魔獣の見る夢
新たな挑戦者が、ミノタウロスの前に立っている。
黒い目と黒い髪をした青年騎士である。
右手には、二十八年前、ミノタウロスが自分に勝った男に与えた剣を持っている。
左手には、上質の盾が構えられている。
こちら側からは見えないが、ミノタウロスの探知スキルは、盾の裏にやはり覚えのある短剣が差し込まれ、左手にむかし見た腕輪が装着されていることを教えた。
指輪にも、首の護符にも、格別の恩寵を感じる。
何より、この騎士は、素晴らしい技と心気の持ち主である。
ミノタウロスの全身は、激しい闘いの予感に打ち震えた。
初めミノタウロスは、あの男が帰って来た、と思った。
だが、近づいてみて、いや違う、と気付いた。
やつではない。
だが、よく似ている。
やつが持っているはずの物を持っている。
ということは、こいつはあの男がよこしたのか。
あの男の代わりというわけだな。
よかろう。
さあ。
お前の強さをみせてみろ。
騎士は、ミノタウロスに向かって何事かをしゃべった。
ミノタウロスには人間の言葉など分からないが、じっとそれを見守った。
騎士は、しゃべり終えると、盾と剣を構え、静かに闘気を吹き上げた。
ミノタウロスは、素早く息を吸い気を練り、一瞬で間合いを詰めると敵の頭上に大剣を振り下ろした。
騎士は、左手の盾を頭上に掲げ、一歩も動かず、ミノタウロスの一撃を受けた。
ボス部屋のすべての空気が震えるような激しい激突音がした。
ミノタウロスの会心の一撃は、完全に防御された。
それだけではない。
ミノタウロスは、盾から生じた反発に、吹き飛ばされそうになった。
筋肉がきしみ、筋が何本も断裂した。
ミノタウロスは驚愕した。
これは、盾に攻撃を防がれた感触ではない。
同じ攻撃力を持った相手と剣をぶつけ合ったような感触である。
と同時に、ミノタウロスは、怒りを覚えた。
今、この人間は、後ずさりもせず、左手一本でミノタウロスの攻撃を受け止めた。
宙に構えた盾で。
ふざけたやつめ!
湧き出す怒りのままに、ミノタウロスは剣を右に引き、暴風のごとき威力をまとわせて真横からたたきつけた。
この攻撃はまともに受けるわけにいかないから、敵は後ろに下がる、とミノタウロスは考えた。
騎士は引かなかった。
緩やかにさえみえる最低限の動作で盾の位置を変え、両足の位置を調整すると、そのままミノタウロスの強攻撃を受けたのである。
やはり片手で。
あり得ない防御である。
ミノタウロスの巨体と怪力から繰り出される強攻撃が真横から襲ったのである。
この騎士にいくら膂力があろうと、体ごと吹き飛ばされてしまうはずだった。
だが騎士は、わずか半歩分ほどずりさがっただけで、見事に強攻撃を押さえきった。
逆に攻撃したミノタウロスのほうが、盾から生まれる反動で後ろに吹き飛ばされそうになった。
ミノタウロスは、さらに足腰に力を送り込むことで、この反動をしのいだ。
ミノタウロスの強靱な右肩が、左肘が、腰が、少なからぬ損傷を受けて悲鳴を上げている。
もう一度だ!
