ヴァンデッサの盾 第2話
2
ミノタウロスは苦戦していた。
ここは、サザードン迷宮六十二階層である。
人間の頭部の倍ほどの直径を持つ眼球が、翼もないのに、ふわふわと中空を漂っている。
それがこの階層のモンスター、ワンアイド・ゴーストである。
ミノムシの皮のような表皮を持つ。
表皮には横一文字に切れ目があり、上下に開く。
まぶたのように。
待機状態のワンアイド・ゴーストは、まぶたを閉じたり、薄く開いたりしている。
まぶたを閉じるほどに、その姿は透明に近づき、背景に溶け込む。
まぶたを開くほどに、その姿は色濃くなり、目は明るい輝きを発する。
各部屋には、それぞれ一体のワンアイド・ゴーストがいて、明滅しながら敵を待っている。
侵入者があれば、かっと目を見開いて、電撃を放ってくる。
倒せないまま一定の時間が過ぎると、二つに分裂する。
さらに時間が過ぎれば、その二つがそれぞれ二つに分裂する。
分裂を繰り返し、際限なく増えていき、そのそれぞれが電撃を放ってくるのである。
侵入者が死ぬか、部屋の外に出れば、ワンアイド・ゴーストは、一つまた一つ姿を消し、最後には一体だけが残る。
このモンスターには、物理攻撃が通用しない。
いくら剣で切りつけても、すり抜けてしまう。
ワンアイド・ゴーストは、霊体系モンスターなのである。
倒すには、魔法攻撃か、属性武器が必要である。
その二つを持たない冒険者は、部屋には入らず回廊を進んで次の階層に進めばよい。
もっとも、ワンアイド・ゴーストにさえ手を焼くような冒険者は、七十階層以下には決して進めないが。
ミノタウロスは、部屋に突入しては、どうにも相手にダメージを与えられず、四方八方から電撃を浴びせられて半死半生で部屋を飛び出す、ということを何度も何度も繰り返していた。
モンスター部屋の外で、斧槍を抱えて座り込み、赤ポーションをちびちび飲みながら、しかし、ミノタウロスは、あることに気が付いた。
最初にあの電撃を浴びたときは、一撃で全身がしびれ、しばらく身動きができなかった。
だが今は、三発同時に浴びても、まだ動ける。
電撃に対する耐性が上がっているのである。
そうか。
闘い続け、我慢し続ければ、あの攻撃に耐える力は上がるのか。
負けを繰り返しても、俺の体は強くなり続けているのか。
無駄にみえる闘いは、無駄ではなかった。
ようし。
そうと分かれば。
ミノタウロスの身の内で、闘いへの意欲が再び膨れ上がった。
手にする武器は、ハルバードである。
目玉の化け物は高い所を飛んでいることもあるため、できるだけ長い武器を選んだのである。
ミノタウロスは、意気揚々と部屋に突入した。
再突入まで時間が短かったため、まだ目玉の化け物は、八体も残っていた。
電撃はまっすぐに飛んでくるわけではないから、かわすことは難しい。
ただ、変則的な動きをしていれば、向こうも命中させにくいようである。
右に左に細かく移動し、時に壁を蹴って方向転換をしながら、ミノタウロスは、ひたすら目玉の化け物に切りつけた。
しかし依然、ダメージを与えられる気配はない。
逆に目玉の化け物は、一発、二発、三発と、電撃を当ててくる。
ミノタウロスは、いら立ちと怒りを抑えきれない。
このうっとおしい目玉野郎め!
死ね!
死ね!
死ね!
