第37話 セドリック・フォン・ハトルストーン
「自分の機嫌を自分で取れないような男が婚約者で、大変ですね」
と、王太子が帰っていってから控室に来たセドリックが言った。口元に侮蔑の笑みを浮かべている。
「殿下がいらっしゃるから私は父の望みを叶えられたのだ、それ以上は望まない」
グロリアの模範的だがよく聞けばやや微妙な回答を聞いて、セドリックは肩をすくめた。
聖女の後ろ盾となって教会内で権力を握った前世のように、神の涙の開発と流通に初期から関わったハトルストーン伯爵は今世でも大きな権力を得た。
家の調子が良ければ本来の階級による線引きは曖昧にもなる。
伯爵家と公爵家ではよほど親しくなければ馴れ馴れしい口などきけないが、セドリックはグロリアに気安い態度で接してくる。それを許した覚えはないが、グロリアはあえて咎めることもしなかった。
ハトルストーン家は特殊な家である。
もともと我が国でも最も古くからある家門の一つで、建国当初から教会と王家の橋渡しをする役割を担っていた。現代でもそれは変わらない。
当主は全体の統括をしつつ教会内政治のため支持を集め、嫡男のエイブラムは司教を補佐し、次男セドリックは王太子の側近となって王家と教会の橋渡しをする。
前世において教会派閥の貴族として聖女の後ろ盾になったハトルストーン家としては、貴族派とよばれる敵対派閥のコードウェル公爵家の娘よりも聖女が未来の王妃となるほうが都合がよかった。
グロリアが裁判もなくさっさと処刑されたのは、王家に対し監査役を担う教会がハトルストーン家に掌握されていたことによって、その機能をはたしていなかったことにも原因があったのだ。
今世では聖女の出現はなく、貴族派閥の最高爵位であるグロリア自身が〝導き手〟となった。はじめは教会派のハトルストーンにとって厄介だと感じたことだろう。
しかし貴族派の急先鋒だった父が事実上当主の座を退き、派閥内でも穏健派の叔父ホレイシオが実権を握ることになるとそのやりにくさは解消された。
コードウェル公爵家とハトルストーン伯爵家が手を組んだことによって、貴族の勢力図も大きく変わったが、グロリアはそうした派閥争いに関しては触れないでいる。
教会の全面的な後援を得るグロリアにとって教会派閥の長とはいえハトルストーン伯爵家におもねる意味は薄く、といって今のコードウェル公爵家が貴族派閥の長を名乗るには少し教会の色が付きすぎてしまった。
今では叔父が貴族派閥の面倒をみ、グロリアはハトルストーンを通じて教会派閥の言い分を聞く、という体制でバランスをとることになった。
そのグロリアが通じているハトルストーンの人間が、セドリックである。
王太子はあの体たらくだし、A子いわく〝脳筋騎士〟であるブライアン・フォン・エンベリー侯爵子息をはじめとした側近候補たちは、エドワードの側にいながらその行いを諫められないことから全員評価がパッとしない。
今のところ王太子の世代で名を上げているのは、グロリアとセドリックくらいのものだ。
とはいえ、初めて会った時のセドリックの態度は前世よりもひどかった。
グロリアが手掛けた酒の話を叔父からあらかじめ聞いていた教会伯爵は、王太子の婚約者選びの茶会で王太子に側近候補として目をかけられるよりもグロリアに媚を売れと命じたらしい。
もともとセドリックは王太子の側近となるよりも、兄のエイブラムのように神に仕える者のために、ひいては神のために何かしたいという思いが強かった。
王太子に気に入られるよう立ち回ることすら嫌だと感じているのに、その婚約者になぜ媚を売らねばならないのか。
けれども家長の命令は絶対である。
ぶすっとした顔を隠しもしない王太子の横で、こちらはなんとか不貞腐れた顔を隠したセドリックがグロリアに話しかけてきた。
A子が懐かしむように思い出した記憶によれば、乙女ゲームのエピソードでもグロリアが聖女に代わっただけでセドリックの態度は変わらなかったらしい。
「神様のためになにかしたいのなら、いっぱいお勉強をして、その知識を困っている人のために使えばいいんじゃないかしら! 殿下の側近になったとしても、それはできることだと思うの」
という聖女のこの発言のおかげでセドリックは知識を蓄えるようになる。
そのせいで視力が落ちて眼鏡をかけるようになり――つまりA子いわく〝攻略対象のインテリ眼鏡〟になった。
それを知っていたグロリアは、不機嫌をなんとか取り繕って話しかけてきたセドリックの「本当は神様のためになることをしたい」という発言に対して、聖女と同じようなことを吹き込んだ。
「媚より酒を売ればいい。平民にも神の祝福を感じられるようにと作ったこの酒を広く流通させることこそ、神のために行動しているといえるだろう」
グロリアの言葉にハッとしたセドリックは商売を勉強し、今では父親の伯爵とは別に、貴族の子弟を通じ彼らの領内の平民へと通じる販売ルートを確立した。
視力は落ちなかったらしく、眼鏡はかけていない。その事実を知ったA子が脳内で号泣していた。
〝メガネ男子〟とやらを見るのが好きなのだそうだ。グロリアにはさっぱりわからない。
あまりにも嘆くので、一度セドリックに眼鏡をかけるように言ってやろうかと聞いたことがある。A子の答えは否だった。
(メガネは意思! 心なんだよぉ……強制されたメガネなんてメガネじゃないんよ……!)
慈悲の心を出した自分が悪かったのだと思い、それからA子の嘆きは徹頭徹尾、無視することに決めた。




