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全は一、一は全  作者: パピコ
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5. engua para d' atē-2

『子曰、由、誨女知之乎、知之爲知之、不知爲不知、是知也。

 (孔子が仰った。由(子路)よ、汝に知るという事を教えようか。

  知っている事を知っている事とし、知らない事を知らない事とするのが、知るという事だ)』

――論語 爲政十七


『子曰、予欲無言、子貢曰、子如不言、則小子何述焉、子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉。

 (孔子が仰った。私はもう何も言うまいと思う。

  子貢が言った。先生がもし何も仰られなければ、

  私達のような小人は何を述べ伝えればいいのですか。

  孔子が仰った。天が何を言うだろう。(天が何も言わずとも)四季は巡り、万物は生長している。

  天は何か言うだろうか?)』

――論語 陽貨十九


* * *


 ソファに横になろうとした祥は、クレードルにセットした携帯電話のイルミネーションが点滅しているのに気が付いた。

 クレードルから携帯電話を外し開く。メールは二通届いていた。

 一通目は、和樹からのものだった。明日の昼、遊びにいくという内容。

 もう一通は、差出人欄に見慣れない名前が書かれていた。メールアドレスではなく名前が表示されているという事は、アドレス帳に登録してあるという事だから、知り合いなのだろう。


『今日はどうもありがとうございました、お世話になりました。

 お礼に、もしよかったら、ご飯でもおごらせてもらえませんか?

 お礼にしては安いかな?

 土曜日のお昼なんてどうでしょうか?

 予定を教えてください。お返事待ってます。』


 メールの本文を読んで思い出した。水原眞弓、お昼に会った子だった。

 祥は何だかちょっと嬉しくなって、口元を上げて、携帯電話の液晶画面を見た。

 気持ちは沈んでいた。あんな思いをしたすぐ後で、こんな風に嬉しくなれる自分が少し嫌だった。

 助けられなくて何も出来なくて、戻ってもこないのに。

 どうしようもなく悔しかった筈なのに、ちょっといい事があれば、簡単に心が浮き上がる。

 安い感傷だな、と思った。

 どうしようもない事を当り散らして、喚いて。まだ大した時間も経っていないのに、そんな事も忘れたみたいに浮かれて。

 自分がこんなに調子のいい人間だとは思っていなかった。

 何かしたいと思ったって何も出来ないのだし、いつまでも落ち込んでいたところでどうしようもない。だけれども、すぐに立ち直るのも違う気がする。

 すぐに返事を打つ気にはなれず、祥は終話キーを押して画面を待ち受けに戻し、畳んでクレードルに再度セットした。

 かちりと小さく音がして、嵌り込んだ感触があった。

 祥自身の気持ちは、ここずっと、こんなに綺麗に嵌り込む事はなかった。いつもどこかずれていた。

 悼むとはどういう事なのだろう。どこまで悔やめば、悔やみ切ったと言えるのだろう。

 ソファに腰をおろして、膝に肘を乗せて手を組み、額を預けた。

 神様がいるとかいないとか、今までそんな事を気にした事もなかった。祥の中にいたのは、言われた通り、普段は信じていなくても困ったときには助けてくれる、都合のいい神様に違いなかった。

 落ちていたバッグから女性だったのだろうと分かるだけで、もうどんな顔をしていたのか、どんな性格の人で、どんな人生を歩んできたのか、そんな事は知りようもない。祈りたくても、名前も分からない。

 祈るって、誰に祈るっていうんだろう。信じてもいない神様にだろうか。殺されるような悪いことをきっとしていなかった人の、魂を救ってくださいなんて尤もらしいお願いを、都合よくするのだろうか。

 信じてもいないものの加護とか何とか、滑稽だった。

 偽善だ。そう思ったけれども、やはり誰かが死んでしまったと考えると、息苦しくて、目を開けていられないような胸の痛みがあって、祥は眼を閉じて俯いた。


* * *


 昼過ぎに訪ねてきた和樹は、可愛らしいピンクの紙袋を手にしていた。

「よーう!」

「よう」

 明るく挨拶した和樹に挨拶を返すが、その魂胆は分かっている。

「あっ、葉子さんっ! お土産持ってきたんです、良かったら召し上がってください!」

「あらま、ありがと。はー、これ、三時間並ぶって評判のお店のじゃない?」

「いや、そんなに待たなかったですよ。葉子さんが好きかなーなんて思っちゃったりなんかしちゃって、ハハハハ」

 白々しい。

 中は小さなプラスチック容器に入ったプリンだった。葉子が紅茶を用意して、少し早めのティータイムとなる。

「ですからね、俺は、最終回でケンジは、ガツーンと告白すべきだったと思うんですよ! だって言わなきゃ伝わらないでしょ!」

「うーん、確かにそうかもしれない。でも、身を引く美学なんて流行らないものを、登場人物の心情に即して敢えて選んだ製作陣の心意気を評価したくもあるのよね……難しいところだわ。ラストカット、あの、川の流れに人生を引き寄せるような映像も、あのラストだからこそ生きたわけだし」

