第九話 氷の王子と名のある勇者
市街地からエディバラ城へ入ると、生きているエーテル騎士団の姿はなかった。
あるのは残骸だけ。
青を基調とした豪華な城の内装は至る所が崩れており、ところどころが焦げ付いていた。
「どうなってるんだ? ここがエーテル騎士団の本拠地なんだよな」
ある騎士は剣が刺さっていた。
ある騎士は胸に風穴があいていた。
嫌な静けさの中で、ひたすらに俺たちの歩く音だけが響いている。
「エーテル騎士団が弱かったのはこれが原因だろうな」
歩を止めることはなく話し始めるボールス。
その声に全員が耳を傾けている。
「倒れている騎士たちの腕章や勲章バッチを見ればわかる。所属はそれぞれだが、王族派の騎士はエーテル騎士団に叛き戦ったわけだ」
そうか......元々エディバラには強力な騎士たちがたくさんいたのか。
でも、一部の騎士たちが離叛したことで戦力が不足した。
結果としてエクターやルーガンみたいなエーテル騎士団の隠し球がでしゃばるしかなくなった。
しかも、まさかあの2人が突破されるなんて思って無かったんだろうしな。
「......ついたぞ」
そのひと言でようやく気がついた。
並の人間では開けることさえままならないほど大きく、重厚な扉。金色のメッキで装飾された金具は埃をかぶってくすんだ輝きを放っている。
ボールスが先行し金具を握りしめ、床の軋む音と同時に扉がゆっくりと開く。
ボールスは開け放つことはせずに人1人が通れるくらいに止め、そこへ騎士たちが流れ込んだ。
誰もいない?......いや違う。大広間の奥、壇上にある玉座に腰を下ろしている誰かがいた。
その男は、全てを見下すような目をしていた。
アデリティ王国第一王子。モルレッド。アーキスの実の兄であり、一連の騒動を先導した張本人。
少しカーブのかかった髪や紺色の瞳はどこかアーキスに似たものを感じる。だが、その瞳から光は見て取れなかった。
「来てしまったか」
俺のAIアシスタントですらもう少し人間味のある声で話せそうなほど冷め切った声。
「興ざめだな。エクターもルーガンも、所詮はただの騎士か。もう少し強き“物”だと思っていたのだが」
「貴様らのような取るに足らぬ雑魚どもに負けたのだ。これではエーテル教会の面汚しだな」
ここまで一筋縄で行かなかったことからも明らかだが、あの2人含めてエーテル騎士団は相当強いはずだ。強いから信頼して前線を任せてたんじゃないのか?
なのに、負けた瞬間手のひら返し。
「......お前に、何がわかんだよ」
力の差なんて考えてなかった。いや、本当は考える余裕すらなかったのかもしれない。
エクターやルーガンを馬鹿にされたのが何故だか無性に腹立たしかった。
「おい、虫けら。今なんと言った」
声の重みが増す。部屋の中が凍りつく。
「お前には何もわからねぇって言ってんだよ」
少しでも気を抜けば声が震えていたと思う。そのくらいには怖かった。
「そうか、確かに私には虫どもの気持ちなどわかったものではないな」
......こんなやつが本当にアーキスの兄なのか?
認めたくない。認められるわけがない。
決心はついた。
「今のお前とは、分かり合えそうにない!」
剣を握る手に力を込めて走る。
モルレッドまでは数メートル。数秒たらずで間合に入れる!
「血気盛んなことだ。少し落ち着け」
『間氷期の終わり』
一瞬。瞬きをする時間すらなかった。
体温を奪われるほどの極寒。大広間はコンマ数秒の間に白銀世界へと生まれ変わる。
何が起きた⁈
身の毛もよだつ寒さを前に、足が止まる。
まさかこれがモルレッドの能力なのか?
