の生徒もB組の生徒もやっていることだからな」
ある意味当然すぎる言葉だった。
だがその言葉を受けて、彼は絶句する。それは列道が望んでいたものではないからだ。
「俺……すぐにでも鬼気さんの足手まといじゃなくなりたいんです! なにかないんですか?!」
「ない。先に言っておくが、タンクはエネルギー容量とスキルの効果の調整だけが価値だ。他に鍛えるべきことなどないし、できることもほぼない」
「A組やB組と同じことをしてたら、追いつけません! 辛くてもいいし、苦しくてもいいんです! 何かないんですか?!」
「ないな」
気持ちはわかるし、ある意味普通で、ある意味大事な考えだ。
C組で編入したからと、何もかもを諦められるよりは、よほど良い。
だが、無理な物は無理だし、無駄な物は無駄である。
「逆に聞くが、私達教師が、A組やB組の生徒への指導を手抜きしていると?」
「それは……」
理屈ではある。
短期間でより多くの成果が出せるトレーニングがあるならば、それをA組やB組に指導していないわけがない。
していないのだとしたら、それは確かに手抜きだった。
「焦る気持ちはわかる。それは君だけではないからな」
「俺は、普通ですか?」
「C組の中ではね」
珍しいとされるレアスキルよりもさらに希少な、一例しか見つかっていないユニークスキル。
それを持っているはずの列道は、普通だと断じられた。それが、とても悔しい。
「先に言っておくが、この内容のトレーニングを越える負担を体に課したとしよう。その場合、君の体は壊れる。いきなり再起不能になることはないが、大怪我に繋がることもあるだろう」
シャトルなら戦闘経験という要素がある。
強い敵と戦って、その相手から学ぶ物もあるだろう。
だが、タンクは基本的にエネルギー容量だけが価値である。それを培うには、地道なトレーニングを重ねるしかない。
「例えば君が毎日十キロ走るべきところを、ニ十キロ走ったとしよう。その場合、膝を壊すかもしれないし、体調に不調をきたすかもしれないし、授業に身が入らなくなるかもしれない」
「逆効果ですか」
「当たり前だ。効率のいいトレーニングとは、つまりはそういうものだ。そして、それはどこにいる誰でもやっていることだ」
体の成長に合わせて負荷を増やしていく。鍛錬とはそういうものである。
「体が壊れてもいいです!」
「君はこの学校を何だと思っている? この学校は卒業する生徒を優秀なシャトルやタンクとして送り出すためのものだ。学生の間だけ強くてどうする」
「でも……」
「そもそも、君は自分で何を言っているのかわかっているのか?」
「なにがですか」
「辛くてもいい、苦しくてもいい。そうは言うが、A組やB組の生徒は辛くもないし苦しい思いもしていないと?」
酷な言葉だが、事実である。
確かに彼らはC組の生徒よりも余裕を保っている。
しかしそれは、楽をしているのでも資質で上を行っているわけでもない。
単純に、長期間を費やして体を作っていただけである。
「このメニューを、マニュアルをこなすことは辛くもないし苦しくもないと? これ以上の辛さ、苦しさ? お前は何を言っている」
「……」
「お前は何様だ。彼らの努力を馬鹿にするんじゃない」
「馬鹿になんて……」
「君は小学生の頃何をしていた? 何かの運動系の教室に所属して、汗水を流していたか? その間、A組の生徒は既に訓練を始めていたぞ」
それは、否だった。普通の子供同様に、普通に遊んでいた。
「君は中学生の時何をしていた? 大会での優勝を目指して汗水を流していたか? その時にはB組も毎日辛い日々を送っていたぞ」
つい先日までの自分は、漫画を読んでゲームをしていた。ネットでも遊んでいた。
ある意味では、今もさほど変わらない。
「彼らは努力の総量がお前とは違う。彼らに近づきたかったら、彼らと同じように地道な努力を積み重ねろ」
※
自室に戻った列道は、失意のままマニュアルを見た。
それはある意味普通で、ある意味まともで、一人でもできることだった。
「足手まといか……」
考えてみれば当然だろう。別に驚愕の新事実に至ったわけではない。
これから三年間、自分は地道にトレーニングを重ねて、大学生になる頃には兵士として一人前になるのだ。
誰もウソを言っていないし、誘導もしていない。
自分がこの程度だというのは、ある意味当然なのだ。
今の今まで、自分は平凡に過ごしていた。
そんな自分にタンクとしての資質と、ユニークスキルが宿っていた。
そして、この学校に入学した。それだけだ、ただそれだけだ。
「別に沢山の女の子からモテモテになるとか、タンクの中で羨まれる存在になるなんて、誰も言ってないよな」
そんな願望を抱いていたが、誰かがそれを実際に自分に言ったわけではない。
自分が勝手にキモイ妄想をしただけなのだ。
「でも、モテたかったぜ……」