第五十七話 化け物の嫁
ラインハルト達が上陸した海辺から約二十キロ、見上げれば転げそうなくらい大きな城壁を持った街があった。
ウートガルズ、北欧神話に出てくる巨人の王が治める国である。
だがそれはあくまで神話上であり、身長はグリードの国民と何ら変わりない。
強いて違いを言えば、肌の色だろうか。
国民は皆、土色の肌をしている。これは比較的日差しの強いこの大陸に順応する為に、そう進化したのだと言われている。
だが、同じ環境同じ大陸で肌の白い人間も居る為、その説はある学者によって否定されている。
事実、この国を治める王の肌は白い。
だが、前国王の肌は黒かった。
では何故白いのか、それはある一種の病気故だ。
「……下らん」
現国王は窓から城下町を見下ろしながら、呟く。
部屋は巨大なベッドと木製のテーブル、そしてむき出しとなっている白い煉瓦も床と木製の扉以外何もない。
そんな空間の中に、二人の人影があった。
一人は、煌びやかな装飾や宝石等は全く施されていないのに、不思議と神秘的な美しさを感じる黒い布服に身を包んでいる。
ダークエルフに特注で造らせた一級品、万物の剣でさえ斬き刻むのは不可能という逸話がある特別な品。
本来はダークエルフを治める女王が着る物なのだが、その女王を偶然助けたのでお礼にと譲り受けた物である。
人間から見れば全身真っ黒という、お洒落感が全くない物に身を包んでいるのには、ある理由がある。
尋常性白斑、国王が生まれつき患っている病気だ。
別に何か害を及ぼすものではなく、これにより差別されるようなものでもない。
それだけであれば特注の服を着る理由にはならない。だが問題なのは、肌の白い人間だ。
自分こそが選ばれた人間であり、この国に住む民は皆奴隷なのだと本気で信じ込んでいる。
聖書にさえそう刻まれているのだ。
だからこそ白い肌を見せないように、『自分は白人に支配されている』と思わせないように、白い肌より目立つ黒い服を身にまとっているのだ。
「肌の色だとか生まれ育ちだとか、下らん差別だ。不必要な事に気をかけすぎだ。戦争になれば皆同じように野垂れ死ぬか、乞食になってでも生き延びる。そう思わんかね? ヨムンガルド」
国王は背後に立っている女性に話しかける。
胸に紅い宝石が装飾されている、真っ黒なフリルの付いたドレス。
髪は黒く、腰のあたりまで伸びている。
ごく普通に見えるが、普通の人間と圧倒的に違う部分があった。
彼女には足が無い、代わりに黒い蛇のような物体が黒い布の下に隠れている。
彼女は人間ではない。
ラミア、下半身が蛇になっている異種族。
爬虫類でもなく、哺乳類でもなく、どの生物群にも属さない種族である。
だが、それは別にラミアに限ったものではない。
中には、どの生物群に分類してよいのか不明な生物も数多く存在している。
代表的なのはスライムだろうか。
「……よく解りません、何分そこまで教養がある訳ではないので」
ヨムンガルドは困ったように頬をかく。
手は人と同じ形だが、黒い鱗におおわれている。
「まあ、簡単に言うとだ……戦争になれば、人種・種族・身分関係なく殺しても問題なくなるという事だ。
まあ、残念なことにもう戦争はそうやすやすと起きはしないがね」
国王は残念そうに、しかし平和をかみしめるように笑った。
ヨムンガルドも、つられて笑う。
五十年前にこの大陸で起きた大戦は終戦し、戦犯として優秀な兵士達が処刑された。
その数、一個師団相当。
故にもうどの国も、戦争を起こす気も力も残されていない。
自衛だけで手一杯なのだ。
もしこの状況下で攻めてこられたら、はっきり言ってかなり手こずる。今や兵士も平和ボケしているからだ。
だがそれは大隊での話、中隊程度であれば勝つことは容易だ。と、国王は自負している。
「ところでだヨムンガルド、話しは変わるが……君は前世というものを信じるかね?」
急な質問に、ヨムンガルドは首をかしげる。
そして、顎に手を当て考えこむ。
日の光に当たり、鱗が光沢を放つ。
「あまり信じておりません、もし前世からこんな性格であれば……恐らく産まれては来ていませんから」
