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迷宮の王  作者: 支援BIS
第2部 ザーラ
20/44

第2話 岩の男



 


 1


 ザーラは、岩の小径(こみち)を早足で上っていた。

 手にはバトルハンマーが握られている。

 柄は細く、頭部も小振りである。


 ひゅっ。


 岩の影から、またも岩蛇が飛び掛かってくる。


 ぴゅんっ。


 と風切り音をさせてバトルハンマーがうなり、正確に蛇の頭を捉える。


 ぐしゃっ。


 と音をさせて、蛇がつぶれる。

 空中で蛇の頭をたたきつぶす威力も、重心が極端に先寄りであるためコントロールの難しい長柄ハンマーを使いこなす技量も、見る人が見れば感嘆するほどのレベルである。

 しかし、当人は、


 伯父御が見たら、お前それがハンマーの音かよ、と嘆くであろうな。


 などと思い、いささか忸怩(じくじ)たるものを感じながら、この武器を振り回している。

 餞別だと渡された重厚なバトルハンマーは、インベントリに入れてある。

 あんな重い物を振り回していたら、あっという間に体力が尽きてしまう。


 左右から岩蛇が飛びかかってくる。

 タイミングと立ち位置を調整し、一振りで二匹の頭をつぶした。

 飛び散る毒液を浴びないよう計算して。


 最初は、いつも通り片手剣を使っていたのである。

 しかし、いかに雑魚敵ではあっても、岩蛇は、硬い。

 見る見る剣が損耗していく。

 とにかく、ひっきりなしに襲ってくるのである。

 三本目の片手剣をインベントリにしまったあとは、このバトルハンマーで闘うようにした。


 これが、天剣殿であれば、うまく斬れば剣は痛まぬ、とおっしゃるのであろうか。


 そんな境地もあるのではないか、と思う。

 いずれそんな境地に立ちたい、と強く思う。


 いや、むしろ天剣殿なら、剣も抜かず、すべての蛇をかわして、さっさと走り抜けてしまわれるかもしれぬな。


 などと思っているうちに、前方に砂漠オークの集団が出現する。

 ザーラは、ハンマーを左手に持ち替え、右手で剣を抜くと、速度を一気に上げて、オークの群れに突入した。


 少なくとも、モンスターが多数出現する道である、というのは本当であったな、


 と考えながら。





 2


 大峡谷は、地の裂け目である。

 巨大神ボーホーが、おのれの力を示すために、高地とガーラ大山脈に手を掛け二つを割り裂いたためにできた、という伝説がある。

 また、別の伝説では、水の神チャクラポッカが、強欲な人間たちもろとも削り取ったのだともいう。


 大峡谷の外側は、かたやガーラ大山脈、かたや高地に続く山岳地帯であり、人の行き来には困難が大きい。

 いっぽう、大峡谷の中は、時折強風や大雨に見舞われるが、概して気候も温暖であり、行き来もしやすい。

 川も流れている。

 そのため、大峡谷の中には、いくつも人の集落があるし、東西を行き来する隊商などの通り道ともなっている。

 大峡谷の中には、草地や、森林もあるが、今、ザーラが走っているのは、切り立った崖と岩ばかりの道である。


 シャリエザーラと別れたあと、ザーラは、一人、東に向かった。

 三日野宿し、四日目に村があった。

 宿屋に入って食事をしていたところ、村人が五人、ザーラの所にやってきた。

