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迷宮の王  作者: 支援BIS
第2部 ザーラ
32/44

第8話 時を待つ者

 




 1


 ザーラが、ビア=ダルラ防衛戦を戦う数日前のことである。


 リガ家の前当主アルカンは、王都を見下ろすベランダで、一人くつろいでいた。

 今日は、アルカンの八十一歳の誕生日であった。

 華美や奢侈を嫌うアルカンの性情を、むろん家人らもよく理解していて、質素ではあるが、心のこもった食事会となった。


 人の和が広がること。

 それが、何よりアルカンの喜ぶことである。

 大勢の家人、族人、友人たちが足を運んでくれたこと、それこそがうれしい。


 だが。

 来てほしくても呼べない者。

 呼んでも来てはくれない者もある。


 やはり、エッセルレイアは来なかった。

 なるほどバヌーストは遠い。

 だが、王宮への報告と納税などの時期を合わせることはできたろう。

 贈り物も手紙さえもないことが、エッセルレイアの気持ちを表している


 やはり、わしがパンゼルを殺した、と思っているのだろうな。


 その思考は、苦い。

 アルカンにとってみれば、これほど馬鹿な話はない。

 アルカンがパンゼルを殺すわけがないのである。

 あれほど国に有益な人物を。

 だが、メルクリウス家を攻めるときに、策を弄してパンゼルを死地に追いやったのも事実である。


 自業自得ということか。


 苦笑いで、老いて娘に憎まれる寂しさを払った。






 2


 リガ家の初代が始祖王に仕えたのは、建国からほどない時期であった。

 いや。

 仕えた、というのは少し違う。

 初代は、北海に面する広大な領地の跡継ぎだった。

 それに対して、始祖王の国は今の王都といくつかの寒村があるばかり。

 初代は、国が新たに生まれつつあるその風景の面白さを見物しつつ、多少の助言や協力をしていたにすぎない。


 始祖王というのは不思議な男だ、とアルカンは思う。

 強欲で、慎みがない。

 欲しいと思った女も物も、我慢できない。

 家臣のものであろうが、強引に、あるいは策を弄して奪い取ろうとする。

 欠点だらけの男といってよい。


 だが、そのいっぽうで、人の功に報いることに物惜しみしない人物でもあった。

 諫められれば素直に自分の過ちを認めることのできる人物でもあった。

 そして何より、人に大きな夢を与えることのできる人物であった。


 だから、始祖王の周りには国を建てるに足る徳と才を持つ人々がいくたりも集まった。

 それぞれ、自分が始祖王を支えなければと思い、才をふるった。

 そして、始祖王は、人に存分に才をふるわせる才能を持っていた。

 そこに駆けつけて冒険を共にすることが許されるなら、自分も馳せ参じたい、とアルカンも思う。

 そのような、愉快で破天荒で壮大な建国の時代を、始祖王は築いた。


 始祖王が死んだとき、初代は自分の国に帰ろうとした。

 親が老いていたし、始祖王を失った国にもう興味はなかった。

 家族と郎党を率いて、馬車で王都を出て行く初代を、始祖王の正妃が引き留めた。

 二代王たる幼子を抱え、馬車が進む道の上に寝たのである。


 正妃は初代に、あなたが出て行けば、この子も私も国をまとめることはできず、遠からず死ぬ。

 ならば今その馬車でひき殺せ、と言い放った。


 正妃は、始祖王の死後、有力な家臣が次々に離れていくのを、ただ黙して見つめていた。

 ところが、初代の出立を聞きつけたときには突然王宮を飛び出し、必死の引き留めを行ったのである。

 身を投げ出して初代の袖にすがった、といってよい。

 初代はその袖を振り払うことができず、王都に残った。

 北海の雄といわれた故国を捨て、王の座を弟たちに譲ることになるのだと、正しく理解しつつ。


 建国時点で生き残っていた二十四人の直臣たちは、王国守護騎士に叙せられ、直閲貴族家を立てた。

 始祖王が死んだころには、代替わりをしていた家も多い。

 二十四家のうち、始祖王没後も王国に忠誠を誓ったのは、メルクリウス家と、のちにエバートの死によって断絶するローウェル家の二家にすぎない。

 ほかの家は、自領を事実上独立させて経営に力を注ぎ、思い思いに領地を拡大した。


 時に交渉により時に武力により、長い長い時間をかけて初代は離れた二十二家を残らず王国に引き戻した。

 まさに偉業といってよい。

 この畢生の事業を終えたとき、バルデモスト王国は大陸北部最大の版図を確立した。


 とうに老境に入っていた初代が、なおも執念を燃やしたのは、海への道を確保することである。

 目を付けたのは、バルデモストの北東方向にあたる海沿いの小都市群であった。

 ただし、武力で制圧する道は取らず、リガに街を作り、これを商業都市として発展させる、という迂遠な道を選んだ。


 リガは、海沿いの小都市から塩と海産物を買い、バルデモスト王国中に売った。

 小都市群からすると、販路が拓けて大量の品がさばけるようになり、輸送と護衛までもリガが負担したため、産業発展の好機となった。

 加工技術の開発に協力し、資金も貸した。

 リガは、小都市群にとり、なくてはならない街となり、信頼関係も深まっていった。

 初代の出自が知れていたことも、小都市群となじめた一因であった。


 バルデモストの諸侯からは、塩の値を下げるよう圧力がかかったが、小都市群がじゅうぶんな利益を得られる値段は譲らなかった。

 逆に小都市群に対しては、医薬品や金属製品などを、できるだけ安価に販売した。


 小都市群の産業が拡大し、海運業も盛んになると、人手不足になった。

 初代は、バルデモストの各地から、流民や貧民をかきあつめ、小都市群に送った。

 やがて、バルデモスト人による村が、海沿いのあちこちにできた。

 小都市群の人々は、発展のしるしだと、喜んで受け入れた。

 自然な形で、小都市群の君主たちは、リガを通じてバルデモスト王に朝貢するようになり、バルデモスト王国に編入された。

 アンポアンを始めとする直轄都市も生まれた。

 リガも、目覚ましい発展を遂げ、産業と防衛の要衝となった。

 初代は、リガ公爵に封じられ、家名もリガに改めた。


 初代は、最晩年に、かつて故国のあった場所を訪れた。

 最も栄えていた地域は荒れ果て、モンスターの跋扈する辺境になり果てていた。

 国が分裂しても人々の営みは残ると思っていた自分の間違いに、初代は気付いた。


 今、ここに、かつて国だった土地がある。

 王となるべきだった自分がいる。

 だが、ここに国はない。

 民が消え去ったからである。


 とすれば、国とは民である。


 これが、リガ家の初代が生涯をかけてつかんだ、国家の本質である。






 3


 国の本体とは民であり、民が増え、広がり、豊かになっていくことが、国が栄えることである。

 こうした哲学を基底に据えるリガ家から見れば、バルデモストの諸侯の多くは、視野が狭すぎ、実体のない理念に凝り固まり、武威と武力行使をはきちがえている。


 王への忠誠こそが国家興隆の(もとい)であり、強力な王が育つことが国の制度の目指すところである、と諸侯は言う。

 それは、間違いではない。

 だが、王一人のみが偉大であるとき、王の死とともに国は傾く。

 始祖王の死を制度の痛みとして感じる者が、いかに少ないことか、とアルカンは思う。


 なるほど、建物には柱が、生き物には背骨が、家には当主が必要である。

 しかし、大海を往く船に一本の帆柱しか許さなければ、航海は危うい。

 リガ家の初代が公爵に封じられたのは、王と諸侯が支え合う国を目指した二代王の精一杯の表現であったと、なぜ誰も気付かないのか。


 いや、だが、それも。


 アルカンは思う。

 本当に王家に忠義を尽くし抜く覚悟を持って言うなら、決して空言(くうげん)ではない。

 しかし、王家に忠誠をと声高に言いつのるやからの多くは、他家への嫉妬や自家への利益誘導をその言葉に置き換えている。

 結局、自家のことしか考えず、国のことなどまともに考えていないのである。


 いい例が、あの伯爵だ。


 大陸北西部の沿岸地域と結ぶ経済共同体の構築。

 これこそが、リガ家の初代が後代に託した王国最大の悲願ともいうべき事業である。

