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迷宮の王  作者: 支援BIS
第1部 ミノタウロス
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最終話 約束の日


 人間が、近づいて来る。


 間違いなく、この部屋に向かっている。

 ずいぶん久しぶりだ。

 だが、待った甲斐があった。

 これは、とても強い人間だ。


 そうミノタウロスは思い、愛剣を手に、立ち上がった。

 メタルドラゴンを五十回目に倒したとき、ドロップした剣である。

 黒く、肉厚で、極めて長大な剣で、先端部に向けてやや幅広となっている。

 片刃であるが、切っ先のほうでは両刃となっている。

 手に入れた武器の中で五指に入る恩寵を備えているが、何より、その長さと重さと、両手に余る握りが気に入っている。

 一見無骨でありながら、刀身の隅々までが使い手の意志をくみ取ってくれる。

 無心にふるうとき、この剣はミノタウロスと一体となってくれた。

 刃には鋭さが欠けているが、しかるべき技をもってふるえば、恐るべき切れ味を見せる。

 この剣を手に、何度も何度もメタルドラゴンを倒し、剣技の工夫を重ねた。


 部屋に入って来た人間は、たった二人であった。


 「異形の戦士よ、お久しぶりです。

 といっても、ご記憶にはないかもしれませんね。

 十七年前、この迷宮の一階層で、私はあなたとお会いしました。

 あなたは私に、腕輪をくださいました。

 その腕輪のおかげで、私はお仕えすべき御方に巡り会うことができました。

 母の病気を治すことができ、幸せな最期を迎えてもらうことができました。

 お礼を言います。

 ありがとう」


 ミノタウロスには、人語を解することはできない。

 だが、この儀式のようなものが終わったら、こいつは、最高の闘気を放ってくる。

 そう知っていたミノタウロスは、騎士の言葉が終わるのを、静かに待った。


 「このたび、王命により、あなたを討伐いたします。

 あのときお借りしたものを、今日、私の武をもってお返ししたいと思います。

 お受け取りください。

 後ろの人は、見届け人です。

 闘いには、参加しません」


 黒い目と黒い髪を持つ騎士は、白銀に輝く剣を抜いて一歩を踏み出し、後ろの男は、入り口近くにとどまった。

 ミノタウロスは、自分の相手は、目の前の男だけであると理解した。


 そして、闘いが始まった。






 互いに剣を手にして相対したとき、ミノタウロスは、目の前の若者が、いよいよ格別の強者であると知った。

 間違いなく、これまでに闘った、最高の剣士である。


 ともに近寄って、お互いの間合いに入る瞬間、ミノタウロスは、様子見の攻撃を仕掛けるつもりだった。

 その先を押さえて、騎士が、すっと攻撃を放ってくる。


 うまいな。


 と、こちらの呼吸を盗んだ間の取り方に感心した。

 騎士は、長く美しい白剣を両手で持ち、右下から左上に切り上げる斬撃を繰り出してきた。

 ミノタウロスの側からいえば、左下から胴を払う太刀筋である。

 ミノタウロスは、両手で構えた剣を、右下からかちあげて、騎士の攻撃を、はじこうとした。


 だが、おのれの黒剣と騎士の白剣が触れ合う寸前。

 ミノタウロスの背中を悪寒が走り抜けた。


 尋常の気迫では、この剣は受けられない。


 そう直感したミノタウロスは、剣と両腕に気を込めた。

 何気なく騎士が放ったかにみえた、風さえまとわぬその一太刀は、考えられないほどの重さをもって、ミノタウロスの剛剣を噛んだ。

 だが、その重さは一瞬で消える。

 騎士は、ミノタウロスの防御の反動を利用して、そのまま剣を跳ね上げ、ゆるやかな曲線を描いて、ミノタウロスの首を刈りにきたのである。

 まるで初めから予定されていたかのような、自然で無駄のない剣の動きである。


 なんたる手練れか!


