ヴァンデッサの盾 第1話
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ミノタウロスは、サザードン迷宮第六十階層のボス部屋に足を踏み入れた。
そこでは、三人の冒険者が、生白い体軀を持つ巨大なカマキリと闘っていた。
「ミノタウロスが侵入!
そのうち遭うだろうとは思ってたけど、くそっ。
こんなときに!
ミノタウロスの動きに注意しつつ、戦闘続行!
ミノタウロスへの攻撃は禁止!
あっちから仕掛けてくるようなら、俺が足止めするから、全員退避だっ」
階層ボスであるクリムゾン・マンティスが、巨大な二本の前肢を振り上げ、交互に激しくたたきつける。
マンティスの正面に立つ冒険者が、丸盾と剣で防ぐ。
身長は低めで、がっしりした体つきの戦士である。
伸び上がったマンティスの体高は、戦士の身長より高い。
そこからさらに振り上げてたたきつけられる鎌の形をした前肢は、一撃一撃が恐るべき破壊力を持つ。
だが、戦士は落ち着き払って攻撃をさばいている。
時折、さばききれなかった攻撃が皮鎧を切り裂き身体を傷つけるが、後ずさることもなくマンティスに対峙している。
その横で、二本の細剣を持った剣士が、マンティスの周りを回りながら攻撃を繰り返している。
先ほど指示を飛ばしたのは、この双剣士である。
マンティスは、わずらわしそうに双剣士に攻撃を仕掛けるが、双剣士は素早いフットワークでかわす。
少し離れた場所で、魔法使いらしい冒険者が呪文を唱えている。
ミノタウロスは、戦士の盾さばきに見入った。
厚みのある丸い盾を、この戦士は実に巧妙に使う。
マンティスの鎌は極めて速い。
長大な鎌の先端の速度は、ミノタウロスにも完全には見切れないほどである。
それを的確に盾の中央で受ける。
盾が間に合わないときには、右手の剣で攻撃をそらす。
それだけではない。
あるときは、前肢が当たる瞬間盾の角度を変え、あるいは突き出して、相手の重心を崩す。
あるときは、素早く踏み込んで、盾をマンティスの胴体にたたきつける。
盾を使う冒険者を見たのは初めてではない。
だが、今までは、あんな板きれを持つより、もう一本剣を持つほうがよい、としか思わなかった。
目の前で今繰り広げられている闘いは、その認識を改めさせるものであった。
この連続攻撃を受け止め続けることは、自分には難しい、とミノタウロスはみた。
ミノタウロスが防ぎきれない攻撃を、この人間は見事に受け止めている。
盾の力によって。
ミノタウロスの登場は、冒険者たちの戦闘に、少なくない影響を与えた。
魔法使いが、ミノタウロスに驚いて詠唱を中断してしまったのである。
準備されていた魔法攻撃が発動すれば、勝負は決したはずであった。
その準備詠唱の時間を、もう一度稼がねばならないのであるが、盾使いの戦士は、いささか疲労していた。
また、ミノタウロスの出現により、集中をわずかに欠いた。
それがミスにつながった。
「うっ」
戦士が声を上げた。
マンティスの右前肢が、盾の上辺を越えて内側に引っ掛けられたのである。
次の瞬間、マンティスは右前肢を強く引きつけ、盾は戦士の手からもぎ取られて宙を舞った。
無防備になった戦士の頭上に、マンティスの左前肢が振り下ろされた。
戦士は右手の剣でマンティスの鎌を振り払いながら、後退しようとする。
ざくっ。
だが、頭を直撃しそこねたマンティスの左前肢が、戦士の右足に突き刺さり、地に縫い止めた。
とどめとばかりにマンティスが右前肢を振り上げる。
双剣士が捨て身で飛び込んでマンティスの腹部に突きを入れるが、マンティスの殺意はなおも戦士に向いている。
そのとき、横から飛んできた火炎弾が、マンティスの頭部を直撃した。
魔法使いが高威力魔法の詠唱を中止し、とっさに放ったものである。
きりきりきり、とマンティスの首が魔法使いのほうを向いた。
その二つの複眼が、見る見る赤く染まっていく。
マンティスには、火系の攻撃が効く。
効きすぎる、といってもよい。
であるから、高威力の火魔法で一気に決着をつける作戦だった。
だが、盾使いを救うため、思わず火炎弾を撃ってしまったのである。
「いかん、狂化だ!