 現在のフェンクス諸侯国西部の沿岸地域には、古くからの良港があり、優良で大規模な塩田があり、発展した水産加工の技術がある。

 進んだ造船技術と海軍力を背景とした、西方諸島との交易。

 フェンクス各地からの鉱石を一手に扱う金属加工の技術。

 一国の王にも勝る財力を保有する大商人たち。

 大陸北部の最も豊かな都市が密集している地域なのである。


 その地域と、結ばれること。

 支配でも恭順でもなく、対等の商売相手として、自由な人と物の行き来を可能にすること。

 それこそが、王国発展の鍵である、と初代は言い残した。

 リガ家は、長い時間をかけて、沿岸諸都市と少しずつ信頼関係を作り、海運貿易は、一定の輸出入量を確保するに至った。

 また、バルデモストに接する諸侯の敵意を和らげる努力を続けてきた。


 そして、その努力が、大きな実を結ぶ日が来た。

 王国歴千四十年、フェンクスのパウロ候が、アルカンの父モルゾーラの仲介により、バルデモスト王に臣従し、男爵に封じられたのである。

 当時、モルゾーラは三十五歳。

 アルカンは、たった四歳だったが、そのときの、お祭り騒ぎのような一家の喜びを、覚えている。

 その後も、折にふれ、パウロ男爵の帰順がどれほど意味の大きいことかを、教えられた。


 フェンクスには、重武装と独特の陣形戦法で平地戦では無類の強さを誇る、北方騎士団と呼ばれる兵団を抱える諸侯が割拠する。

 フェンクスの諸侯は、独立独歩の構えを取り、互いに不干渉であるが、外敵に対しては団結する。

 彼らは、バルデモスト王国を、怯懦の国、と呼ぶ。

 軟弱な南から逃れてきた貴族が作った国、と見下げているのである。

 バルデモスト人が領土を通るのさえ、快く思わない。

 豊かな北西沿岸部と交易をする上で、どうにもならない障害となっていた。


 そこへ、パウロ男爵の帰順である。

 パウロ男爵は、精強な北方騎士団を麾下に置く。

 バルデモスト王国が、それだけの武威を加えたことになる。

 また、パウロ男爵領がバルデモストに編入されることにより、北西部沿岸が近づいた。

 さらに、パウロ男爵は、フェンクス諸侯国中央部に親戚が多い。

 親戚筋の領地を並べるだけで、海にほとんど手が届きそうである。


 リガ家は、慎重に、交易路開設の準備を進めた。


 そんな折、フェンクスのある君公の領内で、バルデモストのある伯爵の家臣が、役人に惨殺される事件が起きた。

 婚礼の準備のため、海岸部の商業都市に宝物を買いに行った帰りであった。

 フェンクス諸侯が発行した手形を持っていたし、殺したあと、宝物を奪い、逃げ去ったというのであるから、言い訳のしようもない。

 その君公は、非を認めて謝罪する手紙を自ら認めたという。


 モルゾーラは、これを聞いて、小躍りして喜んだ。

 その君公は、バルデモストを毛嫌いし、交易路の開設に反対の立場を取っていたからである。

 この貸しがあれば、その君公を黙らせることができる。

 うまくすれば、賛成派に回らせることさえできるかもしれない。


 その喜びは、たった一日しか続かなかった。

 伯爵がフェンクス領に攻め込んだ、という知らせが入ったのである。

 アルカンは、父親のあれほど消沈した姿は見たことがない。

 当時、モルゾーラは四十九歳で、アルカンは十八歳であった。


「アルカン。

 どうしても分からん。

 伯爵は、なぜ戦うのだろう」


「領地を得るためでしょう」


「あんな荒れ地ばかりの土地をわずかばかり切り取って、民に何の益がある?

 あんな飛び地のような地を得たとして、守るのにどれほどの兵力が要る?

 向こうが非を認めておるのだぞ。

 貸しは貸しのまま貸しておいてこそ意味がある。

 こちらから攻め込んだとなれば、貸しは消え、非が生じるではないか」


「それでも、わが領地が増えることは、王国の領土が増えることである、と伯爵は言うでしょう」


「北方騎士団が集結すれば、わが国に勝ち目はない。

 逆にこちらが領土を削られるわ!

 では、こう訊いたらどうなる。

 お前は家臣を殺されて怒っているが、そもそも、通行手形を得て沿岸部に買い物に行けるようにしたのは、誰か。

 どれほどの手間と金がかかっているか、知っているのか、と」


「伯爵は、こう答えるでしょう。

 それは王国のためにしたことであろう。

 わが戦も王国のため。

 とやかく言われる筋合いはない、と」


「そうか。

 なるほどな。

 しかし、長年言い続けてきた、わが国には領土的野心はないという言葉が嘘になってしまったが、それはどうか」


「そもそも、領土を広げるのが王国の忠臣としての務め。

 フェンクス諸侯国に、そのような物言いをしてきたリガ公こそ不忠の臣、とでも言うでしょう」


「もう領土を外に増やす必要などないのだ!

 北西部沿岸との本格的な交易が拓ければ、王国は豊かになり民は増え生産力は増す。

 遊んでいる土地が、王国内にいくらでもあるではないか。

 まずは国内開発を進め、国力を高めるのだ。

 そのためには、交易によって経済を豊かにせねばならぬ。

 交易路の諸侯も潤う。

 経済的に相互に依存する関係を結べば、戦争を仕掛けられる心配は減る。

 そうしてじゅうぶんに国力を養ったあと、経済的に諸侯を取り込んでいけばよい。

 戦で取っても、人はなじまず、恨みは深い。

 民にうまみを与えてこそ国は太れるのだ。

 そのことは、北東部の沿岸地帯で、実際に証明したではないか」


「それがいけません。

 バルデモストの諸侯は、リガ公だけが利を取ったと見ております。

 リガから北と東はすべて実質リガ公の領地ではないかと。

 国の金と人を投じて沿岸部を豊かにし、それを自らのものにした。

 ならば、われらにも西の地を切り取る機会が与えられねばならぬ、と」


「それは、わが家の利ではない、王国の利だと言っても、通らぬのであろうな。

 ふうむ。

 アルカン。

 今、わしにできることは何か」


「父上。

 このたびの戦について、伯爵から兵站協力の依頼がありましたか」


「いや。

 そのようなものは、ない」


「では、タダに塩を売りましょう」


「何?」


 この年、大陸北東部の沿岸は悪天候続きで、塩の生産量は著しく落ち込んでいた。

 他国と同じく、バルデモストでは、塩は王家の専売品であるが、リガ家が事実上生産と販売を独占している。

 リガ家の采配により、塩はじゅうぶんな備蓄があった。

 その備蓄すべてを、隣国のタダに売った。

 タダは、塩不足に苦しんでいたから、貸しができたうえ、非常な利益が上がった。

 バルデモスト国内では、各都市への割り当て分以外の流通が一時途絶え、自由販売の塩は高騰し、そして消えた。

 いっぽう、伯爵に対し国として援軍を出すべきである、という意見が朝議で出されたが、国同士の戦争になってしまう、というもっともな理由で否決された。

 身銭を切ってまで援兵を出す諸侯はなかったので、戦は長引いた。

 そして、塩が足りなくなった。

 だが買うべき塩は、もはやどこにもなく、結局領土は得られないまま、停戦となった。


 もし伯爵に、兵か物資を提供する諸侯があれば、こうはならなかった。

 モルゾーラが、そこを訊いたとき、アルカンは、


「周りの諸侯が伯爵を支持するのは、次は自分の番だと思うからです。

 しかし、同時に、伯爵にだけうまいスープを飲まれるのは許せない、とも思っています。

 伯爵の領地を増やすためだけに身を削って援助をする諸侯は、ありますまい」


 と答えた。

 その通りになった。


 フェンクス諸侯とリガ家の友誼にはひびが入り、交易路の夢は、しばし遠のいた。

 しかし、伯爵の軍を引かせてみせたことで、可能性は未来につながれた。






 4


 ことほどさように、リガ家の積み重ねてきた努力は、他家に踏みにじられてきた。

 だが、逆に、リガ家が他家を踏みにじり、求めるものを自らの愚かさで遠のけたこともあった。


 ヴァルド家の族滅は、その一つである。


 当時、アルカンの父のモルゾーラは十九歳、モルゾーラの父のクレルモは四十九歳であった。

 平近衛騎士マゼル・ス・ラ・ヴァルドを吏務査察官に据えたいと、王が言い出したとき、クレルモは、筆頭大臣兼宰相という立場上、身分と経歴からして適当でない、と奏上したが、心の中ではむしろ歓迎していた。