 一人が村長だと自己紹介した。

 冒険者なら依頼を受けてほしいという。


 まずは話をお聞かせいただきたい、とザーラが答えると、村長がジャガという男に、


「ナーリリアさんに来てもらってくれ」


 と言った。

 うなずいたジャガが、しばらくして帰ってきたとき、後ろに女性がついてきた。


 豊かな黒髪は、幾筋もに分かれて波打ち、今水浴を終えたばかりであるかのように、ぬれた光彩を放っている。

 翡翠の瞳と、黒く太く鮮やかな眉毛。

 つんと突きだした形のよい鼻。

 みずみずしい真っ赤な唇。

 少し筋張ってくっきりとした輪郭の顎。


 田舎風の赤茶けたブラウスと、色あせた紺のスカートをはいていてさえ、その存在感は、圧倒的である。

 しかるべき衣装をまとえば、侯爵夫人である、といっても通るだろう。


「あら。

 冒険者さんて、ずいぶんかわいらしい人なのね」


 彼女の口からそう言われると褒められたような気持ちになるな、と少年は思った。


「薬師のナーリリアさんだ。

 では、ザーラさん。

 説明させてもらう」


 村長の話によると、ふた月ほど前から、この村の外れの谷に、岩で出来た巨人が住み着いたのだという。

 怪物は、時折、不気味な大声を出して、村人を怖がらせる。

 それだけならよいのだが、このふた月のあいだに、村人が三人、行方不明になった。

 近づいて見下ろしてみると、怪物のいる場所に、いなくなった村人の服や持ち物が落ちているという。

 落ちている服は、村人の物だけではなく、どうも何人もの旅人が犠牲になっていると思われる。

 あの気持ちの悪い声は、犠牲者を呼び寄せる呪いの声なのではないか、と推測される。


 怪物を退治しなければ犠牲は増えるばかりだと、村の人々は金を出し合った。

 何度か通りかかった冒険者に退治を依頼したが、実際に怪物を見ると、その金額では無理だと言われた。


 そこで、数年前、夫婦で村に移り住んできた、薬師のナーリリアに相談して、手持ちの毒をいくつか試してみたが、怪物には効き目がなかった。

 ナーリリアは、田舎に置いておくのはもったいないほどの知識と技術の持ち主である。

 何とか方法はないかと相談したところ、一つないこともない、という話になった。

 だが、それには、ある特殊な材料が必要なのだという。


「その材料というのは、ケツァルパの毒袋なの。

 この村から北に少し上った所に、洞窟があって、そこにケツァルパがいるというの」


「ああ、それは間違いない。

 昔から、あそこにはケツァルパというのがいる。

 村では知らない者はない。

 ナーリリアさんは知らなかったようだが」


 と村長が請け合う。


「鉱物系のモンスターには毒が効きにくいけれど、ケツァルパの毒なら、まず間違いなく効くわ。

 精製はちょっと難しいんだけど、ちゃんと処理すればストーンゴーレムでも殺せる毒が採れるのよ」


 その場所までは、歩いて往復しても一日かからないという。

 ほぼ一本道であり、地図は渡すが、まず迷う心配はないとのことである。

 ただ、途中やたらモンスターが多いため、冒険者でなければ採りに行けないのだという。


「でも、お若い冒険者様には、ちょっと荷が勝ちすぎるお願いかもね。

 無理はしないでね、ザーラさん」


「何を言うんだ、ナーリリアさん!

