第8話 メルクリウス家の家宰
「メルクリウス家の家宰様がお見えです。
静かな場所で、ギルド長にご相談なさりたいことがあるとのことです」
バラストの脳髄は、耳が聞いた言葉を理解するのに、少なくない時間を要した。
メルクリウス家の家宰だと?
静かな場所?
相談?
いやな汗が、じわっと湧いてくるのを感じた。
ともあれ、そのような尊貴な人物を、いつまでもは待たせられない。
静かな場所ということは、人に話を聞かれないような場所、ということだろう。
とすれば、この部屋以外にない。
バラストは、事務長に、お客様をギルド長室にご案内するよう命じた。
今日は仕事が、とても忙しい。
ギルド長の判断や決裁が必要な案件が、目白押しなのだ。
ギルが出て行ったあと、書類仕事に追われ、昼食を取る時間もない。
つい先ほど、天剣の残留物品一覧表の写しが届けられたが、まだ目は通していない。
その書類と一緒に、天剣の冒険者カード拾得についての知らせを家族に送る、という案件が上がってきたので、実施許可のサインをしたばかりだ。
つまり、まだ連絡は行ってない。
しかも、呼びつけられるなら話は分かるが、家宰自身が直接訪ねて来るだと?
カーン。
カーン。
カーン。
入室ベルが打ち鳴らされた。
まさか、これを実際に使うことがあろうとは、思いもしなかった。
ギルド長っていうのは偉いんだぞ、という冗談で付けさせたのに。
扉の内側にドアガードはいないので、事務長は自分で外からドアを半開きにした。
涼やかな声で、ギルド長の正式の役職と氏名を宣言すると、来客の名前を告げる。
待て。
何で名前が二人分なんだ?
しかも、二人目の名前は。
その家名は、確か……
先に部屋に入って来たのは、老境にさしかかった男性であった。
長身である。
きちんとなでつけられた髪と、上品な服。
静かな足運びと、柔らかな動作。
しかし、鍛え抜いたバラストの観察眼は、この家宰なる人物が、一騎当千の戦闘力を持つ武人であると見抜いた。
「高貴なお方をお迎えでき、光栄に存じます。
ミケーヌ冒険者ギルド長、バラスト・ローガンでございます」
バラストは、机の横に出て、深く頭を下げた。
「メルクリウス家の家宰、パン=ジャ・ラバンと申す」
相手は、族名も敬称もはずして名乗った。
これほどの名家の家宰であるから、それなりの人物でなければならない。
家宰は、その家の実務を取り仕切ると同時に、当主の名代でもある。
メルクリウス家の歴代当主は、家臣思いで有名である。
家臣には、機会を与え、経験を積ませ、やがて一家を立てさせる。
苦労は共にし、報いは惜しみなく与える。
そのため、元の家臣たちの家は、メルクリウス家を主家と仰ぎ、代が替わっても、構えを崩さない。
親族たちへも厚く遇してきた。
そのくせ、メルクリウス宗家自体は、少しも太ろうとしない。
このような家であるから、一朝事あれば、分家、子家、従家、縁戚の家兵が参じる。
家産の低さにもかかわらず、その潜在的武力は、国内有数と目される。
宗家当主や有力分家の当主が従軍しないときは、宗家の家宰が、これを率いるのである。
事実、この二年で二度あったメルクリウス家の出兵では、家宰が指揮を執ったと聞いている。
であるから、この家宰自身、上級貴族であるのが自然であるのに、名前も家名も、バラストの記憶にはなかった。
が、突然、あることを思い出した。
先々代国王の時代に、近衛の平騎士から吏務査察官に任じられるという、異数の出世を遂げた男がいた。
男は、王の知遇に感じ入り、職務に精励した。
ところが、他国との貿易で不正を行った家をいくつか摘発したとき、リガ公爵の逆鱗にふれ、男の家は、族滅された。
その男と家族と親族は、一夜にして、この地上から消え失せたのである。
翌朝、参内したリガ公爵は、王と閣僚たちの前で、賊徒の殲滅を報告し、その罪科を述べ立てた。
理不尽な言いがかりというべきであったが、事はすでに終わっており、いかんともしがたかった。
王は、顔を紫色にして、一言も発せずに席を立ったという。
だが、バラストは、少し違う噂も耳にした。
その男の次男である少年の屍体を検分した者が、本人のように思うが、少し面差しが違うようにも思われる、と述べたというのである。
男の友人であった貴族が、身代わりを立てて少年を助け、かくまっているのではないか、と憶測する者もいた。
この家宰こそが、その生き延びた少年ではないか。
と、バラストは、家宰の正体を推し量った。
口にすることのできない臆断であるが、目の前の人物の心胆がどこに置かれているか、つかめたような気がした。
家宰に守られるように入室して来たのは、五、六歳の美童である。
栗色の髪に、水色の瞳。
極めて上質な衣服。
あどけなさと凛々しさが同居する、とてつもない美少年である。
家宰の態度は、この少年が家宰の随行なのではなく、逆であると語っている。
しばしの間を置いたが、幼い貴紳の紹介はない。
