第六十二話 不貞腐れ
ガンガンと、エンジンの音が何度も反響し音を煩く鳴らし続ける。
ラインハルト部隊が半滅して既に半年と三か月、急ピッチで製造された巡洋戦艦シャルンホルストを腋に従え、プリンツ・オイゲンは大海原を進む。
性能はグリード独自のチューニング
一室の部屋、ナチスドイツの軍旗が刺繍されている絨毯が敷かれた一室の部屋
壁が見えないくらいかけられた、ワイヤーによって繋がれているナイフのカーテン。
振動が起きるたびに、カチャカチャとぶつかり合う。
重巡洋艦プリンツ・オイゲン内部、ラインハルト兄弟が使っていた一室。
「へたれ」
ベッドに腰掛け頬杖を付いているジャックが、ジト目で椅子に腰かけ適当な本を読むフォロリスをじとーっと見つめ、茶化す。
吸血鬼にそういった口の聞き方が出来るのは、死という概念も生という概念も無いジャックだけだ。
「普通あそこはさ、こうずっぽりと犯るもんでしょ。押し倒したりしなきゃ男がすたるってもんよ?」
右手の人差し指と中指の間に親指を突っ込み、ジェスチャーをする。
フォロリスは溜息を吐きながら、本を閉じジャックの方に無造作に放り投げる。
ジャックの頭に当たり、レモンイエローの髪を揺らす。
「いたた……何も物投げる事ないじゃないか」
当たった箇所を擦り、若干涙目になる。
フォロリスは身体をジャックの方へ向け、足を組む。
「……で、何で姫様に手を出さなかったの? どうせならさ、姫様の思い人って思わせておけば隊長の目的も達成しやすいだろうに。
ハッ、まさか隊長……そっち系」
「違う、んな訳あるか」
あり得もしない予想を即座に否定される。
ジャックは「冗談だよ冗談」と笑いながら、頭の後ろをかく。
フォロリスは溜息を吐き、何故あの時姫に手を出さなかったのかを打ち明けた。
「野外で女とまぐわうなんて特殊な趣味は持ち合わせていないし、ましてや姫に手を出したとなれば帝領伯守護隊やらが目の敵とばかりに騒ぎを大きくし、姫を汚したとして首が飛ぶ。少し考えればわかるだろう」
「もし飛ばなかったとしても支援を遮断されたりする可能性は十二分にある訳だし、手を出さなくって正解だったね」
後から言おうとした言葉を、ジャックが先取りして言った。
フォロリスの意図が解ってて、茶化したのだ。
一応だがフォロリスにも、一般人の持つ美的感覚は持ち合わせているつもりだ。
故に姫を魅力的に感じなかったと言えば嘘になる。
だが、アフターケアも考えて行動しなければ自らの身を破滅させる。
高校生が同級生の女を孕ませて高校を中退し、働くという話はよく聞くだろう。
その後女は年収の少ない高校生から離れ、金を持つ人に就くというのもよくある話だ。
「まあ、もう手遅れかもしれないけどね。
姫様からアプローチしたのに、隊長は全く反応しなかったって皆に知れ渡ってるし」
「……おい、ちょっと待て」
フォロリスがわなわなと震えながら、ジャックに詰め寄る。
ジャックの頭を掴み、圧を加える。
アイアンクロー、握力を使い締め上げ、ダメージを与える技。
人間が使ったとなればギブアップを宣言させるので精いっぱいだろうが、吸血鬼の場合その威力は計り知れない。
頭蓋骨程度なら、平気で貫通させてしまうだろう。
「痛い痛い痛い!