全員退却っ」
双剣士が、そう叫んで、マンティスの腹部を連続攻撃する。
マンティスは、二対四枚の翅を持つ。
前翅二枚は細長い。
後翅二枚は扇形をしている。
その四枚の翅を、ばっと開き、高速振動を始めた。
戦士が右手の剣を突き出す。
マンティスの姿が消える。
一瞬で、マンティスは魔法使いの真ん前に移動していた。
魔法使いに反応する時間も与えず、マンティスが右前肢を振り下ろした。
魔法使いの上半身が斜めに両断され、ずるりと胴体から離れる。
じゃばじゃばと音をさせて、内臓と血がこぼれ落ちた。
戦士は、マンティスが魔法使いに向かったのを見て、駆け寄ろうとした。
が、転倒した。
右足が、ずたずたに切り裂かれていたからである。
再びマンティスが超高速移動を行い、戦士の眼前に出現した。
真っ赤な目をしたマンティスが、右前肢を盾使いに振り下ろそうとしたとき、リーダーの双剣士が飛び込んで、剣で受け止めた。
マンティスは、狂気を帯びて、左右の鎌を交互にたたきつける。
双剣士は見事な反射神経で、これを受け止め続ける。
マンティスの右前肢を双剣士の左手の剣が、左前肢を双剣士の右手の剣が受ける。
受ける。
受ける。
受ける。
受ける。
ただ一度でも受け損ねれば致命的である攻撃を、双剣士は受け止め続ける。
息の詰まるような攻防が、二十度も続いたろうか。
マンティスの翅が、ひときわ高速に振動した。
それにつれて両前肢の攻撃が、さらに加速する。
「うおおおおおおおおおおおおお!」
端正な顔をゆがめ、すさまじい形相で叫びながら、双剣士がおのれの両腕をさらに加速させる。
そのとき、マンティスの攻撃が、ほんの一瞬止まった。
戦士の仕業である。
戦士は、双剣士が時間を稼いでくれているあいだに赤ポーションを服用して傷を治し、大剣を取り出してマンティスの横に回り込んで、右中肢を斬り飛ばしたのである。
体重の乗った脚を刈られて、バランスを崩すマンティス。
双剣士は、ここが勝機と見て、マンティスの体が倒れてくるのを待った。
その半呼吸の待機が命取りとなった。
マンティスは倒れなかった。
四枚の翅が生み出す揚力で体勢を維持し、再び斬撃を繰り出してきたのである。
双剣士の反応が、わずかに間に合わない。
双剣士の右腕が、肩の付け根から斬り飛ばされて、血しぶきを上げながら飛んでいった。
マンティスの次の斬撃は、双剣士の左腕を肘の所で断ち切り、血しぶきとともに、左手は地に打ち付けられた。
そしてマンティスの右前肢が、双剣士の首を斬り飛ばした。
双剣士が死んでも、マンティスの攻撃は収まらない。
大鎌が左右から双剣士の屍を切り刻む。
血と肉片は、マンティスの翅が起こす乱気流に巻き上げられ、辺りに降り注ぐ。
クリムゾン・マンティスの生白い体軀が、名の通り鮮血に染め上げられていく。
戦士はマンティスを攻撃し続けていた。
しかし、最初の一撃では右中肢を斬り飛ばしたものの、半ば浮遊する今のマンティスには、有効打は入れにくい。
戦士は、戦闘継続を諦め、重荷になる大剣を素早くインベントリに収納して、入り口のほうを向いた。
入り口前にはミノタウロスがいるが、こちらから攻撃しなければ戦闘にはならないという情報もある。
いずれにしても、ボス部屋を飛び出しさえすれば、マンティスが追ってくることはない。
生存へのわずかな可能性は、そこにしかないのである。
ダッシュしようと地を蹴る足が、双剣士の血糊で滑った。
気配を感じたマンティスが、双剣士を切り刻むのをやめ、戦士に向き直る。
たたらを踏む戦士の両脇に、マンティスの両の鎌が突き刺さった。
そのまま戦士を抱え上げると、マンティスは、きりきりと音を立てて口を開け。
戦士の頭部の上半分をかじり取った。
魔法使いも双剣士も、装備とアイテムをその場に残して消え去った。
迷宮で死んだ者は、人間であろうとモンスターであろうとその場で消滅する。
だが、戦士の体は、まだ消えていない。
マンティスの怒りが、戦士の屍体を現世に引き留めているのであろう。
かりかり、かりかりと、マンティスがかじり続けている。
そうしているうちに、マンティスの怒りも収まってきたのか。
四枚の翅は閉じられ、目の色も普段の青色に戻った。
ミノタウロスは、考えていた。
今ミノタウロスがその両手に持っているのは、シミターと呼ばれる曲刀である。
特に右手のそれは、鮮血のシミターと呼ばれる恩寵品で、切れ味は抜群に良い。
しかし、マンティスのような相手と闘うには、いささか線の細い武器である。