「でも、リカコは、結局ケンジを待ち続けるわけでしょ? ケンジの事が好きなんだから。俺はもうリカコがかわいそうで……」

 ソファで向かい合わせに座る和樹と葉子さんの話題はどうやら、昨日最終回を迎えた恋愛ドラマの結末についてらしかった。多分、祥が腹立ちまぎれに壁を殴りつけた頃に放映されていたものだろう。先週までは祥も見ていたが、もう結末には大して興味は惹かれなかった。

 こいつ本当に何しに来たんだろう。そうも思ったが、和樹は多分、こういう話をしに来てくれたのだと思った。

「あ、そうそう、リカコで思い出したよ。真山里香さん、急に大学辞めちゃったんだよね」

「えっ、何で?」

「何か、カンボジア行きたいって。学校作り? の手伝いをやりたいんだってさ。黒崎くんにもよろしくねって言ってた」

 和樹の話は、祥が知っていた真山里香の様子からは想像がつかなかった。

 彼女は暗いわけではなかったが、どちらかといえば物静かな方で、何か冗談を言って笑っているのを横で見ているのが好き、というような人だった。

 彼女は、祥や和樹と同じサークルの部員だった。

 サークルといっても、何かの同好会という訳ではなく、活動といえば合コンやキャンプ、テニスやフットサル、冬ならスノーボードなどの会合・旅行の企画をする。要するに一緒に遊ぶための仲間を集めたサークルだった。何故わざわざサークルを作るかといえば、大学からサークルとして認可されれば部室が与えられるし、新入生の勧誘も出来るからだ。

 合コンや出会いが目的で入ってくる遊び好きが多かったから、彼女はその中ではやや異質だった。聞けば、友達に誘われたのだという。

 祥にとっては彼女は話しやすい相手だった。彼女も壁を持っているからだ。こちらに不用意に踏み込んでくる事はない。

 踏み込まないから深い話はしないけれども、何とはなしに、ぼんやりとした気持ちを話すには最適の相手だった。

 その彼女が、何故突然。

「意外だよなぁ。全然そんな事考えてるなんて知らなかったからさ。大学入る前から考えてたけど、丁度募集があったんだって。そんな行動力ある人だとは知らなかったよ」

「そうだなぁ……意外」

 いかにも意外そうな顔で零された和樹の述懐に、祥も頷いた。

 当たり前だと思っていた日々はなくなってしまったし、地味なまま卒業するのだろうと思っていた女性はカンボジア。

 何がどうなるのかなんて本当に分からないけれども、それにしたって急すぎる。

 別に、ずっとあのままでいられたなんて思っていたわけじゃない。

 もっとあの時間を大切にしていれば、なんて感傷も起こらない。満足していたけれども、執着があったわけでもない。

 だけれども、変化はもっとゆったりと、淡々と訪れる筈だった。

「ここのプリンもおいしいけど、俺のおすすめはなんといってもソレイユのガトーショコラですよ。是非葉子さんに食べていただきたい!」

「美味しいのはいいけど、そんなに食べたら太っちゃうわね」

「大丈夫! ふっくらした頃合いの葉子さんを俺が嫁に貰う方向で一つ。いやもうホンット、マジで」

「……相変わらず馬鹿言ってんなお前は。その下心丸出し具合を何とかしない限りは無理だから諦めろ」

 本当にこいつ何しに来たんだろう。

 呆れるよりも可笑しくなって、苦笑して言うと和樹はむくれてしまった。


* * *


 気付くと、携帯電話のイルミネーションが点滅していた。

 開いて液晶画面を確認すると、メールが届いている。

 朝起きてから、水原眞弓に返信を送った。その返事が返ってきていた。


『お返事ありがとうございます。

 土曜日大丈夫なんですね、良かった。

 今から楽しみです!