 このとき、ミノタウロスは、おのれの腰から熱い奔流が吹き出し、背骨を通り抜けて、頭の中ではじけ回るような感覚を覚えた。


 こいつだ。

 こいつだ。

 こいつと闘うために、俺は生きてきたんだ。

 こいつを殺すために、俺は強くなったんだ。


 左首筋に飛び込みかけた騎士の剣を、黒剣で、強引に下からたたき上げた。


 騎士がミノタウロスの首を狙える位置に踏み込んだということは、ミノタウロスが騎士の全身を間合いにとらえている、ということでもある。

 ミノタウロスは、手首を返して、左下から突き込み、すりあげるように、騎士の右脇に攻撃を入れようとした。

 騎士は深く踏み込みすぎており、ここは、傷を浅くする方向に飛びすさるしかない。


 ところが、騎士は、まったく逃げようとせず、先ほどはじかれた勢いすら、おのれの剣速の足しとして、空中で剣をくるりと回し、ミノタウロスの右首筋を刈りにきた。


 ミノタウロスは、左手を剣の握りから放し、右手の肘を曲げると、剣のつかで騎士の刀身をはじいた。

 軌道の変わった剣を、首をひねってかわす。

 騎士の斬撃は、右角を半ばから斬り飛ばすにとどまった。


 ミノタウロスは、驚いた。


 こいつ、今、自分の身を守ることなど何も考えず、平気でこちらの首を取りにきた。

 なんというやつだ。

 なんという戦闘狂だ。


 騎士の剣が一瞬泳いだため、ミノタウロスが攻める余地が生まれた。

 つかで相手の剣を弾いた反動を用い、下から上にと剣を走らせる。

 その勢いを殺さず、すっと左手を添え戻し、剣尖に時計回りの円を描かせた。

 美しい真円である。


 ミノタウロスは、細剣使いとの死闘以来、剣が描く美しい円を、何度も何度も思い出した。

 あのような円を、俺も剣に描かせてみたい。

 そう思い、修練を積んだ。


 平面の円。

 立体の円。

 水平の円。

 垂直の円。

 剣先で描く円。

 刀身全体で描く円。

 巻き込む円。

 はじき飛ばす円。


 そして、つかみ取っていった。

 円の美しさ。強さ。揺るぎなさを。


 今、放つのは、修行によって紡ぎ上げた、最強の攻撃である。

 騎士の頭上をよぎった円は、間もなく騎士の腹に吸い込まれる。

 たとえこの騎士が、万全の構えで応じたとしても、受け止めもそらしもできないほどの威力である。

 まして、腕も伸びきり、剣の勢いも失っているこの体勢で、防御は不可能である。

 逃げたとしても、腹か腰か、少なくとも足は刈り取れる。


 闘いの終わりを半ば確信しながら、ミノタウロスが見たものは、剣を引き戻しつつ、半歩後ろに下がろうとする騎士の動きであった。

 騎士は、確然たる軌道をもって迫る、死そのものである黒剣を、はじきも、受け止めもせず、


 同じ円を描いた。


 それぞれの舞いを舞っていた二ひらの刀身は、ごく自然に、まるで出会いを約束された運命の恋人のようにぴたりと寄り添い、合わさったまま虚空に円弧を描いた。

 ミノタウロスは、おのれの剣の軌道を維持しようとしたが、余分な速度を与えられた切っ先は、描くべき軌道を飛び出して空を切った。

 騎士の剣先は、本来黒剣が取るべき軌道をなぞると、そのまま使い手の元に引き戻された。


 両者は、同時に身を引き、気息を調える。


 わずか二呼吸のあいだの、この攻防は、その一合一合が、ミノタウロスに、しびれるほどの快感を与えた。

 一撃一撃、その興奮は高まり、心臓が止まるかと思うほどの恍惚感が体を満たした。

 

 同時に、ミノタウロスは、今のやりとりの中で相手の弱点を知った。

 それは、剣である。

 騎士の白剣は、それなりの業物ではあるが、この黒剣に秘められた力を解放すれば、あの剣は折れ、あるいは砕けるだろう。

 単なる技術では、この人間は倒せない。

 一撃に自分のすべてを込め、最大の破壊力をもって打ち掛かることを、ミノタウロスは心に決めた。

 

 そして、攻撃力倍加、筋力強化、ダメージ軽減防止、クリティカル発生率倍加のスキルを発動させた。

 ミノタウロスがスキルを発動させているあいだに、騎士のほうでも何かスキルを発動させていた。


 いい勘をしている。

 やつも、ありったけの攻撃力を、剣に込めているのだろう。

 だが、剣と剣を打ち合わせたとき、白剣は折れ、お前は死ぬ。


 ミノタウロスは、大きく息を吸い込みつつ、頭上に高々と黒剣を構え、最後の一絞りまで気を込め尽くすと、大上段から、渾身の一撃を打ち込んだ。

 騎士も、真っ向から、これに応じる。

 黒と白と、二つの剣が、初めて正面から激突した。

 

