第一章「精霊使いと精霊達」 Page-8
――それから10秒ほど走ると村長の家に向かう際も通った広場に到着する。
だが、夕暮れに照らされた広場の持つ雰囲気は夢杏が訪れた当初の賑やかなものとは全く違った。
チラッと前方の10名ほどの人だかりがある所を見れば、5名の女性が地面の上に血まみれで寝かされているのがわかる。
――中には片腕がない者も居た。先に到着したミカーナはロビンと共に近くに居る村人の一人に、簡単な状況の説明を受けているようだった。
横たわっている女性に周囲の村人が必死に応急処置を施しているが、このままでは遅かれ早かれ全員命を失うのは火を見るより明らかだ。
さらにその奥では一軒の家屋が燃えているのが目に入る。
しかもただの炎では無く、何処か魔力的な力を感じる炎だ。
(あれは一体……いや、ここは先に怪我人の治療だ)
「傷つきし全ての者に癒――」
その様子を見た繊月は村人たちを癒やすべく、慌てて第五位の回復スキルである範囲中位治療を詠唱する。
「――神聖範囲治療!」
だが、それを終えるよりも早くミカーナが第四位の回復スキルを無詠唱で使用する。
それにより、大怪我を負っていた全ての女性の傷が一瞬で塞がり、腕を失っていた者に至ってはまるで何事も無かったかのように傷一つ無い腕が生えてきていた。
「腕が生えるなんて……あ、有り得ない!」
「い、痛みが消えたわっ!」
「奇跡だ……奇跡の御業だっ!」
「確か王都で一番腕の良い聖職者でも、深い傷を治すのが最高で、腕を生やす事なんて不可能だって聞いたぞ!?」
「神々の力に感謝を……」
それを見ていた村人から次々と驚愕の声があがる。
どうやらこの世界では失った腕をもう一度生やす程の治療スキルは非常に珍しいようだった。
「というか……無詠唱、か」
――あれ、やりすぎた?と内心で密かに考えつつ、誰にでもなく繊月が呟く。
――本来無詠唱でスキルを発動するには繊月がこの世界に来るまでに所持していた装備に付加された《詠唱時間短縮Ⅵ》を始めとした複数のオプションが必要なのだが、それを無視する手段が一つだけあった。
それが、ミカーナが発動した詠唱無視と呼ばれるスキルだ。
――これは本来を必要な詠唱時間を無視する代わりに、スキルのランクに応じて最低2倍のMPを消費するといったものだ。
それにより、ミカーナはダンジョンでの緊急時にほぼ全MPと引き換えに一度だけ無詠唱で高位の回復スキルを放つ、といった運用が出来たりもした。
ちなみに繊月がボアを撃破する際に使った短縮詠唱はそれの同系列のスキルで、詠唱無視と比べるとその効果は抑えめな代わりに、スキルにより増大するMP消費量も抑えめ、といった感じだ。
余談だが、現状の装備の繊月でも100というカンストレベルによる補正と、所持しているスキルの効果により第八位まではノーリスクで無詠唱で発動できる。これは幼体ボアとの戦闘の氷矢や浄化風等で確認済みだった。
この事から本来の最高装備を揃えた場合は、この世界でもEDENと同様に第四位までのスキルを無詠唱で発動できるはずだ。
(つまり、ミカーナは今の無詠唱魔法でMPの大半を消失したはず……だな)
(とはいえ、おかげで怪我人は大丈夫だし後は燃えている家を何とかすれば――)
そんな事を考えていると、まるでそれを悟ったかのようにミカーナがこちらに振り返り、歩み寄ってきた。
「繊月様」
「どうしたミカーナ」
「今すぐ私の召喚を解除し、水精王を召喚する事を進言します」
「――あぁ。なるほど、ウンディーネのスキルで消した方が精度が高いか」
――人間の危機を前に先程までのポンコツ天使っぷりが嘘のようにミカーナが的確な行動を続ける。
伊達に召喚可能な天使の中では最上位クラスの位階に居る訳ではないのだ。
恐らくこれこそが、ミカーナを勇気と奇跡を司る力天使たらしめてる証拠なのだろう。
「流石は繊月様。素晴らしい理解速度です。私はその間に枯渇してしまったMPを回復させ、何かあった時に備えますので」
「わかった。その時は頼む」
「はっ!」
直後、シルフの時と同様にミカーナの体が光の粒となり消滅していく。
それにより周囲の村人から狼狽えたような声がするが、気にしない。今は火を消すことが優先だった。
「召喚!水精王!」
そう言って詠唱を終えると同時に、繊月の前方に2m程の大きさの水の玉が出現する。
直後、その水の玉がはじけ飛び、中から水色のセミロングの髪を持った少女が現れ跪く。
見た目の年齢は今の繊月と同じく14歳ぐらいだろうか。身長も150センチより少し低いくらいと、繊月とほとんど大差がない。
服装は白藍色のドレスで、例に漏れず少女も非常に美しい容姿をしている。
だが、一つだけ少女には普通の人間と明確に違う点があった。
それは体の色が一般的な肌色とは程遠い、蒼い海のような色をしている事だった。
おまけに、夕焼けに反射しキラキラと輝いている様子がまるで水面を想像させる。
――そう、つまり彼女の体は水で出来ていた。
「……ステノ召喚の儀に応じて馳せ参じました。その、おに――」
「――悪い、ウンディーネ。話は後だ。今はそこの燃えている家を大至急で鎮火してくれないか?」
夜の海のように静かな声が、何かを言おうとしたが、事態は急を要するため、内心で謝罪しつつも繊月はステノへと要件を伝える。
「……畏まりました」
一瞬の沈黙の後にウンディーネが立ち上がると、燃え盛る家屋へ両手を差し向ける。
――その手には顔程の大きさはありそうな巨大な薄紫色の水晶が抱えるように握られていた。
「大水弾」
スキルの宣言と共に水晶が光り輝く、次いでその背後に複数の巨大な水弾が出現する。
