この世界で初めての共闘
金獅子よりは小さいだろうが、十分に大きな熊だった。
大きい……でも、ルゥの金のライオンよりは小さい……はず……。
体が恐怖で震える。
止めていた息をゆっくり吐き出して、数回落ち着くように深呼吸をするが、当然落ち着けるはずもなかった。
ゆっくり、ゆっくりと立ち上がる。
どうする……逃げられるとは思えない……ルゥはまだ戻ってこない……。
剣を失くした彼に渡そうとしてアイテム欄から取り出していた両手剣をぎゅっと胸の前に抱える。
あれって……どうやって倒すべきだろう……火の魔法使ったら森だし、火事になったら大変だよねぇ。いや、その前に闘うとか出来るの……?
異世界って言われた。ゲームじゃないってことだよ。
目を逸らさず、恐怖から逃れるように、必死に関係のない事ばかり考えていた。
支援職なんだよなぁ……取り敢えず自己支援掛けて……殴るしかないか? 杖より鈍器かな……ある意味近い聖拳士の技もいける?
支援ステだから攻撃力はないだろうけど……ベースレベルカンストはしてないけど、三次職の100越えなんだからっ! 持ちキャラでは一番高い130なんだぞっ! 紙装甲だろうと、攻撃力なかろうと、レベルだけは高いんだから、熊くらいに負けちゃいけないよね! そうだ! たかが熊だっ!
金獅子には会うし、熊には出くわすし。今日は珍獣日かって!!
街中でしか暮らした事がない。
獣なんて動物園でしか見た事がない。
ゲームでは怖いモンスターにいっぱい出会ってきた。
倒れた事もあったけど、仲間に助けてもらいながら、倒してきた。
掛けれるだけ支援を掛ける。
私は素人だけどセラは高レベルキャラだっ! 絶対負けないっ!
振るえる足に力を入れる。
負けるな。負けるなっ! あんなのに臆する自分に負けるなっ!!
大きく息を吸って、先手攻撃を仕掛けようと踏み出し掛けた時に小さく名前を呼ばれた。
ルゥっ?
その瞬間に熊の右腕が振り払われた。
反射的に後ろに下がってそれを避ける。
同時に持っていた両手剣を声がした方に投げる。
受け取った気配を感じ取って更に後ろに下がって、自分の脇を駆け抜けたルゥに支援魔法をかける。
速度増加、攻撃力増加を三種類、物理攻撃バリアーを一瞬で掛けられてルゥは体が軽くなるのを感じた。
剣を振るうのは一年以上ぶりだが、違和感なく動く体。
駆け出しつつ手にした剣を鞘から抜き放ち、踏み込んで薙ぎ払った。
振り払われた熊の右手首の先と首が一閃で飛んだ。
たった一払いだった。
「すごぉい。一撃だ」
感嘆の声にルゥは振り返った。
「いや……これは……」
心強すぎる仲間を得た気分だった。
まさか自分とて一撃で倒せるなんて思っていなかったのだ。
ちまの突出した支援と投げ渡された剣のお陰である。
振り返った先のちまは地面に座り込んで、こちらを見上げていた。
膝に投げ出された両手が震えている。
本人に自覚はなさそうだった。
「その剣、使ってないからあげるね」
自分の震える体に気付かないであっさりと言われてぎょっとする。
「何を言ってるんだ! この剣業物だろう!?」
切れ味があまりにも違う。
今まで使ってきた剣がお粗末に思える程の差だった。
「ん~、でも私使わないしねぇ。しまっておいても可哀想だもの。使える人が使うべきだと思うな」
「それは、そうなのだろうが……だが、こんな凄い物は貰えない……暫く、貸してもらうと言う事でいいだろうか……?」
「了解。それでいいよ」
ゲームのイベントモンスターからのドロップで【破邪の青竜剣】と言う品だった。
短剣だったなら、持ちキャラで使用できたが、それは両手剣だったので使えなくて倉庫で埃を被っていた品である。
