新たないけにえ
オルガノ救人教会の集会所には、今日も大勢の信者が集まっていた。来ている者たちの顔ぶれは普段通りである。心なしか、今夜はいつもより人数が多いように思われた。
その理由は、ひとりの信者にあった。有名な俳優である新山芳樹の娘、新山杏奈か参加しているためだ。
杏奈は現在、教団の施設内に住んでいる。しばらくの間は、二十四時間を誰かしらに監視されている状態で生活していた。しかし今は、監視の目もなくなり自由に行動している。
今夜は、一般信者たちの前に初めて姿を見せた。自分から、集会に出席したいと言い出したらしい。参加している信者たちの中には、好奇の目で彼女を盗み見る者もいる。
そんな集会所にて、省吾は油断なく周囲を見回していた。まさかとは思うが、マスコミの人間が紛れこんでいるかもしれないからだ。
やがて、朝永が壇上に上がる。にこやかな表情で語り出した。
「既に知っている方も多いと思いますが、私は若い頃、罪深い生き方をしていました」
この話は本当である。朝永は、かつて半グレと呼ばれる人種だった。詳しいことは知らないが「俺も昔ヤンチャしてた」などというレベルのものでないのは確かだ。逮捕歴も前科もある。今もネットで調べれば、彼のかかわった事件の記録が簡単に見つけられるのだ。
そのため、朝永は名字を変えている。今の時代、犯罪歴のある人間の名前を検索すると、昔の事件の記事が簡単にヒットしてしまうからだ。
「私は、自分が許されたとは思っていません。今も、罪を償う旅の途中であると思っております」
この言葉は嘘だ。朝永には、自分が法に抵触する行為をしたという認識はある。しかし、悪いことをしたとは思っていない、彼に信仰があるとすれば、それは弱肉強食の四文字である。この世は戦場であり、弱い者を強い者が食らう……という確固たる信念を持っている。そう、朝永にとっては「騙される方がバカ、盗られる方がマヌケ、殺される奴が悪い」なのである。犯罪を繰り返す者の中には、こうした考えの人間が少なくない。残念なことに、一般企業にも同じ傾向の者は存在する。
そんな朝永の講演を、杏奈は真剣な表情で聞いている。心なしか、目が潤んでいるようにも見えた。
杏奈は、省吾のすぐ近くの席に座っている。彼女が集会所に入って来て省吾と顔を合わせた時、ペコリと会釈もした。彼が、あの時に自分をさらった自称ヤクザと同一人物であることには気づいていない。もっとも、両者を結び付けるのは不可能だろう。
「皆さん、我々は変わることが出来るのです。不死鳥は、炎を浴びて生まれ変わる……そんな伝説がありますが、我々も同じです。信仰という名の炎を浴びて、生まれ変わるのです。物質的な豊かさのみを追い求めていた獣のごとき価値観を捨て去り、新しい自我を会得するのです」
朝永の声が、熱を帯びてきた。それに合わせ、聞いている聴衆の顔つきも変わって来ている。
「我々は、過去の罪を恥じる心を忘れてはなりません。が、過去の罪に捕われてもなりません。皆さん、我々は今、信仰という名の炎に焼かれ、新しく生まれ変わったのです。ここで、新しい自我を獲得したのです。それを忘れないでください」
そこで、朝永は言葉を切り皆の顔を見回す。少しの間を置き、ふたたび口を開いた。
「もう一度、言います。我々は、過去の罪に捕われてはなりません」
恍惚となっている信者たちを前に、憑かれたような表情で語る朝永。彼の裏の顔を知っているはずの省吾ですら、思わず心を動かされそうになるくらいだ。
ここが自宅で、朝永の演説がテレビないしスマホから聞こえてくるものだったら、冷静な状態で聞き流すことも可能だったろう。
だが、この集会所ではそれが出来ない。閉鎖された空間、真剣な表情で聴き入る他の信者たち、朝永の生の声と表情……そういった諸々の要素が、催眠術のような効果を聴衆にもたらしていた。
