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迷宮の王  作者: 支援BIS
第2部 ザーラ
22/44

第3話 イシュクリエラの白姫

 



 1


 がたごと。

 がたごと。


 (くら)い森の中を、馬車が走る。

 御者台(ぎよしやだい)で手綱を握るのは、ひげ面の男である。

 三十歳前後であろうか。

 マントの下には、革の鎧を着け、傍らに大剣を置いている。

 口には短くなった葉巻をくわえている。


(くさ)いわ。

 何度も言うようだけど」


 と話し掛けたのは、横に座っている女である。

 こちらも三十歳前後か、あるいは、もう少し若いかもしれない。

 つばのある帽子をかぶり、マントで全身を覆っている。


「もうすぐ終わるって。

 けどな、この葉巻のおかげで、ほかの匂いがごまかされてるんだぜ。

 つまり、葉巻を吸い終わったら、俺の素敵な体臭を、じっくり味わってもらえるわけだ」


「ぼうやに味わってもらいなさいな。

 あたしは、ぼちぼち、中で休ませてもらうから。

 プチ・フレア」


 発動呪文とともに、こぶしほどの大きさの光の球が三つ、女の胸元から飛び出す。

 よく見れば、マントの下で、杖を構えている。


 光の球は、木から飛び降りて馬車に飛びつこうとしていた、五匹のモンスターのうち、三匹に命中する。

 モンスターは、それぞれ、短く悲鳴を上げて落ち、そのまま動かない。

 的確に急所を突いたのであろう。


 残り二匹のモンスターも、悲鳴を上げて墜落する。

 それぞれ、顔のまん中に、ナイフが突き立っている。


「戻れ」


 と男が命じると、手の中に二本のナイフが戻ってきた。

 男は、手を伸ばして木の葉をもぎ取り、ナイフをぬぐうと、元のとおり、マントの隠しに収める。


「それにしても、妖魔系のモンスターばっかりね。

 珍しいわ」


「だな。

 この三日間で、生まれてから見た全部よりたくさんの妖魔を見たぜ」


 モンスター、というのは、種族の名前ではない。

 人間から見て、脅威になる、人ではない生き物の総称である。

 実際のところ、動物とモンスターのあいだには、明瞭な区別はない。

 普通、兎はモンスターとは呼ばれないが、角兎は、モンスターと見なされている。

 だが、どちらも食べられるし、生態に大きな差はない。

 ただ、角兎は、人に攻撃してくるし、戦闘力のない一般人にとっては、命に関わる敵であるので、モンスターと見なされているのである。


 オーガ、オーク、ゴブリン、コボルトなどは、モンスターと呼ばれても動物とは呼ばれないが、生き物であることに違いはない。

 人と交わらずにすむ地域では、彼らは彼らなりの安定した生活圏を築いている場合が多い。


 これらに対して、生き物とはいえないモンスターがいる。

 妖魔系とか悪魔系とか呼ばれるモンスターであり、成長したり、子どもを作ったりせず、いずこからともなく湧いてきて、ただ人を傷つけ殺し、災いをもたらすことのみを行動原理とする。

 妖魔系モンスターは、それぞれ、どの悪魔の眷属だとか、どんな由来で産み落とされたとかいう伝説を持っている。

 悪魔そのものといわれるモンスターもいる。

 たいていの場合、極めて醜悪な容姿をしており、上位のものは、悪質な魔法攻撃や、呪いを仕掛けてくる。

 毒を持っている場合も多い。


 だが、こうした妖魔系モンスターには、特定の迷宮にでも行かない限り、めったに出遭うものではない。

 それなのに、この三日間、一行は、妖魔系モンスターに、ひっきりなしに襲撃されているのである。


 ほどなく、キャンプに格好の場所に出た。

 少し早いが今夜はここに泊まる、と男が宣言し、女が同意する。

 馬車の中に伝えると、まず、少年が馬車から降りてきた。

 ザーラである。

 ザーラは、(なた)で邪魔な低木や枝を払っていく。


 次に降りたのは、古ぼけた僧衣をまとった五十歳ほどの男である。

 辺りを見回すと、何やら呪文を唱え両手を大きく頭上に広げた。

 キャンプのときによく使われる簡易結界である。

 モンスターが近寄りにくくなり、体力回復などにも多少の効果がある。


 御者をしていた男は、馬車から馬を外して草を食べさせる。

 魔法使いの女は、かまどの準備をする。

 ザーラは、安定した位置に草を敷き詰めて上に毛皮を広げた。


「置き場所の準備ができました」


 馬車から、箱が出てきた。

 五、六歳の子どもなら中に入れるのではないか、と思われる大きさである。

 頑丈そうで、奇麗な装飾がほどこしてある。

 それが、宙に浮かんだまま、馬車から出てきたのである。


 箱に続いて、白い巫女服をまとった女が、馬車から出てきた。

 女は、両手を開いて、まるで、その箱を持っているかのように、差し伸べている。

 しかし、箱と女の間には、いくばくかの距離があり、直接持っているわけではない。


 見えざる手、と呼ばれる特殊スキルである。


 ザーラが用意した設置場所に、静かに箱を安置すると、女は、ほっとためいきをもらした。


 イシュクリエラの白姫(しろひめ)


 と呼ばれる、高名な占い師であり、今回の冒険の依頼者である。






 2


 大峡谷を抜けた所に、大きな街があった。

 そこには、冒険者ギルドさえあった。

 ザーラは、ギルドでクエストを受けてみようかと思ったが、ためらいもあった。

 ギルドでクエストを受けようとすれば、冒険者カードを、等級を閲覧可能にして、提示しなければならない。

 Sクラス冒険者である自分は、どうしても目立ってしまうだろう、と懸念したのである。


 酒場で食事をしていると、ひげ面の男が、きょろきょろ辺りを見回しながら近づいてきて、言った。


「お、あんただな。

 あんたに話があるんだが、食事が済んだら、上の部屋に来てくれねえか」


 教えられた部屋に行くと、中に招き入れられた。

 ひげの男のほかに、白い巫女服を着た女と、魔法使いらしい女と、僧衣の男がいた。


「こっちの人が、あんたに用事がある人だ。

 イシュクリエラの白姫様。

 名前ぐらい、聞いたこと、あんだろ。

 依頼内容は、この人と、あれを」


 と、傍らのテーブルに鎮座している箱を示して、


「海の神殿まで、無事送り届けること。

 メンバーは、俺と、あんたと、この二人。

 馬車があるんで、移動は楽だ。

 あ、海の神殿ってのは、知ってるかい?

