マスクレンジャーの襲来
「ちょっと、あんた何を言ってるんだい?」
訝しげな表情で尋ねる恭子に、省吾は険しい表情で言葉を返す。
「今は何も言わず、俺の指示に従ってくれ」
聞いた三人は、思わず顔を見合わせる。いったい何事が起きているのだろうか。
昼間、恭子と咲耶と未来は教団の施設にいた。雑用を終えた後、食堂で昼食を摂っていた。
和気あいあいと食べていた時、いきなり省吾に呼び出されたのだ。スマホに、すぐ来てくれとメッセージが着ている。待ち合わせ場所は、駅近くのカラオケボックスだ。
三人は困惑しつつも、仕方なく指定された場所に向かう。
省吾は、店の入口にいた。恭子らの姿を見るなり、無言のまま入店する。三人は、後をついていくしかなかった。
そこまででも充分に異常事態だが、入室後は想像だにしない展開が待っていた。省吾は、突然こんなことを言ってきたのだ──
「みんなで引っ越すぞ。今すぐ荷物をまとめろ。今日中に出発だ」
この言葉に、三人は唖然となっていた。いったい何事が起きているのだろう。
「指示に従ってくれっていわれても、わけがわからないよ。だいたい、山川は大丈夫なのかい?」
なおも尋ねる恭子だったが、省吾はまともに答える気がないらしい。
「山川には、後で俺が言っておく。とにかく、今は急いでくれ」
その態度は、どう見ても普通ではない。さらに表情が険しくなる恭子だっだが、横から口をはさむ者がいた。
「引っ越し? なんか楽しそうじゃない。いいじゃん。行こうよ」
咲耶である。彼女にしてみれば、いま暮らしている教団の寮は窮屈で仕方ないのだろう。
その気持ちは、わからなくもない。恭子もまた、不便なことが多いとは感じている。何せ、外出にも許可が必要なのだ。規則の多さでは、かつて過ごした女子刑務所にも負けていないだろう。
だからといって、急に引っ越すというのもおかしな話である。しかも、理由は教えてくれそうにない。恭子は苛立ち、省吾を睨みながら口を開いた。
「だからさ、わけを聞かせてくれって言ってるんだよ。だいたい、あの堅物の山川が許可するのかい──」
言い終えることは出来なかった。途中で、省吾が立ち上がったのだ。
直後、深々と頭を下げる──
「頼む。今は何も聞かず、俺の言う通りに動いてくれ」
恐ろしい形相でそんなことを言われ、恭子は面食らい何も言い返せない。
その時、咲耶が口を開く。
「ねえ未来、あんたはどうしたい?」
話を振られた未来は、黙ったまま省吾の顔を見つめる。数秒後、少女は口を開いた。
「しょ、省吾の言う通りする。ひ、ひ、引っ越したい」
・・・
白土市の山中には、奇妙な施設がある。
大木が生い茂る山道を車で進んでいくと、突如として風景が変わる。塀に囲まれた施設は三階建てで、敷地内にはゴミひとつ落ちていない。高級ホテルのような外観だが、この施設は一般人が入ることを許されていない。
そう、ここはオルガノ救人教会所有の施設である。信者の中でも、選ばれた者しか入ることを許されない特别な場所なのだ。具体的に言うと、朝永のようなクラスの幹部たちである。山川クラスの信者では、そもそも所在地すら知らないだろう。
そんな聖地のごとき場所に、最悪の客が訪れた──
夜の九時過ぎ、施設のドアが開かれた。
こんな時間に、訪れる者などいないはずだった。ただし、今夜は勝手が違う。大物幹部たちが宿泊しているのだ。ひょっとしたら、幹部の個人的ね知り合いかもしれない。
応接間にいた受付担当の信者たちは、誰が来たのかとそちらを向く。だが入って来た者を見た瞬間、その場の全員が顔をしかめていた。
白い覆面を被り、白いジャージの上下を着た者が颯爽と歩いて来るのだ。背筋をピンと伸ばし、胸を張って大股で進んでくる。
その出で立ちは、悪役の覆面レスラー以外の何者でもなかった。どう見ても。幹部クラスの信者には見えない。それ以前に、まともな人間ですらないのでは……と思える。
「す、すみません、どちらの方でしょうか?」
受付担当の信者が、気を取り直し近づいていった。にこやかな表情で話しかけると、不審者は立ち止まる。
