第ニ章「王国の影と英雄」 Page-2
「――主様」
それから2時間ほどだろうか。
平野を走り続けていると、不意に背後から追随するシルフに呼ばれる。
「どうした?」
「……風にのって恐ろしい程の血と死の匂いが漂ってきています。如何致しますか?」
そう言われた繊月は鼻をクンクンとさせるが、全くもってそんな匂いは感じ取れない。
恐らくシルフが風を支配する風精の王だからこそわかるのだろう。
「すぐにそこへ向かおう。厄介事に巻き込まれる可能性はあるかもしれないけど、新しい情報を得られるかもしれないしな。その場所まで先導を頼めるか?」
「はっ。お任せ下さい」
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「っ……これは……」
シルフの言っていた地点に到着した繊月の前に広がっていたのはこの世の地獄のような光景だった。
草原を赤く濡らす血と臓物と死体と血と臓物と死体と血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血――
まるでこの辺り一体の植物が初めから緑ではなく、全て赤い色だったかのように一面が真っ赤に染まっている。
「戦いが……あったようですね」
ざっと見てわかるのは数十人の人間とその倍以上の魔物――恐らくオークと思われる存在がここで戦っていた事だ。
しかし、どちらも死体は徹底的に蹂躙されており互いに深く憎しみ合いながら戦っていた事が予想できる。
そんな中で繊月が死体の種類を判別出来るのは、所々に肌色の手や、砕けた頭部のように人の一部と思われる部位や、EDENで何度も討伐した事のあるオークと似たような鎧や部位が見受けられたからだ。
「うぷっ……」
その事を脳がはっきりと認識した瞬間、繊月はその場で吐いた。
――浄化風を使う暇すらなくその場で盛大に吐いた。
これは、こういった光景を見る機会がなかった繊月には、あまりにも凄惨な景色だったのだ。
「主様……」
それを見たシルフはその場にしゃがむと、嫌な表情を一つせずに繊月が落ち着くまで背中を撫で続けた。
「――ありがとう、シルフ、もう大丈夫だ……」
「……少し休憩なさいますか?」
「いや……まずは生存者が居ないか探す。情報が聞けるかもしれない……」
そう言うと繊月は震える足に鞭を打って立ち上がり、短杖を死体の海が広がる地点へと向ける。
「……生命探査」
――これは主に対人戦で、奇襲をかけるべく隠密行動を取っている敵を事前に発見するために使用するスキルだ。
もし探査した範囲内に生命反応があればそこに印が浮かぶ仕組みになっている。
この状況で生きている者は恐らく居ない。だが、それでも使用しない手は無かった
「やはり反応なし、か……」
「っ……主様、あちらに見える森の方で僅かですが血の匂いがします」
「っ……急いで向かうぞ!」
「はっ!」
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「がはッ!?」
闇に沈みかけていた意識が突如として襲い掛かってきた痛みで強引に引き上げられる。
見れば左肩に、所々が錆びた鉄剣が深々と突き刺さっていた。
――これでもう左腕は使い物にならないだろう。
「くそっ……さっさと殺しなさい糞豚。それが狙いなのでしょう?」
「グヘヘ、そうカンタンニラクニラクになんかサセネェヨ」
「コイツはタクサンのナカマヲコロシテクレタシ、ナ」
あの後、血反吐を吐きながらも少女は戦い続けていた。
倒しても倒しても次々と現れるオークをひたすら斬り、突き刺しねじ伏せてきた。
だが、その後現れたオークメイジやオークナイトのような上位種の前に次第に劣勢になり、ついには魔法の直撃を貰い倒れてしまったのだった。
――いっそ舌を噛み切り自殺でもしてやろうか、という考えが頭を過るがそれはここまで死んでいた者達への裏切りも同然の行為だ。
(何とか機会を伺って反撃を……)
そんな機会は訪れないと頭の中で半ばわかっていても、少女は希望を捨てずに居た。
たとえ後ろに60を超える敵が居ようとも。
たとえ両腕と両足を縛られたまま、丸太に括りつけられて何処かに運ばれていても、何処かで反撃のチャンスが訪れるはずだ、と。
――しかし、その希望は即座に砕かれた。
「お……オークコマンダーっ……!?」
森の中の広場へと運ばれた運ばれた少女が見た物は、北方の最前線で一人で百の兵士を蹂躙したとされるオークの最上位種の一体、オークコマンダーだった。それが3体。
そしてその周囲には少く見ても50は居ると思われるオークナイトの姿があった。
恐らく最上位種であるオークコマンダーが相手でも一体程度なら少女は互角に戦えただろう。
それくらいの腕をこの少女は持っている。だが、この数が相手ではどう考えても勝ち目はない。
ひしひしと這いよる絶望感に少女の心が支配されかけていると、不意に聞こえてきた薪の音が耳に入る。
その方向へと目をやると中央には巨大な焚火があり、複数の何かが自分と同じように木に括りつけられた状態で焼かれている。
「っ……私の仲間を……よくもッ!」
しかし、その近くに見覚えのある銀色の鎧が転がっていた事で”それ”の正体がわかってしまった。
「許さない……絶対に許さないッ!」
それにより少女の絶望は吹き飛び、心の内に再び闘志の炎が燃え上がっていくのがわかった。
「くっくっく、お前の仲間の内何人かの女は先にこちらに連れてきたのだよ。女の死体はコイツらの性欲と食欲の発散にもってこいだからな」
オークコマンダーが知恵を感じさせる口調でそう言って邪悪に微笑んだ。
「殺すッ!殺してやるッ!」
「いい目だ……これから我らを存分に楽しませてくれそうな、ね」
(せめて殺される前に、連中の内の一人でもいい……喉笛を食いちぎって殺してやるッ!)
