第5話 業火
1
雨が降っている。
私は、雨の音に耳を傾ける。
庭の木々の葉にはねる音。
池に落ちる音。
地を打つ音。
少し遠くのあずまやの屋根に響く音。
こうして雨が降る日、私は、心の奥底にしまっている小さな箱のふたを開ける。
その箱の中には炎が燃えている。
消えることのない怨念の火が燃えている。
それは、解き放たれれば、私自身を、私が大切に思う人々を、この国のすべてをも燃やし尽くしてなおやまぬ滅びの炎だ。
だから私は、こうして雨が降る日にはそっとその箱のふたを開けて、消せない炎を降る雨にさらす。
しゅうしゅうと燃えさかる炎が鎮まっていく音を聞きながら、かろうじて私は、箱の中に封じた復讐にわが身を食い尽くされるのをまぬがれる。
それでも、時に火は不意に勢いよく燃え上がって、私のすべてを紅蓮の焔に焼き染めようとする。
そうなってもかまわないと思う私がいる。
そうなることを望んでやまない私がいる。
その火は私が五歳のときに灯り、八十一歳になる今日まで燃え続けている。
2
あの少年は、知っているだろうか。
恩人と呼んでくれる私にとり、自分こそが恩人だと。
私は、あの少年に助けられた。
いや、もう少年ではない。
千年ぶり二十五人目の王国守護騎士にして、直閲家当主。
不敗の化け物に打ち勝って神剣を勝ち取り、首謀者の首をはねて反乱軍を敗走させ、王の御前で、たった一人で百人の騎士を圧倒してのけた希代の英雄。
だが、王国守護騎士パンゼル・ゴランは、今でも私にとっては、パンゼル少年のままだ。
サザードン迷宮の前で初めて会った、あのときと変わらず。
パーシヴァル様がおかくれになり、その遺品の中にアレストラの腕輪が見当たらない、と知ったとき、私は、焦燥より困惑を覚えた。
あのパーシヴァル様が、そのようなことをなさるわけがない。
かの腕輪を紛失させるようなことを、なさるわけがないのである。
だから、腕輪を持ってパンゼル少年が現れたとき、ああこれはパーシヴァル様が差し向けてくださった少年なのだ、腕輪はその証なのだと、私は知った。
出会ってすぐ、少年の人品が優れたものだと分かった。
かねてより、ユリウス様をお支えする家臣団の養成は、私の最も重要な使命の一つと心得ていたが、能力や人柄に優れた者はあっても、今ひとつ線の細さが不満であった。
この少年こそは、まさに私が待ち望んでいた人物だと思った。
迷宮を愛したパーシヴァル様が、迷宮で見つけてくださった少年なのだと思った。
少年との縁がそのようなものでないと知ったのは、三日後のことだった。
私は、少年をメルクリウス家の家臣として迎えるため、少年の母御に会いに行った。
私の名乗りを聞くと、母御は、病床より起き上がり、主君に対する礼をもって私を拝して、わが夫はエイシャ・ゴランの孫にございました、とあいさつしたのである。
3
エイシャ・ゴラン殿のことは、むろん、よく知っている。
かわいがってもらったことも覚えていたし、何より、幼心にも、命の恩人であることは理解していたので、その後、調べたのである。
エイシャ殿は、南方で生まれた。
おそらくは、ゴルエンザ帝国の北西部、エラ大湿原に近い辺りかと思われる。
若くして、帝都で、剣士として名を上げた。
軍略や歴史知識にも優れ、諸侯から仕官を望まれたが、特定の主家は持たず、あちらこちらを放浪しながら、剣を教えて暮らした。
南方諸国を巡り、各地で、名の高い剣士たちと技を競ううち、当代無双の剣客と呼ばれるようになり、慕う人も増え、諸王諸侯から破格の条件で誘われたが、首肯することはなかった。
そんな人物が、ふらりとバルデモスト王国に現れた。
すでに北方においてさえ、その声望は高く、この放浪の武人を自家に誘わんとする動きが、にわかに盛んとなった。
そんなエイシャ殿が腰をおろしたのが、わが父、マゼル・ス・ラ・ヴァルドの屋敷だった。
当時の父は、近衛の平騎士にすぎなかったが、剣の腕は衆に抜きんでたものがあった。
エイシャ殿は、父の剣の師を訪ね、その紹介で、父と剣を交えたのである。
試合は、道場で長く語りぐさとなるほどの熱戦となった。
その日、二人は、腹の底が抜けるほど大いに酌み交わし、親友となった。
豪放磊落なエイシャ殿と、謹厳実直で気の利いたことの言えぬ父が、なぜか非常にうまがあった。
共通点といえば、剣と酒を愛したことだろうか。
エイシャ殿は、北方に来た理由を訊かれるたびに、「南の酒は、飲み飽きた」と返していたという。
父は、エイシャ殿に兄と私の教育を預けた。
兄は正式に剣の修行も始めたが、幼い私はエイシャ殿と一緒に野山を駆け巡るのが常だった。
力一杯走り、笑い、一緒に食事を作って食べた。
草や、木や、けものについて学んだ。
水や、空や、土や、山や、天地のことわりについて学んだ。
父は、吏務査察官に任じられて留守が多くなり、私には、エイシャ殿こそが父のように感じられた。
エイシャ殿は、決して父の家臣ではなかった。
食客、とでもいうのが近いだろうか。
父が何かをエイシャ殿に命ずることはなかった。
エイシャ殿が、父に対し、雇い主であるかのようにへりくだることはなかった。
父はエイシャ殿に生活の資を渡していたのであろうか。
それは、知らない。
知る必要もない。
エイシャ殿は、父の友であり、私たちの家族だった。
4
父が吏務査察官に抜擢されたことは、驚天動地の出来事といってよい。
それほどの、名誉ある、また責任の重い役職なのである。
吏務査察官は、王直属の調査員であり、査察の対象は行政と司法のあらゆる分野に及ぶ。
宮廷内での政務について自由に調査する権限を持ち、不正を告発し、さらには処分の具申ができる。
王直轄の地方機構については、自己の判断で懲罰を実施することもできる。
さらに、王より諸侯に委託された事項について、諸侯を越えて独自に調査し賞罰を決定できる。
吏務査察官が、職務怠慢や不正の疑いがあると報告すれば、大臣や代官の首でも飛ぶし、諸侯は大きな利権を失う可能性がある。
当然、吏務査察官は、あらゆる方法で徹底的に懐柔される。
懐柔できない人間は、この役職に就くことがないよう、注意深く根回しがされる。
しかし、吏務査察官は、親補官である。
王が直接任命でき、少なくとも制度上は、王がみずから下問する場合を除いて人選を上奏できない。
同時に、高位の貴族でなくても就任できる、ほぼ唯一の高等官である。
それでも、近衛の平騎士、すなわち準貴族が就任するというのは、あまりに慣例をはずれていたため、側近のかたがたは、よい顔はされなかったと聞く。
朝議においては、白卿、赤卿、青卿、黒卿のすべての大臣が連名で、適当な人選ではないという意見を、わざわざ文書にして奏上した。
しかし、王は意見をお変えにならなかった。
当時の王は、のちにシャナ=エラン(浄王)と諡されたとおり、不透明なこと、不公平なことがお嫌いな気質であられた。
けれども、王宮と政治は不透明不公平そのものであり、公正を求めて王が試みられたいかなる努力も、砂にしみこむ水でしかなかった。
そのような王が通された唯一のわがまま、それが父を吏務査察官としてお召しになることだったのである。
それをわがままと申し上げるのは、あまりに不敬であり、お気の毒であろう。
しかし、輔弼すべき立場からの諫言をことごとく退ければ専断となる、というのも識見の一つには違いない。
吏務査察官という、どの派閥も喉から手が出るほどに欲しい役職をさらった父は、悪人となった。
このような、あり得ざる人事が起きたということは、父があり得ざる汚い手を使った、ということである。
王その人をたぶらかし、政道をゆがめて。
どのような不正を父が行ったかは、彼らにとり調べる必要もなかった。
吏務査察官就任という結果が父の有罪を証明しているからである。
かくして、地獄への道行きが始まった。
父は、まず家臣を集めねばならなかった。
吏務査察にあたるとなれば、相応の能力を持った家臣たちを、大勢集める必要がある。
父が頼ったのは、剣の師であり、道場の知己だった。
激しい妨害にあった。
結局、必要な人数は集めることができたものの、貴族は皆無というありさまだった。
父の志に共鳴する人は多かったらしいが、剣の道場に通う貴族というのは、有力貴族であっても、その次男や三男であったり、あるいは官職も得られない末端貴族であることが多い。
親や、長兄や、本家筋などから、強く諫止され、あるいは脅迫されれば、押して父のもとに駆けつけるわけにはいかなかった。
無理もないことだと思う。
このことが、王宮での父の仕事を困難にした。
役所の仕事を調査しようにも、一定の身分がなければ、そもそも王宮の敷地内に入れない。