べ、別にいいじゃん。隊長女に興味ないんでしょ?」
「誰がゲイだ誰が、普通に付き合うなら異性がいいわ。
というか貴様の仕業か、道理で兵から来る視線が何かおかしい訳だ」
ミシミシと、木材を握りつぶすような音がジャックの頭骨から漏れる。
「これ死ぬより痛い、ちょっやめて!」
ジャックは手をバタバタとさせ、悲痛の叫びを訴える。
ジャックは確かに死なない。だがそれは同時に、死ぬという解放の道が閉ざされているという事に他ならない。
いわばジャックは、何度も『死ぬ』という感覚を味わっているという事だ。
『死ぬ』感覚はあるのに『死ねない』という矛盾、それこそがジャックの持つ長所であり、短所。
そんなジャックの騒ぎを聞きつけてか、木製の扉が開かれる。
「ちょっとうるさいわよフォロリス、何やって……本当に何やってるの?」
黒いゴスロリ服を身にまとい、黒く長く血に濡れた髪。
ベラ・レンカ、四三小隊隊長。一人の小隊の異名を持つ少女。
先ほどまで死体を弄っていたからなのか、手には濁った色の血がこびり付いており、扉にはその手形が付いている。
「あっ、ベラさん。ちょうどいいところに、助けて!」
「嫌よ、私の彼氏がまた増えるかもしれないんでしょ? フォロリス、やっちゃって」
ジャックの命乞いを、かなり自分勝手な理由で拒否するベラ。
彼女にとっては敵も仲間も、国さえも、死体を手に入れる為ならいくらだって滅ぼす。
そんな彼女が、死にそうになっている青年を助ける訳がない。
それもかなりの美形、というより可愛い系だが。
更に料理も出来るという良物件だが、ベラにとっては死ななければ価値は無い。
「人でなし! ネクロフィリア!」
「……フォロリス、叫び声を上げさせずに仕留めなさい」
ベラからの処刑宣言、だがその命に反しフォロリスは手を離す。
重力に従い床に背中から落ち、声にならない叫びをあげる。
だがすぐに上体を起こし、先ほどまでフォロリスの指が入っていた頭骨の穴を手で塞ぐ。
二秒ほどで手を離すと、フォロリスにアイアンクローをかけられる直前の状態まで戻っていた。
「相変わらず解らん能力だな、ジャック」
「神に逆らった結果だよ、まあオレも好きでこんな能力持ってる訳じゃないし」
言い終えるや否や、フォロリスのベッドに座り、あくびをするジャック。
布団の上で猫のように丸くなり、寝息を立てる。
「ふふっ、まるで子供みたいね。死んでれば完璧なのに」
ベラは寝息を立てているジャックを見て、優しい笑みを浮かべながら感想を述べる。
最後の一言が無ければ、優しい女性だと誰もが思うだろう。
普通とは少し違う感性を持つフォロリスでさえ、最後の一言を聞くまではそういった感想を抱いた。
「なんというか、お前結構残念な女だな」
「自覚はしているけど、面と向かって言われると腹立つわね」
ワイヤーをわざわざ光らせ、怒りを表す。
ベラとて、自覚している事をいちいち言われるのは腹が立つ。
フォロリスはわざわざ、突かずともよい藪を突いてしまったようだ。
「失言だった、すまん。だからそのワイヤーを仕舞え」
まだ怒りは収まっていないようだが、言われるがままにワイヤーを袖の中に吸い込むように仕舞う。
光の線が、蛇のように靡く。
「口の利き方には気を付けなさいよ、全く」
ベラはそう言うと、フォロリスの許可も取らずに勝手にベッドに腰掛ける。
当然手は洗っておらず、腐った肉を触っていた手は布団に染み込む。
ジャックが寝返りをうち、ベラの方へと近づく。
「お前ってさ、腐臭漂う部屋の中でも寝れるのか?」
「腐臭漂う奴と寝てるんだから、そんぐらい出来て当然でしょ」
ジャックの頭を撫でながら、ベラは言う。
ジャックは嫌そうに、顔をしかめる。
それを見てフォロリスは笑った。
「……何よ」
ベラは感じが悪そうにフォロリスを睨み付ける。
笑みを隠そうともせず、フォロリスは返答した。
「そりゃ腐敗した肉を触ってた手近付けられたら、俺でもそんな反応するわ」
「そんなに嫌な臭いなの? これ」
自分の手を嗅ぎ、首をかしげるベラ。
既に嗅覚が、強烈な死体の臭いによって麻痺しているようだ。
流石にフォロリスも、それには若干引いた。
いくら殺すのが趣味であり、人間時代たまに死体を貪り喰ってたフォロリスでも、流石に腐った肉には不快感を覚え手は出さなかった。
「私にはいい匂いにしか感じ取れないけど」
「流石にそれは無いわ」