 当時の王シャナ=エラン(浄王)は、理想主義すぎ、純粋すぎた。

 いきおい、クレルモは、王の意に反する政策ばかりを進めることになり、心苦しい思いを持っていた。

 ひいきの騎士を抜擢して気が晴れるなら、大いに結構であると考えたのである。


 また、当時の王宮の政務は、利権やめんつが複雑怪奇に絡み合って極めて非効率かつ非生産的であったので、懐柔されにくそうな青年吏務査察官が風穴の一つも空けてくれれば、と期待するところがあった。


 だが、新任の吏務査察官は、親善試合に毒の剣で斬りかかるようなまねをした。

 いきなり、アンポアン侯爵領の役所を調査したのである。

 そして、何の相談もなく処罰を実施した。


 子爵三人が、私腹を肥やすようなことをしていたことは、明らかに非がある。

 これについては、相談されれば、きちんと責任を取らせ、償いと反省をさせるにやぶさかでない。

 だが、他国との貿易での不正、と吏務査察官が呼ぶものは、決して不正ではない。

 将来の交易路開設をにらんで、友好関係を保つための、必要にして有益な出費なのである。


 本来なら、朝議に諮って国策として実施すべきものである。

 しかし、かつてのリガ家当主が諮ったところ、他国を利する余裕があるなら、その分王宮に納める塩その他を安くするべきだ、と口々に言われた。

 王宮へ納める物資の価格を下げれば、当然諸侯に納める物資の価格も下がる。

 つまり、自分たちに利をよこせ、というのである。

 外交というものを、ここまで軽視する国もない。

 だから、リガ家の裁量で取り仕切っているのである。

 問われれば、胸を張って内容と意義を説明できる。


 だが、このような問答無用の形で捜査され、一方的に処断されたのでは、他国に対し、また沿岸地方に対し、リガ家は信用と体面を失う。

 それは、リガ家がした約束をおとしめることであり、国の未来の豊かさを削ることにほかならない。

 また、長い年月をかけて侯爵領にまで育て上げたアンポアンが、海運と沿岸産業の拠点たるべき地位を失いかねない。


 クレルモは、激越な反応を示し、吏務査察官に謀反計画の罪を着せて、一族郎党を皆殺しにした。


 その数日後である。

 クレルモの部屋から、ただならぬ物音がする。

 モルゾーラが駆けつけると、クレルモは、こぶしから血を流しながら、机をたたき続けている。

 わしは過った、わしは過った、と叫びながら。


 その日、クレルモは、王宮から回収したアンポアン捜査の資料を見た。

 その文書は、完璧というべきであった。

 正確で、無駄がなく、比較対象の採り方、変動部分の数字の示し方、どれ一つを取っても、見事というしかない出来であった。

 出来事と、関与する人間の責任を、簡潔に理路整然と説明する、その言葉の運びは、力強く、美しい。

 他国への利益供与の潜在的意味をも踏まえつつ、しかし処断すべき理由が、鮮やかに述べ立てられている。

 単に法に従うのでなく、本来の精神に立ち戻って、あるべき運用を道付けている。

 制度と人の成長を願う、血の通った法理が、そこにはあった。


 これを書いた人間は、百年に一人の名吏である。

 伏してわが家の法学の師に迎えるべき傑人である。

 この短時間に、これほどのものをまとめたからには、その配下にも、有能そのものの人材が多数いたに違いない。

 それをまとめて殺してしまった。


 この国に最も必要な、有能で公正で視野の広い官僚集団。

 それが目の前に現れていたのに、そうと気付かず、踏みつぶしてしまった。

 リガ家が願い続けたことを、やっと神々がお聞き届けくださったというのに。


 結局、王が正しく、自分は間違っていた。


 クレルモは、国の未来に甚大な被害を与えた責任を取らねばならないと考え、致仕を決めた。

 その前に、事件で処罰されたアンポアン侯爵と三人の子爵を、復権、復職させた。

 さらに、アンポアン侯爵を黒卿として入閣させた。

 時を巻き戻せない以上、傷は小さく抑えねばならない。


 そして、いよいよ致仕しようとしたとき、王が死んだ。

 バルデモストでは、王の死後一年は服喪の期間であり、重要政策の決定や、要職の異動は慎まれる。


 そして、翌年、新王即位とともに、致仕を申し出た。

 致仕とは、健康その他の理由により、政務に耐えないとして引退することであるから、当然、同時に家の当主も退く。

 長男のモルゾーラが、リガ公爵を襲爵し、当主の座を継ぎ、黒卿に就任した。


 クレルモの失敗は、リガ家にとり、苦い教訓である。

 アルカンは思う。

 やはり、クレルモの心には、驕りがあり、独善があった。

 取るにたりない役人に、裏をかかれ、顔をつぶされたという怒り、それがあのような過激な報復となった。


 大家が相争うとき、往々にして族滅という手段を取る。

 一人でも子どもが生き残れば、いつか復讐されるからである。

 しかし、リガ家は、これまでそのようなことをしたことがない。

 まして、ヴァルドはリガ家が争うような相手ではなかった。


 権勢のある者は、傲慢から逃れがたい。

 そのことを忘れたとき、リガは国にとり毒となる。


 そもそも、人は、生きているという、ただそれだけで、誰かの邪魔になり、誰かの毒になる。

 大きな富や権力を持てば、なおさらである。

 長くこの国のことを思って尽くしてきたそのことが、いっぽうでは、腐臭のするよどみを生みだし続けた。

 そのよどみは、どうすれば祓い清めることができるのか。






 5


 アルカンが白卿の座についたのは、王国歴千六十八年、三十二歳のときである。

 リガの功罪両面の歴史を背負って、アルカンは、リガ家当主として、白卿として、よく務めた。


 だが、アルカンが引退を考え始めたころ、千年の歴史と努力を忘れるべき大きな転換点を迎えているのではないか、と思わせる出来事があった。


 英雄の出現である。


 きっかけは、立太子問題であった。

 アルカンが白卿となった年、王が亡くなった。