公務の助手であるから連れて入ればよいともいえるが、各役所で身分規定をたてに入室をこばまれれば、あえて押し通るわけにはいかなかった。
押し通れるとすれば、罪があると確定したときである。
それでも、父は、めぼしを付けた部署に粘り強く交渉して資料を提出させ、それを部下たちに筆写、整理させて、分析をした。
それをまとめた資料をもって、次の段階に進もうとした。
ところが、あらためてその部署を訪れると、資料はすべて書き換えられ、置き換えられ、持ち去られていた。
わずかでも父に協力した官吏は、異動あるいは解雇の対象となり、処刑された者さえいた。
もちろん、表面上は、父の調査とは何の関係もない理由によってである。
父は、方針を変えた。
家臣たちを率いて、アンポアンに行き、王国から委託している輸出入について、抜き打ち調査を行ったのである。
これは電光石火の早業だったらしい。
案の定、隠す間もなく、物資の横流しや、不正な利益供与、あるいは不公正な売買の記録が山ほど見つかった。
アンポアンは、当時すでに王国最大の港街となっており、数年前に侯爵領に格上げされたところであった。
父の調査により、王宮から差し向けられて外国との貿易を担当していた子爵三人が罷免され、領主であるアンポアン侯爵が叱責および徴税権の一部剥奪という処分を受けた。
これが、当時のリガ公爵家当主クレルモの逆鱗にふれた。
子爵三人は、いずれもリガ公爵の分家の子弟だった。
また、アンポアン侯爵は、古くからリガ公爵家を主家と仰いでいたが、特に当時の当主はクレルモの子飼いの部下であり、近々入閣するのではないか、といわれていた人物だった。
そうなれば、リガ公の派閥は、ますます巨大化する。
ところが、父のために、そのもくろみは狂った。
アンポアンの伯爵領への格下げさえ検討されたというのであるから、リガ公としては、長年の努力が水泡に帰した気分であっただろう。
だが、その怒りにこそ、クレルモの思い上がりがある。
そもそも、侯爵領も、伯爵領も、王のものである。
それを私物であるかのように思う貴族が多い。
あまつさえ、アンポアンという重要な街の国務を、自家の関係者のみで独占している異様さを、クレルモは、どう説明するつもりか。
長い歴史の中で、制度にゆがみもできているであろう。
だが、それ以上に、そのゆがみを悪用してはばからない大貴族たちが、この国の清明さに影を落とし続けてきた。
5
わが国の爵位制度は、ゴルエンザなどのそれとは、だいぶ違う。
たとえば、わがメルクリウス家の場合、直閲貴族家であるから、位階でいえば席次の最も高い侯爵相当の爵位持ちであるが、当時は領土を持っていなかったので、侯爵とは呼ばれなかった。
侯爵と呼ばれるのは、王から侯爵領に封じられた貴族である。
伯爵は、王から伯爵領に封じられた貴族である。
侯爵領と伯爵領の違いは、土地の広さ、豊かさ、重要産業の発展具合、交通や軍事上の観点などから総合的に判断される。
子爵というのは、実態はともかく、建前の上でいえば、侯爵領もしくは伯爵領の一部を預かる貴族、ということになる。
男爵については、これらとは、まったく成立が異なる。
男爵とは、もともと領地を持っていた諸侯が、バルデモスト王に臣従することを誓い、領土を安堵されて発生した身分である。
であるから、男爵領の場合、広さも実力もさまざまである。
侯爵より金持ちで領土も広い、という男爵もいるわけである。
宮廷での席次も、必ずしも男爵が侯爵や伯爵以下というわけではない。
男爵は、その成り立ちからいって、移封されることがない。
それに対して、侯爵や伯爵は、格上げや格下げ、さらには移封もあり得る。
実際には、戦争などにより大きな領土の変更がない限り、移封は行われないが、少なくとも制度の上ではそうなのである。
ところが、ここに、王から封じられた領地に基盤を持ちつつ、格下げや移封など人事とばかりに、豊かな土地に、のうのうとあぐらをかき続けている貴族がいる。
その土地は、王の物であるのに、まるでわが物のように思い、扱う。
リガ公爵である。
そもそも、リガ家は、公爵家などではない。
公爵家というのは、王の兄弟や子が、特別な手柄を立てた場合に、王領の一部を分け与えられて出来るものである。
その領土は、そう大きなものではありえないが、当主が死んだのちも、遺族が相続し続けることを、国法が認めている。
他国には、王位継承権の高い身内を排除するために公爵家を乱造したり、母親から領土や財産を受け継いだ王子が強力な公爵家を築いて、国の乱れるもとになった例もみられる。
わが国では、公爵が強い権力を持ちにくいので、こうした轍は踏まずにすんでいる。
リガ公爵家は、もともとは、現在のタダとフェンクス諸侯国東部にまたがる、広大な土地を治めていた諸侯である。
始祖王没後に、当時のリガ家の次期当主が、幼い二代王に代わって政務を執ったが、それをもって国政を私することは決してなく、その公正な態度は、バルデモスト王国内はもちろん、諸国にも厚く信頼されたという。
しかし、リガ家の当主が没したあとも、二代王に乞われてバルデモストに尽くし続けたため、リガ家のもとの領土は、分裂しあるいは周囲に吸収されて、消え去った。
二代王は、リガ公の働きを高く評価し、リガという枢要の地を与えるとともに、王族にも等しい高貴な立場であるとして、公爵位を贈り、しかも子孫の続く限り、リガの地を治め続ける権利を認めたのである。
リガ家という名もそのときに出来た。
初代リガ公爵は優れた人物であったと私も思う。
その業績は評価されてよい。
しかし、公爵になったのは間違いである。
二代王から公爵に叙するといわれたとき、厚遇に感謝しつつ断るべきであった。
だが、受けてしまった。
それがリガ家をゆがめた。
王族でない者が公爵となってはならないし、王から封じられて領主となる以上、侯爵位か伯爵位でなければおかしい。
また、初代のリガ公は、国が出来たあと、始祖王の威徳に引かれて歩みを共にするようになったのであるから男爵位こそがふさわしいともいえる。
さらにいえば、なるほどリガ家初代の功績は大きいが、自らの領土を顧みずに王に尽くした貴族はリガ家だけではない。
にもかかわらず、リガ家が初代の功績をひけらかし、その遺徳を享受するほどに、国には禍々しい毒がたまっていく。
のちに、私が物心ついてからのことである。
リガ家の当主は、クレルモからモルゾーラに代替わりしていた。
あるとき、フェンクス諸侯国の一領主とわが国の伯爵のあいだで紛争が起きた。
勝てば結果としてわが国の領土が広がるのである。
大臣たちから、王都から応援を出すべきだという意見が出た。
これを、当時白卿、つまり宰相兼務の筆頭大臣であったモルゾーラが蹴った。
王都が介入すれば、フェンクスでも周辺諸侯が参戦する事態になる、という言い分だった。
うまいことを言うものだと思う。
その裏で、やつが何をしたか。
塩の補給を止めたのだ。
塩がなければ戦えない。
伯爵とその親族たちは、王都の塩を買おうとし、また、塩田地帯からの塩の手配をしようとした。
だが、王都でも塩は突然高騰し、塩田地帯の塩は隣国のタダに売り尽くされていた。
結局、有利に戦を進めていたにもかかわらず、一片の領土も得られないまま停戦しなくてはならなかった。
その伯爵は、王都に鎧姿のまま馬で駆けつけ、塩の売買を管理する官吏のもとに行き、長剣で机を真っ二つに切ったという。
伯爵が本当に斬りたかったのはリガ公爵である。
誰がこの戦を負けに等しい決着に導いたか、知らぬ者はなかった。
リガ家はこの国の塩と鉄を押さえている。
そもそもリガは、海岸部から国の中央部に向かう喉元にある。
海からの輸送、海への輸送は、すべてリガを通るのである。
かつ、アンポアンをはじめ、海外沿いの諸都市は、すべてリガ家の支配下にある。
その中には製塩を行う村のすべてが含まれている。
国内の鉱山のうち、主立ったものは、すべてリガ家が押さえている。
長年のあいだに、リガ家は、この国の隅々にまで、その長い触手を張り巡らしている。
まるで、北の海に出没するという、巨大な怪物のように。
甘言と恐喝をもって人を支配し、何もかもを飲み込んでいこうとする。
そして、気にくわない者、従わない者には、どんな仕打ちでもする。
派閥の違う伯爵が領土を広げそうだというだけで、塩の補給を止めるようなことさえするのだ。
リガ家は、この国にとり毒そのものだ。
6
クレルモは、能力は高く、人間として魅力もある人物であったように思う。
だが、リガ家の宿痾に、脳の奥までが毒されていた。