しゃにむに切りつけた槍先が岩壁に激突し、折れた。
くそっ。
何かこいつに効く武器はないのか。
特殊インベントリをまさぐったミノタウロスの手に触れたのは、ちっぽけな短剣だった。
取り出してみて、いつどこで手に入れた短剣であったのか、思い出した。
あの細剣使いを倒して得た短剣である。
剣という武器の素晴らしさを、闘う者の心の強さを教えてくれた剣士の相貌が、ミノタウロスの心に映し出された。
あの男に、こんなぶざまな姿は見せられない。
と、ミノタウロスは思った。
心は高ぶらせてよい。
だが、乱してはならない。
いかなる苦境にあっても最高の力を発揮する者こそが強者だ。
ミノタウロスは、カルダンの短剣を逆手に持って、胸の前に構えた。
体のしびれが、すうっと引いていく。
あのとてつもない魔法使いと闘ったとき以来、ずいぶん長くこの短剣を持っていた。
これを持っていると、心が落ち着いてものがよく考えられるうえ、各階層の道順が分かるのである。
おかげで五十階層まで、ごくわずかな日子で下りられた。
この部屋の構造とモンスターの位置が、立体的に頭に浮かぶ。
ボス部屋を含む各部屋の位置とモンスターの所在、回廊の構造、階段の位置なども浮かぶ。
今までまるで歯が立たなかったワンアイド・ゴーストが、なぜか無力な雑魚の群れに見えた。
落ち着いてみれば、飛行の速度は遅く、飛び方にも一定の法則がある。
電撃を発する直前には、ためがある。
よく見れば、どの方角に電撃が飛ぶか、およその方向は分かる。
一度攻撃を放った目玉は、しばらく攻撃ができない。
攻撃をしてしばらくたった目玉だけに注意すればよい。
全部を完全にかわす必要はない。
二発や三発は耐えられるし、直撃でなければダメージも少ない。
今までの闘いが嘘のように、ミノタウロスは、電撃をかわしていく。
そして、一匹が不用意に近づいてきたとき、カルダンの短剣で目の玉の中央を薙いだ。
ばしゅんっ。
破裂するような音とともにはじけ飛び、うおぉぉーーーん、という悲鳴のような、古木をこすり合わせるような音を残して、ワンアイド・ゴーストは、あっけなく消滅した。
カルダンの短剣は、聖属性付与の恩寵を持つ。
カルダンの短剣自身が聖属性武器であるだけでなく、カルダンの短剣を身に着けていれば、あらゆる物理攻撃に聖属性が付与されるのである。
残る七体のワンアイド・ゴーストは、もはやミノタウロスの敵ではなかった。
3
「ここから六十階層に転移いたします」
冒険者ギルド職員の説明に、シェルクエル・ケルガノスは、鷹揚にうなずいた。
シェルクエルは独立騎士であり、バルデモスト王国西部のエストランシア領を統治する伯爵でもある。
独立騎士なのに伯爵位を持つというのは妙な話であるが、これには経緯がある。
もともと、ケルガノスは、ゴルエンザ帝国北部に領地を持ち、モンスター退治で広く武名を轟かせていた。
三百年ほど前、モンスターが少なくなったゴルエンザを出て、バルデモスト王国西部に住み着いた。
当時エストランシアは、一応バルデモスト王国の版図の中ではあったが、実際は治める者のない辺境で、あまたのモンスターが徘徊して人の侵入を拒んでいた。
ケルガノス家は、バルデモスト王にエストランシア領の開拓を申し出た。
バルデモスト王は、この名家の入植を喜び、名義上の伯爵位を与えて開拓と領有を認め、魔獣の討伐をもって王国西部の安寧に貢献することを進貢とみなして、定期的に財貨文物を下賜した。
また、臣下ではなく同盟者であることを明らかにするため、その身分は独立騎士とした。
ケルガノス家は、バルデモスト王に敬意を払うため、年に一度は王宮に伺候するが、その際の待遇と席次は上級の侯爵に準じるものである。
この厚遇に応え、機に応じてケルガノス家はその武威を王家のために役立ててきたのである。
現当主のシェルクエルが、父に連れられて初めて王都に上ったのは、王国歴千七十一年のことである。
シェルクエルの目には、王都の文化は退廃的で、王都の貴族は惰弱に映った。
その評価が一変したのは、天覧武闘会を観戦したときである。
達人と呼ぶべき武人たちがいた。
中でも、優勝者パーシヴァル・メルクリウスの武技は、ずば抜けていた。
