第83話 A子
ぶつんと紐が切れる音。何かが割れる音がして、顔と体の左側に衝撃と痛みが走った。
首も痛かったし苦しかった。
もしかしたらどこか高いところから落ちたのかもしれない。
息苦しさに勝手に飛び出る咳をなんとか落ち着かせ、手をついて起き上がる。
目元を隠した前髪を耳にかけて、顔を上げた。
フローリングの狭い部屋だった。
見上げるとロフトがあって、梯子のてっぺんに途中で千切れた紐が括り付けられていた。嫌な予感にうめいて首をさすると、こちらにも輪になった紐が首にまとわりついている。
慌ててそれを取ってできるだけ遠くに投げたが、大して飛ばずにへろへろと落ちた。
その紐の近くに、鏡が割れて散らばっていた。さっきの音はこれのようだ。
たぶん首を吊って苦しんでいる時に暴れて、梯子の側の棚に置いてあった鏡を蹴ったのだろう。
片づけなきゃ。と、鏡の破片を手に取った。
歪んだひし形に割れた鏡を覗き込むのは、黒髪に黒い目の、ちょっとだけタヌキに似た顔の女。
あ、私だ。グロリアじゃない。そう思った。
今さらながら体も動かせる。
A子? いや、そうだけどそうじゃない。私は、そうだ、栄子……本条栄子だ。
あれは夢だったのかと考えて、違うと首を振ったら顔がじんじん痛んだ。
だんだん自分のことを思い出してくるにしたがって、栄子はふがいなさに泣きたくなってきた。
今日、高校から付き合っていた彼氏を大学の後輩に取られた。
二人は浮気を知って泣き出した栄子を嘲笑った。
それだけじゃなく、後輩は泣く栄子を「うっとうしいから泣かないでよ」と突き飛ばした。
「俺を好きっていうならマジで……」と言いながら親指を刃物に見立てて首を切る真似をして、「黙って死んでくれ」と彼は吐き捨てた。
その時は悲しかったのだと思う。
だが今は猛烈に腹が立っている。
ああ、なんて馬鹿らしい。
死ぬべきは彼氏と後輩だ。できるならこの手でやってやりたい。
でも本当に殺しちゃまずいから、社会的に殺すにはどうしたらいいかな?
グロリアならどうするだろう?
彼女はすごく悪い人だったけど、不思議とかっこよかった。
そう思うのは、今の私が復讐したいと思っているからかもしれないけれど。
だから自分の命さえ復讐のために使ったグロリアのことを、尊敬して、憧れてしまうのかもしれない。
鏡の破片を拾い集めながら考える。
とりあえず、今は打った顔を冷やすのはやめよう。それで顔のあざが一番酷い状態になったら大学に行く。
彼氏たちとは共通の友達が多いから、あっちも先に「栄子が悪い」って吹聴してるだろうけど、このあざをさらして「別れる時に、彼に死ねって言われて……」って泣いたら周囲はどう思うかな。
泣くのはちょっとやり過ぎかな? でも「彼の心を繋ぎ留められなかった私も悪いの」ってセリフは効果ありそう。
ねえグロリア、どう思う?
鏡の破片を覗き込んで尋ねると、黒い目が愉快そうに瞬いた。
その色が紫ではないことが、少しさみしかった。
end
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