いろいろ言いたい事があったが、取り敢えず、無事でよかったと思いつつ、座り込んでしまっているちまに手を差し伸べる。
乗せられた小さな手を引き上げると、思わず眉が寄る。
軽い……怖いなら、何で立ち向かおうとしたのか……。
どう言ったらいいのだろうか。何て言えばちゃんと聞いてくれるだろうか。
引っ張り上げると、勢いでルゥの体に顔からぶつかった。
「いたたた……ごめんね、鼻ぶつけちゃった」
鼻を押さえて離れようとすると、ルゥの腕が背中に回った。
顔がルゥのお腹にぎゅうぎゅう押し付けられる。
彼の鳩尾までしか届かないちまの身長故である。
「ルゥ? 苦しいよぉ」
パールピンクの髪に顔を埋める。
「何で、逃げないんだ」
震えていた体が、やっと止まったように感じた。
「逃げていいんだ」
「ルゥが来てくれるってわかってたよ」
「間に合わなかったらどうしてたんだっ!」
頭の上で怒鳴られて、ちまは顔を上げたかったが、抱え込まれたまま、身動きがとれない。
泣きそうな声だ。
「異世界人は不死身じゃない。俺達と同じ普通の人間だ。多少魔法や力が優れていようとも、生身の体で、凶暴な獣の前に立つなっ!! ましてや、お前は、こんなに……小さい……」
弱弱しくなる声にちまはルゥの背中に腕を回してぽんぽんと叩く。
「ねぇ、ルゥ。私は確かにルゥより小さいよ。でもこの身長は向こうの世界とたぶん同じだよ? 視線の高さに違和感ないもの。私が小さいのは年齢関係ないのよ? それに小さい小さいって言うけど、155センチは決して小さいって言う程じゃないと思うよ!? まぁ……この世界じゃ知らないけど。私から見たら、ルゥが大きすぎるんだよ! 多少若返ったかもしれないけど、私子供じゃないんだから、子供扱いしてほしくない」
あんまり小さい小さい言われて、頬を膨らませる。
抱え込まれて見られていないが、そんな仕草を見られていたら、尚更子供扱いは免れなかっただろう。
「子供じゃなくても、小さい……あんな一撃食らったら、飛ばされて大怪我するだけじゃ済まないんだぞ! 死ぬかもしれないんだ」
「あの攻撃を受けたら、私じゃなくてもルゥだって大怪我するってば!」
「頼むから!!」
喚き出したちまを抑え込むように、更に大きな声を出す。
「……ルゥは自分より小さい者や弱い者を皆守らないといけないって思ってるの? それはとても立派な事だと思うよ。守ってくれるのが嫌だって言うんじゃないけど、何だか、義務感に駆られてるみたい」
王子だから、民を守らないといけないと思っていた。
王族なのだから、国を支えなければいけない。
弱者を守るのは成人男性として当然の事だと思っている。
でも、自分より小さい者だから、守らないといけないと思った事はない。
自分は一般の平均より少しばかり身長が高い。
周りにいた者は、自分より高い者ばかりではなかった。
自分よりも低いからと言って、弱い訳ではない。
あぁ……そうか。俺は間違っていた。身長は関係ない。体が小さいからじゃない。ちまだからだ……。
「言い直すよ……ちま。俺にお前を守らせてくれ」
小さな肩を両手で掴んで自分の身から引きはがす。
見上げてくる視線の高さに合わせるように腰を屈めて、懇願した。
「えっと……さっきと何が違うのかわからないんだけど……?」
「大違いだ」
首を傾げるちまにきっぱり言い切る。
「まぁ、いいけど。でも、私もルゥを守るからね?」
一方的な関係はよろしくないと思うのよ。
ルゥは体を起こすと、首に掛けたペンダントを外して腰の鞄に入れた。
「ルゥ?」
再度ちまに視線を合わせると、そのブルーグレイの瞳でじっと見つめて、にこりと笑う。
先程までの変装姿のクールダンディな男とは違った。
初めて、ルゥ自身の笑った顔を見た気がした。