そう言いながら、日の当たるところへと移動する。
彼女の下半身、蛇の部分には無数の傷が刻み込まれていた。
だがこれは誰かに襲われた訳でも、罠にかかった訳でもない。
自傷癖、別の国で奴隷として売られていた彼女は、自らの身体を恨み、一番の種族の特徴である下半身の蛇を傷つけた。
何度もナイフで傷を付け、血を流すことで落ち着きを取り戻す。
傷が悪化し膿んできた時には、奴隷商に止められ医者へと連れていかれたりもした。
それが彼女にとっては、とても運が良かった。
常識があり、奴隷を大切な商品とし、面倒を見る。
奴隷商の中には商品をゴミ屑のように扱う者は多い。
故に、そんな奴隷商に当たった彼女は、とても幸運だったと言えるだろう。
「あまり自分を卑下にするな、君はとても美しい」
国王はそう言い寄り、彼女の髪を優しく撫でる。
シルクのような手触り、宝石よりも美しい瞳、鮮やかな紅色の唇。
芸術品、彼女が売れ残っていた原因はしっぽの傷だけではなく、近寄りがたい神秘性があったからなのでは、と国王は思ってしまうほど魅力的。
「そういうお世辞は、奥様でも作って言ってください」
スルリと国王の手から抜け出し、ヨムンガルドははにかむ。
細長い肉に突き刺さりそうな犬歯が露出する。
「これは手厳しいな、私としては君を王女として迎えたいのだが」
国王はタハハと笑いながら、頭をかいた。
国王の言葉に、ヨムンガルドは顔を赤く染める。
そんな二人のピンク色の空間は、一つの無粋なノックの音によって崩れ去った。
国王はあからさまに不機嫌そうに舌打ちをし、ヨムンガルドはシュンとした感じで木製の黒い扉を開ける。
緑色の肌の黒い兵士が、右手を額に当て一礼をしてから入室した。
「失礼します、国王陛下」
「何の用だ、要件を言ってとっとと失せろ」
不機嫌そうな国王を宥めるように、ヨムンガルドが国王に寄り添う。
それに一瞬羨ましそうな眼を向けるが、すぐに光のない目に戻す。
彼ら兵士は、どれだけ頑張ろうと昇給しない。ただ安定した給料が支払われ、国王に使えるだけだ。
「先ほどトロイ海岸にて、約五十人の人影を見たとの報告が上がりました。
連中は皆、鉄の塊を持っており、それを三つ首の犬に向けると肉をぶちまけ殺したとの事です」
「……鉄砲か、他に特徴は?」
国王が発した聞きなれない言葉に、兵士は疑問を抱いたが、妙な質問をせずに国王の問いに答える。
この大陸では、まだ鉄砲等の火器はあまり出回ってはいない。
実用化しているのは別の大陸━━グリードや他のごく一部の大陸では開発されているが、グリード以外では実用化されていない。
それは鉄の加工と、見合っていない利益からだ。
まず、鉄の加工に火薬の製造がまだ未発達な為、一発撃つだけでもかなりの値段がかかる。
それで熊一匹仕留めたとしても、殆ど利益は出ず危険を冒してでも刀や弓で殺した方が安価に済ませるからだ。
故に、貴族の娯楽として使われるのが稀にある程度だが、その貴族でも滅多に持っている事は無い。
銃を製造する技術を持った職人が少ないからだ。
故に一般兵士が知っている筈も無いのは、当然である。
最もこの国には、銃なんて一丁も置いてはいないが……。
「ハッ。ハルピュイア偵察隊からの情報によりますと、船の甲板に奇妙な模様が記されているとか……これがその絵です」
兵士は懐から、丁寧に折りたたまれた紙を取り出し広げた。
そこには、赤い丸いの中に逆卍、ハーケンクロイツがデカデカと描かれている。
ドイツ第三帝国、ナチスの国旗。
海外ではタブーとされ、そしてある人物が好んで使っている国旗。
「ついに、ついに来たか……」
「あの、国王陛下?」
国王は右手で顔を押さえながら、細かく震える。
そして大きな声で笑う、実に楽しそうに。
狂気、その声に秘められているのは純粋にそれだけ。
狂気的に狂喜し、口が裂けたように笑い続ける。
口から血を流し、頬を歓喜の涙が伝う。
「ついに来たか、ついに来てしまったか!! この世界に、この土地に、この大陸に!!
