初めての魔物退治
かなり頑張っても抜け出す事は困難な状態にあるちまはルゥの腕を静かに叩いた。
〔ルゥ。大丈夫だから。確かに体力あんまりないけど。持ってるスキル使えば、タクが罠を張るまでくらい持つから〕
ちまの柔らかな髪に顔を埋めたまま首を横に振り続ける。
〔あのね、落ち着いたら、ちゃんと話すから、その時は聞いてくれる?〕
それには小さく頷いた。
初めてこの大地に降りた時、よそ見して歩いて崖から落ちそうになったのに、後ろに倒れ込んで、最悪を避けた。
熊と対峙した時、振り払われた腕を避けた。
どちらもリアルの自分では有り得ない動きだった。
自己支援を掛けていたとは言え、無理な動きだったはずなのに、目に見えたのはスローモーションだった。
その動きも、方向まで先読みが出来た。
だから後方へステップしたのだ。
腕が振り払われた方向へ飛んだら、とんでもない被害に見舞われただろう。
これは、どう考えても、自分が使っていた素早さ重視のキャラクターの動きに近い。
この世界ではキャラクター換えは出来なくても、職換えは可能なのかもしれない。
換えると言うより、一人で持ちキャラクターの職を全て使えるのかもしれない。
もし、出来るのならば。
やってみる価値は高い。
何故こんな事が可能なのか、そんな事は解らない。
でも、今はどうしてって考えるより、出来るならやってみようって時じゃないのかな。
それには、まず……ルゥに離してもらわないと……なんだよね。
〔職のレベルで言うならね、メインは聖職支援だけど、次は製造・製薬職と聖拳士のスキル持ちなんだ。それから、魔導士と隠密系盗賊のスキルもある。多数の職スキル持ちについてはまた改めて話すけど。聖拳士って知ってる?〕
返事に少し時間が掛かったが、ルゥはまた小さく頷いた。
ちまの言っている事の意味が理解出来なかった。
レベル、メイン、スキル。
こちらにはない意味合いを持つ言葉。
前後の内容で何となく意味を把握する。
返事をするまでに時間が掛かったのはしょうがない。
ましてや、隠密系盗賊なんて、ルゥの立場から見たら犯罪者である。
聖職でありながら盗賊なんて犯罪に手を染めているんだ!?と一瞬思ったのだが、前後の意味合いから、隠密系盗賊が使うような技術もあると言う意味なのかと思い直した。
製造技術も持ち、隠密系盗賊技術を持ち……魔導士!?
魔力持ちなら、得意分野的な意味で聖職と魔導士の両方の技術を会得する事も可能ではある。
しかし、いくら才能があってもどちらも一通り使えるようになるには時間がかかる。
一つの技術を極めるのに一生の時を使うのが通常の常識である。
それでも極めるまで行ける者が稀なのである。
なのに。
彼女は聖職、製造、製薬、魔導士、盗賊、聖拳士と複数の技術を実際使える程に習得しているらしい。
有り得ない。
普通の人間は現実的に無理だ。
見た目は10代半ばだが、中身は40近いと言う……しかし、実は千年くらい生きていると言われた方が納得出来た。
だが、その辺りはちゃんと話すと言ってくれているのだから、今考える事ではない。
今は、あの魔物を何とかする事なのだ。
一回大きく深呼吸するともう一度小さく頷いた。
〔その聖拳士と隠密盗賊系スキルがあれば、囮に何の問題もない事、わかってくれる?〕
小さく頷くが、続けて横に振った。
〔以前に言ったよね? 私は守られるだけの存在じゃないって。その意味を見せてあげるよ〕
ルゥにとってはちまは守るべき存在である。どんなに力があってもだ。
そんなの見せなくてもいいと言うように横に頭を振り、腕に更に力を込める。
締め付けが強くなって、息苦しさまで感じてくる。
何でこんなに過保護になってしまったんだろう……。
ちまは出会って数日の彼がここまで過保護になってしまった理由がわからなかった。
やっぱ、この外見のせいなのかなぁ……。
保護欲が疼く外見って何なんだろう……。
内心で思いっきり脱力しつつ、ぎゅうぎゅう締め付けてくる腕を振り払う力もない自分が不甲斐ない。