 翌年、十八歳の新王が即位する。

 後にユーララ=エラン(剣王)と(おくりな)される通り、覇気に満ちた気性の持ち主であった。

 剣の王というのは始祖王の異称の一つであるから、この諡号は抜群によい。

 即位前に妃を迎えており、即位の翌年、男児が生まれた。

 第一王子である。


 問題は、第一王子の母の父にあたる侯爵が、領土拡張意欲を露骨に示し始めていたことである。

 大臣たちは、この侯爵の影響を心配して、第一王子の立太子に消極的だった。

 翌年、アルカンの娘が王に嫁し、第二王妃となった。

 二年後に第二王妃は、男児を産んだ。

 第二王子である。


 第一王子を太子にという意見と、第二王子を太子にという意見が拮抗し、太子が決まらないまま、時が過ぎた。


 王国歴千九十六年。

 王は四十五歳になっており、立太子問題はもはや引き延ばせないところにきていた。

 このころになると、外戚より、第一王子自身が問題となった。

 明確に、武力による国土拡大を志向していたからである。


 アルカンは、周到な根回しをして、朝議を開いた。

 通常の朝議は、王と大臣と案件関係者で行われるが、重要案件については、一定以上の身分の者全員が参加する。


 九分九厘、第二王子で決まりかけた立太子を、二十二歳のユリウス・メルクリウスの、長子に格別の問題がない以上、長子が王位を継ぐのが順当である、という発言が覆した。


 この声を聞きながら、アルカンは、なんと生臭さを感じさせない声か、と感慨を覚えていた。

 収まらないのが、アルカンの長子ガレストである。

 どれほどの深謀のもとに第二王子を推戴するか理解せず、アルカンの苦労を無にしたユリウスに、深い憤りを覚えた。


 そんなガレストに、共にメルクリウスを攻めてみないか、と声を掛けたのは、パウロ男爵ボーラムである。


 パウロ男爵がバルデモストに帰順して、二度当主が変わった。

 このとき、ボーラムは、三十四歳。

 三十八歳のガレストは、幼なじみである。


 パウロ男爵家は、軍事に秀でた家であるが、バルデモスト帰順以後は、その武威を示す場もなかった。

 ところが、王が、国内の平定を積極的に進めるようになり、大いに活躍の場が出来た。

 広い国内のあちこちに、王に従わない勢力があった。

 そうした不穏分子を、王命を受けて、ボーラムは、次々に平らげていった。

 ガレストも、しばしば行動をともにした。

 パウロ家は、活躍の場と名分さえ与えられれば、費用は自弁で構わないという態度を取り、かつ自領から離れたうまみのない地にも喜んで遠征した。

 その騎士団は、きわめて精強であったから、功績は圧倒的であった。


 こうしてボーラムの武名が国中に轟きわたったころ、彗星のように、ユリウス・メルクリウスが現れた。

 王国歴千八十八年、国内を追われた諸勢力が、ジャミの森の蛮族たちと結んで、二万の大軍で王都を攻めようとした。

 このとき弱冠十四歳のユリウスは、二日で二千の兵力を集め、六人のSクラス冒険者を動員して、ミケーヌの街に防衛陣を敷いた。

 敵の連携の甘さを衝いて将二人を討ち取り、一週間にわたり、敵軍を足止めしてみせたのである。

 やがて諸侯が集結して、敵を殲滅した。

 この戦により、国内平定は完成に大きく近づいた。


 その後ユリウスは、王から重用され、応え続けた。

 戦の数ではボーラムに遙かに及ばないが、知名度と人気では大きく優る。

 ボーラムは、いつも自軍より多い敵を鮮やかに打ち倒す、この十四歳年下の若き名将と、武威を競いたくてしかたがなかったのである。


 ボーラムから、王都のメルクリウス邸を攻めると言われ、ガレストから、そののち王宮に入って第二王子に王位を譲るよう迫る、と言われたとき、アルカンは、あまりの過激さに、言葉を失った。

 だが、ボーラムに、いつ攻め込むと訊いて、答えを聞いたとき、これはうまくいくかもしれぬ、と思った。


「もちろん、豊穣祭の最中ですな。

 国中の人に見届けてもらえるわけですから」


 反逆に等しい陰謀であるのに、ボーラムの言葉には陰湿さがない。

 また、豊穣祭には迷宮に入る者もないことから、じゃまなパンゼルを死地に落とす算段もつく。

 家宰のパン=ジャ・ラバンは高齢で病床にある。

 あの二人さえいなければ、ユリウスを殺すのは易しい。


 アルカンは、引くに引けない状況となっていた。

 根回しが行き届きすぎたため、第二王子擁立派の動きは、アルカンの思惑を超えて大がかりで過激なものになっている。

 もしも第一王子が太子になれば、リガ家と同調者の決定的な敗北となる。

 その状態で、大義もなく、ただ領土を拡張するための戦争など始めれば、国が破滅しかねない。


 しかし、武力で王を退位させ、自らの孫にあたる第二王子を王位につけるのは、リガ家の誇りを投げ捨てるに等しい。

 負けるわけにいかないが、国を奪うわけにもいかない。


 よし。


 このとき、アルカンは、誰にもいわず、進む道を決めた。

 まずは、勝つ。

 ユリウスを殺す。

 そして、王宮を手中にする。

 しかし、奪わない。

 第一王子に直談判をして、外征を断念していただく。

 ユリウスの死で第一王子の心を折ることができよう。

 そのうえで、第一王子を太子に推戴する。

 わしは死んで罪をわびる。

 ガレストなら、そのあとのリガを牽引できる。


 こう決めたとき、アルカンにとって、パンゼルは、優れた騎士であり、ユリウスの強さの鍵となっている存在であったが、それ以上のものではなかった。

 陰謀は進められ、その日が来た。

 メルクリウスを落としたあと王宮に兵を向けることは、アルカンとガレストとボーラムのほかは、ガレストの側近数名しか知らず、いかなる証拠も残していない。

 王宮を占拠したあとのことは、アルカンが一切を行う。

 ボーラムは、見世物と屋台と群衆でにぎわうパントラム広場に兵を進め、大音声で呼ばわった。


「やあやあ、われはパウロ男爵ボーラムなり!

