ヴァンデッサの盾 第5話
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ガイウスとザリエルは、敬愛するあるじがミノタウロスになぶり殺しにされるのを、憤怒と憎悪に燃える目で見届けた。
死んだあるじの体は、迷宮の摂理に従って消え去った。
二人の目の前で、ミノタウロスは、あるじを殺して得た経験値でレベルアップをした。
あるじの命に逆らってでも飛び出したかった。
あるじを助け、この汚らわしいモンスターをたたき殺したかった。
しかし、限りある一生を名誉を守って生き、死んで、永遠の栄光をつかめ、と騎士の規範は命じる。
ケルガノスの一族は、闘いに生き、闘いに死ぬ。
あまたのモンスターを殺して名誉を重ね、最後にはモンスターとの闘いの中でこそ死ぬ。
それがケルガノスが唯一価値を認める生き方なのである。
たとえこれがシェルクエルの最後の闘いになろうとも、その言を辱めるような振る舞いはできない。
あるじが一度闘いに手を出すなと口にした以上、新たな言霊で書き換えられないかぎり、それは神への誓いに等しい。
ゆえに、二人の従騎士は、心中に復讐を誓いながら、あるじの遺命どおり、スカウトと刻印術師を六十階層に送り届けた。
そして迎えに来た瞬間移動術師に、一刻後再度迎えに来ることを約束させて、六十二階層に下りた。
このとき、スカウトのラジルは、同行して協力したいと申し出た。
直情の気質を持つザリエルは、おうっ、と一声吠えて、諾意と感謝を示したが、ガイウスが謝絶した。
ラジルは、偵察の専門家として、得た情報をギルド長に報告することになっており、それを果たすのが先決であるという理由であった。
ガイウスとザリエルは、ミノタウロスの闘い方と能力を、その脳裏に焼き付けている。
装備を含めていえば個々でもミノタウロスに勝るこの二人が連携して闘えば、必ず勝てる。
しかし、二人が六十二階層のボス部屋に帰り着いたとき、そこにミノタウロスの姿はなかった。
残されている物は、シェルクエルが身に着けていた装備ばかりである。
ただし、足りない物があった。
ヴァンデッサの盾が、いずこかに持ち去られていたのである。
二人の従騎士は、悔しさに唸った。
許された時間はあまりに少ない。
地上に戻れば、入り口で待つ家臣たちを伴って領地に帰り、シェルクエルの長子に事の次第を報告しなければならない。
この場での追撃は、断念するほかなかった。
8
ガイウスとザリエルがあるじの復讐を期してサザードン迷宮六十二階層を離れたころ、復讐の炎をまとう別の男が、五人の仲間とともに六十三階層のボス部屋にいた。
男の名は、アイゼル・リード。
氷系を中心に幅広い攻撃魔術を行使し、拘束魔術も得意で、近接戦もできるという、ちょっと変わったベテラン魔法使いである。
ぶっきらぼうだが人の面倒見はよく、人望がある。
迷宮探索のみならず、地上でのクエストも幅広く請け負い、ギルドの信頼も厚い。
Aクラス最上級の位置におり、遠くない将来Sクラスに昇格する見込みである。
この男は、クエストから帰還して、娘の死を知った。
娘を殺したのは、ミノタウロスであるという。
ギルド長にしつこく食い下がって、詳しい情報を得た。
そして、見知った冒険者たちに頼み込んで、ミノタウロス討伐のパーティーを組んだのである。
初め、冒険者たちは、ミノタウロス討伐に乗り気ではなかった。
娘の復讐をしたいアイゼルの気持ちは分からないでもないが、上級冒険者がわざわざパーティーを組んで闘うような相手でもなく、あまりに見返りが低い。
冒険者たちをその気にさせたのは、アイゼルがひそかに漏らした、ある情報である。
ミノタウロスが、ギル・リンクスの遺品を所持している可能性がある。
アイゼルに事の経緯を説明した冒険者ギルド長バラスト・ローガン自身は、ギルがミノタウロスに殺されたという推測に否定的であった。
だが、アイゼルは、不幸な偶然や、思いもかけないいきさつで、圧倒的な強者がはるかに格下の相手に殺される場面を、嫌というほど見てきている。