 あの岩男は、あんたの旦那の(かたき)じゃないかっ」


 そう口を挟んだジャガに、ナーリリアは、


「あら、うちの亭主は死んでないと思うわ。

 遺品だって発見されてないし。

 珍しい薬草でも見つけて、どっかでふらふらしてるのよ」


 にこやかに、そう言い放つナーリリアを、ほかの五人は何とも気の毒そうな目で見ている。


「ふむ。

 つまり、その洞窟にたどり着くまでが大変だと。

 たどり着ければ、あとはケツァルパの毒袋を採ってくればいい、ということですね」


 ザーラの言葉に、五人の男たちは、そうだとばかりにうなずく。

 一人、ナーリリアは、少し慌てたように、


「そ、そうだけど、ザーラさん。

 ケツァルパをご存じ?」


「ええ、冒険者ですからね」


 そのとき、どこか遠い所から、


 のあ〜〜〜うぃ〜〜〜ら〜〜〜〜


 という声が響いてきた。


「あ、こ、これが、その怪物の呪いの声です」


「そうですか」


 村長は、ひどく怖がっているが、その声は、ザーラの耳には、恐ろしいというより物悲しく聞こえた。






 3


 洞窟に着いた。

 確かに、分かりやすい道であった。

 ザーラは、インベントリを開いて、一本の短剣を取り出した。

 これを持っていなければ、今回の依頼を受けることはなかったかもしれない。


 ケツァルパ。


 モンスターレベル60の、巨大なムカデである。

 攻撃力自体はそれほど高くないが、暗い洞窟に複数で生息し、鋏と尻尾に即死級の猛毒を備えている。

 また、体から毒の霧を放出しているので、ケツァルパの住む洞窟は、それ自体が死の罠であるといってよい。

 S級指定のモンスターであり、討伐するとなればS級の冒険者でパーティーを組まなくてはならない。

 ケツァルパの毒袋は心臓の後ろにあり、殺さなくては採れないし、採れば死ぬ。


 ザーラは、片手剣を右手に、カイトシールドを左手に構えた。

 カイトシールドには、先ほどの短剣が差し込んである。

 片手剣はもう少し強力な物に替えるべきだろうかと、一瞬迷ったが、


 いや。

 恩寵付きの武器に頼らずに強敵と闘えるようになること。

 それこそが大きな目的ではないか。

 この短剣だけでも、私には過分だ。


 と思い直し、洞窟に入っていった。


 暗視のスキルを発動させ、二百歩ほど進んだときに、敵は現れた。

 天井から、ひらりと落ちてきたのである。

 ケツァルパは、くるりと身をひねって、頭部の巨大な鋏で攻撃してくる。

 ザーラは身をかわし、敵が着地するのを待って、がちんとかみ合わされた鋏の片方を、根元から断ち切る。


 左から別のケツァルパが飛び込んでくるのを、カイトシールドで受け、痛みにひるんだケツァルパの、もう一方の鋏も落とす。

 と、左側のケツァルパが、尻尾で攻撃してくる。

 頭の上から降ってくるような角度である。

 尻尾の切っ先をカイトシールドで受けながら、根元に近い部分に斬撃を入れるが、角度が悪かったのか、はじき飛ばすにとどまった。


 一匹目のケツァルパが、ぶわっと浮かび上がって、押しつぶすような形で攻撃してくる。

 その柔らかい腹を、縦に大きく切り裂いてから、ぱっと後ろに飛び退く。

 体液をまき散らしながら着地するケツァルパの左から、二匹目のケツァルパが、鋏で攻撃してくるが、一匹目のケツァルパと衝突して、体勢を崩す。

 そこを狙って、二匹目のケツァルパの鋏を一本落とす。


 このとき、探知スキルにより、三匹目が近づいていることを知る。


 そろそろ、頃合いか。


 とザーラは判断し、くるっと向きを変え、入り口のほうに走る。

 傷を受けた二匹は追ってくるが、三匹目は追ってこないようである。

 ぼんやりと入り口から光が入る辺りまで走ると、またもや反転し、追いすがってくる二匹に向かっていく。

 ケツァルパが高速で移動するときは、体躯はほとんど一直線に伸びる。

 この状態のケツァルパは、技術と速度さえあれば、非常に狙いやすい獲物といえる。


 毒袋は、一匹分でよかろう。


 と決めると、先行していたほうのケツァルパの上空に、ふわりと跳び上がって宙返りする。

 そして、ちょうど頭が真下を向いた状態のまま、縦一文字にケツァルパを切り裂いていった。

 ケツァルパは、自身の突貫力によって、左右二つに分かたれる。

 剣は腹まで突き抜けてはいなかったが、勢いによって全身が切れていった。

 当然、心臓も、毒袋も、真っ二つになった。

