最終話 邪神の迷宮
1
暗く、風もなく、生き物の気配のしない場所である。
中央にある円形の平らな石が、青く発光している。
迷宮の中の部屋のような感じもする。
しかし、こんな形の部屋を持つ迷宮は知らない。
ちょうど、丸い果物の上半分だけを切り取ったような形である。
ザーラは、体がこの場所に慣れるのを待った。
太陽の照りつける砂漠から、いきなり暗い石室に移動したのであるから、目の働きひとつをとっても、すぐには正常に機能しない。
三度ほど呼吸をしたとき、レベルアップが起きた。
カードを改めると、八十レベルになっていた。
レベルアップで体調が回復して初めて、ザーラは、いかに自分の体が疲労していたかを知った。
同時に、あることに気が付いた。
ここは、迷宮ではない。
なぜなら、迷宮で自動的に発動するスキルが使えないからである。
では、ここは、どこか。
出入り口は見えない。
見えるものは、中央の青く光る石だけである。
ザーラは、それを踏んでみることにした。
そのとき、頭の中に、声が聞こえた。
「ザーラ殿か?」
どこかで聞いた声だと思ったが、返事もできないでいるうちに、
「やはりザーラ殿か。
動いてはいけない。
今、そちらに行く」
と声がした。
誰の声だったかと思い出す間もなく、幽霊のような姿が、暗い部屋に浮かび上がった。
それは、一年前、エルストラン迷宮で出会った、美しい男性であった。
希代の魔術師にして、ダンジョン・メーカー。
そして、神竜カルダンの夫。
「幽霊殿。
しばらくでした。
お元気でしたか」
「しばらくだったようだね。
元気ではないようだ。
本体が死んでいた。
私は、正真正銘の幽霊になってしまった。
この世にとどまっていられる時間は、ごく短い」
ザーラは絶句した。
「時間がない。
君は、ここがどんな場所か、知っているかな?」
「いえ。
突然、時が来た、約束を果たし、わが剣となれ、という託宣を受け、ここに飛ばされました」
「やはり、神々のご意志か。
もう一人の人も、そうなんだろうなあ。
それとも、どこかの迷宮から、条件をクリアしてやって来たのかな。
それにしても、まさか人間を使うとは。
ザーラ殿。
ここは、極めて特殊な場所だ。
ゆがんだ恩寵の集まる場所なんだ」
「もしや、邪神の迷宮ですか。
それなら、迷宮で使えるはずのスキルが発動しないのも分かります」
「なぜ、それを知っているのかな」
「ジャン=マジャル寺院の僧侶に聞きました」
「ジャン=マジャル?
ああ、あの妙に色っぽいお坊さんかな。
知っているなら、話が早い。
君が呼ばれたのは、もう放置できないほど、ゆがんだ神が成長したために違いない。
それを倒す役を神々は君に与えた。
来てしまった以上、敵を全部倒すしか出て行く方法がない」
「ここは、あなたが作ったのではないのですか?」
「私が作った。
だが、前にも言ったように私は戦闘力は低く、ゆがんだ神の相手をすることはできない。
だから、迷宮内部からは私に手出しできない代わり、私も迷宮内部に干渉できないようにしたんだ。
ここの構造を知っているかな?」
「いえ、迷宮専用のアイテムやスキルは使えないということと、瘴気と毒が渦巻いていること、邪神を倒せばゆがんだ恩寵は消滅することは聞きました。
迷宮の作りなどは知りません」
「この部屋が入り口で、下に五つの階層がある。
各階にゆがんだ神が生まれるが、数も姿も能力も、そのときそのときで違う。
倒しても経験値は得られないが、一種のボーナスとして、階層の敵を全部倒したらレベルアップができる。
また、階層の敵を全部倒したら、青いポータルが点灯し、移動が可能になる。
それ以外に移動の方法はない。
下の階層に行くほど、強力な個体が生成される」
「ポータルとは何ですか?」
「そこの青く光っている石だよ。
上に乗ると、対になる石の上に瞬間移動する。
この迷宮では、入り口は青く、出口は赤く光るようにしてある。
さて、ここからが重要だ。
君は今、カルダンが残した五つの恩寵品を持っているね。
それを全部装着しなさい。
特にカルダンの短剣は重要だ。
絶対に体から離してはいけない。
君はただちに死んでしまうだろう」
ザーラは、エンデの盾と、カルダンの短剣を取り出した。
カルダンの短剣はベルトに差し、はずれないよう革紐をきつく巻き付けた。
そのあいだにも、幽霊の話は続いている。
「君の前に、迷宮に入った人がいる。
人間ではなくて神霊かもしれないが、ここのことを知っている神霊なら私を待つはずなので、人間ではないかと思う。
そして、たぶん、その人一人だけでは攻略が困難になった。
それで君が呼ばれたのではないか、と想像している」
「今、誰かが闘っているのですか」
「そうだ。
この部屋に誰かが入れば、最高緊急度で私が呼び出される。
それで、なんとか霊体を形成することができた。
実は、サザードン迷宮の十階層のボス部屋にね。
私の眠っている部屋に続く、隠し扉があるんだ」
「あのミノタウロスがいた場所にですか」
「そうなんだ。
でも、これは秘密にしておいてほしい。
私は、カルダンが死んだとき、その柩の横で、永遠の眠りについた。
ところが、少し前に、私の体を保存していた容れ物が故障したようでね。
死んでしまった。
今ここにいる私は、本体を失った陽炎のようなものだ。
すぐに消えてなくなる」
「それはっ」
「ああ、そんな顔をしないで。
まったく問題はないんだ。
最初から、永遠の眠りについたつもりだったんだからね。
ただ、君に賞品をあげるのと恩返しをする約束をしたが、果たせない。
それが申し訳なくてね」
「こうして導いてくださるのが、何よりありがたいことです」
「そうか、ありがとう。
君は優しいね。
君の母上も、優しい人なのかな?」
「はい。
この上なく厳しく、美しく、そして優しい人です」
「うんうん。
あ、いけない。
一番大事なことを忘れていた。
最下層の敵を倒せば自動的に外に出る。
君の先に誰かが入ったが、まだ出ていない。
迷宮は今ざわざわしている。
ということは、まだ闘っているんだ」
「その人は、一人ですか?」
「え?