あぁ。男キャラ使っていたら、今男だったかもしれないなぁ……。
そしたらこんな状態になってなかっただろうに……。
今更な事を考えて、意味ない考えを放り出す。
そうだった。今は……この腕を解いてくれないと、動けないんだから。
〔ルゥは私を守ってくれるよね?〕
大きく頷く。
〔うん。ありがとう。だから、私もルゥを守るよ? タクもね。私は大事なモノは全部守るよ。その為に必要なら、持ってる力全部出すよ。異端で迫害されてもいいよ。これだけスキル持ってたら別に人里じゃなくても暮らせるからね。大事なものを守る為なら、出来る事を出来ないなんて言いたくない。ルゥに嫌われてもいいよ。守れないで失うんだったら、嫌われて疎まれても守りたいから〕
ルゥは横に頭を振る。
〔……一緒に行く。お前が囮になるなら、俺もやる。嫌いになんてならない。お前が俺の常識を尽く砕いて行くのは百も承知だ。お前の非常識毎、お前だ〕
〔非常識を認定されてる!? 私そこまで非常識じゃないと思うんだけど……何か酷い言われようだよねぇ……。取り敢えず、危ない事しちゃダメだからね?〕
〔それはお前に俺が言う言葉だ。無茶するなよ……小さいんだから〕
〔小さい言わないのっ!!〕
駄目だ、駄目だと言い続けても、この小さな少女が言葉を覆す事がないとつくづく思い知らされる。
重っ苦しい空気を払拭するように、子供扱いをする。
囲って守られてもくれず、飛び出して行くと言うなら、共に行くしかない。
『タクさんっ! こっち二人で囮になる事になったよ』
『あぁ。王様妥協したんだなぁ……なむ……』
『何か失礼な事考えてない?』
『王様の苦悩を思いやっただけさ。で、一応食肉用としての確保で行っていいんだな?』
『まだ食べる気でいたんだ……』
『俺は、ここ一週間くらい牛丼が食いたくてしょうがなかったんだ!!』
両手をわきわきして訴えてみる。
当然ちま側からそんな仕草は見えないが。
『明けたら朝飯に牛丼屋に行こうと思ってたんだぜ……。まさか夜が明ける前に別の世界に来る事になるとは思ってなかったからなぁ』
実際夜が明ける前にこっちは昼間だったのでまだ一日も終わっていない。
タクの異世界初日なのだった。
『ハードだよなぁ。初日からあんなのに追い掛け回されるなんて……』
『そこは流石タクさんだ!と私は思うね!』
『お前なんか、初日に金獅子と出会って、今は王様とらぶらぶじゃねぇか』
『らぶらぶって……何か違う気が……』
『少なくても俺にはそう見えるねぇ。マジで、お前、はるトンに泣かれた上にお仕置きされるの確定だぞ。あぁ、こわい。セイちゃんもたぶんコワいと思うわ。お前本当……タラシすぎる』
『いや、これはどう見ても、呪い解いて最初に見た私を庇護しようとする保護者以外何者でもないと思うんだけど!?』
『あぁ……お前今、ロリだもんなぁ。ロリ趣味ない俺でもふらつきそうなロリロリ垂れ流しだぞ』
『ロリロリ垂れ流しって何!?』
『そりゃお前。荒んだ心のオアシスってやつだ。黙ってりゃ癒しに最高なのに。口開くと残念だよなぁ』
『話が逸れまくりだよ。10分くらいで罠何とかなるんだよね?』
『あぁ。何とかするさ。それ以上はお前の体力が持ちそうにないだろう?』
『聖拳士スキル使うから何とかなるっしょ』
『おぅ。気を付けて行け』
ちまと話をするとがちがちの緊張が和らぐ。
馬鹿話が楽しくて、つい長引いてしまうのもいつもの事だ。
仲間内で、彼女はマスコット的存在だった。
本人自覚はなかったけれど。
常に、彼女中心に人が集まっていた。
だから、タクには彼女と共に現れた男の心情は何となくわかるのだ。
ちまはアイテム欄から聖拳士の装備である武装小手を両手に装着する。
〔ルゥ、基本支援掛けるよ? あれの気が他所に逸れた時にまず私が出るからね? 私に気付かれてから、今度はルゥが出て?〕
頷いて、一度ぎゅぅっと抱きしめると、腕の力を抜いた。
負けるな。あの気迫に飲まれるな……獲物指定をこっちがしてやるんだから。牛丼にしてくれる!