 こっからまっすぐ東に行った、半島の先端にあるんだ。

 大陸の一番東端ってこったな」


 かかる日数の見込みを聞き、報酬を確認してから、ザーラは、依頼を受諾した。


 戦士の男の名は、ボランテ。

 主武器は大剣だが、相手によって武器は使い分け、スローイング・ダガーなどの投擲武器も使うという。

 魔法使いの女は、ヒマトラ。

 攻撃魔法が専門で、炎系を得意とし、拘束魔法も多少はできるらしい。

 どっしりした体格の僧侶は、ゴンドナ。

 支援魔法専門で、攻撃力はないが、魔力量には自信がある、というその手には、ごつごつした太いメイスが握られている。


 近くにいるだけで、ザーラには分かった。

 三人とも、一流の冒険者である。

 よくも、こんな僻地で、これだけのメンバーを集められたものだ、と感心する。

 なぜ自分に声を掛けてくれたのかと聞けば、白姫様の占いなのだそうだ。

 他の三人も、そうであるという。

 なんでも、今回の旅は、多数の強力なモンスターに襲われる定めなので、最高の護衛が必要なのだという。


「私の名は、ザーラ。

 武器は」


 腰に差した剣のつかを右手で軽くたたく。


「剣です」






 3


 いささか世事にうといザーラでさえ、イシュクリエラの白姫の名は、聞いたことがある。

 王侯や大商人に招かれて、占いをする、放浪の巫女。

 天候、物事の吉凶、戦争の勝敗、たくらみ事、出産、人の行く末、ありとあらゆる事柄について、その占いは的確でなかったことがないという。

 大金を積まれても占いを断ることもあるし、自ら進んで未来の英雄のもとを訪れ、寿言と助言を与えることもある。


 命の終わりが近づくと、白姫は、才能のある娘を後継者に指名し、共に身を隠す。

 数年後には、すべての技を習い終え、神々の加護を引き継いだ新たな巫女が、イシュクリエラの白姫の名と生き方を引き継いで現れる。

 こうして、千年以上の昔から、白姫は、啓示をもたらしつつ、世界中を旅しているのである。


 名を騙ろうとする者は絶えない。

 しかし、白姫ならば、占いの力もさることながら、必ず、箱を持っているはずである。

 ごく短い移動の際にさえ、その箱は身近から離されることはない。

 常に、見えざる手によって、白姫の傍らに浮いて運ばれるのである。


 これは、尋常では、まねできない。

 見えざる手という特殊スキル自体が珍しいものであるうえ、わずかな使用さえ魔力を根こそぎ奪ってしまうものだからである。


 自前の馬車で移動するあいだ、ずっと見えざる手を発動させ続けて箱を護持するというのは有名な話であり、仕掛けなしでこれがまねできるぐらいの術者なら、偽物にならずとも大金が稼げる。


 今、ザーラの前で、瞑想しているのは、間違いなく本物であろう。

 名の通り、髪も肌も白い。

 生々しい白さではなく、透き通るような、水晶や氷を思わせる白さである。

 人間離れした白さ、といってよい。


「見とれてんのかい、ぼうや」


「ええ。

 不思議なかただなあと思って、見とれていました」


「あは。

 うまいこと言うわね。

 まあ、不思議さでいうなら、ぼうやも、けっこうそれなりだけどね。

 もう、野営の準備は慣れたみたいね」


「はい。

 でも、何か気付いたら、教えてください」


「うわあ。

 なんて、素直」


 ザーラが、森の中での野営に慣れていないのは、最初の日に明らかになった。

 だが、それをもって、ザーラを、駆け出し冒険者と侮る者はいない。

 野営地に着く直前に、五体のガーゴイルが襲ってきたのを、御者席の横に座っていたザーラが、すっと飛び出したかと思うと、瞬く間に切り伏せたからである。

 御者をしていたヒマトラの声に、ボランテとゴンドナが馬車を飛び出したときには、ザーラは、息も切らせず澄ました顔で剣を収めていた。


 辺境では、ガーゴイルを一人で倒せるのが、一流の騎士であるあかし、といわれる。

 しかし、実際に、一人でガーゴイルを倒した騎士は、あまりいない。

 ガーゴイルは、素早く、魔法耐性が強く、悪知恵も働くモンスターである。

 人型だが、毛髪はなく、口には牙が生え、背中には蝙蝠(こうもり)のような翼がある。

 身体は青銅のような硬さと重さを持っており、殴られたり、爪にかけられたりすれば、相当の深手となる。

 その上、翼で自由に飛び回る。

 倒しにくいモンスターなのである。


 ザーラの倒したガーゴイルは、いずれも首を落とされており、尋常でない技前を示している。

 切り口の鮮やかさに、ボランテが思わずうなったほどである。


 それほどの手練れなのに、野営に慣れていない。

 見張りの順番を決めようとしても、きょとんとしていた。

 田舎にたむろして、しかも、ギルドを通さない依頼を請けるような冒険者は、すねに傷を持っているとみて間違いない。

 この少年もそうであるはずなのに、この物慣れなさはどうしたことか。


 貴族家か上級騎士の子弟で剣技の英才教育を受けたが、家が没落して冒険者になった。

 それで、冒険者カードをさらしたがらない。

 とも想像してみるが、ザーラの装備は上品でも高級でもない。

 しかも、使い込まれておりザーラによくなじんでいる。

 気配の消し方の見事さや、くつろいでも決して油断しない様子も、召使いにかしずかれるような生活とはつながらない。

 そのアンバランスさが、ヒマトラには不思議なのである。


 実のところ、ザーラは野営に慣れていないわけではない。

 野営は、迷宮の中で、いやというほど経験した。

 ただ、丁寧に野営地を設営したことがないだけである。

 寝るときも、毛布など使わず、剣を枕に、マントにくるまるだけである。

 下草も刈らないし、たき火さえ、めったにしない。

 何かが近づけば、自分で気付いて対処するしかない。

 そのため、睡眠は浅く短い。

 つまり、ずっとソロでの過酷な野営に慣れているため、大がかりな設営や交替で見張りに立つ発想がないのだ。

 迷宮ではポーション一つで体力が回復できる、という事情もある。


「はっはっはっ。

 それにしても、ほんとにおいしい燻製じゃなあ。

 ザーラ殿が参加してくれて、よかったわい。

 ワインが進む、進む」


「ゴンちゃん。

 あんたねえ。

 今日こそは、見張りしなさいよ」


 ゴンドナは、一行の中で年長者であるはずだが、ヒマトラの口調には敬語の残滓もない。


「ゴンさん。

 あんた、つまみが何だろうが、とりあえず飲んでるじゃねえか」


 ボランテも気楽な呼び方をしている。

 ゴンドナ本人は、ゴンちゃんとかゴンさんとか呼ばれるのがうれしいようなので、問題はないが。


「本当においしいお肉ですね。

 これは、何のお肉なのですか」


 と訊ねる白姫の皿には、ピンク色の肉が何枚か乗っている。

 先ほど、ザーラが、よくこんな大きな肉を燻製にしたな、と思わせる肉の塊を取り出して、それを大胆に切り分け、まん中のピンクの部分を薄くカットして、白姫の皿にサービスしたのだ。

