入学!(前編)
週が明けた月曜日。
チェック柄のワンピースにボレロといったベージュのセットアップ。胸元を飾るリボンは少し濃いめのブラウンだ。足元はレースの付いた靴下に黒いフォーマルシューズ。
そんな衣装に身を包んだコン子さんは、赤いランドセルを背負って飛び跳ねそうなくらいうきうきした様子で俺の手を引き歩いていた。
俺たちが今暮らしている住宅地の横を通る少し大きな道路。その道に沿って歩いたところにある横断歩道の向こう側に建つ古い小学校。
三階建ての校舎に併設されたバスケットボールのコート一面分の体育館。一周二百メートル程のトラックがある校庭には端っこの方にぽつぽつと遊具が設置されている。
生徒は一学年十人にも届かないくらいの田舎の小規模な学校だ。家からはコン子さんの足で歩いてだいたい十五分前後。彼女は今日からこの小学校の一年生である。
「いっちねんせーい、いっちねんせーい!」
「ご機嫌ですね」
「うん!だって、おともだちができるかもしれないから!」
今日も不思議な歌を歌いながら上機嫌で歩くコン子さんは、元の世界では友人と呼べる存在が一人もいなかったのを随分と気にしていたらしい。だからこの世界では友人を作ることを目的に小学校への入学を決意したのだ。
変化の術があるのだから普通に大人として暮らせばいいのにと最初は思ったけれど、子供としての生活を思いの外気に入っているコン子さんに俺が口を出すわけもない。
こうなったら中学も高校も、コン子さんが望むなら大学だって全力でサポートさせていただきます。今はもうそんな心持ちだ。
全ては彼女の笑顔の為。コン子さんが楽しく自由に暮らしてくれたらそれでいい。それこそが俺の願いである。
例え人間たちと俺たちとでは時間の流れが違くとも。きっとこの時間には価値がある。そう思っていたい。
それに、俺もコン子さんの子供姿に若干グッときているのは事実なのだ。
初めて出会った頃には既に彼女は大人の狐だったし、憧れの人の幼少期が見られるというのは正直……いや、かなり嬉しくもある。断じてそういう趣味ではないが。
ともかく、コン子さんがこの世界で生きていく為の第一歩。それが今日の入学式だった。
小学校の門が見えてくると、横に立てかけられた看板の前で写真を撮る三人組の姿が目に入ってきた。
父親と母親らしき大人たちと、白をベースに黄色い飾りが所々に付いた真新しいランドセルを背負った女の子。コン子さんと同じく着飾ったその黒髪の子供はどう見ても新入生だった。
それを見たコン子さんの目が輝く。確実に一クラスしかないこの小学校で新入生とくれば、これから六年間を共に過ごす子だろうことに違いはない。早速お友達チャンス到来である。
少し離れた場所からその家族の写真撮影が終わるのを待っている間コン子さんはずっとそわそわしていた。
「――あら?」
と、撮影が終わったのか不意に母親が振り向き、俺たちの存在に気付いてくれた。短い黒髪の女性だ。その後ろには染めているのか明るい金髪の父親らしき男性がいる。
女性はまず俺を見て、次に側に居たいかにも新入生なコン子さんを見てパッと表情を輝かせた。
「お子さんも今日ご入学ですか?」
「ええ、まあ」
声をかけられそのままコン子さんと共に歩いて側まで行くと、繋いでいた手がするりと離されてしまって少しだけ切なくなったりもして。けれどここは素直に応援しようと決め、白いランドセルを背負った子供に駆け寄ったコン子さんの背中を俺は静かに見守った。
「あの!わたしは、みやまこんこです!あなたのおなまえはなんですか!」
練習通りに元気よく自己紹介したコン子さんは、まだ相手の名前も聞き出せていないのに、ふんすとやり切った表情を浮かべている。そんな様子に相手の母親が「可愛いわねぇ」と頬に手を当てて微笑んでいた。とてもよくわかります。
肝心の相手の女の子はぱちくりと大きな目を瞬かせて少し驚いているようだ。けれどすぐにその顔をにんまりと嬉しそうな笑顔に変えて、コン子さんに負けないくらい元気な声を辺りに響かせていた。
「あたしは、はるのいちか!おともだちになってあげてもいいわよ!」
おお、なんだか気が強そうな女の子だな。というのは俺の印象で、返答が余程嬉しかったのかコン子さんは今にも飛び跳ねたいのを我慢しているのが後ろ姿からでもよくわかった。尻尾が出ていたら今頃はブンブンと振り回されていそうだなとなんとなく思う。