これはウンディーネが行使する水属性魔法の一つであり、ランクは第八位。しかしこれをそのままぶつければ鎮火は出来るものの、家屋ごと潰れてしまう。
そのためウンディーネはそれを家へとぶつける直前に、魔法の制御を停止させ崩壊させる。
それにより形が崩れた巨大な水弾が大雨のように家屋へと降り注ぎ、燃え盛る炎を一瞬で鎮火させた。
そんな光景を見ていた村人からは
『凄い……』『炎が消えた!』『幼女ってすげぇ……』『センゲツ様は天使だけでなく精霊まで使役するのかッ!?』
といった声が次々とあがる。
「流石だな……」
その見事な手腕に素直な賞賛を送る。
繊月も水属性魔法を『第三位』までは使用できるが、こういった細かな制御は水の精霊であるウンディーネに敵うとは思えなかった。
ちなみに水精王ステノ・ウンディーネは、その名の通り水精族で最も強力な力を持った固体だ。
EDENではそのレベルは90とシルフと同格であり、手に持った水晶により第三位までの『水属性』魔法スキルと『能力強化系』のバフスキルを扱う事が出来る。
さらにその水で出来た体を活かした『HP再生Ⅴ』というスキルと『物理攻撃ダメージ軽減Ⅴ』というスキルを持つためソロダンジョンや、緊急時の壁役として非常に優秀な力を発揮する精霊だった。
「……これで一段落だな。ありがとう、ウンディーネ」
「いえ……ステノがお役に立てたなら幸いです。お……」
「お?」
「お、お……おに――何でもありません」
「そ、そうか」
一瞬だけウンディーネが頬を赤らめたような気がしたが、それは一瞬で霧散して召喚時と同じ無表情へと戻っていた。
多分クール――又は無口な感じの子なのだろう。
(しかし、一体何を言いかけたんだろう……?)
「――センゲツ様、この度は村を救って頂いただけではなく、妻を始め村人の命を救って頂き本当にありがとうございます」
そんな事を考えているといつの間にか繊月の背後に村長を始め、100人程の人間が全て一様に深く頭を下げていた。
降下する際に見えた家屋の数から察するに恐らくほぼ全ての村人がここにいるのだろう。
頭を下げている人間の中には子供やさっきまで地面に横たわっていた女性の姿も見える。
「ホント、そんな頭なんて下げないでくれて結構ですので……」
元の世界では圧倒的に上司や取引先の人間に頭を下げることの方が多かった繊月は、こうも短時間で何度も頭を下げられてしまうとかえって息苦しさや、何故か逆に申し訳ない気持ちが込み上げてしまうのだった。
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「――わざわざ俺のために宴を開いて頂き、本当にありがとうございました。料理は美味しかったし、とても楽しかったです」
あの後、宴――事故により予定よりは小規模な物になってしまったらしい――を満喫した繊月はウンディーネと共に再び村長の家へと戻っていた。
それはとある事を村長に聞くためだ。
「いえいえ。このくらいお安い御用です。それにボアの一件で何かと鬱憤の溜まっていたであろう村人の発散も兼ねておりましたし、お気になさらず」
少しだけ顔を赤くした村長がそう言って微笑んだ。
何故顔が赤いのかというと、つい先程までは村の男性達と共にお酒を飲んでいたためだ。どうやら村や妻の命が救われた事で肩の荷が下りたようだった。
ちなみに繊月も多少だが一緒に飲んでいる。
元の世界では成人済みだったし、この世界の食べ物や飲み物に興味があったためだ。
余談だがお酒の名前はドッフー。見た目も風味もビールに近かったが、少しだけフルーティーな後味があり何とも不思議な味だった。
酒だけでなく振る舞われた料理も、決して悪い味ではなく、好奇心のままにウンディーネと共に体の割には結構な量を食べたはずだ。
その際のウンディーネの表情に美味しさ故に微笑が混じっていたのを繊月は見逃さなかった。
それを指摘すると『か、からかわないでくださいっ。き、きらいですっ』と言ってぷいっと顔を背けられてしまった。
だが、その頬が若干赤くなっていた事や、何気にショックを受けているとその後すぐにローブの袖をギュッと震えた手で握りながら
『さっきは申し訳ありませんでした。き、きらいじゃないです』
と、俯きながら伝えて来たため、本心ではないのだろう。
「そういえば奥さんは?」
「片付けが終わり次第早めに休むように伝えました。やはり多少疲れが見えましたので」
「なるほど……」
(そりゃいくら傷が完全に回復してるって言っても、あんな事があったら精神的に疲れるよなぁ)
「それで、センゲツ様が仰っていた聞きたい事とは?」
「はい。実はあの燃えていた家屋にあった『魔石』という石の事や、この世界の歴史ついて知っている限りの情報を教えて欲しいのです」
――鎮火した後に家屋へと入った繊月が見たのは、小さな田舎の農村のような村には似つかわしくない立派な装飾の施された台座に嵌めこまれている小さな蒼い石だった。
恐らくそこが事故の中心点であるはずなのに、そこには一切の傷や熱による損傷が無かった。
そして何より魔石という単語はここに来る際に女神が言っていた
『――貴方を元の世界へ返し、男性の姿に戻すためには『魔王』が体内に持つ特殊な『魔石』という物体を媒介にしなければいけません』
という台詞の中に存在していた事から、恐らく繊月がこれからこの世界で目的を達成するために深く関係している可能性が高かったのだ。
「わかりました。私の知っている限りの知識で良ければ全て話ましょう」
「ありがとうございますっ」