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迷宮の王  作者: 支援BIS
エピローグ
35/44

ユトから吹く風

 


 これはこれは、侯爵様。

 ようこそ、このような辺境にお越しくださいました。

 また、お心のこもった供物の数々、御礼申し上げます。

 何しろ、この神殿は、ごらんの通り、行き場のない人を、大勢受け入れております。

 病やけがを癒しに来た人々にも、滞在のあいだは、無償で寝る場所と食事を提供いたします。

 やりくりも、なかなかでございましてな。


 侯爵様のご活躍の数々は、私どももとくと聞き及んでおりますとも。

 大陸守護騎士の栄称をお受けになられたそうでございますね。

 あなたさまは、バルデモスト王国のみならず、この大陸全体の大恩人様です。

 海から来た異人どもを、あなたさまが打ち破られたと聞いたときには、皆で感謝の祈祷を捧げたものです。


 はい。

 ここでは、何かというと、祈るのです。

 ただ祈ってばかりで何になる、とお思いですか。

 私も、以前は、そう思っておりました。

 聖職者は、祈るだけではだめだ。

 神殿に引きこもって偉そうなことを言う前に、街に出て困っている人を助けるべきだ、とね。


 しかし、ライエルラ様にお会いして、知ったのです。

 祈りほど大きな働きはない、ということを。


 この神殿は、以前からございました。

 ええ、前は、海の神殿と呼ばれておりました。

 ライエルラ様は、この神殿で、ただただ祈っておられたのです。

 お食事と、それから、巫女様のご教育以外は、起きておられるすべての時間、ひたすら祈っておられました。


 私は、ふと立ち寄って、そのお姿に接し、そのお背中を拝むうちに、わけも分からず泣けてきて、泣けてきて。

 やがて、ここに腰を落ち着けて、ライエルラ様にお仕えするようになりました。

 ほかにも、同じような者が出てまいりまして。

 たった四か月で、ライエルラ様はご帰幽になられました。

 巫女様に、「これからは、苦しんでいる人を祈り助けよ」と、言い残されて。

 ライエルラ様が、巫女様を見いだされて、共にこの神殿にこもられたのは、私がここに来る三か月前であったそうです。


 そうなのです。

 この教団は、たった二人で始まったのです。

 ライエルラ様と、竜の巫女様と、たった二人で。

 いえ、そう言っては違いますな。

 ライエルラ様は、組織とか集団とかいうことが、あまりお好きではなかったですからな。

 巫女様とライエルラ様を慕う人が集まるうちに、教団ができてしまったのです。


 え?

 ゴンドナ、ですか?

 はははは。

 どこで、その言葉をお聞きになりました?

 それは、西のほうの教会関係者が使う隠語のようなものでしてな。

 生臭坊主、というような意味です。

 ええ、ええ。

 ライエルラ様は、ときどき、冗談のように、ご自分のことを、そう呼んでおられましたな。

 ゴンドナ、と。


 あのかたは、祭り上げられるのを、非常に嫌われましたからな。

 聖人に認定されそうになったので、ゴルエンザ帝国を飛び出した、といわれるほどです。


 え?

 ああ、ご存じなかったですかな。

 ライエルラ様は、帝都のエルベト神殿で、高位の神官であられました。

 有名なかたですよ。

 もっとも、私も、本名を教えていただくまで、気が付きませんでしたがね。

 貴族嫌いがなければ、とうに神殿長になっておられたはずのかたです。


 ですから、私は、皆のように聖者様とか祖師様などとはお呼びせず、ただライエルラ様、とお呼びするのです。

 さすがに、ゴンドナ様、とは申し上げませんがね。


 ああ、そういえば、先ほどライエルラ様の墓所に、ずいぶんたくさんの上等なワインをお供えくださいましたな。

 いやいや、さぞかしお喜びのことと思いますぞ。

 なにしろ、あのかたの酒好きは、並一通りのものではなかった。

 一緒にお供えになった肉の塊は、見かけないものでしたな。

 え?