「こんこさん、ってよんでもいい?」
「うんっ!それじゃあわたしは、いちかさん、だね!」
えへへと締まりのない顔で笑うコン子さんは、どうやら無事に初めての友人を作ることには成功したらしい。
昔は違ったそうだが今の小学校はさん付けで人を呼ぶよう指導するところがあるというから、コン子さんともその情報は事前に共有しておいた甲斐があった。
よかった。そう思って安堵からため息を吐く俺に今度はその両親が話しかけてきて、何故だか少し背筋が伸びる。
「春野です。よろしくお願いします」
「御山です。こちらこそ、よろしくお願いします」
緩い雰囲気の母親とは違い、少し表情の硬い怖そうな印象の父親と挨拶を交わす。軽く会釈をすればすぐさま横から母親も入ってきた。
「御山さん、初めまして。ご入学おめでとうございます」
「はい、そちらも、ご入学おめでとうございます」
挨拶を交わしながら、俺はちゃんと保護者らしくできているだろうかとふと思う。
一人で行動しているならいざ知らず、一緒に外出している時に俺のせいでコン子さんに不利益が生じることだけは避けたい。だから今は人間らしく。普通の人間らしく。胸の内でそう呟きながらの挨拶はそれなりの出来にはなっていると信じたい。
それから互いにどの辺りに住んでいるのかとか、彼らはこの地域に長いこと住んでいるのだとか、俺たちは引っ越してきたばかりだとか、そんな話をしていると着ていたジャケットの裾を引っ張られる感覚があった。
「ねぇ、からすくん」
「はい。なんですか、コン子さん」
「いちかさんが、おしゃしんとろう、って」
「写真……」
そういえばこの家族は先程まで写真を撮っていたな。入学式というのはそういうものなのだろうか。だとしたらまずい。俺は彼らと違って写真が撮れるものをガラケーしか持っていない。
それでもいいものか、と考えていたところに救いの手は差し伸べられた。
「私も撮っていいですか?」
春野母の何気ない一言だったが大変助かったのは事実である。
俺は事情を話して写真を撮ってもらうことにした。今時ガラケーかと春野父は驚いていたようだが、珍しいだけでいないわけではないことも彼は知っているらしくそれ以上は何も言われなかった。
そうして始まった撮影は、春野母の持つ最新型のスマホで行われた。俺と春野父は後ろで待機だ。入学式の文字の入った看板の前で真新しいランドセルを背負った少女二人が元気よくいろんなポーズを取っている姿はなんとも微笑ましいものだった。
「あの、聞いてもいいっすか。その、御山さんとあの子のこと」
「ああ、えっと、」
コン子さんが俺を烏くんと呼んだこと、それに対しコン子さんと名前を呼び返したこと。これが春野父の中では引っ掛かっていたらしい。
特に隠すことでもないし、後々変なすれ違いが起きても面倒だ。今聞いてくれて助かったと俺はこの設定を話しておくことにした。
「彼女は私の親戚の子なんです。本当の両親は既に亡くなっていて、今は私が」
「そう、なんですか。まだ小さいのに苦労しているんですね、あの子」
「……ええ」
親戚というのは真っ赤な嘘だが、それ以外はそれほど間違ってもいない。
コン子さんの実の両親は前の世界でもずっと昔に死んでしまっている。といっても当然人間ではなく、野生の狐だったらしいとコン子さんは言っていた。彼女も千年以上も前のことなのであまり覚えていないそうだ。
どうやら話は春野母にも聞こえていたようで、撮影が終わったのか振り返った彼女は「何か困ったことがあれば言ってくださいね」と優しく笑っていた。有り難いことだ。
「そうだ。御山さんも写真いかがですか?コン子ちゃんと一緒に。写真は後日お渡ししますよ」
「えっ、いいんですか」
「もちろん!」
そんな春野母の言葉に喜んだのはコン子さんだ。
手を引かれて看板の前に立つと、なんだか落ち着かない気分になる。彼女は嬉しそうに俺の足にぴったりとくっついて、向けられたスマホのカメラに向かってにっこりと笑顔を作っていた。
「コン子ちゃんは御山さんのことが大好きなのねぇ」
「うんっ、だいすき!」
カシャと音がする直前、コン子さんがそんなことを言ってくれたものだから。きっと俺は緩みそうになる顔を必死に取り繕うという酷い顔で写真に写ってしまったのだろうなとぼんやりと思った。