速度増加に祝福、物理攻撃バリアーの支援を三人まとめてかけると、ちまは大きく息を吸って、ルゥの腕から飛び出す。
岩と地面から転がり出る。
「速度減少っ!」
振り返って目が合った瞬間に短剣を投げつけつつ、スキルを掛ける。
「ぐおぉぉっ!!」
右眼に短剣を突き立てられたミノタウロスは大きな咆哮をあげる。
体中真っ赤に染めて、ちまに向かって突進してくる。
速度減少のお蔭で遅くなっているものの、それでもまだ早い。
右眼を潰されたからか視覚からの微妙なバランスが崩れたのか、振り回した右手に持った斧がちまからはずれた脇の木に叩き込まれた。
ちまはバックステップしつつ、岩場から離れる。
その隙にルゥも飛び出して、ミノタウロスの数メートル脇を通り抜ける。
ミノタウロスがちまとルゥを獲物指定したのを見届けて、タクが岩場から離れ、二人とは逆方向へ向かうとすぐに沢に出た。
どうやら先程渡った川のようだ。
辺りを見渡して、小さく頷くと、アイテム欄から設置トラップ等取り出して、仕掛けを始めた。
ミノタウロスが叩き込んだ斧を力いっぱい引き抜くと、大木がルゥの方へ倒れてきた。
難なくそれを避けて、背後に回る。
振り返ったミノタウロスに向け、剣を構え、威圧を与える。
振り上げた斧をそのままに、両者は動きを止めた。
どちらも動かない。
ちまも動けない。
息苦しくなってちまは自分が息を止めていた事に気付く。
ゆっくり、ゆっくり呼吸を繰り返す。
どちらも未だ身動き一つない。
凄まじい集中力だった。
動き回らなくても時間が稼げそうだと思ったちまはタクが移動して行った先に視線を向けた。
その一瞬をついて斧をちまへ振り下ろした。
「ちまっ!!」
ルゥが右腕を切り落とす前に、ちまが大きな斧を破壊していた。
視線を外しても、意識まで外す訳がない。
視界の端でミノタウロスが微かに動いた時、ちまはその場から詰め寄った。
「連打破龍掌っ!」
斧の刃先に乗ったちまが、斧の中心に拳で打撃を与えた。
柄と一体化した大きな鉱石系の斧が、粉々に砕け落ちる時、ちまはその身を翻してルゥの横に着地した。
斧を失ったミノタウロスは、同時に右腕も失った。
肘から下をルゥが切り落としたのだ。
熊の時同様、大きな反動もなく。
それは刃道の先にいたちまをも傷付けてもおかしくなかった。
放った時、ルゥは一瞬凍りついた。
しかし、ちまはそれを見切って斧の刃先に乗った。
迫りくる斧とその後ろからのルゥの剣の動きが脳裏を過った時、己の立ち位置を修正し、唯一の武器と思われる斧の破壊に成功した。
安心させるようにルゥに笑って頷く。
「がっ! ぐもぁがあああああああっ!!」
腕を失ったミノタウロスが絶叫する。
「速度減少っ!」
右眼と右腕を失くしたミノタウロスはふらつきながらも立ち続ける。
効果が切れる前にもう一度掛けなおすが、それ程効果があるようには見えない。
「大人しいな。傷も負ってるのに……」
眉を寄せてミノタウロスを睨みつける。
「あ……あぁ……もしかしたら、あの右眼の短剣で特殊効果出てるかも?」
「何のだ?」
「睡眠と出血……だけど……そんな出てない、よね?」
右眼はもちろん、肘から切り落とされた右腕からもそれ程の出血は見られない。
「赤く染まったミノタウロスの効果で相殺されてるかもしれない」
再び、威圧をミノタウロスに向ける。
すると半分程閉じかけていた瞼が上がる。
「まずいな。覚醒したぞ」
濁った赤い目に輝きが増していく。
『タクさん、まだ!?』
「くるっ! ちま走れっ!」
肩を押されてそのまま右へと駆け出す。
逆にルゥは左側へ走る。
「速度増加っ! 祝福、バリアー!」
息を切らしながら叫んで自分とルゥの身に支援をかける。
一気に加速する体。
『もう、ちょいだ』
どこか力の入ったタクの声が聞こえた。
バランスを崩しながら左腕を振り回して、ちまを追ってくる。
どうやら、ルゥよりちまの方を優先的に獲物指定したようだ。
「まぁ、どう見ても、私のが弱そうに見える……」
小さいしね!
