朝のひと時
朝、目を覚ました俺の視界に映り込んだのは、デフォルメされたライオンが口を大きく開けているイラストだった。
これはあれだ。コン子さんのお気に入りの一つ、丈の長いフリーサイズのシャツの正面に描かれている不思議なイラストである。物自体は俺が古着屋で見つけてきた安物のシャツだが、彼女が目を輝かせるほど気に入るだなんて思ってもいなかった。コン子さんの好みは正直よくわからない。
そんなシャツも今や彼女の寝巻きと化している。
思わず息を止めて体を後ろに引くと、やはりと言うべきかそこにはぐっすり寝入っているコン子さんの姿があった。しかも、これもいつものことだが変化の術が解けている。
人間で言えば二十代前後の若い女性の姿。寝癖の付いた髪の間からは狐の耳が、柔らかい毛布の下からは更にもふもふの尻尾が顔を出している。
フリーサイズのシャツを寝巻きに選んでくれて本当によかった。寝る前は子供の姿でも起きたら成長しているだなんて、子供服だったらどうなっていたことか。考えるだけで俺が辛い。
布団だって二組用意しているはずなのにどうして毎日こちらに潜り込んでいるんだ。せめて気が緩むとすぐに術が解けてしまう癖は早めに直してもらいたいところである。でも、きっと無理なんだろうな……。
気持ちよさそうに寝息を立てているコン子さんを起こさないようにそっと布団から抜け出した俺は、両手でしばらく顔を覆って深呼吸を繰り返してから気合いを入れ直して部屋を出た。
顔を洗って台所に立つ。
まずは米だ。俺とコン子さん二人で一食二合は食べる。昼はまた別のものを作るとして、夕飯用も纏めて四合は炊いておこう。
お釜に四合分の米を入れてささっと水で三度程洗う。洗い終わった後にメモリ通りに水を注ぎ、それを炊飯器にセットしてボタンを押せば米が炊けてしまうなんて現代は凄いと最初は驚いたものだ。今はもう慣れたものであるが。
米を洗った後に水に付けておくといいとか、付けないまましばらく置いておくといいとか近所の人からはいろいろと聞くけれど、それはそのうち試しながらコン子さんの好みを探っていこうと思っている。
さて、次だ。
調理を始める前に洗濯機を回そう。それから軽く部屋の掃除とゴミ出し。帰り際に近所の住人に会ったのでそこからほんの少しだけ立ち話。これだけでも軽く三十分。
帰ってきて手を洗い、俺は再び台所に立った。
まずは軽く熱したグリルにキッチンペーパーで水気を拭き取った鮭の切り身を二枚並べる。アルミホイルを敷いた上で塩を振って火を付けた。
次に片手鍋に水を注ぐ。半分より少し少ないくらい。それをコンロに置き火を付けて、顆粒だしをプラスチックの小さなスプーンで一杯。
油揚げはコン子さんの好物だから俺は必ず入れている。袋から出した長方形のものを丸々一枚。長細く二等分してから重ね合わせて短冊切りに。油抜きは特にする必要もないだろうとそのまま鍋に投入。
油の付いたまな板と包丁はサッと洗い、次に取り出したのは大根だ。スーパーで買っておいたのは上半分のものなので、更に上の三分の一くらいを使うことにして残りは冷蔵庫へ戻す。
根本だけの葉っぱは水洗いして一センチくらいに切って鍋へ。大根は皮を剥いて二センチくらいだけ残し、あとはいちょう切りにしてそれも鍋へ。そうして大根が柔らかくなるまで少し煮立たせる。
そこでグリルを確認して鮭の切り身をひっくり返した。うん、いい匂い。
それが終わったらサニーレタスを数枚剥き、一枚一枚丁寧に洗ってから細かくちぎってボウルに入れる。更に先程残しておいた大根を今度は丸いまま薄切りにし、それを倒して千切りに。これもボウルへ。
あとは……と目を向けた先にあったのは台所の隅に置いていた豆苗だ。昨日スーパーで買ったもので、何かに使えないかと取っておいた苺のパックに水に付けて置いていたのだ。
昨日よりも伸びた気がするので早く使わなければなと思いながら、俺はそこから四分の一程切り取ってこれもボウルへ入れた。
軽く混ぜてからサラダ用の皿に二つに分けて盛り付ける。ミニトマトを半分に切って横に添えれば彩も華やかになっていい。最後に鰹節をぱらり。そして一旦それは冷蔵庫へ。
そうしている間に鍋が煮立ったので一旦火を止め味噌を溶かしていく。
「ふあぁぁ……おはよぅ……いいにおい……」
「ああ、コン子さん。おはようございます」
味噌を溶かし終えたところでコン子さんが起きてきた。どうやら起きてから変化の術をかけ直したようで今は人間の子供の姿である。とはいえまだ覚醒しきっていない少女はふらふらと足元が覚束ない様子だった。転ばないといいけど。
「朝食、もうすぐできますよ。顔洗ってきてくださいね」
「はぁい」
返事をして洗面所へ向かう背中を見送ってから、焼き上がった鮭を皿に盛る。
味噌汁も最後に弱火で温め直してからお椀によそった。
そこでちょうど炊飯器の炊き上がりを知らせる音が鳴る。
すぐさま蓋を開け、粒を潰さないようにしゃもじで混ぜていくと炊き立てのいい香りがした。
それを茶碗に装っていると、顔を洗ってすっきりしたコン子さん戻ってきた。その頭はまだ寝癖だらけだけれども。
「それ、もっていってもだいじょうぶ?」
「はい。熱いので気を付けてくださいね」
ほかほかの湯気の立つお茶碗を一つずつ渡して、ちゃぶ台にそれを置いてまた戻ってきたコン子さんにもう一つを手渡す。それを何度か繰り返してようやく全部運び終えたところで、俺は使った道具を手早く洗い、ドレッシングのボトルと箸を二膳持って少女が待つちゃぶ台のある部屋へ向かった。
「からすくん、ありがとうございます!いただきます!」
「はい、いただきます」
パチンと両手のひらを合わせて元気よく挨拶。終わればすぐさま両手で包むようにお椀を持ったコン子さんが味噌汁に口を付けている。
「んん〜、おいしい!おみそしる、おいしいよからすくん!」
「それは、よかったです」
ぱぁっと花が咲いたような笑顔を弾けさせているコン子さんを見られた。なんだかそれだけで今日の俺は最強な気がしてくるから不思議である。
一度お椀を置いて子供用の箸を持ち、今度は具材をぱくり。好物の油揚げに一瞬瞳を輝かせて、口をもぐもぐさせている様子はとても幸せそうだ。
ふと、どこからか軽いものが落ちるような音が聞こえてくる気がして、そろり覗き込めば彼女の後ろで尻尾が元気に揺れていた。心臓の辺りがぎゅっとした。俺が幸せです。
「からすくんは〜おりょうりじょうず〜」
「んぐっ……」
何やら不思議な歌を口ずさみながら茶碗に持ち替え、ツヤツヤの白いご飯をぱくり。鮭の切り身は器用に箸で一口サイズに割ってぱくり。その間にサラダにドレッシングをかけてあげればまた「ありがとう!」と元気よくお礼を言われる。
なんだか見ているだけで俺は腹がいっぱいになりそうだった。
そんな穏やかな朝のひと時。




