挿話1
ミノタウロスは、じりじりと焼け付くようないら立たしさを感じていた。
原因は、はっきりしている。
あの人間は、
俺の首をへし折り俺に打ち勝った、あの人間は、どうしたのか。
あの人間があれ以来戻って来ない、ということが、いら立たしさの一つ目の理由である。
ミノタウロスからすれば、あれは、すぐにも戻って来るはずの人間なのである。
やつにふさわしい敵は、俺しかいない。
俺にふさわしい敵は、やつしかいない。
だから、やつは、ここに来るしかない。
なのに、なぜ、戻って来ない。
この待ち遠しさが、いら立ちの一つ目の原因である。
だが、いら立ちの原因は、それだけではない。
あの人間の闘いぶりを思い出してみる。
いや、思い出すまでもない。
あの闘い以来、いつもいつも、ほかの人間たちと闘っている最中でさえ、あの人間の闘いぶりは、この怪物の脳裏に繰り返し繰り返し映し出される。
反芻されるその闘いの中で、あの人間は、いつもミノタウロスを打ち負かす。
剣の技において。
筋肉の力において。
素手の武技において。
先を読んで戦術を組み立て、相手をそこに誘導していく技術において。
闘いへの幅広い知識と視野において。
あの人間は、ミノタウロスを打ち負かし続ける。
このまま、もう一度やつと闘っても、俺は勝てない。
その思いがよぎるたびに、頭を乱暴に振り、周囲の岩や壁を殴り飛ばして、否定する。
だが、自らの敗北の予感は、ミノタウロスの闘いへの嗅覚が鋭ければ鋭いほど、逃れられぬ運命として目の前に立ちはだかる。
これが、いら立ちの二つ目の原因である。
だから、いら立ちの一方で、ミノタウロスは激しく求めている。
あの人間に勝つため、新たな闘いを積み上げることを。
だが、同時に、ミノタウロスは知っている。
ここには、もう、自分を苦しめることのできる敵はいない、ということを。
あの人間が去ってから、急にたくさんの人間が来るようになった。
だが、人数は多くても、闘いの楽しめる相手はいなかった。
ミノタウロスを、さらなる高みに押し上げてくれる敵はいなかった。
今は、また、来る人間の数も減った。
たまに来るやつらも、ろくなものではない。
だめだ。
だめだ。
ここでは、だめだ。
やつと闘うために、
よい闘いをするために、
やつをちゃんと殺すために、
ここではないどこかで、
俺は新たな闘いを積み上げねばならぬ。
だが、どうすれば、それができるのか、この怪物には見当もつかなかった。