あ、そうか。
二人以上ということも、あり得なくはないのか。
ふむ。
何人かは分からない。
二人以上だとしたら、同時にここに入ったことになるね。
とにかく、いいかい。
この迷宮の中では、自分とあらかじめ自分の持ち物だった物以外は、正常に見えない」
「目に見えないのですか?」
「そうじゃない。
姿がゆがんで見えるんだ。
硬い物が軟らかく見えたり、白い物が黒く見えたりする。
強く美しい人が、醜く弱々しい人に見えることもある。
君は中で仲間に会うが、恐ろしい怪物のような姿に見えることもあるから、このことを覚えておいてほしいんだ」
「なるほど。
貴重な情報です。
ありがとうございます」
「うん。
では最後に、体を調整してあげよう」
そう言って幽霊は、ザーラに近づくと、右手を開いてザーラのほうに向け、目を閉じた。
ザーラは、何かしら温かいものに体が包み込まれるのを感じた。
「正直、君の力は、この中に入るには不足している。
レベルもじゅうぶんではないうえ、そのレベルにさえ中身が追いついていない。
ここは、もともと人間が入るようには出来ていないからね。
それでも、五つの恩寵品とボーラの剣があるから、多少は闘うこともできるだろう。
ここでは、ゆがんだ神も、本来の力のごく一部しか発揮できない。
今、君の精神と身体をボーラの剣になじませた。
ライカの指輪も、魔力をいっぱいに詰めておいたからね。
頑張るんだよ」
「はい。
ありがとうございます」
「それから、お願いしたいことがある。
いつか私の娘に会うことがあったら、愛している、と伝えてほしい」
自分で言いに行けない、ということは、それほどこの幽霊は弱っているのだ。
その残った最後の力を、ザーラのために振り絞ってくれたのだ。
「必ず伝えます」
「いい返事だ。
そのためにも、生きてここを出ないとね。
ふふ。
もしかしたら、人が迷宮を必要とした時代は、もう終わろうとしているのかもしれないな。
ザーラ殿。
私は、人間に絶望して地上を捨てた。
だが、最後の最後に君に会えて、もう一度人間を好きになって、安らぎの眠りにつくことができる。
この前見せてもらった君の旅路は、本当に素晴らしいものだったよ。
ありがとう」
何か言いたいけれど、何を言えばいいのか分からないザーラの前で、幽霊は姿を消しかかっていた。
ザーラは、聞きたいことを、突然思い出した。
「あなたのお名前は?」
幽霊は、ちょっと驚いた顔をし、そしてにっこり微笑むと、
「アレストラ」
と名乗って、消えた。
ザーラは、雷に打たれたように感じた。
自分の左手にはまったアレストラの腕輪を見、この腕輪に助けられた人々を想った。
自分。
父親。
パーシヴァル。
メルクリウス家の人々。
ザーラは、消えてしまったアレストラに騎士の礼をした。
「アレストラ様。
あなたには、初めから最高の物を頂いておりました」
小さな、しかしはっきりした声で感謝を言葉にすると、青く光るポータルに乗った。
2
ミノタウロスは、目を覚ました。
空気がある。
あいかわらず、いまいましくよどんだ空気だが、呼吸ができるのはありがたい。
力尽きる寸前に、青い石にとりつき、次の場所に移されたようだ。
そのまま気を失っていたのだ。
寝転がったまま、しばらく呼吸を繰り返した。
荒い息が次第に治まり、体全体が調子を取り戻すと、ミノタウロスは起き上がった。
体は赤い石の上にある。
部屋は、さきほどより小さい。
端から端まで六十歩に少し足りないほどである。
床は白く粗い砂に覆われて平らで、隠れる場所もない。
敵が見当たらない。
壁際に大きな扇形の板が一対、部屋の端と端、向き合うように立っているばかりである。
形はいびつである。
ミノタウロスから見た側が大きくくぼんでおり、ゆらめくように美しい輝きを放っている。
ふと手元を見た。
赤い石と、灰色の石のあいだ、この部屋のちょうど中央に、丸い宝玉が突き出ている。
白色のようでもあり、銀色のようでもあり、見る角度によっては、桃色の、あるいは紫色の光をまとう。
ミノタウロスは、素手である。
手に持っていた武器は、先ほどの部屋で失った。
インベントリから幅広の長剣を出すと、赤い石から降りた。
足元の宝玉が、一瞬強い光を発した。
ミノタウロスは身構えたが、宝玉は再び沈黙したままである。
扇形の板を見ると、さきほどなかったものが目についた。
影である。
ミノタウロス自身と同じほどの大きさの影が、板に焼き付いている。
いや、大きさだけではない。
形も、どこか似ている。
と、見ている間に、影が、うぞうぞと動き始めた。
そして、しだいに膨れ上がると、最後に、ぬうーっ、と板から出てきた。
ミノタウロスと、うり二つの姿をしている。
手に持つ武器さえ同じである。
こちらに歩いてくる。
ミノタウロスも、歩いていく。
砂と思った物は、小さな生き物の抜け殻か、あるいは小さく砕かれた骨のようである。
踏んでも壊れることなく、ミノタウロスの硬い足裏に突き刺さってくる。
我慢できなくはないが、いささか動きを妨げる痛みではある。
相手を間合いに捉えると、ミノタウロスは、大きく剣を振りかぶってたたきつけた。
相手もこれを受け、二つの長剣が打ち合わせられた。
力も、速さも、タイミングも、刃の押し方も、まったく同じである。
三連撃を放つと、相手はこれをしのいだ。
次に、相手が三連撃を放ってきたので、打ち落とした。
互いに一歩を引いて、呼吸を整える。
こいつと俺は、強さが同じなのか。
と、ミノタウロスは悟った。
そのとき、ミノタウロスは、部屋の反対側の板からも、影が身を起こすのを見た。
やはり、ミノタウロスとうり二つの姿をして、同じ武器を持っている。
まがい物二体を同時に相手しなくてはならないようである。
自分と同じ能力と装備を持った相手二人と闘うのであるから、勝利の可能性はないに等しい。
というようなことは、ミノタウロスの心にまったく浮かんでいない。
ミノタウロスの注意は、二体の偽物の頭部に向いている。
いずれも、右の角が半分ほどしかない。
自分と同じく。
これを見て、わけも知らず、ミノタウロスは激しい怒りを覚えた。
近くの敵が打ちかかってくる。
低くうなり声を上げると、ミノタウロスは全身から闘気を吹き上げ、相手を押し返した。
そのあいだにも、もう一体の敵が近づいてくる。