「さあ、勇者。私と勝負しようではないか。後ろを見たまへ」
恐る恐る振り返る。
そこには、氷に足を侵された騎士たちの姿があった。
鋼鉄の鎧を徐々に青白く染めていく結晶。
逃げることすら許されていない彼らの顔は、少しずつ色を失っていた。
「貴様の率いてきた騎士たちの命はあと数刻。その間に私を倒さなければ、わかっているよな」
俺を嘲笑うモルレッド。
まただ。また俺の勝手でみんなの命を危険に晒してしまった。軽率すぎた。どうしても感情的になると周りが見えなくなってしまう。
「死。たいそう苦しいだろうな。凍えて生き絶えるのは。救ってみせろよ、”世界の“勇者」
救えるのか? 俺1人でモルレッドを...倒せるのか? どうしたらいい。どうすれば勝てる。
エクターを倒した時はボールスが援護してくれた。ルーガンとの戦いではもはや俺は必要なかった。剣も能力も使いこなせていない俺に、本当に倒せるのだろうか。
「...蓮斗! 俺たちのことは気にするな。俺たちはお前を信じてる。俺たちを見て、目を曇らせてんじゃねぇ!」
ボールスの声だった。俺のせいで1度生死の狭間を彷徨ったのに、それでも俺を信じてくれている。
周りの騎士たちも、心なしか首を縦に振ってくれているように見えた。
信じてくれてる。こんなに不甲斐ない俺のことを、みんな信じてくれている。
やるかやらないかではない。やるしかないんだ。
もう一度モルレッドを見る。ハイライトのない紺色の瞳。外が純白で裏地は暗い赤のマント。その下には深藍のウエストコート。
右手には薄水色の剣が握られている。
俺が負ければ、みんなやられる。そして何より、こいつを信じて戦ってきたエーテル騎士団の連中が誰も報われない。
重々しい鐘の音が広間中に響き渡った。
ここで、勝つ!
「勇者の一閃‼︎」
新しいイメージ通りに剣を盛大に振り払う。
ステンドグラスから入ってきた陽の光を浴びて、ダイヤモンドのようにキラキラと輝く白銀世界を一筋の線が横断する。
まともにくらえば必殺。勇者の一撃はそういうニュアンスがあるらしい。だが、それは文字通り当たればの話だ。
刹那。でも俺の目にははっきりと見えた。
斬撃を飲み込む赤色の影。
何かなんて考えるまでも無い。
“城塞都市防衛結界”
元々は城塞都市を攻撃や天災から守るためにあるものだが、今は違う。
モルレッドの力によって、その絶大な力を俺たちにふるっているのだ。
俺が何度剣を振っても、赤い影は確実に斬撃を貪り喰った。
「諦めろ。貴様如きの攻撃では、この結界を破ることなど出来まい」
このままじゃ埒が明かない。遠距離から斬撃を飛ばしても俺が疲れるだけじゃねぇか...
体温を奪われ、動き回っていた俺の息は完全に上がりきっていた。ボールスたちもだが、俺の体力も結構ヤバいのだ。
......そうか! 結界が発動できないほどの至近距離で攻撃すれば、ダメージが入るかもしれない。
隙をうかがっていれば先に力尽きるのは俺たちだろう。とにかく時間がない。
うおぉぉぉぉぉぉ!
雄叫びを上げながら俺は走った。届かなければやられる。間合いにさえ入れれば、やりようはあるはず!
目の前の第一王子は薄水色の剣を構え、俺を迎え撃った。
剣と剣とが交叉する。
舞ったのは火の粉ではなくチラチラと輝く氷の結晶だった。
氷製の刃は俺の剣とかち合う度に刃こぼれしているように見えたが、その瞬間に再生しているらしい。
ルーガンの時とは違う! やり合えてる。モルレッドの攻撃についていけてる!
俺は一気に畳み掛けた。持ちうる力全てをもって、何としてでもここで倒す!
モルレッドの剣が確実にボロボロになっていくのがわかった。再生が追いついていないのだ。
これなら...勝てる‼︎
あと一撃。もう一撃で剣をぶっ壊せる。
そうすればあとは...⁈
「蓮斗! 後ろから来るぞ!」
反応しきれなかった。俺が振り返ろうとした時には、大きな“手”が俺めがけて迫っていた。
『白銀世界の化身』
鈍い衝撃よりも肌を刺すような冷たさが俺を襲った。指だけでも3メートルはある巨大いな右腕。
胴を捕まれ、身動きの取れない俺に向かってモルレッドは話し出す。
「完成体とは言えないが貴様を殺すにはこれで十分だ。にしてもよくもまあ、その注意力でここまで生き延びれてきたな」
今思えばその通りだと思う。正直、俺1人ならミラミで出会したドラゴンにズタズタにされていたことだろう。
なぜかはわからない。でも、腹の底から笑ってしまった。
「俺がここまで来れたのは......俺のことを“信じ”てくれて、俺も“頼れる”仲間が周りにいたからだ!」
アーキス、ボールスにブレイク、アグロヴァル。みんなと一緒にここまできた。みんなと一緒だからこそここまで来れた。
「仲間と呼べるほど信頼していた奴がいなかったお前にはわからないと思うが、頼れる人がいるって言うのは――」
モルレッドの眉間に皺がよる。
「もういい。もういい! 貴様の声など聞きたくない。言わせておけば、お前まで私を見下して...ここでくたばれ」
『氷塊の死』
モルレッドの頭上に赤みを帯びた結晶が集まり、次第に大きくなる。
場所によってはキラキラと太陽光を反射していて、何も知らない人が見れば不思議で美しい光景と思ってしまうだろう。
俺を掴む力がどんどん強くなり、激痛が身体中を襲う。
骨の嫌な音が聞こえ、息ができなくなる。
「消え失せろ...勇者」
赤白い結晶が轟音とともにさらに小さく小さくなっていった。ある点を超えた時、ポコポコと煮立ったような音がなり始める。
単純に巨大な結晶をぶつけるわけでは無いらしい。とすれば......レーザービームみたいになるのか⁈
パッと。太陽よりもずっと明るい光が放たれ、思わず目をつぶってしまった。
......生きてる?