 エッテナの燻製ですと?

 そ、それはまた、ずいぶんと珍しいものを、ありがとうございました。


 おお!

 やはり、そうでしたか。

 侯爵様は、生前のライエルラ様と、ご面識がおありなのですね。

 立ち入ったことをおうかがいしますが、巫女様とはいかなるご関係で?

 なぜ巫女様は、あなたさまのことを、お父様、と呼ばれるのでしょう?


 えええっ?

 名付け親でいらっしゃると?

 し、しかし、あなたさまは、そのようなお年には見えませぬ。

 巫女様は、初めてお会いした九年前、すでに十四、五歳でいらっしゃいました。

 いえ、今も二十歳を過ぎておられるようには、とても見えませんが。


 ああ、しかし、でもまあ。

 巫女様は、何かと不思議なおかたですからなあ。

 少女のようでもあり、慈母のようでもあられる。

 無垢でもあり、叡智に満ちてもおられる。

 女神のようにお美しく、いかなる病も傷も癒す不思議な恩寵をお持ちでいらっしゃる。

 そして、強大な守護を得ておられます。


 巫女様を、無理矢理に招こうと兵を差し向けた王侯は、何たりもおられたのです。

 それが、雨や風や雷に阻まれ、最後には巫女様に泣きついて許しを乞う始末。

 竜神の化身である、というような噂が立つのも、無理はありませんな。


 それから、もう一つ、お聞きしてもよろしいですかな。

 先ほど、神殿の祭壇に、半ばで切れた動物の角のような物をお供えになられましたな。

 あれは、いったい。


 …おお! そうでしたか。

 なるほど、なるほど。


 それで、あなたさまは、かつてのご修行の旅に受けられた、神々の恵みと、人との出会いに感謝なさるには、この竜の神殿に参拝なさり、そのしるしをここの祭壇に捧げるのが最もふさわしい、とお考えになった。

 ああ!

 ライエルラ様も、さぞかしお喜びでしょう。


 長々と、失礼いたしました。

 どうか、このバルコニーでおくつろぎください。

 ほどなく、巫女様は、お勤めを終えられ、こちらに参られましょう。

 巫女様が、今日の日を、どれほど待ち焦がれておいでであったことか!

