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神様の贈り物とルゥの暴走

 深い深い底まで沈んだ意識が、誰かの声にゆっくり浮かび上がってくる。

 誰かに、呼ばれたような気がした。

 ここは、どこだろう……。

 あ……そうだ。帰らないと……。

 はるとタクさん連れて……ラスとにゃあにゃんとセイちゃん探して。無事に、ちゃんと帰るの。

 誰一人欠ける事なく、怪我も病気もなく。

 ちゃんと、守るの。

 守らないと。

 帰るその時まで。

 ルゥがちゃんと家族の元へ帰れるように。

 ちゃんと、見届けないと。

 皆が笑っていられるように。

 その為にはどうしたら……。

 支援職のスキル魔法じゃ足りない。

 付与だけじゃ足りない。

 全然足りない。

 何もかも足りない。

 覚悟も、願いも、力も。

 全然、足りない。

 虫は嫌い……。

 でも、目を逸らしたらダメなのに。

 足手まといになんてなりたくない。

 弱い自分じゃダメなのに。

 誰に負けても、自分にだけは絶対負けちゃダメなの。

 いつも誰かが守ってくれる訳じゃないの。

 守られるだけの位置に立ってしまったら、甘えて自分がダメになってしまう。

 すぐに、望んでしまうから。

 他人の優しさに縋って、一人で立てなくなってしまうから。

 自分で、ちゃんと立たないと。

 いけないのに。

 あれも足りない。

 これも足りない。

 自分に足りないどんどん物が溢れてくる。

 頭がぐるぐるする。

 体がふらついた時、額が何かに弾かれ、体が後ろへ倒れて行く。

 けれど、不思議と倒れる事はなく、ふわりと体はまっすぐ立て直す。

「そこまでにしておくが良い」

 頭の中に直接声が響いて来る。

「あまりに玻璃の音が心地よく聞き入ってる間にヒビが入ってしまった。其方が壊れては、力の暴走を止める術がなくなる。其方は心安らかにあれ」

 優しい声は男女の区別もつかない。

 心安らかにあれの言葉と同時に、不安に崩れ落ちそうな心がふわりと何かに包まれたように、ほんわり温かくなる。

 ギシギシ鳴り響いていた自分の中の不協和音がすっと引いた。

 手足の震えが止まる。

 全身がふんわり何かに包み込まれた。

「不安になったら思い出すが良い。愛おし子よ」

 温かい声に満たされて声の先を探す。

 闇ではないのに周りには何も見えない。

 ここはどこなのだろう?

 不意に思い出す。

 一緒に森にいたルゥとタクはどこにいるのだろうか?

 こんな所に一人でいるなんて……夢遊病で歩いて来ちゃったとかじゃないよねっ? 早く帰らないと!

 辺りをきょろきょろと見渡し、出口を探していると、声が落ちてきた。

「少し目を離した隙にまた何やら面白い事をしておったな」

 頭上からの声に視線を向けると、左右対称に整った、造り物めいた美顔がにやりと笑って見下ろしていた。

 見知らぬ者だったが、相手は自分を知っているかのように話し掛けてくる。先程の声に似ているような気もする。

「……だれ?」

 長い黒髪を無造作に首の後ろで一本に結った男は、その整いすぎた顔を近付けて、覗き込んでくる。

「……其方」

 顎に手を掛けて顔を無理やり上げさせて、目をじっと覗き込まれる。

 逸らすと負けた気がした。

 だから、逆にその目を、その奥を見つめる。

 だって、この人、誰。

 手を外すと、ぽんと頭に手を置かれた。

 何……?

 少し離れると、人差し指で胸の中央をトンッと突いてきた。

「其方のここが揺れると、玻璃の音が鳴り止まぬ。我としては永久に鳴り響かせておいても良いが、それに掻き乱されるモノが煩い」

「はりのね?」

 男は目を細めて頷いた。

 何の音もしなかったのに、不意にシャランと何か金属が擦り合ったような音が響いた。

 シャラン、シャラン、シャランと繊細な音が辺りを満たしていく。

「これが玻璃の音だ」

 辺りに響いてどこから聞こえてくるのか判らない。

「元は其方だ。見渡しても無駄だ」

「私が、鳴らしているの?」

「そうだ。其方のそこが悲鳴をあげておる。感覚が鋭すぎるのも不憫よの。この世界に馴染むまで暫しの間、痛みが和らぐようにしてやろう」

 新しい玩具を見るような眼差しに、不快な気分が沸いてくる。

「ふふ。誠、面白い娘よ。其方のその力に名前を付けて進ぜよう」

 私の力?