 遅れてやってきた、もう一匹のケツァルパが横を通り過ぎていき、最後にぐっと背中を曲げ、尻尾で攻撃をしてきた。

 空中で身をねじってかわしたが、かすかに左足の膝の下を削られた。


 着地して体勢を整える。

 だいぶ向こうまで走っていったケツァルパが、向きを変えて、またもや突進してくる。

 倒したばかりのケツァルパが、左右に分かたれたまま、毒液をまき散らして激しくうごめいているのが邪魔なので、後ろに飛んで距離を取る。

 今、向かってくるのは、両方とも鋏を落としたほうのケツァルパである。

 もだえている仲間の死骸をはね飛ばしながら突進してくる。

 ザーラは、すっと身をかわし、胴体の中程の、甲殻のつなぎ目で、怪物を前後に切り分けた。


 そのあとは、単なる作業であった。

 ばたばたと跳ね回る尻尾部分を、何か所か輪切りにし、ほとんど動きがなくなるまで待って毒袋を切り取り、あらかじめ預かっていた容器をインベントリから出して収納する。


 無傷といかなかったのは、痛恨であった。


 とザーラは反省した。





 4


 戸をたたく。


「は〜い。

 どなた〜?」


 と中から声がして、扉が開く。

 ザーラの姿を見たナーリリアは、驚いた表情を浮かべ、声も出ない様子である。


「う、う、う、うそ。

 か、帰ってきたの?」


「はい。

 無事に、ケツァルパの毒袋を採ってきました。

 確かめてください」


「うそっ。

 あ、いえ。

 と、とにかく、中に入って」


 中にザーラを招き入れ、毒袋を確認すると、ナーリリアは、お昼ご飯は食べたのかと訊いてきた。

 まだです、とザーラが答えると、ではすぐに用意するので食べていってほしい、と言う。

 食事は、たっぷりの肉を使った豪華な物で、とても即席で準備したとは思えなかった。

 この時代、貴族であれ、平民であれ、よそで食事をするときには、自分のナイフを使うものであるが、ザーラも、自分の短剣で肉を切って食べた。

 味のよさに感心したので、思わず、こう言った。


「本当においしいです。

 毒を入れてこの味が出せるとは、あなたは侯爵家の料理人も務まるかたですね」


 その言葉を聞いたナーリリアは、仮面を脱ぎ捨てた。

 陽気さや親しさは消え去り、その美貌は、冷たく尊大な光を放つ。


「いつ、気が付いたの?」


「あなたにお会いしたときです。

 私は、十四歳の年から二年間、ほとんど毎日、迷宮に潜っていました。

 モンスターの気配には、敏感なのです」


「なぜ、死なないの?」


「迷宮で使える毒消しのポーションなどは、外ではまったく効果がありません。

 また、毒抵抗の恩寵を持つアイテムも、外では役に立たないのが普通です。

 しかし、例外のアイテムもあるのです」


「そうなの。

 ケツァルパの毒袋を採ってこれたということは、あなたのレベルは高いのね?」


「六十八です」


「ろくじゅーはちーーっ?

 なんでそんな超一流の冒険者が、こんなとこにいるのよっ」


 なぜか急に、村女に戻ったような表情と言い回しである。

 案外、こちらが本性なのかもしれない。


「そっかー。

 六十八かあ」


 しばし目を閉じて、何かを想うナーリリア。

 かっと見開いた目の虹彩は、縦に裂けていた。


「なら、死ね!」


 ナーリリアの全身が、服を破り裂いて、激しく変化する。

 瞬く間に人の背丈の倍ほどに伸び上がった、その下半身は、太い蛇そのものである。

 手も足も消え、全身は鱗で覆われている。

 ただ、顔と髪だけが、美しい女性そのままである。


 ラミアか!


 美女の顔を持ち、邪法で人を惑わし破滅させる、地獄の毒蛇。

 魔の眷属であり、神々の恩恵を受ける人間を憎む女怪。

 そうと知った瞬間、ザーラは短剣を放っていた。

 変身が完了したときには、短剣はラミアの心臓を貫いていた。


「いたたたたっ。

 何、これ?

 これ、何?」


 今度は、ザーラが驚く番だった。


 なぜ?

 なぜ、魔性そのものであるラミアが、聖属性であるカルダンの短剣を受けて、消滅しないのか?


「あ、でも、なんか、懐かしい感じ。

 なんか、これ、安らぐわあ」


 と、心臓に刺さった短剣を、そっと両手で包んでつぶやくラミア。

 ザーラは、事態がまったく理解できない。


 そのとき、戸をたたく音がした。






 5


「ナーリリアさん、いるんだろう?