心の中で叫んで、自分で落ち込みそうになる。
それでも、小回りは利く。
ジグザグに木々の隙間を走り抜け、大木が見えてくると、大木の高く太い枝を目指して手前の木の枝に駆け上がり、次々と枝を飛び越えて行く。
リアルの自分じゃとてもじゃないが出来ない動きだった。
風を切って動く体が気持ちいい。
ミノタウロスは凄まじい勢いで突進してくる。
目の前の木すら見えていないように、体でぶつかって無理やり倒して道を作って追ってくる。
「力技すぎるっしょ……」
大木の枝に飛び乗って、高い位置からミノタウロスを見下ろす。
ミノタウロスってこんなだっけ……?
ゲームではとあるダンジョンの階層の一層に大量にいたのだが……常に複数相手にしていただけに、固体がこんなしぶとかったとは思わなかった。
あ、でもゲームではミノタウロスの表皮の色が変わるなんて事なかったな。やっぱり、ゲームとはいろいろ違うのかな……?
「とは言え、ゲームだろうが何だろうが、今はあれを何とかしない事には……」
もう片方の眼を目掛けて、短剣を投げる。
ミノタウロスはふと、体を傾げ、左目から逸らした。
左の耳の上にある角にカンッと音を響かせ、ナイフは地面に落ちた。
身を傾げたミノタウロスは視線をちまに上げたまま、倒した木を根本付近を左腕と脇で持ち上げる。
持ち上げた木はちまが両手を広げても届かない程の太さである。
大木の枝に立っていたちま目掛けて、振り上げる。
「ちまっ!!」
ルゥの声と同時にミノタウロスは足元の切り株を土ごと蹴り上げた。
前に出掛けたルゥは咄嗟に後ろに下がる。
しかし頭上から降ってくる土や石や木端に両手で頭を守るように上げる。
ミノタウロスは視線をルゥに向けたまま持ち上げた木を大木に叩きつけた。
ルゥが動けないのを見て、視線を上げるが、ちまの姿を見失った。
目玉だけぎょろぎょろさせるが、見つからない。
叩きつけた木はみしみしっと音が走ると、縦にヒビが入り、砕けてばらばらっと地面に落ちる。
その落ちる影にふと見上げた時、後ろの首に激痛を叩き込まれた。
大木へ顔から叩きつきられる。
大木に叩きつけられた倒木にヒビが入ると同時に、倒木に飛び乗って、ミノタウロスの元へ駆け降り、一瞬で頭上を飛び越えて頸椎に力いっぱい両足で蹴りを入れて地面に降りたちまはそのままルゥの元まで下がる。
頭から土を被ったルゥは呼び掛けられて、大丈夫だと頷く。
「うわ……まだ動くんだ……」
ミノタウロスは残った左手で大木の幹を支えに体を起こした。
比重が軽い分一撃が軽いのだろう。
こればかりはどうしようもない。
一撃で落とせないなら回数を多くするしかないだろう。
『タクさんっ! まだ!?』
『おぅ。来いっ!』
待ちに待ったやっとの応答にちまはマップからタクのいる場所を確認する。
「ルゥっ! 真っ直ぐに、あっちに向かって!」
指を差して方向を示す。
「タクさんの準備が整ったって!」
「わかった」
ちまの腕を掴もうとするが一歩引かれる。
「ちま?」
「先に行って。すぐ追う。あれを誘導する」
ゆっくりとこちらに振り返るミノタウロスに視線を向けた。
「それは俺がやろう」
「まぁ、たぶん、私のが餌ぽいからルゥが先導してくれるとありがたいかな」
説得している時間等ない。
ミノタウロスの肌は赤いまま。
すでにこちらをロックオンしている状態。
一歩踏み出してくる。
「行くよっ!」
ルゥの背中を押して、自分も一度振り返って視線を合わせると、走り出す。
頸椎への一撃は効いたらしく、足元が危うい。
