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サンドイッチと笑顔



 その日は桜の花びらが舞い上がるくらい強い風が吹いていた。透き通った青に薄い雲がまばらに散らばる晴れた日のこと。


 

 俺はようやく開けて見えたその視界の中で、揺れる獣の耳をぼんやりと眺めていた。

 

 ぴこぴこと不規則に震える耳。柔らかそうな毛に包まれた狐の耳。けれど膝の上に感じるのは獣の軽い重みではなく、しっかりと重量のある人間の子供のもの。

 

 少し視線を落とせは、赤みがかった黄褐色の短髪を持つ、まあるい幼子の頭が見えた。その髪の間から生えている狐の耳。たしたしと地面を叩く軽い音を発しているのは、彼女の持つもふもふの尻尾だろうことは見ずともわかる。纏う衣はこの時代で言う巫女服に違いない。

 

 そんな子供が三十路も手前の男に縋り付いて啜り泣いている。


 これはまずい。非常にまずい絵面だ。


 そうは思うけれど痛む体はしばらく動きそうもなくて、俺にはこの状況をどうすることもできなかった。


 だからせめて彼女のこの珍しい姿をあまり視界に映さないように。俺は花びらが舞う空にしばらく目を向けておくことにした。


 

 この日はまだ少し肌寒い三月。

 穏やかな昼下がり。


 

 それは、俺と彼女が、平穏を手に入れた日。




 

 ※



 


「はじめまして!わたしは、おみやまのこんこです!」


「御山コン子さん。それが貴女の名前ですよ」



 赤いランドセルを背負った六歳の少女は、来週に迫った小学校の入学式に備えて自己紹介の練習をしているらしい。

 意味もなく庭の端にある花壇の縁をぴょこぴょこ飛び跳ねているのはなんなのだろう。やけに楽しそうだが俺には何が良いのかさっぱりわからない。だがその姿はグッとくるものがある。



「わたしは、みやま、こんこです!」


「はい。今度は正解ですね」



 俺がそう声をかければ、花壇の縁からぴょんと飛び降りた少女が目の前まで走ってくる。するとついしゃがんでしまうのはここに来てから付いた俺の癖のようなものだった。

 


「それじゃあ、あなたのおなまえはなんですか?」


「俺の名前は御山烏です」


「みやま、からすくん!」



 答えが返ってきたことが余程嬉しかったのか、赤みがかった黄褐色の下で蜂蜜みたいな瞳がきらきらと輝いている。


 ただ名前を言い合っただけ。それだけなのにこんなにも喜んでくれるなんて。ここへ来てから二人で考えたものだけど、数日寝ずに考えた甲斐はあったというものだ。

 思わず口元が緩むのを感じながら俺は一度空に浮かぶ太陽の位置を確認した。



「そろそろお昼の時間ですね。準備をしましょうか。先程近所のスーパーで材料は買ってきましたので」


「はぁい!」



 元気な返事をして「よいしょ」と縁側に上がった少女に濡れタオルを手渡す。どうやら庭に出る前にしっかり用意していたらしく、柱の側に置いてあったものである。それで軽く足裏を拭き、部屋に上がった少女はランドセルを丁寧に棚にしまってから洗面所にとてとて走っていった。


 素足で外に出た時は足を拭いてから家に入ること。外から帰ってきたらまずは手洗いうがいをすること。

 これは俺とコン子さんとで決めた約束だ。


 

 小さな後ろ姿を見送って俺はようやく台所に向かう。



「えっと、食パンと野菜、ハムと朝作ったゆで卵、バターとマヨネーズ……コン子さんはマスタード食べられるかな」


「たべられるよ!」


「ではそれも使いますね」



 冷蔵庫から取り出した食材と台所に置いている調味料を幾つか。洗面所から戻ってきたコン子さんにも手伝ってもらいながらそれらを調理台に並べていく。道具も揃えれば準備は万端だ。



「さて、今日はサンドイッチを作りましょう」


「さんどいっち!やったぁ!」



 喜ぶ少女はいつの間にか黄色いエプロンを付けている。これはコン子さんのお気に入りの一つで、胸に向日葵のワッペンが付いた可愛らしいものだった。ちなみにそれを付けたのは俺である。


 身長の低い少女でも調理台の上で作業ができるようにと木で作った台を置き、そこに乗ったコン子さんは普段より目線が近くなる。

 この時ばかりは昔に戻ったみたいだと俺が思っていることは秘密だ。教えたらきっと揶揄われてしまう。



 気を取り直して、俺はボウルに殻を取り除いておいたゆで卵を三つ転がした。それをコン子さんの前の置いてフォークを渡して潰してもらう。

 事前に細かく切った方が潰しやすいし、便利なアイテムもいろいろとあることは知っているけど俺たちは揃って手間をかけることを好んでいる節があるので時間はかかるがこれで良い。


 その間に俺は野菜を細かくしておこう。

 

 そうして卵がある程度潰れたところで塩と胡椒を入れて味見。もちろん味見担当はコン子さんだ。

 ひとつまみ口に入れた彼女がにっこり笑って頷いたので、今度はチューブのマヨネーズをギュウッと絞りながら投入。量は味を見ながらの調整だ。これも全てはコン子さんの舌次第である。