 瞬間。


 すさまじい音を立てて、火花を放ち、二本の剣は砕け散った。

 白剣は、薄く青みがかった銀のかけらとなり、黒剣は、赤紫のかけらとなって、ほの暗い洞窟の中で、煌めきながら、花火のように降りそそいだ。


 うつくしい。


 と異形の怪物は思った。

 それは、地の底に生まれ地の底に死ぬこのけだものが、生涯にただ一度見た満天の星であったといってよい。


 武器破壊。


 もちろん、このスキルは知っている。

 ミノタウロス自身も使うことができる。

 しかし、この黒剣を打ち砕くほどに練り込むとは。

 それ以外の応じ方をしていたら、騎士は致命的なダメージを受けていたはずなのである。


 さて、ここは、両者いったん引いて、特殊インベントリから新しい剣を出す場面であるが、騎士は、予想できない行動にでた。


 なんと、素手のまま、両手を大きく広げて、つかみかかってきたのである。

 ほんの少しとまどいながら、ミノタウロスも、これに合わせた。


 右手は左手と、左手は右手と、組み合わされ、指は相手の指を固く締め付ける。

 騎士も、人としては大柄であるが、ミノタウロスは、頭一つ分以上高い。

 上から押しつぶすようにのしかかろうとした。


 が、つぶれない。

 騎士の腕力は、ミノタウロスの膂力と拮抗し、少しも押されるところがない。

 驚くべきことである。


 騎士は、小手を着けた指で、こちらの指を巧妙に締め付け、さらに、こちらの筋肉がじゅうぶんな力を出せない方向に、力の向きを誘導している。

 つまり、これは、見た目どおりの単なる力比べではない。

 技による攻めなのである。

 そうと分かっても、人間ふぜいに力比べを挑まれているという事実に、暴力の化身である魔獣は、怒らずにはいられない。


 ふざけるな。

 小手先の技で、俺の力を受けられるつもりか。


 ミノタウロスは、小さく息を吸い、一気に力を込めて、のしかかった

 しかし、これこそ、騎士の待ち望んだ瞬間であった。

 そのタイミングに合わせて、騎士は体をひねり、腰に乗せて、ミノタウロスの巨体を投げ飛ばしたのである。

 ミノタウロスには、まるで、自分の力で自分が飛び出していくように感じられた。


 騎士は、地面にたたきつけられたミノタウロスの右手首を右手でつかみ、ぐるっと背中側に回すと、右膝で背中を押さえつつ、左腕を、ミノタウロスの首に巻き付けた。

 そのまま、ぐいぐいと首をひねりあげる。


 まずい。

 このままでは、殺される。


 ミノタウロスは、地面に押さえつけられたまま、ばたばたと足を動かそうとしたが、うまく動かない。

 後ろ手にからみ取られた右手が、どうにも全身の動きを妨げる。

 左手で騎士の左手をつかみ、首から引き離そうとするが、できない。

 騎士は、人間とは思えない金剛力を発揮していた。

 その腕は、青銅のように硬く、ミノタウロスの強い指が食い込むことを許さなかった。


 しまった。

 これも何かの技だったか。

 俺が、剣に込めるスキルだけをいくつも準備していた、あの時間に、あの一息を吸い込むだけの時間に、こいつは、次々につなげて使うスキルを準備していたのか。


 ミノタウロスは、何とか堪えようとするが、騎士の筋肉は異様にふくれ上がり、怪物の抵抗を押しつぶす。

 やがて、ばきっと鈍い音が響いた。


 やられた。

 首の骨を、折られた。


 ミノタウロスの全身から、力が失われた。

 まだかろうじて生きているし、少し時間を得られれば、再生スキルにより、負傷を修復することができよう。

 だが、この騎士が、その時間を与えることはない。

 すぐに、首が切り落とされるだろう。


 闘いは、すべて終わった。

 悔いは、ない。


 この人間は、身体の力と、剣の技と、素手の戦技のすべてにおいて、武人としての極みを見せてくれた。

 こんな闘いを味わえる日が来るとは。


 言葉を知らぬミノタウロスには、自らに加護を与えた神の名も、その約束の文言の意味も分からない。

 だが、あのとき、二度目の命をくれた、あの存在は、自分の願いを、まさに今かなえてくれたのだと、その全身で理解していた。

 感極まったミノタウロスは、低く長いうなり声を洩らした。

 それは、ミノタウロスが、命の終わりに、大地神ボーラに捧げた感謝の祈りというべきかもしれない。






 魔獣の首の骨の折れる音が聞こえたとき、騎士は、賭に勝ったことを知った。

 

