第ニ章「王国の影と英雄」 Page-8
――ぼふんっ
「はぁああぁぁぁ……なんか疲れた……」
汚れと一緒に旅の疲れをとる目的で風呂に入ったはずなのに、繊月は肉体的にも精神的にも疲れきっていた。
その疲労の原因は言うまでもなく大浴場で遭遇したくもないのに遭遇してしまったイベントだろう。
今はそんな疲れを誤魔化すように髪を威力を調整した火属性魔法で乾かすと同時にベッドに倒れこんでいる所だ。
(デバフ魔法で直近の記憶消去はしたけど、大浴場で大欲情な男達に襲われかけるとか完全に悪夢だ……)
一応その後に女湯で体を清めたのだが見た目と体は幼女な状態ため、繊月へ無防備に体をさらけ出している女性への罪悪感やら何やらで落ち着いて風呂に浸かる事も出来なかったというのもある。
「まぁ、その内その辺には慣れるだろう……。慣れたくないけど……」
――とりあえず問題を先送りにして、繊月は王都の街を見て回ることにした。
いっそさっきの悪夢を洗い流し、女湯に慣れるためにもう一度大浴場に戻っても良いのだが、その場合宿の店との会話を終えたリリアンヌが来る可能性が非常に高かったためやめた。
(何だかんだ知らない土地の店とか街を見るのは嫌いじゃないし、な)
働き出す前は時折旅行に行っては、その土地の名所や店を巡ったりしていたものだ。故に王都に到着したら辺りを見て回るというのは、移動中にも密かに楽しみにしていた。
「よしっ、そうと決まれば気を取り直して王都を見て回るかっ!」
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――ワイワイガヤガヤ
それから繊月は十数分程歩き、百をゆうに超えそうな露天や店舗が軒を連ねる市場へと到着する。
(相変わらずすごい数の人だな……)
道を行き来する無数の人々に圧倒され、そんな感想を抱いた。
王都に到着したのはまだ朝だったが、何やかんやしている間に結構な時間が過ぎているはずなのだが、この辺りに限っては人の数は減るどころか、むしろ増えているような気さえする。
――ついでに繊月を見つめる男達の熱い視線の数も増えている気がする。
「へいへいっ、そこの美しいモケノーのお嬢さんっ! 良かったらこのダレス雑貨店の商品を見ていかないかいっ?」
「ん、俺ですか?」
モケノーなんてこの辺じゃ俺くらいしか居ないだろうしな、と考えつつ声のした方へと振り返る。
するとそこにはそれなりに規模の大きな露天と、威勢の良さそうな豊かな髭を持った中年の男性が居た。
「そうそうっ! 格好的にお嬢さんはこの国の兵士じゃなくて冒険者だろ? うちの商品は王都でも一番良品揃いだし見ていって損はないぜっ!」
「……じゃあせっかくなので見ていきます」
本当はお嬢さんじゃなくて男だ、と否定したいが面倒な事になる予感しかしないので、グッと堪えて露天を覗いてみる。
すると無造作に地面に様々な商品が置かれていた。
(下位治癒薬や、攻撃力+3程度の低性能のアクセサリー。それに低レベルのバフが込められた護符やスキル書、って所か)
物品鑑識を使用し、視界に浮かぶ効果や性能を一通り眺める。
半分程はEDENの世界に存在するアイテムと同じだったが、もう半分はポーション以下の効果のHP持続回復の効能を持った薬草や、見た限り何の効果もない木彫の人形や、何かの牙や皮。それに変な緑の液体などなど、見たことない商品だった。
(……うん、全部最低ランクの十等級かそれ以下の判別不能なやつだし、いくらなんでもここがこの王都で一番の良品揃いってのは嘘だろうな。だけどちょっと興味はそそられるし――)
「そこの薬草を一束貰えますか?」
とりあえずEDENには存在しない薬草という回復アイテムを買う事にする。
「流石お嬢さん。目の付け所がいいねぇ。王都周辺でしかとれないんだぜ、その薬草。ちなみに値段は銅貨8枚だ」
(たけぇ、食事込みのあの宿の料金が一泊大銅貨ニ枚だぞ……)
――この世界の通貨には上から順に金貨、銀貨、大銅貨、銅貨という物が存在する。
その模様や形は見た限りEDENの世界で使われていた物と同じだ。
価値は、銅貨10枚が大銅貨1枚とイコールであり、続いて大銅貨10枚が銀貨1枚とイコール。そして銀貨10枚が金貨1枚とイコール、といった具合だ。
村長に聞いた話では普通の人間が一ヶ月に働いて得る給料は銀貨一枚から三枚程度。そして一日の食費は3食でおおよそ銅貨6枚程度との事だった。
