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パンケーキと嫉妬

パンケーキ



 何かお探しですか、と声をかけられて俺はぐるぐると考え込んでいた思考を一旦止めて顔を上げた。


 そこには、もう通い慣れた近所のスーパーの見慣れた女性店員――那珂(なか)さんがいる。

 

 名前は聞いたわけではなく、胸に付けた名札に書かれているものだ。今はハラスメント対策に本名を掲げないところもあるというから、それが彼女の名前かどうかはわからない。しかしもうお互い顔を覚えてしまったので俺は素直に那珂さんと呼ぶことにしている。



「……その、パンケーキを作ろうかと思いまして」



 俺は悩みの原因を白状した。


 コン子さんが小学校に入学して早数日。今はまだ給食も始まっておらず、午前中で授業は終了するので昼過ぎには帰ってくる。その為お昼のメニューを考えていた俺が何か食べたいものはあるだろうかと尋ねた今朝のコン子さんは言ったのだ。


 

「子供が、学校で友達とその話をしたらしくて。食べさせてあげたいなと」


「めちゃくちゃいいお父さんだった……あっ、いえ!素敵ですね!」



 一瞬素に戻った那珂さんはどうやら俺を父親と勘違いしているようだが……まぁ、それはいい。それよりも今はまだ俺が一度も作ったことのないパンケーキについての情報が欲しいのだ。

 製菓用品の棚の前でどうするべきかと悩んでいたところだったので声をかけてくれて助かった。


 正直作り方がさっぱりわからない。菓子作りは難しいと言うし、少しでもアドバイスが貰えたらという気持ちで俺は那珂さんに聞いてみることにした。

 

 この人には既に何度か料理の助言を貰っている。頼ってしまっているなと自覚しつつも、コン子さんの笑顔の為ならと俺はその女性店員に向き直った。



「パンケーキ、上手く作るにはどうしたら良いんでしょうか」



 那珂さんはぱちくりと目を瞬かせていただが、すぐに口元に笑みを浮かべて握った拳でトンと軽く胸を叩いていた。



「私、これでも推しの為――いえ、趣味でケーキはそれなりに作るんです!お力になれるかもしれません!」


「そうなんですか!有り難いです」



 推しってなんだろう。そうは思ったけれどそれは聞かなかった。俺の頭の中は今、コン子さんの笑顔でいっぱいだったので。


 

 その後那珂さんは、製菓用品の棚に並んだものを軽く解説してくれた。

 


 まずは製菓の材料が数十グラムが入った幾つかの袋。粉砂糖にココアパウダー、チョコチップ、アーモンドプードルやアーモンドスライス、ココナッツやアラザン。

 

 見慣れない名前が多く書かれた袋に眉を寄せる俺に、パンケーキなら粉砂糖があると良いんじゃないかと教えてくれた。最後に振りかけると可愛く仕上がりますよと。他は好みで良いそうだ。クッキーなんかを作る時はアーモンドプードルを使ってみるとサクサクに仕上がるので良いのだそう。


 他にもプリンを作るにはバニラエッセンスがあると良いとか、ゼリーを作るゼラチンとか、使いやすい粉タイプの寒天とか。話を聞いているうちに興味が出たのでこれからいろいろと作ってみたいものである。全てはコン子さんの笑顔の為に。



「初めてならやっぱりホットケーキミックスを使うのがおすすめですね。袋の裏に基本的なレシピは書かれていますが、専門のお店で出てくるようなふわふわなものを作ろうと思ったら卵は多めに必要なんですよ」



 言われてホットケーキミックスの袋を手に取って裏を見てみる。確かにそこにはレシピが書かれていた。

 

 中に入っている一袋200gの粉に卵と牛乳。それだけでケーキは作ることができる。けれど那珂さんが言うには卵を増やしてしっかり泡立てた方がお店のものには近付くらしい。



「ハンドミキサーですか……うちには無いな……」



 卵を泡立てる為のハンドミキサー。これはあった方がいいですよと那珂さんは言うけれど、メレンゲを作るくらいなら俺の腕でどうにかなるんじゃないかとも思うのだ。

 

 体力と腕力なら自信がある。俺たちは人に紛れて生きているからあまり人間離れしたことはやるべきではないとわかるけれど、自宅で卵を泡立てるくらいなら誰に見られる心配もない。

