第00000100話 夜市と再会
夜のオフィスは、冷房の名残だけが漂っていた。
夜市は椅子にもたれ、スマホの小さな光に目を細める。
――yanari_miko:yoichiさん、今日の配信でご支援してくれましたよね。本当にありがとうございました。メタバースで再びお会いして、直接お礼を言わせてください
その一文を読み返すたび、胸の奥で小さく火花が散った。
気まぐれで投げたスパチャが、こんな形で返ってくるとは思ってもみなかった。
躊躇はなかった。
「こちらこそ。どんな世界で会えるのか、楽しみにしています」
送信を押した瞬間、退屈な日常の表面がぺり、とめくれた気がした。
約束の時間、夜市はヘッドセットをかぶる。
視界が暗転する。指定した場所に飛ぶと、次の瞬間、星の降る広場が広がった。
光の粒が空から静かに舞い、床面のガラスに映りこんでいる。
現実よりも澄んだ夜。触れられそうで触れられない空気。
その中心に、ひとりのアバターが立っていた。
白銀の髪、淡い光をまとう瞳。
夜鳴ミコ――画面越しでしか見たことのない姿が、いま真正面にいる。
「yoichiさん?」
アバターの口元が柔らかく動き、声が空気に溶けた。
「……本物?」
「本物、というか……まあ仮想だけど、本物です」
その返答が妙におかしくて、二人は同時に笑った。
初対面なのに、初対面のぎこちなさがなかった。
散歩するように歩きながら、話題は自然に広がっていく。
ミコは、視聴者が気づかない舞台裏の不安や、小さな工夫を楽しげに語る。
夜市は、森のデータの話や、夜の鳥のことをかみ砕いて説明する。
「そんなに気をつけてるんだ…」
「生き物は、人の“善意”で壊れることもあるんですよ」
「……わかる。やつがれも“リアルの私”を守るために、いっぱい隠してる」
言葉がふっと重なった一瞬、距離が縮まったように感じた。
夜市は思う。画面越しの彼女はいつも明るかったけれど、実際に話す彼女はもっと複雑で、もっと人間に近い。
気づけば、星空が色を変えていた。
メタバースの夜が深くなる。
「……楽しかったです」
ミコが名残惜しそうに言う。
「こちらこそ。また来ましょう」
「うん。また来よう。絶対」
ログアウトの光が、彼女の輪郭をかすかに溶かしていく。
ヘッドセットを外す。
さっきまで誰かと肩を並べて歩いていた、不思議な感覚。
画面越しにいる“誰か”ではなく、対等な相手として会話した実感。
夜市は小さく息をつき、背筋を伸ばした。
――今日の“再会”は、ただの偶然じゃない。
メタバースから現実へ戻っても、その確信だけは残っていた。
静かな部屋の中で、彼はゆっくり微笑んだ。




