死闘
「そ、そんな……」
硬直している省吾の前で、マスクレンジャーは高らかに宣言する。
「私の名はマスクレンジャー。神を愛し、神に愛されし男だ。お前たちは邪教の手先となり、数々の大罪を犯してきた。その罪は、万死に値する。よって、今から正義を執行する」
「はあ? えっと、あんた、何言ってんだよ……」
さすがの恭子も、唖然となっていた。だが、それも仕方ないだろう。こんなわけのわからない扮装をした男が、いきなり飛び込んで来た挙げ句、意味不明なことを口走っているのだ。状況を呑み込めず、ぽかんとなっている。
しかし、その発言で我に返った者もいた。
「ま、待て! あんた、見逃してくれると約束したろうが!」
省吾は叫んだが、マスクレンジャーはかぶりを振る。
「ああ、確かに約束はした。だがな、見逃すのは君だけだ。ここには、他に三人いる。その三人は見逃せん」
返ってきた言葉に、思わず顔をしかめる。恭子たちが、ここにいることまで知っていたのか。
「頼む……他の三人も見逃してくれ。俺に出来ることなら、何でもするから……」
震える声で懇願する。この怪物には、どうあがいても勝ち目はない。どうにか、戦わずに引き上げてくれるよう持っていくしかないのだ。
しかし、省吾の願いは叶わなかった。
「それは無理だ。なぜなら、その三人は邪教の手先として数々の罪を犯してきた。許すことは出来ん!」
叫び、胸を張るマスクレンジャー……その時、ようやく恭子が声を発した。
「ふ、ふざけんじゃないよ! アホみたいな格好しやがって! とっとと家に帰って、薬でも飲んで寝な!」
動揺しながらも啖呵を切る彼女を、マスクレンジャーはじっと見つめる。
その時、省吾が動いた。恭子の前に立ち、同時に叫ぶ。
「恭子さん! こいつには勝てない! 逃げろ!」
叫んだ時、マスクレンジャーが前に進み出た。じろりと彼を睨む。
「君は、私の邪魔をする気か? 今、私は疲れている。したがって、手加減は出来んぞ。殺される覚悟はあるのか?」
問われた省吾は、無言で目を逸らす。
脳裏に、あの時の記憶が蘇った。目の前で、友人の後藤伸介を殺された日。人体を素手でバラバラにしていくマスクレンジャーを前に何も出来ず、ただ惨劇を見ているだけだった。
俺は、何も出来ない。
無力だ──
「さあ、そこをどくんだ!」
マスクレンジャーの声が聴こえ、省吾ははっとなる。その瞬間、腕を掴まれた。
直後、後方に放り投げられる──
省吾は、背はさほど高くない。だが、筋肉量の多い体であり体重は八十キロを超える。そんな体を、ゴミ袋でも放るかのように軽々とぶん投げてしまったのだ。
その時、恭子が動いた──
「この野郎! くたばれ!」
怒号と共に、背後から空き瓶が振り下ろされる。侵入者の頭に当たり、派手な音をたて割れた。
しかし、マスクレンジャーは平然としている。何事もなかったかのように、くるりと振り向いた。
「な、なんだこいつ」
呆然となっている恭子の前で、マスクレンジャーは宙を仰いだ。
「神! 心! 悪! 即! 壊! 神の心もて悪を即座に壊す!」
死刑宣告のごとき言葉を吐いた直後、ドアが開く。同時に、何かが高速で飛び込んできた──
「お前! 何やってんだ!」
叫びながら、突進してきたのは咲耶だ。助走をつけた飛び蹴りを、マスクレンジャーの背中に見舞う。さすがの怪人も、一瞬よろめいた。
咲耶は、さらに追撃する。背中に飛びつき、己の両足を相手の胴に絡めた。同時に、腕をマスクレンジャーの首へと巻きつける。バックチョークが入ったのだ。