「私の名はマスクレンジャー! 神を愛し、神に愛されし男だ! 貴様らは神の名を騙り、純粋な者たちを騙し、私利私欲を貪っていた。その罪、断じて許すことは出来ん。よって、正義の名の下に貴様らを断罪する! 断罪! 断罪! また断罪だ!」
そんなことを、高らかに叫んだ。当然ながら、周囲の者たちは呆然となっている。
もっとも、ガード役の信者たちは既に動き出していた。教団には時おり、わけのわからない妄想に憑かれ刃物片手に乗り込んでくる輩がいるのだ。
当施設に、この手の輩が来たのは初めてだが、やることは同じである。金目当てのチンピラと違い、こういう手合いは力ずくて押さえ込むしかない。いざとなったら、極秘で処理する。
だが、彼らは状況をわかっていなかった。
信者たちの動きをよそに、マスクレンジャーは宙を仰ぐ。
「神! 心! 悪! 即! 壊! 神の心もて悪を即座に壊す!」
直後、凄まじい勢いで突進していった。
ほぼ同時に、ガード役の信者たちも動く。マスクレンジャーを止めるべく一斉に襲いかかる。
それは、無駄な抵抗だった。マスクレンジャーの動きは、尋常でない速さである。しかも、動作のひとつひとつに無駄がない。突進してくる者たちを紙一重で上手く避け、絶妙のタイミングでカウンターの打撃が顔面に炸裂する。
あっという間に、三人が倒された。床に伏しており、白目を剥いている。たった一撃で、意識を失ってしまったのだ。
それだけで終わらせないのが、マスクレンジャーという怪物だ。ご丁寧にも、床に伏している三人にきっちりとどめを刺していく。足を上げ、ひとりずつ首を踏み潰していったのだ。踏まれた者の脊髄は砕け、次々と絶命していく──
しかし、すぐに新手のガードマンが投入された。彼らは侵入者を止めるため、一斉に襲いかかる。
マスクレンジャーは、怯む様子なく吠えた。
「刮目せよ! これが、我が正義の拳だ! 冥土の土産に、味あわせてやる!」
直後、群がる敵を迎え撃つ──
信者たちは、一瞬にして倒されていった。その様は、荒れ狂う竜巻のようである。進路上にあるものが、次々と吹き飛ばされていくのだ。アクション映画の殺陣でも、ここまで見事なものはないだろう。
しかも、ガードを務める信者たちは武道の有段者や元プロの格闘家といった者ばかりなのだ。体は鍛え抜かれており、人を制する技もきっちりと仕込まれている。ひとりでも、そこらのチンピラ数人なら倒せる腕の持ち主だ。
ところが、マスクレンジャーだけは勝手が違っていた。研ぎ澄まされ無駄のない動きで繰り出される技が、乱戦の中でも正確に相手の急所を捉える……コンピューターの正確さと、大自然の荒々しさが一体化しているのだ。人間が太刀打ちできるようなものではない。
みるみるうちに、信者たちの死体が増えていく。普通のガードマンならば、警察を呼んでいただろう。しかし、ここには警察を呼ぶことは出来ない。見られては困るものが、大量に保管されていたからだ。
もっとも、彼らとて黙って殺られているわけではなかった。残っていたふたりの信者が、恐ろしい表情で入ってくる。その手には、拳銃が握られていた。何かあった場合のため、保管されているものだ。
ふたりは両手で構え、トリガーを引く──
有り得ないことが起きた。
銃口が向けられ弾丸が発射される零コンマ一秒前に、マスクレンジャーは身を伏せていた。トカゲのような体勢で、床にピッタリとへばりついていたのだ。ほぼ同時に、その頭上を弾丸が通過していく。
今度は、マスクレンジャーが弾丸と化した。次の零コンマ何秒かの間に、彼は伏せた体勢のまま全身のバネを弾かせ飛びついていく。ふたりは足元を掬われ、無様な形で倒れた。後頭部を、床に打ち付ける。
もっとも、その痛みを感じる暇さえなかった。マスクレンジャーはすぐに立ち上がり、蹴りを見舞う。それは、蹴りというより踏みつけに近いものだ。
首を踏みつけられ、衝撃で脊髄が砕かれる。ふたりは、一瞬にして絶命した──
その頃、上の階には幹部たちが宿泊していた。彼らは、下で起きている騒ぎに気づいていない。普段と同じように過ごしている。
「君たち、そこで待っていなさい」