領土も財も権力も地位も生得のものとしか考えず、それを侵すものは滅ぼさねばならないという狂気に取り憑かれた、哀れな男。
そんなクレルモが、父をほおっておくはずがなかった。
王都に戻った父は、事後処理と報告を済ませ、家臣を総動員して、アンポアンでの調査内容を遺漏なくまとめ直した。
万一、王宮に収めた書類が紛失するようなことがあっても、事件の事実関係とその処理の公正さは、この資料により明らかにできる。
そして、父は、すべての作業が終わったことを確認してから、家臣を集め慰労の宴を持った。
王国歴千二十四年赤の三の月の三の日のことである。
そこをリガ公の兵が襲った。
クレルモの狡さは、このとき、自家の兵だけでなく、リガ家とはむしろ対立関係にあった大臣二人の家の兵を同行させたことにある。
それにより、出来事は私怨から公儀に装いを変えることができたのだから。
どうして、その二家がこの惨劇に加担しなければならなかったのか、今でも分からない。
だが、何かがあったのだ。
父を殺すことが二家の利益になるような。
あるいは、殺さないことが不利益になるような。
私には分からないそれを、クレルモは嗅ぎ当てた。
むろん、当時五歳だった私が各大臣家の事情など知り得ようはずもないが、あとになって調べてもそこは分からなかった。
この日、家にいた三百四十三人が皆殺しにされた。
わが家は、王都の郊外にあり、後ろの山も敷地に入っていた。
一万二千人の軍隊が、そこを取り囲み、魔法を撃ちかけて焼き払い、逃げ出す者を殺した。
翌朝、参内したクレルモは、王の着座を待って、謀反人の討伐を報告した。
その謀反人とは、吏務査察官マゼル・ス・ラ・ヴァルドである。
王陛下は、天界から冥界に突き落とされた気分になられたであろう。
自らが抜擢した吏務査察官が、他国との貿易で不正を行った官吏を発見し、それを見事に裁いた。
その調査記録は完璧というべきであり、王都の役人たちも、調査の見事さを認めないわけにはいかない。
そして、懲罰の対象となっていたのは、専横をほしいままにする白卿の秘蔵っ子であり、もうこれで当分は、あのいやらしい笑顔で、「そろそろかの者を黒卿に」などといわれることもない。
陛下は、どれほどか溜飲をお下げになり、父を誇らしく思ってくださったことか。
このごろの陛下の言行は、当時のことを知る宮廷人たちにいわせれば、欣快の一語に尽きる。
毎夕の食事の際には、何度もそこにいない父に乾杯して杯を空けてくださったそうだ。
玉座ではすでに報告を聞いておられたが、近々個人的に父を招いてご慰労くださる予定で、恩賞もご準備くださっていた。
その父が罪を問われて殺されたと聞かされた。
それは、陛下に対しまつり、お前を殺した、と宣言したに等しい。
陛下は、一言も発せられず、顔を紫色に染めて、そのまま下がられた。
むりもないことであり、このうえなくおいたわしいことである。
だが。
だが、このとき。
陛下は、なおご下問なさるべきだった。
今、そのほうは、謀反人を家人郎党もろとも討ち果たした、と申し、さらに、このような大罪においては、一族ことごとくを誅せねばなりません、と申したが、それは、すでになされたのか、と。
ところで、このとき、白卿がどのような根拠で父を謀反人として告発したのかが、はっきりしない。
罪状の中に、一官吏の身分にもかかわらず、諸国に知られた武人を自家に取り込み、あまつさえその弟子と称する兵あまたを養い居る罪、というのがあったことは分かっている。
だが、当時、エイシャ殿は、娘御お一人のほかは、内弟子として三人の門弟をおそばに置かれていたのみで、わが家の家臣に稽古をつけることさえ、遠慮しておられた。
これが謀反の主な証拠となるはずはないのだ。
しかし、いくら湯水のように金を注いでも、この時の告発の内容は、浮かび上がってこなかった。
陛下がご退出なさったあと、クレルモは、蛇のごとき舌で自分の唇をなめていたことだろう。
謀反計画をしたという告発がなされ、その首謀者はすでに誅殺したと奏上した。
そして、その族人どもも誅さねばならぬ、と奏上した。
それに対し、王陛下は、何のお言葉もなく朝議を終わりになさった。
それは、この運びについて勅許が得られた、ということだ。
クレルモは、すべての大臣に命じて、族兵を出させた。
勅命をもって。
すべての大臣が共犯者になった。
そして、私の姉の嫁ぎ先、父の兄弟の家、母の実家、母の兄弟の家が襲われ、幼子まで含め、すべての家族郎党が殺された。
まさに族滅である。
二日のあいだに、死者は合わせて七百二十五人となった。
陛下は、さらに次の日になって事の顛末をお知りになったようだ。
そのまま、憤怒のあまり体調を崩され、そして二度と床から上がられることなく、ご崩御なされた。
父が行った官吏の告発は、ねつ造であったとされた。
王宮に厳重に保管されていた調査記録はどこかに消え、父がまとめた資料は、灰となった。
罷免された官僚は復職し、アンポアン侯爵は黒卿になった。
私は、ずっと、このときの死者の数を、不思議に思っていた。
死者の名簿に名前がありながら、私自身は死んでいないからだ。
私の死体と確認されたのが、家臣の子どもの誰かだったのか。
それとも、七百二十五人という数が事実と違っており、ありもしない私の死体が数に入っていたのか。
だが、そうではなかった。
やはり、七百二十五人だったのだ。
そのことを知ったのは、あの夜何があったのかを、パンゼルの母御に聞いたときだった。
あの夜、私の想像もつかないところで、私の命を守るための凄絶な戦いがあった。
7
パンゼルの祖父殿はチャルダという名前で、西の辺境の出であるという。
エイシャ殿を慕って、その内弟子となった。
事件の起きた年には二十二歳だった。
あの日、エイシャ殿も宴に誘われたが、自分は留守番をしていただけなのでと断った。
その代わり、チャルダ殿の兄弟子二人は宴に出た。
この二人は、師であるエイシャ殿の命を受け、アンポアンに護衛として同行していたのだ。
惨劇の始まる前、エイシャ殿は、屋敷と山を取り囲む軍勢に気が付いたが、まさか郊外とはいえ王都で、王直属の高官の屋敷をいきなり魔法攻撃してくるとは夢にも思わず、対処が遅れた。
だが、攻撃が始まったとき、これほどのことを行うのであるから、誰一人生かして逃がさぬ覚悟であると、ただちに理解した。
このとき、私はエイシャ殿の所にいた。
自分ではその理由を覚えていなかったが、チャルダ殿の伝えるところでは、父の使いとして来たのだという。
いわく、「貴殿の弟子二人の見事な働きを賞めて杯を取らそうとしたが、師の命に従っただけのわれらが、師を差し置いてその杯を干すわけにはまいらぬ、と言い張る。わしを助けると思って、宴に参席されよ」との口上を述べたらしい。
父は、貧乏騎士であったが、祖母から王都郊外の土地を相続していた。
庭の広い、というより庭ばかり広い作りで、母屋はこじんまりとしていた。
はじめ、エイシャ殿は母屋の隣の小屋に住んでいたらしい。
父が吏務査察官になり、家臣のために、家というより小屋をたくさん建てねばならなくなり、庭にはにわか造りの家が乱立していった。
ここでは落ち着けないだろうと、父はエイシャ殿に奥の山の中ほどにある庵を提供したのである。
私は、母屋よりこの離れで過ごす時間のほうが長かった。
エイシャ殿は、離れに娘のエニナ殿とチャルダ殿の三人で住んだ。
当時エニナ殿は十四歳だった。
私は、この優しい女性を、本当の姉のように慕っていた。
チャルダ殿の兄弟子二人は母屋に寝泊まりし、交替で父の護衛にあたっていた。
エイシャ殿の判断は早かった。
私を抱きかかえると、チャルダ殿とエニナ殿に、静かについて来るよう命じ、燃えさかる母屋に見向きもせず、藪の中に飛び込んだ。
身を低くして進むうち、川に出た。
小さな釣り舟がつないである。
私とエニナ殿を抱えて舟底に寝そべると、むしろをかぶった。
そして、チャルダ殿に、「舟を王都の水路に進めよ」と命じた。
舟に乗ったことは、私自身も覚えている。
だが、眠ってしまったので、このあとのことは知らなかった。
山に離れがあることは、当然敵に知られている。
母屋の次は、こちらが襲われる。
どの方向に逃げても、山からの下り口は見張られているだろう。
また、どう逃げたところで、山の向こう側は見通しのよい平原であり、見つからずに逃げることはできない。
そこで、逆に川に身を潜めて王都のほうに逃げることにしたのだ。
この川は王都の水路とつながっている。
夜のとばりが落ちた今なら、敵の目からのがれて王都まで行けるかもしれない。