 今までの意地悪そうな笑みではなく、どこか慈しみを讃えた笑みを向けられて怯んでしまう。

「属性は【意思】。其方のここの強さが力の強さに比例するもの。心せよ」

 もう一度胸の中央を突かれる。

「ふむ。其方に一つ我から贈り物をやろう」

 両手を左手にまとめて乗せられる。

 空いた右手の先を額に触れた。

「其方に守護を贈ろう。導くモノを。思い描くが良い。其方の護りは何ぞ?」

「まもり?」

 お守りの事?

 守護って言うと守護神とかそう言うの?

 一瞬浮かんだのはいつか見た仏像の阿修羅像だった。

 でも何か違う……。

 すぐさま四散する。

 仏像って京都かな。

 京都って言えば四神?

 正確にはあれって中国の思想だけど。

 四方を守る四獣。中央に黄竜。皇帝の意味でもあって……麒麟にも例えられてたね。

 何だっけ。星宿とも言われてたよね。

 五行にも当てはまったっけ。

 あれって安倍晴明印にも関係していたような?

 何かいろいろ知識がごちゃまぜだな……。

 守り……守護してくれるモノ……。

 そして導いてくれるモノ……?

 神様?

 でも神様いるならさっさと戻してってお願いしちゃうよ。

 それはきっと導いてくれるものとは違うんだよね?

 そもそも神様を与えてくれるってこの人何者ってなるじゃん。

 神様以上の何か?

 おかしいね。それは何か怖いかも。

 PCが欲しいな……。私なんかの頭じゃ追いつかない。

 高速処理出来れば良いのに。

 いろんな情報を一気に検索とか読み込みとか出来たら……向こうに帰るのも一歩でも近付けるよね?

 買ったばかりのうちもPC使いたいなぁ。

 ノートだってあるし。携帯だって使えるよねぇ。古いデスクトップも使えれば……。

 何で手元にないかな……。あったら……。

 あったら、それを守護にさせる事が出来るかな?

「面白い娘よ」

「え?」

 男の視線を辿ると足元へ向かった。

 自分の周りに、見慣れた品々が散らばってある。

 きたっ!!

 十年以上使ったシルバーの本体の古いデスクトップと黒い真四角なモニターと白いキーボード。

 黒いメッシュ加工の新しく買い直したデスクトップと黒いキーボードと長方形のモニター。

 売ったはずの古いノートパソコンとそれに替えて買い直した新しいノートパソコンが二台。

 目覚まし用に使っていた昔の可愛いピンクの携帯電話。

 そして、彼に乗せた自分の両手が握るここに来る寸前まで使用していた携帯電話。

「【意思】はこの世界に其方のみが持つ力。界渡りの異界の異邦人よ。其方等にのみ許された力はこの世には存在せぬ。【意思】を持つ者よ」

 見上げた視線が絡み合う。

「心のままに」

 そっと額に触れる柔らかな唇を感じた。

「其方が心身共に健康であれるように」

 言葉を紡ぎながら、その度に額に唇が落ちてくる。

「大いなる加護を」

 目を細めて楽しそうに笑う。

「我、フィズィード・アーシュル・エストラムの名に掛けて」

 顎を持ち上げて小さな娘の目を覗き込む。

「【意思】の娘の行く末を見守らん」

 にやっと笑うとわざと音を立てて唇に触れた。

 一瞬の触れるだけのキスだったけれど。

 ぎょっとして身を引く。

「き、キスは! 好きな人とするものっ!」

 両手で口を押えて睨む。

「それは契約だ。数に入れなくとも良い」

「け、契約? 何の!?」

 知らぬ間にそんなモノされるなど、冗談ではない。

 望まない義務が生じた可能性が高い。

「安心せよ。其方が、其方等が帰るその時まで見守るだけのもの。どこにいても其方を見つけられるように印を授けただけ。契約は其方の唇で成された」

 別に、見守られる必要ないよね?

 てか、本当に何があっても見てるだけとかそんなオチな気もするし?

 見てるだけとか、どこのストーカー!?

 いらない、いらない、いらないしっ!

「其方の力の有り方を示した我に対し、無礼ではないか?」

 心読まれたっ!?

 う……。確かに……PCが手元にきたってのはすごく……感謝しないとなんだけど……。

 でも、何か……素直には……。

 整った顔から目を離せずに口を閉じたり開いたりするが言葉が出ない。

 不意にぺろっと手を舐められて、ぎょっとして視線を向けると。

 大きな白虎がいた。

 え?

