第16話 問題は、
ケイトが飛び出していってから少しして、血相を変えた医師たちがやって来た。
その場にいた場所で平伏する針子たちを邪魔くさそうに蹴散らしてグロリアのもとへやって来た老年の医師は、カイラが押さえるグロリアの指をそっと手に取った。
「傷害事件が発生し、お嬢様が流血するほどの負傷をしたとケイトから聞きました。何事があったかと心配いたしましたぞ」
老年の医師の言葉にうなずきながら、助手が抜き取った針を検分している。
そしてしばらくじっくりと眺めたあと「汚れも錆も見当たりません」と胸をなで下ろした。
「それならば大丈夫でしょう。しかし患部を汚れにさらしたり、無茶に動かして傷口を広げたりはしないでください。カイラ殿、どうか頼みましたぞ」
老年の医師が清潔な布でグロリアの傷口をぬぐいながら言った言葉に、グロリアとともにカイラもしっかりとうなずいた。
彼女の病気を治療したのはこの老年の医師で、二人はそれからよく話す仲になったらしい。二人の間には気安さが見えた。
「ケイトは騎士を呼びに行くと言って飛び出していきました」
医師の言葉を聞き、オーナーと針子たちが顔をさらに真っ白にして地面に額をこすりつけた。
その姿を見て、思わずといったふうに(なんでそこまで?)とA子が胸の中で呟いた。
検針をすり抜けた針が肌を傷つけたとなれば問題になることは、A子もわかっているようだ。
ただ店の人間が全員ここまで平身低頭し、まるで屠殺を待つ家畜のように震えるわけがわからないらしい。
「では……憲兵も呼ばれますね」
針が刺さっていたドレスを残念そうに見ながら、医師の助手がため息をついた。
この程度で……と、同情気味なのが見て取れる。
「当然です。お嬢様の、貴族の肌を傷つけたのですから!」
射殺さんばかりの目で針子たちをにらみつけるカイラが言ったことが、A子のとまどいに対する答えの全てである。
たとえグロリアの傷が日本では傷のうちに入らぬほど浅いものだったとしても、貴族の髪の毛一本でも平民が傷つけたら処罰されるのがこちらの世界の常識だ。
しかも今回は血が出ているし、原因はドレスメーカーが見逃していた針である。
原因と結果と身分差によって、針子たちだけでなくオーナーも憲兵に捕らえられ厳しく詮議され、場合によっては厳罰に処される。
運よく罪を免れたとしても、そういう事故があったという話が社交界に出回れば店は確実に潰れる。そこで働いていた針子を雇う店もないだろう。
グロリアが彼女たちの作ったドレスから飛び出した針で怪我をしたその瞬間に、彼女たちの人生は終わったも同然なのだ。
カイラの視線にすくみあがって震える針子たちとオーナーに、グロリアは言った。
「私はお前たちの腕を買っている」
まるでドレスに刺した刺繍の花のように、引き込まれそうなほど優しく微笑んだ。