ミノタウロスは、剣をもう一度右に引き、同じ角度で、同じ高さで、もう一度、強攻撃を放った。
騎士は、平然とこれを受けた。
今度も騎士は、やはり半歩分ずりさがっただけである。
立て続けに攻撃を受けた損耗など、みじんもないかのように。
闘気をたたえながらも静かに澄み切ったまなざしで、ミノタウロスの次の動作をうかがっている。
かたやミノタウロスは、再び盾からの反動を浴びて、ダメージを受けた。
右肩も、左肘も、腰も、回復させずには闘えない。
ミノタウロスは、思わず一歩下がった。
損傷の回復もさることながら、ふと胸中に湧いたとまどいが、そうさせた。
攻撃した側が損傷を受けるという、この理不尽な事態にとまどっているのではない。
こんな盾の使い方はあり得ない、というとまどいである。
ミノタウロスは、さまざまな盾使いと闘った。
盾というものの凄み、恐ろしさを思い知らされた闘いもあった。
だが、巨大なタワーシールドを地に据えてならともかく、宙に浮かせたカイトシールドでミノタウロスの渾身の一撃を防いだ者などいない。
サザードン迷宮の百の階層を降りる途中でさえ、そんな相手はいなかった。
最下層に降り、メタルドラゴンを倒しきったあとは、なおさらである。
盾といえば、ミノタウロスには、忘れることのできないタワーシールドがある。
〈ヴァンデッサの盾〉と呼ばれる盾である。
その盾は、ミノタウロスを魅了しかけたほど、強力無比な武具であった。
だが、ミノタウロスは、盾を使いこなす強さよりも、盾を貫く強さを選んだ。
その結果、再びヴァンデッサの盾とまみえたときは、これを両断するまでになったのである。
そのミノタウロスの一撃を、このような盾で、このような体勢で防ぎきるなど、あり得ない。
あり得ないといえば、この騎士の盾の使い方が、どうも妙である。
盾使いというものは、特にカイトシールドやサークルシールドの使い手というものは、攻撃のタイミングや方向をそらし、攻撃を拡散、弱体化させるような闘い方をするものである。
この騎士の盾の使い方は、独特である。
わざわざミノタウロスの攻撃が最大の威力を発揮する点を作らせ、それを盾の中央に呼び寄せている。
こんな盾の使い方は、見たこともない。
いや、まてよ。
俺は、どこかで、こんな盾の使い方を見たことがある。
大したやつだと感嘆したことがある。
どこでだったか。
突然、ミノタウロスは思い出した。
あそこだ!
あのいやらしい敵がいた妙な場所。
あそこで最後に闘ったとき、俺と連携をしてみせた、あの犬っころ。
あの犬っころが、こんな盾の使い方をしていた。
ミノタウロスは、もう一度騎士を見た。
肉眼ではなく体全体で、目の前の存在を感じ取ろうとした。
そして、相手の正体を識った。
こいつだ!
こいつが、あの犬っころだ。
どこにいやがった。
俺が探しに行ったときは、いなかったのに。
王国歴千百十七年、ミノタウロスは、突如、上層に移動を開始し、五階層まで上がった。
百階層のあるじとなって以来、実に三十七年目のことである。
冒険者ギルドでは緊急警報を発し、ベテランのスカウトを派遣した。
スカウトが見たものは、背中を岩壁に預けて瞑想するミノタウロスと、部屋の隅でぶるぶる震えるコボルトたちであった。
そのときミノタウロスは突如立ち上がり、スカウトをにらみつけた。
驚いたスカウトは隠形を解いてしまったが、ミノタウロスはつまらなそうに瞑想に戻ったという。
王宮では、ミノタウロスが迷宮の外に出た場合に備え、災害級の対応を準備したが、討伐隊は出さなかった。
結局、十日間五階層にとどまり、ミノタウロスは百階層に戻った。
そうか、お前があの犬っころか。
ミノタウロスの胸は、懐かしい友に会えたうれしさと、その友と殺し合える喜びで満ちた。
われ知らず深い笑みを浮かべていた。
そして長いあいだ使わなかった、あるスキルを発動させた。
人間たちは、このスキルを、〈不屈の闘志〉と呼ぶ。
オーガ系ハイエストクラスモンスター、いわゆる〈鬼神〉の一部が持つ、常時発動型スキルである。
身体の強度と魔法抵抗を強め、一定の割合で体力が回復していくという効果を持つ。
五十階層のボスを倒して得たものであり、その後ランクアップを重ね、メタルドラゴン戦でミノタウロスを支えてくれた。
次に、インベントリから素早く赤ポーションを出して呑んだ。
そこに隙をみた騎士が、切り掛かってきた。
速い!
足も剣も、驚くべき速さである。
ミノタウロスは、コボルト戦士が移動速度と攻撃速度では自分を上回っていたことを思い出した。
後ろに跳んでもかわしきれないと判断し、跳び上がった。
ミノタウロスは、飛行はできないが、準備動作なしで高く跳び上がることができる。
跳び上がったのは、攻撃のためでもある。
剣の届かない空中から〈焼け付く息〉を浴びせることによって、闘いの主導権をつかむつもりだった。
だが、それより早く、騎士が剣先をミノタウロスに向けた。
しまった!