寝室に声をかけたのは、教団の木更津支部を統括している内野だ。美形とは言えないが、優しそうな風貌の中年男である。体つきは丸くぽっちゃりした体型であり、ゆるキャラを連想させる風貌だ。そのためか、若い女性信者からの人気が高い。
そんな男の部屋に、招かれざる客が現れた──
「だ、誰だお前は!?」
内野が叫ぶ。
ベッドには、ふたりの少女が控えていたはずだった。どちらも十代で、どこかのアイドルグループに入っても上位にいけるであろう容貌だ。一糸まとわぬ姿で、内野に御奉仕することになっていた。
しかし今、少女らは床に敷かれた絨毯の上に倒れている。両者ともに血まみれだ。首と両手足ほ有り得ない方向に曲がっており、絶命しているのは確かめるまでもなかった。
そんな彼女らのそばに立っているのは、下の階にてガードマンたちを皆殺しにしたマスクレンジャーである。返り血を大量に浴びており、白い衣装は真っ赤に染まっていた。
思いもよらぬ光景に唖然となっている内野に向かい、マスクレンジャーは高らかに叫ぶ──
「神! 心! 悪! 即! 壊! 神の心もて悪を即座に壊す!」
直後、内野に襲いかかる。
一秒も経たぬうちに、彼の首がへし折られていた。抵抗することすら叶わず、あっさり絶命する。マスクレンジャーは振り向きもせず、すぐさま次の部屋に向かった。
朝永博義もまた、この施設に泊まっている。
この男は、既に異変を感じ取っていた。長い間、裏の世界で活動しており何度か逮捕されたが、ほとんどが微罪で不起訴もしくは起訴猶予ですんでいる。刑務所に行ったのは一度きりだ。また、敵対する者たちに命を狙われたこともあるが、掠り傷で済んでいた。
そう、朝永は数々の修羅場を潜ってきている。肉体的にも社会的にも、致命的といえるようなダメージは負っていない。野性的な勘の働きにより、紙一重のところで逃れてきた。
今回もまた、その勘が働く。室内にいるにもかかわらず、周囲の様子に違和感を覚えた朝永は、下の階にいる職員を電話で呼び出してみる。
ところが、応答がない。続けて何度か呼び出してみたが、機械音が虚しく鳴り響くだけだ。
何かが起きたことを察した朝永は、すぐに動いた。部屋から出ようと、出口に向かう。だが、間に合わなかった。
目の前で、ドアが開け放たれる。のっそりと部屋に入ってきたのは、全身を返り血で染めたマスクレンジャーだ。
さすがの朝永も、唖然となっていた。マスクレンジャーの方は、宙を仰ぎ高らかに叫ぶ。
「神! 心! 悪! 即! 壊! 神の心もて悪を即座に壊す!」
今、施設内で死体と化している者は、全員がマスクレンジャーのこの異様なセリフを呆然となりながら聞いていた。何が起きているのか把握できぬまま、無惨に殺されていったのである。
しかし、朝永は違っていた。言い終わる前に動く。瞬時に状況を判断し、同時に体が動いていた。目の前にいる者は、自分よりも遥かに強い。抵抗したところで無駄だ。ならば逃げる。
朝永は、咄嗟に足元の消火器を手にした。一気に噴射する──
室内は一瞬にして、白い消火剤に覆われていく。直後、朝永はマスクレンジャーめがけ消火器をぶん投げた。
くるりを向きを変え、ベランダへと走る。ガラス戸を開け、柵に手をかけた。あとは飛び降りるだけ、のはずだった……。
朝永の行動は、間違いではない。部屋に残り抵抗したところで、殺されていたのは確実だ。ならば逃げる。ここは三階であり、下は柔らかい土だ。落ち方によっては、無傷で着地できるはずだった。
ところが、朝永は肝心な部分を忘れていた。この男、切った張ったの世界からは十年以上遠ざかっている。
ベランダの柵に手がかかり下を見た瞬間、朝永の裡に不安がよぎる。飛び越えるのは簡単だが、自分はもう若くない。昔ならば、怪我なく着地できる自信はあった。だが、今はどうだ?
結果、動きが止まった。どうしよう、という迷いが生じる。若い頃ならば、ためらうことなく飛び降りていただろう。しかし、年齢を重ねた今の彼には、かつての向こう見ずさが薄まっている。
時間にして、ほんの数秒……一瞬の逡巡だったが、その数秒が明暗を分けた。白い消火剤が噴霧された室内から、マスクレンジャーの手が伸びる。
朝永は首根っこを掴まれ、瞬時に引き戻された。




