挿話3
ヒュドラが空中にいるあいだに、ミノタウロスは、攻撃力増加、攻撃速度増加のスキルを発動させる。
そして、立ち位置を調整すると、ヒュドラの巨体が着地する寸前、左前足を内から外に向かって切り飛ばしつつ、跳躍した。
どすうううんんんんんんんんんんんんんっっっ
地震が生じる。
ヒュドラは、横向きに倒れていた。
巨体が着地する瞬間に左足を失ったので、バランスを崩したのである。
ミノタウロスは、着地し、まだ余震の残る岩の床を駆けて、ヒュドラに近寄ると、暗褐色の腹部を、すっと切り裂いた。
ヒュドラは、バジリスクと違い、腹部も極めて硬いが、実は比較的刃物が入りやすい部位が何か所かある。
ミノタウロスの剣は、その、ごく狭い部位を正確にとらえたのである。
そして、ミノタウロスは、右手を切れ目に差し込むと、心臓を引きずり出して、
食べた。
首と三肢をばたばたさせて起き上がろうとしていたヒュドラは、たちまち死んだ。
ヒュドラの心臓は、不死性のよりどころであり、たとえ体から切り離しても、生命を失わない。
取り出した心臓を切り裂いても、傷はすぐに修復される。
心臓を取り出された本体も、それだけでは死なない。
まして、体の中にあるとき、その心臓を攻撃するのは、無駄でしかない。
と、人間たちは理解していた。
ところが、実は、傷つけるのでなく、心臓を丸ごと、ばくばくと食べてしまえば、ヒュドラは死ぬのである。
だから、はるかな昔、竜族や巨人族がヒュドラと闘ったときには、心臓を食べることによって倒すことが、普通に行われていた。
しかし、今の人間に、このことは知られておらず、ミノタウロスにしても、誰かに教えてもらったわけではない。
ただ、ヒュドラの心臓に、何ともいえない力強いものを感じて、
食べてみたい、
と思って、実際にやってみたところ、ヒュドラが死んだ。
その経験から、この方法を知ったのである。
ヒュドラが死んだあと、そこには赤黒い、子どもの握りこぶしほどの肉が残った。
ミノタウロスは、それを拾い上げ、インベントリに入れた。
不死の肉
と呼ばれる貴重アイテムである。
地上では、これを用いて、強力な薬を作ることができる。
死にかけた病人でも元気になり、老人は若返るという。
効果は永続的ではないが、それでも、金を持つ老人には、絶大な人気がある。
また、回春と精力増強の薬の原料ともなるため、後宮に売って、大金や人脈をつかむこともできる。
だが、これを得た冒険者は、よほど金に困っているのでなければ、売ることはない。
なぜなら、不死の肉は、迷宮内で服用すれば、一定時間、損耗した体の部位を瞬間的に修復する効果があり、致命的なダメージからさえ、命を守ってくれるからである。
冒険者たちは、それを、不死効果、と呼んでいる。
不死効果は、ほんの数呼吸のあいだしか続かず、あまり大きなダメージを受ければ、ただちに効果が停止するが、しかしこれは、最下層で闘う冒険者たちにとっては、最後の切り札となる。
ミノタウロスは、石室を出た。
気分は晴れなかった。
やはり、こんなものをいくら倒しても、どうにもならない。
こんな闘いに、喜びはない。
こんな敵に比べたら、メタルドラゴンのほうが、ずっとましだった。
ヒュドラより一回り大きい体躯。
三つの首は、それぞれ二本の角で風や水を操り、衝撃波、高熱、超低温のブレスを吐く。
青い燐光を放つ半透明の翼を広げて、広大なボス部屋を飛び回り、三本の尾から雷を落とす。
鱗の硬さは、ヒュドラをしのぎ、魔法攻撃にも物理攻撃にも、桁外れの抵抗を持っていた。
そのうえ、高い知性を持っており、こちらの行動の裏をかいてきた。
初めは、どうやって倒したものか、見当もつかない敵であった。
だが、あのメタルドラゴンでさえ、今闘えば、物足りなく感じるであろう。
強い敵を俺に与えてくれ。
俺を苦しめる、強い敵を。
あの人間に勝てる力を、俺にくれる、本当に強い敵を。
ミノタウロスの全身が、そう叫んでいた。
よい闘いへの飢えは、煮えたぎる濁流となって身の内で膨れ上がり、体中の毛穴から吹き出しそうであった。
このときのミノタウロスは、まだ知らなかった。
自分の願いが、とうにかなえられていることを。