目の前の敵が、勢いに押されて距離を取ると、ミノタウロスは後ろに跳んで距離を広げ、焼け付く息を放った。
すると、目の前の敵も、もう一体の敵も、少し遅れて焼け付く息を放ってきた。
こいつらは、俺と同じことができる。
そして、俺の攻撃を同じように返してくる。
しかし、俺とまったく同時でもないし、剣のふるい方も、息の吹き付け方も、まったく同じではない。
要するに、まねをしながら、自分なりのやり方で攻撃してきている。
ミノタウロスが、そう分析するあいだにも、遠くの敵は近づいてきて、今やこちらを間合いに捉えた。
ミノタウロスは、右手の長剣を左手に持ち替えると、収納袋からツヴァイヘンダーを取り出した。
長剣よりも長く、重い。
二体の敵も、同じようにツヴァイヘンダーを取り出した。
ミノタウロスは、ツヴァイヘンダーの柄の部分をなめるようなしぐさをすると、素早くバーサークモードに入った。
偽物二体も、同じくバーサークモードに入った。
バーサーク状態になると、攻撃力が大幅に上昇する代わり、防御力や知力が大幅に低下する。
最初の敵に右手のツヴァイヘンダーで切りつける。
相手は、長剣で防ぐ。
左手の長剣で切りつける。
相手は、ツヴァイヘンダーで受ける。
二番目の敵が、左側から襲ってくる。
その右手のツヴァイヘンダーが、ミノタウロスの背中にたたきつけられる。
息が止まるかと思うような強打であるが、ミノタウロスは、前に跳んで打撃の威力を殺しつつ、右手のツヴァイヘンダーを、右から左に横なぎに払った。
ミノタウロスが前に飛び出したために、間合いの狂った最初の敵は、身をかがめてツヴァイヘンダーをかわしつつ、左手の長剣でミノタウロスの腹を突いてきた。
ミノタウロスには、これをかわすことができない。
長剣は、深々とミノタウロスの腹のまん中を貫いた。
ミノタウロスは、振り抜いたツヴァイヘンダーを左にいる二番目の敵に投げた。
まさかこの状態で武器を投げるとは思わなかったのか、かわしそこねて右足の太ももに突き刺さり、体勢を崩した。
ミノタウロスは、おのれの腹を貫いている敵に近寄りつつ、左手の長剣を喉元に突き入れた。
相手は、ミノタウロスがわざわざ傷を深くしながら接近したのが意外であったためか、やや反応が遅れた。
相手の右手にはツヴァイヘンダーがあるが、懐に飛び込んだ敵を迎え撃つには不向きな武器であるうえ、二番目の敵が剣の軌道をふさいでいる。
そして、ミノタウロスの腹に差し込んでいる自分自身の武器から手を離そうとしなかったことが、この敵の運命を決めた。
ミノタウロスの左手の長剣は、根本まで敵の喉に埋まった。
ミノタウロスは、剣を左にひねって喉を切り破ると、相手の左手ごと長剣を右手でつかみ、一気に腹から引き抜いた。
そして、自分の長剣を両手で持つと、体勢を立て直して打ち掛かってきた二番目の敵を迎撃しようとした。
だが、相手は一瞬早く、ツヴァイヘンダーを、ミノタウロスの首筋にたたきつけた。
いかにミノタウロスといえど、致命的といってよい威力である。
バーサーク状態で防御力の弱っている今は、なおさらである。
吹き飛ばされ、倒れかかるミノタウロスに、敵は、大きくツヴァイヘンダーを振り上げた。
とどめを刺すつもりである。
だが、一瞬力を失ったかにみえたミノタウロスは、ぐっと踏みとどまり、両手で握った長剣を右から左に振り抜いた。
致命的な重傷を負っているとはとうてい思えない、力と速度にあふれた一撃である。
敵は素早くツヴァイヘンダーを振り下ろそうとする。
ミノタウロスは、長剣を両手で持ち、敵は重くて長いツヴァイヘンダーを右手だけで持っている。
敵の刃が落ちるより早く、ミノタウロスの剣が敵を腹部で両断した。
二番目の敵は、上半身と下半身に分かれて崩れ落ちた。
二体の敵が完全に死ぬと、部屋の中央にあった宝玉が砕けて散った。
同時に、バーサーク状態も解けた。
レベルアップが起き、ミノタウロスの傷は癒された。
だが、大きな傷は、すでにほとんど修復されていた。
ミノタウロスは、インベントリからツヴァイヘンダーを取り出したとき、一緒に不死の肉を取り出し、食べていたのである。
不死の肉。
サザードン迷宮百階層でヒュドラを倒して得られるアイテムである。
迷宮で使えば、わずかな時間、死んでも生き返る不死状態になる。
今ミノタウロスがいる、この奇妙な場所では、迷宮固有の恩寵は働かないが、不死の肉は、迷宮外で使用しても、重症や重病でもまたたくまに癒し、肉体の頑強さを引き上げる効果を持つ。
もっとも、ミノタウロスが、それを知っていたわけではない。
むしろ、赤ポーションに効果がなかったことから、不死の肉も無効である可能性は高い、と考えていた。
しかし、スキルにも発動可能なものと使えないものがあった。
もしかすると、効果を発揮するかも知れない、と考えてのことであった。
結局、あの肉が勝敗を分けたか、と考えてから、
いや、違う、
と、ミノタウロスは自分の考えを否定した。
やつらには、怒りも、怖れも、喜びもない。
強大な敵に出遭って何かを学び、成長するということもあるまい。
怒りで心を満たす状態になったときでさえ、やつらの心は空っぽだった。
ただ攻撃力が上がり、防御力が下がっただけのことだ。
あんなやつらに、負けることがあってはならない。
それにしても、ここは、一つ進むごとに、敵の強さが格段に跳ね上がる。
次は、どんなやつが出てくるのか。
そう思いながら、ミノタウロスは、ツヴァイヘンダーを拾って収め、青い石に乗った。
3
その場所に着いたとたん、ザーラは激しい苦痛に襲われた。
あまりに濃密な瘴気のため、目が焼かれる。
すぐに目を閉じたが、痛みはすぐには治まらない。
思わず一息吸った空気は、口内を、喉を、肺を突き刺す。
肌は赤裸に剥かれたかのように、ぴりぴりとする。
全身がしびれ、硬直し、丸太のように床に倒れた。
カルダンの短剣の持つ、状態異常解除と解毒は強力である。
毒が毒として働き始めるやいなや効果を発揮するので、これをベルトに差しているだけで、まるで毒など受けなかったかのように感じるほどである。
状態異常についても、同じことがいえる。
そのカルダンの短剣を身に着けているのに、なぜ、このようになるのか。
短剣が恩寵を発動するまでのわずかな時間に作用した毒や異常が、これほど激烈な効果を現しているのである。