 ガーラ越えのときに作った燻製は、パーティーの一同を、とても喜ばせている。


「エッテナの肉です」


「そうですか」


 にこにこと微笑む白姫。

 ぽかんとするボランテ。

 ぶっ、とワインを吹き出すヒマトラ。

 次のワインの瓶を、インベントリから取り出すゴンドナ。


 パーティーを組んで冒険するというのは、楽しいものだな。


 と、ザーラは思った。





 4


 次の日は、雨だった。

 相談の結果、とりあえずは移動せずに、様子を見ることになった。

 白姫は、箱と一緒に、馬車の中で過ごす。

 ザーラは、白姫の護衛ということで、一緒に馬車に入った。


 四人乗りの馬車であるが、通常より内部は広い。

 箱を置いたり、出し入れがしやすいようにであろう。

 今、箱は白姫の横に置かれ、ザーラは、白姫の向かいに座っている。


 若い、といえば若い。

 そうでない、といえば全然そうでないようでもある。


 ザーラは、白姫の顔を見ながら、そんなことを思った。

 雨脚は、激しい、というほどではないが、途切れることなく、馬車の屋根をたたいている。

 馬車の中の、静かな空間は、この世でないどこかにいるかのような錯覚を起こさせる。


「ザーラ様は、不思議なかたですね」


「不思議な、というなら、あなたほど不思議なかたはおられないでしょう」


「あなたからは、ボーラ神様の祝福を感じます」


「あなたが、そうおっしゃるのなら、そうなのでしょう」


「いつも、お一人なのですか」


「ずっと一人で迷宮に潜っていました。

 しかし、師や先達に囲まれ、教えを受けていましたから、一人ではありませんでした。

 一人で冒険の旅に出たのは、三か月ほど前のことです」


「そうですか。

 私には、旅の供をしてくれた者がおりました。

 しかし、年老いて病にかかり、あの街で死んでしまったのです。

 でも、本当は、ずっと一人だったのかもしれません。

 寂しいかどうかも忘れてしまうほど長く」


「あなたは、いつ、前の白姫様と、お別れされたのですか」


「ふふ。

 世間では、そのようにいわれていますね。

 いえ。

 いわれるように、私がしたのです。

 次々に別人が、白姫の名と役目を継ぐと。

 本当は、そうではありません。

 ずっと私は一人でした」


「では、千年以上も、あなたは白姫様であられたのですか」


「そうです。

 あまり驚いておられませんね。

 あなたは、やはり不思議なかたです」


「ずっと秘されていた、そのような大事を、私にお教えになって、よかったのですか」


「もうすぐ、私の役目も終わります。

 時が満ちようとしているのです」


 そう言って、白姫は、箱のほうを見た。


「あなたの魔力の源泉であるといわれる箱ですね。

 その箱の力が失われるのですか」


「いえ、いえ。

 そうではありません。

 やっと、この箱の中身は、本来の役目を果たすのです。

 その時までこの箱を見守るのが、私があるじより与えられた役割なのです。

 本当に、長かった」


「お供のかたというのも、今まで何人もおられたのですか」


「ええ。

 人間の寿命は、限られていますからね。

 もう何人目の従者であったか、よく覚えていません。

 でも、とてもよく仕えてくれました。

 いつもなら、ある程度年がいけば暇を出し、新しい従者を雇うのですが」


「今度は、そうはされなかったのですね」


「はい。

 もう、終わりですから」


 海の神殿には、いったい何があるのかと、白姫に尋ねようとしたが、結局その質問が発せられることはなかった。

 ずいぶん前から、徐々にこの野営地を取り囲んでいた多数の敵が、急に包囲網を狭めてきたからである。

 自分も戦闘に参加しなくては、と馬車の扉を開きかけたが、


「いや。

 手を出さないようにしてくれって、ゴンさんが言ってる。

 ザーラは、馬車の中にいてくれ」


 とボランテに言われ、ザーラは、馬車にとどまった。

 この敵は、かなり厄介である。

 山ほどの数が集まってきていることもさることながら、この歩き方、この気配。

 敵は、おそらく。


「ターン・アンデッド!!」


 ゴンドナの発動呪文が、雨の森に響き渡る。

 その効果は、激烈であった。


 ばちばちばちばちばちばちばちっ。


 ターン・アンデッドは、聖職者固有の魔法であり、不死系のモンスターを追い払う効果がある。

 しかし、へたをすると、相手を興奮させて攻撃が激しくなることもある。

 不死系モンスター以外には、まったくダメージを与えられないが、注意を引くことはできる。

 ある僧侶は、雑魚敵を引き寄せて一気に殲滅するための、無差別全方位タゲ取りスキルだ、と言っていた。

 スキルのランクが上がってくると、近くの敵なら、大きなダメージを与えることもできるという。


 だが、今発せられた呪文の、この威力は。


 馬車の小さな窓からも、はっきりと見えた。

 近くのグールは、ばちっと雷光を発して、一瞬にして蒸発した。

 遠くのグールも、衝撃を受けたように吹き飛んで、起き上がってこない。

 やがて、どろどろに溶けて、雨の中に流れて消えてゆく。

 百体を超えていたであろう、おぞましい不死の怪物たちは、ただ一言の呪文によって、一掃されてしまったのである。


「ゴンちゃん!

 あんたのスキルは、ワイン飲みだけじゃなかったのね!」


「ゴンさん!

 攻撃魔法は使えないって、言ってなかったか?」


「はっはっはっ。

 あれは、攻撃魔法じゃないわい」


「じゃ、何なんだよ」


「聖職者のたしなみじゃ。

 大声を出すと、腹が減るのう。

 ザーラ殿、燻製肉は、まだあるじゃろうか?」






 5


 雨は次第に小降りになり、翌朝には晴れた。

 一行は、移動を再開した。


 いくらも行かないうちに、二十体ほどの下級妖魔を率いて、豹のような妖魔が襲ってきた。

 ボスは、ボランテが相手をした。

 豹の化け物は、二足歩行して、幅の広い曲刀を武器にしていた。

 ボランテの大剣と、しばらく競り合っていたが、ボランテが投げつけた小袋を斬ったあと、急に相手の動きが悪くなり、ボランテは遠慮なく斬り捨てた。

 下級妖魔は、ヒマトラが、フレイムボール三発で焼き払った。


「あの小袋は、何だったんだい?」


「野生のトウガラシを乾燥させて、粉にした物だな」


「そんな卑怯な闘い方でいいのかい?」


「お前こそ、森で火球を使うな」


「雨のあとだから、大丈夫さ」


「はっはっはっ。

 仲よさそうで、何よりじゃ」


「あ、こらっ。

 ゴン。

 なに、昼間っから飲んでるのさ!」


 午後には、三十匹ほどの妖魔に襲われた。


 顔つきは凶悪だが、小さな子どもほどの身長しかない。


「大して魔力も感じないわね。

 あたし一人でいいわ。

 さくっと追っ払ってくる」


 と、ヒマトラが助手席を飛び出した後ろ姿を見ながら、ゴンドナが、


「あれは、ザファンじゃのう。

 火には、めっぽう強い。

 それと、アイテムで攻撃してくるタイプじゃから、保有魔力量は、あんまり関係ないがのう」


 と、つぶやく。


 しばらくすると、ヒマトラが、きゃあきゃあ悲鳴を上げたので、ザーラが馬車の中から飛び出して、次々と、敵の首を刈り取っていった。

 敵を倒し終えて、馬車に戻ったヒマトラは、ゴンドナが敵の特性を知っていたと聞き、大いに怒った。


「なんで教えてくれないのさ!