ミノタウロスは、攻撃を中止し、体を丸めて衝撃に備えた。
騎士は短く呪文を唱え、彗星がミノタウロスを直撃した。
この騎士は、準備詠唱もなく、したがって魔力収束の気配もみせず、強力極まりない攻撃魔法を放てるのだった。
背中を大きくえぐり取られ、内臓にも重大な損傷を受けた。
右肩が思うように動かない。
落ちていくミノタウロスを、騎士は剣をかざして待ち受けている。
ミノタウロスは、落下しつつ、〈焼け付く息〉を騎士に吹き付けた。
騎士は、盾をかざしてこれを防いだ。
紅蓮の炎は、盾の奥に吸い取られて消えた。
しかし、目的は達せられた。
ミノタウロスの目的は、盾を上方に構えさせることと、一瞬でいいから視界を奪うことだったのである。
ミノタウロスは、騎士が構えた盾に乗って、これを蹴り、反動で後ろに跳びすさった。
跳びすさりながら、インベントリから左手で〈不死の肉〉を取り出して口に入れ、呑んだ。
騎士は、ミノタウロスに蹴られた反動から瞬時に立ち直り、素晴らしい速度で追撃してきた。
前屈みになったミノタウロスの頭部めがけて、騎士の剣が大上段に振り下ろされる。
何かのスキルが乗せられた、非常な威力を持つ斬撃である。
ミノタウロスの右肩は、まだ動かない。
ミノタウロスは、左手で、騎士の剣を受けた。
剣は、ミノタウロスの人差し指と中指のあいだから入り、そのまま肘までを切り裂いた。
その瞬間、不死の肉が神秘的な効果を発揮し、まるで逆回しの映像のように、切り裂かれた腕が元に戻り、背中と内臓と右肩が修復された。
ミノタウロスは、右手の大剣を突き出した。
騎士はその突きを盾で斜め上にそらし、右手の剣を斜め下から一閃させた。
ミノタウロスは、すばやく剣で渦を巻き、騎士の攻撃をはじいた。
すると騎士の剣は、ふわりと空中で軌道を変え、ミノタウロスの首を刈りにきた。
不死の肉による一時的な不死状態にあるとはいえ、さすがに首を切り落とされるわけにはいかない。
剣を下からかち上げて、相手の剣をはじいた。
騎士は、そのはじかれた勢いをうまく利用し、くるりと剣に円を描かせて、ミノタウロスの首を今度は右から刈りにきた。
あまりに自然であまりに速い。
首は半ばまで切り裂かれた。
幸い不死の肉は効果を失っていない。
損傷はたちまち修復される。
ミノタウロスは、左に振り上げた剣を敵の首筋にたたきつけた。
盾がわずかに追いつかず、鎧の隙間に剣が食い込む。
首の四分の一は切れた。
ひ弱な人間にとっては致命傷に近い。
だが、騎士は、剣を返してミノタウロスの右脇腹に切りつけた。
と、騎士の首から噴き出しかけた血がとまり、みるみる傷が修復されていく。
ミノタウロスの右脇腹も、ただちに修復され、そこで不死の肉の効果が切れた。
二人は互いに一歩引いて、呼吸を整えた。
そうだった。
こいつは、あの剣を持っているのだったな。
俺があの男に渡した剣だ。
敵を切ると傷が治る剣だった。
そうか!
あの妙な場所での闘いのときも、こいつは犬っころの姿で、この剣を使っていたのだ。
全然違う剣に見えたが、それはこいつの姿も同じだったのだ。
とミノタウロスは理解した。
これほどの使い手が、さらに大きく強化されているわけである。
だが、今のミノタウロスの興味は、別のところにあった。
さっきのこいつの剣さばき。
確かにどこかで、見たことがある。
あれは。
あれは。
あの男の剣さばきと同じだ。
それだけじゃない。
こいつの闘気。
こいつの存在の気配。
やっぱりこいつは、あの男だ。
いや。
だが、あの男じゃない。
顔つきやら何やら、別のやつだ。
知力を得たとはいえ、ミノタウロスは迷宮のモンスターである。
親なくして生まれ、子を持つことなく死んでいくゆえに、親子だとか血のつながりだとかは分からない。
であるから、ミノタウロスは、自分なりの論理で、理解をした。
つまり、こいつはあの男ではないが、あの男だ。
あの男は、一つ前のこいつなのだ。
こいつは、一つ次のあの男なのだ。
そして、あの犬っころでもある。
よし!