今は名乗りたくないということか、と判断して、二人にソファーを勧めた。
家宰は、少年を座らせてから、自分もその横に座り、バラストにも着席を許した。
いささかならぬ緊張を強いられているバラストを横目に、事務長が二人の女性職員を連れて入室する。
女性職員が持っているのは、来客の外套と帽子であろう。
小憎らしいほど落ち着いた所作で、事務長は手ずから外套と帽子をラックに掛けると、職員を従えて部屋を出て行こうとした。
「事務長、わしが声を掛けるまで、この階には誰も来ないようにしてくれ」
事務長は、バラストのほうに視線を送ると、了承のしるしにうなずき、無言のまま、ドアの前で深くお辞儀をして、姿を消した。
まことに礼法に適った所作である。
くそ。お前は、どこの貴族家の執事様だ。
と心で毒づきながらも、バラストは、いつもはからかいの対象でしかない事務長の育ちのよさに、ちょっぴり感謝した。
ドアの向こうで、人の気配が消えてから、メルクリウス家の家宰は口を開いた。
「バラスト・ローガン殿。
先触れもなく、突然に訪ね、相済まぬ。
相談の議があって、参った。
その前に、ユリウス様をご紹介せねばならぬ。
先ほどは、母方の家名を名乗られた。
かの家は、母上様よりユリウス様が相続なされたものである」
物言いが丁寧なのにとまどいながら、バラストは、家宰の言葉を聞いていた。
あの家名を母親から受け継いだとすると、その母親とは、つまり……
「しかし、ユリウス様の本来の聖なる責務は、始祖王に付き従いし二十四家の一つ、光輝あるメルクリウス家のもとにある。
ユリウス様は、父君にして現当主たるパーシヴァル・コン・ド・ラ・メルクリウス・モトゥス様の、正当にして正規の後嗣であられる」
後嗣?
父君?
ということは……
「天剣に息子がっ?
というか、結婚してたのかっっ?」
思わず叫んだあとで、自分がどれほどの不作法をしでかしたかに気付き、バラストの顔面は蒼白になった。
「こ、これは、まことに失礼をしましたっ。
ひらに、ひらにご容赦のほどっ」
応接テーブルに頭をこすりつけるバラストに、意外にも家宰は笑顔を向けた。
「ローガン殿。
かしこまるには及ばぬ。
貴族には貴族の作法があるが、冒険者には冒険者の作法があろう。
まして、ここは冒険者の城にも等しい。
われらは、そこに足を踏み入れた部外者に過ぎぬ」
それに、と言葉を続けた。
「冒険者ギルドは、冒険者たるパーシヴァル様にとり、庇護者にして支援者。
わけても、ローガン殿には、特段のご厚配を受けたと聞き及ぶ。
パーシヴァル様は、常々、ミケーヌのギルドは居心地がよい、と仰せであった。
あれほどの放浪癖の持ち主が、ミケーヌで過ごされることが多かったのは、ここの迷宮とローガン殿のおかげと、当家では感謝いたしておる。
ミケーヌで過ごすあいだは、当家に戻られたゆえ」
家宰の横で、ユリウスが、きらきらした目でバラストを見ている。
お願いだから、そんな目で見ないでくれ、とバラストは思った。
「さて、わがあるじは、七日前に屋敷を出て、サザードン迷宮に入られた。
七十五階層から八十階層にかけて探索なさる予定であった。
補給品はじゅうぶんに準備なされたが、長くとも十日程度のご予定であった」
そんな深い階層で、そんな長く、しかもソロで探索するのは、あんたのご主人ぐらいのもんだよ、とバラストは心の中で突っ込んだ。
「パーシヴァル様は、水晶球に命の波動を記録なさっておられた。
その水晶球を収めた箱の鍵は、ユリウス様が保管され、日に一度、水晶球をごらんになるのが、ユリウス様のご日課であった。
昨日、その水晶球の光が失われた」
ユリウスの顔が、悲しげにゆがむ。
それを見て、バラストの胸が痛んだ。
「パーシヴァル様は、常に仰せであった。
危難に身を置くからには、いつ命を落とすやもしれぬ。
迷宮で死ねば、亡きがらも残らぬ。
この水晶球の光が失われたときには、水晶球とわが書状を証として、ただちに死亡を届け出よ。
しかして、ユリウスに家と爵位を継がせよ、と」
ユリウスが、必死に涙をこらえている。
昨日、水晶球を見たときは、ショックだったろうなあ、一日泣いて過ごしたのかなあ、とバラストは思った。
「ローガン殿。
わがあるじの消息につき、ご存じのことあらば、お教えねがいたい」
「家宰様。
実は、ちょうど、書状をお届けするところだったんで。
少しお待ちを」
バラストは、ドアを開いて、コールチャイムを鳴らした。
チャイムの音が消える前に、下の階から事務長が上がって来た。
澄ました顔をして、手に盆を捧げ持っている。
事務長の後ろには、お茶を持った事務員が続いている。
事務長が持って来たのは、メルクリウス家宛の報告書簡と、拾得アイテムのリスト、アイテムの扱いについての規則の写しだった。
ご丁寧に、受領証と、サインするためのペンまで添えられている。
なんでこんなに準備がいいんだよっ!