 開けてくれ。

 俺だ。

 ジャガだよ」


 人が近づいているのは、察知していた。

 この怪物の正体を見せるのもよいと、判断していたのである。

 だが、今は、まずい。

 事態が整理できるまでは、この女怪の正体が知られないほうがよい。


 ザーラは、ラミアに、自分のことは黙っているよう手振りで伝えると、素早く短剣を回収して、音もなく奥の寝室に隠れた。


「えっ?

 えっ?

 えっ?

 ど、ど、ど。

 えっ?」


 独り取り残されたラミアは、正体を現してしまっている自分の体と、床に落ちた服の残骸、テーブルの上の料理、扉などを、順番に見回している。


「ナーリリアさん、どうかしたのか?

 何やら、大きな声が、さっき聞こえたが、

 妙なことでもあったのか?」


「あ、ジャガさん、こ、こんにちは。

 あの、あのね。

 今、食事してたんだけど、服を脱いでるの。

 入ってこないで」


「食事してたのに、なんで服を脱いでるんだ?」


「つ、つまりね。

 食事してたの。

 そしたら、髪、そう、髪に料理の汁が付いちゃって。

 で、髪を洗い始めたの。

 そ、そしたらね。

 服と体にも汚れが付いてたの。

 それで、全身を拭いたの。

 い、今、裸だから、入ってこないで。

 ちょ、ちょっとだけ待って!」


「そうだったのか。

 そりゃ、大変だったね。

 分かった。

 いくらでも待つよ」


 ナーリリアは、人の姿に戻り、髪に水を掛け、破れた服を片付け、扉を開けようとして、裸なのに気付き、寝室に入って、服を着てから、ジャガを迎え入れた。

 寝室にいたザーラと目が合ったとき、思いっきり顔をしかめて、ザーラを威嚇するのを忘れずに。


「作りすぎちゃったの。

 ジャガさん、よかったら、一緒に食べて」


「な、なんだって。

 もちろん、いいとも。

 やあ、うれしいなあ、ナーリリアさん」


 手料理を勧められてすっかり舞い上がっているジャガ。

 ごまかすにはもう一押し、と思ったナーリリアは、酒を勧めた。

 形だけ断ったジャガだが、すぐに酒に手を伸ばし、わずかな時間で、すっかり出来上がってしまった。

 そして、ナーリリアを口説きはじめた。


「ナーリリア。

 なあ、俺の気持ちは分かってるんだろう。

 もう、あんたの亭主は死んじまったんだ。

 俺と一緒にならないか」


「いえ、うちの亭主は、きっと帰って来るわ。

 あたしには、分かってるの」


「そこまで操立てるような相手じゃないだろう。

 いや、あいつ、ほかに好きな女ができて、あんたを捨てていったのかもしれないぜ」


「いえ、うちの亭主は、今でも毎日、私のことを想ってるわ。

 あたしには、分かってるの」


「あんたのような女に、こんな小汚い生活しかさせられない甲斐性なしじゃないか。

 俺なら、うんと奇麗な服を着せてやれるぜ」


「あら、最近、羽振りがよくなったの?」


「ほら、これ見ろよ。

 これも、これも。

 みんな、あんたにやるぜ」


「あ、奇麗ね。

 あれ?

 これ、行方不明になったミーナさんが着けてた指輪じゃ……」


「あ?

 え?