望むところだ!
つまり、こいつを倒せば、俺は三人に勝ったことになるのだ。
再び攻防が始まった。
騎士の攻撃が横からくる。
ミノタウロスが剣で受ける。
少し高さを変えて再び騎士の攻撃が来る。
ミノタウロスが受ける。
騎士の攻撃は、恐るべき速さで十二回繰り返された。
すべてを受けきることはできず、三撃がミノタウロスの脇腹をえぐった。
続いて正面から騎士の攻撃が来る。
これも一撃では終わらない。
非常に高速な十二連撃である。
うち二撃が、ミノタウロスの肩と胸を斬り裂いた。
続いて騎士の攻撃が来る、と思った瞬間、姿が消えた。
そこだ!
ミノタウロスは、勘の命ずるところにしたがって、何もない空間を薙いだ。
騎士はそれを盾で受けたようである。
驚いたことに、まともな手応えがあり、騎士をはね飛ばした感覚があった。
騎士がミノタウロスの懐に飛び込み、斜め右から剣を振り下ろした。
騎士の姿は見えないままで、気配もないが、剣の気配ははっきり感じられる。
威力も速度も今までより劣る。
ミノタウロスは、苦もなく騎士の攻撃をはじいた。
騎士は一歩下がって、姿を現した。
もしかすると、姿を消しているあいだは、盾や剣の恩寵が落ちるのかもしれない。
今度はミノタウロスが、縦の斬撃を三連続で放つ。
騎士は盾を頭上に掲げて防御した。
ミノタウロスは、四撃目を放つとみせて、盾に大剣を押し付け、ぐいと相手を押しやって、自分も後ろにさがった。
左手をインベントリに差し込んで、赤ポーションを取ろうとする。
騎士が飛び込んできて、右から左、左から右に、じぐざぐに斬撃を放つ。
ミノタウロスは、ポーションを取ることができず、大剣を両手で持って、何とか騎士の攻撃をすべて打ち落とした。
ミノタウロスの大剣が、騎士の足元に打ち付けられる。
岩が飛び散り、礫弾となって騎士を襲う。
騎士は素晴らしい反射神経と動体視力をみせ、岩のつぶてをかわし、あるいは受け止めるが、さすがに数個の礫弾が足や腹に当たる。
しかし、騎士の鎧は頑強そのもので、まったくダメージが通ったようではない。
ミノタウロスは、ひび割れた岩をえぐり取るように大剣をたたきつけた。
大きめの岩のつぶてが十個ほど騎士を襲った。
騎士は盾でうまく急所を隠しながら、かすかに後ろに跳んでつぶてをいなした。
ミノタウロスは、感心した。
相変わらず、とんでもなくいい動きをするやつだ。
どうして、あんな動きにくそうな服を着けて、あんなに素早く動けるのか。
すごい連続攻撃だ。
こいつの連撃をかわしきることは不可能だ。
被弾は覚悟の上で攻め込むしかない。
だが、顔以外は全身あの硬い服で覆われている。
なかなか攻めにくい相手だな。
そう考えながら、ミノタウロスは、わくわくしていた。
どう闘えば勝てるかがみえない戦闘など、どのくらいぶりか。
これほどの闘気を浴びせられ続けるのは、どのくらいぶりか。
考えつつ、礫弾を放って作ったわずかな時間を利用して、赤ポーションを取ろうとした。
そこに彗星が降ってきた。
ミノタウロスは、急いで移動して、彗星の中心部分からはのがれられたが、左肩に強いダメージを受けた。
左肩と左胸が大きくえぐられ、左手は動かない。
そうだった!