 王国の若き名将ユリウス・メルクリウス殿と一槍交えんと、北のもののふを率いて参った。

 見届け人は、リガのガレスト殿。

 いざ尋常に、武を競わん!」


 群衆は大いに盛り上がり、広場を明け渡し、近くの建物によじのぼって、ボーラムに、あるいはユリウスに声援を送ったというから、ボーラムはまことに華のある武将といえる。

 王都の邸宅で、この報告を受けたアルカンは、愉快に哄笑した。


 だが、緒戦の報告の次に、パンゼルが現れて単身こちらの陣に侵入し、ガレストの首を取っていった、という報告を受けたときには、天地が逆さになったかと思った。

 リガの後嗣たるガレストに万一のことがないよう護衛につけた、腕利きの騎士と冒険者は、すべて一太刀で斬り殺されたという。

 一切を破綻させかねない、この凶報を受けて、しかし、アルカンの胸を浸したのは、


 今、英雄が降り立ったのかもしれぬ。


 という予感であった。

 それにしても、あのときの自分を振り返って、アルカンは、不思議さを覚える。


 なぜ、わしは、メルクリウス宗家を討つという非道を、いとも簡単に許したのか。


 ユリウスには、まったく非はない。

 正々堂々と、意見を述べただけのことである。

 それに対し、リガ家の苦労も知らずにと怒るのは、どう考えても逆恨みである。


 ガレストが、武人らしい直截さで、どちらが正しいかを戦いで決めようとしたのは、まだ理解できる。

 だが、アルカンの立場にあっては、その手法を冷静に批判できねばならない。

 それなのに、自派の都合のためだけにユリウスを殺すと決めた。


 このことは、ずっとあとになるまで、解けなかった。

 最近になって、ようやく、アルカンは、自分の心にあったものの正体を知った。


 わしは、ユリウスを(おそ)れたのだ。


 だが、それこそ、激しい矛盾といわねばならない。

 メルクリウスは、武の名門とされるが、歴代当主の知見と視野の広さは、リガに劣らない。

 パーシヴァルの父も優れた人物で、アルカンは、薫陶を受けるところが大きかった。


 そして、パーシヴァルは、物事の本質を見抜く鋭い目を持っていた。

 闘うことにしか興味がなく、高位の貴族でありながら迷宮探索に命を捧げた愚か者、とみるのは、とんでもない間違いである。

 愚鈍な人間が、一族郎党の結束を維持することなど、できるものではない。

 しかも、国のための戦争を、パーシヴァル自身はほとんど戦わなかったにもかかわらず、武の一門としての名声は落ちるどころか高まった、といってよい。


 パーシヴァルという男は、見た目通りの単純な武人などでは、決してない。

 アルカンとも堂々と渡り合って、国政を運営していける能力を持っているのである。

 であるのに、なぜ廟堂を避けるのか。

 王妹をめとったことで野心を疑われぬための韜晦なのか。


 アルカンは、パーシヴァルを、近衛第四騎士団長に据えようとした。

 近衛第四騎士団は、第二王子の守護騎士団であるから、その知遇を得て、第二王子の立太子に合わせて入閣すればよい、との含みである。

 だが、パーシヴァルは、固辞した。


 このことは、パーシヴァルの死後、妙な結果を引き起こした。

 第四騎士団長は、リガ家の分家の当主が務めていたが、パーシヴァルが後任に就くことを拒否したため、その当主の息子が次の騎士団長になった。

 新しい騎士団長は、すでにこの世の人ではないパーシヴァルに、異常な対抗心を抱いた。

 その対抗心が、第四騎士団のミノタウロス討伐につながった。


 八人で挑むはずの討伐隊は、八十人に膨れ上がった。

 王がミノタウロス討伐に熱心であることは周知の事実であったし、万全の態勢で行う、万に一つも失敗のない討伐であるから、乗り遅れまいとする騎士団員が相次いだのである。

 それぞれの実家が、強硬に参加を要求してきた。

 わが家だけを除け者にする気か、と。

 この討伐隊への参加で、リガ家に対する忠誠心が計られるらしい、などという不可思議な噂もあった。


 結局、肝心の騎士団長は、参加を取りやめた。

 無理もない。

 パーシヴァルを打ち負かした怪物を倒すことで、自分の武勇を示したかったのである。

 数を頼んで押しつぶすごとき戦いには、何の意味もない。


 それにしても、まさか全滅するとは。


 報告を聞いたとき、アルカンは、騎士団員たちの愚かさに、骨を失ったかと思うほど脱力した。

 騎士団員たちの実家は、いきさつなどはすっかり忘れて、アルカンを責め立てた。

 最初から最後まで討伐隊の派遣に反対していたアルカンが、悲劇の元凶とされた。


 しかし、派閥を率いる者は、往々にしてこのような立場に立たされるものである。

 結果を見越して何らかの手を打つべきだったという意味では、確かにアルカンに責任がある。


 その後、メルクリウスの新当主ユリウスは、武門の家らしいやり方で、頭角を現した。

 アルカンは、その功績を背景に今度こそ政治の世界に出てこい、と心で呼び掛けていたのである。

 そのユリウスが、廟堂で、堂々と正論を発した。

 大いに喜ぶべき場面である。


 にもかかわらず、感嘆の次にアルカンを捉えたものは、恐怖であった。

 嫉妬であった、と言い換えてもよい。


 根回しは行き届いており、覆す余地は、わずかなものでしかなかった。

 ただ一言により、そのわずかな可能性を、ユリウスは引き寄せてみせた。

 欲も強引さもひとかけらも感じさせない声で。


 この若者は、リガをも手玉に取る策謀を、いともあっさり思いつき、実行できる人である。


 と、直感が教えたのである。

 万の努力を一の労力で逆転する人間。

 何気ない一言が必ず用いられる人間。

 生まれながらに人への強大な影響力を有する人間。

 ユリウス・メルクリウスとは、そういう人間であると、このときアルカンは見抜いた。


 その認識が、ユリウス殺害を首肯させた。

 だが、パンゼルの存在が、ユリウスを守り、ガレストを殺した。

 リガ家は存亡の危機に立たされた。




 


 6


 アルカンの判断は速かった。

 一切をなげうって、王への恭順を示したのである。

 ボーラムには、悪役になってもらうしかない。


 このとき、アルカンの胸中には、リガ家を生き残らせるという命題とともに、パンゼルを見定める、という目的が生まれていた。

 迷宮の怪物から得たという神剣で、パンゼルが百人の騎士を鎧袖一触になぎ倒すのを見たとき、


 この男は、常の人間ではない、


 と、確信した。

 そして、思わず、かの者王国守護騎士に叙さるべき、と声を発した。

 王がすかさず、その言やよし、と応えたとき、それは決まった。

 パンゼルが正式に王国守護騎士に任じられ、ゴラン家を立てたとき、アルカンは愛娘エッセルレイアと婚約させ、持参金として精鋭騎士五十人を贈った。

 これを聞いた王は喜色を示し、ならばわしも騎士五十人を贈ろう、と言った。

 アルカンは、初めて王と気持ちが合うのを感じた。

 王も同じであったろう。


 自領に帰ったボーラムは、釈明を求める勅使に、剣でお答え申す、と答え、王国から討伐隊が出されることになった。

 リガ家は、従軍せず、兵糧を負担した。

 他家に手柄を立てさせるためである。


 アルカンは、表舞台から去り、家と爵位を次男のドレイドルに譲った。

 そして、パンゼルを見守った。


 もっとも、パウロ男爵領は、王国側からは攻めにくいうえ、音に聞こえた北方騎士団が迎え撃つのであるから、ほどよい痛み分けで終わるしかない戦のはずであった。


 パンゼルは、峻険の地に立つ九つの砦を次々に抜くと、広大な平原を風のように駆け抜け、男爵の居城に迫った。

 このとき、パンゼルと共にあったのは、麾下の騎士百人と、メルクリウス家の騎士二百人のみである。


 ボーラムは、城にこもれば負けるはずはないが、電光石火の進撃をみせた勇猛果敢な武将から、出でて戦えと言われて応じない男ではなかった。

 領地の各所を預かる武将たちは、まだボーラムの元に集結しておらず、フェンクスの血縁者から兵を借りてもいなかった。

 しかし、直属の兵だけでも圧倒的に有利であり、まして、敵軍は、無理な進軍で疲労の極にある。

 この無謀で覇気のある若い勇将を、せめて手ずから葬るのが礼儀だ、とボーラムは考えた。


 こうして両軍は、平地で激突した。

 一般兵を、メルクリウスの騎士が押さえ、ボーラム自身が率いる北方騎士団二百五十名と、パンゼル率いる騎士百人が衝突した。

 自軍をくさびの陣形として、その先端となったパンゼルは、方陣を取るパウロ軍に正面から攻め掛かった。

 見る者は、岩に砕ける波を想った。

 だが、長剣でカーテンを切り裂くかのように、波は岩を突き抜けた。

 パンゼルは、ボーラムに深手を負わせ、平地戦では無類の強さを誇る北方騎士団を完膚無きまでにたたきつぶして、城を占領した。

 ボーラムは、フェンクス領の深くに親戚を頼って逃亡した。


 完璧であるとともに、あり得ない勝利であった。

 敵も味方も、聞いて直ちに信じることのできない結果である。


 さらに信じられないことが起きた。

 ボーラムの領地内に分封されていた七人の子爵のうち、三人が、パンゼルに帰順を申し出たのである。

 誇り高いフェンクスの武人が、怯懦の国とまで呼ぶバルデモスト人の風下に自ら立つというのは、それだけでも大事件といえる。


 アルカンは、パンゼルという希有の英雄が存分に力を発揮できるよう、心を砕いた。

 まずは、ドレイドルを通じ、パウロ男爵領攻略についてのメルクリウス家の功績を強調した。

 パンゼルは、軍の編成上ユリウスの配下であるから、この話に無理はない。

 ユリウスをパウロ男爵の居城に入れ、采配を取らせるよう計らった。

 メルクリウスが賞されることこそパンゼルの本懐である。

 また、最前線の拠点をメルクリウスが押さえれば、パンゼルの後方支援は自然に調う。


 もっとも、領主は追い払い、直属兵は討ち取ったとはいえ、非占領地域は多く、舵取りは容易でない。

 しかし、ユリウスは、瞠目すべき老獪さを見せ、メルクリウス軍とゴラン軍の武威をちらつかせながら、戦闘は極力避けて、統治地域を広げ、安定させていった。

 帰順した三子爵の働きも大きかった。


 二年後、領土の平定が終わったとき、アルカンは、ドレイドルを通じて、旧パウロ男爵領をそっくりユリウスに治めさせるのが適当である、と上奏させた。

 ユリウスは、王城の地名を取ってケザ侯爵領と名付けられた地に封じられ、ケザ侯爵となった。


 また、アルカンは、メルクリウスが安定するためには、内政がたくみで家産の豊かな諸侯と結びつく必要があると考え、古くからメルクリウスと友誼のある侯爵の娘との結婚を、ドレイドルに取り持たせた。