 ああ、まあ、よく似てるかもな」


「こっちは、ザンドさんの娘さんに、あたしがあげたブレスレット。

 あんたがっ、あんたがみんなを殺したのね!」


「あ、く、くそ。

 静かにしやがれ。

 お前も殺すぞっ」


「そこまでです」


 なぜか寝室のほうから突然現れたザーラに、ジャガは顔面蒼白となる。


「お、おめえ。

 洞窟に行ったんじゃ。

 くそっ。

 はめやがったな」


 逃げようとするジャガを、取り押さえるザーラ。

 ジャガの雑言は続く。


「く、くそう。

 最初から俺を疑ってやがったな。

 それで、冒険者を隠して、俺を色仕掛けで引きずり込んで、おためごかしで指輪とブレスレットをだまし取りやがった。

 そ、そうか。

 村長も抱き込んでたんだな。

 き、きたねえ。

 おめえは、なんて恐ろしい女だ。

 魔物だ。

 悪魔だ。

 これからは、ラミアって名乗りやがれっ」


「そ、それは、どうも、

 あ、ありがとう?」





 6


 村長の所に引っ張っていっても、ジャガは、おのれの所業を暴露し続けたので、そこからは早かった。

 ジャガの家を調べたところ、山ほどの証拠も出てきた。

 とすると、岩男は、村の金をさらえてまで倒す相手ではなくなるので、依頼は取り消しになった。

 むろん、すでに毒袋は採ってきている、とは言わずに済ませた。


 依頼料がもらえないのは気の毒なので、せめてこの毒袋を持っていけ、とナーリリアが言うのに対して、ザーラは、自分の一番欲しい報酬は情報である、と答えた。


「何から話したらいいかな。

 あ、その前に、あの短剣、貸して」


 ザーラが渡した短剣を、ナーリリアは、両手で胸に抱きしめた。


「やっぱり、そうだ。

 これ、カルダン様の匂いがする」


 幸せそうな顔で、ナーリリアが言う。


「それは、カルダンの短剣という恩寵品で、解毒や異常状態の全解除などの効果があります。あなたは、邪竜カルダンを知っているのですか?」


「邪竜なんかじゃない!

 カルダン様は、ほんとに、ほんとに、優しい女神様だったんだ」


 驚いたことに、ナーリリアは、二千歳を超える年齢であり、人として生きていたころは、女神カルダンに仕える侍女の一人であったという。

 しかし、カルダンの美貌と人気に嫉妬した女神オルゴリアが、周りの国をけしかけて、カルダンを悪者に仕立て上げたうえ、みんなでよってたかって、カルダンが恩恵を与えていた国々を滅ぼしたのだという。

 侍女の中で最後までカルダンに付き従おうとしたナーリリアは、直接オルゴリアの手によりラミアにされてしまった。

 カルダンはこれを解呪できず、泣いてナーリリアに謝り、少しでも幸せを見つけて生きるよう言い残して、恋人と使い魔の精霊と共に世界の果てに消えたのだという。


 女神オルゴリアといえば知恵と契約の神であり、バルデモストなど北部では、六大神の一柱として篤く信仰されている。

 北部の常識からすれば、ナーリリアの言い分は荒唐無稽というほかない。


 しかし、ザーラには、ナーリリアの言い分にも聞くべき点があるのではないか、と思える。

 なぜなら、バルデモストで広く信じられている伝説の裏側を、わずかながら知っているからである。


 旅立つ前に、ザーラはユリウスの所にあいさつに行った。

 今は両家は同格の直閲貴族であり、ともに領地持ちの侯爵家であるとはいえ、現在ゴラン家があるのはメルクリウス家あってこそ、といって間違いない。

 パンゼルを臣下として引き立ててくれたユリウスのおかげで、今のすべてはあるのである。


 それだけではない。

 母の深慮により幼くして家を出た自分を受け入れ、ここまで育て上げてくれたのは、メルクリウスである。

 わが忠誠は、永遠に王家とメルクリウスのもとにある、とザーラはいつも思っている。


 ユリウスは、途方もないプレゼントを用意していた。

 メルクリウス家が誇る五つの恩寵品である。


 アレストラの腕輪

 カルダンの短剣

 ライカの指輪

 エンデの盾

 ボルトンの護符


 ユリウスは、所有印はメルクリウス家のままであるが、ザーラにもこの五つのアイテムが使えるよう、使用印を加えてくれるといい、刻印術師を待機させていた。

 そして、そのとき、人払いをして、これは当家の秘伝である、と前置きして教えてくれたのは、


 広く一般には、アレストラの腕輪は、女神ファラから始祖王に下賜され、始祖王からメルクリウス家初代に下賜された、と伝えられているが、当家の秘伝では、アレストラの腕輪を初めとする五点すべて、初代が倒した竜神カルダンから、初代の武勇と汚れなき忠誠をたたえて贈られたもの、となっている。また、この五点すべて、当家の当主か、当主が心から認めた者しか効果を発動できない。