 髪がちょと燃えちゃったじゃないか!

 あ、また飲んでるわねっ。

 昼間っから飲むな、って言ってるだろっ。

 この、酔いどれ坊主!

 それにしても、あのちっぽけ妖魔どもめえっ。

 森であんなに火魔法を使いまくるなんて!」


「お前が言うな」


 この日の襲撃は、それだけだった。

 翌日の襲撃は、さらに厄介な敵であった。


「もしかして、デュラハンかい?」


「そうらしいなあ。

 俺、初めて見たよ」


「うむ。

 あれは、デュラハンじゃな」


 夜明け早々に出発した一行の通り道をふさぐように、一頭の大柄な馬が立っている。

 その馬にまたがっているのは、甲冑を身に着けた騎士である。

 首はない。

 いや、胴体の上にはない。

 どこにあるかというと、左手で持っている。

 右手には、抜き身のロングソード。

 普通、片手で使うものではないが、このモンスターにとっては、そうではないのであろう。


「一回、()ってみたかったんだ。

 行かせてもらうぜ」


 と、言い残して、ボランテが前に出る。

 長剣と大剣の対決が始まった。

 両者とも技巧が高く、剣に重さもある。

 見応えのある決闘といえる。


「次は、私の出番のようですね」


 と、口にして、ザーラが、馬車の後ろ側に向かう。

 そこにも、馬にまたがったデュラハンが一体、出現していた。

 こちらでも、剣と剣との対決が始まった。


 二つの対決の決着は、ほぼ同時についた。

 いずれも人間側の勝利である。

 しかし、


「あっ」


「ふむ。

 やはりのう」


 ボランテがデュラハンを倒すと同時に、その後ろに、二体のデュラハンが現れた。

 ザーラのほうも、同様である。

 つまり、今、一行は、四体のデュラハンに襲われているわけである。

 もはや、ボランテの表情に、余裕はない。

 しゃにむに攻め込んで、二体を倒した。

 ほぼ同時に、ザーラも二体を倒した。


 しかし、今度は、さらに倍の敵が現れた。

 つまり、ボランテの前に四体の、ザーラの前にも四体のデュラハンが現れたのである。

 ただちに援護に出ようとするヒマトラに、


「すまんがの、ヒマトラ殿。

 少しのあいだでいいから、四体を足止めしてくれんか。

 そのあいだ、ボランテをここに戻らせてくれ」


 と、ゴンドナが声を掛ける。

 いささか驚いたが、ヒマトラは、その通りにした。


 馬車に戻ったボランテに、ナイフをありったけ出すように言うと、ゴンドナは、そのナイフに、用意してあった瓶の液体を塗り付けた。


「聖水じゃ。

 悪魔騎士には、なかなかの効き目があるはずじゃ」


「わかった、ゴンさん」


 まさに、その通りであった。

 あれほど手こずった敵は、聖水を塗ったナイフが刺さったとたん、消滅して、もう復活しなくなった。


 ゴンドナは、ザーラの支援にも向かおうとしたが、こちらはいち早く、相手を殲滅していた。


「ふうむ。

 見事じゃ。

 聖属性の武器をお持ちじゃったか」


 うなずくザーラの肩をたたいて、ゴンドナはザーラを馬車にいざなった。

 そして、戦闘直後のボランテとザーラを、馬車に入れると、自分が手綱を取り、ヒマトラを助手席に座らせた。


「あたしだって、今、闘ってたんだけどねっ!

 あ、こら、飲むなって言ってるだろうが。

 よこしなっ」


 ヒマトラは、ゴンドナからワインの瓶を取り上げると、瓶に口をつけて、ワインをラッパ飲みした。


 それからも、毎日のように妖魔の襲撃を受けたが、パーティーは、それぞれの持ち味を生かしながら、そのすべてを退けた。


「やっと、森の外に出られるねえ」


「おう。

 あれを倒したらだけどな」


 森の出口近くに、真っ黒い大きな固まりが四つ、うずくまっている。

 馬車が近づくと、固まりは立ち上がり、それぞれ三つの光る目で、一行をねめつけた。


「あれは、何?」


「バグベアじゃの」


「おお。

 あれがそうなのか。

 ヒマトラ、おい。

 お前、何を」


 ヒマトラの準備詠唱が完了し、発動呪文が発せられた。


「メテオ・ストライク!」


「うわー。

 こんな所で使うなーー!」


 空から彗星が降ってきて、四体のバグベアを消滅させた。

 密集していたのが相手の不運というべきか。

 森の出口だった所には、巨大なクレーターが出来た。

 そこにあった木や草や土は、一行の上に降り注いだ。

 幸い、火事にはならずに済み、ひともんちゃくのあと、馬車は森を出た。







 6


「ヒマトラ殿。

 よかったら、これをどうぞ」


「え?

 あ?

