第八十一話 決着
古今東西、ドクロマークというのは毒物を示すのに使われている。
それがいつからなのか、誰が最初にそうしたのかは解らないが、とにかくグリードでもそれは変わらなかった。
そもそもグリードの技術力はイコール一昔前のフォロリスの世界の技術力と大差ない。否、それの猿真似だ。故にそういったものを示すマークもやはり、自然と似てしまう。
そして今現在グリードが開発している毒物は細菌兵器、天然痘。その性能は一つの都市を軽々と壊滅させる威力を持つ。
そして何より、吸血鬼以外のグリードの兵士は天然痘に対する予防接種を受けている。当然、グリードだけがその技術を持っている。
故に、他の国・大陸の上空でそれを爆散させれば、なすすべなく衰退していくだろう。
勿論それは恐怖に震えているウートガルズの国民も、森に住まうエルフ達も、そして今現在ゾンビと悪戦苦闘している女性も、誰彼かまわず全身にブツブツが出来て惨めに醜く死ぬ。
戦力は大きく衰退し、夢も希望も奪い取る。実にフォロリスが好きそうな、フォロリスが好きな兵器。
だがそれは、他にも殺す事が出来る場所があってこその話。大陸に一人取り残されたら、殺人狂であるフォロリスは一体誰を殺すのか?
殺す相手はとうに絶滅し、人と出会うだけでも大変な苦労。そんな人生はまっぴらごめんだ。
「やっほー、隊長。まだ生きてるみたいだね、いやーよかったよかった」
斬撃のバリアに守られている女性を眺めているフォロリスに、聞き馴染んだ声をかけられた。
ジャック・カッツェ、今現在フォロリスを除いて生存している第四十四独立前線部隊だ。
「今さら死人に話す事も無かろう、ジャック・カッツェ」
「あっはは、まあそう固い事言わずにさあ……所で、ベラちゃんと副隊長が見当たらないけどどうしたの?」
キョロキョロと辺りを見渡し、二人の姿を探す。
ジャックは彼らが消える前に一足先に、この地を離れていた。故に彼らの最後を知っている訳が無い。
「ああ、死んじゃったか……二階級特進させなきゃいけないのかな」
暗い表情で溜息を吐くジャック、どうやら消えた二人に対する情は全く無いようだ。
少しの間だけだが、共に戦った戦友だというのに、その表情に悲哀は無い。
「いや、死んだかどうかは解らん。何せ文字通り消えたのだからな」
「消えた……消えた? どういう事?」
「さあ、消えたとしか説明のしようがない。あいつのせいでな」
斬撃のバリアを張っている女性を指差し、つまらなさそうに言うフォロリス。
痛みも無く、消えていくのも気付かず消えていく。
だからこそ恐ろしい。痛がる様子も無く、違和感さえ覚えずに消えていく。得体が知れなさすぎる。
ジャックは手をポン、と叩き満面の笑みとなった。
「そっか、んじゃ二階級特進もせずにいいし犠牲者リストに載せなくてもいいよね! 元々余所者だし、どっか行ったとか言えば大丈夫かな?」
「それは流石に無理があると思うがな……で、お前が来た理由はそれを確認する為だけなのか?」
ニタリ、と笑いながらジャックは女性の方を見た。
迫りくる死体の山を蹴散らし、刻み、肉片をそこらじゅうに飛び散らす。
息もすでに上がっており、顔中汗だらけ。
既に体力の限界は近く、護りが崩れ仕留めるのもあと少しと言った所か。
「勿論他にもあるよ。エルフの隠し持つ秘密兵器強奪とか、オレ自身を使って兵器の威力を知るとかね。人間より参考になる実験動物は無いからね」
「そうかい。だが生憎、その秘密兵器を持っているのはあの女だ。あれが起動している間はどうやったって、その兵器に指一つ触れる事は出来ない」
「なら動けなくなってから取ればいいだけ、簡単でしょ?」
ケタケタ笑いながら、女性が何処まで持つかを予想する。
ジャックとしては別に毒で死のうが、ゾンビに殺され肉の破片になろうがどうでもいい。
最後にその兵器が残っていれば、それでいい。そして時間はたっぷりとある、一度死ぬまでに。