こいつは普通の剣士じゃない。
距離を置いたほうが危険なやつなんだ。
と、ミノタウロスは思い出した。
もう一つ、ミノタウロスが気付いたことがある。
こいつ。
俺に赤い汁を飲ませないつもりだな。
二度続けて邪魔された。
そうだ。
そうに違いない。
こいつは、ちょっとやり合っただけで相手の強みや弱みを見分ける力を持っていた。
見えない収納袋を使わせないことが、勝負を左右するとみたか。
相変わらず油断のならないやつだ。
左手が動かない以上、大剣を両手では握れない。
離れればメテオ・ストライクが飛んでくる。
接近すれば、防ぎきれないほどの密度で連続攻撃を放ってくる。
攻撃すれば、恩寵品の盾で防いでしまう。
騎士の堂々たる闘い運びは、徐々にミノタウロスを追い詰めている。
だが、このような状態でこそ、より以上の力を発揮するのが、ミノタウロスである。
だからこそ、敗れた冒険者たちは、憎しみと畏敬を込めて、この怪物を迷宮の王と呼んだのである。
ミノタウロスは、風を巻いて騎士に襲い掛かった。
右手一本で大剣を高く振り上げ、たたきつける。
騎士はこれを盾で受ける。
盾からすさまじい反動が生じ、剣は上方にはじかれる。
ミノタウロスの右手が再び剣を振り下ろす。
盾の反動を利用しての垂直連続攻撃は、都合二十三回続いた。
その間に、パッシブスキル〈不屈の闘志〉が、ミノタウロスのダメージを修復した。
やっぱり、そうだ。
こいつは、強い攻撃を盾で受けるとき、防御と攻撃を同時には行わない。
つまり、強い攻撃をし続けることで、こいつの攻撃を封じることができる。
と、ミノタウロスは思考していた。
二十四撃目に、ミノタウロスは左手を添え、盾を打つとみせて剣の軌道を変え、騎士の足元を削ろうとした。
鎧ごと断ち切らんばかりに。
二十三度も強攻撃を受け続ければ、突然の変化には体がついていかないものである。
だが、騎士は、この変化に見事に対応した。
盾を素早く下げて、ミノタウロスの剣に当てて軌道をそらした。
ミノタウロスの剣が、むなしく地に突き立った。
この隙を、騎士は見逃さない。
騎士の剣が、水平の円を描いた。
攻撃が来ると予測していたミノタウロスは、防御力が一瞬だけ格段に上昇するスキルを発動した。
剣尖は美しい真円を描き、ミノタウロスの左の胸板に到達し、これをやすやすと斬り裂いて右の胸板から出ていった。
ミノタウロスは、大剣を下から跳ね上げた。
騎士が盾で受ける。
ミノタウロスは、盾ごと騎士を持ち上げるようにして上方に吹き飛ばした。
横一文字に斬り裂かれたミノタウロスの胸から血が噴き出す。
騎士は空中でくるりと回転して、油断なく着地した。
人間のくせに、この騎士の動きは、夜のけもののようにしなやかだ。
流れる血にかまわず、ミノタウロスは突進した。
闘いの喜びが、強敵と競い合える幸福が、ミノタウロスの全身をひたしていた。
もう痛みも駆け引きも、どうでもよかった。
両手で持った大剣を、ただひたすら騎士に向かって振り下ろし続ける。
振り下ろしながら、新たな発見が、ミノタウロスを驚かせていた。
あの剣の軌跡。
時がゆっくり流れるかのような、ゆるぎない剣筋。
あれは、あの男のものだ!
あの細剣使いの剣そのままだ。
こいつは、あの細剣使いでもあったのか!