 流石にこのスーパーにもハンドミキサーは売っていないようなので、泡立て器だけ買っていこうと決めて俺は那珂さんに再び向き直った。



「では那珂さん、メレンゲを使った作り方を教えていただけますか」


「えっ、あ、はい!わかりました!」



 そうして俺はパンケーキのレシピを入手し、おすすめされた材料と泡立て器をしっかり購入し自宅に戻るのだった。





 そうして一度帰宅したら後、午前の授業が終わる頃に小学校へコン子さんを迎えに行く。

 

 人数が少ないだけに帰り道は一人になってしまうので、どうしても外せない用事がない限りは毎日こうすると決めているのだ。

 地域の見守りもあるけれど、やはり側で姿を見ていた方が安心できる。いつ事件や事故に巻き込まれるかはわからないからな。それを言ったらコン子さんには「からすくん、かほご!」と笑われてしまったけれど。


 

「今日はパンケーキを作ります」



 二人で帰宅した後、俺は気合を入れて台所に立った。


 パンケーキの言葉に目を輝かせたコン子さんは、いつも足場にしている台を持って「みていていい?」と横に並ぶ。

 もちろん。頑張ります。見ていてください。そう言って俺は早速調理に取り掛かった。



 まずは卵を四つ。卵黄と卵白を分けてそれぞれ別のボウルに入れていく。卵黄は二つ分でいいと聞いたので、残りは小さな器に入れて冷蔵庫へ。これは夕飯のおかずにでもしよう。


 そうしてボウルに入れた卵黄に規定量の牛乳とホットケーキミックスを一袋。順に入れて混ぜていく。ヨーグルトを入れても美味しいと那珂さんが言っていたので最後にスプーンで二杯ほど入れた。


 次にメレンゲ。ボウルに入った卵四つ分の卵白を泡立て器で素早くカシャカシャと混ぜ始めた俺を、コン子さんは目を瞬かせて眺めていた。きっと普通の人間ではない腕の速さに、言いたいことはありつつも飲み込んだといったところだろう。

 

 ぶっ続けで十分ちょっと。ツノが立つくらいまでしっかり泡立てたら完了だ。



「からすくんが、はんどみきさー……」


「なんですかそれ」



 謎の称号をいただいたところで、次は先に混ぜた卵黄の方へメレンゲを三度ほどに分けて加えていく。ここでガシガシと混ぜるのは良くない。なるべく切るように。泡を潰さないように混ぜるのがポイントだそうだ。


 そうして熱したフライパンにはキッチンペーパーで薄く油を塗り、生地を流し入れる。なるべく丸く、高くなるように。後は周りに水を垂らし、蓋を閉めて弱火で焼いていく。


 火の入り具合を見ながら3分程。フライ返しを差し入れても崩れないくらいのところでひっくり返してまた3分程焼いていけば完成だ。


 

 ふっくらと焼き上がったそれをお皿に乗せて、数枚ずらして並べたところに茶漉しで粉砂糖を振りかける。

 最後に、事前の切って冷蔵庫に入れておいたバナナや苺といったフルーツ、更にこちらも事前に手で泡立てておいた生クリームを添えて出来上がり。



「こ、これが、ぱんけーき……!」


「初めてにしては良くできたのではないかと」



 ちゃぶ台に向かい合って座り、それぞれの前に置かれた皿に盛り付けられたパンケーキ。コン子さんにはよく似合うけれど、俺には少し可愛すぎる食べ物な気がしてならない。


 それでもいただきますと手を合わせて食べ始めてみれば、悪くはない味がした。



「おいし〜!すこししゅわっとするね、くりーむはあまぁい!んん〜!」



 コン子さんは切り分けたパンケーキにフルーツと生クリームをちょこんと乗せて口に運んでいた。ぱくりと食べた瞬間からにっこにこなご様子に俺も胸を撫で下ろす。ありがとう那珂さん。この笑顔が見られたのも貴女のおかげです。



「からすくんは、けーきもつくれちゃうんだね!ほんとうにすごい!」


「ああ、いえ。今朝コン子さんに聞いておきながら作り方がよくわからなかったので、教えていただいたんです。スーパーの店員さんに」



 ぱくぱくと食べ進めていた手がぴたりと止まる。


 どうしたのだろうかと顔を上げてコン子さんを見ると、大きな蜂蜜色の瞳がじっと俺に向けられていた。



「それは、おんなのひと……?」


「はい。名札には那珂と書かれていたので那珂さんと呼ばせてもらっています」


「そう、なんだ……ふぅん……」



 どうかしたのだろうか。一瞬俯いたように見えた彼女は次の瞬間にはまたパンケーキを口に入れて幸せそうな笑顔を浮かべていたので、この時の俺は特に気にしていなかったのである。



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