たぶん、まだ20代半ばくらいなのかもしれないなぁ……。
表情からそんな判断ができた。
笑うとその場の空気までが柔らかくなった。
「よろしく頼むよ。人里に近付くまでまだかなり掛かるから、外しておく。この姿が本当の俺だ。忘れられたら困るからちまには、本当の俺を見てほしい。俺を守ってくれる天使」
ぎょっとしてちまはその呼び方を拒否する。
「天使とか柄じゃないからやめてっ!!」
「何だ、じゃぁ妖精にするか? 女神にするか?」
「それもないっ!! こっぱずかしすぎる!」
「ここに吟遊詩人がいたら、そう言い表すと思うがな。俺にはそれ以上言い表す才能はない。どう言ったら良いだろうか……気難しいな。俺の守り人は」
「あぁ……それくらいなら、まだいい」
それくらいで妥協しておかないと、おかしな方向へ行きそうだったので納得する事にした。
ふと思い出して、ルゥの後ろに倒れているモノを見ようとルゥの体越しに覗いて呟いた。
「あの熊……食べれるかな?」
それを聞いてルゥは大きな大きな溜息を吐いた。
たった今、死にそうになったと言うのに、食べれるか等と聞かれるとは思わなかった。
「え。だって熊の手ってすっごく美味しいって以前聞いたことあるんだもん。気になるじゃない?」
かなり昔にテレビでやってるのを見たのを思い出したのだ。
確か、その時はラーメンに入れてたけど。
飛んだ血の上に土を掛けて歩きながら、手と首を布に包むと振り返った。
「ちま……これそっちの拡張鞄に入るか? 大きすぎて俺の鞄には無理だ。体の方は血抜きしてから解体だな……」
「わかった。ルゥそのままにして。たぶん、その血も製薬に使えるから、私がやる」
メイン職は支援だが、サブは製造・製薬職なので、素材が目の前にあると血の一滴とて無駄に出来ないと言う思いが募る。
首のない巨体に近付いて、持っていた空き瓶をまだ血が流れる首に押し込む。
熊の全身の血を採取。内臓を各種別に採取。毛皮採取。爪、牙、眼玉採取。各種部位別肉採取。
細かいイメージは流石に出来なかったが、大雑把に、スーパーの肉売り場で貼られている牛や豚や鳥の部位別表を思い描いてみる。
それらはアイテム欄に各種別ごとに入っているのを確認して、綺麗に熊の痕跡の消えた所に向かって手を合わせる。
「しっかり美味しくいただきます」
だから、ごめんなさい。
肉の解体なんて初めてである。
血抜きだってそうだ。
生きた家畜でさえ、身近にはいなかった。
長く生きていれば、知識だけはたまっていくらしい。
グーグル先生、ありがとうっ!
全て見ていたルゥは正直頭を抱えたくなった。
この非常識さでこの子はこの世界で迫害されずに静かに暮らしていけるのだろうか、と。
異世界人は非常識の塊と心に刻まれた瞬間だった。
「ちま……頼むから……」
目の前で手際良く解体されていく様を見せられたルゥは、目を覆った。
少女は、熊に体のどこにも手で触れていなかった。
何かぶつぶつ呟いているだけで、まるで専門家が捌いたように解体されていった。
そして、最終的に細かい解体になっていくと、順に目の前から消えていった。
少女はそうやって、熊に一切触れずに解体し、片付けてしまったのだ。
「え、何かまずかった?」
「……俺以外の人がいる時は控えてくれ……」
言われてからやってしまった事の異質な行動に気付いた。
自分の世界だって、解体と言えば吊るして捌いて行く。
実際スーパーでマグロの解体ショーの実演を見た事がある。
通常、切り分けたモノがアイテム欄に消えていくなんて有り得ない。
「ごめんなさい……」
しゅんとして項垂れた頭にぽんと手を置いた。
「気を付けてもらえればいいんだ。まだ森深いから人はいないだろうしな。でも、助かったよ。ありがとうな」
