岩崎の死
その話を知ったのは、朝永からの電話だった。
昼間、自分の部屋にてくつろいでいた省吾だったが、とんでもない知らせを受け、顔つきが一瞬で変わる。
「岩崎さんが死んだ? 本当ですか?」
「本当だよ。まいったよな。今日は、プログラム変更だ」
スマホ越しに聞こえる朝永の声は、普段とさして変わらない。むしろ、ただただ面倒くさそうだ。彼女の死を悼む気配は、微塵も窺えない。
「犯人は何者なんですかね? 捕まったんですか?」
一応は聞いてみた。もっとも、既に捕まっていれば、そう言っているはずだ。朝永は、無駄なことはしない。
「まだ捕まってはいないが、どうもおかしいんだよ。警察の連中にもそれとなく聞いてみたんだが、岩崎の事件は極秘事項として扱われているらしい。死んだこと以外、何も伝わってこないんだよ。しかも。旦那も隣で死んでいたって話だ」
極秘事項? どういうことだろうか。あの岩崎は、そこまでの大物ではないはずた。しかも、夫まで死んでいたとなると……これは、ただ事ではない。
「どういうことですかね? まさか、強盗にでも遭ったんですか?」
「わからんが、たぶん違うだろ。とにかく、警察からは何の情報も入って来ないんだ。捜査中の別の大きな事件が関係しているのかもしれないがな、こりゃあ変だぜ。一応、注意しておいてくれ。いざとなったら、また動いてもらうかも知れん。忙しいから、また後でな」
そこで、電話は切れた。省吾は、思わず床に座りこむ。
教団に恨みを抱いている者が、岩崎を殺したというのだろうか。いや、それは有り得ない。岩崎は、立場的には一信者にすぎない。
なぜか、妙な胸騒ぎを覚えた。自分とは、全く無関係のはずの殺人事件。しかし、省吾は不安を感じていた。何か、とんでもないことが起きそうな気がする。
今できることは何もないが、用心に越したことはないだろう。
その日の夜は、教団の集会が行われる日だった。
オルガノ救人教会の施設には、普段通りの面子が集まっている。うち半数は、喪服を連想させる黒い衣装を着ていた。中には、すすり泣いている者までいた。
そんな中、省吾はいつもの通りスーツ姿だ。後ろで立ったまま、にこやかな表情を浮かべていた。
やがて、朝永が壇上に上がる。皆を見回すと、演説を始めた。
「既にご存知とは思いますが、我々の仲間であり、同志であり、姉妹でもあった岩崎成美さんが……先日、亡くなりました」
不意に、朝永の顔が歪む。その目から、涙が流れた。体を震わせながら、その場に立ち尽くす。見ている信者たちの中にも、感化され、もらい泣きを始める者がいた。
実のところ、朝永の涙は本物である。この男、ただの悪党ではない。頭だけでなく、高い演技力も持っている。一瞬のうちに、本物の強い悲しみを身に宿すことが出来るのだ。本物の悲しみだからこそ、本物の涙を流せる。演技というより、憑依といった方が正確かもしれない。
やがて、朝永の震えが止まった。涙を拭き、ニッコリと微笑む。
「申し訳ありません。私も、まだまだですね。そう、これは悲しむべきことではないのです」
言った後、信者たちの顔を見回す。声や演技だけではなく、間や緩急の使い分けも実に上手い。聴衆の心を掴む話術を知っている。
「いつも述べている通り、死は悲しむべきことではありません。人間が、次の段階に進む上で必要な儀式なのです!」
そこで、力強く拳を振り上げる。
「彼女の死を嘆いてはなりません。岩崎さんは、我々よりも先に次のステージへと進んだのです。肉体を捨て真の魂を得て、神のいる世界へと旅立ちました。さあ皆さん! 一緒に祝おうではありませんか!」
朝永の堂々たる演説は、異様な熱気を生んでいた。信者たちは、熱い目で壇上の朝永を見つめている。涙を流している者も少なくない。
そんな者たちを、省吾は冷めきった目で見ていた。彼にはわかっている。信者たちは、皆と一体になっているかのような感覚がほしいのだ。
この会場に来れば、自分はひとりではない。同じ考えを持つ仲間たちと、同じ感覚を共有できる。十代の頃の省吾は、そうした連中をバカにしていた。群れを作る人間をせせら笑い、バカにしていた。
今は、群れを作る人間の気持ちが理解できる。あの日、省吾は自分の弱さを知った。友人の体が目の前で解体されているというのに、何も出来ない。自分の弱さ、無力さ……何かにすがりたい気持ちを、あの日に知った。
だからといって、信者たちのようにもなれない。省吾には、それは無理だった。十五の夜に、本物の地獄を見た。以来、省吾はまともな人生を歩めなくなっていた。
恭子も、咲耶も、未来も同じだ。皆、まともな人生を歩めなくなった者ばかりである。教団の飼い犬として、どうにか生きている状態なのだ。教団に尻尾を振り、敵に吠えかかり噛み殺す。そうすることで、餌をもらえるのだ。
教団の飼い犬である自分たちと、教団にせっせと餌を運ぶ働き蟻のごとき信者。まともなのは、いったいどちらなのだろうか。
いや、比べるのは失礼だ。間違いなく、信者たちの方がまともなのである。そう、自分たちは罪人なのだから──
「いいですか皆さん、我々の敵はあらゆる手段で心の平穏を乱そうとしてきます。我々は、まだまだ不完全な存在なのです」