「あら、血の臭いが好きな月下の吸血鬼様が言う言葉かしら? それが」
性癖方面では、ベラに敵う人間はそうそう居ないだろう。
腐敗の、蠅が集るような臭いをいい匂い等という感想を抱く事自体、おかしい。
いくら吸血鬼でも、あの臭いを嗅いで『いい匂い』という感想は抱かない。
事実、フォロリスはあの臭いは嫌いだ。
一応味は好きなので、食べたりはする。
だが、新鮮な肉がある場合は迷わずそちらを優先するだろう。
「そういえば話変わるけど、フォロリスって好きなタイプの異性って何?」
「何だ、藪から棒に」
急な話題転換、それも話のベクトルが全く違う話題に少し戸惑うフォロリス。
ベラはそのような事露知らず、楽しそうに足をぶらぶらとさせ、笑みを浮かべる。
「ただちょっと、興味があるってだけ。
ほら、フォロリスって姫様にも手出さなかったでしょ?」
「……ジャックめ」
「いや、私ジャックと一緒に覗き見してたから。だからこれを知ってるのは、ジャックのせいじゃないわ。あっ、でも貴方が姫様に全く手を出さなかったって噂は流してないから」
ジャックとの共犯だが、罪はジャックの方へとかぶせるように誘導する。
とはいっても、ほぼジャックの自業自得なのだが。
からかう材料が見つかれば即行動に移す性格が災いしてしまったのだ。
「盗み見とは、随分いい趣味だな」
厭味ったらしく吐き捨てるように、フォロリスは言う。
「まあまあ、別にいいじゃない。何も減らないんだし」
手のひらを縦に振り、宥めるベラ。
実際フォロリスが持つベラへの信用がかなり減ったのだが、ベラはそのような事はあまり気にしない。
何故なら彼女は、人を信じない。それがたとえ、共に戦果を上げてきたフォロリスでさえも。
無論感謝はしているし、フォロリスに恨みを持った事も無い。
彼女は、アンドロイと非常によく似ている思考なのだ。
「で、どうなの? 好きな女性のタイプ」
「植物状態の人がいい、何も言わないし扱いが楽だし」
フォロリスの言葉を聞き、ベラは少し不快感を抱いた。
とはいっても、ベラも人のことを言えた義理ではない。
故に何も言わず、ベッドに横になる。
ちょうど、ジャックと添い寝しているような形になった。
何故何も言えなかったのか、ベラは自問し自答した。
結果、彼女自身がこのような不快感を持つのさえ、おこがましいからだ。
何も言わず、全く動かず、ただ呼吸しているかしていないかの違い。
植物状態の人間と、死体は状態としてはかなり近い。
だというのに、人の事を言える筈が無い。
故にフォロリスにとっては、それが理想の彼女と言える。
フォロリスにとって、女とは鎖だったからだ。
妹はベストな体長にさせない為に、疲れという鎖で繋いだ。
彼女はフォロリスを、脅迫という鎖で繋ぎ手足として動かした。
ろくな女が周りに居なかったフォロリスにとって、女とは自らの行動を邪魔する鎖という印象しか残っていない。
だからこそ、鎖にもならず、不要になれば簡単に殺せる女が、フォロリスにとっては都合がいい。
「……ベラ、寝るなら自分の部屋で寝たらどうだ?」
「眠気なんて無い、ただ寝転がってるだけ」
ベラのささやかな八つ当たり、とはいってもフォロリスの安眠を妨害するだけの威力はある。
フォロリスは溜息を吐き、ジャックの近くに無造作に落ちている本を血管で突き刺し、引き寄せる。
そして、先ほどまで読んでいたページまで本を捲り、読み始めた。
当然本は、血管によって空いた穴と滲み出てきていた血によって汚れている。
「フォロリスってさ、結構趣味悪いわよね」
寝転がったままベラは、ナイフのカーテンを見て呟く。
フォロリスは何も言わず、ページをめくる。
部屋には、寝息と波によって揺れ、ナイフがぶつかり合う音。
そして本をめくる音だけが響き渡る。
退屈そうにベラは揺れるナイフを眺め、次第に眠気が来たのか大きなあくびをした。
「んじゃフォロリス、私ちょっと寝るわ。襲うんじゃないわよ」
「お前を襲う奴なんて居るか? 死体を犯す女なんて、性病が怖くて犯る気も起きんわ」
ベラは少し不貞腐れながら、布団の中へ潜り込む。
するとちょうど、ラインハルト兄弟が散った大陸が見つかったとアナウンスが鳴った。
ジャック「……納豆は、納豆はやめて」
ベラ「やっぱり死体は……腐りかけがいちば……」
フォロリス「……寝る場所、どうしよう」
To Be Continued!