すっかり癖になりつつあるのか、ちまの頭にぽんと手を置く。
「ルゥは、優しいね」
ルゥは本日何度目かの溜息を吐いた。
優しいのはちまの方ではないのだろうか。
少なくても自分は、使ってないからと業物の武器を会ったばかりの者に手渡したりしない。
面倒な変装装身具を作ったりしない。
着替えが少ないからって洗濯してやったりもしない。
「血を綺麗にしてくれたから、獣も寄ってこないだろうし……食事にしようか。食べれそうか?」
解体をして気持ち悪くなってなければいいのだが、と続けたが、本人はけろっとして食べる!と返事したのだった。
小さくなっていた焚火に枯草を足して、枝を添える。
「出来合い物になっちゃうけど……何があったかなぁ……」
アイテム欄から夕飯として今食べたい物って何かなぁと吟味し始めた。
「グリーンサラダでしょぉ。カエルの卵とイカ墨のスープとエビチリグラタン、なんてどうかなぁ。個人的にカエルの卵とイカ墨のスープってのは引くけど……美味しいのかなぁ……温かいものって思ったんだけど……」
広げたシートに取り出していく。
「名前が怪しいけど好い匂いはするな」
スープの器を手に持って嗅ぐルゥは問題ないと食べ始めた。
「昼間の具材を挟んだパンもだが、これらはちまが作ったのか?」
「うん。そうだよ。昼間の具材をパンで挟んだものをサンドイッチって言うの。いただきまぁす」
ゲームの中でだけどね……内心で呟いて、あつあつのエビチリグラタンに舌鼓を打つ。
製薬や製造をやりながら、関連系のクエストを片っ端からやっていた。調理クエストはその中の一つだった。
靴や服、手袋、小手、帽子、マント、アクセサリーを作って付与に属性やステータス付随効果を乗せたり。
武器の製造だけでなく、家や城、城壁、船の建造も可能である。
ただ、ちまは武器に関しては自分の使う物に特化していただけで、ホームとして使っていた家は、製造職をメインに使っていたはとこが造ってくれたので手伝い程度でしか携わっていない。家財に関しては興味があったので自分好みでスキルをカンストさせたりもしていた。
他の職に関しても言える事だが、この世界であのゲーム内のモノがどこまで使えるのか不明である。
なるようにしかならないと諦めと達観で、ちまは木々の隙間から見える空を見上げた。
星がいっぱい見えた。
星が降るような星空ってきっとこんなんなんだろうなぁ……
「ご馳走様でした」
ぽんと両手を鼻先で合わせる。
「美味かった。ご馳走様」
「でも終わりじゃないんだなっ! 食後のデザートもあるよ~」
ふふっと笑ってご機嫌にピーチケーキと紅茶を出す。
「そんな物まで入っているのか……鞄を覗いてみたいものだ……」
苦笑しつつも甘いデザートに手を伸ばした。
「見れるものなのかなぁ。あ。そうだ。飲み水用に聖水渡しておくね?」
「お前……聖水を飲み水に使う気なのか?」
「え? 何かいけなかった? さっき、冷たい美味しい聖水って最初に作れたんだけど? それに、緊急ならしょうがないかもだけど、生水はあんまり体によくないからね?」
20本ほど出して鞄に入れるように促す。
「あ、そうだ。飲んだ後の空き瓶、後で返してくれたらうれしいかな。再利用できそうだし」
呪い解除の際に使った物も空き瓶として回収できたので、何度でも使用可能なのだろう。
ゲームだと使い捨てだったが。
「わかった。さて、食べたら寝るといいぞ?」
「そうだね。食器洗って口漱いでくる」
そう言えば、歯磨きはどうしたらいいのかなぁ……ミント水でうがいして何とかなるかなぁ……てかお風呂もだよねぇ。汗はそれ程かいてないけど、埃まみれではあるよねぇ……崖から落ちたしな……思い願う事で何とかなるかな?
