異様な空気
夜の七時、普段通りにオルガノ救人教会の集会は始まった。
来ている信者の数は多くはないが、顔ぶれはほぼ同じである。信者の中でも、特に熱心な者たちだ。近いうちに教団は分裂することになりそうだが……その時、彼らはどんな反応をするのだろうか。
新山杏奈も、席についている。あれから彼女は、集会のある日には必ず出席していた。生活態度も、かつてとは百八十度異なるものだ。二週間ほど前までは薬物依存だったなど、想像も出来ないだろう。
特に省吾は、彼女がチンピラと共にいた姿を見ている。その時と比べれば、別人といっていいくらいの変化を遂げていた。表情ほ穏やかで、服装も態度も落ち着いたものである。あるいは、これが彼女の本当の姿なのかもしれない。
だが教団が分裂したら、杏奈はどうするのだろう。いや、どうなるのだろう。教団に留まり、どこかの派閥に所属するのだろうか。それとも、また薬物を始めてしまうのか。あるいは、別の道を見つけるのだろうか。
省吾がそんなことを思う中、山川は壇上で語り続ける。
「この先行きが見えにくい不安な時代、我々は重要な役割を担っているのです」
山川の公演は淡々としたものだが、心なしか今日は晴れやかな表情になっている気がする。プライベートで、何かいいことでもあったのだろうか。
「我々ひとりひとりの選択が世の中に与える影響は、一見すると小さなものでしょう。しかし、諦めてはなりません。小銭ほどの大きさの小石を湖に落としたら、大きな波紋が起こります。小さな種ひとつが、やがて広大な荒れ地を畑に変えることもあるのです」
珍しく、山川の声が熱を帯びてきた。どうも妙な感じだ。前回、若林に因縁をつけられオロオロしていた姿が嘘のようである。
今まで山川のことを、繊細でトラブルに弱く、悪いことを引きずりやすいタイプかと思っていた。だが、それは間違いだったのかもしれない。少なくとも、今の山川は若林の件をすっぱり忘れているように見える。
「我々は、自分たちの些細な行動が世の中に大きな影響を与えるかもしれない……常にそれを意識し、生活していきましょう」
何やら壮大なスケールの話をしているが、要は常に人の目を意識しろということだ。教団の一員として、恥ずかしくないように生活してくれ……ということでもある。
昨今の情勢は、宗教団体にとって芳しくないものだ。世間の目がひときわ厳しくなっている。だからこそ、信者たちの普段の行動にはことさら気を配る必要があるのだ。
そんなことを考えていた時、集会所のドアが開く。入って来たのは刑事の正岡だ。相変わらず、地味なスーツ姿である。省吾に意味ありげな視線を送ると、空いた席にどっかと座り込んだ。
この刑事が何をしに来たか……それは考えるまでもない。マスクレンジャーに関係する話だろう。今日ほ早めに切り上げなくてはならないようだ。
やがて講演が終わり、山川は控室へと入っていった。
省吾は周りを見回すと、正岡に目配せして控室へと入っていった。パイプ椅子に座っている山川に頭を下げる。
「お疲れさまです」
「いえいえ。今回の講演は、どうだったかな?」
山川は、にこやかな表情で聞いてきた。
「はい、よかったと思います」
そうは答えたが、本音をいうならどうでもいい。この場を早く切り上げ、正岡と話したかった。わざわざここまで来る以上、またマスクレンジャーが何かやらかしたのだ。
しかし、山川の方は違うらしい。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。お世辞であったとしてもね。時おり私は、自分のしていることに自信が持てなくなる。だが、こうして講演を聞きに来る皆の顔を見るたびに、私のような人間にも出来ることがあるんだと教えられる』
語る山川の目には、異様な光が宿っている。心なしか、テンションも高い気がする。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
うろたえた省吾は、思わずそんなことを聞いていた。やはり、今日の山川は変だ。
「えっ、私は大丈夫だよ。何かおかしいところでもあるかい?』
逆に聞き返され、省吾はさらに困惑した。とりあえずは、話題を変えることにする。
「ところで、総裁の具合はどうなんですか? 治療中ということを聞かされて以来、何の音沙汰もないですよね』
総裁とは、教祖の六波羅のことである。教団内の人間は、教祖とは言わず総裁と呼ぶことになっている。
すると、山川の表情が曇った。
「私はね、恥ずかしながら詳しい症状は聞かされていない。ただ、今のところは問題ないという話だ。本部にも何度か問い合わせてみたんだが、それしか聞いていない」
いかにも悲しげな表情で言っている。嘘を吐いているようには感じられない。では、六波羅の体調については本当に何も知らないのだろう。朝永は、もう長くないと言っていたのだ。訃報を聞かされた時、山川はどうなるのだろうか。