恩義ある師匠のギル・リンクス。
いや、自分だけではない。
ギルが、どれほど多くの人を助け支えてきたか。
そのギルを、あのミノタウロスが殺した。
あの魔獣は、娘の仇であるだけでなく、ギル・リンクスの仇でもあるのだ。
どうしても殺さなければならない。
集まったメンバーは、戦士のゾルディック・ボーエン、スカウトのヤーバ・ガルガ、支援魔法使いのサルマス・ブルガン、回復魔法使いのオーギュスト・ベッラ、攻撃魔法使いのハイゼル・チャンピオンである。
ハイゼルはSクラスで、ほかはAクラス上級の、いずれも七十階層台から八十階層台を探索する腕利き冒険者である。
一行は手分けをしてミノタウロスの足取りを追い、スカウトと支援魔法使いが、六十二階層のボス部屋近くでミノタウロスを発見した。
そして、ミノタウロスがボス部屋に入りサウザンドアイズ・ゴーストを倒すのを確認してから他のメンバーと合流し、見たことを報告した。
それにより、ギルが所持していたはずの恩寵品をミノタウロスが持っていることが明らかになった。
ミノタウロスは、このあと、六十三階層に下りると予測される。
一行は、六十三階層のボス部屋にミノタウロスをおびき寄せて倒すことにした。
戦士とスカウトが、階段の見える曲がり角に待機する。
ずいぶん待たされた。
もう一度六十二階層に様子を見に行こうか、と二人が話しているところに、やっとミノタウロスが姿を見せた。
戦士が、ミノタウロスの出現を仲間たちに報告しに走る。
スカウトの役割は、ミノタウロスを引きつけて、ボス部屋に連れていくことである。
ただし、早すぎてはいけない。
スカウトは短弓を取り出して、ミノタウロスを射た。
おお、怒ってる、怒ってる。
そのまま俺を追って来いよ。
途中の部屋なんかに入るんじゃないぞ。
さてさて、それじゃ、逃げますかね。
9
ミノタウロスは、ひどくいらだっていた。
矢を撃ってくる敵がいる。
だが、追うと逃げる。
角を曲がると、気配も姿も消えている。
しばらくすると、また姿を現して、矢を射てくる。
何とも腹立たしい敵だ。
見失っては、また見つけて追う。
それを何度繰り返したか。
逃げる相手を追って、大きな部屋に飛び込んだ。
ボス部屋である。
ボスはいない。
冒険者たちが倒したからである。
リポップまでには、ずいぶん時間がある。
支援、回復、攻撃の三人の魔法使いは、部屋の中央に立っている。
ミノタウロスが持っているのは長剣である。
回廊が狭かったため、バスターソードから持ち替えたのである。
三人を、青い燐光を放つ半球形のドームが包んでいる。
対物理攻撃用の防御障壁である。
迷宮のモンスター戦では、魔法障壁は、あまり使われない。
深い階層では、物理魔法の片方だけでは敵の攻撃に対処しきれないことが多い。
また、詠唱時間が非常に長く、効果は短く、膨大な魔力を消費してしまう防御障壁は、使い勝手が悪い。
位置が固定されてしまうのも、大きな欠点である。
だが、物理攻撃特化で特殊攻撃がハウリングしかないミノタウロスをおびき寄せて倒すには、とても都合のよい魔法である。
魔法使いたちは、すっかり準備を終えている。
障壁を作って消費した魔力を、青ポーションによって補いつつ、三人はそれぞれ魔法を発動させた。
回復魔法使いは、スカウトの疲労回復を。
支援魔法使いは、障壁の横に立つ戦士に速度付加と、戦士の武器にダメージ付加を。
そして攻撃魔法使いは、ミノタウロスに攻撃魔法を。
ミノタウロスは、魔法発動の気配を察知し、横に飛ぼうとする。
「ダーク・ブリザード!」
攻撃魔法使いが放ったのは、範囲攻撃魔法であった。
たった一体のモンスターに対し、ダーク・ブリザードのような広域攻撃魔法を行使するのは、大げさで非効率ではあるが、はずす心配はない。
鋭い無数の氷の弾丸を浴びて、ミノタウロスの全身は傷だらけになった。
だが、闘いはまだまだこれからである。
「ほう。
これに耐えるのか。
なるほど、こんな大げさなやり方をするだけのことはあったんだな」
攻撃魔法使いが言う。
ミノタウロスは、突進をかけようとした。