 討伐の命を受けてから、準備をしてきた。

 冒険者ギルド長に協力を要請し、このミノタウロスの来歴や技能について、徹底的に調査し、研究した。

 また、ミノタウロス一般について、体の構造や特性を研究した。

 その結果、選び取った戦法が、格闘技だった。


 ミノタウロスの骨格、筋肉、関節などは、驚くほど人間に近い。

 普通のモンスターには通用しない関節技などが、有効である可能性が高い。

 しかも、そうした攻撃を、このミノタウロスは、ほとんど経験したことがないと思われる。

 このミノタウロスは、剣技に熟達している。

 剣技では必ずしも遅れは取るまいが、肉体の強靱さは信じがたいほどで、いったいどれだけのダメージを与えれば倒せるのか、見当もつかない。

 一人でメタルドラゴンと一昼夜以上戦い続ける体力も持っている。


 剣と剣の闘いでは倒せる道が見えず、持久戦となれば明らかに分が悪い。

 相手の武器を破壊し、肉弾戦に持ち込み、関節技に相手が対応できないうちに、首の骨を折るのがよい。

 ミノタウロスに素手で挑むという、一見愚劣極まりない方法にこそ、騎士は活路を見た。


 ひそかに武闘僧を招いて格闘技の教えを受け、ごく短い時間なら飛躍的に筋力を増大させる技なども教わった。

 もとから持っていた武器破壊の特殊スキルを磨いた。


 今、確かに首の骨を折った。

 まだ、完全に死んではいないが、瀕死といってよい。

 ここで首を落とせば、このミノタウロスは死ぬ。 


 騎士が、特殊インベントリから予備の剣を出そうとした、そのときである。


 脇腹に鋭い痛みが走った。






 見届け役の貴人が、騎士の鎧のすき間から、短刀を突き刺している。

 刺し傷だけではあり得ない痛みと悪寒が、毒塗りの短刀であったことを教えた。


 「エバート様。

 ……なぜ?」


 そのとき、ミノタウロスの全身がけいれんした。

 再生スキルにより、ダメージの修復が始まったためである。

 びくりと動いた手が、見届け人の足に当たった。

 短刀を抜き取って、騎士から身を離そうとしていた見届け人は、不意を突かれた。

 武芸の心得があるわけでもないその男は、体勢を崩し、顔面から岩場に倒れ伏した。

 ずるずると起き上がる、その胸には、毒塗りの短刀が突き立っている。


 「パンゼル殿。

 すまんな」


 自分ももう助からないと覚悟を決めたからか、信頼を寄せる相手を裏切ったことへの贖罪なのか、膝を突いたまま、逃げようともしない。


 「すべては罠であったのだ。

 はじめから、すべて。

 かのミノタウロスに勝てば、王国守護騎士に任ずるという約束、そのものが」


 「勝てる見込みがないと思われていることは、承知しておりました」


 「それでも貴公は、この討伐を受けた。

 受ける以外になかった。

 王国守護騎士に任じられれば、苦境のあるじを支える発言力が得られるからの。

 王直々の命であるからには断りようもないが、なんじがその気にならねば、なんじのあるじが承服せなんだ」


 「私が死ねば、それでよし。

 万一勝てば、毒の短剣で勝利を敗北に変ずるため、見届け人と立たれたか。

 エバート様。

 まさか、あなた様が、リガ公の走狗となられようとは」


 「パンゼル殿。

 なんじは正しすぎる。

 なんじの主君も、正しすぎる。

 なるほど、大貴族たちの専横は、このままでよいとはいえぬ。

 しかし、急な粛正は、弱った体に劇薬を用いるようなもの。

 今のわが国は、豊かすぎる。

 大きすぎる。

 それは、ふくれ上がりすぎた体躯のようなもの。

 無理に痩せさせては、体がもたぬ。

 かりに壮健な体になりおおせたとして、そのあと、何とする。

 急激な王権の強化は、他国の警戒を呼ばずにはおかぬ」


 苦しげに顔をゆがめて、男は言葉を続けた。


 「今ごろ、貴公のあるじの屋敷に、リガ公の兵が向かっておろう」


 「存じております。

 しかし、戦にはなりません。

 なったとしても、負けません。

 わがあるじの元には、すでに族兵が集いおります。

 われらは、数においてリガ公爵様の家兵に互し、鋭気において勝ります。

 それは、あなた様こそ、よくご存じのはず」


 「存じておるよ。

 メルクリウスの智勇は。

 知らぬのはなんじよ。

 なんじは、メルクリウスの智を知って、勇を知らぬ。

 今のメルクリウスには、勇が欠けておる」


 「わがあるじは、過ぐる南蛮諸族の侵攻において、大いに武勲を上げられました。

 また、ツェン家の反乱に際しては、いち早く廟に駆けつけ、歴代聖上の墓所を守り抜かれました。