 これは、何だい?」


「魔力回復が速くなる薬草だそうです。

 煎じてもよいし、このままでも口にできると聞いています。

 しばらくかみしめて、草の汁を唾液と一緒に飲んでください」


「なんだか怪しげだねえ。

 でも、ありがと。

 ちょっとでも回復が速くなるなら、大歓迎さ」


「とても苦いそうです」


 ヒマトラは、手のひらに乗せられた薬草を、がばっと口に含んだ。

 そして、とても嫌そうな顔をしたが、吐き出しはしなかった。


 森を出た直後、イナゴの妖魔と、ハエの妖魔に襲われた。

 それぞれ、率いていたボスは、アドバンとナスという名らしい。

 敵の数が多くて閉口した。


 ゴンドナは、結界を張って、依頼主と箱を守った。

 ヒマトラは、火系の魔法を撃ちまくった。

 ボランテは、炸裂弾を使って、ヒマトラに近づく妖魔を倒した。

 そして、ザーラが、敵のボスを倒して、決着をつけた。


 そして、海に出た。


 今いるのは、砂浜である。

 目の前には、青々とした海が広がっている。

 潮風は、新鮮そのもので、一息吸うたびに、生命力が増加するようだ。


 ザーラは、生まれて初めて見る海に、感動していた。

 視界の中央右寄りに見えるのが、ユトの島であると聞いて、胸が高鳴った。

 では、あれが、大魔法使いギル・リンクスのふるさとなのだ。

 ギル・リンクスの逸話と生き様を、小さいころから聞かされ続けたザーラには、その生まれ故郷は、まるで聖地の一つであるかのように感じられたのである。


 一行は、馬車に戻って、海の神殿に向けて、旅を続けた。

 三日ほどは、妖魔に襲われなかった。

 一度、ゴブリンの群れに襲われている旅人の家族を助けた。

 毎日、潮風の吹く場所で野営した。

 ワインはおいしく、貝や魚も新鮮であった。

 意外にもヒマトラが料理上手であるという事実が発覚した。

 その後、何度か妖魔に襲われたが、さほど強力な敵ではなかった。

 このパーティーだからいえることであったが。


 旅は続き、あと四、五日で海の神殿に着くというころになり、急に妖魔の襲撃が激しさを増した。

 食事の途中で襲われることもしばしばで、皆の心と体に疲労がたまっていった。


「みんな、聞いてくれ」


 夕食が終わるころ、ボランテが、呼び掛けた。


「あと二日ほどで、神殿に着く距離だ。

 しかし、早めに出発して、馬の(けつ)っぺたをしっかりたたけば、一日で着かない距離でもねえ。

 ひとつ、ここは、明日一気にゴールといこうじゃねえか」


 三人の冒険者が賛成し、白姫も、賛成した。

 このメンバーならできると、皆が思った。





 7


 夜明けよりだいぶ早く出発した。

 森の中と違い、海のそばでは、夜中でも真っ暗にはならない。


 妖魔たちの攻撃は熾烈であった。

 それを、馬車の速度を緩めることなく、たたき伏せ、押しのけながら、ただただ前進していった。


「げ。

 前方、道のど真ん中に、中型妖魔一体」


「出ます!

 馬車は速度を緩めず、そのままに願います」


 ザーラが、馬車の中から飛び出し、馬車を追い抜いて走る。

 素早く妖魔の足を斬り落とし、崩れかかるところを、道の外に蹴り出す。

 馬車は、倒れる妖魔をかすめるように走り抜ける。

 後ろからザーラが追いついて、馬車に入る。

 ゴンドナが、絶妙なタイミングで、ドアを開いて、ザーラを迎えて、

 席に座ったザーラに、


「おつかれさま」


 と声を掛ける。

 御者席では、ボランテが口笛を吹いて、ザーラをたたえた。






 8


 それぞれが携行食糧で腹ごしらえをしながら、しゃにむに前進した。

 昼をだいぶ過ぎたころ、


「見えた!」


 とボランテが叫んだ。

 ザーラは、扉を押し開けて、前方を見た。

 海際の道の先が、切り立った岬になっている。

 その上に、荘厳な建物が見える。

 あれが、海の神殿であろう。

 ザーラは、扉を閉めて、言った。


「白姫様。

 神殿が見えました。

 もうすぐです」


 だが、力押しをしてきただけに、皆の疲労も深い。

 幸い、傷は、ゴンドナが恐るべき回復スキルで完治させてくれたが、体と心の疲れは、ピークに達している。

 特に、遠距離攻撃を続けたヒマトラは、消耗がひどい。

 そのとき、ゴンドナが、


「ザーラ殿。

 パーティーを組んでおきたい」


 と言った。

 迷宮探索では、パーティーであれば、正式のパーティー登録は、常識である。

 経験値やドロップの公平分配からも、戦闘のしやすさからも、それは当然である。

 お互いの正確な位置を知ることや、HPの管理が、生命に関わる場面も多い。

 対して、外でのクエストでは、あまり、正式のパーティー登録はしない。

 しても意味がない場合が多いし、細かなステータスなどは非表示にできるとしても、職業や本名、HPなどが丸見えになるのであるから、嫌がられるのである。


 なぜ突然、今になって、ゴンドナがそんなことを言い出したのかは分からない。

 しかし、何か意味があるのだろうと思い、ゴンドナに言われるまま、ザーラは自分をリーダーとしてパーティーを編成した。

 そして、身を乗り出して助手席に上がり、ボランテとヒマトラにいきさつを説明して、冒険者カードを触れ合わせて、パーティーに入ってもらった。

 ザーラは、馬車の中に戻ってから、ふと、


 この僧侶は、迷宮探索専門であったのかも知れぬな、


 と思った。

 迷宮探索での僧侶は、パーティーメンバーのHP管理を司る。

 だが、迷宮の中でのような目覚ましいHP回復は、外では不可能であるし、外の常識では、HPの管理は自己責任である。

 そんなことを考えているとき、がくんっ、と馬車が傾いた。

 右前輪が脱輪したようである。


「くそっ。

 体当たりされちまった。

 すまんっ。

 馬を切り離すぞっ」


 というボランテの声がする。

 馬車は、少し速度を落としたが、勢いのまま前進する。

 がががががっと音を立てながら、右に左に揺れ、そして大きく左にかしいだかと思うと、ごろんごろんと何回転かして、上下逆さまにひっくり返って止まった。

 ザーラは、恐るべき反射速度を見せ、転がり始める馬車から、白姫を抱えたまま、扉を蹴破って脱出した。


 ボランテも、うまく馬車から飛び降りたようであるが、ヒマトラは、放り出されて、うめいている。

 腕の中の白姫は、ショックで気絶したようである。

 ずっと緊張状態のまま、見えざる手を使い続けたあげくの横転であるから、無理もない。

 白姫を、そっと砂浜に横たえたとき、


「ザーラ殿、近くの敵を、しばらく食い止めてくだされ!」


 と、馬車から乗り出してきたゴンドナが言う。

 その額には、血が流れている。

 いわれるまでもない。

 近くの敵の気配には、最も注意を向けていたザーラである。

 寄ってくる妖魔たちを、次々斬り伏せていった。


 ゴンドナは、とふと見れば、砂浜に両膝を突き、頭を下げて、何事かを祈る様子である。

 手に握り込んでいるのは、聖印であろうか。

 と、ヒマトラと、その手当をしようとしていたボランテと、ザーラの体が、柔らかい光に包まれる。


 そうか、なるほど。

 レベルアップか。


 と、今さらながら、ザーラは気が付いた。

 ゴンドナは、高位の聖職者であったようだ。

 その場合、同じパーティーであるか、冒険者カードを預かれば、本人たちに代わって、神にレベルアップの請願をすることができる。

 ここしばらくの激しい戦闘で、レベルアップに必要な経験値がたまっていたのであろう。

 これで、傷も癒え、体力も精神力も回復する。


「ゴンちゃん、褒めてあげるわっ」


「ゴンさん、助かったっ」


 すぐに二人が戦線復帰する。

 だが、ザーラは、気が付いた。

 ゴンドナの額の傷は、そのままである。

 ゴンドナは、レベルアップをしていない。

 あれだけの戦闘をこなしても、レベルアップをしないということは、この僧侶は。


「箱は?