言うまでもなく、杏奈も真剣な表情で聴き入っている。その目からは、涙がこぼれていた。ついこの間まで、ろくでなしの彼氏や友人たちと覚醒剤に溺れていた姿を見ている省吾からすれば、まさにパウロの回心である。
省吾は、一般人を信者へと洗脳していく場面に立ち会ったことはないし、そのノウハウも知らない。だが、ひとつだけ確信を持って言えることがある。あの朝永は、地獄の業火に焼かれたところで人格が変わることはないだろう。
やがて、朝永の講演は終わった。杏奈はというと、年輩の女性信者と何やら話している。その顔には、楽しそうな表情が浮かんでいた。
悪い友人たちと共に覚醒剤に溺れる生活と、極悪な宗教にハマり教団の広告塔としての道を歩むのど、杏奈にとってどちらがマシなのだろうか……などと、省吾は愚にもつかないことを考えながら、もう一度会場内を見回す。その時、僅かな違和感を覚えた。
何だろうか、と思い、もう一度見回してみる。そして、ようやく違和感の正体に気づいた。
今日の集会には、関谷が来ていない。
・・・
関谷亜由美は、オルガノ救人教会の熱心な信者である。特に、朝永が講演する日は必ず出席していた。
同時に、彼女自身も熱狂的な信者を数百人単位で抱えている。自らが出演する動画を配信することにより、月に百万近い収益を得ているのだ。その界隈では、かなりの有名人である。
ちなみに、動画の内容は猥褻なものである。彼女は、どちらかといえば地味な顔立ちである。しかし、男にウケる見せ方を知っている。また、自分がどのようなタイプにウケるかも、ちゃんと理解していた。
そんな関谷は今、絶体絶命の危機に直面していた──
「私の名はマスクレンジャー。神を愛し、神に愛された男だ。本日は、正義を執行しに来た」
彼女の目の前には、こんなセリフを吐いた者が立っている。爽やかな声だが、服装は狂気を感じさせるものだった。白い覆面、白いジャージの上下、白い手袋……もし、こんな服装の人物と路上で出くわしたら、ほとんどの人が通報するだろう。もちろん、彼女も通報する。
しかし、今の関谷にそれは不可能だった。なぜなら、ここは彼女の自宅だからだ。帰宅した途端、中に潜んでいたマスクレンジャーの襲撃を受けたのである。いきなり腕を掴まれたかと思うと、床に投げ飛ばされたのだ。彼女は全身を強く打ち付け、思わず呻いた。
震えながら、関谷は襲撃者から遠ざかろうとした。だが、激痛のため上手く動くことが出来ない。スマホも取り上げられ、助けを呼ぶことも不可能だ。
一方、マスクレンジャーは語り続ける。
「君は、ふしだらな動画を不特定多数の人間に見せることにより、多額の利益を得ている。しかも、その利益で邪教を潤わせている。その罪、万死に値する。よって、これより正義を執行する」
その時、関谷は大声で叫ぼうとした。途端に、喉に硬いものが当たる。あまりの痛みと苦しさに、彼女は喉を押さえうずくまった。マスクレンジャーの爪先蹴りが、関谷の喉を打ったのだ。
「神! 心! 悪! 即! 壊! 神の心もて悪を即座に壊す!」
上を向き高らかに叫んだかと思うと、マスクレンジャーの手が伸びた。関谷の左腕を掴む。
直後、手刀が振り下ろされた──
異様な音と共に、腕がありえない方向に曲がっていた。激痛と恐怖で、関谷は悲鳴をあげた……はずだった。しかし、声が出ない。もっとも、どんなに大きな声を出しても無駄だった。この部屋は、防音設備が整っている。彼女自身が、動画撮影のために作りあげた部屋なのだ。
一方、マスクレンジャーの行動には一切の躊躇がない。全く無駄のない流れるような動きで、関谷の右腕を掴み引き上げる。結果、彼女の腕は、ピンと伸びた形になる。
その伸びた右腕めがけ、無言で手刀を打ち込んだ──
骨が砕け、腕はあらぬ方向に曲がる。関谷は激痛のあまり泣き叫ぶが、当然ながら大きな声は出せない。ヒュウヒュウという、掠れた音が出るだけだ。
マスクレンジャーは、関谷の状態などお構いなしに動き続ける。そう、惨劇は始まったばかりなのだ──