朝永は、信者たちに向かい熱く語っている。冷めている省吾とは、完全に真逆の態度だ。大きな身振り手振りを交えながら、なおも演説を続ける。
「しかし、惑わされてはなりません。今の我々は、ちょうど湖の水面に小石を投げ込まれたような状態です。ちっぽけな小石でも、水面に大きな波紋を作り出すことが出来ます。しかし、波紋が出来るのは、ほんの一瞬です。すぐに、元の静かな水面へと戻ります」
話に合わせるかのように、朝永の声も静かなものになっていた。聴衆を見回しながら、はっきりした口調で語っていく。
「その一瞬の波紋のみに目を奪われ、全てを判断してはなりません。そう、我々の目指すところは、水面のごとき静かな心です。小石を投げられ、波紋が広がろうとも、一瞬で元に戻る……それこそが、理想とする精神です」
時おり大げさな身振り手振りを交えながら、朝永は信者たちに語り続ける。信者にとっては、アイドルのライブにも等しいものなのだろう。
プログラムが終わり、割れんばかりの拍手を浴びながら、朝永は壇上から降りる。省吾をちらりと見て、さりげなく目で合図を送ってきた。
どうやら、急ぎの用事らしい。省吾は、会場内にスマホを持ち込まないことにしていた。したがって、用があるなら直接話すしかない。すぐさま、奥の控え室に向かった。
入ると同時に、朝永が口を開く。
「松原くん、急ですまないが、やってもらわなければならないことがある」
急にやってもらうことといえば、あれしかない。
「カードが出たんですか?」
「そう。今度は、グリーンカードの案件だ。できれば明日中に終わらせてくれ」
「わかりました」
即答した省吾だったが、話はまだ終わりではなかった。
「標的に関するデータは、君のスマホに送信しておく。ところで、今回もガキは残していくのか?」
とっさに言葉が出なかった。ガキ、という単語が誰を指すかは明白である。同時に、自分でも思ってもいなかった現象が起きていた。朝永の発言に、感情が揺れ動いたのだ。思わず拳を握る。
しかし、それは一瞬だった。平静な表情で聞き返す。
「ガキって、未来ですか?」
「そう、その未来ちゃんだよ。あのガキがいた方が、仕事は楽なんじゃないのか?」
朝永は、なおも聞いてくる。おそらく、こちらが本題なのだろう。
「いいえ、そんなことはありません。むしろ、いられると足手まといです。未来は子供ですし、空気を読むのも苦手ですからね。イエローカードには未来が必要ですから、連れていかざるを得ません。しかし、グリーンカードの場合は必要ありません」
省吾は、すらすらと答える。言葉によどみはない。半分は本当の気持ちなのだから、何も問題はなかった。
「なるほどな。まあ、君が言うなら信用しよう。ところで……」
言いながら、朝永は立ち上がった。すっと近づき、省吾の肩に触れる。
「最近、恭子と咲耶のふたりがうるさくてなあ。あいつらのせいで、ガキを外出させるようになった。俺が許可したんだよ。結構、無理したんだぜ」
「ありがとうございます」
省吾は頭を下げた。やはり、こちらが本題らしい。
「いや、礼はいい。それくらいなら、まだいいんだよ。問題なのは、甘い顔をすると増長するタイプの人間がいる、ということだ。ほどほどのラインでやめておけばいいのに、欲を出した挙げ句に、怒らせてはいけない人間を怒らせる……そういうパターンを、俺は何人も見てきた」
朝永はもったいぶった口調で言いながら、肩をポンポン叩く。彼が、何を言わんとしているかがわかってきた。省吾は、神妙な顔つきで下を向いていた。
「このままだと、いずれはガキを学校に通わせろ、などと言ってくるかもしれない。これ以上、恭子と咲耶が増長するようなら……俺は、あのふたりにレッドカードを出さなきゃならん。その時、実行するのは別働隊だ。わかるな?」
そこで、朝永の手に力が入る。肩を掴まれている省吾は、ぺこりと頭を下げた。
「はい、わかっています」
「俺だってなあ、そんなことはしたくない。ふたりは実に有能だ。実績もある。しかしだ、ふたりにやりたい放題やらせていては、組織として示しがつかない。奴らはしょせん、人殺しだ」
その時、省吾は顔を上げた。
「俺も人殺しですよ」
「いいや、君と奴らは違う。君は、教団のために邪魔者を消してきた。恭子と咲耶は、自分の感情をコントロール出来ずに人を殺した。そこには、大きな差があるよ」
朝永の言ったことは事実だ。恭子と咲耶は、教団とかかわる前に人を殺した。愛憎のもつれにより、当時つきあっていた男を殺した。
「なるほど」
一応は、そう答える。だが省吾は、自分がふたりよりマシだと思ったことなど一度もない。恭子も咲耶も、己の身を守るため男を殺した。いや、死なせてしまった。
省吾は、金のために殺している──
「もう一度言うよ。俺は、あのふたりの実績は評価している。ただし、あまり増長するようなら、ふたりにレッドカードを出さざるを得ない。だから、君には彼女らの手綱を握っておとなしくさせて欲しいんだ」
「わかりました。ふたりには、それとなく言っておきます」
「いやあ、助かるよ。俺は、君まで情に流されているんじゃないかと不安になってね。でも、君なら大丈夫だな」