すっかり興奮したシェルクエルは、非礼も省みずメルクリウス家にいきなり押しかけ、パーシヴァルに深く頭を下げ、どうぞお手合わせをと頼み込んだ。
人付き合いが悪いと評判のメルクリウス家当主は、意外にもあっさりと申し出を了諾し、メルクリウス家の練武場で、二人は技を競った。
パーシヴァルは、まったく技の出し惜しみをせず、シェルクエルは完膚なきまでにたたきのめされた。
その日から十日間、シェルクエルはメルクリウス家に泊まり込んで、毎日試合をした。
無口なパーシヴァルと剣で対話しながら、シェルクエルは、その武芸と度量と気高さに感じ入り、十歳も年下のこの若き変人を生涯の師と心に決めたのであった。
以来、毎年王都に上るのがシェルクエルの楽しみになった。
パーシヴァルも、シェルクエルが来るときはできるだけ自宅に戻るようにしてくれているようであった。
七年目の訪問で、いつも通り対応に出た家宰が、神妙な顔をしてシェルクエルを奥に案内し、内密に願いますと前置きして、パーシヴァルの死を告げた。
家宰の紹介で、シェルクエルは冒険者ギルド長に会い、さらに情報を得た。
そして、シェルクエルは、ギルド長にミノタウロス討伐への協力というクエストを依頼した。
ギルド長はこれに応じ、情報収集にあたった。
二日後、シェルクエルのもとに、ギルド長からの使いが来た。
五日前に五十八階層での目撃情報があり、二日前には六十階層のボス部屋にいたと推測される、という。
それから三日間でシェルクエルは王都での用務を急ぎ済ませ、四日目に従騎士二人と刻印術師を伴い、冒険者ギルドを訪れた。
ギルド長は、六十階層に記憶を持つ瞬間移動術師と、七十九階層までを踏破しているスカウトを待機させていた。
瞬間移動術師とスカウトへの報酬は、シェルクエルが支払う。
刻印術師は、メルクリウス家から派遣された。
カルダンの短剣の刻印を担当した術師であり、ミノタウロスがカルダンの短剣を所持していれば、たとえ特殊インベントリの中に入れてあっても、同じ階層でなら探知できる。
つまり、刻印術師は、ミノタウロスの所在について、シェルクエルに情報を提供できる可能性がある。
また、メルクリウス家は、ミノタウロスが本当にカルダンの短剣を所持しているかどうかを知ることができる。
無理に王都滞在の日程を引き延ばしてまで、シェルクエルがミノタウロス討伐に乗り出した目的は、必ずしも天剣の敵討ちではない。
納得できなかったのである。
ミノタウロスごときにパーシヴァル・メルクリウスが殺されたらしいということが、まず納得できない。
十階層ボスであるミノタウロスが、ボス部屋を飛び出し、モンスターと人間を次々に撃破しながら自由に迷宮内を移動しているということが、納得できない。
いったいこのミノタウロスは何者で、どのくらいの強さなのか。
五十階層のボスであるリザードマンを倒した、ということは間違いないようである。
ギルド長によれば、このボスを近接戦闘職の冒険者がソロで倒すには、最低でもレベル六十は欲しいという。
特に腕試しをするのでもなければ、サザードン迷宮の三十階層以下をソロで探索する者はいない。
三十階層より下は、パーティーによる探索が常識である。
逆にいえば、Aクラス冒険者でも、組み合わせのよい八人編成のパーティーを組めば、九十階層あたりまでなら探索可能である。
ところがここに、ソロで、五十階層をも越え、各階層でボスを倒しつつ、ひたすら下層を目指しているモンスターがいる。
いったいどんなやつなのか。
剣を交えてみるしかない、というのがシェルクエルの結論である。
一階層から六十階層に移動した一行は、落ち合う時間などを再確認して瞬間移動魔術師と別れた。
まずは五十九階層と五十八階層に足を運び、刻印の反応を確認したあと、下に下りていく予定である。
先頭を行くのは、二人の従騎士である。
この二人は、従騎士とはいえ、正騎士の資格を有している。
少年時代からシェルクエルの下で研鑽を積み、従卒、騎士見習いへと進み騎士になった、生え抜きの猛者である。
今でも従騎士でいるのは、シェルクエルの側近くに仕えるためである。
そのあとをスカウトと刻印術師が行く。
さらにそのあとを、シェルクエルが行く。
シェルクエルの足運びは、堂々として落ち着きはらっている。
それは王者の足取りであった。