真っ黒な視界に少しずつ光が入ってくる。
目の前には大きな背中が見えた。鎧に描かれているマークは、以前ボールスから説明を受けた印だった。
『王国を守り抜く大楯。敵を穿つ2本のロングソード。簡単に言えばこれが聖スミレスト騎士団の旗印だ。同行することもあるから覚えとけよ』
もしかして......イージス⁈
バチバチと火の粉が舞っている。どうやらイージスが間一髪のところで守ってくれたらしい。
「霧谷殿。遅くなって申し訳ない。詳しいことは後からゆっくりと」
確かイージスは北西部の鎮圧に動いていたはず。真逆と言って言いここまでどれだけ飛ばしてきたんだよ。
イージスが押されているのはすぐにわかった。ジリジリと、だが確実に俺との距離が近づく。
イージスの疲労もあると思う。だがそれ以上に言えることがひとつある。
これが王家の血を引いたモルレッドの本気。
あのまま喰らっていればどうなっていたことか...考えただけでゾッとする。
「まさかそこにいるのはイージス! 貴様まで私の邪魔をするのか。どうしてだ? お前もこの国に対していい思いはしていなかったのだろう」
急にモルレッドが話しだす。多分、イージスを説得して味方にしたいのだろう。
「貴様の父も姉も、婚約者すら貴族同士の醜い権力抗争で死んだではないか! 今ならまだ間に合う。そやつを殺してこちらへ来い!」
イージスの家族が貴族の争いで失われた? まさかそんな過去があったとは思いもしなかった。
「それに貴族間の争いから民衆を守るために設立した聖スミレスト騎士団すら、公爵家の家督争いで利用されているのだろう。なぜそこまで壊されてもこの国に味方する?」
モルレッドの話に対して、イージスは一言だけだった。
「私は騎士道を重んずる“なりそこ無い“の騎士である」
心の中なんて誰にも分からない。況してやイージスの過去を鑑みれば、いっそう心境は複雑なものだろう。
言葉による返事はなかった。代わりに来たのはさっきまでモルレッドが持っていた剣。
イージスが止め続けていた赤みを帯びたビームが散乱したのと同時に。騎士の赤黒い血とともに薄水色の刃が鎧を貫通した。
イージス!
数メートル落下した騎士。白銀世界には重たすぎる色が加わっていく。
駆け寄ると、まだ息はあるようだ。
「イージス! しっかりしろ! こんなところでいなくなるなんて嫌だぞ!」
叫ぶ俺に向かって掠れた声が聞こえる。
「霧谷殿...モルレッド様をお救いください。彼の方は何か邪悪なものに取り憑かれている。本当はもっと優しいお方だ。私では力不足でしたが、あなた様なら必ず成し遂げることができるはずです。私は信じておりま...す」
イージス...そんなのありかよ。どこまで忠義深いんだよ。目の前がぼやける。気づいた時には頬を涙が伝っていた。
「わかった。守ってくれて本当にありがとう。俺、頑張ってみるよ」
イージスは安心したような表情で目を閉じた。
涙を拭い、もう一度立ち上がる。
これ以上何も失わないために戦ってきたのに、結局俺は何も成長してなかったわけか。
「私の命令に従っておけば死ななかったのにな。本当に残念なやつだ」
あぁ。所詮モルレッドにはその程度だったんだよな。イージスも。いや、イージスですら。
怒りで手が震える。血が高速で全身へ巡る。さっきまで感じていた痛みも気にならなくなった。
ふと剣を見ると、刀身が紅色に変色していた。
これもこの剣の力なのか?
