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全は一、一は全  作者: パピコ
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6. engua para d' atē-3

 北野と東は、謎の生命体らしきものと一人の青年、一人の外人が視界から消えてしばらく後、署に連絡を入れ、付近の捜索を始めた。

 今二人が目にした事を報告しても誰にも信じてもらえない事は明らかだったが、気のせいで済ませようにも、二人が揃って同じものを見てしまった。

 とにかく何か、手掛かりになるものを。車から持ってきた懐中電灯を使って、付近に何か遺留物がないかを探す。

「あっ」

 突然東が声を上げ、それを聞き咎めた北野が顔を上げて東を見た。いつの間にか街灯は点滅しなくなり、常時点灯し続けている。

「……北野さん、あれ」

 東が指差した先には、先程は消えていた筈の白いバッグと、黒々とした血痕があった。

 あったものが消えて、また出てきた。奇怪にも程がある。

 まさに、狐か狸にでも化かされたような心地だった。

 あの青年と外人、そして、大きな黒いものは、何処へ行ってしまったのか。

 とにかく、遺留品が見つかった事を連絡しなければならない。今後の捜査方針についても、まずは今日起きたことを報告の上で協議されるだろう。

 北野は、携帯電話を取り出し操作しながら、村一つが消えるような失踪事件が世界中で起こっている事を改めて思い出していた。

 もし、あんなものが、世界のあちこちでいくつも生まれていて、それが、先程見たように、人を喰っているのだとしたら?

 ぞっとしない想像だ。まだ確かなことなど何一つ分からない。信じてはもらえないだろうが、見たままを報告するしかないだろう。

 ただの連続行方不明事件では片付きそうにない。アスファルトに残された夥しい血痕だけを見ても、そう言わざるをえない。

 血痕の他には何一つ残っていない。遺族は、遺骨を墓に納める事すら叶わない。彼女の死についてを遺族に説明しなければならない事を考えると、気が重かった。

 何かが――北野には想像も出来ないような何かが起きているのかもしれない。そんな予感があった。


* * *


 よくよく考えると、分からない事が一つあった。

 祥にとっては他にも分からない事だらけだし、それは、数多い分からない事の中ではどうでもいい事でもあったので、今まで忘れていたのかもしれない。

 カインという名前は、変だ。

 その名前は確か、旧約聖書に出てくるのではなかったろうか。

 昔のギリシアの名前なら、プロメテウスだのアルキメデスだのソクラテスみたいな、そんな名前ではないのだろうか。

 そういえば名字も聞いていない。

 してみれば祥は、彼に対してずっと腹を立てている状態だったし、彼については名前以上に不可解な事が多すぎたので、今までそんな些細な事を聞こうという発想が起きなかったのだ。

 今だって腹が立っているには違いはないのだが、ふと、妙に気になり始めた。

 葉子さんはついさっき出来上がった原稿を出版社に届けて、ついでに次回の打ち合わせをして来る為に外出した。

 次の仕事は詰まっていないのだろう。カインはつまらなさそうな顔をして、付きっぱなしのテレビを面白くもなさそうな顔で眺めていた。

 テレビではバラエティ番組が流れている。お笑い芸人が知り合いの芸能人の裏話を暴露しているが、伏字が多すぎて訳が分からない。つまらないならチャンネルを変えればいいのに、と思ったが、それは口に出さなかった。