 パサッと肩に何かが乗った。

 見ると真っ赤な毛長の鳥が頬に擦り寄ってくる。

 つんと足元に当たる物があって視線を落とすと蛇が絡まった大きな甲羅の亀がつぶらな瞳でこちらを見上げていた。

 するっと左腕に何かが絡まった気がして見ると東洋の想像の竜が長い尾と小さな両手足で必死に腕に絡みついていた。

 視線を前に戻せば竜の顔を持った二本の金色の角と鬣と尾を持った四本足の獣が二匹左右に並び、こちらを見上げている。

 これ……麒麟……?

 確か、麒麟って雄と雌で麒と麟って呼ぶともどっかで読んだ気がする。

「ふふ。しかと其方に送り届けたぞ」

 守るように彼等がいる事に気付いた。

 皆優しい目で見てくれたから。

「あ……あの、ふぃじ……あー……アースルさん?」

「まさかと思うがそれは我が名か?」

 さらっと聞き流していた名前なんてちゃんと頭に入っていなかったし、一回じゃ覚えられなかったんだからしょうがないじゃないっ!

 でも名前ちゃんと言えないのは相手に失礼な事だよね……。

「ごめんなさい……」

「契約者として特別にアーシュと呼ぶ事を許そう」

 にやにやと笑うアーシュは最初の時同様どこか意地悪そうに見えた。

「えっと。アーシュさん、ありがとうです。この子達が、私のパソコンなんですよね」

 全部ではないのか、キーボードとかモニターがいくつか残っていた。

「さんはいらぬ。それだけ居れば、其方のここを慰める役にもたとう」

 三度目の胸の中央を突っつかれる。

「求めたくなる音なれど、消滅は望んでおらぬ」

「意味が、よくわからない……」

「契約者よ。求めよ。さすれば与えん」

 判らない事だらけなんだけど……。

「ふふ。頑是ない幼子のような顔をしておるの」

 頬を撫でるとアーシュは目を細めて笑う。

「あれの傍にお前のような者が現れるとはな。誠、面白い」

「あれ?」

「其方は心のままに行くが良い。それが異質な其方の有り方よ。其方が其方であるがままに。我は望み願う」

 ふわっと優しく微笑む。

「主よ。我ら常に共に」

「主、守る」

「主の望むままに」

「主の望みが我らが使命」

「主の御心に寄り添いましょう」

 周りの守護獣たちが口々に言葉を投げ掛けてくる。

「ありがとう……アーシュ、また、会える?」

 漆黒の髪の男は麗しい顔に笑みを浮かべるだけで応えない。

「アーシュ?」

 にっこり笑って頭をそっと撫でて、額に再度口を寄せる。

「時が来れば」

 もっと聞くべき事が沢山あったのに。

「そのモノ達に問うが良い。我が知識と意識を繋げておこう」

 意識がはがされるように、その場から遠ざかっていく。

 いや、遠ざかって行くのは彼の方なのか。

「さて。傍のもう一人にも介入致すとするか」

 楽しそうな声が遠くになっていく。

「アーシュ!!」

 腕を延ばすがかすりもしない。

「……ちまっ、大丈夫だ」

 ぽんぽんと背中を叩かれた。

「ルゥ?」

 抱え込まれているからか服の皺が視界に入る。

「あぁ。起きるにはまだ早い。もう少し寝るといい」

「夢、見てたみたい……」

 温かい腕に包まれてほっとした。

 声を聞いて安心したけれど、もっと安心したくて顔がみたくなった。

「そうか。少し魘されていた」

 横になりながらも見上げてきた琥珀の目を見返してルゥは動きを止めた。

「ルゥ?」

 大好きな某総司令官さまの顔を見てうっとりするはずが、驚いた顔で返されて不安になってくる。

「これは……」

 ちまの髪をかき分け、額に目を止める。

「魘されていたな……どんな夢を見た?」

 寝ていられないと起き上がった。

「えっと……ぇ?」

 ちまも一緒になって起き上がろうとして、抱え込んでいた毛布がもそっと動いた事に気付いた。

「ん?」

 一緒に気付いたルゥが毛布を捲る。

「……何だ、これは……」

 太い手足の白い毛に黒い模様の生物がいた。

「ぅえっ? 夢から連れてきちゃった?」

 どう見ても白虎の小型版をちまは抱き上げて目線を合わせる。

 夢の中で手を舐めていたあの白虎に思えた。

 大きな口を開けて鋭い牙を見せながら、欠伸をした白虎は、ちまの顔をぺろっと一舐めした。