――少女がそう考えた瞬間、広場を目を覆わんばかりの一筋の光の筋が通り過ぎた。
「っ!?」
「ナンノヒカリィ!?」
少女だけでなく、オークまでもが呆気にとられる光が消える。
するとそこには半身から上が消滅した上位種のオーク達の姿があった。
「ナッ!?」
『シルフ、今だッ!』
側面からそんな声が聞こえてきたと思うと、自分を運んでいたオークの首が、ゴトリっと音を立てて大地を転がる。
次いで、二匹のオークの鮮血と、それを見た奴らの無数の悲鳴が周囲に響き渡る。
「ふん、下等生物め」
「えっ?」
突如としてすぐ近くから聞こえてきた声に驚いた少女は目を見開く。
何故ならいつの間にか目の前に一人の緑髪の少女が居たからだ。
見た目からして年齢は自分と同じくらいだろう。だが、その体から感じる力には上手く言えないが、圧倒的な壁を感じる。
「安心しなさい。主様の命令に従い、今から私が奴らを狩るわ」
そう言うと緑髪の少女は音も無く剣を振るうと、縛っていた縄を両断して少女を自由の身にする。
(け、剣筋がまるで見えなかったっ……!?)
「これを受け取りなさい、人間」
「っ……!」
そう言って緑髪の少女が投げたのは花の装飾が施された鞘に収められた細剣だ。
慌ててそれを受け取り、器用に片手で抜き放った瞬間、少女の体を電撃のような衝撃が突き抜ける。
(こ、この剣……凄いっ!底知れぬ魔力と巨大な力を感じる――うん。間違いない、この剣は伝説級の逸品だ!こんな剣を持っているこの人の正体は一体……?)
「それは私の魔法で即席で作った剣だから、質はあまり良くないけど……まぁ、護身くらいには使えるはずよ。とりあえず下等生物が抜けてきたらそれで身を守りなさい」
「うぇえっ!?」
(こ、この剣の質が良くないっ!?)
少女はまるで意味がわからなかった。
先ほどの戦いで折れてしまったとはいえ、仮にも国で五本指に入る名剣を使っていたからこそわかる。
この剣はそれを遥かに上回る業物だと。だが、それが質が良くないと言われたらさっきまで自分が使っていた名剣は何だと言うのか。
そんなやり取りをしていると、混乱していたオーク達が立ち直り、二人の少女を囲むように包囲網を構築していた。
相変わらず状況は最悪だ。
だが、何故かこの緑髪の少女と共に居ると先程のような絶望感はこみ上げてこない。
「貴方、名前は?」
「え、あ……リリアンヌ、リリアンヌ・フォン・エルピディアと申しますわ」
「エルピディア……何処かで聞いたような……まぁいいわ。私の名前はアネモスト・シルフ。シルフで結構よ。 リリアンヌ、貴方はこれから三十秒生き残りなさい」
「さ、三十秒?」
「えぇ。それだけあればこの程度の下等生物は確実に殲滅出来るわ」
「こ、この数の敵を、ですの?」
「勿論よ」
「ナメヤガッテ!」
「コッチのオンナからコロシテヤル!」
さも当然と言わんばかりの雰囲気でそう応えるシルフに周囲のオークが怒り狂う。
恐らく彼らの脳裏には既に先ほど謎の死を遂げた仲間の事は残っていないのだろう。
「風よ、盟約に基づき我が剣に宿りて敵を切り裂け」
「風……?」
その直後、リリアンヌはこの付近に漂う死臭と血生臭さがまるで錯覚であるかのように、とても清潔な風を感じ取った。
――そして次の瞬間、シルフの姿がワープ――したようにしかリリアンヌには見えなかった――し、前方のオークの集団のど真ん中に出現する。
それと同時に8体のオークの首が一斉に地面へと転がり落ち、周囲一帯に血の雨が降り注ぐ。
「なっ!?」
(また剣筋が見えなかったっ!)