 インスタントコーヒーに電気ポットの湯を注いだだけのものが入ったカップを机に置くと、カインは祥をちらと見て、ありがとう、とだけ言った。

「一つ、質問したいんだけど」

「何?」

「カインって名前、ギリシアっぽくないけど、それ本名?」

「違うよ。でも、俺っぽくていい名前じゃない?」

 拘りもなさそうにカインは笑って答えた。その様子がいやに癇に触って、祥はむっと顔を顰めた。

「……じゃあ、本名は何てんだよ」

「教えない」

 にいっと、やっと面白そうに笑ってカインが答えた。

「俺の本当の名前は、世界で一番大切な人でないと教えられない、そう決めちゃってるんだ」

「……何だそれ。まぁどっちでもいいけど」

 呆れたように息を吐いて、祥は背を向けて、ソファに腰掛けた。

 腹が立つ理由の一つは、間違いなく、このはぐらかすような物言いにあった。

 本人は真面目に答えているつもりなのかもしれないが、あまりにも他者に伝えるという気持ちが足りないのではないか。

 この男の『世界で一番大切な人』とやらになる位ならば、本名なんて知らないままでいい。胸糞が悪いし、別に偽名で問題も不便もないのだ。

「君の名前は、どういう意味があるんだ?」

 多分テレビを眺めているのだろうけれども、カインの声が背中の方から聞こえた。背を向けたままで祥は答えた。

「……めでたい兆し、って意味だよ。あんたと会って以来厄続きだけどな」

「いい名前だなぁ。ご両親が付けたの?」

「爺ちゃんだよ。一人目の内孫だから、どうしても自分で付けるんだって聞かなかったんだってさ……で、何で、そんな事聞くわけ?」

「何となく気になったから。君もそうだろ」

 言われて、内容が図星だったので、祥は答えなかった。

 見透かされてはぐらかされるのは面白くない。

 見透かしてるならもっと気を使え、と思ったが、それを口に出さないで、祥はソファに横たわった。


* * *


 朝、目が覚めると、携帯電話にメールが届いていた。


『こんばんは。

 土曜日、都合が悪くなってしまいました。

 急にごめんなさい。

 しばらくちょっと忙しくなるけど、必ずお礼します。

 またメールしますね。』


 水原眞弓からだった。

 なぁんだ、と、声を出すならそんな言葉が漏れただろう。ちょっとした期待を裏切られた、他愛のない失望。

 仕方がない、以外の感想は特に浮かばなかった。


『おはよう、黒崎です。

 メールありがとう。

 お礼なんか気にしなくていいよ。いらないから。

 でも、気が向いたらまたご飯でも誘って。

 お昼なら多分いつでも大丈夫だから。

 それじゃ、また。』


「おはよう……祥君、どうしたの?」

 メールを送信し終えると、葉子さんがドアを開け朝の挨拶をしながら入ってきた。

 やや怪訝そうな、何か心配そうな顔をしながら祥の顔を覗き込んでいる。

「おはようございます……別に、どうもしませんけど?」

「そう……? 何かすごく、しょんぼりしてるような感じが」

「いや全然」

 心当たりがなさそうに祥が首を傾げると、葉子さんも同じようにやや首を傾げてから、バッグを机に置いて、事務所内のパソコンを立ち上げ始めた。

 そんなに顔に出ているとは思わなかった。祥自身の感覚としては、そこまで落ち込んだわけでも失望したわけでもなかった。

 ただ、水原眞弓の姿は、折りに触れ何となく思い出してしまう。ぽろぽろ零れていた涙だとか、アドレスを交換した時の嬉しそうな顔だとか。

 よく分からない子だった。何でそんなに涙を流すのか、嬉しそうにするのか、分からなかった。

 分からないから、ずっと考えてしまうのかもしれない。

 土曜日はどんな服を着てくるんだろうというのが、気になっていた。

 この前は、白いキャミソールにアイボリーの透ける素材のチュニック、サブリナ丈のデニムパンツだった。

 そういえば、普段何をしているのかとか、何も聞いていない。学生なのかもう社会人なのか。

 土曜日に聞けばいいと思っていたのもあった。

 会えなくなってしまったのだから、もう少ししたら、メールでも出して聞いてみようと思い付いた。

 今は忙しいかもしれない、また今度にしよう。そう思い携帯電話の画面を閉じた。


* * *


 がらんとした部屋というのは、物があった時よりも気温が下がったような心地がする。

 何か物理的にそういう法則でもあるのか、ただの感傷なのかは分からないけれども。

 人が一人生きていれば、その人の生活する部屋には燈火が灯り、何某かの温度が篭る。

 フローリングを雑巾がけする手を止めて、祥はしゃがんだ体勢で床を見て、一つ息を吐いて、立ち上がった。

 住んでいたアパートを引き払う為、和樹に手伝ってもらって荷物を少しずつ運び出し、その作業がついさっきようやく終わった。

 衣服など、最低限の荷物は、和樹の叔父さんが軽トラックを出してくれたので、運んでもらった。

 二年強住んでいただけなのに、思っていたよりもずっと、荷物が多かった。

 家具や不要なものは大体処分した。リサイクルショップに売ったり、欲しい人にあげたり、捨てたり。

 処分費用や新居の契約費用、家賃などはカインの事務所(つまりは葉子さんの実家)が全て持ってくれていた。

 ここの契約は残しておいて、戻ってくればいいんじゃないか。そんな事も和樹に言われたけれども、戻って来られないんじゃないだろうかと、そう思えて仕方がなかった。それに、ここを維持すれば、お金がかかる。実家の両親に負担がかかる。