それより早く、アイゼル・リードが魔法を放つ。
「アイシクル・ボンデージ!」
ばしゅん、と音をさせて地から棘だらけの白い木の根のようなものが十数本出現し、ミノタウロスに絡みつく。
冷たい。
よく見れば、それは氷で出来ている。
ミノタウロスは、氷の荊に全身を束縛され、一歩を踏み出すことも、剣を振ることもできない。
「ゾルディック!」
アイゼルの呼び掛けに応えて戦士が飛び出す。
防御系の恩寵が複数付いた皮鎧をまとい、右手には片手用フランベルジェを、左手にはソードブレーカーを持っている。
ミノタウロスは、依然身動きができない。
腹立たしげに身をよじるばかりである。
戦士がフランベルジェを振り上げる。
戦士の身長はミノタウロスの胸までしかないが、振り下ろした剣は、ミノタウロスの顔を射程に捉えている。
この攻撃を完全にかわすことはできない。
ミノタウロスは、剣が顔面を切り裂く直前、身体をひねりつつ反らした。
ミノタウロスの右胸がフランベルジェを受け止める。
波打つ刃がミノタウロスの体に食い込み、血しぶきを上げる。
だが、切れたものは体だけではない。
ミノタウロスは、右手を縛り付ける氷の荊を、戦士の剣で切らせたのである。
右手が自由になったミノタウロスは、自らの剣を振り上げて戦士を牽制すると、左手と上半身の荊を切り落とし始める。
そうはさせじと、アイゼルが再びアイシクル・ボンデージを発動させる。
しかし、氷の荊が伸びきる前に、ミノタウロスは片っ端からこれを切り落とす。
自身の体もずたずたに切り裂きつつ。
そして左手を左肩の上に差し伸べて、インベントリから丸盾を出した。
ミノタウロスの右前方から矢が、正面から魔法攻撃が飛んできた。
スカウトと攻撃魔法使いによるものである。
ミノタウロスは右手の剣で矢をはたき落とした。
十本以上飛んできた氷の槍はかわしようもない。
かざした盾は氷の槍を防げず、割れてしまった。
体中のあちこちを貫かれてしまう。
好機と見て飛び掛かった戦士を荒々しい一撃で押し返し、壊れた盾を投げつけて時間を稼ぎ、ミノタウロスは全身の力を振り絞って、縛めの荊を引きちぎろうとする。
おびただしい出血にもかかわらず、体力も戦闘意欲もまるで衰えていない。
ミノタウロスの頑健さを目の当たりにして、アイゼルは作戦を修正した。
高価な上級青ポーションをがぶ飲みしながら、拘束魔法を重ねがけする。
再び成長を始めた氷の荊は、ミノタウロスの下半身のみを拘束した。
「足の動きだけは確実に止めるっ。
ゾルディック!
やつの剣を引きつけてくれ。
できれば折っちまってくれ。
ヤーバ!
あまり近づくな。
矢で牽制するだけでいい。
ハイゼル!
でかいの頼むっ。
時間は稼ぐっ」
でかいの、とは詠唱に時間のかかる高威力攻撃魔法である。
これまでは、命中率を重視して範囲魔法しか使っていない。
そういう打ち合わせだったのである。
だが、確実に足止めができるなら、強大な単体用魔法が撃てる。
命中すれば一撃でこの怪物を破壊できる魔法を。
ミノタウロスに人間の言葉は理解できないが、攻撃魔法を撃ってきている人間が詠唱を始めたことは、きちんと察知していた。
放置するのはよくない。
だが、足にからまる縛めを何とかしなければ、動きが取れない。
何とかしようとすると、戦士が両手に持った武器を振り回して邪魔をする。
戦士に気を取られると、矢が飛んでくる。
この人間たちがこんなに速く動けるのは、おそらく青い壁の向こうにいる人間の魔法によるのであろう。
戦士には手傷を負わせているが、これも青い壁の向こうにいる人間の魔法が、傷を回復させてしまう。
腹立たしい。
腹立たしい。
人間どもの思惑にはまって、いいように痛めつけられている自分が、腹立たしい。
人間どもの連携の見事さが、腹立たしい。
こいつらを殺したい。
一人でも多く殺したい。
こいつらの頭をたたき砕いてやったら、どんなに愉快だろうか。
ミノタウロスの胸の中で、怒りと攻撃への欲求が膨れ上がっていく。
急速に煮えたぎる溶岩のように。
そしてそれは飽和点を迎えた。