それに、なんでそのお茶、煎れ立てなんだよっ!
バラストの心の声に構わず、事務長は、書類を家宰に渡して受領証を受け取り、正しい順序でお茶を並べ、すうっと部屋を出て行った。
立て付けのよくないはずのドアを無音で閉めて。
家宰は、無言で書類を読み進めた。
ふと気づいたように、ユリウスにお茶を口にするよう、しぐさで促す。
ユリウスも心得たもので、カップを口に運ぶと、くちびるに触れさせ、そのままソーサーに戻した。
これで、ほかの二人もお茶を飲むことができる。
バラストは、ありがたく喉をうるおした。
そして、仕事机に置いてあったリストの写しを、読み始めた。
家宰は、リストに何やら印を付けたあと、書類を応接テーブルに戻し、目を閉じて、しばらく考え事をしていた。
目を開いて、ユリウスのほうを見ると、
「ユリウス様。
パーシヴァル様の遺品が、昨日六階層で、通りかかった冒険者に発見されました。
今朝ギルドが開いてすぐ、遺品は届けられ、現在は当ギルドに保管されております」
ユリウスは、うなずいた。
「ローガン殿。
遺品の何点かを買い戻したい」
バラストは、天剣の恩寵職がなぜ冒険者だったんだろう、と理不尽な怒りを覚えた。
恩寵職に騎士を選択すれば、ザックではなく、ルームが持てる。
ルームなら共有や相続が可能で、今回のようなことにはならなかった。
とはいえ、マッピング技能をはじめ、ソロで冒険者をするのに必要なスキルを多く取得できるのは、やはり冒険者である。
取り回しのよさでは、ザックはルームに優っている。
ユリウスと家宰を交互に見ながら、申し訳なさそうに謝った。
「これが世の中一般のことであれば、遺品というものは、一も二もなく遺族のもんです。
まあ、遺言とかで、遺贈先を指定していなければですがな。
ところが、迷宮ではルールが違うんです。
迷宮で死んだ人間の遺品は、拾った者とギルドの物になります。
たとえ遺言があっても、迷宮で拾われた物には適用されないのです。
ですから、普通、迷宮には、あまり高価な財産は持ち込まないのです。
あれほどの財産を、みすみす他人に渡すのは、さぞお腹立ちのことでしょうが、どうかご理解ください」
「それは、よく分かっておる。
国法にも認められた、迷宮固有の決まりであり、なぜそのようになったかも理解しておる。
財産が奪われた、などとは思わぬ。
また、この程度は、当家の財政に影響は与えぬ。
さらにいえば、パーシヴァル様は、武具にしても法具にしても、最上のものは、ユリウス様に取り置いておられる。
貴重な品は、迷宮には持ち込まれなかった。
ただ、五点だけ、例外がある」
家宰は、お茶を一口飲んで、話を続けた。
「その五点は、いずれも恩寵品であり、パーシヴァル様の冒険に、あまりにも有用であった。
その五品は、当家にとり、格別の意味がある。
ローガン殿」
家宰は、目に力を込めて、バラストの目を見据えた。
「パーシヴァル様は、貴殿のことを、高い見識を持つ人格者である、と仰せであった。
貴殿を見込んで、腹を打ち割った話をしたい」
天剣。
あんた、わしと誰かを間違えて伝えてないか?
と思いながらも、バラストは、うなずくほかなかった。
「まずは、このリストに印を付けた三点を、買い戻したい」
バラストは、家宰が印を付けたリストを見た。
ライカの指輪。
エンデの盾。
ボルトンの護符。
いずれも聞いたことのない名であるが、リストによれば、三点とも恩寵アイテムである。
「分かりました。
買い戻しについては、ご遺族に優先権があります。
問題ありませんな。
ただ、値段のほうは、これから査定をせねば、はっきりしません」
「費用は、いくらかかっても構わぬ。
さて、問題は、ここからなのだ」
会話をしながら、バラストは、あることに気がついた。
あのアイテムが、一覧表に含まれていない。
天剣が持っていたに違いない、あの有名な腕輪が。
「パーシヴァル様が所持しておられた品で、このリストにない品があるとしたら、それはどういうことであろうか。
これには、アレストラの腕輪と、カルダンの短剣が含まれておらぬ」