 そして、新ケザ領誕生から二年後の千百年、フェンクス諸侯国との戦争が始まった。






 7


 バルデモスト王国に服属していたパウロ男爵が、王都で武力蜂起したのであるから、王国がこれを詰問するのは、理が通っている。

 釈明せず武力で抵抗した末に、親戚を頼ってパウロ男爵はバヌーストに逃げたのであるから、引き渡しを要求したのも、当然である。


 バヌーストは、フェンクス諸侯国有数の堅城を持ち、最精鋭の北方騎士団を有する。

 バヌースト公オルエバインは、パウロ男爵を引き渡そうとはせず、逆にパウロ男爵の領地を返還するよう、バルデモスト王に求めた。

 このとき、バルデモストの外交には強い覇気がこもっており、国の気風が違ってきた、と思わせるものがあった。


 足掛け四年にわたる交渉は決裂した。

 というよりも、フェンクスではパウロ男爵が、おもしろい戦ができるぞと言いつのって親戚朋友をその気にさせた。

 バルデモストでは、国内が平定され、国庫にゆとりがある今こそ、外に威を示す絶好の機会であると、王と太子が率先して開戦を支持した。

 結局、武を競いて天神の裁きに委ねん、というひどく古式な開戦文書がやり取りされて戦端が開かれた。


 フェンクス諸侯国には国王はない。

 関係諸侯が集まって議を決し、その盟約書を封印して保管する君公が代表の立場に立つ。

 この戦では、バヌースト公を代表者として、十四名の君公が開戦決議書に署名したのであるから、この戦争は、国と国との全面戦争に近い。


 バルデモストは、太子その人を総大将として、フェンクスに攻め入った。

 バヌーストまでは、いくつもの城や砦がある。

 パンゼルは、太子から王の剣と呼ばれて信任され、常に先陣をきって、地上に降り立った神のごとき戦ぶりを見せた。

 三年と少しのあいだに、六つの北方騎士団を破り、パウロ男爵の首を取り、バヌースト公を自害させ、バヌースト城を奪取し、さらには、支城五つを攻め落としたのである。

 諸侯は、前線が孤立しないよう、周囲の諸族やモンスターを平らげ、安定した形で占領地を押し広げていった。

 まさに王者の戦いといえる。


 アルカンは、夢を見るような心地で、この三年と少しを過ごした。

 パンゼルは、二つの点で、それまでの武将と、まるで違っていた。


 一つは、破った敵から敬意を受ける、ということである。

 パウロ男爵は、パンゼルは天空を切り裂く雷神のような男だ、と称えた。

 アルカンは、フェンクスに多くの情報網を維持していたが、どの騎士団もみな天雷パンゼルと戦いたがり、負けたあとには、天雷の堂々たる戦いぶりを褒めそやす。


 二つは、メルクリウス家の恩寵品を使いこなしている、ということである。

 メルクリウス家当主は、長い歴史の中で何度も、家族や家臣に五つの恩寵品を使わせようとした。

 だが、リガ家の知る限り、当主以外にその恩寵を発動できた者は、一人もいない。

 おそらく、パンゼルが初めてである。


 パンゼルには、武勇に優れているというだけではない何かがある。


 千年にわたるリガ家の努力と、真反対ともいえる方向に、国は進んでいる。

 しかし、この充実感、爽快感、沸き立つような気持ちは、何か。

 血と暴力で領土を奪い合う出来事であるのに、吹き渡る風のような清涼を感じるのは、なぜか。

 そこに、建国時代のごとき英雄がいるから、としか言いようがない。

 自分もまた偉大な時代を生きているのだ、とアルカンは信じることができた。


 バヌースト城とその支城までが、バルデモストの勢力圏となれば、沿岸地方まで遠くない。

 バヌーストが安定したあと、パンゼルの武威を背景に交易路開設を呼びかければ、間違いなく実現できる。

 あと少し。

 あと少しで、積年の切望が、まったく考えもしなかった形で実現する。


 その夢は、パンゼルの死により、突然終わった。

 バヌースト城の最後の支城を落とした夜、野営中にパンゼルは死んだ。

 三十一歳であった。






 8


 このときのユリウスの働きは、いくら賞めても足りない、とアルカンは思う。

 ユリウスは、パンゼルの死を隠しきった。

 病気であることにして、影武者を置き、医者を通わせ、食事を運び、伝令をたびたび送る念の入れようをみせた。

 そして、太子に、講和条約の締結を急がせた。


 その少し前に、停戦交渉は始まっていた。

 なにしろ、パウロ男爵を討ち取り、バヌースト公も死んだのだから、バルデモスト側には、戦争を続ける大義がない。

 いっぽう、フェンクス側は、これほど一方的に負けたままでは収まらない。

 占領地の半ばを返還させるに足る反撃を期していた。


 五つの支城をすべて落とす、というのは、フェンクス側の士気をくじくにじゅうぶんな効果を持った。

 バヌースト本城に加え、五つの支城に、メルクリウスとゴランが詰めるとなれば、守りは盤石で、攻め掛かれば被害が大きすぎる。

 パンゼルが死の直前に最後の支城を落としたことが決定打になり、若干の砦は返還するが占領地のほとんどをバルデモストが領有することを明記した講和条約が締結された。


 ただし、バルデモスト側も、フェンクス側の勇戦を大いに賛え、莫大な見舞金を支払うとともに、十年間フェンクスからの輸入に関税を掛けないという大盤振る舞いをみせた。

 また、旧フェンクス領の貴族と領民のうち、フェンクスに移りたい者は、一定の財産を持ったまま移動を許可した。

 さらに、貴族の捕虜は無条件で引き渡し、平民の捕虜はごく短い年限の労働のあと解放することとした。

 戦争捕虜は、身分のある者は身代金と引き換えにし、そうでない者は労働力として奴隷にするのが常識であったから、この条項には敵も味方も仰天した。


 こうした条項のほとんどは、黒卿たるユリウスの発議による。

 アルカンは、うなった。

 まず、他領から参戦したフェンクス貴族は、もともと恩賞が目当てといってよい。

 これに対して見舞金という名で実を取らせるのは、非常にうまいやり方である。


 次に関税の期限付き撤廃は、ひっくり返していえば、交易を盛んにする呼び水となるわけであり、戦争で荒んだ関係を和らげるためにも、将来の交易路開設の下準備としても、まことに意義が深い。


 次に、移動を許可したとしても、農民は汗のしみこんだ農地から離れはしない。

 大商人も、もともと国境を半ば越えたあり方をしており、大部分の財産を放棄して移動しようとは思わない。

 結局、移動の自由とは、不満分子である貴族層をふるいに掛けることなのである。

 自ら残留を選択した貴族たちは、領民との架け橋になってくれるであろう。


 捕虜の無償解放は、廟堂でも反対の声が高かったが、実施してみると思わぬ効果を生んだ。

 騎士の半ばと、兵員のほとんどが、バルデモストへの帰順を望んだのである。

 占領地外に家族がいる騎士は出て行ったが、この思いもよらぬ厚遇は、彼らのバルデモストへの憎しみを和らげずにはおかないであろう。

 さらに、フェンクス側の捕虜となったバルデモストの貴族も、破格の安い金額で返還された。

 フェンクスに捕らえられた平民の捕虜も、短い年限の労働のあとに帰国することが許された。

 フェンクスの気風は、極めて誇り高い。

 バルデモストが、騎士道を絵に描いたような戦ぶりを示し、その戦ぶりに劣らぬ寛大な講和条件を持ち出したからには、それを下回るやり口を、意地でもみせまいとしたのである。


 とても二十九歳の大臣になし得る発想ではない。

 この若い君公も、英雄が呼び寄せた風に乗って天に羽ばたいたのかもしれぬ、とアルカンは思った。


 バルデモストの諸侯は、金銭的な褒賞はほとんど得られなかった。

 しかし、広大な占領地があった。

 王家は、惜しげもなく、功績を挙げた諸侯に新領地を与えた。

 その多くは経済力が高いとはいえない土地ではあったが、新たな領地を、しかもあのフェンクス諸侯国から得るという感動と名誉は、諸侯に深い満足を与えた。


 こうした施策がとれたのは、一つに、農地と民の疲弊を可能な限り抑えつつ戦ったからであり、もう一つに、リガ家が千年来の蓄えを惜しみなく吐き出したからである。


 最大の問題は、バヌースト領、すなわち占領地の最先端を誰が領有するかであった。

 パンゼルが存命なら、何の問題もなかった。

 パンゼル以上に、かの地にふさわしい領主はない。

 だが、パンゼルは死んだ。


 初め、王は、メルクリウスを移封するつもりであったようである。

 バヌースト領主となることは大変な名誉であるが、事あれば三方から攻撃を受ける最前線でもある。

 なまなかな諸侯では務まらない。

 太子は、バヌーストを治める者はゴランしかあり得ない、と廟議で宣言し、皆の度肝を抜いた。


 これに真っ向から反対したのが、白卿のドレイドルである。

 臣下として最高位とはいえ、ドレイドルは三十九歳。

 黒卿の一人であるユリウスが二十九歳であるのを除けば、大臣の中で最も若く、経験も浅い。

 入閣以来、他の大臣の言葉をさえぎったことのないドレイドルが、このとき初めて、太子の言に疑義を呈し、激情を押し殺した声で、未亡人には重すぎる荷物でしょう、と述べた。