この空間が、いかに恐ろしい場所であるか、ザーラは思い知った。
なすすべもなく、しばらくのあいだ横たわっていた。
やがて、徐々に感覚が戻り、思考が働き始める。
ゆっくり、ゆっくり、痛みをこらえながら、ひと息空気を吸い込んだ。
そして、それを吐きながら、ジャン=マジャル寺院で習った呼吸法で、気息を整えていった。
意識がはっきりしてくると、やはりジャン=マジャル寺院で習った、回復術を発動させた。
さらに、回復術を連続的に発動していく。
この術は、本来連続的に発動できるような術ではないが、ボーラの剣の持つSP連続回復という恩寵が、それを可能にしてくれる。
かなりの時間をかけて、ようやく心身の調子を取り戻すことができた。
なるほど。
カルダンの短剣を失ったら、あるいはボーラの剣を手放したら、たちまちこの迷宮に殺されてしまう。
ザーラは、辺りを見回した。
うねうねとした床が、至る所でぼこぼこに破壊されている。
激しい戦闘の跡である。
ザーラのすぐ横に、青く光るポータルがある。
青く光る石に乗れば、次の階層に進めるのであったな。
ザーラは思った。
次の階層は、どんな場所であろうか。
どんな敵がいるのか。
着いたとき、戦闘の真っ最中であるかもしれない。
当然、ここと同じく瘴気に満ちた場所であろう。
じゅうぶんな心構えを作り、ザーラは第二階層に続く青いポータルを踏んだ。
その場所に出現したとたん、ザーラは悪寒と頭痛に襲われ、うずくまった。
心構えはしたはずであったが、第一階層と比べても、第二階層の瘴気は、はるかに濃密であり、種類の異なるものであった。
しばらくは、身動きもならず、先ほどと同じように、時間をかけて体調を整えた。
辺りを見回してみる。
第一階層のように、戦闘の跡は判然とはしていない。
しかし、第一階層以上に激しい戦闘が行われたことは、疑いない。
ザーラは、その場に座りこむと、保存食と水を取り出し、腹ごしらえを始めた。
ゆっくりと、かみしめるように干し肉と乾燥芋を食べた。
物をおいしいと思うのも、また恩寵だな、と思いながら。
干し肉は干し肉の味がし、乾燥芋は乾燥芋の味がする。
水も水の味がするのであるが、干し肉と乾燥芋のあとに飲む水は、格別のうまさがある。
体の中で、食べ物を喜んで迎え、身に取り込もうとする働きが働いている。
これが生きているということだ。
次の階層で、あるいはその下の階層で、死ぬかもしれない。
その可能性は高い。
アレストラ様のお言葉によれば、ここは、本来私などが足を踏み込める戦場ではないのだから。
ふふ。
笑えるな。
Sクラス冒険者だのなんのといわれて、うぬぼれていた。
この迷宮での私は、サザードン迷宮に初めて挑むFクラス冒険者にも劣る。
闘うどころか、まともに立つこともかなわぬ。
この場所で、私は、どんな闘いができるのか。
ビア=ダルラでの戦いは、砂漠を独りで越えられない以上ここで戦うほかないと思い定めて、死を覚悟して戦った。
だが、あれは、戦の狂気におのれを委ねるような戦い方であり、ほめられたものではない。
それが必要なとき、そうするしかないときもあるが。
ジャン=マジャル寺院の四聖獣の堂での闘いは、まるで違っていた。
優れた武人には神が入る瞬間がある、という。
あれがそうだったのではあるまいか。
あのときの私は、アイテムにも、特殊スキルにさえ頼らず、ただただ剣の技と一体であった。
私が剣であり、私が技であった。
あんな闘いを、もう一度してみたい。
ザーラは、すうっと立ち上がった。
いかなる毒の空気にも、もう心身を乱すことはない、と心に決めて、第三階層につながる青いポータルを踏んだ。
だが、その部屋には、一かけの空気もなかった。
毒の水で満たされていたのである。
ぼこぼこと空気を吐き出し、水を飲んで痛みと痺れに苦しみつつ、ようやく第四階層に続く青いポータルに取り付いた。
第四階層の、それまでに比べればいくぶん明るい部屋で、息も絶え絶えにうずくまりながら、ザーラは自分を笑った。
敵には、まだ一度も遭遇していない。
ただ、部屋があったのみである。
部屋から部屋に移動するだけで、意表を突かれ続け、打ちのめされている自分である。
笑うしかない。
その笑いを、明るい調子に切り替えて打ち切り、あぐらをかいて座った。
両手を軽く組み合わせて足の上に置き、全身の力を抜いて、気息を調えた。
今、ザーラがいるのは、第四階層である。
そして、この部屋のポータルも、青く光っている。
つまり、先に入っているという戦士は、第四階層までの邪神たちをすべて打ち破って、今、最下層で最大の敵と闘っている。
Sクラス冒険者であるザーラが、格別の恩寵品に支えられ、それでも移動するだけで半死半生となる、この迷宮で。
どんな方であろうか、とザーラは想った。
パーシヴァル様のごとき、身ごなし鮮やかな剣士であろうか。
父上のごとき、万夫不当の戦士であろうか。
ギル・リンクス様のごとき、魔術の深奥を極めた賢人であろうか。
いや。
そうではない。
おそらく、そのすべてを含んだパーティーではあるまいか。
さらに、ゴンドナ殿のごとき回復と支援の達人も含む、強力なパーティーなのではあるまいか。
お会いしてみたい。
そのパーティーが、邪神の最強の個体と闘う姿を、見届けたい。
かなうなら、その場で私も、精一杯の技をふるってみたい。
ザーラ自身は気付いていなかったが、この迷宮に入って階層を進み、必死で順応しようとする中で、その心身は、揺さぶられ、磨かれ、研ぎ澄まされてきていた。
ジャン=マジャル寺院での修行や、アルダナでの試合の数々が、旅での闘いが、今、実を結ぼうとしている。
レベルという、神々の仕組みによって引き上げられた強さに、中身が追いつこうとしている、といってもよい。
戦士として、これまでにない高みに上ったザーラは、驕りもひるみもなく、静かに戦意をたたえて、決戦の場に続く青い石を踏んだ。
最後のポータルは、部屋の中央にはなかった。
地獄の底のような、煮えたぎる溶岩の海に、岩のドームが浮かんでいる。
そのドームに続く細い岩の道がある。
道の先にある、直径五歩ほどの円形の岩の上に、最後のポータルがあった。
あのドームの中で、最後の闘いが行われている。
ザーラの感覚は、激しい闘いが今まさにその場で繰り広げられているのを捉えた。