「ちま……」

 どんな夢みてたんだ……。

 呆れたように息を吐いて、ちまを自分の膝に横抱きにして座らせると、額にもう一度触れる。

「華護守印が付けられてる……夢で何て神にそれを付けられたんだ?」

「えっと。神様? アーシュって言ってた」

 がっくりと項垂れたくなったルゥはちまの膝に乗っている白虎と目が合った。

 白虎は元気出せと言うかのようにルゥの甲をぺろっと舐める。

「どう考えてもそれは愛称なんだが……神を愛称呼びとか……」

「えっと、それは長い名前を覚えられなかったからだよ? そう呼んで良いって……」

 意思と言う属性を付けられた事。

 守護役の一匹が目の前にいる事。

 先程まで見ていた夢と言うにはあまりにもはっきりした記憶を掘り返して告げる。

「今思うと……彼はルゥを見守っててくれたのかなぁって思うの」

「神の知り合いなんていないぞ……だが……もしそうなら……あまり魔物に出会わなかったのも頷ける」

 夜も何事もなく朝を迎えてこれた数日。

 神威で魔物が近寄れなかったのではないかと推測出来る。

「神と契約など……」

「好きでしたんじゃないよ?」

 不快な顔を隠そうともしないルゥをちまは不安そうに見上げる。

 そんな顔されても、どうしたら良いのか判らないよ……。

 潤んだ琥珀の瞳を見下ろして、苦笑して謝る。

「すまない」

 謝られた理由が判らなかったちまは首を傾げる。

 顎に手を掛けられたと思ったら、口を塞がれて、何度も瞬きを繰り返す。

 絡めとられた舌が痺れて、息が上がった頃になって漸く解放される。

 こつんと額を合わせて、ルゥは小さく溜息を吐いた。

「夢の中とは言え、ましてや、神とは言えども……お前が男と二人でいた事に嫉妬しただけだ……どんな契約方法だったかも考えたくない」

 ちまを前にすると不思議とするっと言葉が出てくる。

 自分はこんなに素直だっただろうか?

 情けない自分を曝け出す事がこんなに簡単だっただろうか?

 腕の中の存在が日増しに大きくなっていく。

 口で息を必死に繰り返していたちまは契約方法と聞いて思わず口を閉じた。

 言えない……嫉妬剥き出しの今のルゥにはキスされたなんて言えない!

 身を固くしたちまを見れば、おおよその見当はついた。

「お前の契約神に喧嘩を売りたくなってきた」

「えっと、ごめん、ね」

 物騒な発言に項垂れる。

 どう考えても自分が悪い。

「私が油断していたから……ルゥに不快な思いをさせちゃって」

「不快なのは俺よりも先にお前に所有印を付けた事だ」

「所有印?」

「今からでも、付けて良いか?」

 一番最初に付けたかったのに、神の二番煎じとは……口に出さなかったのは畏れ多いからではなく、悔しかったから。

 夢の中とは言え、すでに神に付けられてしまったので、ちまにはルゥのその言葉を拒絶する事が出来ない。

 気持ちを通じ合わせたその日のうちに神とは言え、他の者の所有印を付けられるとは、流石に自分でも有り得ないと思ってしまった。

 小さな、だけど、しっかりとした頷きを確認してルゥはふわりと微笑み、思わず神の所有印の存在を忘れて額に唇を寄せた。

「運命を引き寄せる左手。それを掴むは右手……」

 小さく呟いて、ちまの左の中指の爪先に唇を押し当てる。

「ちま、俺に一つ名前を付けてくれないか?」

「名前?」

「愛称でもいい。ちまだけが口に出来る名だ。他の誰にも呼ばせない」

 いきなり言われて何と言って良いか判らない。

 ちまはルゥの基本情報欄を開いて彼のフルネームを見る。

 ウォルフレッド・ルーフェン・ジ・ア・グロリアス。

 愛称で良いよねぇ……って事はこの名前からちょっともらうかな……。

「ん……『フェル』はどうかな」

 にっこりとルゥは笑うと、左手を出して中指の爪先に口付けを頼んできた。

「恐らく、ちまの発音は難しいから、これから誰かに名乗っても、ティアかティマと発音されると思う。それとは別に、この世界でお前に『リシェル』の名を与える。正式名称として『リシェル・ティエアリィ・ア・フェル』と名乗ると良い。愛称として『リル』と呼ぶが、他の誰にもそう呼ばせないで欲しい。良いか?」