 パンゼルの未亡人であるエッセルレイアが、ドレイドルの実妹であり、ドレイドルがこの年の離れた美しい妹を溺愛していると、知らない者はない。

 この朝は結論が出なかった。


 だが、ドレイドルの言葉は、妹への愛情から出たものではない。

 パンゼルへの憎しみから出たものである。

 リガの一族は、家族を大切にする。

 継嗣のガレストは、華のある男で、一族の希望であり、愛の塊であったといってよい。

 ガレストは、武人らしいおおらかさで、家族や一族郎党を気遣ったから、誰もがガレストを愛した。


 そのガレストを、パンゼルが殺した。

 ただちに復讐しなければならない。

 だが、それは許されない。

 それどころか、ガレストの子どもたちと側近たちの首を差し出すことまでしなくては、リガ家は生き残れなかった。

 仇敵たるパンゼルに、最愛の妹を生け贄として差し出した夜、ドレイドルは狂ったようにわめきちらして暴れた。


 ドレイドルは大臣になり、白卿となったが、フェンクスを攻めるあいだ、その座は針のむしろであった。

 王都で武装蜂起したパウロ男爵を責める言葉の矢玉は、そのままリガ家に突き刺さる。

 泥水にはいつくばる気持ちで、ひたすら王に忠義を尽くし、諸卿の公平な調整に努めた。

 戦争という砂地に、莫大な財を湯水のように注いだ。

 決して手柄を取らないよう、注意しつつ。

 これほど国に尽くしてきたリガ家が、じっと身を伏せ、運命の理不尽さに耐えねばならないのは、誰のせいか。


 講和条約締結によって、屈従と忍耐の日々がやっと終わると思ったところに、最大の占領地をパンゼルの家に与えるという。

 それだけは許せない、とドレイドルは思ったのだ。

 それは、ドレイドルだけの思いではない。

 数多い兄弟、親族、郎党、すべての一致した思いなのである。


 こうしたドレイドルの吐露を聞き受けつつ、アルカンは、困ったものだ、と思っていた。

 太子は、この戦争で大きく成長なさったが、わが息子はゆがんだか、と慨嘆した。

 なるほど、家族は何より大事にしなくてはならない。

 だが、政治においては、物事は外側からも見てみる必要がある。

 バヌーストの領主を選ぶについて大事なのは、王国内の事情ではない。

 フェンクス人の心性である。


 天雷パンゼルをかの地に封じ、その御霊(みたま)の武徳をバヌーストの護りとなす。

 これ以外のどんな形も、フェンクス人の魂に、そこがバルデモストの領土だと刻みつけることはできない。


 そもそも、バルデモストの(まつりごと)にしても、王や大臣や諸侯が行っている、とみるのは一面にすぎない。

 より本質的な部分でいえば、この国は、始祖王と二十四英雄の遺徳の上に立っているのであり、始祖王の御霊(みたま)を祭るからこその王なのである。

 そこに思いを致さずに政務を執るのは、太陽と大地の恵みで育った作物を、自分の力だけで育てたと思い上がるようなものだ。


 考えてもみよ。

 パンゼル以外が領主になったとして、死んだバヌースト公やパウロ男爵が納得すると思うのか。

 この二柱の御霊(みたま)が納得しないということは、二人の名誉を奉ずるフェンクス人たちも承服しない、ということなのだ。


 だが、そのような理屈は、憎しみに染まりきった、今の息子には通じない。

 そう分かるアルカンは、まったく別の説得を行った。



 奪え。


 パンゼルの、すべてを奪え。

 わが娘をやったのは、なぜか。

 ゴランの家を、わが血で埋め尽くすためではないか。


 領地を、遠きバヌーストをこそ与えてやれ。

 そうすれば、ゴランをメルクリウスから引き離せる。

 家臣などろくにいないゴランが、リガ以外のどこを頼るのか。


 行政に優れた兄弟を、外交に秀でた従兄弟を、経済を熟知した子飼いの臣を、エッセルレイアの元に送れ。

 ゴランがバヌーストを領し、しかして、そのすべてはリガが牛耳るのだ。


 リガの歴史、リガの思想、リガの気風、リガの怨念で、パンゼルの息子を染め上げよ。

 そのとき、復讐は成る。



 アルカンの言葉を聞いて、ドレイドルの目に正気が戻った。

 翌日の朝議で、ドレイドルは、前言を翻してゴラン家をバヌーストに封じることに賛成し、リガも及ばずながら精一杯の支援をさせていただきます、と述べ、王と太子と諸卿に感銘を与えた。

 それだけではない。

 旧バヌースト領を細かく分割して、それを分かち合おうと考えていた諸侯に、ドレイドルが、まとまった領地でなければ防衛上の連携が機能しないと述べたので、新バヌースト領は、当初太子が考えたものより広くなった。


 ゴラン家は、バヌーストに封じられ、王国守護騎士パンゼル・ゴランは、バヌースト侯爵を追贈された。

 バヌーストで、パンゼルの正式の葬儀が執行された。

 驚いたことに、旧敵国であるフェンクス諸侯国から、二十二人もの諸侯が弔問使を送ってきた。






 9


 アルカンは、エッセルレイアからの手紙を時々読み返す。

 おもしろいのだ、その変化が。


 嫁がせるとき、何をせよともアルカンは言わなかった。

 ゴラン家のことを一番に考え、メルクリウスを立てるのが妻としての務めである。

 その務めを果たし、幸せになってくれることを願った。

 それが、リガと、ゴランと、メルクリウスの友誼にもつながる。

 母は違えど、エッセルレイアは年の離れた兄ガレストを慕っていたから、パンゼルと仲良くやれるか、わずかな不安もあった。


 まったくの杞憂だった。


 見る見る間に、エッセルレイアは、パンゼルの妻そのものになった。

 まじめな文章でのろけを書いてよこすのを読んで、こんな性格だったかと、驚いた。

 パンゼルに、嫉妬さえ覚えた。

 頻繁に届く手紙に、父への愛情を感じ、慰められた。


 その手紙が、ふつりと止まった。


 パンゼルの死を知った日からだと、あとで分かった。

 夫を父に殺されたと、エッセルレイアは確信している。

 なるほど、リガの誰もが、パンゼルを心から憎み、その死を願っている。

 アルカン以外は。

 エッセルレイアには、それが分からない。


 暗殺、なのだろうか。

 神剣の恩寵があるから、戦場での傷がもとで、というのは考えにくい。

 体調を崩していた様子もなく、突然の死であったという。

 メルクリウス家の恩寵品は、アレストラの腕輪以外はユリウスに返していたようであるから、毒殺、ということは考えられる。


 だが、いったい、誰が?


