第32話 後継者
男が軽く上半身を起こした状態で仰向けにベッドに寝かされている。脳に受けた損傷のため四肢は麻痺し、動かない。
体はピクリともしないが、意識はある。自発呼吸もある。声をかければまぶたは開き、言葉に対して目がさまざまな方向に動くので、話を理解できてもいるらしい。
つい先日まで精力的に動き回っていた父を知る者にとっては、この姿は痛ましく、憐れに見えることだろう。
枕元に立った叔父は兄の姿を見て痛々しそうに顔をゆがめ、その息子のバーナードは見知った人の変わりはてた姿に生まれて初めて触れて泣きだしそうだった。
そんな彼らに合わせてグロリアも悲しそうに顔を伏せ、ハンカチで口元を押さえる。
けれども内心は、実に都合がいいと狂喜していた。
手は出せない。口も出せない。だけど意識はある。こちらの言っていることもわかる。
でもこれではコードウェル公爵の仕事はできないし、任せられない。
アランへの復讐はやや不完全燃焼だったが、そのアランが実にいい仕事をしてくれた。
墓に本物のクローバーでも供えに行こうかと思うほどだった。幸運の四葉のクローバーを。
「父上、聞こえていますか」
グロリアはか細い声で語りかけた。嬉しさをこらえて悲しい顔をしていたら、自然と声が震えてしまったのだ。
父の眼球だけがぎょろりとこちらを向いた。
そしてゆっくりと視線を動かし、ベッドの側にいるのがグロリアだけでないことに気が付いたようだった。
「長く間をあけてしまい申し訳ありません。忙しくてなかなか時間が取れませんでしたが、良い報告があります」
父がいなくとも世間は目まぐるしく変わっていく。そして父がいなくても、コードウェル家は支障なく回っていく。
「まずはコードウェル公爵家の跡継ぎについて。こちらは叔父上の快諾もあり、無事にバーナードが次期公爵として王城にも認められました」
「コードウェル公爵家の名に恥じぬようせいいっぱい頑張ります!」
淡い光沢の金髪に、やや金色に近い紫色の瞳。コードウェルの色というにはやや色素が薄い九つの男児が、澄んだ高い声で挨拶をして、寝たきりの男に頭を下げた。丁寧な所作だった。
父はコードウェルの当主としてふさわしい濃い紫色の目を限界まで見開いて、麻痺して動かない声帯を精一杯震わした。空気を撫でるような音のない息が漏れる。
「それから、以前より開発していた酒が完成しました。まだ改良の余地はありますが、平民向けに発売するには十分の出来です。教会伯爵にも後ろ盾をいただき、来月王都の大教会にて披露されます」
叔父が手に持っていたガラスの瓶を父の目の前に持ってきて、嬉しそうに笑う。
窓から注ぐ昼の日差しを受けて、緑色の酒瓶がキラキラと輝いた。
「この酒の開発と披露が、エドワード殿下の婚約者としての実績の一つ目となるでしょう。これだけで終わらぬよう鋭意努力します」
ぎょっとしたように目を向けてきた父に、グロリアは穏やかに微笑んだ。
「そうです。先日殿下の婚約者選びの茶会を終え、無事にこのグロリアが婚約者に内定しました」
胸に手を当てて優雅にうなずいた。