そう考えると、いくらHPが回復するとはいえ、この薬草の値段は一日の食費以上の値段となる。
「店主さん、この薬草が銅貨8枚は少し高くありませんか?精々この半額くらいだと思うんですが」
一応村長から貰ったお金がまだ金貨が2枚に銀貨が12枚、それに大銅貨と銅貨が50枚程あるため、このくらいのお金を消費しても大して痛手ではない。
だが、冒険者に見えるという事なら王都での物価の基準を知らないとみなされ、吹っかけられている可能性もあったので、繊月は実験も兼ねて交渉をしてみる。
「あちゃ~そう来るか~。しょうがねぇ、半額は流石に出来ねぇが、お嬢ちゃんの美しさに免じて銅貨6枚でどうだい?」
(やっぱりか)
「ありがとうございますっ」
そう言って軽く微笑むと、店主が照れくさそうに頬を赤らめるが、残念ながらそっちの気は無いのでそっと見ないふりをする。
「――ちなみにお聞きしたいのですが、この薬草はどうやって使うんですか?」
この流れでこんな初歩的っぽい事を聞いたら変な奴と思われそうな気はしたが、幸い悪い人ではなさそうなのでモノは試しで聞いてみる。
「なんだお嬢ちゃん。冒険者なのにそんな事も知らんのか?」
「はい。実は駆け出しの冒険者なものでして……」
「まじかよ。このダレスの目も落ちたもんだぜ……。モケノーが王都に居るなんて珍しいから、てっきり連合王国から遥々ここまで来たベテランの冒険者だと思ったんだけどよぉ」
「……試すような事をして申し訳ありません」
「なーに、こっちも似たような事をしちまったし気にするなよ。しっかり身のこなしとか、纏う気配って言えばいいのか? それが一流の冒険者っぽかったんだけどな……」
「そう言って貰えると新米としては嬉しいですね」
「えっと、それでこの薬草の使い道だが、高性能だが基本的に高価なポーションを使うまでもないような傷を負った時に、すり潰して傷口に塗ったり、沸騰したお湯に入れて効果を抽出した液体を飲んだりするのが主な使用法だな」
「なるほど」
「あとはあんまり教えたくないんだが、他の素材なんかと調合して自分でポーションを作る事も出来るぜ。ちなみに俺はレシピを知ってるが教えるつもりはない」
「あー……植物って事は確か魔獣の血や、大地の精気とか魔力とかを込めて作るタイプのポーションでしたっけ?」
「……よく知ってるな。お嬢ちゃん雰囲気的に魔術師かと思ったが、精気の事を知ってるって事はもしかして精霊師か?」
「……正解です」
(本当はその最上位職のエレメンタルマスターだけど)
――自身が習得している数千種類習得レシピの中にそれっぽいのがあったような気がしたので、試しに言ってみたが正解だったようだ。
(EDENなら、調合スキルを発動すればレシピリストが自動的に視界に浮かんで便利なんだけどなー。はっきりと覚えてるのはよく作る最上位の制作ポーションや、強化護符なんかの数十種類のレシピだけだ……)
――EDENで繊月はエレメンタルマスターという職と、モケノーという大自然の守護者たる種族を選んでいるため、自然の素材や精気を集めるスキルが初期から揃っていたため、戦闘スキルとは枠が別扱いな生産スキルや調合スキル、それに料理スキルのような非戦闘スキルを非常に高ランクまで取得していた。
仲間のほとんどが脳筋だったという事もあり、この手のスキルを習得している者があまり居なかったため非常に重宝され、それが何だかんだ結構な稼ぎにもなったりしていた。
(待てよ。そういえばこの世界に来てから調合スキルを一度も使った事がないな。……試してみるか)
瞳を閉じて意識を集中させながら右掌を胸の前へと構え、魔力を集中させる。
すると、掌の中に蒼白く光り輝く魔力の玉が出現する。それと同時に繊月の視界にEDENと同様のレシピリストが浮かび上がる。
(ビンゴっ! これならいけるかもしれないっ!)
内心で歓喜しつつ繊月はその魔力の玉の中へと薬草を放り込むと、空いた左手に周囲の大気から精気を収集する。
――夢中になっている繊月は気づかないが、それを見た店主や、周囲の人々がぎょっとした顔を浮かべたり、静かに歓声をあげている。
(精気の収集完了……等級は、三か)
左手にはいつの間にか紫色の結晶が存在していた。これこそが繊月が大気から収集した精気だ。
本来繊月のスキルレベルであれば最高ランクである一等級の精気を大気から収集する事も可能なのだが、流石に自然がほとんどない王都では厳しかったようで、三等級が限界だった。
(それじゃあ精気を入れて……MPを集中……!)