「わかった。えっと、ちまって難しいんだ?」

「あぁ。まだ終わってない」

 指の関節に続けて唇を落として、甲に数回唇を当てると、同じようにするように自分の左手を差し出す。

 両手でルゥの左手を持って、甲にまで唇を寄せた後、これで良いか見上げると、手首を掴んで引き寄せられ、反対の手をちまの後頭部に添え、少し開かれた口に自分のそれを合わせた。

 舌を絡め、歯をなぞられ、口内を隅々まで舐めとられ、一度離されると、唇を舐められた。

 まるで口内細部を確認するかのようなそれに茫然自失で息のあがったちまを見て、ルゥは更に笑みを深めると、足りないと囁いて下唇を唇で甘噛みし、角度を変えて舌の根をなぞり、奥へ奥へと絡みつく。

 飲み込めず溢れたどちらのかもわからない唾液が、首筋に垂れていく。

 体の芯が一際大きく疼いた。

 唇を離すとルゥは小さく笑って耳元に口付ける。

 右耳を口に含んで、ぴちゃっと舐め回し、首筋を舐めて、昨日付けた痕を更に上書きするように吸う。

 流れた唾液を舐めとって、わざと音をさせて唇に、額に瞼に鼻先に頬にと顔中にキスを落としてくすりと笑った。

 やっと満足したかのように。

 顔中真っ赤にさせているちまの左手を取ると、自分の左手の甲とをちまにも確認させるように見せる。

 中指の先から手の甲まで唐草と花のような文様が薄ら浮かび上がっていた。

 爪の下からなのか、爪にまで現れるそれにきょとんとして見つめてしまった。

 ピンクの爪に薄ら赤い細かい模様が走っている。

 二人の左手に全く同じ文様があった。

「ルゥ、これって……」

「フェルと呼んでくれないか? リル。街で指輪も手に入れられるだろう。嵌めてくれるか?」

 向こうでは指輪っておしゃれなのと、意味を持った物があるけど……こっちはどうなんだろう?

「えっと、何か意味とかあるの?」

「リルと揃いの指輪が欲しい」

 蕩けるような笑みで左の中指と薬指の付け根に唇を押し付けた。

 ん……と……特に意味ないって思って良いのかな?

 恋人同士でお揃いのアクセサリー付けるって向こうでもよくあるしね?

「まぁ、ルゥ……フェルがそうしたいなら。お揃いは私も嬉しいかな」

 あんな蕩けた笑みを向けられては否と冗談でも言えない。

 それで彼が安心出来るなら何でもしてあげようと思った。

 所有印がどう言うモノなのかよく判っていなかったけれど。

 不安な気持ちはどこかふわふわとして現実味を持たない。

 ルゥが自分に不利になるような事はしないだろうと、勝手にそう思い込んでいた。

 白虎が膝乗って右手の先を舐めた。

 視線を下ろすと白虎はすりすりっとちまの右手の平に頭を入れてくる。

 撫でて欲しいのかと思い、そうすると、満足したように白虎は膝で丸くなった。

「それから……」

 そっと右耳に触れた。

 ピアスホールを確認してから、ルゥは己の左耳に三つ付けていた飾りを一つ外すと掌に乗せてちまに見せる。

 深く澄んだブルーグレイの石は、ルゥの瞳の色によく似ていた。

「付けていいか?」

「良いけど……何か意味はあるの?」

 不安そうに見上げた先でルゥは軽く口付けをしてふんわり微笑んだ。

「恋人の証」

 これにも他に何も言えないとちまもにっこり笑って頷いた。

 すんなり許可を得てルゥは満足げに頷いて付けた。

 少しホールより太く、無理やり押し込まれジーンとしている耳にヒールをして、心配そうな顔のルゥを見上げる。

「これ外した所に、私の瞳と同じ色の石を付けてもらっても良いの?」

 見開いてちまを見るとルゥは嬉しそうに笑い、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。

「リルの色を纏えるんだな。すごく嬉しいよ。早く宝石商の元に行きたい」

「え……作っていいなら作るよ?」

 ちまはアイテム欄から材料を探す前に鏡を取り出して覗き込んだ。

 琥珀とは言われたが、実際の琥珀からは自分の目の色には遠く感じられた。

 これは、石より18金で少し太めの溝掘って模様入れたようなのがいいかもしれないなぁ……。カフスイアー風なピアスってどうかなぁ……。

 模様は……あぁ、右手の模様と同じにしようか。どの部分がいいかなぁ。爪の部分にしようかなぁ。何か素敵なのが出来そうな感じしてきた!