洗った食器の水分を飛ばしてアイテム欄に入れると、聖水とミントの葉を取り出した。
聖水の中にミントの葉を一枚千切って入れてよく振る。
それを口に含んでぶくぶくしながら、虫歯菌、プラーク除去。綺麗すっきりさっぱりだよっ!と唱える。
ぺっと含んだ水を吐くと、気分的にすっきりしたような気がした。
うん、歯磨きはこれでいこう。後は……お風呂だけど……熱い湯船に浸かるってのは諦めよう。しょうがない。またの機会にしよう。
イメージだ……それが重要だょ。
大得意分野だよ! 想像力はいつでも暴走可能だよっ!!
頭の天辺から足のつま先まで。服も靴もタイツも下着も一緒。汗も汚れも埃も黴菌もみんな、水と一緒に溶けて出して、バイバイ、さよなら。殺菌防塵防水消毒加工して、着てる物は全部形状記憶処理。肌と髪にはうるおいを残して。髪にトリートメント忘れずに。顔と手と足には保湿効果もつけて。
「さぁ、どうよ! にゃっはぁ~ん。いい感じだぁ~。素晴らしいぞ、私っ!」
両手に握り拳を作ってガッツポーズを小さく決めながら、大きな満月を見上げる。
誰も褒めてくれないだろうから自分で褒め称える。
思い描いたような満足な出来に自らに大喝采していた。
「何をしているんだ?」
焚火の場所から離れた所でいろいろ試していたのに、不意に声を掛けられた。
これは……またしても見られてたっ!? いつの間に……
「えっと……歯磨きと頭からつま先まで洗浄してみてただけだよ!!」
たいした事はしてないんだから、と言ってみるものの、ルゥの目を細めただけだった。
もう、何も言うまい。そんな雰囲気満載。
「上手くいったのか?」
「あ、うん。大成功だよっ! 明日からお風呂入れない時はルゥにも掛けてあげるね!」
「……もう寝ろ。火の番は俺がするから」
「あいさ」
良い子に返事をして焚火の傍まで戻って、取り出した毛布に包まって岩の上にごろんと横になる。
木々の葉の隙間から見える星の数を数えて寝る準備をしてみる。
こんな風に外で寝た事なんてなかった。
いつも建物の中で安眠を与えられていた。
壁と屋根がないだけで、こんなにも無防備だ。
土の匂いがする……。
木の爆ぜる音だけがやたら響く。
ざわっと音がしてびくっと身を起こした。
また熊かもしれない!?
きょろきょろと見渡す。
木々の葉が風でざわめいただけのようだった。
ほっと息を吐いて、また横になる。
しかし、風が鳴る度にびくびくしてしまう。
その様子を見て苦笑して、こっちに来るように声をかける。
「そう言えば野宿は初めてって言っていたな」
「……うん」
心細そうにこちらにやってくる姿は、やはりどう見てもまだ幼く見える。
傍まで来たちまの腕を引っ張って岩に背を預けて座っていた自分の前に座らせた。
自分が渡した外套と毛布に包んだ上から、包まっていた毛布を自分ごと包みこんだ。
腕の中に抱え込まれるような状態にぎょっとして立ち上がろうとするちまを力で抑える。
「朝方になると冷え込む。何かあれば起こしてやるから、寝ろ。大丈夫だ。何もお前を危険に晒すものなんてない。しっかり寝ろ」
耳元で囁くような声は、変装アクセサリーは外されているので、自分の大好きな声優の声ではなかったけれど、しっとり耳に心地良い。
ルゥって……私が中身大人だって絶対信じてないよねぇ? まぁ、子供だと思われてるならそれでもいいか? ある意味安全だって事だしねぇ。それに、温かい……。
ルゥの心音を子守唄代わりに、意識が落ちていく。
抱え込む腕はまるで何物からも守る壁のようなものだ。
絶対の安心を与えられたようだった。
すっぽり腕の中に納まった少女の呼吸が寝息に変わったのを見届けて、ほぅっと息を吐く。
ふんわりしたパールピンクの髪に鼻先を埋める。
傍から見たら十分怪しい行動であるが、第三者はおらず、本人も自覚はない。
柔らかい……あぁ。この匂い……
醜悪な獣に堕ちて自我を失いかけていた自分の意識がはっきりと人としてのそれに戻ったのはこの匂いがあったからだ。
感謝してもしきれない恩人だ……かなり変わった子だが……
大切そうに抱えなおす。
熊と対峙する姿を見た時、俺がどんなに恐怖したか……お前にわかるか……?