武器は何だ、装備は何だ!?
MG15機関銃か、ハーネルMP28短機関銃か、R4MかSD2クラスター爆弾かヒトラー・ユーゲント・ナイフか!?
クッ、ククククク……」
斬り裂いたような笑みを浮かべ、彼の知っている人間が好みそうな武装を口ずさみ、狂気の声を上げながら兵士に命を下す。
病的に白い肌を露出させ、黒い布服の下から鞘と柄が木製の軍刀、九五式軍刀を取り出し、実に楽しそうに。
「全城内の兵士閣員に伝達、国王陛下直々の命令である!!
各兵武装し配置へ付き、襲い来るであろう怨敵を迎え撃てと!!」
「で、ですが本当に、この城に攻め入ってくるでしょうか?」
兵士は怖々と尋ねる。
巨大な戦争が起きたのは、彼が産まれる前であった。
故に戦争というものは、祖父母から聞いたものしか知らない。
戦争は恐ろしく、何も楽しい事は無い。誰もかれも口々にそう言う。
故に彼は戦争という未知なるものに恐怖している。
そして何より、殺さなければならないという抵抗感。
第二次世界大戦中の発砲率は、約二十パーセントであったと言われている。
それは、人が無意識のうちに同族を殺すのに躊躇うからだ。
当然、彼もそうだ。否、死んだところを見た事が無いので、それ以上に抵抗力があるだろう。
「愚問だな、青年」
国王は黒いマントを、右手を大きく開けてなびかせる。
背中から差し込める光を通し、兵士に黒い光を当てる。
「君がもし、開拓をするのだとしたら……誰だって最初から家が建ててあり、雨風凌げる場所の方がいいだろう? 建物を建てるのから始めたがる人間は、そうそう居ない筈だ」
後ろでヨムンガルドが、首をかしげる。
彼女は家畜を飼った事が無い、生まれつき奴隷だ。
故にあまり知識を持ち合わせておらず、『開拓』という普段聞きなれていない言葉が何なのか聞いてみたい欲求に駆られている。
尻尾をバタバタとさせ、待ち遠しそうに国王の背中を見つめる。
彼女は教養が無く、本を読むのが苦手だ。
だが人から聴くのは大好きなのだ。いつも寝る前に、国王に何か話を聴かせてもらっているぐらいに。
「ですが我々の国、ウートガルズは既に開拓は終了しております。
近くの炭鉱も、今では採掘しても石ころ程度の魔石しか出ません」
「……君、成績は優秀だけど頭硬いと言われるだろう」
国王は呆れかえり、手を額に当て首を横に振る。
一応、彼の持つ知識の中でかなり解りやすいように説明したつもりだ。
「それに、いざとなれば『聖槍』を突き刺せば、どのような不死性を持つ化け物でも消滅させられるじゃないですか」
兵士はのんきな声で言った。
聖槍、対化け物用にある宗教団体が創り上げた最終兵器である。
その槍を突き刺したものは、たとえ火を吹く龍であろうと一瞬で消滅させてしまうという、恐ろしい兵器だ。
だが、兵士のその言葉に国王は、深い溜息を吐いた。
「忘れたのか、聖槍はアールヴヘイムのエルフに持っていかれ、今ではカーボンナノチューブ製……じゃなくて、鋼鉄製の金庫の奥深くで眠っているのを」
兵士は思い出したように口を開ける。
アールヴヘイム、耳の長いエルフが住む都市。
大きな特徴としては、やはり大部分をエルフとハーフエルフが占めている事であろう。
国王が会い様している布福も、アールヴヘイム製である。
ダークエルフは、アールヴヘイムの隠れた場所に住んでいるという噂があるが、真偽のほどは定かではない。
「……まあいい、総員第一戦闘配置。速やかにな」
国王の命令を聞き、今度は何も言わずに敬礼をする兵士。
そして一礼をし、司令塔へと走って行った。
ラインハルト「そういやこの模様何なんだろうな?」
トリスタン「武器にでも使えそうだよな。こう、十字にして……大声で『そうあれかし!!』とか言ったり」
ラインハルト「お前……狩られるぞ」
To Be Continued!