「リル」

 すっかり自分の世界に入ってあれこれ考えていたところ呼ばれてはっとする。

「手が空いた時に少しずつ作ってくれればいいよ」

 ちまの右手を取ると、中指にそっと唇を当てる。

 それはまるでちまが考えてきた事を見透かしたような仕草だった。

「すまない……リル」

 少し困ったようにルゥはちまの目を覗き込んできた。

 首を傾げるちまにルゥは苦笑する。

「俺は自分で思っていたよりも束縛する性分だったようだ」

 こつんと額を合わせる。

「お前を誰にも渡したくない」

 その言葉にちまは思わず笑ってしまった。

 世の中の王族ってのは、もっと当然のように自分の物だと自己主張し、それを当たり前のように相手にも強要するものだと思っていた。

 この世界の王権制度の詳細の程はまだよくわかっていなかったが。

 自分の元の世界の歴史を見てみれば、傍若無人な輩が多かったように思える。

「ねぇ、フェル。きっと好きになったら皆同じ気持ちになると思うの。だから謝らなくてもいいの。でもね、そうやって言葉にしてくれてありがとう。私の気持ちを思いやってくれてありがとう。すごく嬉しい。フェルに会えて良かった。そんなフェルを好きになった私自身をすごく褒めたい気分だわ」

 何だかいつの間にか自分の気持ちは真っ直ぐルゥの元に向かっている事に気付いた。

「いっぱい話をして? フェルの言葉を沢山聞かせて欲しいな。フェルの気持ちを聞いたら私すごく安心する」

「惜しみない言葉と愛を注いだら、お前は俺だけのモノになるか?」

 少し怯んで、ゆっくり頷いたちまの額を人差し指でつっと押す。

「言葉を飲み込むな。言いたい事があるなら言ってくれ。俺もお前の言葉が欲しい」

 ちまは自分の膝にいる白虎に視線を落としつつ小さく頷くと、言葉を選ぶようにゆっくり口を開いた。

「無理だって理解してるんだけど……だから、聞き流してくれていいから……」

 俯いて、段々声が小さくなっていく。

 ルゥは聞き逃さないように抱き寄せて耳を傾けた。

「フェルも……私だけのモノでいてくれる……?」

 王太子で首都に戻れば国王になっていると思われる人に言う言葉ではない。

 婚約者だっていて当然で、この先側妃も沢山増えていくだろう。

 そんな事は容易く想像出来た。

 ましてや、王族は国民のモノである。

 こんな我儘な甘えた言葉など、今、この時だから言えるにすぎない。

「あまり誘惑してくれるな」

 寝ているとは言えタクがいる目の前でまさか押し倒せるはずもなく、それをいつまで自分が我慢出来るかも怪しい。

 目の前でこんな可愛い事を言われて、何もしないなど、男として廃ると言うものだ。

「言ったろう? お前の全てを俺にくれるなら俺も俺の全てをお前にやると」

 はっとして先日言われた言葉を思い出す。

 あのプロポーズのような言葉を。

 詰めた息をほっと吐き出す。

「そ……うでした……」

「何がお前を不安にさせる? 言ってくれ」

 今なら言える、のかな……。首都に行ったら絶対言えないし。言っちゃいけないと思うし……。

「えっと……首都に……婚約者とか、恋人とか、いないのかなって……」

 言っちゃった。もう、取り消せないよっ!