この技は、首の動脈や気道を腕で絞め意識を失わさせる。がっちり極まれば、人間の腕力で外すことなど出来ない。完璧な形で入れば、女性でも屈強な大男を絞め落とすことが可能だ。
ところが、予想だにしなかったことが起きる。マスクレンジャーは、首に巻き付いた腕をがしっと掴む。
次の瞬間、悲鳴が上がった。その声は、咲耶の口から出たものだ。彼女の腕の骨は、超人的な握力により砕かれてしまったのだ。
マスクレンジャーは、さらに攻撃を続ける。咲耶の腕を掴んだまま、体をブンブン振り回したのだ。挙げ句、ポイッと無造作に放り投げる。壁に叩きつけられ、彼女は呻き声を漏らした。
その時、未来の目が光る。ついに、少女の力が発動したのだ──
紅く光る目は、初対面である覆面の怪人に向けられていた。同時に、相手の精神を破壊する念動波が放たれる。どんな強い肉体を持った人間でも、未来の力の前には無力のはずだ。省吾は、固唾を呑んで見守る。
マスクレンジャーほ、念動波に気づいたのか振り返り、幼い少女を見下ろした。
「残念だったな。お前の邪悪な力は、神に愛されし私には通用しないのだ!」
高らかに叫ぶ。どうやら、本当に効いていないらしい。
見ている省吾の心は、再び絶望に覆われた。やはり、この男はとんでもない怪物だ。未来の力ですら通じていない。ひょっとしたら、人間ですらないのかもしれない──
「私は、子供が相手でも容赦せんぞ! 悪は滅するのみ! 一悪一滅!」
叫んだ直後、マスクレンジャーは進んでいく。その目は、少女をしっかりと捉えている──
省吾は立ち上がろうとした。だが、体は動いてくれない。過去に植えつけられた恐怖が、体の機能を完全に支配している。
その間にも、マスクレンジャーは未来へと近づいている。こうなると、幼い少女には何も出来ない。怯えきった表情で、接近してくる怪人を見上げている。このままだと、一撃で殺されてしまうだろう。
未来の命は風前の灯火……と思われた時、そこに乱入した者がいた。
「未来に触るなあぁ!」
吠えながら飛び込んだのは恭子だ。その手には、包丁を握りしめている。いつの間に取り出したのか。
包丁を構えた彼女は、そのまま突進する。凄まじい勢いでマスクレンジャーへとぶつかっていった。
ところが、刃が通らない。着ている白いジャージを、貫き通すことが出来ないのだ。ジャージに防刃効果があるのか、あるいは本当に人間ではないのか──
「ハッハッハ! 神に愛されし私には刃物など効かん!」
言ったかと思うと、マスクレンジャーの手が恭子の首を掴む。
片手で、高々と持ち上げた──
「地獄で、己の犯した罪を悔いるがいい!」
怒鳴るマスクレンジャーの姿を、省吾ほ顔を歪めて見ている。
このままだと、確実に全滅し自分だけが生き延びてしまう。あの時と同じだ。
にもかかわらず、見ていることしか出来ない。かつて味わった恐怖が、鉛のごとき重さで全身を蝕んでいる。そのせいで動けない──
またか……。
また、目の前で死なせちまうのか。
その時、誰かが省吾の腕を掴む……未来だ。少女は、彼の目を睨みつけた。
次の瞬間、未来の瞳が緑色に光る──
「な、何を……」
言いかけた省吾だったが、すぐに己が身に異変が起きていることに気づく。己の全身を縛っていた恐怖という鎖が、次々とちぎれていくのを感じた。
そればかりか、全身に力がみなぎっていく。得体のしれない何かが、体の奥底から湧き出してくるのだ。これも、未来の力らしい。
その未来の力が、省吾を駆り立てる──
奴を殺せ!