また、リーチが圧倒的に不足している。
マンティスの前肢は、伸ばせばミノタウロスの身長を超えるであろう。
シミターの刃はミノタウロスの手ほどの長さしかない。
ミノタウロスは、二本のシミターを特殊インベントリに収納すると、一本のバスターソードを取り出した。
少し前に人間から手に入れた品で、なぜかとても自分に合う気がした。
それもそのはずで、これは十階層のボスであるミノタウロスが、ごくまれにドロップする恩寵品なのである。
強大な敵と闘うときには、やはり打撃力のある武器がよい、とミノタウロスは考えた。
このバスターソードなら、マンティスの大鎌に打ち負けしないであろう。
それにしても、目の前のカマキリは強敵である。
先ほど人間の双剣士が見せた攻防の速度は、ミノタウロスをしのぐものであった。
このカマキリは、さらにその上をいった。
鎌の威力と切れ味は、ミノタウロスをも一撃で殺せるほどのものである。
しかも高速移動の技も持っている。
もしも、両方の鎌が同時に襲ってきたら、俺は受け止められただろうか。
と考えたとき、足元の丸盾が目に入った。
人間の戦士が使っていた盾が、マンティスにはね飛ばされて、転がってきたのである。
ミノタウロスは、丸盾を駆使してマンティスと闘うおのれの姿を思い描いた。
面白い闘いになるだろう、と思った。
マンティスが腹部までをかじり取ったとき、戦士の体は消滅した。
マンティスは、ミノタウロスのほうを見た。
ミノタウロスは、盾を拾い上げた。
ギシッ、ギシッ、ギシッと不快な声を立てて、マンティスはこの見慣れぬ敵を歓迎した。
四枚の翅を開いて、素早く振動させる。
狂化しているわけでもないのに、いきなり高速移動を使うということは、このモンスターがミノタウロスを強敵と認めた、ということにほかならない。
ミノタウロスは、左手に丸盾を、右手にバスターソードを構え、マンティスに向かって〈突進〉した。
マンティスの姿がぶれ、次の瞬間、ミノタウロスの目前に出現した。
右前肢がミノタウロスの頭部に振り下ろされる。
真上からの振り下ろしは、マンティスの最も強力な攻撃である。
これに高速移動の加速を上乗せした一撃は、戦慄すべき破壊力をもって牛頭の挑戦者に迫る。
対するミノタウロスは、ひるむことなく、むしろ加速しながら、渾身の力で盾をマンティスの右前肢に打ちつけた。
その一撃は、もはや防御ではない。
攻撃である。
しかも筋肉の怪物であるミノタウロスが、スキルによる加速と打撃力上昇の恩恵を上乗せしつつ、突進力のすべてを込めた攻撃なのである。
岩と岩とをぶつけたような破砕音が響き、盾と大鎌が衝突した。
マンティスの右前肢が、ぶちぶちっ、と音を立てる。
関節が、付け根が、衝撃に耐えかねて悲鳴を上げているのである。
右前肢はしばらく使い物にならないであろう。
鎌の先端は折れ曲がっている。
それにひるむマンティスではない。
ただちに左前肢を振り下ろす。
ミノタウロスは、左手の盾を右上方に構え、再び突進する。
マンティスの左鎌が盾に阻まれる。
そして、その盾の下から突き出されたバスターソードが、マンティスの胴体に深々と突き刺さる。
素早く引き抜かれた剣は、マンティスの左前肢を付け根近くで斬り飛ばす。
中空で反転した剣が、マンティスの頸部を横切る。
マンティスの頭部は、胴体から切り離されて、高々と宙を舞った。
勝った。
勝利は難しいと思われた相手であった。
その強敵に、いともあっさりと勝った。
ミノタウロスは、左手に持った盾を、まじまじと見つめた。
これは、使える。
マンティスが死んで消えたあとに、一本の剣が残った。
ミノタウロスが見たことのない形である。
まるでマンティスの前肢のような片刃剣である。
くの字型に湾曲した内側に刃がついており、禍々しいほどの切れ味を持つ。
人間たちは、これを〈マンティスの鎌剣〉と呼んで高値で売買する。
珍重する理由は、武器としての性能にあるのではない。
普通の人間が使うには大きく重すぎ、重心が先端部に寄りすぎている。
この剣が高額なのは、その材質ゆえである。
それは聖硬銀と呼ばれ、迷宮以外からは得られない。
非常に硬く、変質しにくい、最も希少で有用な金属の一つなのである。
ミノタウロスは、マンティスの鎌剣を戦利品としてインベントリに入れた。
三人の冒険者の残留品からも、気に入った物をいくつか拾った。
そしてボス部屋を出ると、次の階層に下りていった。