 さらに、街道に盤踞する賊兵らを、御みずから寡兵を率いて、撃破しておられます。

 これをごらんになっても、勇なしと仰せですか」


 「メルクリウスに勇はある。

 それは、なんじよ。

 傍らになんじがあれば、かの若き当主は、いかなる苦境にあっても、比類なき勇を示す。

 しかして、なんじを失えば、メルクリウスは、勇を失う。

 勇を失えば、守れても勝てぬ。

 しばらくは、先の家宰殿が病床から起き上がって、指揮を執ろう。

 しかし、長くは続かぬ。

 家宰殿の気根が尽きるとき、戦は終わる。

 ご当主の命は救えぬ。

 が、家は残される。

 なんじのあるじが死ねば、第一王子もご自裁なさるほかない。

 陛下はご退位なさり、第二王子が登極あそばす。

 パンゼル殿。

 わがしかばねに唾するがよい。

 すまぬ」


 そう言い残して、男は死に、その体は消え失せた。

 パンゼルは、男の遺品の前にひざまずき、黙祷を捧げた。


 罠であるとすれば、約束された迎えは来ない。

 見届け人が死んだ今となっては、なおさらである。

 かりに来たとしても、こちらの望む場所に連れて行ってくれることはない。

 外に出たければ、おのれの足で、百の階層を駆け抜けるよりない。

 凶悪な魔獣たちが徘徊する、道も知らぬ迷宮の中を。


 パンゼルには、予備の武器はあっても、回復アイテムの類はない。

 水はあるが、食べ物はない。

 今回の討伐の条件が、そうなっていたからである。

 毒の作用は、パンゼルのステータスの高さに抑えられてはいるが、遠からず命を奪うであろう。

 たとえ毒を受けていなかったとしても、食べ物なしでは体力が続かない。


 途中で冒険者に出遭うことができれば、ポーションや食料を借り受けることもできる。

 しかし、今は、豊穣祭の最中である。

 迷宮内で人に遭える希望はない、といってよい。


 とうてい、出口にたどり着けるものではない。

 まして、戦いに間に合うことは、望むべくもない。


 それでも、パンゼルにとり、これからどうすべきかは明らかであった。


 「異形の戦士よ。

 あなたに、おわびしなければなりません。

 私には、やらねばならないことができました。

 いつか決着をつけに、帰って来ます」


 ミノタウロスは、目の前の人間に、自分が負けたことを知っていた。

 邪魔がなければ、この人間は、自分の首を切り落としていたはずなのである。


 勝者には、報酬が与えられねばならぬ。


 ミノタウロスは、起き上がり、収納袋から、この人間に与え得る最高の報酬を取り出した。

 一本は片手剣。

 一本は短剣。

 それを人間の前に置いた。

 パンゼルは、しばしの逡巡のあと、二振りの剣を受け取った。


 もしも、パンゼルが鑑定技能を持っていたら、この二振りの性能に驚愕したであろう。

 片手剣は、ミノタウロスが、百体目のメタルドラゴンを倒したときにドロップしたものであり、ボーラの剣という銘を持ち、


攻撃力+200%

クリティカル発生+20%

移動速度+80%

攻撃速度+80%

HP吸収10%

SP連続回復20%

全ステータス+60%

破損自動修復


 というすさまじい恩寵が込められていた。

 まさに神器と呼ぶべき宝剣である。

 また、短剣は、カルダンの短剣という銘を持ち、


状態異常全解除

解毒

聖属性付加

知力+200

階層内地図自動取得


 という性能を持つ、これも最上級の恩寵品であった。

 騎士は、片手剣を右手に、短剣を左手に持つと、ミノタウロスに一礼して、部屋を出て行った。






 それから、二十八年が過ぎた。

 ミノタウロスの元を訪れる人間は、一時、急に増えたが、やがて減った。


 今、新たな挑戦者が、ミノタウロスの前に立っている。

 黒い目と黒い髪をした青年騎士である。

 右手には、二十八年前、ミノタウロスが、自分に勝った男に与えた剣を持っている。

 左手には、上質の盾が構えられている。

 こちら側からは見えないが、ミノタウロスの探知スキルは、盾の裏に、やはり覚えのある短剣が差し込まれ、左手に、むかし見た腕輪が装着されていることを教えた。

 指輪にも、首の護符にも、格別の恩寵を感じる。

 何より、この騎士は、すばらしい技と心気の持ち主である。


 ミノタウロスの全身は、激しい闘いの予感に打ち震えた。







(第1部 完)





お読みくださった皆様に、厚く御礼申し上げます。

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