第一章「精霊使いと精霊達」 Page-3
(――どうして、EDENのモンスターであるクリスタルボアがここに?)
本来であればこの世界に居るはずのない存在であるEDENのモンスターが前方に居る事に強い疑問を抱く。
だが、そんな事を考えている間にもジリジリとクリスタルボアが距離を詰めてくる。
しかし、繊月はその光景に一つの違和感を感じていた。
(一体、だけ……?)
(この世界のクリスタルボアがどうなのかは不明だが、確かEDENの世界では――)
「グォオォォォォォ!!」
そこまで考えた所でクリスタルボアがけたたましい雄叫びを上げると、シルフへと凄まじい速度で突撃を開始する。
それによりつい数瞬前までは数十メートルはあった互いの距離が一瞬で縮まる。
狙いは言うまでもなく二人だ。何もしなければ恐らく数秒後にはその驚異的な大きさの牙で二人は惨殺されるだろう。
――だが
「遅い。暴風刃」
「グゲェァッ!?」
それよりも早くシルフがクリスタルボアへ剣を翳すと、無数の風の刃がその全身を貫き、鮮血や臓物を撒き散らしながら一瞬で絶命させる。
――それはシルフが使用可能な第五位の風魔法スキルによる効果だった。
「……剣技を披露するまでもありませんね」
そう言ってクリスタルボアの死体へと、まるで生ごみでも見るような冷酷な視線を向ける。
――両者には決して超えることの出来ない圧倒的な差があった。
シルフは剣による『戦闘スキル』と、風属性の魔法による『魔法スキル』双方を使いこなす事が出来る多才な精霊だ。
だが、どちらかと言うと近接戦闘を得意としている。
実際近接戦闘スキルは『第三位』、魔法スキルは『第四位』まで行使可能というのがシルフのステータスだ。
故に近接戦闘による剣技こそがシルフの最も得意とする戦い方なのだが、魔法だけで方を付ける辺り、今の敵はシルフにとってその価値すらない程の存在だったのであろう。
――しかし、シルフは一つだけ失念している事があった。
それはクリスタルボアは決して単身では行動をしない事だ。必ず番となる個体と、数体の幼体を連れているのだ。
「っ……!」
直後、背後から接近する複数の気配を感じ取ったシルフが慌てて振り返ると、番であろうクリスタルボアが一体と幼体のボアが六体の、計七体にも上る個体のモンスターが二人の所へ向かって突っ込んできていた。
さらにその目には大事な存在を殺された事による憎悪と怒りと思われる感情がありありと見られる。
「くっ……私とした事が!」
慌ててシルフが剣を構えるが、繊月は手を伸ばしそれを無言で制する。
「あ、主様っ……!?」
(炎や雷の属性は森を焼く可能性があるし……ここは氷属性の魔法で行くか)
「――敵を穿て。氷爆破」
「グボォッ!?」
狼狽えた声を上げるシルフを無視し、短縮詠唱と共に先頭を走るクリスタルボアへと短杖を向けると、突如として足元から辺りを凍てつかせるような爆発と共に無数の氷柱が突き出し、その全身を貫く。
それにより抵抗する間すら無く、短い悲鳴と共にクリスタルボアは絶命した。
そしてソレが生きていた証を示すかのように死体から流れ出る赤黒い血が綺麗に透き通った氷柱を染めていく。
(シルフの攻撃から予測は出来たけど、やっぱり第五位魔法なら一撃、か。とりあえずの実験はこれで達成)
(なら、これはどうだろう?)
「氷矢」
続いてそう宣言すると背後の空間が歪み、そこから無数の氷の矢が連射される。
それは尚も突っ込んでくるボアの幼体に目にも留まらぬ早さで向かっていき、瞬く間にその体躯を貫いていく。
それが五秒ほど続いた後、この場に立っているのは繊月とシルフだけだった。
辺りを静寂が包み込む。まるで先程の喧騒が嘘のようだが、周囲に漂う血の匂いと、無残に転がる死体だけがここで戦い――いや、蹂躙があった事を物語っていた。
「……ふぅ。終わった、か」
とりあえず異世界での最初の戦闘を無事に乗り越えた事に安堵する。
血やら臓物やらを見たせいで少しだけ気分が悪いが、これからの事を考えたらそんな弱音は吐けなかった。
(――さっき使った氷矢は氷属性の魔法スキルでは最下位にあたる第十位魔法だ。あれが通じるという事はやはり――)
「申し訳ありません、主様」
「え?」
そんな分析をしていると何故か突然目の前で跪き謝罪をされてしまい、思わず困惑する。
「私はあの敵を下等生物と侮り、主様の手を煩わせてしまいましたっ……。どうか罰を、罰をお与え下さい……!」
「全然気にしてないから大丈夫だ! だからとりあえず頭をあげてくれ!」
「な、なんと寛大な……流石は私の主様……」
また自害でもされかけたらたまったものではないので、慌ててシルフを静止する。
とりあえずわかったのは、この世界にはEDENの世界と同じモンスターが居る。そして第十位魔法で撃破出来るって事は恐らく、その強さもEDENの世界とほぼ同じはずという事だ)
――確か幼体ボアのレベルは12、クリスタルボアのレベルは20だったな、と繊月は記憶の糸を探る。
(そしてEDENの世界だとクリスタルボアは序盤の平原フィールドの一箇所に固まって湧いていた。そしてあんな風に前後から挟み撃ちなんてする知能も無かった)
(つまり、確証はないけどこの世界ではそれらのモンスターがシルフと同様に独自の知能や自我を持ち、全く未知の生態系を築いて生きている可能性があるって事だな……)