 ふつうに考えれば敵国であるが、恋人に会うようにパンゼルに戦いを挑み、天雷に負けたとうれしそうに言いふらすような騎士たちと、暗殺、という手法がそぐわない。

 一人一人諸侯の顔を思い浮かべても、それらしい相手は浮かんでこない。


 そもそも、暗殺については、アルカンが感心するほど見事な対策をしていた。

 専門の冒険者を雇っていたのである。


 パンゼルは、けがれなきパンゼル、というあだ名を敵に付けられるほど、戦法においても戦術においても清廉な方法を採ったが、一面、汚いやり方を知り抜いていた。

 メルクリウス家の食客になっている、元冒険者ギルド長だったドワーフ・ハーフの仕込みによるものであろう。


 ミケーヌで活動するハイレベル冒険者は、戦争のあいだ、ほとんどメルクリウス家が囲い込んだ。

 情報戦を制したうえで、相手に寝技を使わせない段取りをしてから、戦闘を始めるのである。

 リガが放ったスパイが、ユリウスの陣とパンゼルの陣では見逃してもらって活動していた、と報告したほどである。


 考えれば考えるほど、分からない。

 たぶん、エッセルレイアにも、パンゼルを殺した方法が分からない。

 ということは、エッセルレイアにも分からないような方法を思いつき、パンゼルを憎んでいる人間こそが、怪しい。


 なるほど、エッセルレイアの身になってみれば、わししか犯人は思いつかぬ。

 この誤解は、容易には解けぬ。


 そう思うアルカンは、初め、ドレイドルに期待した。

 バヌースト領を牛耳るために送り込むリガ家の一党は、エッセルレイアに親しい者を選ぶはずで、エッセルレイアにリガ家の懐かしさを思い出させてくれる、と思ったのだ。


 エッセルレイアは、リガ家の援助を受け入れた。

 受け入れる以外ない。

 だが、同時に、ゴラン家の継嗣たるアルスの処遇について、アルカンが予想もしなかった行動を取った。

 王宮に参内して、王に直願したのだ。


 わが夫バヌースト侯爵パンゼルは、王命を奉じてミノタウロスと戦い、勝利を収めながら、決着をつけることなく戻らざるを得ませんでした。

 すなわち、王命は、まだ果たされておりません。

 迷宮の怪物に対し、夫は、いつか決着をつけに帰って来る、と約束いたしました。

 父の志は子が継ぐもの。

 わが子アルスが、夫が闘ったと同じ二十四歳になりましたら、ミノタウロスと闘うよう、お命じくださいませ。

 また、私には、アルスを騎士として鍛えることができません。

 なにとぞ、アルスをメルクリウス家に預けるお許しを賜りますよう。

 アルスが武勲を挙げて戻るまで、このエッセルレイアにバヌーストの統治をお命じくださいますよう、伏してお願い申し上げます!


 王国きっての美姫といわれたわが娘が、黒衣に身を包んで、三歳のわが子を抱きしめながら訴える姿は、まるで絵のようであったろう、とアルカンは想像をめぐらせる。

 王は感激して玉座を下り、なんじの望む通りとするであろう、と聴許を与えた。

 そして、エッセルレイアを侯爵位に就け、アルスが使命を果たすまでバヌースト領を治めるよう命じたのである。


 これで、リガ家は、アルスを自由に養育し、羊のような子に育てることも、リガの走狗に仕立てることも、できなくなった。

 また、幼いアルスが侯爵位を継げば、侯爵の名の下に、どのような領治もできたはずが、エッセルレイアの了解を取らねば何もできなくなってしまった。


 アルカンの目から見て、エッセルレイアの器量はドレイドルに優る。

 エッセルレイアは、ドレイドルの方針に従うふりをしながら、ゴラン家をリガ家から護り続けている。

 よい例が、これも、バラスト・ローガンのあっせんによるものであろうが、ミケーヌの冒険者ギルド長であったパロスという者を、バヌーストの財務総監に登用したことである。

 アイアドール家当主の弟であるから、身分に不足はない。

 パロスは、有能かつしたたかで、ドレイドルの意向を酌んで、リガ家が経済的にゴラン家を食い荒らすのを輔けつつ、重要な決裁事項をすべて手元に引き寄せている。

 また、関税撤廃をうまく利用して、フェンクスの諸侯と経済交流を広げ、しかもゴラン家の利益は抑えて、王国北部の諸侯に利益を提供している。


 ある日、アルカンは、ドレイドルと話をしていて、衝撃を受けた。

 ドレイドルは、アルスの精神を破壊して、命令に従うだけの生きた人形に仕立て上げるつもりだったのだ。

 ドレイドルにとって、アルスは甥などではなく、怨敵の息子でしかない。

 それまでアルカンは、なぜエッセルレイアは、アルスに過酷な道を歩ませるのか、不思議だった。

 なぜ手元で愛情を注いで育てようとしないのか、理解できなかった。

 だが、実は、エッセルレイアこそ、アルスと自分の置かれた境遇を正しく理解していたのだ。

 アルカンは、エッセルレイアほどには、ドレイドルを理解していなかった。

 思わずアルカンは、エッセルレイアに感謝した。


 エッセルレイアがどう思おうと、ほかの誰がどう思おうと、アルカンにとってアルスは可愛い孫である。

 あのパンゼルと、エッセルレイアの子なのである。

 一度も会ったこともなく、声を聞いたことも、抱きしめたこともなくても、一日一時たりとも忘れたことはない。


 だが、アルスは、単なる孫ではなかった。

 アルスは、十四歳になり、迷宮に潜るようになった。

 そんなある日、ユリウスは、アルスに、アレストラの腕輪を試させた。


 発動したのである。


 五品すべてを、アルスは発動できた。

 メルクリウスを探らせていた者から報告を受けたとき、アルカンは興奮のあまり心臓が止まるかと思った。


 では、わが孫は、英雄であるかもしれない。

 そうなれる可能性を持っているように思われる。


 その後、旅に出たアルスの様子を、できるだけ詳しく報告させているが、まさに常人の旅ではない。

 よくも悪くも、アルスが歩く道は、人の運命を大きく変え、神霊を動かし、国や大陸の未来に影響を与える。

 尋常の人ではない。


 あのミノタウロスに勝ち、バヌーストに帰ったとき、アルスの真価が現れる。

 エッセルレイアも、パロスも、パンゼルの側近だった者たちも、そのときを静かに待っている。

 それは七年後であり、アルカン自身が生きて見ることは難しいであろう。


 そういえば、パン=ジャ・ラバンが死んだのも、今のわしと同じ八十一歳であったな、とアルカンは思いをめぐらした。

 あの男は、どれほどの深さ激しさで、リガを、わしを怨んだことか。

 あの男の葬儀に勅使が出たと聞いたときは、肌が粟立つのを感じた。

 王家もまた、ヴァルドを忘れていない。


 やはり、と思うところもあった。

 パン=ジャ・ラバンはメルクリウスの家宰としてあまたの勲功を挙げたのに、王はなぜか爵位を与えようとはしなかった。

 身分が高くなれば参内できる、というより、しなくてはならない。

 もし、誰かがやつの正体に気付いたら、リガ家もそのままにはしておけない。

 そうなれば、メルクリウスも大きな傷を受ける。

 ゆえに、やつは、陽の当たる場所では生きられなかった。


 だが、やつは、自分の境遇に堪えきり、メルクリウスと王家に忠誠を尽くし抜いて死んだ。

 パンゼルを育てたのも、やつだ。

 たいしたやつだった。


 王家のリガに対する恨みは、どれほどのものだろう。

 リガは千年、王家に尽くしてきた。

 王家を思えばこそ、耳に痛い言葉を吐き続けた。

 リガと王家のあいだには、千年分のよどみがある。


 ユリウスは、今年、赤卿になった。

 ドレイドルは少し健康を害しているが、致仕する様子は見えない。

 ドレイドルが引退すれば、ユリウスが次の白卿になるのは確実だからであろう。

 これまでリガとメルクリウスは、お互いを尊重してきたのに、アルカンの不明で、確執を生み出してしまった。


 こうしたよどみやゆがみも、アルスがバヌースト侯爵となるとき、自然にほどけていくのではあるまいか。

 そして再び、偉大な時代が始まるのではあるまいか。

 その日を楽しみに今日を生きられることの、なんたる幸せか。


 アルカンは、思う。

 この世には、あまたの恩寵があるが、時こそは神の最大の恩寵ではあるまいか、と。

 時は、傷を癒す。

 時は、つらい記憶を和らげる。

 時は、生き物を成長させ、進歩させる。

 時は、大きな安らぎをくれる。

 憎しみを愛に変え、猜疑を信頼に変え、仇敵同士に友誼をもたらしてくれる。


 こうして過ごす一瞬一瞬は、物事を調え、もつれたものをほぐす、そんな恩寵に満ちている。

 リガは、一千年の時を待ち続けた。

 それは、よどみを生みもした。

 しかしいっぽうで、一千年の恩寵を身に蓄えてもきたのではないか。


 わしが死んだあとは、ドレイドルが時を待つ番だ。

 たとえ自分が何を待つか理解していないとしても、時の恩寵は必ずある。


 アルカンは、目を閉じて、未来を担う者たちの幸いを祈った。






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