王都に逃げてそのあとどうするのか、チャルダ殿には見当もつかなかったが。
身を低くし、音を立てぬよう、そろそろと棹を操って舟を進めた。
もう母屋はとうに過ぎ、王都の水路も遠くない。
敵の見回りがやってきた。
チャルダ殿は草の高く繁った位置に舟をとめ、闇の中で息を殺して近づく敵をにらみつけた。
数名の兵を指揮する男が、こう言った。
「まさか、ここまでは来ておるまいがな」
こいつは、コンパチだ。
チャルダ殿は、気が付いた。
コンパチは有力貴族の三男で、剣の腕が自慢だった。
南の軟弱な武人など北の勇者の敵ではない、というのが口癖で、なぜかエイシャ殿を目の仇にした。
南でさえ仕官できなかったあんな年寄りなどをありがたがるやつらは阿呆だ、と公言し、化けの皮をはいでやるとばかりに、三度エイシャ殿に挑戦した。
そして、三度ともこてんぱんにたたきのめされた。
それでエイシャ殿への態度が変わるかといえば、そうではなく、相変わらず悪口を吐き続けている。
チャルダ殿は、エイシャ殿の内弟子ということで、何度もコンパチからあざけられ、嫌みを言われ、いやがらせを受けてきている。
そのコンパチが、今、円錐型の魔光器を左手に持ち、右手には槍を持って、岸辺に近づいて来る。
斬るか。
と、チャルダ殿は、考えた。
コンパチの腕は、チャルダ殿と互角だが、エイシャ殿と共になら、この数名の兵士ともども、わずかな時間で斬り殺すことができる。
だが、ほんの数百歩向こうには、何百という兵士がいる。
その向こうには、さらに大勢の兵士がいる。
声を上げられないほど素早く、この数名を倒し切るには、距離がありすぎる。
生き延びるには、見つからないことしかない。
見つかれば、一人でも多く敵を倒して斬り死にするほかない。
コンパチは、川を広く魔光器で照らしながら、ぐるっと視界を回した。
そして、槍で草むらをかき分け、チャルダ殿が潜む辺りに、視線を向けた。
二人の目が合った。
が、一瞬でコンパチは目線をそらし、何事もなかったかのように部下たちに声を掛けた。
「やはり、こちらにはおらん。
上流も見ておく」
兵士たちは返事を返し、一団は山のほうに歩き去った。
心臓が止まるほど驚いたチャルダ殿と、舟を残して。
チャルダ殿は身がしびれたようになり、しばらく動けなかった。
安心感のあまり、はらわたが腰の下にずり落ちていくように感じる。
それにしても不思議である。
明るい所から暗い所を見たので、見えなかったのだろうか。
とも思ってみるが、確かに一度目線が合ったのである。
王都に入ってから、そのことを師に告げた。
エイシャ殿は、ただ、
「うむ」
と、ひと言を発した。
8
エイシャ殿は、舟を着ける場所をチャルダ殿に指示すると、まっすぐに目的地に向かった。
エイシャ殿は私を抱きかかえて走り、チャルダ殿は途中からエニナ殿を抱えて走った。
そして、大きな屋敷に着くと、エイシャ殿は、腰の剣をはずして、応対に出た家人に渡した。
その剣は、こしらえは質素だが、相当の名剣であり、よく使い込まれていた。
感心したことに、この家の使用人は、こんな時間に突然訪ねた、名も告げぬ怪しげな組み合わせの来客を、当たり前のように客間に通した。
すぐに水と茶を出してくれたので、眠っていた私以外の三人は喉を潤すことができた。
そして、驚くほど短い時間で家人が戻り、当主がお会いになりますと告げ、四人を別の部屋に案内した。
このときには、エニナ殿が私を抱きかかえていた。
「当家のあるじ、バルドラン・コン・ド・ラ・メルクリウス・モトゥスといいます。
まずは、この剣をお返ししましょう。
よくぞおいでになられました」
その言葉を聞いて、チャルダ殿はここが誰の屋敷であるのかを初めて知った。
では、この貴人が、かの英雄の子孫なのだ。
「エイシャ・ゴランと申す武辺者にござる。
このような時間に、先ぶれもなくお訪ねし、申し訳ない。
わが娘の腕に眠る男児を、お預かり願いたく、まかり越した。
この男児は、マゼル・ス・ラ・ヴァルド殿のご次男にござる」
「吏務査察官殿に、何か変事でもおありですか」
「今、かの屋敷は、万を超える兵士に焼き討ちされており申す」
「なにっ」
優男、といってよい当主の表情が急変した。
そこには、鬼神も退ける強い殺気がこもっており、この家がもののふの魂を失っていないことを物語っていた。
わずかな時間で表情を戻すと、当主は言った。
「お会いしたことはありませんが、吏務査察官殿のことは、以前より存じ上げておりました。
ご活躍をお祈りしていたのです」
「お預かり願えましょうか」
訊ねるエイシャ殿の目を、まっすぐに見返しながら、当主は訊き返した。
「お預かりしたとして、あなたはどうなさいますか」
「なすべきことをなす所存」
当主は、瞑目して天を仰ぎ、
「そうか。
そうでしょうね。
そのままというわけにはいかない。
あなたの名も顔も人柄も、よく知られている、とみなければならない」
と言った。
しばらく、目を閉じたまま、黙考していたが、やがて、侍女を呼び、何事かを言いつけた。
「エイシャ殿。
かのかたのご次男殿をお預かりする。
そちらの娘御も、ともに奥の部屋で休まれるとよい」
「かたじけない。
エニナ。
奥に連れて行っていただけ」
こうして、眠っている私と、私を抱えたエニナ殿が、奥に消えた。
このとき、エイシャ殿は、座を辞する構えをみせかけたが、それにかぶせるように、当主が言った。
「エイシャ殿。
短剣をお持ちだろうか」
こういうものを持っておりますと差し出した短剣を受け取り、暫時お借りしますと言って、傍らの机に置いた。
そして、腰に佩いた剣の鞘に巻き付けてある、細い革の留め紐を外し、左手首を、そして左小指をきつく縛った。
エイシャ殿の表情が硬くなる。
ほどなく、侍女が一人の男の子を連れて帰ってきた。
ちょうど私と同じぐらいの年格好と髪の色であったという。
その子どもを見て、チャルダ殿は不審を覚えた。
私の着物を着ていたからだ。
侍女は、すぐに部屋を出て行った。
「私の子なのですが、わけあって、妻の実家の家名を名乗らせております。
おいで、パン=ジャ」
眠い目をこすりながら寄ってきた、年の離れた実子を、愛おしそうに当主は抱きしめ、そして、短剣を取ると、
心臓に突き立てた。
そのまま、殺したわが子を床にそっと横たえ、腰の長剣を抜き、机に刃を立てて置き、その下に左手の小指を差し入れると、
ごとん、
と音をさせて断ち切った。
袖から出した布で、切り離した指を包むと、横たわるわが子の胸元に入れた。
そして、
「許しておくれ、パン=ジャ」
と小さくつぶやいてから、立ち上がって、エイシャ殿に言った。
「エイシャ殿。
ここはどうしても、ご次男殿の屍体がなければ収まりません。
たとえ、草の根をかき分けても、焼けた死体の顔の皮を一枚一枚剥いででも、それを検めねば済まさぬやつらなのです」
エイシャ殿は、心臓に短剣を突き立てたままの少年を両手で抱き上げ、
哭いた。
渾身の力を込め、喉の破れるほど泣いた。
両目は開いたまま、滂沱の涙を流し、自慢のあごひげは、慟哭の泣涕に浸された。
割れ声は、聞く者の臓腑をえぐらずにはおかぬ音の刃となって、部屋の中を吹き荒れた。
やがて、死んだ少年の胸に落ちる涙が、赤く染まった。
みれば、エイシャ殿の目から落ちるものは、すでに涙ではなく、真っ赤な血そのものとなっていた。
エイシャ殿自身の目も、赤く染まっていた。
それは、人ならざる闇夜のもののけのごとき形相であったが、同時に、もっとも人らしい形相でもあった。
最後にエイシャ殿は、
「北のもののふの誠、かくのごとし。
ザーラよ、ご照覧あれ!」
と、余人には分からない言い回しで当主を言祝ぐと、すくっと立ち上がった。
「お前は、一晩、ここに泊めていただけ。
すまんが、エニナのことは、よろしく頼む。
渡した金は、好きに使え」
とチャルダ殿に言い、当主のほうに向き直ると、
「ご厚情は、忘れもうさん」
と短く謝した。
当主も、
「お会いできて、よかった」
と短く答えた。
二人は、互いに礼をした。
エイシャ殿は、子どもの屍体を抱えたまま、部屋を出て入った。
それが、チャルダ殿がエイシャ殿を見た最後だった。
翌日、チャルダ殿は、エニナ殿を連れて、屋敷を出た。
当主は、買い出しの荷車にチャルダ殿を潜ませる、という細やかな心遣いをみせた。
二人は、西の辺境に逃れて、のちに結婚した。
王都を出て八年後、男の子が生まれた。
チャルダ殿は、息子に剣の技を伝えた。
チャルダ殿が亡くなって、ご子息のウェルゼア殿は、王都にのぼり、剣の道場を開いた。