「卵サラダはこれでよしっと。それじゃあ、食パンの耳を落としますのでバターとマスタードを塗っていってください」


「りょーかいです!」



 食パンの耳は付けたままでもいいのだけれど、あれはあれで別の使い道があるからな。落としてしまった方が子供でも食べやすいことに変わりはないし、今回は落とすことにした。


 コン子さんは調理台にまな板と、その上にラップを敷いて耳を落とした食パンを二枚並べている。そこにバターとマスタードを塗って今作った卵サラダをたっぷりと。あとは敷いていたラップでギュッと包めば、ほぼほぼ完成である。


 次は野菜だ。


 俺が手で裂いたレタスと輪切りにしたトマト、斜めに薄く切ったキュウリとそれからハムとスライスチーズを幾つかの皿に並べて置く。

 あとはお好きなものをどうぞとコン子さん任せにしておいたら、しっかり全部を入れたボリューム満点の野菜サンドが出来上がった。


 最後にラップで巻いておいたサンドイッチを包丁で四等分に分けて大皿に並べていけば調理は終了。使った道具も大きいものは先に洗って、そうしてようやく準備が整った。



「いただきまーす!」



 縁側に二人、サンドイッチを並べた大皿を真ん中に挟んで座れば、青空の下での昼食が始まる。

 

 今日は風も穏やかで気持ちのいい陽気だから、縁側での食事に俺は軽くピクニック気分だった。コン子さんも同じように思っていたら、嬉しいと思う。



「ん〜!たまご、おいし〜!」



 小さな口でかぷりと一口。あがったその声と幸せそうな笑顔が胸を温かくしてくれる。

 

 お昼は何にしよう、とか。コン子さんは何を作ったら喜んでくれるだろうか、とか。いろいろと考えながらの買い物だったから。こんな些細なことなのに、なんだか報われた気がしてしまう。



「野菜サンドも美味しいですよ」


「ほんとう?わたしにもちょーだい!あーん……」



 俺が手に持っているのは食べかけなんだけどな。それでもいいのかなと一瞬考えたけれど、今更かと俺は手の中のサンドイッチを差し出した。

 

 やはり大人と子供の一口はだいぶ差があって、コン子さんが齧り付いた跡は俺のよりもずっと小さかった。



「ん〜!おやさいも、おいしい!」


「よかったですね」


「うん!」



 穏やかな日。外での食事。コン子さんの幸せそうな顔。こんな時間が日常になるだなんてここに来てすぐの頃は思ってもいなかった。


 



 この世界へ落ちてから約一年。

 

 少し不正を働きつつも何とか戸籍を手に入れて、そこからは必死に働いて借りた家。庭付きの一軒家。ぐるりと周りを囲む石の外壁は目隠しには最適だし、庭には大きくはないが花壇がある。隣人は挨拶回りをした限りいい人ばかりで言うことはない。

 

 しかも近くには地域には根付いたスーパー、少し遠出をすればショッピングモールにホームセンターまで揃っている。こんな場所の家を借りられただなんて俺たちはかなり運が良い。

 

 いや、コン子さんの運が良いのだろうな。

 


 千年は生きているという天狐でもある彼女とは違って、俺は一介の烏天狗に過ぎない。多少の戦闘能力と神通力はあっても、コン子さんの足元にも及ぶまい。

 彼女は今は変化の術で人間の子供の姿になっているけれど、前の世界では神様にも等しいお方なのだから。


 

 ともかく、俺は大人の男として、そしてコン子さんは女の子として。この世界での人生はまだ始まったばかりなのである。

 

 こうしてゆっくり昼食を共に食べられるというのも、ここ一ヶ月くらいでようやくできるようになったことだった。



「これから何か、やりたいことはありますか?」



 もぐもぐと口を動かすコン子さんがその問いかけに俺を見た。そのまま少しの間見つめ合って、ごくんと口の中のものを飲み込んでから彼女の答えが返ってくる。



「あのね。わたし、おやさいそだてたいの」


「野菜、ですか。買うのじゃダメなんですか?」


「うん。まえは、もらってばかりだったから。こんどはつくってみたいんだ」


「そうですか、わかりました」



 確かに、前の世界で彼女は人間たちから貢ぎ物として作物を受け取っていた。それがどれだけの苦労の末に作られたものなのかと気に病んでいたことも知っている。

 

 しかし、その貢ぎ物の代わりに彼女が与えていたのががどれだけ大きなものだったか。コン子さんはそれをわかっていない。

 


「あとね、いろんなごはんをたべてみたい。いろんなところにいってみたい。もちろん、ぜーんぶ、からすくんといっしょに、ね!」


「……はい、わかっています」



 俺は山を守るという役目を放棄してここにいる。同じ山に住んでいた天狐様を掻っ攫ってここにいる。


 本来ならば側にいることは愚か、生きていることさえ許されないくらいの大罪を犯したのに。それでも彼女は笑いかけてくれるから。



「えへへ、たのしみだなぁ!」



 俺はこの笑顔を守るためだけに、これからを生きるのだ。



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