闘いの風景は、立ち並ぶ岩の柱にさえぎられて見えない。
ザーラは、丹田に力をこめ、ゆっくりと気息を調える。
押し寄せる熱気に肌をなじませていく。
次に、ジャン=マジャル寺院秘伝の金剛闘気法を行う。
これは、一時的に筋力を爆発的に高める技術であるが、同時に、暑さ寒さや痛みの感覚を低下させることができる。
連続して使えるよう、効果は低く抑える。
ボーラの剣のHP吸収を当て込んだ、危険な戦法である。
受けるダメージや、スキルの反動が、回復量を超えた瞬間、ザーラは死ぬ。
綱渡りのようなスキルの発動に、わずかな狂いが生じれば、ザーラは死ぬ。
だが、もはやザーラに迷いはない。
岩の道を歩き、岩の林を越え、闘いの場に足を踏み入れた。
4
戦いは膠着していた。
最後の敵は巨大さにおいて第三階層の水怪をしのぎ、攻撃速度において第二階層の草もどきを上回り、さらに第一階層の触手玉なみの再生能力を持っていた。
さまざまな形態を取ることができ、分裂したり再結合することもできる。
今は、岩の床に根を張った巨木のごとき姿をとっている。
低い部分は硬質化して、攻撃を受け付けない。
ミノタウロスの身の丈の十倍はくだらない高さを持ち、上部から四方に触手を伸ばしている。
触手の先端は、やはり硬質化して槍のように尖っている。
めまぐるしく襲い掛かる四本の触手をいなしながら、隙をついては触手の上のほうの部分に斬りつける。
斬り落とすまではいかないが、それなりのダメージを与える。
しかし、時間とともに、そのダメージは回復されてしまう。
いっぽう、ミノタウロスのほうも、たまに攻撃をかわしそこねて、ダメージを受ける。
最初このドームに入ったときには、敵は巨大な獣の姿をしていた。
物理攻撃と魔法攻撃を、すさまじい密度で放ってきた。
だが、その時点では、こちらの攻撃も敵のどこにあたっても有効であったので、ミノタウロスはフットワークを生かしながら、少々のダメージは無視してひたすら攻撃を加え続けた。
その結果、敵は多くのエネルギーを失った。
この敵の体はエネルギーそのものであるらしい。
ダメージを与えていくと体が小さくなるのである。
今も十分巨大であるが、当初に比べれば一回り小さくなっている。
やがて敵は、ミノタウロスの刃が届く部位を硬質化させていった。
こうすれば、ダメージを受けない代わりその部分は動かせないから、攻撃の幅も狭まる。
エネルギー節約のためか、魔法攻撃はしてこなくなった。
いっぽうミノタウロスのほうも、ハウリングや焼け付く息などの魔法系攻撃をしない。
なぜならこの敵は、攻撃の魔力を吸い取って攻撃を無効化するとともに、自身の損傷を回復するからである。
闘いは膠着している。
ミノタウロスが与えるダメージは、敵がエネルギーを取り戻すことを防いでいる。
敵の手数の多い攻撃は、ミノタウロスが致命的な攻撃をすることを邪魔している。
だが、これはミノタウロスに分の悪い膠着である。
相手は生物ではない。
どこからかエネルギーを補給してもいるようである。
永遠に闘うこともできるのだろう。
だがミノタウロスは、どれほどゆがんだ生き物であるとしても、命を持って限りある時間を生きる者である。
疲れは徐々にたまるし、いずれにしても永遠に闘うことはできない。
ミノタウロスの胸中では、このいまいましい敵への怒りが煮えたぎっている。
ふざけたやつだ。
許しがたい敵だ。
こいつは、闘おうとさえしていない。
こちらの命が燃え尽きるのを待っているだけなのだ。
こいつは、敵だ。
命あるものすべてを侮辱する敵だ。
闘いをけがす敵だ。
だが、膠着状態はどうしようもない。
活路を見いだせないまま、ミノタウロスは剣をふるい続けた。
どれほどの時間がたったろうか。
ミノタウロスは、その鋭敏な感覚で何者かがこの階層に到着したことを感知した。
何かが来た。
これは命ある者だ。
新しい敵か。
だが、この敵は、よい。
血と肉と怒りと喜びを持った敵だ。
俺はお前を歓迎するぞ。
さあ、俺に殺されに、ここに来い。
お前の血をぶちまけに、ここに来い!
新しく来た何者かは、しばらく動かず闘気を調えている様子である。
その気配は、この新しい敵が相当の強敵であることをミノタウロスに教えた。
やがて新しい敵はドームに入って来た。
入って来たのは、コボルトであった。
ミノタウロスは、コボルトという呼び名は知らない。
しかし、かつて、サザードン迷宮のずっと上のほうの階層で、この犬っころには遭ったことがある。
生まれて間もない貧弱だったミノタウロスにとってさえ、手応えをまったく感じさせないごみくずのような敵であった。
ひどく拍子抜けしたミノタウロスは、最後の敵との闘いを続けながら、なおもコボルトのほうに注意を向けた。
つぶらな瞳。
ちんまりとした手足。
しおれた耳。
左手には木の盾を持ち、右手には銅の剣を持ち。
布のブーツを履き、軽鎧を身にまとい、頭と額にも防具を着けている。
どうしてこんな犬っころが、ここに来たのか?
と思ううちに、コボルトがすっと前に進み。
姿を消した。
その足運びは練達の戦士のそれであり、ミノタウロスは目を瞠った。
犬の姿をしたモンスターは、姿を消したまま怪物の裏側に素早く回り込んだ。
気配を探知したのかといえば、少し違う。
ミノタウロスは装備やスキルに頼る闘いをしない。
魔法攻撃をしてくる相手に対しては、それにおのれが耐えられるようになるまで闘いを挑み続けた。
おのれ自身を鍛え上げることで勝つ。
それがミノタウロスの流儀である。
だから、このように目にも耳にも探知不可能な恩寵を持つ相手であっても、その動きを嗅ぎ当てることができる。
察知、というより、勘、というべきであろう。
ミノタウロスは、勘を極限まで磨き抜いた戦士なのである。
犬は剣を振り上げ、怪物の根本を切りつけた。
響いた音の鋭さが、犬の剣技が尋常の域ではないことと剣がまれにみる業物であることを教えている。
だが無論、この怪物にはわずかな傷も付いていない。
怪物は攻撃に気付いてさえいないであろう。
相変わらず怪物の攻撃をさばきながら、ミノタウロスは、コボルトが次に何をするか見守った。
コボルトは矢を放った。
矢はコボルトの手を離れた瞬間姿を現し、うねうねと動き回る四本の触手の一本の根本に突き立った。
怪物の動きにわずかな乱れが生じる。
今だ!