 今は何も持っていたくなかった。

 余計な物があればきっと戻りたくなる。祥は戻りたいけれどもそれでも、誰かがいなくなるのが許せないから、戻れない。

 執着はないと思っていたのに、こんなに戻りたいというのも、変な話だと思った。

 ただ単に、死んでしまうとか、死ななくなってしまうとか、そんな物騒な事に巻き込まれたのにうんざりしているだけなのかもしれない。

 疲れているのかもしれない。夜だってあまり眠れない。奴等が出れば勿論だし、出なかったとしても、寝付けない。

 どうしようとか、どうしたらいいんだろうとか、何をなのか目的語がないままで、言葉だけが頭の中をぐるぐると回る。

 目的語なしで何かを考えて、具体的な何かが思い浮かぶ筈がなかった。

 朝、退学届を出しに行った。実家の電話番号は、着信拒否番号に登録した。

 どうすればいいのかが分からない。

 何かもっと、うまいやり方があったのだろうか。考えるけれども、思い浮かばない。

 雑巾を洗ってからバケツの水を捨てて、外に出て鍵を閉めた。近くに住む大家の家を訪ねて鍵を返してから、帰ろうとして、ふと足が別の方向に向かった。

 まだ時刻は二時半過ぎ、日は高い。

 和樹とその叔父さんが荷物を運び入れてくれているのだろうから、早く帰るべきだとは思ったけれども、どうしても素直に帰ろうという気になれなかった。

 行きは軽トラックに乗せてもらったので、帰りは電車で戻る予定だった。どうせ一駅だから、歩いたっていい。

 それだけ歩けば、少しは疲れて、夜も眠れるんじゃないか。

 そんな考えはきっと甘いだろう。祥の考えはここ最近、いつだって甘い。

 線路に沿った通りを、やや俯きながら足早に進んだ。速く歩けば少しでも体が疲れるような気がした。

「……あなた、ちょっと」

 すれ違った女性に、通り過ぎた肩越しに声をかけられて、祥は足を止めて振り返った。

 祥を呼び止めた女性には見覚えがあった。線の細いスーツ姿の男もいる。

 この前、奴等の前で鉢合わせになった男女だった。

 そしてもう一人、思いも掛けない人物がその二人の隣にいた。

「……黒崎、さん……?」

 光沢のない黒いツーピースのスーツ姿。やはり黒の小振りなハンドバッグを持っている。まるで、喪服だ。

 そこにいたのは、土曜日の都合が悪くなった水原眞弓だった。



 気乗りはしなかったが、ファミリーレストランへと連れ込まれて、奥まった窓際の席に祥は座っていた。

 向かいには、北野と東と名乗った男女。刑事だという。祥は通路側に座って、窓側の隣に水原。

「この前の事を、聞かせてほしいんだけど」

 北野と名乗った女性は、単刀直入に話を切り出した。

 この前の事とは全く関係のない水原眞弓のいる前で、そんな話をするのか。そう思って、祥はむっとして眉を顰めて北野を見たが、彼女は涼しい顔のまま動じなかった。

「この前の事って何ですか。俺、あなたに会うのは今日が初めてなんですけど」

「じゃあ何で私に呼ばれて止まったの」

「側にいた水原さんは知り合いだったから、振り返ったんです」

「彼女も知りたがってるのよ、この前の事」

「だから、何の話なのか俺は分かりませんってば」

 譲る気はなかった。警察に話したところで、話がややこしくなるだけで何も解決しない事は明らかだし、祥の一存では話せない。

 目撃された件は葉子には話してあるので、彼女の実家とカインの意向に沿うように処理されるだろう。

 それにしても、よりにもよって、面倒な相手に捕まったものだった。

「あの……黒崎さん、何かご存知なんですか? 知ってるんだったら、何でもいいんです、教えてください」

 隣の水原が、おずおずと口を開いた。俯いて下を見たままで、祥を見ていなかった。

「…………だから、何を?」

「死んだの、私の、姉さんなんです。今日これから、お通夜で……。明日、お葬式するから」

 だから明日は、土曜日の昼は都合が悪い。その言葉は省略されて、水原の唇からは出てこなかった。

 多分今、自分はとても困った顔をしているのだろう。そう思ったけれども、その他の表情など浮かべられない。

 言葉なんて出てこない。祥は口をやや開いて、押し黙ったままで、水原の肩を見つめた。

「お願いだから教えて。君はどうしてあの現場に来たの? もう一人の人は? どうして、どうやってあの場から消えたの?」

「…………知り、ません。俺、そんな事、してませんし、あなたに会うのも、初めてです。意味が、分からない」

 立ち上がって、帰ります、と呟いて、返事を待たないで祥は歩き出した。

 あの子は野良猫が倒れていただけであんなに泣いていたのに、どうしてお姉さんが。

 そんなのってない、ないだろう。

 自動ドアが開くのを待つのももどかしい。北野が追って来ていたが、振り払うように開いたドアから駆け出した。

 何で、どうして。そうだ、あの地面に撒き散らばった血だけになってしまった人にだって、多分彼女の部屋があって、家具やお気に入りのCDだとか、クローゼットの肥やしになってしまっている服が溢れていて、それで水原さんのお姉さんで。

 どうして、どうして、何で。そんなの嫌だ。

 俺のせいで、俺がいるからだ。そう思った。理屈に合わない事は分かっていたけれども、そうとしか思えなかった。

 息が切れて、跨線橋の下で立ち止まった。黴臭い湿ったコンクリートに手をついて、荒く何度か息を吐き出したが、息は整わなかった。

 頭の上を電車が通りすぎていく、轟音が駆け抜けていく。耳が塞がれたような心地がして、視界までぼやける。

 いっそもう、何も見えなくなれば、聞こえなくなればいいのに。

 甘すぎる願望だった。橋脚は湿ってざらりとしているけれども、額をつけて凭れかかった。

 何で、どうして。やはりその言葉が頭を回ったし、答えなんか見つかる筈もなかった。

話動かなくて大変申し訳ない。

正直、このまま続けるかどうかは大変迷っております。

次回はもう少しアクティブな話にできるといいなぁ……。

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