早速収集した精気を魔力の玉へと放り込み、自身のMPをそこへ集中する。
大体の人間が『地味だから嫌だ』と言ってあまりやりたがらない生産という作業が何だかんだ繊月は好きだったりする。
「な、何が起きてやがるっ!」「光が蒼から赤にッ!?」「綺麗だ……」
「……ふぅ、出来た」
周囲の喧騒を他所に、やがて赤に変化した光が収束すると、繊月の掌には紫色の丸い宝石があった。
(物品鑑識発動。……等級は七。効果は所持時にHP持続回復(小)にHPの最大値+30、か)
――やはり、精気の質が良くても触媒となる薬草が最低ランクの物では完成品はイマイチになってしまうようだ。
「嬢ちゃん……何者だ……?」
「えっ?」
店主の声でふと我に返ると、いつの間にか周囲には人だかりが出来ていた。
皆口々に『すげぇ』だの『ありえない!』だの『魔力炉や魔力台も無しに調合を!?』なんて声が聞こえてくる。
(や、やべぇ、つい夢中になっている間になんか大事に……)
どうやら思いっきり目立ってしまったらしく、額に冷や汗が滲んでくるのがわかる。
「……俺もそうだが、普通こういった作業をするには魔力炉や魔力台という専用の道具がいるんだ。それが無しで出来るやつってのは優秀な炭鉱族や、専用の魔法を覚えた超一流の職人だけだ……。――お嬢ちゃん……名前は?」
店主が目を好奇心でギラギラと輝かせながら繊月を見てくる。
リリアンヌの言葉が正しければ王都で目立つのはまずい。名前をばらすのなんてもってのほかだ。
「あ、あはは…………その、大した物じゃないのですがこれあげるんで勘弁してくださいっ!」
そう言うと店主の手に無理やり制作した宝石を押し付け、同時に詠唱無視で速度大上昇を発動し、群衆をかき分けて裏路地へと素早く走り去る。
「逃げたぞっ!」
「さぞや高名な魔法使いとお見受けする!」
「せめて名前を!」
「サインをっ!」
「尻尾もふらせろっ!」
当然それを周囲の人々が叫びながら追いかけるが――
「い、いない……」
「確かにここを曲がったはずなのに……」
「一体何が起きているんだ?」
路地裏には既に繊月の姿は無かった。
それを見た人々はしばしの間その場で立ち尽くすが、やがて名残惜しそうに少しづつ立ち去っていく。
(あ、あぶねぇ……不可視化で何とか凌げたけどやばかった……)
考え事や、何かに集中してしまうと周りが見えなくなるのは悪い癖だとわかっているのだが、中々どうして悪い癖とは直らないものだ。
(とりあえず不可視化を使用したままここを抜けて、どっかの店に防具を買いにいこう……)
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「何だったんだ……あのお嬢ちゃん……」
周囲に居た人々が全て繊月を追っていった事で、ダレス雑貨店の周囲は先程の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
(魔力台もなしに薬草からこんな見たこともない種類の宝石を作るし、せめて名前くらいは聞きたかったんだけどな)
「っとそうだ。効果を調べてみるか。物品鑑識使用」
仕事柄見たことないアイテムにはやはり興味が引かれるので、ダレスはスキルを使用し繊月が残した宝石を鑑定してみる事にする。
「どれどれまずはランクは………………な、七等級だとぉぉぉぉ!?」
その結果ダレスの目に浮かんだのは国宝級のアイテムである事を指し示す七等級という文字だ。
その事実に叫び声をあげたダレスに新たに訪れたり通りかかった人々がギョッとした顔をする。
「おまけに追加効果はこのポーションと同じ回復効果を常に授け、体力の最大値を大幅に上昇させるだぁぁぁああぁぁ!?」
「なんじゃこりゃぁぁああああぁぁぁぁ!!」
――その日、その宝石がオークションにかけられ、高名な冒険者の手により金貨100枚の値がついたのは別の話である。
――ガチャッ
「た……ただいま」
出かける前よりさらに疲れきった表情をした繊月を出迎えたのはリリアンヌとシルフだった。
恐らくつい先程まで風呂に入っていたのだろう。その髪は濡れ、若干赤くなった頬が妙に色っぽい。
「……おかえりなさい、センゲツ。いえ、白銀の魔術師さん?」
「え……?」
「なんでも市場で物凄く美しくて可愛らしい銀髪で狐のモケノー、通称白銀の魔術師さんがもの凄く目立つ事をしたって街中で噂になっているわよ?」
「主様、私も街で聞きました。銀髪の凄腕のモケノーの魔術師が、国宝級のアイテムをポンっと作って、とある店主にあげたとか……」
「ひ、人違いじゃないか?ほ、ほら、その人は水色のローブだったらしいけど、俺のローブは違うし」
そう言うと繊月はその場で新品のピンクのローブを見せつけるように一回転する。
そのランクは元の装備とは比べ物にならない八等級だが、そこそこ良い生地を使い、汚れに対する耐性持っているというこれを繊月はかなり気に入っていた。
「私はその魔術師が水色のローブだなんて一言も言っていないわよ?」
「…………」
「それはそれとして、とても似合ってるわねそのピンクのローブ。……そうそう、貴方がローブを買った防具屋の主人は私の知り合いで――」
「すいませんでしたッ!」
――繊月が見事な土下座をした後、リリアンヌからのちょっとした説教を受けつつ、仕入れてきた情報や、明日の王城での打ち合わせをした。
その後3人は周囲の宿泊客の尊敬や好奇の眼差しを受けながら食事を終え、眠りについたのだった。