 ということであった。


 バルデモスト王国は、女神ファラの加護のもと、人民を苦しめた邪竜カルダンを倒した始祖王と英雄たちが打ち立てた国である。

 この秘伝は、国の成り立ちそのものに疑義を投げ掛ける怪しげな伝説といえる。

 別の言い方をするなら、この秘伝が外に漏れれば、メルクリウス家は消滅させられる。

 それほどの秘事を、こともなげに明かしてくれたユリウスの信頼に、ザーラは胸が震える思いがした。


「のう、アルス殿。

 いや、ザーラ殿と呼ぶべきか。

 私も、亡き父に憧れた。

 わが家臣でもあったが、わが国が世界に誇る英雄であったパンゼル殿にも憧れた。

 自分の力で、かの怪物にとどめをさしたいと思った。

 じゃが、私の闘いの場は、迷宮ではなかった。

 今、私は、自分の最大の闘いに向けて、牙を研いでおるのじゃ。

 ザーラ殿。

 かの怪物を打ち倒す日まで、五つの恩寵品は貴殿に貸し与える。

 旅にも持っていくがよい。

 使い方を習得せよ。

 しかして、強大な恩寵の力に頼らぬおのれを築き上げるがよい」





 7


 追想に区切りを付けたザーラは、ナーリリアの夫について訊いた。


 夫とは、西の辺境で知り合ったという。

 ナーリリアが十年ほど身を寄せた家族が、盗賊に殺されてしまった。

 一人残った少年を連れて旅するうち、年を取らないナーリリアとの関係が、母と息子では不自然になったので、ここ何年かは夫婦ということにしている。

 昔カルダンから教えられた薬師としての知識を生かして人々を助けながら、ひっそりと暮らしていたのだという。


「あなたの夫殿は、まだ生きているのですか」


「生きてるってば。

 毎日、声を聞いてるでしょ」


「あの岩男が、夫殿ですか」


「そうなの。

 呪いを……受けちゃって」


「なぜ夫殿を呪ったのですか」


「呪うわけないでしょ!

 ただ、あの人が、どうしても、どうしても」


「どうしても?」


「どうしても、どうしても、ほんとの夫婦になりたいって言うから。

 あたし、ラミアだから、床を共にすると、呪いがうつっちゃうって言ったのに…………ううっ」


「……涙は止まりましたか?」


「泣いてないわ。

 あたしを愛してしまった男は、蛇の鱗で全身が覆われて、毒と呪いで苦しむの」


「蛇の鱗?

 そのような姿とは聞いていませんが」


「少しでも早く呪いが解けるように、解呪と解毒と体力回復の効果がある土で、全身を覆ってあげたの。

 それに、普通の人間の大きさじゃ、毒に耐えられないでしょ。

 だから、おおっきくして。

 土が落ちないように、硬質化の呪文を掛けて。

 あの谷なら、川も流れてるし、木の実も、食べられる野草もあるし。

 静かにしてなさいって言っておいたのに」


 なんと、岩男の正体とは、治療中のただの人間だったのである。

 あと二、三週間で、元に戻るのだということであった。





 8


 ザーラは、旅館にもう一泊して、翌朝早く、旅立った。

 不思議なことに、レベルが七十一に上がっていた。

 律義にもナーリリアは見送りに来て、自作だという各種の薬を大量にくれた。

 中には妙に怪しげな効能の薬もあったが。


 礼を述べて、いよいよ立ち去ろうとしたとき、また、あの声が聞こえた。


 のあ〜〜〜うぃ〜〜〜ら〜〜〜〜


 ザーラは、振り返って訊いた。


「あれは、夫殿の声なのですね?」


「そ、そうよ」


「何を叫んでいるのでしょう」


「何度も聞いたんだから、分かるでしょ!」


「すいませんが、分かりません」


 ナーリリアは、横を向いて、小さな声で言った。


「あたしの名を呼んでるの。

 ナーリリア、って言ってるのよ」






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