「さあ、あとは貴様だけだ。安心しろ。先に行ったものも大勢いるし、もうすぐ後ろの騎士たちもそっちへい―――」
全力で飛び込んだ。迷う必要なんてない。後先考える余裕なんて最初からないのだから。
モルレッドは瞬時に剣を作り出すと、目を怒らして言い放つ。
『氷河の息吹』
剣を一振りするだけで、数百数千にもなる円錐形の氷が俺に向かって飛んでくる。
避けたら間に合わない。今ここで詰めなければ、もう近寄れる自信がない。
もう少し近づいてからがよかったのだが、出し惜しみなんてできないか。
剣の色が変わった時には頭にわいていた新たなイメージ。
『勇炎怒気‼︎』
俺の声に呼応して剣が巨大な炎を纏う。
攻撃を薙ぎ払うなんて造作もなかった。一振り、二振りとするたびに無数の氷が蒸発する。
間合いに入った!
モルレッドの剣と再び交差した瞬間、ものすごい勢いで蒸気が噴き出す。
「き、貴様...どこにそのような力を残していた⁈ 想定外だ。まさかこの短期間でここまで私の脅威になるとは......」
「この力は俺だけの力じゃない! 俺を信頼してくれているみんなの力だ‼︎」
もう少し。お前がどんな苦渋を呑んで壊されたかなんて知ったことじゃない。でも、それが無実の市民を傷つけ、仲間すら信頼せず切り捨てる理由になんてならない!
最後の力を振り絞る。
キリキリと擦れ合う音が響き、表情がどんどん険しくなっていく。
モルレッドは最後に何かを唱えていたが、唱え終わると糸が切れてしまったように倒れてしまった。
いきなり解放された俺もその場で盛大にトリプルアクセル(不本意)を決め込み、倒れた。
白銀世界の崩壊が始まる。圧倒的な力でカチコチに凍らされていた水分は瞬く間に元の姿へと戻っていく。
遠くの方から騎士たちの咳き込む音が聞こえてくる。どうやらみんな無事だったようだ。
エクターとミラミで戦ってからここまでろくな休憩をとってないのが災いして、なかなか思うように動けない。
こりゃしばらくこのままだな。
......ん? 天井のすりガラスに何か大きな影が映ったぁぁぁぁぁぁぁぁ⁈
ガラスの割れるパリーンという音と一緒にさっきまでの大きな影の正体、アリスこと純白に金の差し色が入ったドラゴンが突入してきた。
背中にはアーキスを載せている。完全に使いこなされてるな、あのドラゴン。
アリスは大広間の一角に舞い降り、アーキスを背中から下ろす。
「レントにボールス! それに...お兄様⁈」
その反応も無理はないか。なんせ俺たちはみんな水浸しの大広間でボロボロになっているからな。
アーキスが真っ先に行ったのはモルレッドの方だった。
「お兄様! こんなに怪我をして...火傷もお酷い。誰がしたかは知りませんが、許せません! 今回復しますね」
さすがは第二王女。俺たちの前で見せる無邪気な姿なんて微塵も感じられず、まさにレディといった感じ。
「......アーキス姫か? すまない。私はいったい何をしていたのだ。召していた正装もここまで汚して...これではお父様に怒られてしまう」
モルレッドの意識が戻り、俺含め騎士たちの中に戦慄が走る。
でも、なんだか様子がおかしい。何も知らないと言っても過言ではないような態度。アーキスの前だから取り繕っているのかとも思ったが、そんな疑惑は一瞬のうちに消え去った。
「お兄様が...急にどこかへ行かれたから...寂しかったのですよ?」
アーキスが泣きだすと、途端に彼女を抱き寄せて頭を撫で初める。
「すまなかったな。アーキス姫の気持ちに気づいてあげられなかった。兄はもう姫を1人になどいたしませぬよ」
その表情に裏はなかった。正しくアーキスの兄の風貌。目には光が入り、表情もかなり柔らかくなっていた。
周囲にびしょ濡れの騎士たちが集まる。まだ油断はできないと思っているのだろう。
「皆の者、大事ないか? 風邪をひいてはいかぬ。すぐに鎧を脱いでおくのがよい」
鎧を脱げという命令に、困惑を示す者もいただろう。だが1人、また1人と鎧や兜を外していった。
あぁ、何だか気持ちがいいな。みんなが信頼し合っているみたいだ。俺が本当に見たかったもの。俺がここまで戦ってこれた理由……
遠くから俺を呼ぶ声が聞こえてくる気がする。
頑張りすぎたのかもな...何だか眠たく。
◇◇◇
ご無沙汰してます。(毎回言ってますね笑)
第9話、楽しんでいただけたでしょうか? 私は書いていて本当に楽しかったですね。やはり小説の1番の理解者は自分であるようです。
それでは、また読んでいただけることを願いつつ、第9話を締めさせていただきます。
次回、第1章最終話になります!