 場所とか決めたら、またすぐメールします。』


 読んでいると、やっぱり何だか嬉しくなった。

 こんなに短くて、他愛もないメールなのに、どうしてだろう。

 内容は大して違わないメールが、受信フォルダに何通とある筈なのに。



 祥は大学を退学しようと思っていた。だけれども、まだ出来ていない。

 故郷の両親がそれを許さなかった。

 事情を説明しないのだから、分かってもらえないのも当然だった。そして、同意なしに退学届を勝手に出す事も出来ないでいた。

 結局、決断できずどっちつかずなだけなのだ、何にしろ。

 大学の友人達には、和樹が、詳しく事情は説明できないが行けなくなった旨を伝えてくれていた。

 心配してメールや電話を寄越してくれた者もいたけれども、事情など説明できる筈がない。

 適当に、大丈夫だからと返して、適当に終わる。

 それでいいと思っていたし、思っている。

 捨てたくないものなんて、あるだろうか。

 それが知っている人なら、巻き込みたくないから離れたい。

 一人だって別に平気だと思った。それに本当に一人になってしまった訳じゃない。

 それなのにどうして、彼女からの何という事はないメールで、こんなに心が軽くなるのだろう。


 ふと見ると、カインがいなかった。葉子さんはパソコンのモニタに向かって、エクセルの表に何か数字を打ち込んでいる。

 ここに来て一番意外だったのは、カインが無口という事だった。

 話しかければ返事はするが、自分から口にするのは、仕事の話か奴等の話だけ。

 その感想を葉子さんに話すと、

「もう何もかもどうでもいいんじゃないの、俗世の事には興味なんか湧かないんでしょ、あの人は」

 と、にべもない返事が返ってきた。葉子さんの方こそ、大して興味がなさそうな口調だった。

 あまり深く考えた事はなかったが、彼は長い間生きてきたのだ。何千年か何万年かは知らないけれども。

 それこそ、一人で。

 それだけ長い間生きていれば、様々な事があって、何もかもどうでもよくなるのかもしれなかった。

 そうまでして生きていたのは、何の為だったのだろう。ただ、死ねなくなってしまったからというだけなのだろうか。

 意味とか理由とか、本当は何もないのかもしれない。

 そこに何かあるとしたら、それは一体、何なのだろう?


* * *


 振り向くと、見知らぬ青年が立っていた。

 屋上は開放されているが、高さ三メートルほどの金網に四方を囲まれている。周囲は同じくらいの高さか、このビルよりも高いビルに囲まれているから、屋上に上がった所で景色を一望という訳にはいかないが、屋内よりは風が通る。

 晴れていれば、カインはここで考え事をする。

 青年は、屋上に出る為の錆び付いた重いドアを開ける音を立てることなく、その場に立っていた。

 ミケランジェロの絵画に出てくるような青年、という表現が一番しっくりくるのだろうか。彫りの深い理知的な顔立ち。蜂蜜色をした巻髪に碧眼。

 変哲のないTシャツとジーンズの出で立ちだが、気配は人間のものではなかった。穏やかな陽光に照らされ、微風が吹き抜けていた屋上の空気は、瞬時にぴんと張り詰めた。

「人の子よ、天と地の(ことわり)を破るのはおやめなさい。あなたは、その結果をもう知っている」

 オカリナの音色のような、澄んで豊かに響く声だった。カインは、青年を見据えたままで何も言わなかった。

「大神がそれを見逃すと思うのですか? 彼のお方はオリュンポスの頂にあって全てを見通す者。止める為とはいえ、あなたの所業を見逃しはしない」

「……誰に何を言われてもやめる気はない。何をしに来たのです」

「警告に。意志を述べ伝えるのが我が役目なれば」

 その言葉が本当であれば、目の前の青年は、旅と伝令、羊飼いと盗人の神、ヘルメスが人の姿を借りているもの、という事になるのだろう。

 カインは言われても、特に感慨のない目で青年を見てから、一つ息を吐いただけだった。

「あなた方が何を考えているのかは知らないが、人は自らの力で人を救わねばならない。そうではないのですか」

「それは、(ことわり)を乱す理由とはなりません。それに、あなたは事を単純に考えすぎている。今世を乱す者が呼び出したいものが、単純に無であると本当に思うのですか」

「……奈落(タルタロス)の、奥底に居る者達?」

 やや自信なさ気に揺れたカインの言葉に、青年は軽く頷いてみせた。

「これは、人の手に負えるような事ではない。いいですか、あなたもあの者も、無駄に抗うのはやめるのです」

「俺はともかく彼は、抗わなければ死ぬだけだ。そして俺は、守るという誓い故に、こうしてここにいる。あなた方(オリュンポス)の思惑など知らない」

 感情の篭らぬ蒼い眼でカインを一瞥して、青年は軽く二三度、横に首を振った。

「畏れを知らぬ者、(ことわり)に反する存在。見逃されているうちに、己の罪を知りなさい」

 言うと青年の姿はたちまち霞み、風に融けて消えた。

 青年のいなくなった屋上、錆びついてだらしなく赤錆の垂れた給水タンクを見つめた後、カインは後ろの金網を殴りつけた。

 がしゃん、と大きな音を立てて僅かに撓んだ後、金網は何事もなかったように静まって、ゆるやかな風が網目を吹き抜けていった。

この作風に果たして需要はあるのか。

まあそもそも需要を考えているなら、こんな好き勝手はしないわけですが。

しかし好きなように書くと何でこうなるんだ……?

風呂敷とかもう広げたくないけど、まだ三分の一も広げてない感じがする……。トホホ。

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