田舎剣法と揶揄する者もあったが、強さが圧倒的であったし、乱暴者も礼儀正しくなると評判が立ち、なかなかの盛況をみせた。
ウェルゼア殿は結婚し、パンゼルが生まれた。
しかし、ウェルゼア殿が病を得て床に就くと、生活はたちまち困窮した。
道場は、だまし取られるように人手に渡った。
死ぬ前に、ウェルゼア殿は、父御のチャルダ殿から聞いていた事件の顛末を、細君に伝えた。
こうした話をするあいだ、パンゼル少年は、家の外に出されていた。
真実を伝えるかどうかは、私の判断に任せる、ということだろう。
最後に、逆に質問された。
あのあと、エイシャ様は、どうなったのでしょうかと。
この点については、かねて調べてあった。
王宮に残された調書には、次のように記してある。
母屋と周辺の叛徒と家人らを誅殺したあと、離れにいるという謀反人の次男とその用心棒である剣術使いの捜索が続けられた。
なかなか発見できないために、最後には、山を焼き、遠巻きにして、飛び出してくるのを待った。
それでも、賊はなかなか姿を現さなかったが、夜明けが近づくころ、次男を背負った剣術使いが発見された。
それは、包囲網の一番外側で、あと少しで取り逃がすところだった。
優秀な兵士たちの懸命な捜索が実を結んだのである。
剣術使いは、悪鬼のごとき奮闘をみせ、捕り方の犠牲は八十人以上に及んだが、遠距離魔法攻撃が効果を上げ、敵の戦闘力を奪った。
剣術使いは、抵抗を諦め、次男の胸を突いて殺し、自らの喉に剣を突き入れて自殺した。
屍体検分の結果、剣術使いは、剣客エイシャ・ゴランと確認された。
次男も、年格好や衣服などから、本人に間違いがないと確認された。
これを聞いて、パンゼル少年の母御は、静かに泣いた。
9
私は初め、パンゼルを家宰として育てるつもりだった。
パンゼルにはメルクリウス家の家宰が務まるだけの器がある、と思っていた。
だが、パンゼルは、私の予想など遙かに飛び越す成長をみせた。
そして、それに導かれるように、ユリウス様も成長なさった。
ユリウス様に手柄を立てさせたいという王陛下のおぼしめしと相まって、メルクリウスは次々と功績を上げていった。
それを邪魔に思ったリガ公アルカンは、見え透いた罠を仕掛けてきた。
近衛第四騎士団が総掛かりで敗北した迷宮の怪物、これに単独で勝利する者がいれば、建国時代の諸英雄に匹敵する、と朝議で述べたのだ。
この罠は、見え透いているがゆえ、有効だった。
王陛下は、何とかパンゼルを高位の騎士に叙したいご意向であられた。
廟堂に上がれるほどの。
皇太子の指名は、もはや引き延ばせない問題だった。
第一王子を指名したい王陛下は、自分の孫にあたる第二王子を後継者にと決め込んでいるリガ公の前に、ほとんどなすすべがなかった。
ところが、直閲家の当主として廟堂に席を持つユリウス様が、「家のあとは長男が継ぐのが古来よりの伝統です。国においても、またしかりではありませんか」と述べたことで、空気が変わった。
若手の貴族のあいだでは、ユリウス様は、大きな支持を得つつあった。
また、ユリウス様が実は王妹の御子であると知る長老たちが、ユリウス様の言葉を軽くは聞いていない節もあった。
しかも、述べた言葉は、まさしく正論であった。
ここで、重なる戦勝で武名を上げたパンゼルが廟堂に上がるならば、それは大きな力となるはずなのだ。
王国守護騎士。
それは、建国時に始祖王を支えた二十四人の英雄に与えられた栄職である。
二十四人は直閲貴族家の始祖となり、それぞれ、王国の顕職に就いた。
以来千余年、王国守護騎士に任じられた者はない。
つまり、王国守護騎士に任じられた者は、二十四家と同格になるに等しい。
そのような地位をパンゼルに与える可能性を、リガ公が提示した。
あり得ないことであり、王陛下は、これを奇貨とされた。
その裏で、アルカンは、パンゼルが絶対に勝てなくなるような条件を追加していった。
また、パンゼルを迷宮に追い払ってから兵を挙げ、メルクリウスを族滅して、そのまま王宮を囲み、第二王子への禅譲を迫る、という文字通り謀反そのものである計画を立てた。
私は、あのとき、どんな顔をしていたろうか。
病床にあって、事態が推移していく報告を受けながら、私の顔は、復讐の予感に、ゆがんだ笑みをたたえていたかもしれない。
アルカンは、決定的な誤りを犯した。
一つは、私が起き上がれない、と思っていることだ。
もう一つは、パンゼルが帰って来ない、と思っていることだ。
その二つの前提が覆るとき、リガは滅びる。
私は、それまで、権勢を誇るリガ家を破滅させる方途を思い描けなかった。
メルクリウスが大義を失わないやり方で、リガ家と戦える場面を作れなかった。
ところが、今、あちらからその一線を越えようとしてくれている。
越えてくるがいい。
その一歩を踏み込めば、灼熱の炎がお前を焼き尽くす。
私は、リガ家を滅ぼす戦ができるなら、その炎で王都が焼かれようとかまわなかった。
そして、パンゼルはサザードン迷宮百階層に赴いた。
リガ公の軍が、メルクリウスに殺到した。
豊穣祭のただなかに、王都にあるメルクリウス邸を攻めたのである。
見よ、この暴挙を。
この一事をもってしても、やつが日ごろ言う、国のためとか、民のためなどという建前が、いかに口先だけのものであるか、分かる。
私は、喜々として起き上がり、メルクリウスの指揮を執った。
ユリウス様は、泰然としておられる。
ユリウス様もまた、パンゼルの勝利と帰還を露ほども疑っておられない。
一つ誤算があったとすれば、リガ公軍に、パウロ男爵が合流したことだ。
パウロ男爵は、もともとフェンクス諸侯国の有力領主の一人であった。
王国歴千四十年に、当時のリガ公モルゾーラの手引きにより、バルデモスト王に帰順した。
北方騎士団の一角たるパウロ男爵軍は、精強で知られる。
だが、わがメルクリウスの武勇は、それに劣るものではない。
両軍が三度激突し、態勢を整えていたとき、パンゼルが帰ってきた。
地下通路を使って、直接ユリウス様の部屋に現れたのだ。
聞けば、見届け役のエバート様に毒の短剣で刺され、迎えの見込めない状況となったため、なんと、迷宮の百の階層を独力で踏破して帰還したのだという。
私は、それを聞いて、自分の愚かさに、慄然とした。
そうだ。
その可能性があった。
エバート様の高潔は、疑うまでもない。
しかし、それゆえに、国のためにと信じて、リガの企みに天秤を傾けることは、なさるかもしれない。
ありそうなことであるのに、それをまったく考えてもいなかった。
私は、私は。
メルクリウスを滅ぼすところであった。
バルドラン様は、自らのお子であるパン=ジャ・ラバンを手に掛けてまで、私を生かしてくださった。
生かしてくださっただけではない。
私にパン=ジャ・ラバンの名と地位をお与えくださり、実の子のように慈しんでくださった。
私はそのご恩に報いるため、自らを鍛え抜き、メルクリウス家五代の当主にお仕えしてきた。
そのメルクリウス家を、私は滅ぼすところであった。
何が。
何が私を誤らせた。
パンゼルは、ユリウス様に短く報告を済ませると、自室に戻って装備を調え、再びユリウス様の前にひざまずいて、言った。
「敵将撃破のお下知を」
「うむ、征け」
「はっ。
恐れながら、アレストラの腕輪をお許し願いたく」
「許す」
軍の編成について相談されるものと思った私の前を、ただ一礼して通り、護衛として控えていたバラストにも一礼をすると、パンゼルは、正門を開いて外に出た。
両軍の魔法結界を、すうっと通り抜け、パンゼルは、あぜんとする敵軍の中に、ただ一人、分け入った。
そして、ふれる者、近づく者は、すべてただの一振りで切り倒し、前進した。
高い防御力を持つに違いない鎧が、すぱすぱと切断された。
うんかのごとく密集してくる敵兵に対し、パンゼルは歩みを止めるどころか、次第に足を速めながら、前に前に進んだ。
パンゼルの刃は、師である私の目にもまったくとらえられない。
敵の攻撃も確かに身に受けているのに、ダメージが蓄積しているようには思えない。
それは、目の前で起きている出来事なのに、まるでこの世のものではない光景に思えた。
パンゼルは、敵軍の将帥旗が立つパントラム広場に、まっすぐに向かった。
二本の将帥旗のうち、リガのそれを目指した。
敵の人波に隠れて、姿が消えた。
そして、すぐに帰って来た。
帰り道のパンゼルを、敵は、もう襲わなかった。
人にあらざる者を見る畏怖の目で、ただ呆然と見送るだけだった。
ユリウス様の前に、手に持った首を差し出して、パンゼルは言った。
「敵将ガレストの首にございます」
ガレスト!