 ぎゅぅっと目を閉じたちまには見えてなかったが、ルゥは微かに目を細めた。

「俺の?」

 小さく目を閉じたまま頷いたちまに思わず笑ってしまった。

「いない。決まった女性はいなかった。婚約者も今はいない」

 やっと目を開けてルゥを見上げたちまの疑問にルゥは数回小さく頷いた。

「産まれてすぐ婚約者を選ばれたが、幼い頃に相手が流行り病で亡くなった。その後は特に誰とも決められずそのままだ。安心したか?」

 付き合っていた女がいたとしても……一年以上も音信不通だったらとっくに新しい相手を見つけているだろう。

 そうは思ったが不安を煽るような事は言いたくなくて言葉にはしなかった。

「あの、えっと……ごめんなさい……その、疑ってたわけじゃないの……お詫びに……そうだ、指輪っ! さっき街に行ったら買うって言ってた指輪! それも作ろう!」

 ちまはそう言うとルゥの手を取った。

 きっと出来ると思った。

 【意思】と言うスキルが確かにあるのなら、絶対に作れる。

「フェル、額を合わせて?」

 先程のようにお互い額を合わせる。

「んとね、思い描いてほしいの。指輪の素材とか、形とか、石がついているならその大きさとか種類とか」

「そうだな……俺のは銀色でリルのは……この髪を溶かしこんだ金色は作れるか?」

「ん……ピンクゴールドかな? 色もイメージしてね」

「あぁ」

 暫くして完成予想を完璧にイメージしたところで、額を合わせたまま、ちまはアイテム欄の素材にリンクさせ、ルゥの掌に自分の手を乗せる。

 フェルのイメージを固定して……私の持っているアイテム欄から必要な物を使って、完成させるの。

 フェルが笑っていられますように。幸せに笑っていられますように。

 お守りになれば。

 そんな気持ちを込めた。

 二人の手の中に違和感を感じ開くと二つの指輪が出てきた。

 四枚の花弁の中央に小さなダイヤ。そのダイヤより少し大きめのダイヤで八つの花弁を繋げ、指の腹にくる部分は少し細くなったリングが二つ。

 ピンクゴールドを手にするとルゥはその完成度の高さに目を丸くさせた。

「これは……二人で作ったって思っていいのかな?」

 その言葉にちまは嬉しそうに微笑み頷く。

 正にそう思って作った物だった。

 指輪を見てからルゥはにっこり笑う。

「どの指にしたい?」

 首を傾げてちまは数度瞬きをする。

「私のいたところでは左手の薬指が特別な指輪の意味があったの。愛の証とか、絆を深める意味もあって、婚約指輪も結婚指輪もその指にするの。こっちはどうなんだろう?」

「こっちでは左手の小指がそんな意味をもっている。どっちでもいいぞ?」

 見上げた先でルゥが頷いた。

「じゃぁ、小指がいいかな……」

「あぁ。リル」

 大きめだったリングは小指に通すと小さく縮んだ。

 最初からピンキーリングだったかのように小指におさまった指輪を見て、ルゥはそっと息を吐いた。

 本当に、何でもありだなと内心苦笑した。

「リル」

 もう一度名を呼ばれて見上げるとルゥが静かに変身用のペンダントを首から外した。

 そこにはもう大好きだった某総司令官はいなかった。

 膝の上で白虎が微かに身じろいだが、すぐにそのまま何事もなかったかのように突っ伏す。

 端正な面差しの青年がブルーグレイの瞳を真っ直ぐちまに向けていた。

「出来れば約束して欲しい。今後、俺が用意した物か、リルが作った物以外の装飾品は身に着けないでくれ……特に指輪と耳飾りは……」

「わかった。出来るだけそうする。だから理由を教えて? フェルがどう思って、どう考えてそうしたいのか教えて?」

「あぁ。そうだな。騙すように先に言質取って悪かった……」

 言葉よりも行動が先に出ていたルゥにちまはもう一つの指輪を手にして笑って頷いた。

「じゃぁ、この指輪は私がフェルの指に付けてもいいのかな?」

 嬉しそうにルゥは自分の左手を差し出した。

 ミスリルで作った銀色の指輪は非常に耐久性もあるので両手剣を愛用しているルゥにとっても指輪が歪んだりはしないはずである。

 どの指に付けるかわからなかったので耐久性を選んでおいた。

 こちらも小指に入れると指に合うように縮んだ。

「何だか便利ねぇ。ここじゃこんな風に指にぴったり合うようになるのが普通なの?」

 ふと不思議に思って尋ねると、当然のように否定された。

「何でもありなのはリルが作ったモノだけだぞ。他の者がいる時不用意にやらないようにな……」

「……気を付ける」

「そうしてくれ」

 あんまり言っても意味はなさそうだと思いつつちまの耳元に唇を寄せる。

「左手の小指には愛を誓う意味がある。その指に指輪をはめると特定の相手がいる事を示す。婚約者、夫婦、恋人だな。二人が揃いの指輪をしていたら……相手を深く想ってる意味になる。この指にお前と揃い以外の物をはめる気はない。外れないように出来るならそうしてもらった方が嬉しいよ」

 暗に左手首のブレスレットを差している言ったがちまは首を傾げてお互いの指輪を見た。

「えっと……そんな効果考えてもいなかったんだけど……なんか、自分じゃ外せない? あれ……はめた人にしか外せない?」

 えぇっ!? 何でそうなったっ!?

 私そんな効果付けてないよね?