ミノタウロスは助走もなく跳躍すると、触手の一本の可動部分まで跳び上がり、これを斬り落とした。
断面がミノタウロス自身の身長に等しいのであるから、怪物の巨大さが分かる。
同時に、ミノタウロスのふるう剣がいかに長大なものかも分かるであろう。
落ちて岩の床の上で暴れ回る触手に、ミノタウロスは素早く斬撃を与える。
素早く何度も何度も。
と、コボルトが発動呪文を唱え、怪物の触手の生え際辺りに大きな彗星が落ちた。
だが、メテオ・ストライクは爆発を起こさず、そのエネルギーは怪物に吸収されてしまう。
斬り落とされた触手が、ぐにゅぐにゅと、見る間に修復される。
ミノタウロスが斬り落として痛めつけていた触手の切れ端はいやらしい色の球体に分裂すると、怪物の本体に吸い込まれた。
このとき、ミノタウロスは、
これで、犬っころにも、こいつに魔法攻撃をするとどうなるかが分かったろう。
斬り落とした手足も、すぐに拾ってくっつけられるような敵だということも分かったろう。
と、考えた。
このコボルトにはその程度の観察力はある、と踏んだのである。
コボルトは、隠形を解いて姿を現した。
そして、走り回りながら立て続けに矢を射掛けた。
触手の生え際辺りに向けて。
そうだ。
そこへの攻撃が、一番効果がある。
ミノタウロスは、コボルト戦士の飲み込みの早さに感心した。
たったあれだけ技を試しただけで、やってはいけないことと、当面効果のある攻撃方法を分別したのである。
姿を現したのは怪物の注意を引きつけるために違いない。
俺に働け、とあの犬っころはいうのだな。
怪物は、明らかにこの新しい妙な相手に気を取られている。
ミノタウロスは、さらに一本触手を斬り落とした。
コボルトは、怪物がたたきつけてくる触手をひょいひょいと事もなげにかわしながら、矢を射掛け続ける。
その矢玉は尽きることを知らない。
今や膠着状態は解けた。
おもしろくなってきた。
ミノタウロスの顔に、どう猛な笑みが浮かんだ。
5
闘いの場に着いたザーラが見たものは、青銅の巨人が小山のような邪神と争う光景であった。
パーティーではなかった。
たった一人の戦士が、最強の邪神と一対一で闘っている。
ここまでの道のりも、たった一人で切り拓いてきたに違いない。
なんとすさまじい戦士であることか。
それにしても、どこの国の戦士であろうか。
ザーラは、青銅色の人間など見たことはない。
ジャミの森に住む蛮族の中に変わった肌の色をした部族があるというから、この者もそうであるのかもしれない。
上半身は裸で、腰には簡素なものを着け、靴さえ履かずに素足をさらしているのは、まさに蛮族の戦士そのものである。
全身の筋肉は見事に発達している。
頭には毛髪がない。
唇は大きく分厚い。
顔は骨張っていて、顎は長い。
目は不気味なほど大きく、怒りを押し殺したように静かに光を放っている。
鼻は太く長い。
だが、何よりも特徴的であるのは、その武器である。
大魚をさばく長包丁を何百倍にもしたものに握りを付けたもの、といえば近いであろうか。
ザーラの身長は一歩六分か七分ほどあるが、この戦士の身の丈は二歩五分はあろう。
その身の丈よりも刃渡りのほうが長いのである。
刃の幅たるや、ザーラの肩幅を軽く超える。
およそ刀とすら呼べないその恐るべき鉄塊を、青銅の巨人はまるで細剣のように素早く振り回す。
豪快な剣である。
しかし雑な剣筋ではない。
洗練された、といってよいほどの無駄のなさがある。
そして、巨人の全身の動き。
途方もない力を秘めた筋肉である。
微塵もけれんみのない、堂々たる剣の使い手である。
それでいて、軟らかい。
豹のごときしなやかさで、今までザーラが学習したどのような流派にもない、野性的で個性的な動きを、この巨人は見せている。
アレストラの言葉からすれば、この戦士の肌の色も体つきも、あるいはまやかしであるかもしれない。
しかし、この動き、存在感、確かな剣さばき。
この戦士が、真の強者であることは、間違いない。
常人では、一瞬たりとも生きていられない瘴気の渦の中に身をおいて、このような闘いができるとは。
世界は広い。
これほどの戦士がいたのだ。
対する邪神は、まず、その質量において、ザーラを圧倒する。
数千年の樹齢を持つ巨木のごときたたずまいである。
その四本の触手は、勁く、疾い。
人の背丈ほども太く、人の二十倍ほども長い。
岩をも砕く破壊力は、一撃を浴びれば、この巨人といえども致命的なダメージを受けると思われる。
それを平然とさばき続ける、この巨人の偉大さよ。
ザーラは、まず、ボルトンの護符の隠形を発動し、硬質な幹をボーラの剣で削ってみる。
傷一つ付かない。
次に、盾を格納し、ティリカの弓を出して、矢を射掛けた。
動く部分には攻撃が効くことが分かった。
巨人戦士が、邪神の触手を斬り落とした。
すかさず、傷痕に、メテオ・ストライクを打ち込む。
だが、このエネルギーは、邪神に吸い取られ、体の修復に利用されてしまう。
隠形を解除し、移動しながら弓を射て、囮役を務めながら、見たことを整理した。
まず、この敵には、魔法攻撃は禁物である。
硬質化した部分は動かず曲がらないが、こちらの攻撃も通じない。
落とした触手を、巨人戦士は、執拗に攻撃した。
そのあと触手は、硬い部分も動く部分も、形を変えて、本体に取り込まれた。
よし。
巨人戦士が何を狙っているか、分かった。
要するに、ダメージの総量を蓄積するのだ。
ザーラの参戦により、戦局は大きく動いた。
今や邪神は、わずかずつではあれ、確実に削られていた。
闘いの天秤が、ザーラと巨人戦士に、わずかではあるが傾いた、といってよい。
そうしてしばらく攻防が続いてから。
邪神が、変態を始めた。
めきめきめきっ、と岩を引き裂くような音を立てて、地に根を張っていた部分が、巨大な二本の足に変わる。
ずしん、ずしんと音を立てて、移動し始めた。
また、触手も、それぞれ二つに分裂し、合計八本となった。
先ほどまでとは打って変わった、柔軟で変化に富んだ攻撃を放ってきた。
硬質化を解除するのは、瞬間にできるようである。
今や、邪神は、移動しつつ、倍の手数で攻撃をしてくる。
だが、ザーラと巨人戦士は、ほくそ笑んだ。
攻撃を受ける危険が増えるかわり、つけ込む隙も増えるからである。
先ほどまでは、接地部分も触手の先端も、異常な硬度を持ち、まったくダメージを与えられなかった。
しかし、今は、外見こそ岩のままのようであるが、動き、曲がっている。
傷つけることもできるに違いない。
巨人戦士が、邪神の右足に攻撃を仕掛ける。
削れた!