 何やら、運命の日、とまで仰せでしてな。

 はははは。

 では。






 ずいぶん遅くなってしまったな、とバヌースト侯爵アルス・ゴランは独りごちた。

 本当は、邪神の迷宮からバルデモストに飛ばされたあと、すぐにアレストラとの約束を果たしたかった。

 だが、一年間は、起き上がることもできなかった。

 僧侶や薬師が、毒ではない毒、と呼ぶ物が抜けるのに、それだけの時間を要したのである。


 落ちた筋肉を取り戻したころ、東の海から、異人たちの船団が来た。

 初めは会話すらできなかった異人たちは、この大陸の民を、野蛮人と呼び、一方的に服従を要求した。

 侵略に抵抗する戦争が始まり、北部のすべての国が団結した。

 のちには、ゴルエンザ帝国など南方諸国も参戦した。


 アルスは、王の命で襲爵し、領軍を率いて戦った。

 多くの人が死んだ。

 リガ公爵ドレイドルは、王国軍本隊を率いて奮戦し、壮烈な戦死を遂げた。

 代わって白卿の座についたユリウスを守って、バラストも死んだ。


 ドレイドルは、アルスにとり、不思議な伯父であった。

 ずっと、陰鬱な人である、と思っていた。

 母のエッセルレイアは、もとは優しく楽しい人であったと言っていたから、おそらくは、ガレストの死により、性格を陽から陰に転じたのであろう。

 だが、生涯の最後の数か月、ドレイドルの性格は、再び陽に転じた。

 大陸を照らす光となって、死んでいった。


 北部の国々をまとめて同盟を結成した手際は見事であった。

 南部諸国への呼び掛けを提唱し、わずかな期間で諸王諸侯と会談を重ねた実行力には、反リガ派も文句の付けようがなかった。

 対侵略戦争を人ごととしか考えていなかったゴルエンザ皇帝に対する、あの真摯な弁舌。

 取り持ったパタガモンも感嘆していた。


 そして、なんじの死に場所はここではない、という言葉とともに、焼け落ちる城から追い出されたとき、アルスは確かに肉親の温かみを感じた。


 あの戦争では、ユリウスもまた、それまでと違う面を見せた。

 わずかな情報から、異人たちが、海の彼方の大陸を代表する勢力などではなく、新天地を求める敗残者の群れに過ぎないことを探り当てた洞察力。

 ゴルエンザ皇帝への供物と称して、異人たちの高度な武器を見せつけ、はるかに進んだ文明を学ぶ機会であると察知させた交渉力。

 マズルー国からは魔法兵を、ロアル教国からは神官を、さっさと借り受けた先見の明。

 戦後の大陸全体の協力態勢をこそ重視した戦略の凄み。


 アルスもまた、戦争で変わった。

 成長し続けなければ、生きることも、生かすことも、できなかった。

 バヌースト侯爵領軍は、北部同盟の最精鋭と目されるようになり、アルスは、最も困難な戦いをいくども引き受けた。

 旅で知り合った人々が駆けつけて、アルスを助けてくれた。

 戦争に勝利したあとも、荒れた領土の再建や、新たな局面を迎えた諸国との外交に追われ、日々が過ぎた。

 エイシャ・ゴランの名は、意外なほど南部の人々の記憶に残っていた。

 その血を継ぐアルスは、早々に諸国の紐帯を取り持つシンボルに祭り上げられてしまい、引きこもることなど許されなかったのである。


 二十四歳になり、サザードン迷宮最下層で、ミノタウロスとの決着をつけた。

 そして、今、やっと、ここに来た。

 再び竜の神殿と呼ばれるようになり、新たな教団の拠点となった、この神殿に。


 ベランダからは、広く青い海が見渡せる。

 左にユトの島が見える。

 ユトの島から、風が吹き寄せる。

 鮮烈な海の香を運んでくる。


 そうだ。

 新しいものは、海から来るのだ。


 アルスは思う。


 世界の過酷さにあえぐ人間は、神に救いを求めた。

 神は人に、迷宮を与えた。

 人は迷宮から、力と宝物を得た。


 迷宮の王を、見よ。


 かの者は、狩られるのを待つだけの貧弱なモンスターにすぎなかった。

 その運命にあらがい、あがき、さらなる力を求めた。

 神々は、かの者の切なる祈願を聞き届けた。

 かの者は、闘い続け、強大なる力を得るに至った。

 その姿は、恩寵を求めて迷宮に挑んだ人の姿そのものではないか。


 だが、しかし。


 人は、かの者ほどに、ひたむきに、雄々しく、力強く、闘い抜くことができたろうか。

 昂然と運命に立ち向かい、歩むべき道を切り拓いてこれたろうか。

 あの日、邪神の迷宮で見たものこそ、迷宮の王の真実の姿だったのではないか、と今、アルスは思う。

 あのようでありたい、と思う。


 ユトの島の向こうには、アンポアンの港がある。

 その港で、まもなく、船が完成する。

 異人たちの船を譲り受けて改造した、最新鋭の冒険船である。

 乗組員の選抜と訓練も進んでいる。


 大洋の彼方には、異人たちの大陸がある。

 ほかにも、いくつも大陸があるという。

 数え切れないほどの島々もある。

 あまたの民族と国々があるのだという。


 そこには、新たな友が待っているであろう。

 新たな敵とも、出会うかもしれない。

 見たこともない文化、思いもよらない事物に出合うであろう。

 人が学び、成長するように、国も学び、成長する。


 大いなる航海の時代が、始まろうとしている。








 (迷宮の王 完結)








「迷宮の王」全編、無事完結いたしました。

ご愛読、応援くださり、ありがとうございました。


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