私には、もはや、パンゼルの声も、ユリウス様のお声すらも、聞こえていなかった。
ふらふらと、その首に近づき、目の高さに持ち上げて、眺めた。
確かにガレストに違いない。
現リガ公アルカンの長男。
次期リガ家当主にして、バルデモスト王国白卿の座を約束された男。
おお!
おお!
おおおおおお!
私は、泣いていただろうと思う。
とうてい手は届かないと思っていたものが、今、手の中にある。
怨敵が最も失いたくない首。
怨敵の一族の将来を担う首。
いや、この首こそ、怨敵そのものだ。
このとき、私の胸の奥にあった、どろどろとした赤黒いかたまりが、すうっと流れ落ちて消えていった。
私の心は、清明さを取り戻し、今すべきこと、できることを、整理し、すみやかに結論を出した。
「ユリウス様。
たしかに、ガレストの首に相違ございません。
爾後の手配につき、申し上げることを、お許しください」
「許す。
申せ」
「パンゼルには、ただちに騎兵千名を率い、王宮に行ってもらわねばなりません。
ここの守りは、わたくしが務めます」
「そのようにいたせ」
「ははっ。
パンゼル。
疲れておるであろう。
すまん。
ただちに、王宮に赴き、近衛第一騎士団長か近衛第三騎士団長を見つけよ。
そして、メルクリウス家が賊徒に襲われたゆえ、王宮に変事があってはと駆けつけたと申して、いずれかの騎士団長の指揮下に入りたしと申し出よ。
よいか。
万一、王宮が叛徒どもに囲まれておっても、あるいは戦闘が始まっておっても、騎士団長の指揮下に入るまでは、決して手出ししてはならん。
それから、侍従長に、メルクリウス家当主からの伝言として、第一王子のご安全に留意されたし、と伝えるのじゃ。
必要ならば、新たに手兵をお貸ししますとな。
ここより王宮までのあいだは、瞬間移動魔法が封じられておるから、なんじも馬を使い、率いる兵も、騎馬のみ千名とせよ。
後続に、もう千名を送るから、おぬしの判断で使え。
ゆけっ」
だが、それ以上、戦いが拡大することはなかった。
パンゼルがガレストの首を取ったとき、世に言うパントラムの乱は、終わっていたのだ。
10
ガレストが死んだあとの、リガ公アルカンの動きは、悪魔も感心するほどの手際だった。
まず、王宮を攻めるはずの手勢を、守る手勢に変じてみせた。
このとき、王と王子たちの心配をして警護に加わろうとしたアルカンを、駆けつけた諸卿が見ているが、一様に、
あれは、誰か。
と思うほどに、いつもの驕慢を消し去っていたという。
パウロ男爵は、素早く自領に引き揚げた。
次に、廟議を開いた。
アルカンは白卿として、開会を仕切った。
やつは、乱の首謀者はパウロ男爵であり、メルクリウス家と武威を競わんとした出来事であったとぬかした。
長男ガレストが、王都防衛官の要職にありながら、パウロ男爵にたぶらかされ、武力蜂起を見逃したのは、許されざる罪であるとして、驚いたことに王陛下と満座にわびてみせ、なんと、ガレストの子どもと側近全員の首をその場に差し出した。
詮議の済まぬうちに関係者を殺すなど、隠滅にほかならないのであるが、いつもは何があってもかばう家族と郎党を処刑してみせた凄みが、追求の矛を鈍らせた。
アルカンは、息子が詮議の対象者であるから、自分が座を仕切るのは適当でないと言い、上席赤卿が議事を引き継いだ。
ユリウス様と、ガレスト軍の上級騎士が、戦いの顛末を証言した。
ガレスト軍は傍観していたのではなく、積極的に戦闘に参加していたことが明らかになった。
だが、恐ろしいことに、虚偽判定の魔術まで用いてガレスト軍の上級騎士数名を尋問したが、メルクリウス家に続いて王宮を襲う計画などは聞かされていない、と全員が言い切った。
パンゼルが、ミノタウロス討伐の報告をした。
枢密顧問官であるローウェル家のエバート様が、パンゼルを毒の短剣で刺したとき、リガ家が、メルクリウス家当主の殺害、第一王子の自決、王の退位、第二王子の即位をもくろんでいる、と言い残したことが問題になった。
アルカンは、エバート殿とはこの数か月公式の場でしか顔を合わせたことはなく、パンゼルを害したのはエバート殿独自の判断であり、また、第一王子の自決うんぬんは、エバート殿の推測に過ぎない、と断言した。
結局、真相はパウロ男爵を召喚して詰問するまで明らかにならないとして、詮議は終了してしまった。
巧妙にもアルカンは、王陛下の注意をパンゼルに向けさせた。
どうやって陛下をそそのかしたのか知らないが、怪物から得た神剣を持ったパンゼルが百人の騎士と闘うことになった。
パンゼルが圧倒的な勝利を収め、次には、騎士隊長に神剣を渡して一対一で闘い、撃破した。
アルカンが、かの者王国守護騎士に叙さるべき、と叫び、陛下も喜々として同意なさった。
派手な成り行きに皆が心を奪われ、反乱未遂という大罪は、忘れ去られた。
さらに、アルカンは、身内の不始末の責を取るとして、致仕を申し出た。
つまり、王宮での役職を引くということであり、白卿という臣下最高位の立場を捨てる、ということである。
そうして致仕を申し出ながら、引退前の大仕事として、三つのことをした。
一つは、第一王子の立太子である。
これにともない、第二王子は寒村に領土を与えられ、公爵位を受け臣籍に落とされた。
また、ガレストの姉である第二王妃は廃位となった。
一つは、パンゼルの王国守護騎士叙任である。
パンゼルは、新しい直閲貴族家を立てるについて、ゴランという家名を上申した。
昔名の知られた剣豪と同じ家名であると言われまいかと、私は心配したが、もう誰もが忘れ去っているようだった。
もう一つは、逆賊パウロ男爵征伐軍の編成である。
パウロ男爵は、召喚を断り、続く勅使に対しても申し開きを拒んだのである。
アルカンは、全軍の兵糧をリガが負担するという腹の太さを見せた。
ここまでされれば、これ以上リガ家の罪を問うことは難しい。
むしろ、本当にガレストの独断であったのではないか、という見方さえ生まれた。
そうした空気の変化をたくみに読んで、アルカンは、後任大臣の推薦を行った。
これは、白、赤、青、黒の四卿のうち、引退する大臣が、自身と同じか、それ以下の大臣を推薦する慣例に基づくものである。
しかし、これほど大きな不始末の責をとって引退する人間が、後任の推薦をずうずうしく行うというのは、眉をひそめずに聞ける話ではない。
しかも、推薦の内容は、リガ家の次男ドレイドルを赤卿に、というものである。
いくらなんでも勅許は得られまい、と、誰もが思った。
ところが、王陛下は、これをあっさりお許しになった。
なぜか。
パンゼルの結婚と抱き合わせて、事を進めたからである。
ドレイドルの、というよりその黒幕であるアルカンのうまさは、パンゼルに直接申し出を行ったことである。
すなわち、美貌と機知の豊かさで知られるエッセルレイア姫を、パンゼルに嫁がせたい、と言ってきたのである。
エッセルレイア姫は、アルカンの二番目の正妻の娘であり、ガレストの異母妹にあたる。
ドレイドルとは同腹である。
アルカンが、この娘を溺愛して、他家には嫁がせないと公言していたことは、よく知られている。
この掌中の玉を、ガレストの首を取ったパンゼルに嫁がせるということは、リガが膝を屈した、とさえ見える出来事なのである。
パンゼルからすれば、これを断れば、それはユリウス様の狭量ゆえ、と世間に取られかねず、ユリウス様からすれば、パンゼルの思うとおりにせよ、と言うしかない。
そして、話がまとまってから、リガ家は、王宮に対し、この婚儀は、リガとメルクリウスがこれから手を携えて進んでいく証である、と奏上し、勅許を得たのである。
王国の安定という見地からすれば、願ってもない婚儀なのだ。
なおかつ、アルカンは、騎士五十人という、桁外れの持参金を付けた。
王女の輿入れでも、ここまでのことはしない。
パンゼルの武勇を深く愛する王は、世に知られた美姫がパンゼルの妻となることを、大いに喜んだ。
この大度を見せたドレイドルを、いきなり赤卿という高位に置くことを肯うほどに。