ミノタウロスに減速魔法をかける必要もない程に、よたよたしながら、それでもちまを片目で睨みつけたまま追ってくる。
ルゥは小さく、はしたなく舌打ちすると何度も自分とちま、そしてミノタウロスとの距離を振り返って計りながら、走る。
そろそろか? そう思った時、ちまの速度ががくっと落ちた。
「ちまっ!」
「いいから! すぐ行く!」
囮よろしく引き寄せて、ちまは左腕の攻撃を避けながら木の隙間を抜けていく。
「川へ入れっ!」
先行したルゥは、タクの姿は見えなかったが、強い声でそう言われ、沢に下って、膝下辺りまでの川の中へ進み、剣を構えて待つ。
一歩一歩が重く、ドシンドシン音がする。
ちま、早くっ!
願うように歯を食いしばる。
二人がちまの姿を確認した時、彼女は宙を舞っていた。
沢へ駆け下りるどころではない。
どうやら木の枝から飛び降りたらしい。
そのちまを空中で掴むように左腕をしならせるミノタウロス。
しかし、ミノタウロスは一瞬で森へと引き戻された。
「がはっ」
一瞬後に絶叫が森中にこだました。
罠が作動したようだ。
「ぐぇっ」
地面に降り立つ前に腰回りにワイヤーが絡まって、ちまもまた森の方へ戻された。
「ちょっ、苦しいんだけどっ!」
引っ張り込まれた先にいたタクに、吐きそうな顔で苦情を告げた。
「えぇ、お礼は? お前あのままじゃ岩に叩きつけられてたじゃんかょ」
「か、華麗に着地してたしっ!!」
両手をわきわきさせて見上げる。
「そこはそれ。ほら、ちまちゃん。俺はちまちゃんにお礼言われたいなぁ」
にやにやと酔っぱらったどっかのオヤジのように笑う。
「……ありがと……」
俯きつつ、ぎっと睨む。
「垂れ流してなんてないんだからねっ!!」
「ツンデレきたぁっ」
「来てないっ!!」
横で罠に張り付けられミノタウロスの腹に拳を当てる。
きしむワイヤー。
「ごふっ」
ミノタウロスのうめき声。
「ちまちゃん……ミノたんに八つ当たりはよせ……。まぁ、二人とも無事で何よりだ」
ぐりぐりとちまの頭を撫でて、川にいるルゥを手招く。
見下ろしたちまを見つめて、ふと頬の傷に気付いた。
「無事じゃねぇな。それどうした?」
言われて初めて気付いたのか、頬に触れるとぴりっと痛みを感じた。
「斧壊した時かなぁ? 破片でも飛んできたのかも?」
「へぇ……女の顔に傷付けてくれるとはねぇ。手負いだろうが何だろうが、許せないねぇ」
タクは腰に下げていた、ちまの肩くらいまでありそうな大きな剣を鞘から抜くと、さくっと、ミノタウロスの首に差し込んだ。
「ちょ……タクさん……」
「ぁん?」
きつい眼差しがそのまま、ちまに下りてくる。
「この距離でそれ引かないでよ?」
「ん?」
タクは何を言われているのかよく判らず、そのまま剣を引き抜いた。
そして、二人はミノタウロスの首から噴き出した血を頭から被る事になったのだった。
「えっとぉ、ちまぁ~機嫌直してこっち来なよ」
ルゥの膝下まであった川はちまにしてみたら結構は深さだった。
頭から血に塗れたまま、マントを纏ったまま、川の中へダイブした。
ちまと同様に水に入ったタクは水の冷たさに早々に出て、火を起こしてくれていたルゥの傍へ行った。
そこでお互いに名前だけ名乗りあって、ミノタウロスの血抜きの為に頭を下にするように位置を動かし、タクはアイテム欄から出した新しい服に着替えまで済ましたのに、ちまがまだ川から出てこない。
「風邪引くぞっ!!」
心配になって川岸までタクが来ると、ちまはやっと立ち上がった。
ぶつぶつ言いながら、岸へ上がると、温かな風が吹き包む。