「所でジャック、一つ聞きたい事があるんだが」
「何だい隊長」
「もしこの戦争で俺が生きて、グリードに帰る事が出来たらどうなるんだ?」
ジャックはグリードに、『第四十四独立前線部隊は壊滅した』と伝えた。そう、確かに。
ジャックはたまに冗談こそ言うが、嘘はあまりつかない。
グリードでは今頃第四十四独立前線部隊が『戦死した』と伝えられ、そして国民たちは喜びの声を上げている頃だろう。
ジャックは以外そうな顔をフォロリスに向け、尋ねる。
「もしオレが『帰れる』と言ったら、君はどうするつもりだ?」
「質問に質問で返すなっつーの……まあいい。お前の問いなんだが……どうもしないな、どちらにせよ交通手段は絶たれているのだし。俺にそこまでの価値があるとは到底思えん」
顎に手を当てながら、フォロリスは答える。
フォロリスの言う帰る場所というのは、寝れて飯があって殺す事が出来る。そういう環境の事を言う。
いくら天然痘が広範囲に被害を及ぼすとは言っても、精々一大陸程度。いかだなり何なりを造って別の大陸へ行けばまた帰る場所が出来る。
フォロリスはそういうサイクルの中で生きる人間なのだ。
そこに最愛の人なぞ存在せずともいい、そういう奴なのだ。
「で、どうなんだ? もし俺が泳いで、グリードまで帰れたら……俺は、戦死した筈の俺はどうなる?」
「決まっているさ隊長、君は既に死んでいる。つまり動いて来たとしてもゾンビとして教会に処理されてしまうだろう。そして勿論国は教会に協力する、デメリットが無いからね」
戦死した者が動くというのは、本来はあり得ない事だ。
そして、すでに動かなくなったものが動くというのは、常人からすれば恐怖の対象でしかない。それを、国境を渡ってやってきたとなれば猶更。
更にフォロリスはお世辞にも、グリードの街で愛されてるとは言い難い。否、嫌われていると断言できる。
誰だってそんなのが帰ってきたら、たとえ戦死報告があったとしても全力で退治に向かうだろう。
何せ始末出来るのだから。皆の嫌われ者を。
「……なるほど、そうか」
「おやおや、センチメンタルになっているのかな隊長。君にその感情は似合わないよ」
からかうように言いながら、ジャックは一本のナイフを取り出す。
刃に木目のような模様が浮き出ている。
ダマスカス銅と呼ばれる金属で生成された、錆びにくくいくら鉄を斬っても刃こぼれしないような強度を持ったナイフ。
「どうした? そのナイフは」
「ああ、ちょいと昔に手に入れたのさ。この任務が終わったらこれ、隊長にあげるよ。餞別って奴だね」
からかうように笑い、ゾンビを斬り殺している女性にゆっくりと近付く。
フォロリスと話してかなりの時間がたったというのに、その場から微動だにしていない。
辺りには肉片が飛び散り、既に地面を血と共に埋め尽くしている。
「随分と派手にやってくれたね、歩きにくいったらありゃしないよ」
ジャックが一歩歩を進める度に、肉片から血が染み出す。
錆びた鉄の臭い、血の音。何処からか蠅が飛んできて死体にへばりつく。
女性は斬撃の守りを解き、ジャックに黒い角を投げつけた。
右目玉に突き刺さり、ヘドロのように血が垂れ流れる。
顔は全く、少したりとも消えない。
「酷いなーいきなり、いくらオレが死に慣れてると言ってもさ」
ボリボリと左手で頭をかき、右眼の異常を蚊ほども気にせずあきれ顔で言う。
流石にこの異常な光景に、思わずたじろぐ。
眼は人体で、一番痛覚が鋭いと言われている。そこを傷つけられれば、常人ならば立ってられない。
否、恐らく自我を保つのも不可能だろう。
だというのにジャックは、まるで蚊にでも刺されたかのように全く意に化していない。
それ以前に謎なのは、何故消えないのかだ。
黒角に突き刺されられたものはこの世界から消す。跡形もなく、まるで最初からそこには何も無かったかのように。
だというのにジャックは、全く消える素振りは無い。
「何者なの、貴方」
「死にゆく君が知る必要は無い、違うかな?」