振り回された腕を逃れたのは、運が良かったとしか思えなかった。
すぐに自分と代わって欲しかった。
食用に獣を捕まえる為に、目に付いた獣道に罠を仕掛けに行った。
水場だったからか、獣道は思ったより多かった。
恐らく野兎や狐、タヌキの類だろうと思われた。
愛用していた両手剣は失くしたが、実は、もう一本拡張鞄の中に剣が入っていた。
それはあまりに実用的なものでなかったので、腰に差していた短剣の方がマシだった。
適当に罠を仕掛けて少女の待つ焚火へと、木々を抜けようをした時だった。
視界の先に震える少女と熊の姿が見えたのは。
対峙しようと言うのか、両手で剣を抱きしめていた。
ゆっくりと立ち上がった少女に、そうだ。刺激しないように、ゆっくりとだ……口には出せずに必死に呼び掛けていた。
本当なら、すぐにでも間に入りたいのに、下手に声を掛けようものなら、熊を刺激してしまう為に動けなかった。
足が震えている。よく立てたと褒めてやりたかった。
抱きしめて、よく頑張ったと言ってやりたかった。
剣を抱えているが、どうも鞘から抜く気はなさそうな持ち方だった。
ゆっくりでいい、後ろに下がるんだ……そう願っていた。
気持ちを奮い立たせたのか、足の震えが止まった。
恐怖を克服したのか……?
下がると思っていた、願っていたのに。
足を踏み出そうとしたのは、前のめりだった。
馬鹿な!
「ちまっ」
ちまが踏み出した瞬間だったのか、ルゥの小さな叫びが発端だったのか。
熊の鋭い必殺に等しい一撃が大きく振るわれた。
一瞬でも下がるのが遅かったら、彼女は無事では済まなかっただろう。
無理を、しないでほしい。
こんな小さな体は一撃も耐えられないだろう。
守りたい。
守らないといけないと言う義務感ではなく、守りたいと思ったのだ。
この温もりをずっと、腕の中で大事に大事に抱えていたい。
そんな衝動に駆られる自分に驚く。
王太子として、守らねばならないものは沢山あった。
しかし、こうして抱え込んで守らなければと思う物はなかったはず。
だが……大人しく守られてはくれなさそうだな……
すれ違う一瞬に支援魔法を複数掛け、攻撃の助けをくれた。
その感性は、狩りでも戦でも最前線で望まれる程の腕だろう。
俺を守ると言う。守られるべき者なのに。
自分の行く所へ、全てに連れて行きたくなる。
危険な所へすらも……。
危険な物全てから守りたいと思うのに、片時も離したくない。
どうしたら、ずっと傍にいてくれるだろうか。
その執着がすでに幼い子供に対しての想いではない事に、彼はまだ気付いてなかった。
枯れ枝を大目に放り込んで、仮眠を取る。
気配には敏感だ。
今は腕の中に守るべき者もいるから尚更だろう。
だが、その晩は幸運な事に、彼等の眠りを妨げるようなモノは現れなかった。
時折意識が浮上し、腕の中の温もりを確かめ、火の気配を感じつつまた眠る。
太陽が昇る頃、目を覚ました男は温かな腕の中の存在にほっと息を吐く。
熟睡してくれている事にほっとした。
身動ぎ足を縮めたので起きたかと声を掛けた。
「おはよう? 起きたか?」
目を擦りながら、まだ半分以上眠りの中にいる状態でぺったり座り込んだ。
思わず、その額に唇で触れる。
自覚して意識した行動ではなかった。
しかし、流石にこれはないと、腕の中なのは変わりないのに、身を起こして距離を置くようにぴったりくっついていた体を離した。
少女は何をされたのか気付いてもいないのか、まだ夢現で体が前後に揺れている。
俺は、今何をした……。
少女に触れた唇を掌で覆う。