濡れていた髪からブーツまでがカラッと乾いていた。
汚れもすっきりなく、新品のようだ。
「便利だなぁ」
「タクさんにも出来ると思うよ? イメージは洗濯洗剤のCMだから」
「ほぅ。成程な。で、あのミノどうする?」
ミノタウロスの右眼から回収した短剣を川で洗って、ちまに手渡す。
「ありがとう。解体だねぇ。タクさんやってみる? 魔物は私も二匹目なんだけど。今日までに熊とかウサギとか狐とか随分解体したよぉ。私がやると汚さずアイテム欄に回収出来るから、他の人の目がないうちは私がやるって事にしてたんだ。ルゥがやると普通にナイフ使って皮を剥ぐ事からやらないとだからねぇ」
「判った。俺がやるわ。でも初めてだから、アドバイスしてくれ」
解体とか物騒な事何でやってるんだと思いつつも口にはしない。
小さく溜息だけ吐いて、これからは自分がやろうと決めたのだった。
「あいさ。でもまぁ、その前に夕飯にしようか」
ルゥが待つ焚火の所へ行くと、ルゥが心配そうに温めたワインのカップをちまとタクに手渡した。
「雪が降りそうなくらい寒いのに、長時間水に浸かって体を壊したらどうする。飲みなさい。芯から温めてくれる。薬草と煮た。タクも。飲んでおくといい」
二人は礼を言って近くの小石に腰を下ろす。
「でも、本当、雪が降りそうな位冷え込んできたね……タクさん大丈夫?」
「大丈夫くない。凍えるわ……お前よく水の中なんかにいられたな」
「これだけ冷え込んできたら水の中のが温かいくらいだよ。まぁ、ちょっと実験も兼ねてたんだけどね」
そう言って胸元からペンダントを取り出して、掌に乗せて二人に見せる。
「夕べちょっと作ったんだ。烈火石を元にして加工したんだけどね。体温を一定に保つ効果だよ。取り敢えず、タクさんに渡しておく。私はマントにルゥは服とマントに付与してるから寒さ対策出来てるからね」
「おぅ。ありがと。おぉお!」
首から下げて服の下に押し込むと、ぽかぽかしてきたのか声をあげる。
「こりゃいいな! これで凍死は免れそうだ」
「完成して良かったよ。成功したし、何個か用意しておくよ」
この後、仲間が増えた時にすぐ渡せるように。
口には出さなかったが、タクは気付いたのだろう。大きく頷いた。
「さて。今日は寒いので。鍋にしますっ! チゲ鍋だよっ!」
焚火のすぐ横に大きな鍋をどんと置く。
「最後はご飯入れるからねぇ~おじやにするよ」
お椀によそって二人に渡す。
箸を渡して、気付いた。
「あ……ルゥはお箸使えないか!? フォークかな、スプーンかな……火傷しないようにね?」
「はしってのはこの二本の棒の事か?」
「あ、うん。こうやって持って、間に挟んで口に運ぶの」
「……器用だな」
「慣れなんだけどな。俺達の国では食事は箸を使うんだ。でもまぁ、使い慣れないと厳しいからなぁ。食事は美味しく食べる事が基本だ。無理に使わなくてもいいさ。フォークとスプーンとナイフでも問題ない」
以前ちまが言った事と同じ事をタクも言う。
食事は美味しく食べる事が一番大事。
「すぐには無理だが……練習しよう」
日本に来た外国人を見るように二人はお互いの顔を見合わせて優しく笑った。
「そう言えば、自己紹介は終わった?」
『あ、タクさん、私本名は名乗ってないの。本名は向こうに帰るまで封印しようかなって思って……ちまってしか言ってない』
『わかった。俺もタクとしか名乗ってない』
口に出してから、ちまは慌ててPT会話でタクに告げる。
「そう言えば、複数職技能が使えるって言ってたか? その辺の話もしてくれるのか?」
箸で食べようと悪戦苦闘しつつ、ルゥはちまを見た。