そう冷徹に返し、ナイフを大きく振り上げる。
だがそんな彼に、静止をかける声が。
「待て、ジャック。どうせならそいつのトドメ、俺にやらせてくれ」
「おや、どうしたのかな隊長。まさか仲間の敵討ちでもするつもりかい? 似合わないね~」
ケタケタ笑いながらもナイフを懐にしまい、女性からゆっくりと離れる。
ジャックが知っているフォロリスは、利益の為なら仲間を助けるが何も得られないのならそのまま見捨てるという非人道的な人間だ。
だというのに、柄にもなく敵討ちをしたいと言い出した。面白そうな現象が起きるかもしれない。
ジャックはいつでも任務を遂行出来るし、ジャックが直接手を出すにしても出さないにしても女性の命は後わずか。
空中で爆発した天然痘がこの大陸を覆い尽くし、殆どの生物を死に至らしめるだろう。
どうせそうなるのなら、つまらない劇を見ても何ら支障はない。最終的に相手方の秘密兵器を入手出来ればいいのだから。
そして、ジャックの右眼を潰したあの黒角の持つ能力が解らない。ジャックは一部始終を見ていないのだ。
それを見て報告すれば、それなりの褒美が貰える筈。やはり何も、自分にデメリットは無い。
「私に情けでもかけるつもり? それとも、ただの敵討ちかしら?」
「さあな、そういうのは死んでから考えろ」
「ほざくな!」
フォロリスが袖からブッチャーナイフを二本取り出し、地を強く蹴る。
斧のような形状をしている、主に肉を解体する時等に使うナイフだ。
対する女は、突き刺した対象を消す黒角。それを逆手に持ち、女性も地を蹴った。
恐怖はある。だが立ち向かわなければ死ぬ。
増援を待つという手もあるにはあったが、どちらにせよ間に合わないだろう。
肝心の信号役は既にベラの手によって、殺されているのだから。
大量の死体の山からそれを探し出すのは不可能。
ならば抗うしか無い、侵略者相手に。
力強く黒い角を、馬鹿の一つ覚えのように勢いよく投げる。
当然洞察力の高いフォロリスは、身体を横に少しずらし回避。
そして大きく空を飛び、落下する速度に合わせてブッチャーナイフを振り下ろす。
バックステップでそれを回避し、フォロリスの顔面目がけて回し蹴り。
地面に突き刺さった二本のブッチャーナイフを捨て置いて、低い体勢にし両手を地面に勢いよく突いて、その衝撃で後ろへと下がる。
女性は勢いよく数珠を引き、黒い角を元の手の場所に戻す。
「斧を使うなんて、ずいぶん野蛮なのね」
「ハッ、殺し合いに野蛮も糞もあるかっつーの」
そう言い、袖から次なるナイフを取り出す。
コンバットナイフ、軍隊が格闘用に使うナイフ。柄の部分には少し、血が付いている。
女性は何を思ったのか、黒い角を数珠から外しフォロリスに向かって、勢いよく投げた。
コンバットナイフでそれを撃ち落し、すぐさま捨て袖からワイヤーを引っ張る。
まるで大きな天使の羽のように、銀色に煌めくナイフ。そのどれもに、血がこびりついている。
「それをどうするつもり?」
「決まっているだろう、こうするのだ!」
羽のようなナイフを勢いよく空中に放り投げ、袖からまた一本のナイフが飛び出す。
何の変哲もない、サバイバルナイフだ。
何故、殆どのナイフを空中に投げたのか。それは確実に仕留める為。
フォロリスが繋いでいるワイヤーは脆く、吸血鬼の力で投げれば容易く空中分解してしまう。
そして分解したナイフは、まるで雨のように地面へと降る。
雨を避けられる人間は居ない、どのような達人でさえ。
ならばどうするか。避けられない攻撃、向かってくる敵。まず助からない、助からないのなら……
一矢報いる!
「……終わった、か」
女性が新たに生えてきた黒い角を投げ、フォロリスの胸に突き刺した。
それから少し遅れ、空からナイフの雨が、女性へと降り注ぐ。
そして空中で、黄色い光がはじけ飛んだ。
口から血を吐き、徐々に消えていくフォロリスの身体。だがその口には、ニヤリと笑っていた。