 箱は!?」


 目を覚ましたのであろう、白姫の声がする。

 箱は、横転の衝撃で、馬車から転がり出ている。

 砂浜であったことが幸いしてか、完全に壊れてはいないが、壊れかけて、中の白っぽい物が、少し見えている。

 急いで、箱に走り寄った白姫は、様子を確かめたあと、


「始まって、始まってしまった。

 でも、この位置なら、大丈夫のはず」


 と、箱と岬の上の神殿を交互に見ながら、自分に言い聞かせるかのように口にした。

 そして、冒険者たちを見回して、


「皆さん、この箱の中身は、間もなく準備を終えます。

 今は、動かすことができません。

 準備が調うまで、どうかこの箱を守ってください」


 と言った。

 四人の冒険者たちは、うなずいた。


 最初に、海のほうに目をやったのは、誰だったか。

 いつの間にか、波打ち際を埋め尽くすように、半魚人が湧いていた。

 その後ろからも、さらに後ろからも、波の中から、続々と姿を現している。


 サハギンである。


 最後の闘いが、始まる。






 9


「サンクチュアリ!」


 ゴンドナの呪文が響き、箱と、その前で祈りを捧げる白姫が、半透明の防護壁に包まれる。


 深みのある、いい声だな。


 と、あらためてザーラは思った。

 続いて、ゴンドナは、


「ブレッシング!」


 と、魔法を発動させた。

 これを見て、ヒマトラの目が、怒りに燃え上がった。

 この、腐れ坊主がっ、といわんばかりの眼差しである。

 無理もない、とザーラは思った。

 ゴンドナが、この補助魔法を、自分自身に掛けたからである。


 ブレッシングは、確かに優れた支援魔法である。

 物理防御力を格段に上げる魔法なのである。

 だが、持続時間は、ごく短い。

 迷宮でのボス戦ででもあるならばともかく、長時間続く乱戦では、あまり意味がないといってよい。

 それでも、特攻する前衛や、物理防御の弱い魔法職に掛けるなら、まだ分かるが、前線には出ない僧侶が自分に掛けるなど、なんという臆病、身勝手か、と思われても致し方ないのである。

 そんな無駄なことに魔力を使うより、回復用に取っておけ、と思われて当然である。

 だが、そう巡らせかけた思いは、直ちに破られた。


「ブレッシング!

 ブレッシング!

 ブレッシング!」


 続けざまの、ブレス四連発である。

 ボランテが、ザーラが、ヒマトラが、この支援魔法のしるしである青い燐光に包まれる。

 三人とも、あぜんとした。

 準備詠唱の時間が、まったくない。

 と、いうことは。


 この人は、口で発動呪文を唱えながら、心の中で次の準備詠唱を行っているのだ。


 そう気が付いて、ザーラは寒気を覚えた。

 感動のあまり。

 そういうことができる魔法使いもいるとは、聞いたことがあった。

 だが、驚きは、そこで止まらなかった。


「リペリング・エビル!

 リペリング・エビル!

 リペリング・エビル!

 リペリング・エビル!」


 またも、ゴンドナ自身を最初に、四人全員に魔法が掛けられた。

 先ほどの青い燐光の外側で、かすかなオレンジの光が灯った。


「これは?」


 この魔法を知らないザーラが訊ねると、ゴンドナは、


「魔を退ける技じゃ。

 闇や魔属性の敵に対する物理攻撃に、強い付加が付く。

 また、魔属性の攻撃に対する防御力が上昇する。

 異常抵抗も上昇する。

 さあ、行こうかの」


 え?


 と三人が立ち尽くすのを尻目に、ゴンドナは、サハギンの群れに向かって、どすどすと走った。

 大きなメイスを、ぶうん、と振り回す。

 五体のサハギンが、吹き飛ばされ、空中ではじけて消えた。

 怒って、ゴンドナを取り囲む、サハギンたち。

 集まるを幸いと、ゴンドナが、縦横にメイスをふるう。

 そのたびに、何体ものサハギンが宙を舞い、砕け散って消える。


 サハギンというのは、Aクラスの剣士でも、一撃では倒せない相手のはずである。

 今、目の前で起きている、これは、何か?


 などと考えている場合ではない。

 自分たちも、モンスターに囲まれつつあるのである。

 馬たちまでは守れないので、尻を叩いて逃がしてから、三人も、戦闘に突入した。


 ザーラは、またも驚いていた。

 軽く刀を振っただけで、すぱすぱと、サハギンが切れるのである。

 それだけではない、急所を狙わなくても、サハギンには多大なダメージを与えているようで、たいていの場合は、そのまま消滅してしまうのである。

 技も力も要らない。

 ただ振るだけでよい。

 また、防御力の増大は絶大で、まともに攻撃を受けても、ほんのわずかなダメージしか通らない。

 乱戦には、何よりありがたい支援である。

 これほど多数の敵に囲まれながら、これほど心軽く闘えるとは、とザーラは感嘆した。


 それにしても、支援が切れない。

 ブレッシングと、もう一つのオレンジの支援を受けてから、もうずいぶんたつ。

 とうの昔に効果を失っているはずなのである。

 いくらなんでも長すぎる、と思っていると、再び、ゴンドナが、ブレッシングの呪文を四連発で唱え始めるのが聞こえた。

 さらに、もう一つの支援魔法も、続けざまに四回唱えられる。


 ザーラは理解した。

 ゴンドナが、最初に自分に支援を掛けたのは、このためだったのである。

 自分の支援が切れれば、メンバーへの支援も、続いて切れる。

 そのとき掛け直せばよい。

 つまり、全員に対し、切れ目なく支援を掛け続けるために、あのようにしたのである。

 おそらく、ゴンドナは、自分の支援魔法は、ほんの少し先に切れるように、掛けた。


 だが、そう気付いてみて、不思議な点がある。

 支援魔法というものは、対象がすぐそばにいなければ掛けられない。

 ブレッシングなど、文字通り息の掛かる距離でなければ発動しない、と聞いている。

 また、対象とのあいだにわずかな障害物があっても発動しないと。

 この乱戦の中、何十歩という距離があるのに、どうして支援を掛けることができるのか?