かつて〈ヴァンデッサの盾〉と出会い、攻撃力を高めたいと心の底から願ったミノタウロスは、力任せの剣に限界を感じ、技を希求した。
だが、どうやって技を磨けばよいのか。
悩んだ末にたどりついたのが、あの細剣使いの剣技を思い出し、それを再現する、という方法だった。
苦しく、先の見えない修行の日々が続いた。
モンスターたちがミノタウロスの修行の糧となった。
次々と襲いくる人間たちも、ミノタウロスを磨いてくれた。
そしていつか、ミノタウロスは、あの美しい円を描けるようになった。
その細剣使いとみまごうばかりの剣筋を、この騎士はみせた。
この騎士は、あの細剣使いの技と命を継ぐ者なのだ。
つまり、この闘いは、もう一度あの細剣使いと、今度こそ正面から堂々と戦う闘いでもあるのだ。
ミノタウロスは、喜びのあまり発狂しそうだった。
思いをめぐらせながら、ミノタウロスの攻撃は、続く、続く。
威力を少しも落とすことなく、真上からたたきつける斬撃が、続く、続く。
ことごとく、その斬撃は〈エンデの盾〉に防がれる。
しかしそれでも、ミノタウロスの攻撃は、続く、続く。
〈ヴァンデッサの盾〉と二度目にまみえたときも、そうであった。
人間たちのひ弱さを見下しはじめたころ、あの盾は再び現れた。
自分の渾身の打撃をもってしても打ち破ることのできない強力な防御というものの存在を、ミノタウロスはみせつけられたのである。
そのときミノタウロスは、どうしたか。
斬撃を浴びせ続けたのである。
いかなる強固な防御も、それを上回る斬撃を与え続ければ、必ず破ることができる。
そう信じて、ひたすら〈ヴァンデッサの盾〉をたたき続けたのである。
そして百撃を越えたとき、あの強固な盾を、ついに真っ二つに打ち割ることができた。
今日も同じだ、とミノタウロスは思った。
千撃でも万撃でも、この強い板きれを断ち切るまで、ただ斬りつけ続けるのだ、と。
あのときに比べれば、今回は楽であるともいえる。
なぜならあのときは、盾の防御力を最大に発揮させる戦士と、ミノタウロスの皮や骨を容易に切り裂く剣を持つ戦士と、二本の剣を自在に操る疾風のような戦士の三人が相手だった。
今日は、たった一人の騎士が相手である。
騎士の技は、地上の人間たちが、迷宮の恩寵に助けられつつ築き上げた、いわば地上の武技の精華である。
ミノタウロスの強さは、迷宮で生まれ迷宮で練り上げた、いわば迷宮の武技の結晶である。
つまり、この闘いは、迷宮と地上と、二つの歴史の落とし子である武技が覇を競う闘いでもあった。
誰も知らない暗い地の底で、大陸史上最高の闘いが、今繰り広げられている。
その後、騎士はさまざまな技を試みた。
小刻みに横に移動し、間合いを狂わせながら、ミノタウロスの隙をうかがい。
大剣を剣で受けて、ミノタウロスの横をすり抜け、攻撃を繰り出し。
攻撃をそらし、距離を取って魔法攻撃を繰り出し。
果てしなく続く闘いのなかで、ミノタウロスは、一つ気付いたことがある。
この騎士は、相手の魔法攻撃を吸い取って、おのれの魔法攻撃に使うことができるのだ。
また、この騎士には、異常系攻撃は、まったく効果がない。
だから、〈ハウリング〉〈焼け付く息〉〈砕け散る息〉などは使うのをやめた。
すると、騎士も魔法攻撃をしてこなくなった。
技の応酬が続く中、
まずい。
とミノタウロスは思った。
自分の剣は、もうすぐ折れる、と感じたのである。
目の前の騎士は、収納袋を使う時間を与えようとはしないだろう。
剣がなければ闘えない。
危険を冒してでも、次の剣を出さねばならない。
ミノタウロスは、剣を振り上げるふりをして後ろに跳んだ。
騎士がすかさず追撃してくる。
ミノタウロスは、剣を投げた。
騎士が盾ではじく。
ミノタウロスは大きく胸をそらしながら、瞬間身体強化を行いつつ、右手を左肩の上に差し伸べた。
騎士の剣がミノタウロスの胸を切り裂く。
ミノタウロスが、インベントリから剣を取り出し、そのまま騎士の頭にたたきつける。
騎士が盾で受ける。
その盾に、ミノタウロスの胸から吹き出た血が飛び散った。
ミノタウロスは賭に勝ったことを知った。
傷は浅い。