「そうだねぇ。その辺もしようかねぇ。今日は夕飯も早いし……」
『ゲームの話をするのか? 信じる信じないは兎も角、理解出来るとは思えないんだけどね……この世界の状況さっぱりわからんけど。時代的にどうなんだ? テレビとか、PCだとかあると思うか? どれだけ発展してるのかさっぱりわからんぞ?』
『その辺の説明もしてもらおうかねぇ。ただ……銃器とかはなさそうかなぁ……魔法が発展してるみたいだから、科学がどれ程進んでいるのか……人里におりてないから余計に世界観が判らないねぇ』
「理解が難しいとは思うけど……」
この世界がどんなものなのか、教えてもらう必要があった。
同時に、自分達の非常識と言われる力についての説明は彼にとっては知りたい事であろう。
「私達は魔法のない、科学の発展した世界から来たの」
「魔物なんていない世界なんだ」
ちまとタクは困ったようにルゥを見つめた。
「私達は……何て言うか、仮想空間で遊んでいたのね。そこでは1人で5人の人物を育成する事が出来て……つまりは、その人数分だけの各職のスキルがここで使えるみたいなの」
「すきるってのは何だ? さっきも言っていたが……技能でいいのか?」
前回も前後の内容からそんな判断をしたが合っていただろうか?と尋ねる。
「あ、うん。そう。それで、本来なら各職1人ずつの技能しか使えなかったのに、今、ここでは1人でその5人分の技能が使えるみたいで、不思議なんだけどね……そこは私達にも説明出来ない」
「仮想空間って言うのは、盤上遊戯みたいなものだろうか? 盤上の駒を1人5個持てると考えればいいか?」
「そう考えてもらっていい。ルゥってすごいな。理解早過ぎだな。盤上遊戯ってのは陣地取りの遊びなんだろ?」
ルゥが必死に内容を自分に解る事に置き換えていく事にタクは素直に賞賛する。
「あぁ。そうだ。実際は駒は1人10個持てるがな。つまり、その5人分の職業技能を1人で使えるって事だな……」
「うん。それが私たちがいろんな事が出来る事情ね。それから、たぶん、可能性として高いんだけど。後4人仲間がこちらに来る。すでに来てるかもしれない。だから、戻るなら全員揃って帰りたい」
誰か残して帰るなんて事は絶対に避けたい。
「そうだな」
ルゥは神妙に頷いた。
「それで、この世界って言うか、この国はどんな世界なんだ?」
「魔法は貴重だが、珍しいものではない。治療に係わるような魔法に関しては、教会が大きく関係してくる。先日ちまにも少し話をしたが。治癒魔法の力を持つ者を教会が率先して引き取り、育成している。それを学ぼうとする者にも教会が運営する学院として場を設けている。卒院生は各地で国や組合を大きく支えている。故にどの国も教会に対しては口出しはし難い。国によっては完全に教会に乗っ取られている所もある。我がグロリアス王国は国王に権力はある程度あるものの、教会と冒険者組合、各種組合長他代表貴族が主体の会議にて執政が行われている」
「独裁国家にはなり難く、国王の意志は反映され難いんだな」
「この世界の魔物って言うのはどう言うものなの? 魔物討伐に勇者召喚を行われるのがよくある話って言ってたよね? つまり、魔王とかもいるのかな?」
「魔王はいる。だが、魔物の長ではない」
「ん? どう言う事だ?」
チゲスープに息を吹き掛け、冷ましつつ飲み、タクは首を傾げた。
「人にとっては危険なモノとして魔物と一括りにしてしまいがちなんだが……魔族、魔獣、魔物は別モノだ。この辺りは創生の話をした方が解りやすいかもしれない……」