 よく分からないが、たぶん、パーティーを組んだことと関係がある。

 これが支援というものか、とザーラは思った。


 相変わらず、白姫は、箱に向かって祈っている。

 箱の中では、淡い光が、ごくゆっくり点滅している。

 それは、次第に強く、速くなってきた。


 敵の数は、減ったようにも思えないが、近づくものは、ちゃんと倒せている。

 いつしか、役割分担ができていた。

 ザーラは、前線で遊撃しつつ、敵を寄せ集める。

 ボランテは、鎖付き星球と、回転しながら敵を倒して手元に戻る複刃の投擲武器を使い、スローイングナイフと炸裂弾を織り交ぜながら、広範囲に敵を制圧する。

 ヒマトラは、敵の進軍を妨げるような遠距離射撃を行いつつ、時折、ザーラが集めた敵を大型魔法で片付ける。

 ゴンドナは、支援を維持しつつ、ヒマトラを守り、抜けてきた敵を粉砕する。


 防御力もずいぶん上がっているが、それでも傷は受ける。

 そろそろきついかと思うと、


「ヒール!」


 という呪文が響いて、傷が治る。

 どうも、ちょうど百パーセント近いところまで回復するタイミングを見て、回復呪文を掛けているようである。

 これも、とんでもなく遠い位置でも、呪文を成功させている。

 なるほど、これなら、わざわざパーティーを組んでHPをさらす価値は、じゅうぶんにある。

 依然、サハギンは湧き続けているが、戦線は安定している、と思えた。


 いける。


 と、ザーラは思った。

 だが、そのとき。

 すべての希望を打ち崩すものが現れた。

 波打ち際から、はるかかなた。

 海を割って、巨大な姿が立ち上がった。


 ダゴンである。


 海の妖魔たちの神、といわれるモンスターである。

 明るかった空は、いつしか鉛色の雲に覆われ、海の色も灰色にくすんでいる。

 その海と空のあいだをかき分けるように。

 ゆっくりと、悪魔の魚神は、陸地に向かって進み始めた。

 絶望に染まる三人の耳に、ゴンドナの力強い声が響いた。


「皆、ここに集まれ!」





 10


 防御半径を縮めて闘いを続けながら、ゴンドナの話に耳を傾けた。


「あれは悪魔神じゃ。

 あれによく効きそうな魔法を知っておる。

 倒せるとは思わんが、しばらく動けなくするぐらいはできるじゃろう。

 しかし、その準備詠唱には、とんでもなく長い時間がかかる。

 そのあいだ、ブレッシングもヒールもできん。

 わしは、まったく無防備になる。

 サンクチュアリも、途中で解けるじゃろう。

 守ってもらえるかの?」


 準備とやらが終わるまで箱を守りきる、というのがクエストの達成条件である。

 そのための時間を稼ぐために守ってくれ、と僧侶は訴えている。

 それに応えたい。

 だが。


 乱戦で、攻撃を受けない、ということは、いかなる達人でも望むべくもない。

 強力な防御魔法と回復魔法があったから、ここまで闘えたのである。

 そして、ここまでの闘いで、疲労は限界に近い。

 支援魔法なしで闘えというのは、手足を失い、命を失う闘いをしろ、というに等しい。


 いや、待て。

 私には、その手段があるではないか。


 と思い出したザーラは、腹に力を入れて声を出した。


「心得たっ。

 ボランテ殿!

 ヒマトラ殿!