(ただ、もしこの森に居るであろう他のモンスターがボアより強い場合。そして或いはボアがこの森で最弱のモンスターだった場合は厄介だ……)
――もしレイドダンジョンに居たようなレベル95のモンスターが当たり前に現れるような森だった場合は非常に危険だろう。
まだ繊月はこの世界の事を何も知らない以上、その可能性も十二分にあると考えた。
「――なら、今やるべきは情報収集、だな」
「シルフ、ちょっといいか?」
「はいっ! なんなりと!」
「シルフは今から一度上空へ飛翔し周囲の地形及び環境を確認してくれ。そしてもし何処かに人里と思わしきものが見えたら教えてくれ」
「わかりました。主様っ!」
そう言うとシルフはすぐに透明な羽ばたかせて上空へと飛翔する。
それから一分後、シルフがゆっくりと下降してくると繊月の目の前へ、静かに音も無く着地する。
ちなみに降下の際にスカートが風でめくれ、チラチラと中身が見えていた。――白だった。
「シルフ、どうだった?」
「はい。周囲には森がひたすら広がってました。そして周辺に巨大土機兵や究極竜を始めとした強力な大型個体の姿は見受けられませんでした」
「そうか。大型種のモンスターが居た場合種類によってはここから逃げる必要があったし良い事だ」
「はい。そしてここから北東に向かって三十キロ程進んだ所に小さな村が見えました」
「それは本当かっ!?」
「勿論です。念のため『千里眼』のスキルを使用した所、畑仕事等をしている人々の姿も確認出来ました」
「流石シルフだっ! えらいぞ!」
最も望んでいた結果に思わず繊月の頬が緩む。
村人と交流できればこの世界の情報を少なからず入手できるはずだからだ。
「なら、早速向かうとしようか!」
「は、はい。……あの主様?」
「ん?」
恐る恐るといった具合にシルフが繊月へと話しかける。その表情も心なしか不安そうだ。
「その……恐れながら、一つお願いがありまして……」
「そんな畏まらなくていいから何でも言ってくれ。 俺に出来る事なら何でもするさ」
「何でもっ!?――コホン。ではその……頭を撫でて貰ってもよろしいでしょうか……?」
「い、いいぞ。それくらいならお安いご用だ」
一瞬シルフの目が血走った気がしたが、気のせいだと思いたい。
――なでなで
「はふぅ~……」
繊月が優しく頭を撫でると、シルフは気持ちよさそうに目を細めた。
よく見るとその長い耳もピクピクと小刻みに動いており、まるで喜びに打ち震えているようだった。
――余談だが繊月の方がシルフより10センチ程身長が低いため、背伸びをして奮戦しながら撫でている。
「ありがとうございました。満足です」
2分ほど頭を撫でているとシルフが満面の笑みでそう言った。
「いえいえ」
(シルフの髪がすげぇさらさらだったおかげでこっちも何か気持ちよかったしな)
「なぁ、シルフ」
「はい、主様」
「そういえば何で俺にそんな忠誠心を示してくれるんだ?」
繊月は動き出す前に地味に気になっていた事を問いかける。
一部、忠誠心では言い表せないようなシルフの暴走とも取れるやり取りもあったが……。
「ふふっ、それは主様が2年前……あの悪魔共が棲まう地獄から私を救い出してくれたからです」
「あー……」
そういえばそんな事もあったな、と昔を思い出す。
通常の精霊召喚スキルと違い高位の精霊を呼び出すためにはそれぞれに用意された専用のソロクエストをクリアしなくてはならない。
そしてシルフは確か悪魔達が住む城の地下室に力を利用するために監禁されている、という設定だったはずだ。
「もし、あの時主様に救い出されなければ私は狂い死ぬか、闇風精となっていたでしょう。故にその恩に報いるためにこの命は主様を守るため、そして主様の側に常に在ります」
シルフが微笑みを浮かべながらそう言った。その表情に一切の影は見えず、恐らく心から想っている事を口にしているのだろう。
だが、繊月からすればそれはクエストの設定であり、シルフの召喚スキルが欲しかったためクリアしたに過ぎない。
「なるほど、な」
(その辺の認識がやっぱり俺とシルフじゃ微妙に違うんだろうな……)
「――ちなみにここが、つい昨日まで居た世界と違うっていうのは気づいているか?」
ついでにもう一つ気になっていた事を問いかける。
「……はい。薄々とですが。まぁたとえどのような世界でも私は……いえ、契約している全ての精霊達は主様へと忠誠を誓っているのは間違いないと思います」
「そう、か」
「主様はこの世界の事を何かご存知なのですか? モンスターや雰囲気はどこと無く似てはいますが……風と空気があの世界とは間違いなく別物ですので」
「いや、俺も何をわからない。だからこれから情報を集めるために村に向かうって事だな」
「なるほど、流石は主様。では、村に向かう前にクリスタルボアの牙を回収してみては如何でしょうか?」
「ん、クリスタルボアの牙を……?」
「はい。クリスタルボアの牙は巨大な水晶なので、恐らくこの世界でも換金アイテムや素材アイテムとしての価値がありますので」
「あぁ! そういえばそうだった!」
シルフの言葉で一時期は仲間と共にクリスタルボアを乱獲して、その毛皮や牙を集めていた事を思い出す。
「ありがとうシルフ。また一つ助けられたなっ」
「ふふっ、お役に立てたなら幸いです」
「それじゃあこいつの牙を剥ぎ取ったら例の村に向かうとするか」
「はいっ、主様っ!」
その後二人でクリスタルボアの牙を回収した。
――だが、それが思わぬ事態を生む事をまだ繊月は知る由も無かった。