第76話 教育
ニコラスが産まれてから十年間、グロリアは内政にいそしみつつもこの子供への教育の手を休めなかった。
帝王学はもちろん一般常識から基礎的な学問まで一流の教師を雇って詰め込んだ。
だが自ら教えることはしなかった。
グロリアは王妃である。国王ではない。
ニコラスは次期国王である。次期王妃ではない。
王妃には王妃の、国王には国王の学が必要なのだ。
だから教わるならば父であるエドワードから学べと、事あるごとに言った。父が教えてくれないのならば、それは背を見て学べということなのだと説いた。
たとえ父親が日の高いうちから女を寝床に連れ込んでいたり、政治に全く関係ない享楽的なパーティーを催して連日連夜遊んでいたとしても、それを反面教師に学べばいいだけの話である。
常識と基礎的な知識は詰め込んであるのだ。応用と発展を父の背中で学べばいい。
A子の溜め息が聞こえてきたが、ニコラスのために教師を自ら手配し、父を見て学べと諭すグロリアはこの世界では母として十分すぎるほど子供に対する義務を果たしている。
もっと古い考えの貴族には、女が跡継ぎ教育に口を出すなどもってのほかだと口を極めて力説する者も多い。
平民への学校教育の整備といい、グロリアは教育分野の発展に熱心な王妃であると周囲には思われている。
この十年で平民への学校教育の大切さは共有された。
A子の国のようにというにはまだ遠いが、知識を得ることが自分たちの未来を作るのだという認識は平民たちに行き渡ったようだ。
そしてこの十年で、ポールとカイラが結婚した。
彼らの結婚式では、わざわざ聖地まで赴いて祝福し、〝ジェフの鐘〟を鳴らしてやった。
その後ポール夫妻が忙しくなると、聖地に関する報告をブライアンが担うようになった。
王妃と会うとなればそれなりの身分と礼儀作法が必要になる。その点、ブライアンは腐っても侯爵家の人間であったため適任であった。
そのブライアンの意識も、この十年でだいぶ変わった。
エンベリー侯爵家は騎士の家系だ。
今までブライアンは、エドワードの騎士になるのだと思って生きてきた。
聖女詐欺の疑いがあるメロディを守るため、主君であるエドワードの頼みで立会人として戦場となった聖地へ行き、重傷を負った。
それでもまだメロディを聖女だと信じていたし、エドワードがまだメロディを愛していると思っていたからコードウェルに雇われて聖地で彼女の名が刻まれた慰霊碑の守をすることに決めた。
身分は騎士と言えなくとも、心は騎士として最後まで主君のために仕えるつもりだったのだ。
それなのにこの十年間で一度も、エドワードからメロディの名を聞いたことがない。
忠誠を誓っていた男は自分たちの聖女を忘れ、国王として華やかな生活を送っている。
メロディは死に、自分も社会的に死んだのに。
対してグロリアは、ブライアンにとって仕えがいのある主人に見えたのだろう。
何よりグロリアはメロディの名を慰霊碑に刻み、行き場がなくなるであろう彼を助けた。
王妃として導き手として正しい道を歩んでいる。
重用していたハトルストーン家の次男のことも、身内意識で庇うことなく破門という厳しい罰を与えた。
騎士になれなかったこと。
そして良き主人と信じていたエドワードが、そうではなかったこと。
ブライアンのそうした屈辱と後悔が未練となって自分にすがりついてくるのを、グロリアは感じていた。