「あぁ……俺がそう願ったからそうなった?」

 形と色をイメージしながら、ルゥは考えていた。

 抜けなければいいのにと。

「外れないならそれでいい」

 満足そうに笑うとペンダントを手にした。

 少し伸びたヒゲに手をやり、ちまは眩しそうに見つめた。

「また暫く見納めだね。って言うか、外しちゃダメじゃない」

「だが外すのが遅かった。指輪をはめる前に外してちゃんと俺の姿ですべきだった……早く、付けたかったんだ。全く……たった少しの間さえ惜しむのだから俺の束縛は強すぎるな……緩めて欲しかったらそう言ってくれ。締め続けてしまいそうだ……」

 ちまはルゥの手からペンダントを取ると頭からそっと首に掛けてやる。

「苦しかったらそう言うから大丈夫だよ」

「この国には昔からある習慣がある。子供が生まれた時に手に持っていた守り石で耳飾りを作るんだ。男なら右耳に一つ。左耳に二つ。女なら逆に右耳に二つ左耳に一つ。生まれてから一年経つまでの間に開ける。御守りのような物でもあるんだが……」

 耳飾りの話を急にされて、ちまはきょとんとしてへぇと興味深そうに瞬いた。

「守り石って言うモノを持って生まれるの?」

「あぁ。お前の世界では持って生まれないのか?」

「聞いたことないかなぁ……瞳の色と同じ色の石なの?」

「あぁ。そうだ。だからどの国でも守り石としてその者が身に付けているものだ。我が国では石の大きさにもよるが、耳飾りにする者が多い。守り石が大きい者は他に装飾品にしたり、そのまま袋に入れて身に付けている」

 自分の世界との違いに異世界にいる事を実感していく。

 ここの常識もよくわからない。

 指輪も普通は指に合わせて大小おさまりもしないらしい。

 自分が作ったものはブレスレットも指輪もその者に合うように縮小すると言うのに。

 そんな風にならないのは向こうの世界でも極々当たり前の事で。

 なってしまうのはゲームを媒体として抜け出してきたからなのか。

 ゲームのご都合仕様と言うものである。

 異世界って事もあって自分の中ではゲームの続きと言う感覚が大きい。

 だからなのだろう。

 自分の【意思】と言う思い込みの産物がこれらだ。

 リアルだけれども。

 それでもその力が自分の特有の力だと言うならば。

 使えなくなる訳にはいけないのではないだろうか。

 そう。

 もし、その力を自在に使えるようになったら。

 誰に頼る事もなく、元の世界へ戻れるのではないだろうか?

 この世界に馴染みながらも、意思を自在に使えるようにしていくことが今の私の重要課題なのかもしれない……。

 ぺろりと不意に手を舐められてはっとする。

 視線を落とすと白虎がにっこり笑っていた。

 すっかり自分の考えに浸ってしまった。

「続けても?」

 ルゥも待っていたらしく、苦笑して顔を覗き込んだ。

「あ、うん。ごめんね。大丈夫。瞳と同じ色の石を持って生まれ来るんだね。それから、この国ではその石で耳飾りを三つ作るの?」

「そうだな。通常平均で三つくらいだな」

 例えば、幼子が脆弱だとしたら、親が自分の耳飾りを子の右耳につけ、自分の守り石の力を子にも与えるとかもある。元気になったら耳飾りも戻すらしい。

「それから……男女が耳飾りを交換するのは自分の全てを相手に委ねている意味になる」

「へぇ。そうなんだ」

 束縛が強すぎて拒否されると身構えていたルゥは、ちまのあまりにあっさりした態度に力が抜けてしまった。

 ほっと息を吐いたルゥにちまは当然のように眼差しで催促する。

「嫌がられると思ったんだ」

 気付いたルゥはしょうがなく言葉にした。

「何で? 普通好きな人にそんな風に指輪とかピアスの話されて嫌がる女の人いないと思うけど?」

「ぴあす?」

「あ、うん、耳飾りの事」

「……そうか」

 自分が思っていたよりも、ちまが自分を好いてくれている事に破顔する。

 嬉しくて嬉しくてしょうがない。

 口元が緩んでしまう。

 まるで初恋をした時のような気持ち。

 あぁ。そうか。いつの間にか恋に落ちていたのか。

 不意に納得する。

 以前幼馴染が言っていた事を思い出した。

「恋はしたくてするものじゃない。気が付いたら落ちているのさ」

 恋愛話に事欠かない彼が艶っぽく微笑んでいた。

 成程と思う。

 これが恋と言うものならば、この年まで自分は恋をした事がなかったのだろう。

「リル、俺にとってお前は初恋らしい」

 呟かれた言葉にちまの顔がぼっと一気に赤く染まった。

「は、初恋はっ、実らないとか言うけどねっ?!」

 自分で何言っちゃってんのっ!!と内心叫びつつわたわたしていると左手を取られて指先を齧られた。

「そんな話聞いた事ない。それに……実っただろ?」

 そうだったと頷いたちまの頬に音を立ててキスをした。

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