触手をかわして飛び退いては、すぐに戻って、再び右足を攻撃する。
何度もそれを繰り返す。
そのしつこさが、ザーラに何かを訴えている。
矢で邪神の注意を引きつつ、ザーラは、タイミングを計った。
今だ!
邪神が右足を振り上げて巨人を振り払った瞬間。
ザーラは、メテオで、邪神の左足の前にあった岩を砕き飛ばした。
飛び散る岩と爆風で、大きくバランスを崩す邪神。
まるで申し合わせたかのように、巨人戦士とザーラが同時に飛び込み、邪神の左足の接地部分を削る。
邪神の体が、大きく傾き、そして倒れた。
ザーラと巨人戦士は、軟らかい部分に、超高速の斬撃を、繰り返したたき込む。
触手は六本落とした。
下側になった二本以外は、すべて落としたわけである。
短い時間であったが、邪神は、無視できないほどのダメージを受けた。
明らかに身体が一回り小さくなった。
と、邪神の体が、無数の小さな固まりに分裂して、飛び上がった。
ドームの天井すれすれの位置で滞空し、分裂や結合を繰り返す。
内臓を裏返したような色と模様を持つ、数千個の飛行する球体となって、ぷるぷると震えている。
そして、球体は、巨人戦士とザーラに向かって、襲い掛かってきた。
ザーラは、エンデの盾を取り出し、巨人戦士に走り寄った。
二人は、背中合わせとなって、四方八方から飛来する邪神の球体を迎撃した。
球体は、小さいものは、ザーラの頭ほどの大きさで、大きいものは、ザーラの身長ほどの直径がある。
真上から来るものは、速度がやや遅い。
地に激突すれば、邪神自身もダメージを受けるのであろう。
つまり、注意すべきは、十分に加速して前と横から来る攻撃である。
巨人戦士とザーラは、互いに背中を預けつつ、必死になって、球体を斬り裂き、はたき落とし続けた。
ザーラには、エンデの盾がある。
大きな球体は、これで防ぐ。
反動は低く抑えられているはずなのに、当たるたびに体を持って行かれそうになる。
しかし、エンデの盾は、物理衝撃を相手に返すため、邪神も大きなダメージを受ける。
小さな球体は、右手のボーラの剣ではじく。
とうていすべての攻撃をしのぐことはできない。
ザーラの全身は、すぐに傷だらけになる。
球体は、見かけは軟らかそうであるのに、実際には鉄のように硬い。
横腹や腰が削られ、足を吹き飛ばされ、肘や肩が損傷を受ける。
それをボーラの剣によるHP吸収で修復しつつ、ひたすら球体をたたき続ける。
わずかに呼吸を乱しただけで、二人とも、この竜巻のような攻撃に飲み込まれ、命を失うであろう。
命懸けの防御戦のさなか、ザーラは、胸が震えるような感動を覚えていた。
後ろから、まったく球体が飛んで来ない。
この巨人戦士は、完全に攻撃を防ぎきっているのだ。
ザーラのほうは、残念ながら、完全な防御はできていない。
巨人戦士との体格の差もあり、いくばくかの球体は、巨人戦士を後ろから傷つけ続けている。
だが、巨人戦士は、それにひとことの文句を言うでもなく、黙々と球体をさばき続ける。
それだけではない。
二人はただ棒立ちになってはいない。
右に左にステップを踏み、柔軟な身ごなしを取っている。
時にザーラは、左足を深く後ろに引いて、左回りに回転しつつ、盾を振り回し、剣に回転力を与えて球体を弾き飛ばす。
すると、巨人戦士は、打ち合わせをしていたかのように鮮やかに、タイミングを合わせて回転し、位置を入れ替えてくれるのである。
まるで熟練の舞踏家のように、二人の戦士は、呼吸を合わせてダンスを踊る。
ステップを踏み外せば命を失う、死のダンスを。
だが、ザーラの心に悲壮感は、ない。
ふつう、パーティーを組むときには、仲間に配慮して、多少なりとも動きは制限される。
その掣肘を、今はまったく感じない。
逆である。
自分が行ういかなる動作も、このパートナーは必ずすくいとり、意図した以上のものにして返してくれる。
背に翼を与えられたような自由さの中、ザーラは、闘いの歓喜にひたりながら、おのが内からありとあらゆる技があふれ出ていくのを見守った。
突然、攻撃がやんだ。
球体は、はるか上空に舞い上がり、一つに合体していった。
邪神の受けている損傷も、決して少なくない。
邪神にとっても、捨て身の攻撃であったのだ。
ザーラは、荒い息をつきながら、膝をつきそうになるおのれを叱咤した。
見れば、巨人戦士も、体中を削られ、ひどいありさまである。
だが、邪神を見上げるその立ち姿は悠然として、痛みも苦しみも感じていないかのようである。
まるで王のようだ、とザーラは思った。
いや。
まさに王である。
この戦士は、その部族にあって人々の尊敬を集める英雄であるに違いない。
メルクリウス家の秘宝五品と、ボーラの剣。
およそ地上にあり得ないほどの恩寵品を身にまとうザーラより、ただ一振りの剣しか持たぬこの誇り高き蛮人の戦士のほうが、強い。
それは、屈辱的であるとともに、不思議な励ましと喜びを感じさせる事実である。
人とは、戦士とは、これほどの高みにのぼれるものなのだ。
邪神は、小さく小さく固まっていく。
そして、ドームの岩の天井に張り付き、動きを止めた。
ザーラは、邪神が何を狙っているか気が付いて、愕然とした。
やつは、闘いをやめ、持久戦に持ち込むつもりだ。
邪神は、千年でも待てる。
待てば、徐々にかけらが集まり、再び力を蓄えることができる。
対して、こちらは、邪神を倒さなければ、ここから出ることもできない。
巨人戦士はともかく、ザーラは、気を抜けば、今すぐにも瘴気に取り殺されてしまう。