「第五位の剣技『疾風斬』……下等生物にはこれでも豪華すぎたかしら?」
シルフが妖しく笑う。何故か一切返り血を浴びていない美しい姿のままで。
「だ、だだ第五位の剣技ですってっ!?」
これは自惚れでも何でもなく、自分は王国で最高峰の剣士の一人だとリリアンヌは自負している。
何故なら四歳の頃からずっと剣を振るい続けた結果、第七位という国――いや大陸でもほとんど使える者の居ない剣技を会得するに至ったのだから。
それ以上の技は三英雄のようなお伽話の存在や、噂でしか聞いた事のないの伝説の人物が使えるようなレベルだ。
「ヒィ!?」
「う、ウロタエルナ! イッセイにカカレバ――」
「……散られたら厄介ね。――旋風よ、我が手に集りて敵を乱れ斬れ。第四位魔法、『竜巻刃』」
リリアンヌの混乱を他所に、指揮を執ろうとしたオークメイジと、その周囲に居た10体のオークの体が何かに引き裂かれ挽き肉と化す。
「だ、第四位魔法っ!?」
もしかすると自分は夢でも見ているんじゃないか?
或いはそれこそ三英雄の時代にでもワープしてしまったのではないか?
そんな有り得ないような想像がリリアンヌの脳内に浮かんでは消えていく。
それ程までに今目の前で起きている戦闘はおかしい事だらけだった。
「え、エングンハッ! コマンダーサマはナニヲシテイルッ!?」
「ソウダ! カレラガモウジキクルハズダッ!」
そういえばそうだ。
あっちの広場にはここに居るオークとは比べ物にならない程の強さの最上位種たる存在が無数に居るのだ。
謎の光で半数程が倒れたとはいえ、もし奴らがここに到着すれば、いくらシルフ程の戦士でも抑えきれない。
そう判断したリリアンヌは細剣を握りしめ、奴らの襲撃に備えるべく広場の方へと振り返り――硬直した。
「ガッ……」
「バケ……モノめッ……」
「…………」
何故なら、その中央には悠然と立ち続ける一人の銀髪のモケノーと、無数の最上位種オーク達が苦悶を浮かべながら空中に浮いていたからだ。
「活力吸収」
銀髪のモケノーがそう言った瞬間全てのオークの体が地面へと力なく落ち、目から完全に生気が消える。
そしてそれと同時にオークの体から魂のような光が飛びてて、そのモケノーの体へと吸い込まれていく。
「よし、これでMPはほぼ満タンっと」
「バカナッ!」
「コマンダーサマタチガゼンメツシタノカッ!?」
「バカナァアアァァァァ!」
「クソッ!あのモケノーをコロセッ!」
「カタキウチだッ!」
それを見てしまった残りのオークが半狂乱になりながら泣き叫ぶと、モケノーに向かって突撃を開始する。
「まずいっ……!」
あの子は見た所シルフと違って魔法使いだ。
恐らく相当腕は立つのだろうが、流石にこの数に一斉に近接戦闘を挑まれては為す術もないだろう。
そう考えたリリアンヌはモケノーを助けるべく痛む体を引摺りながら動き――目を見開いた。
「て……ふり……の……よ。……三位『審判の雷』《ジャッジメント》」
はっきりとは聞こえなかったが、モケノーが手短に詠唱を終えた瞬間、全てのオークへと寸分違わず一筋の雷が落ち、その体を一瞬で炭化させた。
雷光に照らされながら映った鮮烈なイメージは、かつて両親が生きていた頃に聞いた伝説の三英雄の魔法使いの姿とリリアンヌの中で重なる。
「す、凄い……」
思わずリリアンヌの口からは痛みを忘れて賞賛の声が漏れる。
「これが……英雄……」
だが、今目の前に居る存在は伝説でも、お伽話でも決して無い。
本物の英雄と呼ぶに相応しい姿がそこにはあった。