ドレイドルは、赤卿に就任するなり、権謀術数の一門らしい怪物ぶりを見せた。
その年の暮れに黒卿の一人が死去すると、後任にユリウス様を推挙したのである。
白卿は常に一人と決まっているが、他の三卿は、できるだけ二人が望ましいとされている。
ユリウス様は、まだ二十三歳の若さであったが、武門の一族として十分に過ぎる功績を挙げていたので、推薦自身は不自然ではない。
ただ、それを、よりにもよってリガ家が行ったということは、皆を驚かせ、ドレイドルを見る周囲の目は確かに変わった。
それは、やつがちゃんと皮をかぶれる蛇であることを証明したにすぎないのに。
さらに、ドレイドルは、パウロ男爵領の攻略で、ユリウス様とパンゼルを巧妙に利用し、その武勲を大げさに評価した。
見え透いた世辞であるが、これを度量の表れと見る向きは、少なくなかった。
そして、パウロ男爵が、フェンクス諸侯国に親族を頼って亡命すると、なんとその領地であったケザには、メルクリウス家を封じるのが適当である、と廟議で発言したのである。
これを聞いたときには、私も驚いた。
やつめ、気でも狂ったのかと。
さらに、やつは、リガ家とは縁続きでなく、また、王国では古い名門である一族の姫を、ユリウス様の妻にと、仲人を買って出た。
これを聞いたときには、舌を巻いた。
単に婚姻によってメルクリウスを懐柔しようとするなら、自家の姫をこそ選ぶだろう。
しかし、どの姫を選んでも、エッセルレイア姫より身分も美貌も劣る、という事情もさることながら、リガとメルクリウスが直接婚姻を行えば、他家の不快をあおるおそれがある。
ところが、ドレイドルが選んだのは、むしろリガ家を嫌っているが、メルクリウスに対しては好意をもって接してきた一族の姫なのである。
しかも、財政は豊かで、内政に暁通した良臣を多数抱えており、突然大領を統治することになった当家に、これほど心強い縁組みはない。
このバランス感覚のよさには、うならざるを得なかった。
やつは、二年続けて、王ご自身が陪席なさる結婚式を仕切ったことになる。
ユリウス様が結婚なさり、ケザ侯爵に封じられた翌年、つまり今年、ドレイドルは、三十六歳の若さで白卿の座に就いた。
だが、こうしたリガ家の復権を見ても、私の心は、前のようにざわめきはしなかった。
恨みが消えることはないが、パンゼルがいるかぎり、悪いようにはなるまい。
そう思うことで、私は、心に燃える怨念の炎を、それ以上大きくせずにすんだ。
そうだ、あのとき。
ガレストの首を、この手でつかみ上げたとき。
私の心は救われたのだ。
私が死ねば、この炎は消える。
もう、それを受け継ぐ者はない。
憎しみは、すべてをゆがめる。
私の憎しみは、私の物の見方や判断を、何度も誤まらせてきた。
うっかりと、この炎を誰かに手渡さないことが、今の私の務めだと信じる。
不要な記憶は、時の彼方に消えてしまえばいい。
ちょうど、あの、アレストラの腕輪の伝説のように。
あれが、王家とメルクリウスの君臣のちぎりの証だなどと、笑い話にもならない。
あれは、まさに欲望の証だ。
始祖王は、初め、カルダン神に加護を願った。
カルダン神が加護を与えたとなれば、当時未開地であったこの北部中央地帯に、新しい国家を作ることができる。
だが、カルダン神は、人間の思惑に振り回され続け、疲れ切っておられたので、始祖王の願いを退けられた。
そこで、始祖王は、二十四英雄とのちに呼ばれる同士あるいは部下たちに、カルダン神の討伐を命じた。
ただ一人これに応じたのが、メルクリウスの初代だった。
だが、実際にカルダン神にお会いして、その気高さに、初代は打たれた。
始祖王に別の土地を探すよう進言したが、これには王も朋友たちも反対した。
もともと、追われ追われて、ようやくたどり着いた地であったから。
初代は、たった一人、カルダン神に向かった。
死ぬつもりで。
しかし、闘いに倦み切っておられたカルダン神は、一切の抵抗をせず、死ぬ道を選ばれた。
死ぬ間際に、初代に、五つの秘宝を授けて。
持ち帰った秘宝の恩寵のすさまじさに、始祖王は狂喜した。
中でも、あらゆる魔法に対抗できるアレストラの腕輪は、国家創建の英雄王たる自分にふさわしい品だと考えた。
そして、甘言を弄して腕輪を自分の物にしようとした。
始祖王が、比類なき偉大な人物であったことは疑いないが、人の物を欲しがる悪い癖があった。
だが、それはカルダン神の心にかなうことではない、と初代は考え、腕輪を献上しなかった。
朋友たちも、ただ一人神竜カルダンに立ち向かって、これを倒した初代に、強く感銘を受け、腕輪は初代が持つのがふさわしい、という意見を述べた。
初代にしか効果を発動できないことが、大きく後押しをした。
始祖王も、それ以上の無理押しはできなかった。
初代は、慎重にも、当主に心から認められた者にも効果が発動できる、という点については、報告しなかった。
その結果、どうなったか。
メルクリウスが代替わりするたびに、王家は新当主を呼び出し、腕輪の効果を、王が発動できるようになっていないか、あるいは、メルクリウスがその資格を失っていないか、確かめることにしたのだ。
いつか奪うために。
邪竜カルダンからの贈り物とは公言しにくかったのであろう。
腕輪は女神ファラからの贈り物といわれるようになった。
始祖王から初代に下賜されたことになり、建国の勇ましくも美しい神話として、人々に語り継がれた。
腕輪以外の四品は、カルダン神自身をはじめ、昔は知られた邪悪な竜神の名を冠していたからか、語られなくなり、やがて当家以外には忘れ去られた。
もう、よい。
当家も、もう、この秘伝を忘れるべきときだ。
ユリウス様には、五品がカルダン神からの贈り物であることと、恩寵の効果だけをお教えした。
王家のほうでも、古い伝承を失っていることは、間違いない。
私の死とともに、腕輪にまとわりつく欲望の炎も、消える。
もっとも、パンゼルが持ち帰った剣の性能を知ったときには、腕輪と同じ歴史が、また繰り返されるのか、と危惧せずにはいられなかった。
パンゼルは、パントラムの乱終結のあと、王の前で、サザードン迷宮百階層で起きたことを、ありのままに伝えた。
ただし、パーシヴァル様が迷宮で亡くなられたことは公言できないから、カルダンの短剣のことは伏せた。
鑑定士が呼ばれ、怪物から得た長剣の性能が明らかになったとき、満座は驚愕の声に満ちた。
神話にしか見られないような、超絶的な恩寵である。
これを怪物に差し出させたということが、まさしくパンゼルの勝利を証明する、とみなされた。
諸侯の一人から、王に献上すべきだ、との意見が上がった。
パンゼルは、まったく考える時間もおかず、ただちに剣を王に献上した。
王陛下は、ひとたび剣を取ってごらんになったあと、これはなんじが得たものであり、なんじが使うべきものである、と仰せになり、そのまま剣を、パンゼルにお下げ渡しになられた。
まことに見事ななさりようだ、と思う。
この一事のみをもってしても、私は、かの王陛下を、名君と申し上げる。
続いて、王陛下は、それを持って闘うなんじの姿が見たい、と仰せになった。
ただちに、騎士百人との試合が組まれた。
中には、レベル八十を超えた騎士隊長も含まれていた。
その百人を、神剣を手にしたパンゼルは、たった一人で、まさに鎧袖一触でたたき伏せた。
次に、王陛下は、神剣をその騎士隊長に持たせ、パンゼルには普通の長剣を持たせて、一対一で闘うよう、命じられた。
このときの陛下のお気持ちが、よく分からないが、もしや、騎士隊長が神剣の恩寵を引き出しても、パンゼルなら勝てる、とのおぼしめしであったろうか。
結果は、パンゼルの圧勝で終わった。
神剣は、騎士隊長には恩寵を与えなかった。
何人もが神剣を試してみたが、パンゼルにしか本来の力を発揮できないことが、はっきりした。
王陛下は、
「まさに、これは、神がなんじに与えた神剣である」
と、仰せになった。
王宮での試合の翌日、パンゼルは、闘った百人の騎士全員を、わがメルクリウスに招待した。
ぬけぬけと、戦の後始末に追われる家宰と私に、客に酒食を、と言いおったものだ。