そして、もう一つのことを知った。
かつてはやすやすと胸を切り裂いた騎士の剣尖が、今は強化された胸板に食い込みかねた。
いかに優れた武器であれ、その威力を引き出すのは使い手である。
この騎士も疲れ、技の威力が落ちてきているのだ。
それから、どれほどのあいだ、ミノタウロスと騎士は攻防を繰り返したろうか。
ついに、その時が来た。
ミノタウロスの振り下ろした大剣が、騎士の掲げた盾を断ち割ったのだ。
やったぞ、と喜ぶミノタウロスの大剣めがけて、騎士は剣をたたき付けた。
この闘いで初めて両手で剣を振る騎士の動きに、わずかに魔獣の対応が遅れた。
泣き叫ぶような音を立てて、ミノタウロスの武器は砕け散った。
すかさずインベントリに伸ばしたミノタウロスの右手を、騎士の剣が斬り飛ばした。
疲れ切っていたはずの騎士が、いったいどこにこんな力を隠していたのか。
さしもの不死身の怪物も、体力と気力を使い果たし、かすむ目で騎士をにらんで、一瞬立ち尽くした。
騎士の剣が首を薙ぐ。
ミノタウロスは、ぐっと胸をそらして頭を引いた。
こうすれば、首が騎士の間合いから外れる。
が、騎士は間合いの外側を切る技を繰り出した。
とっさに首を左にひねるミノタウロス。
右の角が根元から切り飛ばされ、宙を舞った。
このとき、ミノタウロスの左手には、大剣の残骸がある。
ほとんど刃の残っていないその残骸を、ミノタウロスは振り上げた。
それを振り下ろす間もなく、騎士の剣がミノタウロスの心臓を貫いた。
噴き出す血潮が騎士の剣を、手を、胸を染めてゆく。
死ぬ。
俺は死ぬ。
ああ、なんとも気持ちのいい時間だったなあ。
ずっと続けばいいと思ったが、やはり終わりがきたか。
至福、といってよい満足感がミノタウロスをひたしていた。
外の時間でいえば一昼夜を超えて、二人の戦士は闘った。
技の限りを尽くし、打ち、打たれた。
いつの間にか、どちらが生き残るかなど、小さなことに思えてきた。
そして、命が尽きようとした最後の瞬間。
ミノタウロスの奥底で叫ぶものがあった。
まだだ!
まだ俺は生きている!
ミノタウロスは、激しく身をよじった。
騎士の剣が、血まみれの手から、ずるっと抜けた。
突然、騎士は凍り付いた。
剣から流れ込む恩寵が失われたためであろう。
今だ!
ミノタウロスは最後の力を振り絞って、左手の剣の柄を、騎士の脳天に振り下ろした。
頭蓋骨の砕ける感触があったような気がしたが、もう見えない。
ミノタウロスは、おのれの体を支えることもできず、そのまま倒れていった。
倒れていくわずかな時間の中で、ミノタウロスの脳裏を、これまで出遭ってきた敵たちの姿がよぎった。
魔法使い、細剣使い、盾使い、騎士、そしてあまたのモンスターたち。
素晴らしい敵たちだった。
楽しい楽しい闘いだった。
そして最後に、最高の相手と心ゆくまで全力の殺し合いができた。
これ以上望むことはない。
ミノタウロスの体は地に倒れた。
騎士もミノタウロスの上に倒れてきた。
薄れゆく意識の中、ミノタウロスは、おのれの体が不思議な温かさに包まれているのを感じた。
ああ、やつだ。
俺に二度目の命をくれ、さらなる闘いを与えてくれたあいつが、今、ここにいる。
いや。
たぶん。
ずっと、やつはそばにいたのだ。
俺がどう闘うか、与えられた命をどう使うか、じっと見ていたのだ。
ミノタウロスは、恩寵の源である存在から、望みは果たされたか、と訊かれたような気がした。
それに対する答えは、肯定以外にあり得ない。
だが、そのときふと、おのれの上に倒れている、騎士のことを想った。
いや。
いや、まてよ。
もしも、もしもこの俺にも。
もしもこの俺にも、次の俺があるなら。
今の俺の次の俺があるのなら……。
この次のこいつと。
この次のこいつと。
もう一度、闘いたい!
「××××××××××」
ミノタウロスの祈願に答えが与えられた。
言葉を知らないミノタウロスには、その答えを理解することはできない。
ミノタウロスの意識は、柔らかな闇の中に溶けた。
そしてあまたの夜と昼の果て、らせんのごとく時はめぐり、再び約束の日は訪れる。
(了)