気がつくと、勢いよく立ち上がっていた、目の前の敵に向かい、裡なる力の命ずるまま突進していく。
助走を利かせた横蹴りが、マスクレンジャーの背中に炸裂した。その体が弓なりに曲がり、持ち上げていた恭子がどさりと落ちる。
省吾は、さらに追い打ちをかける。再度の前蹴りで吹っ飛ばし、顔面にパンチを叩き込む──
そこで、またしても予想外のことが起きる。放たれたパンチを、マスクレンジャーが手のひらで受け止めたのだ。
「ほう、やる気になったようだな。だが、向かって来るなら容赦ほせんぞ。己の悪行を、じっくりと悔やみながら死ぬがいい。じわじわと痛めつけてやるぞ……あの時のようにな」
言いながら、マスクレンジャーは手に力を込める。途端に、省吾の拳がボキリと音を立てた。手の骨が、ゆっくりと砕けているのだ──
しかし、省吾は痛みを無視し、残った左手でなおも攻撃を仕掛ける。獣のように吠えながら、マスクレンジャーの顔面を殴り続ける。
その時、未来が叫んだ。
「ま、ま、マスク!」
常人には、何を言わんとしているのかわからなかっただろう。だが、省吾は一瞬でピンときた。
目の前の顔面から、マスクを引き剥がす。ほぼ同時に、マスクレンジャーは拳を掴んでいた手を離し己の顔を覆い隠す。
途端に、状況は一変した──
「や、やめろ!」
マスクレンジャーは顔を覆ったまま、白い覆面を取り返そうとする。だが、省吾の動きは速かった。考えるより先に、マスクを放り投げる。
すると、マスクレンジャーは悲鳴をあげた。今度は、両手で顔を覆う。
その姿を見た省吾は、一気に攻勢へと転ずる。がら空きになった腹めがけ、渾身の力を込めたミドルキックを叩き込む。
強烈な一撃に、マスクレンジャーの体がくの字にまがった。それでも、両手は顔を覆ったままだ。攻撃はおろか、防御すらしようとしない。
ならば、攻撃を続けるまで……とばかりに、省吾は続けてミドルキックを食らわす。
ガハッという声が漏れた。直後、へなへなと崩れ落ちる。あの白い覆面を失った途端、超人的な力も失ってしまったようだ……。
だが、そんなことはどうでもいい。今は、こいつを殺す……省吾は、マスクレンジャーの髪の毛を掴み無理やり立ち上がらせた。
「てめえ、面みせろ!」
言いながら、顔を覆う手を掴み、力ずくで引き離す。先ほどまでの人間離れした腕力が嘘のようだ。あっさりを手を外され、マスクレンジャーの素顔があらわになる。
次の瞬間、省吾は絶句した。そこには、平凡だが人のよさそうな中年男の顔がある。
その顔には見覚えがあった。普段、オルガノ救人教会の集会所にて講演をしていた男。クソ真面目な堅物だが、人柄には好感を持っていた……。
そう、マスクレンジャーの正体は山川優孝だったのだ。
「あんた……山川か? 山川なのか?」
数秒後、ようやく言葉が出る。しかし、山川はかぶりを振った。同時に後ずさり、省吾から離れる。
そして、口を開いた──
「ち、違う! 私は……私はマスクレンジャーだ! 神を愛し、神に愛されし──」
「愛してねえよ!」
言葉の途中、怒鳴りつけたのは咲耶だ。彼女は、折られた腕を押さえながら立ち上がり、さらに畳みかける。
「誰も、お前みたいな人殺しのクズ野郎なんか愛してねえんだよ!」
その怒声に、山川はわなわな震え出した。
「違う! 私は人殺しじゃない! 正義を執行しただけだ!」
絶叫する山川を前に、省吾は何も言えない。ただ、彼をじっと見つめることしか出来なかった。今となっては、怒りも憎しみもない。ただただ、哀れでしかなかった。
だが、他の三人は違っていた。恭子と咲耶と未来の目には、憎しみと蔑みとが浮かんでいる。
それに気づいた途端、山川は両手で顔を覆う──
「やめろ……見るな! そんな目で私を見るな!」
喚き散らす山川の目からは、涙が溢れている。今、省吾たちの前にいるのは、殺人鬼マスクレンジャーではない。頭を抱え泣き叫ぶ、惨めな中年男でしかなかった……。
「見るな……私を見るなあぁぁ!」
絶叫した直後、山川は飛び出していった。両手で顔を覆い、土の上を走っていく。やがて、その姿は見えなくなった。
だが、その後を追う者はいなかった。