そんなことを思う省吾に向かい、山川はさらに語り続けた。
「実のところ、私は朝永さんたち幹部が、今どこで寝泊まりしているかも知らされていないのだ。いつ頃戻るか、知っておきたいのだが……君は知っているかい?」
いきなり問われ、言葉に詰まってしまった。もちろん知っている。だが、一介の職員ということになっている省吾が、それを言うわけにはいかない。素知らぬふりをすることにした。
「いえ、知りません」
「そうか、君も知らないのか」
「はい。山川さんにも聞かされていないものを、俺が知るわけないじゃないですか」
そう言った時、ドア越しに女性信者の声が聞こえてきた。
「松原さん、お客さまが是非ともお話をしたいと……」
省吾はホッとした。正岡が痺れを切らし呼びにきたのだろう。これで話を切り上げられる。山川に向かい頭を下げる。
「すみません。今、研究している方がいまして……ちょっと、話をしてきます」
「あ、こちらこそ申し訳ない。研究は大切だ。すぐに行ってあげてくれたまえ」
慌てた様子で山川が促す。教団で使われる「研究」とは、要するに勧誘のことだ。様々な手段を弄して、こちらの教義を信じさせる……洗脳と言い換えてもいいかもしれない。教団内では、それを研究と呼んでいる。
もっとも、研究という単語もあながち間違いではない。省吾と正岡はこれから、稀代の犯罪者についての研究を行うのだ。
省吾と正岡は、すぐに集会所を出た。
ふたりは、人気のない裏通りへと入っていく。と、正岡が立ち止まり口を開いた。
「悪いが、時間がなくてな。ここで話そう。実はな、またマスクレンジャーが出た」
「本当ですか?」
「ああ。しかも、今回はヤクザを殺りやがった」
「ヤクザ? どこのですか?」
「ヤクザって言っても、正式な組員じゃないんだ。いわゆるフロント企業だよ。大原興業の若林だ」
聞いた瞬間、愕然となった。
大原興業の若林といえば、つい先日こちらに因縁をつけにきた男である。あっさり退散したものの、このままでは済まないだろうとは思っていた。その若林が、マスクレンジャーに殺されるとは……。
その時、正岡が顔を近づけてきた。
「なあ、若林とそっちの教団とは、どういう関係なんだ?」
「関係? どういうことです?」
聞き返した途端に、正岡の表情は険しくなる。
「おい、ごまかす気か? あいつのスマホには、教団の住所と電話番号が登録されてたんだよ。まさか、熱心な信者だったなんて言わねえよな?」
ようやく合点がいった。正岡は、若林を教団の関係者だと勘違いしているのだ。これまでに、信者がふたりマスクレンジャーの手で命を奪われている。その一連の流れから、若林も教団の関係者だと判断したのだろう。省吾は、苦笑しつつかぶりを振った。
「違いますよ。関係も何も、そいつはこないだ因縁つけに来たんです」
「因縁? どういうことだ?」
「この集会所に、チンピラみたいなのを引き連れて来たんですよ。何でも、ウチに献金した挙げ句に自己破産した人間がいる……みたいなことを言ってきたんですよ。チンピラに有りがちな手口だったんで、追い返しました」
「じゃあ、お前らの仲間じゃないんだな?」
「もちろんです。仲間どころか、完全な敵ですよ」
そう、あの男は完全な敵だ。朝永の指示があれば、すぐに乗り込んで始末する手はずになっていた。
なのに、マスクレンジャーに殺られたとは……理解不能だ。
「そうか。だとしたら、妙な話だよな」
訝しげな表情で首をひねる正岡に、省吾は率直な意見を述べる。
「よくわかりませんが、あいつは本気で正義の味方をやってるんじゃないか……そんな気がするんですよ」
「実は、俺もそう睨んでいる。となると、こいつは厄介だぞ」
正岡が引き上げた後、省吾は夜道をひとり歩いていた。あの怪物が何を考えているのか、おぼろげながらわかってきた気がする。
奴は、正義に憑かれているのだ。正義に名を借りた狂気に憑かれ、次々と悪人を殺している。そこに利害関係などない。無差別に、悪人と思われる人物を殺し続けている。
その時、朝永のことが頭に浮かんだ。最低最悪の環境に生まれながらも、今の地位まで登りつめた上に、さらなる高みを狙っている。あの男は、ある意味では化け物だ。ああいう人間は、そう簡単には死なない。地べたを這い回り泥水をすすってでも生き延びる。
肉体面では、朝永より省吾の方が上だ。スポーツの記録では、省吾が勝つだろう。だが殺し合いになれば、朝永の方が生き延びる可能性は高い気がする。精神力や生命力といった生物の根源的な部分では、朝永に勝てる気がしない。ある意味、マスクレンジャーと同類と言えるかもしれない。
朝永のような化け物を殺せるのは、同じ化け物……マスクレンジャーではないのか。