パンゼルは、百人の騎士たちと、酒を酌み交わし、友となった。
パンゼルには、闘った相手と友だちになるという、妙なスキルが備わっている。
そのようなパンゼルの姿が、私の心をどれほどなぐさめ、導いてくれたか、本人には分かるまい。
11
雨が降っている。
どうも雨音が遠いと思ったら、雨戸が閉まっていて、カーテンが掛かっている。
常夜灯の油の匂いもする。
夜になっていたようだ。
今日は、バラストのやつは、来たのだろうか。
いや、毎日来ているのだから、今日も来たはずなのだが。
どうも、記憶がはっきりしない。
やつとも、妙な縁だ。
考えてみれば、やつとも、アレストラの腕輪が引き合わせてくれたのかもしれない。
腕輪が見つかったあとは、カルダンの短剣について、なにがしか情報をくれる可能性のある相手、というほどのことだった。
ところが、しばらくして、ユリウス様が、あの冒険者ギルド長という人は、お父様のことをたくさん知っているのですか、とお聞きになった。
それはそうに違いないので、そうお答えすると、話を聞きたい、と言われる。
もっともなことなので、事情を説明して、当家の夕食に招いた。
やつの話は、おもしろかった。
直接パーシヴァル様とやりとりした内容も、思ったよりずっと多かったし、おそるべき情報網によって、パーシヴァル様の、いろんな逸話を知っていた。
もともと知らなかったことまで、情報を集めて話してくれた。
語り口は上品とはいえないが、確かな常識に基づく話で、見方のゆがんだところがないのが、ありがたかった。
何より、やつがパーシヴァル様のことが大好きだった、ということがよく分かった。
夕食に招くのは、一度や二度では済まず、六日か七日に一度は呼ぶようになった。
ユリウス様は、もっと頻繁に来てほしいと仰せだったが、何しろやつは忙しかった。
単にパーシヴァル様のことだけでなく、その背後にある冒険者の生活や考え方。
モンスターと闘うということの中身。
経験値やアイテムのこと。
諸国の事情、風物。
遠い異国の神霊や英雄のこと。
私も知らない知識を、やつは豊富に蓄えており、その語り口や物の見方も含めて、楽しい会話が続いた。
事柄が全部真実だとは、とても信じられなかったが。
やつとギル・リンクス殿が若き日に体験したと称するほら話など、金を払っても聞きたいほどの出来だった。
バトルハンマーの腕も見事なものだ。
どうしてやつと闘うことになったのだったか。
そうだ。
やつの主武器がバトルハンマーだと聞いて、「技は要りませんが、威力はすさまじく、大力の戦士でなくては扱えません」と、ユリウス様にご説明したのだった。
私は賞めてやったのに、やつはそれを取り違えて、「へえ。そんなら技をみせてやろうか」と、私に言ったのだった。
初めて夕食に来たころは、ひどく緊張していたのに、もうあのころには、すっかり慣れてきて、自分の家のように振る舞っていたものだ。
長剣を持って、やつと闘った。
私は剣を三本と、あばら骨を二本へし折られ、やつに降参した。
むろん、その次のときには、しかるべき武器を準備しておいて、やつの胸を切り裂いてやったが。
しばらく相手してやっていないので、寂しがっていることだろう。
それにしても、不公平だ。
私は、こうして老いてしまい、立ち上がることもままならない。
ところが、やつは、いつまでたっても、まるで二十代か三十代の若者のように元気だ。
年齢を問いただしてびっくりし、そんな年なのに、どうして人並みにおとなしくすることができないのか、と訊いた。
すると、やつは、「わしのおやじはドワーフじゃから、わしは完全には人ではないのう」と答えたものだ。
最初は冗談だと思っていたが、本当だという。
ドワーフなどという生き物が、まだどこかにいたなど、周りに知れたら大騒ぎになるだろう。
しかし、いわれてみれば、たしかに人間離れした体格と体力をしている。
ギルド長をやめてからは、いっそこの屋敷に来い、と勧めた。
やつも、ここの空気が肌に合っていたのだろう。
「おお、そうさせてもらうか」と返事し、以来、メルクリウス家の食客となった。
もう、あれから、十七年もたつのか。
12
パンゼルが来てくれたのは、今日だったか、昨日だったか。
うれしい知らせだった。
子どもが生まれたのだという。
男の子だ。
奥方との仲も、とても良好のようだ。
エッセルレイア姫は、いささか才気のありすぎるかただとも耳にしていたので、少し心配していたが、杞憂だったようだ。
ユリウス様と奥様も、この上なく睦まじい。
もうすぐ、お子様がお生まれになる。
パンゼルの子と同じ年、ということになる。
喜ばしいことだ。
メルクリウス家とゴラン家の友誼は、何百年と続くだろう。
思えば、そのきずなは、あの忌まわしい夜、バルドラン様とエイシャ殿とのあいだで結ばれたのかもしれない。
名付け親になれと言われたときには、驚きもしたが、パンゼルらしいなとも思った。
以前から、これならと思っていた名があったので、その場で命名した。
ベッドに横たわったままの、ひどく略式の命名式となったが、パンゼルも奥方も、満足していたようだった。
アルス、
という命名を聞いて、パンゼルは、ただひとこと、ありがとうございます、と言って下がった。
名前の由来など、何一つ聞くこともなく。
まことにパンゼルらしい振る舞いだ。
奥方は、英雄の名前をありがとうございます、と礼を述べて退出なさった。
そのとおりだ。
アルス、といえば、女神ファラに近侍して、あらゆる敵から女神を守り抜いたといわれる英雄だ。
人にして神、神にして人。
人間の剣の技は、このアルスによってもたらされたともいわれる。
だが、アルスには、もう一つの顔がある。
争い合う神々の中に立って、それぞれの言い分を聞き、いさかいを収めていった、神々の調停者と呼ばれる顔である。
アルスは、神の争いにより苦しむ人々をも、助けたことになる。
幼き日、私は、エイシャ殿から、古い神話を教わった。
昔、人々は、神を奪いあった。
地の恵みを望む者は、地神ボーラを、
山の恵みを望む者は、山神ガーラを、
海の恵みを望む者は、海神エルベトを、
わがものにしようと争った。
わがものにならず、他の者に恵みを与える神を、人は憎んだ。
やがて、神々は、人の思惑によって、仲違いし、相争うようになった。
神々の長兄であった天空神は、
今は南でもその名を伝える者は少ないが、
ザーラ、という名だった。
ザーラは、神々の争いを哀しんだ。
人と人との争いを哀しんだ。
そこで、ザーラは、
目には見えぬ風となって、天空に舞い上がり、
遙かな高みから、神と人の幸せを見守ることにした。
やがて、地上にアルスという英雄が現れ、神々の争いを鎮めた。
アルスとは、ザーラの化身にほかならない。
ザーラは、人の姿を借りて、地に平和をもたらしたのだ。
この由来も定かでない神話を事実と信じて疑わなかったエイシャ殿。
私は、エイシャ殿より教わったこの神話になぞらえて、パンゼルの子の行く末を言祝ごうと思ったのだ。
ああ、エイシャ殿、エイシャ殿。
私は、
私は、
あなたに頂いた命にふさわしい一生を送れたのだろうか。
エイシャ殿!
12
王国歴千百年白の三の月の一日。
メルクリウス家の前の家宰パン=ジャ・ラバンが死去した。
葬儀は、新ケザ領誕生以来、最初の貴臣の葬儀となった。
若き武勇のケザ領主ユリウス・メルクリウスが喪主となり、王国守護騎士パンゼル・ゴランが執行責任者となった。
つつましやかであるが、会葬する人の胸を打たずにはおかない荘厳な儀式であったという。
特筆すべきは、勅使が遣わされたことである。
パン=ジャ・ラバン自身は、子爵家の傍流にすぎないので、本来、葬儀に王家が公式の使いを送ることはない。
パン=ジャ・ラバンは、若き二人の英雄にとり父同然の存在だったから、格別の配慮だろうと、人々は言い合った。
奇妙なことに、勅使は、開いた誄詞を読み上げなかった。
読み上げず、無言で弔意を示し、そのまま柩に納めたのである。
そこに何が書かれていたか、誰も知らない。