 お願いがあります。

 アイテムを一つ出す時間を稼いでください」


 ザーラが何をしたいのか、むろん二人には分からない。

 だが、


「わかったわ!」


「任せとけ!」


 と答え、手数を増やして、サハギンたちを押し返す。

 長時間は続かない無理押しであるが、これで、ザーラに時間ができる。

 ザーラは、短く呪文を唱えて、ルームを出した。

 ザーラの、開いた手のひらの向こうに、青い光の扉が現れ、左右に分かれる。

 そして、素早く検索をかけ、一本の剣を取り出す。


 ボランテは、目の端で、これをとらえていた。

 ザーラの特殊インベントリが、ザックでなくルームであることは、分かっていた。

 だが、ルームの操作画面が見える位置にいたことはない。


 あのルームの大きさ、あの操作画面の広さ、複雑さ、ありゃあ。

 ありゃあ、王侯や大貴族家の当主が持つレベルのルームじゃねえか。

 あんなものを持っているということは、こいつは。


 と思ったときには、ザーラは、ルームを閉じて、走り出していた。

 その走る速度、剣を振る速さは、それまでのザーラとは、まるで別人である。

 瞬く間に、至近のサハギンを一掃すると、ザーラは言った。


「私が敵を退けますっ。

 ボランテ殿は、ヒマトラ殿とゴンドナ殿の援護を。

 ヒマトラ殿は、遠距離攻撃のみお願いいたすっ」


 今の動きを見る前なら、そんなことができるか、と答えたであろう二人は、ただ黙ってうなずくしかなかった。

 それほど、今のザーラの動きと破壊力は、異常だったのである。


 ザーラが取り出した剣は、ボーラの剣といい、


 攻撃力+200%

 クリティカル発生+20%

 移動速度+80%

 攻撃速度+80%

 HP吸収10%

 SP連続回復20%

 全ステータス+60%

 破損自動修復


 という効果を持っている。

 普通、ステータス上昇系の恩寵は、迷宮の外では無効である。

 迷宮の中で使えば、HPが増えたり、攻撃力が増えて、無敵の力を与えてくれるアイテムも、外では役に立たないのである。

 ところが、ボーラの剣は、すべての効果が、迷宮の外でも有効である。

 そのうえ、HP吸収は、迷宮の外はもちろん、中においても、その恩恵は圧倒的である。

 吸収率が一割もあるというのは、それだけでも神話級の恩寵といわねばならない。

 闘うべきモンスターのHPは、人間に比べてはるかに大きい。

 モンスターを倒すための冒険者の一撃も、相応の威力である。

 そうして削ったHPの一割を吸収できるなら、体の損傷を回復しつつ、永久に闘い続けられる。


 父より受け継いだこの剣は、あまりにすぐれた恩寵品であるため、ザーラは、使うべきでないと、封印してきた。

 これに慣れたら、まともな闘いはできないからである。

 人に過ぎた力であるから、反動も尋常ではない。


 その封印を、今こそザーラは解いた。

 これだけ速度付加があれば、敵などとまっているに等しい。

 これだけ攻撃力付加があれば、触れるだけですべては吹き飛ぶ。

 それでも、体のあちこちが傷つくが、それをただちに修復する効果まで持っているのである。


 自分たちは、今、神話の中の一つの場面を見ているのではないか、と戦士と女魔法使いは思った。

 少年の活躍で、近くの敵は、ことごとく粉砕され、自分たちは、呆然と少年の暴風のごとき立ち回りを見ている。

 はぐれて近づく、ごく少ない敵は、疲労の極にある二人でも、余裕をもって対処できた。


 そうしているあいだに、ゆっくり、ゆっくりと、しかし確実に、ダゴンは、陸地に近づいてくる。

 ゴンドナの準備詠唱は、まだ続いている。

 ダゴンの巨体は、近づくほどに全身を現し、ますます威圧感を高めていく。

 ほんとうに、あれに対抗する手段などあるのか、と思わせる破壊の力をまとい、瘴気を振りまきながら、その足が、ほとんど波打ち際に届こうとするとき。

 待ち望んだ発動呪文が響き渡る。


「コンヴィクション・ハンマー!!!」


 遙か高き空より、鉛色の雲を掻き裂いて、数条の光の帯が海に落ちる。

 天空に光の渦が生まれ、瞬く間に雲を巻き込んで広がると、その中央に、巨大神の持つべき光のハンマーが現れた。

 虹のかけらを振りまきながら、ハンマーは速度を次第に増し、まさにダゴンの頭上を目指して下りてくる。

 その全長は、ダゴンそのものより、なお大きい。

 たちまち、光のハンマーはダゴンをとらえ、極彩色の破片をまき散らし、神々の国のオルガンのごとき荘厳なハーモニーを響かせて、この悪魔神を打ち据えた。


 見たこともない光景に、冒険者たちは、動きをとめて見入っている。

 やがて、ダゴンは、ぶすぶすと煙を放ちながら、ぐらっと揺らめき。

 後ろ向きに倒れて、巨大な水しぶきを上げた。


 砂浜を埋め尽くしていたサハギンたちも、光のハンマーの余波を受け、吹き倒されたまま、動こうともしない。

 ダゴンを倒したためか、サハギンの湧出も止まったようである。


 勝ったのだ。


 ボランテとヒマトラが、もつれるようにくずおれる。

 肉体が、精神が、心が、限界だったのである。

 ザーラも、今にも倒れそうである。

 だが、倒れない。

 神器で力を引き出した揺り戻しのため、苦痛が強すぎ、気絶することもできないのである。


 極大魔法を放ち終えたゴンドナも、うつぶせに倒れたままである。

 あのようなすさまじい魔法を、この男は、どれほどの犠牲を払って行ったのであろうか。


 突然訪れた静寂。

 波の音しか聞こえない。

 天界より呼び寄せられた魔法により、黒雲も打ち払われたのか、空は澄み切っている。

 日は傾いて、空の色は、かすかに夕暮れの色に染まりつつある。

 その中で、


「生まれる!」


 という白姫の声が響いた。






 11


 ぴきぴき、と音が響き、箱を壊して、中から現れたものは、


 一匹の白い竜であった。


 竜。

 それは、古代の伝説にしか現れない神霊である。

 迷宮の中の、神性のかけらもない、ドラゴンという名のモンスターならともかく、地上で竜を見ることなど、現代ではあり得ない、と誰もが思っている。

 その竜が、今、目の前にいる。

 天と地の青と、夕暮れに近い太陽の赤を、その体に映しながら、神秘そのものである生き物が、あどけないまなざしを、まっすぐにザーラに向けている。


 その体長は、大人の人間ほど。

 ぷかり、と浮かび、


「きゅいーー。

 きゅきゅいーー」


 と鳴き声を上げている。

 頭部と腹部は、真珠のような輝きを放つ鱗で覆われている。

 背中は、より硬質な質感の鱗で覆われている。

 白く透き通る羽はまだ小さく、羽ばたきもしていない。

 羽ばたいていないのに飛んでいるということは、生まれながらに、そのような特殊スキルを発動できるのであろう。


 どさっ、という音がする。

 白姫が倒れている。

 ザーラが、よたよたと走り寄る。

 あり得ない力を使ったため、体は痛く、重い。

 鉛を背負って、泥沼の底を歩くようである。

 ほかの冒険者は、気を失ったままである。


「ありがとうございました。

 わたくしは、無事に使命を終えることができました。

 どうぞ、これを」


 そう言いながら、白姫は、仰向けに倒れたまま、四つの宝玉を差し出した。

 王の身代金に匹敵する宝玉。

 それが、約束された報酬である。

 前渡しとして受け取った宝石も、極めて高価なものであったが、この宝玉にいかほどの値が付くか、想像もつかない。

 この報酬が、ひと癖もふた癖もある冒険者たちに、命を懸けさせたのである。


「ザーラ様。

 お願いがございます」


「何でしょう、白姫様」


「この竜の御子(みこ)の、名付け親になっていただきたいのです」


「この世に、まだ竜というものがあることを、初めて知りました」


「多くの竜は、ずっと昔に、姿を消しました。

 おそらく、この御子が、地上で最後の竜でしょう」


「あなたは、お仕えしていたかたから、この竜の卵を託されたのですね」


「そうです。

 わがあるじカルダン様とそのご夫君の、最初で最後のお子であるこの御子を、カルダン様は私に託されたのです。

 私は、カルダン様にお仕えした水の精霊で、名をパクサリマナと申します」


「竜神カルダン様ですか。

 では、あなたは、ナーリリアをご存じですか」


「ナーリリア!

 かわいいナーリリア。

 なんと懐かしい名を聞くことでしょう。

 いったい、あなたは、どうしてその名をご存じなのですか」


 ザーラは、事のあらましを伝えた。


「ああ、では、ナーリリアは、愛しい人と出会い、幸せに暮らしているのですね。

 しかも、人に役立ち喜ばれて。

 なんてうれしい知らせでしょうか。

 こんなうれしい知らせを、カルダン様にお届けできるなんて。

 ザーラ様、ありがとうございます」


 白姫は、涙を流さなかった。

 すでにその体全体が涙であった。


「女神カルダン様の夫君も、やはり神竜なのですか」


「いえ。

 ご夫君は、人でした。

 人でしたが、希代の魔術師で、史上有数のダンジョン・メーカーであられたのです」


 ふと気が付けば、海の神殿が淡い光を発している。

 その光は、生まれたばかりの竜の子に降り注いでいるように見える。


「神殿が、光っている?」


 ザーラのつぶやきに、白姫が答えた。


「あの神殿は、今は海の神殿と申しますが、もとは竜の神殿といったのです。

 かつて、カルダン様が庇護を与えた国々は、今のゴルエンザ帝国の帝都付近にありました。

 その繁栄をうらやんだ国々に攻められ、カルダン様が安住の地を探してたどり着かれたのが、ここだったのです。

 やがて、カルダン様を奉ずる人々が集まるようになり、神殿が築かれました。

 人々の篤い信仰を長年にわたって受けたため、神殿には今も強い守護力が働いております。

 また、あの神殿には、カルダン様の父神であらせられる天空神様、母神であられる地母神ボーラ様の加護が込められております。

 けれども、やがて、この地も安全ではなくなりました。

 自分とともにあっては、わが子も滅びるゆえ、そなたに託す、とおっしゃって、私を残して、カルダン様はご夫君とともに北に去り、現在バルデモスト王国のある地で命を終えられました。

 カルダン様は、神々の中でも、人々を苦しめる妖魔たちを最も多く討伐なさったかたです。

 妖魔たちの恨みは深く、カルダン様の匂いのする卵は、彼らにとって仇敵そのものであったのです。

 ですから、私は、千年にわたり、気配を漏らさぬ魔法を掛け続けました。

 しかし、時満ちて誕生が近づくと、あふれ出す神気は隠しようもなくなり、妖魔たちが襲い掛かってきたのです。

 それを退(しりぞ)けるため、カルダン様は、当代の英雄たるべきかたがたを、お差し向けくださいました。

 あなたも、ほかのかたがたも、ご自身でお気付きではないとしても、カルダン様と(えにし)をお持ちのはずです」


 生命力を失いつつあるのであろう。

 白姫の体は、だんだん透き通り、声は小さくなっていく。

 竜の子は、つぶらな瞳で白姫を見守り、時々ザーラに物問いたげな眼差しを送ってくる。


「この地なら、竜の御子は、安全に成長なさることができます。

 いえ、今でも、ご誕生なさった御子の神気は、妖魔たちには滅びの光。

 また、ご誕生により、神殿に込められた天空神様と地母神様のご加護もよみがえりました。

 もう、大丈夫です。

 もう。

 今、すべての約束は、果たされました」


 消え入るように最後の言葉を言い終えると、白姫の体は水となって砂に吸い込まれて消えた。

 その水の一部が手に触れたとき、ザーラの苦痛は癒され、同時に耐え難い疲労感に襲われて、ザーラは気を失った。

 沈みかかる陽光に体を紅く染めた竜の子と、海から吹く風と波の音だけが残された。






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