闘い続け、相手のHPを吸収し続けるしか、ザーラの生きる道はない。
見たところ、邪神は、縮こまって硬質化しようとしている。
先ほど転倒したとき、すぐには硬質化しようとしなかった。
軟らかくなるのは瞬時にできるが、硬質化には時間がかかるのであろう。
今だ。
今すぐ、やつを、あそこから引きずり落として、殺さねばならない。
時間をおけば、ダメージを与えることができなくなる。
ザーラは、指輪を見た。
ライカの指輪には、まだ光がある。
もう一発、メテオが撃てる。
ザーラが右手に持つボーラの剣を掲げるより早く、巨人戦士が何かを投擲した。
それは邪神のすぐ横に着弾し、爆発音を響かせて、天井の岩を削った。
爆砕剣である。
こんな距離で届くとは。
つくづく、この巨人は規格外である。
巨人戦士は、次々と、邪神の周囲に爆砕剣を投擲する。
ドームの天井を形成する岩に、ひびが入っていく。
爆砕剣は、十五発で打ち止めのようである。
巨人戦士が、ザーラのほうを見る。
ザーラは、巨人戦士の無言の要求に、一つうなずいて答えると、ボーラの剣を天井に向けた。
「メテオ・ストライク!」
着弾点が、大きくはじけた。
ひびは一気に広がり、ばきばきと音をさせながら割れていき。
邪神が落ちてきた。
大きな音をさせて床に激突する。
初めのころからは考えられないほど小さくなっている。
凝縮して、強度を上げようとしているのであろうか。
まだ硬質化は完成していないように見える。
巨人戦士が、ゆるりとモーションを起こし、剣を水平に振った。
その剣の長さより、邪神のほうが大きい。
だが、委細構わず、青銅の巨人は大剣を振る。
この技は。
この円の動きは。
ゆったりと見えながら、不可侵の制空圏に捉えた者を切り裂かずにはおかない、この剣は。
メルクリウス家に伝えられる奥義。
なぜ、この巨人戦士が、この技を知っているのか、と思うより早く、ザーラは、引き寄せられるように、剣を振った。
二つの剣は、邪神を挟んでちょうど対照の位置から、二つの円弧を描く。
大きさこそ違うものの、まったく同じ、二つの円弧を。
二振りの剣は、やすやすと邪神の身体に食い込み、切っ先が邪神の身体の中ですれちがった。
巨人戦士とザーラが、剣を振り切って手元に引き戻したとき、邪神は上下二つに分かたれて、崩れた。
さらさらと砂のように形を失い、地に吸い込まれるように消えた。
邪神最強の個体を、倒したのである。
地が揺れ始めた。
はじめは、ゆっくりと。
次第に、激しく。
岩のドームが、崩れようとしている。
邪神の迷宮は、ひとたび崩壊し、形成し直されて、再びかけらが集まる日を待つのであろう。
青銅の巨人戦士と、ザーラの姿が、消えた。
6
見慣れた天井である。
では、戻って来たのだ。
ミノタウロスは、身を起こそうとして、体がまったく動かないことを知った。
気を失っているあいだにレベルアップが起きたようで、傷は修復されている。
右の角を除いて。
だが、動けない。
あれほど、ひどく消耗する闘いのあとであるから、無理もない。
それにしても。
ミノタウロスは思う。
あの犬っころは、たいしたやつだった、と。
剣の軌道は、鋭く研ぎ澄まされていた。
移動速度と攻撃速度では、俺の上をいっていた。
強力な魔法攻撃も使える。
何より、あの防御には、恐れ入った。
怪物の触手をまともに受けたときには、どこまで吹っ飛ぶかと思ったのに。
あの強力な攻撃をはじき返して、平然としていた。
盾に特殊な恩寵もあったのだろうが、その盾さばきも見事なものだった。
しかも、胆力がある。
あれほど密度の高い攻撃を、あれほど長い時間耐えきるには、単に技や体力だけでは足りない。
やつの心は、鍛え抜かれている。
だから、俺は、思ったのだ。
怪物を倒したら、次は、この犬っころと闘いたい、と。
その願いは、かなわなかった。
怪物を倒したあと、意識を失い、サザードン迷宮百階層のボス部屋に転送されたからである。
ミノタウロスは、楽しみにしていた闘いを奪われた。
だが、まったく悔しくも残念でもない。
それどころか、今まで味わったこともないような満足感に浸されている。
なぜ、俺は、こんなに機嫌がいいのだろう?
自分の心を探っていって、やっと気が付いた。
そうか、俺は。
ミノタウロスは、かつて、人間たちから闘いを学んだ。
人間たちの技を見て、おのれの武技を磨いた。
だが、たった一つ。
一つだけ。
あれはよい技だと思いながら、まねすることのできなかったものがある。
連携、である。
仲間を持たぬミノタウロスには、連携の利点を理解することはできても、実践することはできない。
だが、思いもかけず、このたびの闘いでは、コボルト戦士と、互いに背中を預けて闘った。
俺は、あの連携というやつを、やってみたいと思っていたのか。
ミノタウロスは、最後の怪物との闘いを振り返る。
ちっぽけなコボルトが参戦してからの、動作の一つ一つを振り返る。
そして、思った。
今まで、人間たちの闘いぶりを見て見事な連携だと思ったどの場面にも、今日の自分たちの闘いは劣らないと。
いや。
むしろ、最高だった。
最高にして、最強だった。
あの犬っころと俺が今日やってのけた連携ぶりを越えるやつなどどこにもいない。
ううむ。
それにしても、犬っころにも、あんなやつがいるとは。
たまには、上にのぼってみるか。
だが今は少し眠ろう、とミノタウロスは思った。
体は疲弊しきっている。
長い長い休息が必要である。
よい闘いのあとの充実感をかみしめながら、ミノタウロスは眠りについた。
(第2部 完)




